1.ゲーム主人公への嫌がらせを中止しますの 前編
「申し訳ないが、君との婚約は破棄させてもらおうと思っている」
暗い山々の影を背負いながらそう話すのは、私の婚約者であり、この国の王子・フェリクス様。
ミュンヒハウゼン公爵の娘であった私は、幼いころに一歳上の王子と婚約。我が家の将来は君に掛かっていると言われ、苦しいような、誇らしいような気持ちだった。
彼は強くて優しい人だった。私を嫌う様子なんてどこにも無かったのに。
王子に相応しい妻になろうと努力してきた。勉学、剣術、楽器、マナー、あらゆることをこなし、彼の好みは何でも把握しようと努めてきたし、誘いは断らないようにしてきた。それなのに。
「どうしてそのようなことを仰るのですか? わたくしに何かご不満があったのでしょうか」
「これ以上、君に話すことはない」
純白のマントを翻してフェリクス様は行ってしまう。けれど、私はショックのあまり追いかけることができなかった。
お父様と国王陛下との間に確執ができたのかしら、と考えてみたけれど思い当たる節はない。そもそも関係が悪化した結果なら、事前に誰かが知らせてくれるはず。気がつけば頬に涙が伝っていた。
(あの女がそそのかしたのだわ……)
考えられる要因が一つだけあった。私と彼が通う学園に現れた平民の女。王子は最近、よく彼女と会っている様子だったのだ。
学生寮にある自分の部屋に戻り、執事のセバスティアンを呼びつける。貴族出身の学生が多く通う国立学院の寮では、与えられた部屋にメイドや執事を連れて来ることが認められている。そして、何人連れて来られるかがステータスの象徴にもなっていた。
彼は音を立てること無く傍に現れた。花の彫刻が施された銀のカップに、バラの香りが漂う紅茶を注いでくれる。
「お嬢様、いかがされましたかな。お加減が優れないようですが」
「明日、ヨハナ・ザッハーを捕らえなさい」
「はあ。ですが、明日は学園の夜会が開かれるとお伺いしておりますが、宜しいのですか?」
「その方が都合良いでしょう。手段はそちらにお任せいたしますわ。ただし、周囲には気づかれないように」
「流石は『ロートウェルの魔女』でございますな」
「お黙りなさい。もう下がって構わないわ」
「では」
燕尾服に身を包んだ初老の執事は、優雅な足捌きで隣の控え室に消える。入れ替わるようにメイドが入ってきた。
「そろそろお休みのお時間でございます」
「そうね」
ライバルさえいなければフェリクス様は私のもの。ほくそ笑みながら着替えを済ませてベッドに潜ろうとした、その時
「痛っ」
天蓋の支柱に思いっきり頭をぶつけてしまった。ジンジンと鈍い痛みが頭に響く。
「お嬢様、お怪我はありませんか」
メイドのエルケーが慌てふためく。
「大丈夫……心配無いわ」
「大事なお体が腫れたりしたら大変です。すぐに冷やす物をお持ちいたします」
メイドは裾を踏んでいるのも気にしないで部屋の外へ飛び出していく。いつも眠っているはずのベッドで頭を打つなど、まるで子どもみたい。想像以上に疲れてしまったのだろう。横になると打ちつけた痛みを額に感じながら目を閉じた。
***
「だから頼む、殺してくれ……僕に痛みを教えてくれた、君にならできるはずだ」
「私は確かに復讐を望んだ。貴様の死を渇望してきた。だが、こんな形を望んだ訳では無い! あまりにも……時が経ちすぎたのだ」
「まだ遅くはない。これ以上悲劇が繰り返される前に……早く、僕を」
「うっ、ぐっ、あああああああああああ」
鳴り響く銃声、声にならない叫び、血を流して倒れる、金髪の美麗な青年。苦悶に歪む精悍な顔の女主人公。
「ああ、またバッドエンドだ……。どこで選択肢を間違えちゃったのかな」
私はスマホの画面に落ちた涙をモコモコしたパジャマの袖で拭う。そして、飲んだことのないヤケ酒をあおるような気分で、チキンナゲットを一つ、口の中に放り込んだ。スチルを回収すると、もう一度最初からやり直し。勉強机の上に置いてある過去問には、未だ手をつけられていない。
数日前のこと、受験期真っ只中の私に友達のミキが、「色々ヤバいから」と言って、あるファンタジー系乙女ゲームを勧めてきた。それが『妖精と悪魔』。
ロートウェル王国の国王軍に故郷の村を滅ぼされた女主人公は、命からがら逃げ延びて、裏家業のボスのところに身を寄せた。散々しごかれた末に強く成長した彼女は戦争で命尽きてしまったボスから、形見として王立学園の入学願書を受け取る。「そこで復讐を果たし、国を変えるのだ」という遺言と共に。
