3.婚約者とヨリを戻しますの
怪我をしたセバスティアンを連れて馬車に戻ろうとした時だった。
「マルガレーテ、何故ここに。部屋で休んでいるのでは無かったのか」
フェリクス王子が護衛を一人連れて現れたのは。
(あちゃー。私がパーティサボってここにいることがバレちゃったわ。でも、展開としてはゲームのシナリオ通りね)
原作通りの展開なら、ここでヨハナと王子が婚約をしてしまう。何としてもそれを阻止しなければ私と家族は追放だ。彼がヨハナに話しかける前に仕掛けないと。口を開きかけた時、更なる質問が飛んで来た。
「しかも、その格好は一体……」
(しまったー。猫耳つけたままだった!)
すぐさま外して背中に隠す。オホホ、と笑ってごまかすしかない。
「ああ、可愛かったのに」
ヨハナが肩を落とす。
(姐さんってしょんぼりするんだ。ゲームでもこんなの見たことない)
衝撃的過ぎて、一瞬何を話すべきだったのか忘れかけてしまった。首を振り、気を取り直して王子に尋ねる。
「あら、フェリクス様。貴方こそどうしてこちらにいらっしゃるの?」
「それは……ヨハナの姿が見当たらなかったのでね」
(やっぱり探しに来てたんじゃない)
予想できたこととはいえ、彼女を妃に迎える心づもりでいるのだと思い知らされると、胸が締め付けられる。
「そりゃどうも」
ドドドドド、と連続で弾丸が飛んでいった。咄嗟に耳を塞ぐ。
(姐さんいきなり撃つのはやめて。そういう躊躇しないところは素敵だけど、鼓膜が破れてしまうわ)
「君は相変わらず素っ気ないな」
王子は綺麗なままその場に立っていた。背後にあった木の枝が折れて、落ちていく。
「姐さんの弾が当たらないって、一体、どうなってるんですか」
ルッツが顔を顰めた。ヨハナも悔しそうにしている。
「避けるのは得意だからね」
王子は目を伏せ、そう吐き捨てた。
「当たりたがりのようなことを言いながら避けるのか。所詮は臆病者という訳だ」
ヨハナの呟きには殺気のような気迫が滲み出ている。やはり、彼に恨みがあるみたいだ。一方で、王子は私の方に向き直った。
「ところで、マルガレーテ。君がここにいるということは、呼び出したのかい? 彼女を」
侮蔑すら込められた表情で見つめられる。負けちゃダメよ私。ヨハナは許してくれそうな雰囲気とは言え、油断は禁物。二人が良い感じの雰囲気にならないうちに引き離して、説得にかからないと。
「ええ、まあ、そんなところかしら。あー、そうそう。ちょうど貴方と二人でお話をしたいと思っていたところでしたの」
「君に言うことはないと、伝えたはずだが」
「こっちはあると言っているの。良いから来る」
敬語を使うのも忘れて、金糸の織り込まれた袖を引っ張った。振り返ってヨハナとルッツに手を振る。
「今日は本当にごめんなさい。二人とも、また明日」
「別にまだ許した訳ではありませんから、調子に乗らないでください」
ルッツが銃を構えたのをヨハナが抑える。
「辞めておきな。今の君では当たらないよ」
「でも……」
「様子見だ、今のところはね」
不穏なこと言ってる、と思いながら王子を馬車まで連れて行った。乗り込むと寮に向かって走り始める王子は窓枠にもたれ掛かって外を眺めていた。アンニュイなイケメンと向かい合っているとドキドキしてくる。
(ほんと、顔は良いのよね)
典型的な王子って感じの顔立ち。どれだけ友達に没個性的、と言われようとも金髪青目は私の好みドストライクなのだ。
「あの、婚約破棄をする理由、きちんと聞いていません。どうして教えてくれないのですか?」
視線をこちらに向けた。けれど、何も話さない。ならばもっと攻めるしかない。だって理由は分かっているから。
「ヨハナ・ザッハーを正妻に迎えるため。違いますか?」
瞳が揺れた。
「図星ですわね。でも、聞きたいのはそこではありません。なぜ、彼女でなければならなかったのか、しかも二ノ妃ではなく正妻に。おそらく、陛下の承認もまだ得ていないのでしょう?」
「刺激が欲しかったのだ」
は? 十年婚約者として一緒にいたし、ゲームもプレイしてきたし、彼の性格は知っているはずだ。それでも口をあんぐりと開けてしまう。扇子で顔を隠すことができて助かった。
「彼女が初めて僕に銃口を向けた時、その激情を僕だけのものにしたいと思ったんだ。だが、二ノ妃で満足するような人ではない。彼女の目的は父上を消し、僕を消し、国を乗っ取ることだ。その足がかりとして君を廃してでも王妃の座を狙うだろう。かと言って、公爵令嬢たる君を彼女の下に置くことはできな……」
パァアアン
言い切らないうちに王子の頬を引っぱたいていた。丁度手の平の跡が赤く、王子の頬にのこっている。
「そんな浅はかな理由で婚約破棄にしようなんて、ふざけるな。バカ王子」
(え、あっ、私、仮にも王子なのに思いっきり叩いてしまったわよ。これは不味いのではないかしら。バレたら即処刑よ、反逆罪よ。自分から破滅の道を突き進んでどうするのよ、バカはお前よ、マルガレーテ!)
