解呪の陣
ふと気づくと、僕は真っ白でふわふわの煙が充満したところに居た。どこを見ても真っ白で、あの薄暗い地下室ともレンファの家とも違う場所だ。
「……どこ?」
僕は思いきり首を傾げた。すると、辺りのふわふわな煙が弾けるみたいに飛んで行く。
ビックリして目を閉じて、小さくなる。次に目を開くと、僕の周りはごちゃごちゃした黒くて汚いものの山で埋め尽くされていた。
最初は変な夢でも見ているのかと思ったけれど、鼻が曲がるみたいな酷い匂いがして、朝食べたご飯を吐き出しそうになる。
畑の肥料――牛の糞みたいな匂いや、動物の腐った死骸みたいな匂いに血の匂い。変な油みたいな匂いや花みたいな匂いも混じっていて、すごく嫌だ。
口と鼻を手で覆ったけど、目まで痛くなって涙が出てくる。
もしかすると、レンファが今までに捨てたゴミの山かな。僕は、解呪の陣に入って消えちゃったのかも知れない。
ゲホゲホ咳込んでいたら、また景色が変わって白いふわふわの煙が帰って来た。
黒い山が煙に隠されて、匂いもなくなってホッとした。でも、僕の手が届くぐらいのところに黒い人影みたいなのが居る。僕よりも大きいから、たぶん大人の影だろう。
なんとなしに手を見たら、影には右手だけない。すぐに分かった――レンファを呪った人だって。
「……好きな女の子を苛めるのは超ダサいって、セラス母さんが言っていたよ?」
僕が話しかけても、影は何も答えてくれなかった。だけど、不思議とそんなに嫌な感じはしなかったから、構わずに続けた。
「僕と君は、ちょっと似ているのかも知れないね。だけど、僕は絶対にレンファを呪ったりしない。そんなことしたって嫌われるだけだし――たぶんそんなことしなくても、いつかは好きになってくれる気がするから。僕たちはどこかの誰かの〝ゴミクズ〟だけど――でも僕は、ちゃんと愛されるゴミクズだ。羨ましいでしょ? 僕ってば、この呪いを解いたらついにレンファに愛されちゃうかも知れないね」
嬉しくなって笑うと、黒い影は小さく頷いた。
ふふふ、人から何かを羨ましがられたのなんて、生まれて初めてだよ! 僕は得意げになって、どんどん自慢しようと胸を反らした。
――だけど、誰かに呼ばれているような気がしたからやめた。
「ごめんね、僕行かなきゃ――またどこかで会えたら、その時は仕方ないから僕が友達になってあげるね。きっとレンファは君を許せないだろうけど、レンファの代わりに僕が許してあげる。きっと君も〝遊び〟が何か知らないでしょ? 何も知らないゴミが集まって一緒に悩むのも楽しいかも」
黒い影は、今度は頷かなかった。
たぶんだけど、許しなんて要らないんだろうな。例えレンファが彼を許したって、もう彼自身が自分を許せないから。好きな女の子を苛めるなんて、超ダサいことしちゃったから――時間は巻き戻せないし、一度やっちゃったことは二度と消せないから。
僕は影に背を向けて歩き出す。真っ白でふわふわの煙しか見えないけど、なんとなく進む道は分かっていた。
――最後に僕は、もう一度影を振り向いて思い切り笑った。
「……ふーんだ! 僕だって、レンファを好きだっていう男なんかと友達になりたくないもんねーだ!! じゃーね、ばいばい!」
大きく手を振ると、影は口もないのに笑った気がした。
振り返された右腕の先に手は見えないけれど、僕はなぜだかレンファはもう大丈夫って思った。
――だって、右手は。
右の呪術は、生きることを目的にした白い呪術だって聞いたから。
◆
「――アレクシス!!」
「はっ、……はい! マガサシターしました! ごめんなさーい!!」
「…………ああ! 良かった、目が覚めた……!」
「……レンファ?」
――やっぱり、さっきのは夢だったかな?
気付いたら僕は地下室じゃなくて、あのベッドだけ置いてある部屋の床に仰向けに寝転んでいた。すぐ横に座ったレンファが僕の顔を覗き込んでいて、その顔はなんだか今にも泣き出しそうだ。
うーん、何が起きたんだろう? もしかして、地下室に降りたところから全部夢だった? 結局、レンファの呪いは解けなかった? それはちょっと困る。
なんて思っていると、突然左頬に何かがぶつかって、すごくビックリした。頬っぺたがピリピリする。僕は慌てて顔を動かして、ぶつかったモノを探した。
「――この、バカ!! 勝手に地下室に……解呪の陣に入って!! 生きていたから良かったものの、どうなっていたか! 体はどこも変じゃない? おかしいところは!?」
「ほ、ほっぺたが痛い……」
「今叩いたんだから当たり前でしょう! バカ!!」
なんだ、レンファが叩いただけか、良かった。だけど本当にビックリした。
だって、左頬を叩かれても――僕には、レンファの手がひとつも見えなかったから。
たぶん、地下室が真っ白になるくらい光ったせいだ。僕はあの時に右目だけつぶっていた。
だから右目は平気だったけど――アルビノの目は、光に弱いってセラス母さんが言っていた。それで、つぶってなかった左目がダメになっちゃったのかも知れない。
まだ横でレンファがワーワー言っているけど、僕は試しに右目だけつぶってみた。すると、やっぱり左目がおかしくなっている。
明るいところと暗いところの違いぐらいは分かるけど、色も形も、明るさの他には何も分からない。
――ああ、危なかった! もしあの時、レンファが上から僕を呼んでくれなかったら? そうしたら僕は、両目がダメになっていたに違いない。
「レンファ、あの時名前を呼んでくれてありがとう。僕すごく助かった」
本っ当に心の底からそう思ったから、僕は両目でレンファを見て笑った。
レンファはピタッと口を閉じた後に、僕の右頬をペチーン! と叩いた。今度は大きく手を振りかぶるところからよーく見えたから、なんだかさっきよりも、もっとずっと頬っぺたが痛い気がした。