彼女は死に物狂いで勉学に励んだ末に合格を勝ち取るも、平民出身だからという理由で前途多難な学園生活を送ることに。そんな中、主人公は学園内に憎き国王の息子がいることを知った。復讐心に燃えて暗殺を企てるが失敗。
それどころか、王子がドMだったために「もっと、僕に殺意を向けて欲しい、むしろ君を妃に迎えて毎日銃口を向け続けて欲しい!」という具合に結婚を申し込まれてしまう……というストーリーだ。
その後に魔王の森を訪れたり、弟分と夏祭りに行ったりと、恋に復讐に忙しい学園生活が始まる訳だが、とにかく私は、ミキ曰く「乙女ゲームらしからぬ設定」というこのゲームにドハマリしてしまったのだ。
このゲームと出会ってからは、全てのルートを攻略しようと模索する日々。しかし、どうしても王子ルートのハッピーエンドに行きつかなかった。友達に教えて貰って一度クリアはしたものの、もう一度攻略してみようとすると上手くいかない。いつも主人公と王子が敵同士として対峙する「殺し愛」ルートに入ってしまう。
見た目も(ドMな部分を除けば)性格も一番の好みなので、なんとしてもハッピーエンドに辿り着きたいのに。
「どうして……。まあ、このエンドも結構好きだけどさ」
時計を見るともう夜中の1時。そろそろ過去問をやらないとヤバい。明日は模試だ。急いで机に向かうと、スマホが鳴る。友達からのメッセージだ。
「フェウント、追加ルート解禁されるって!」
というメッセージの下に公式サイトのURLが貼られている。
「ミーキー。自分は推薦で進路が決まってるからって」
友達のアイコンを睨み付ける。とはいえ、肝心のアイコンはゲームの攻略対象である魔王・ベルンハルトだったのですぐに顔が緩んでしまった。
「はあ、やっぱり魔王様の髪の毛つやつや、お肌すべすべ、ふつくしい」
ため息をつきながら公式サイトを開くと、新ルートの配信は2ヶ月後で、攻略対象は既存のキャラらしいということが分かった。
「楽しみだな~新ルート。でも課金しなきゃいけないんだ……」
お小遣いで十分出せる値段だけど、散財が激しいのでなかなか貯まらないんだな、これが。今日も塾帰りにチキンナゲット買っちゃったし。
そう、私が愛すべきチキンナゲットは、1960年代に農業科学者のロバート・C・ベイカー氏が大学の研究室で開発したと言われている。当時のアメリカは脂肪分の多い食事は健康に悪いからという理由で、比較的カロリーの低い鶏肉が推奨されていた。
しかし、その頃はチキン料理のバリエーションが少なく、ずっと食べていると飽きる食品として敬遠されていた。それをどうにかするために開発されたのがこの料理。つまり、元々チキンナゲットは健康食品として開発され、広まってきたローカロリー食! だからいくら食べても大丈夫……なはず、きっと。
と、言い聞かせながらもう一つ頬張る。手軽でチープでジューシーで、マスタードのぴりっとした辛さと相性抜群なところがたまらん。けど、こればかり買っていたら課金するお金がなくなる訳で。
「頑張ろ。節約も、勉強も」
ようやく私は机に向かって過去問に取りかかった。
けれど、ついぞ新ルートを攻略することは無かった。模試当日は、台風が近づいていて、警報が出ていないのに雨も風も激しい日だった。ほとんど眠れていなかった私は、ボーッとしていて、勢いよく曲がろうとする車に気がつかなかったのだ。強い衝撃、身を引き裂かれるような、感じたことのない痛み。それ以降の記憶は無い……。救急車のサイレンが鳴っていたような気がする。
***
目を覚ますと、メイド服に身を包んだ綺麗な人が顔を覗き込んでいた。彫りの深い緑色の瞳、ヨーロッパの人って感じの見た目。ヨーロッパ系の外国人って、英語の先生くらいしか会ったことないけど。
「お嬢様……良かった。ようやく目覚められたのですね」
彼女は瞳に涙を溜めている。心底ほっとしている顔だ。
(ここは……)
ふかふかのベッドに、それを覆う薄絹の天蓋、布に透けて見える大きな窓、細かい模様が敷き詰められた壁。天井にはイタリアン料理店のような絵が描かれている。
(何、この豪華な場所)
私はキョロキョロと辺りを見渡した。
(模試会場はどこ、さっきまで外にいたはずなのに、そもそもここ、日本じゃないよね。ならどこなのよ)
「マルガレーテ、具合はどうなんだい?」
メイドの後ろにもう一人、すらりとした体つきの男が立っていた。端正な顔立ちでどこか儚げな雰囲気をまとった、どこか見覚えのある人物