自分のしたことに気づいた頃には、怒鳴り声で罵倒した後だった。
「あ、今のは、ほら、ちょうど蚊が入って来ていたのよ。フェリクス様の血が吸われてはいけないと思いまして、つい手を出してしまいました。おほほほほ、残念ながら逃げられてしまいましたわ」
しどろもどろの言い訳が苦しい。乾いた笑い声が空しく響く。絶対嘘だってバレているわよこれ。
王子は恐る恐る頬を手で押さえて私を見据えた。その瞳は吸い込まれるように美しく、驚くことに怒りは微塵も感じられない。潤んでいるようにも澄み切っているようにも見えた。
「これが痛み……。今まで何を言われても従順だった君が、平手打ちなんて……」
(ああ、そんな怒ってなさそうだし、すぐに謝れば許してくれるかしら)
「ごめんなさ――」
「素晴らしいじゃないか」
「へ?」
この状況で発せられることのない言葉に驚愕して、謝罪の言葉を飲み込んでしまった。
「今、なんと仰いました?」
王子は恍惚として「いい……」と囁く。
(平手打ちされてバカ王子って言われて喜んでいるって、頭おかしいわよ。はっ)
その時私は思い出した。彼が重度のマゾであるということを。
(つまり、無意識の内にドMスイッチを押してしまったってこと?)
緊急脳内会議が開かれる。
『でも、きちんと謝った方が良いわよ。だって王子を叩いてしまったのよ。人を叩くのは良くないよ』
と涙ながらに語る天使の私。
『けど喜んでるなら別に良くない? むしろこのまま罵倒を続けた方が面白い物がみられるぜ。返って良い方向に進むかも?』
とせせら笑うのは悪魔の私。
『さっきはあんなこと言っちゃったけど、よく考えたら私がヨハナに殺されないようにって結婚破棄を決めたのよね。それって、ある意味わたくしのことを思ってくれているってことじゃない? そういう優しいところが素敵♡』
呑気にうっとりしている惚れっぽい私。
『そんなことよりチキンナゲット食べたい。記憶を取り戻してからまだ一回も食べてないわよ』
チキンナゲットを欲する私。
『しかし、わたくしの目的はあくまで婚約を維持し、ミュンヒハウゼン公爵家の権威を守り続けること。どんな手を使っても王子を説得するべきです』
と主張する冷静な私。
色々な私があれこれ意見を出して考えた結果、出した結論は、
こうなったら押すしかない! だった。
「婚約破棄をしたからって陛下やわたくしのお父様の承認が簡単に得られると思いましたの? 貴方は王子、ゆくゆくは国を背負う立場なの。ヨハナが王家の乗っ取りを目指していると分かっていながらあっさり王妃の立場に座らせようなんて、民に申し訳ないと思わないのですか。もう王子失格です。わたくしはダメ王子と結婚したくはありません。こんな婚約、こちらが願い下げですわ」
(何で自分から断っているのよ、これで「なら、丁度良かった」って言われたらどうするの)
自分で自分に突っ込みを入れながら、勢いに任せてまくしたて、プイッと顔を背ける。王子は頬を紅潮させ、息が荒くなっていた。少し気味が悪い。
「まさか、君にそんな才能があったなんで……。やはり婚約破棄は破棄しよう」
(やった!)
ガッツポーズしたくなるのを抑え、なお突っぱねる。これも作戦のうち。
「つい先ほどまで『君に話すことはない』と仰っていたではありませんか。すぐに意見を変える殿方は信用できませんわ。つまり、足を踏んづけたくなるほどのクズですわ」
「はあ、はあ……君にここまで興奮させられるなんて。この痛みは生涯忘れることはないだろう。どうか、このまま僕を拒絶し続けてくれないか……?」
縋り付くように手を握ってくる。吐息混じりの声は、台詞の内容さえ考えなければ甘美な響きを帯びていて、耳から足のつま先に至るまでとろけそうだった。そう、この一連の流れさえ気にしなければ。
(拒絶し続けてくれって、どういうことかしら? ま、まあ。あの様子ならとりあえず婚約破棄は回避できたって解釈で合っているわよね? 本当にこれで良かったのかしら……)
内心首を傾げながらも
「ちょっと、近すぎますわよ」
手を振りほどき、軽く突き飛ばす。
(あーあ。折角の推しの手。もっと握っていたかったのに)
と思っていることも知らないで、王子は嬉しそうに狼狽えながら向かいの席に座り直した。
それから部屋に戻るまで、どんな話をしていたか覚えていない。ただ、一つ考えていたことがある。私がまだ高木まゆ子だった時、どうして王子ルートが攻略できなかったのか、今になって分かった気がした。
もともとどちらかと言えば引っ込み思案な性格。クラスの格好いい男の子のことを好きになった時も、嫌われるのが怖くて禄に話しかけることもできなかった。アイドルのライブに行った時も、ファンの熱気に押されるあまり、端っこの方で尻込みしていた。記憶を取り戻す前のマルガレーテもそうだったと思う。
王子に相応しい婚約者になりたくて、嫌われたくなくて、自分の考えをあまり言えず、頷くことしかできなかった。彼にとって私は、一緒にいても退屈な人でしかなかったんだ。
(もっと自分の気持ちをぶつけていこう)
ベッドに横たわりながら、私はそう心に決めた。彼が望んでいるかは分からない。けれど、きっと「退屈な婚約者」では無くなるはずだから。