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記憶の蓋

後半、性暴力を匂わせる内容が含まれています。

人によっては著しく気分を害する恐れがあります。◆以降ブラウザバックで飛ばして、次話を読まれてもなんら問題ありません。

 家について、ゴードン父さんは真っ暗闇の中1人で街へ帰って行った。今のところは、まだ一緒に住む用意ができていないからだ。

 別れ際、父さんと母さんはいつもと違ってぎこちない感じがした。でも、互いを見る目がもっとずっと優しくて穏やかだったから、きっと悪いようにはならないんじゃないかな。


 ――最後、僕だけ父さんに手招かれて耳打ちされた時にはドキドキしたよ。だって「セラスが寝ている時に、こっそり左手薬指に糸を巻いてくれ」なんて言うから。

 第二関節の一番太くなっている場所に糸を巻きつけて、それに何かで色を付けて印を残すんだ。

 結婚するには指輪が必要で、指輪をつくるにはサイズが必要なんだってさ。

 なんだか、まだ悪戯が続いているみたいでワクワクするね! これは〝男の約束〟だから、レンファにも秘密だ。


 もしも母さんにバレた時には、「マガサシターしました」で誤魔化そう。

 僕も春になったら、指輪をつくって贈ろうかなあ。レンファの名前と同じ、蓮華(レンゲ)の花で。

 ちなみに、ゴードン父さんと別れた後も、セラス母さんはまだしばらくプリプリしていた。

 レンファが言うには「長年拗らせてきた妹のことや自分の気持ちを納得させるには、それなりの時間がかかるでしょう」らしい。


 ――うん、これはもうしばらく怒られ続けらそうだね。でもまあ、僕らが悪いことをしたのは確かだし、僕らを怒ることでいつか母さんが納得できるなら全く問題ないかな。

 だから、夕飯にとびきり濃いにんじんのお茶を出されたことだって、僕はひとつも恨んでない。恨んでなんかいないよ。


 そうしてご飯とお風呂を済ませて、今日貰った目薬を差して――僕はルピナと違ってしっかり目の中に雫を入れられた――台所のある部屋にフカフカの布団を敷いて、横になる。

 家族になっても相変わらず、僕は母さんが眠るベッドでは眠れない。それどころか、同じ部屋で寝ることすらできないんだ。

 指に糸を巻くのは明日の朝にしよう。母さんすごく朝に弱いから、夜中に忍び込むよりも安全なんだよね。


 もしかしたら、レンファを起こしちゃうかもしれないけど――でも、あの子もクマみたいだからなあ。今日もそうだったけど、寒いのに弱いなら、たぶん朝は目が覚めづらいと思う。