「は、はい。大丈夫、です」
しどろもどろに発するのは、日本語とは似ても似つかない言葉。声も全然違う。
「フェリクス様、お嬢様が倒れられたと聞いて、真っ先に駆けつけられたのですよ。やはり、ご心配なさっておいでなのですね。婚約者ですから」
とエルケー。
(あれ、なんでこの人の名前を知ってるんだろう。それにフェリクス……どこかで聞いたことがあるような)
もう一度男の顔を見る。
「あっ。そっくり」
傍にいた人物は、ゲームの登場人物の一人、フェリクス王子と瓜二つだったのだ。
(しかも、この人さっき、マルガレーテって言っていたような)
「あの、フェリクス、様。もう一度わたくしの名前を呼んで下さい」
「え、どうした? マルガレーテ」
「マルガレーテ!」
脇役だったから忘れかけていたが、その名前は王子の元婚約者であり、ゲームのライバル筆頭の名前。
「エルケー。鏡をちょうだい」
メイドが持って来た手鏡を覗き込むと、髪型こそ違うものの、明るい茶色の髪にオレンジの瞳、気の強そうな顔立ち、ゲームのマルガレーテそのものだ。そして、目の前にいる男に婚約破棄を宣言された後、部屋に戻ってベッドに頭を打って寝込んだことを思い出す。
確かゲームにも、主人公に興味を持った王子が元婚約者のマルガレーテを振って、怒った彼女が学園のパーティーに乗じて、主人公を密室に閉じ込めて殺そうと画策したシーンがあったような。
(もしかしてこれって、かの有名な悪役令嬢に転生ってやつなんじゃ……)
頭がこんがらがってきたので、深呼吸をしてもう一度状況を整理し直してみる。
私はもはや、高校生の高木まゆ子ではない。まゆ子としての人生は車にはねられたことで終わりを告げ、なぜか当時プレイしていた『妖精と悪魔』の世界の、しかも悪役令嬢役・マルガレーテとして生まれ変わった。そして、頭を打って寝込んだことにより、前世である高木まゆ子としての記憶、そしてゲームをプレイしていた時の知識が蘇ってきた。
それなら自分の顔がマルガレーテに似ていることも、王子の生き写しがいることにも説明がつく。とはいえ、ゲームの主人公みたいな人ってこの世界に……居たわ。
平民出身の生徒で、しかもレディとはかけ離れた姿をしていながら王子を誘惑した、ヨハナ・ザッハー。確か、主人公のデフォルト名だった気がする。すぐに名前を変更したから自信ないけど。
(まずい、まずい、超ヤバいって)
私は慌てて起き上がる。外は夕暮れ。今日は何日かと尋ねると、丁度パーティーの日付が返ってきた。マルガレーテとしての記憶と前世の知識を照らし合わせて考えると、タイミングとしてはヨハナの暗殺を命じた直後ってところかな。だったら今すぐに中止させないと、大変なことになってしまう。
「あの、フェリクス様、一つお願いがあるのですが」
「何だい?」
ああ、小首を傾げる姿もなまめかしくて素敵。等と言っている場合ではない。
「わたくし、体調が優れなくて。申し訳ないのですがパーティーは欠席させていただこうと思っているのですが」
「なら、僕から学校に伝えておこう。もとよりそのつもりだったからね。今宵はゆっくり休むと良い」
少し憂いを帯びた笑みを浮かべて彼は去っていく。ゲームではあまり見なかった表情。
(王子様、なんだかつまらなさそう。表情も硬い感じがしたし)
マルガレーテからはこんな風に見えていたんだなあ、としみじみ思う。だが、そんなことを考えている場合ではない。
「エルケー、急いで出かける支度をするわよ」
「お嬢様!? 本日は学園をお休みすると仰ったばかりじゃないですか」
「他にすることはあるの。セバスティアンも呼んできて」
「か、かしこまりました」
メイドはすぐに着替えを準備して、執事を呼びに行く。その間に私は髪をとかし、化粧を始めようとして、道具箱を開けた。どの粉を顔のどの部分に塗ればいいのか分からないことに気がつく。いつも誰かにやって貰っていたのだ。
初めましての方も、お久しぶりの方もいるかと思います。かめさんです。
今回は乙女ゲームの主人公がヤバい人だった時の悪役令嬢ものってどうなるんだろう……?
という既に誰かがやっていそうな妄想から勢いだけで書いてみた作品です。
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(いつものことながら)色々ガバガバですが、楽しんでいただけたら幸いです。よろしくお願いします!