 僕は真っ暗な部屋の中で、じっと天井を見つめた。そして、今日あったことをひとつひとつ思い出していく。


 初めての街はそんなに怖くなかった。僕みたいなのが歩いていても、ちょっとは珍しいかも知れないけど化け物扱いされることはない。

 それどころか――。

 ふと、ルピナの()を思い出す。熱くて、甘くて、深くて、暗い。今にも僕を絡め取ろうとする、得体の知れない感情。

 ただでさえ『好き』なんてモノはよく分からない。だって、今日ようやくどうしてレンファのことが好きなのか分かったばかりだ。


 でも、僕は村で誰にも愛されずに育ったから『好き』が分からなくても仕方がない。

 ――ただ、たった1人だけ僕を好きだという人が居たんだ。


 僕は化け物で、呪われていて、鈍間(のろま)のゴミクズ。村の嫌われ者だった。

 物心ついた頃からそんな扱いで、きっと僕は、僕の()()が上手く理解できなくなっているんだと思う。

 だから、村のお姉さんに酷いことをされても何もできなかった。

 じゃあ、抵抗せずに全部受け入れたのかと言えば、それも違う。お姉さんが口にする『好き』を理解できずに、ひとつも受け入れられなかった。

 僕はただ、()を一方的に奪われてばかりだった――そんな感想しか抱けない。


 いくら見た目がキレイになったって、痩せた体にお肉がついたって、汚れていることには違いない。この汚れだけは、いくら体を洗ったって消えないと思う。

 具体的に何が起きていたかは、ところどころモヤがかかったみたいに覚えていない。それでも目を閉じれば、すごく気持ち悪い光景と感覚がハッキリと思い出せる。



 ◆



 ――僕は、いつも森の茂みに連れ込まれていた。

 体をキレイにするだけだからって、服を全部脱がされるのは当たり前だった。

 固く絞ったタオルで全身の汚れを拭かれて、あの薄気味の悪い目で、骨が浮いた傷だらけの体をジロジロ見られて。キレイになったら、体中を手で触られた。


 お姉さんはぼんやりした虚ろな目で僕を見て、顔を赤くして、呼吸はどんどん浅くなって――その、人間が()に変わる瞬間が何よりも怖かった。嫌なのにべろべろ舐められて、誰にも触られたくない、すごく汚いところまで触られた。

 無理やり押し付けられた体。すごく熱い体温。じっとり湿った肌。目の奥に燃えるような何かを見て、何度も吐き出しそうになった。


『ちゃんとできて、偉いわね……アルも私のことが好きなの? だからこんなになっちゃうんでしょ』


 ――何よりも嫌だったのは、嫌なのにひとつも言うことを聞かない僕の体だった。「好きだから()()なる」って言われて、絶対にそんなことないって思っていた。

 だけど、いつもいつもお姉さんを喜ばせて終わって、僕は僕が分からなくなる。


 大人の力でガリガリの身体を組み伏せられて、早く終わってと思いながら耐えていたはずなのに、嬉しそうに「私も好きよ」って言われて――毎回、よく分からない喪失感を覚えた。

 僕はお姉さんのことが気持ち悪かった。少しも好きじゃなくて、変なことをされるのが嫌で嫌で仕方がなくて、いつも逃げ出したかった。


 触られさえしなければ、平気だったけど――でも僕の身体がお姉さんの思い通りにならないと怒られて、それも怖かった。

 少しでも反抗すると大声を出されるし「僕に無理やりされた」って村の大人に泣きつく。そうなると大人に囲まれて大怪我をするから、いつも我慢して隙を見て逃げるしかなかった。


 我慢、していたんだ。我慢していたのに、好きじゃないのに、僕の身体と頭はずっと何かが違ってた。

 気持ち悪さを誤魔化すために、1秒でも早く終わらせるために、気付けば歪な笑みさえ浮かべていることもあった。

 僕が笑うまでしつこくされるぐらいなら、さっさと終わらせてしまった方が良いから。


 ただ一方的に奪われていただけ。お姉さんは僕の身体を好きにするだけで、村人から守るとか、手当てをするとか、ひとつも手助けをしてくれなかった。

 無理やり酷いことをされるたびに、頭が真っ白なるたびに、僕はたぶん人として、男として大事な尊厳(ソンゲン)を踏みにじられていった。


『アルも男の子だから、好きな女の人に触られたら嬉しくなっちゃうのよ』


 そう言って、ねっとりした目でアレクシスを求められると、頭と胸の奥がおかしくなって割れそうだった。

 ただでさえ、村に何もかも奪われていたのに。その上、僕の性――人間性まで奪われてしまったら、心が耐えられない。誤魔化しきれなくなる。

 ()を求める目が怖い。欲しがる仕草が怖い。甘えた声も、僕の自由を奪って上で好き勝手に跳ねる大人の身体も、重みも、全部おぞましい。


 ルピナやあの子の友達はまだ大人じゃない。だからたぶん、体に触られてもなんともない。

 だけど、熱っぽく僕を見る目は――欲しがる目だけは、ものすごく嫌だ。またアレクシスを奪われたら、僕はもう本当に耐えられない。

 だから僕は、レンファが好きで仕方がないんだ。

 あの子は僕の目をハッキリ見ながらも、アレクシスという男をひとつも見ていないから。

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