第四十七話 大きな誤算
その日は唐突に訪れた。
囮役を買って出てくれた三雲に人目につかない場所で一人で過ごしてもらうようにして数日。
俺たちは三雲が目に入る場所で待機し、武道や三枝先生には離れた場所で紗衣が現れないか見張ってもらった。
いつも通り三雲が見える雑木林の茂みの中に隠れていると、教室から校門を見張っていた武道から連絡が入った。紗衣が学校に来た、と。
三雲にも合図を送り、厳重に警戒する。紗衣がどう動いてくるかはわからない。だが、こちらは紗衣を捉えるために何重にも策を用意している。警察には武道が既に連絡をしてくれているはずだ。
あとは紗衣を確保するだけ。大丈夫。上手くいく。だから、この震えは治まってくれ。
「灯君」
隣に居た鮮華に肩を叩かれて目を凝らすと、三雲の遥か後方に紗衣の姿が見えた。
「あれは……バットか」
紗衣は金属バットを握り、三雲に迫る。
警察は間に合うのか。誰かが襲われる前に確保できるのが一番だ。だが、もしもの場合は……。
鼓動が早くなる。体の震えが治まらない。準備は万全だ。あとは計画通りに行動するだけ。それだけなのに、不安が消えてくれない。
紗衣の目は虚ろで、ただ真っ直ぐに三雲を見つめている。その様子がさらに恐怖を煽る。
三雲の背後に紗衣が立つ。振りかざされるバット。その動きだけで重量感が伝わって来る。
あんなもので殴られたら……。
紗衣は勢いよくバットを振り下ろした──。
硬いものが勢いよくぶつかったような鈍い音が響く。
紗衣は三雲に背を向けている。その凶器は紗衣の背後に近付いていた武道に向けられていた。
倒れ込んで呻き声を上げる武道。その腕は普通ではありえない方向に曲がっている。
「すごーい。よく頭を守ったね。運動部の反射神経ってすごいんだね」
「ま、まさか君は……」
抑揚のない紗衣の声。口角の上がったその顔と相まって不気味さが際立つ。
「でも、無理だよ、武道君。あなたはここで死ぬんだから」
「三雲さん、逃げるんだ! 作戦は中し」
ぐしゃりと不快な音が響く。赤く染ったバット。その先端には、形を歪めた武道の──。
俺は咄嗟に口を押さえる。腹の奥から湧き上がる感情と不快な感覚。
「武道!」
遠くから三枝先生が必死に駆け寄ってくる。
「ダメですよ先生。ううん、三枝真司さん。あなたは今日、学校に来る途中で、交通事故で死んだんですから」
吐き気を必死に押さえ込んでゆっくりと茂みから顔を覗かせた瞬間、三枝先生の姿がふっと消えた。
三雲の甲高い悲鳴が響く。
なんだよこれ。どうなってるんだ。武道が死んだ。三枝先生は死んでいた。その記憶がある。確かに、俺の中にその記憶が存在している。
一体何が起こってるんだよ。
「シナリオの改変……」
鮮華がぽつりと呟く。
「もしかしたら彼女は、第四の壁の向こう側で、直接シナリオに干渉できるようになったのかもしれない」
「そんなバカな……」
ありえない。そう言いたいが、現実がそれを否定する。目の前で見た惨状が、俺の中の記憶が、その可能性を肯定する。
「灯、出ておいでよ。そこにいるんでしょ? この子も殺しちゃうよ?」
紗衣は真っ直ぐにこちらを見ていた。俺たちがここに潜んでいたことすら筒抜けだった。
三雲が危ない。俺は咄嗟に茂みから飛び出した。
紗衣はこちらに目を向け、くすくすと笑う。
その薄気味悪さと目の前に広がる惨状に身が竦む。
浅い呼吸を繰り返し、なんとか言葉を吐き出す。
「紗衣……お前は自分が何したのかわかってんのか」
「何って、邪魔なモブキャラがシナリオ通りに死んだだけだよ」
悪びれる様子もなく、それどころか少し嬉しそうに目を細める。
「残念だったね、灯。もう少し早ければ、私を捕まえられたかもしれないのにね。武道君も三枝先生も死ななかったのにね」
「じゃあ、やっぱりお前は……」
「うん。できるようになっちゃった。もうこの世界は私の思い通り。警察も今頃、どこかで事故に遭ってるんじゃないかな?」
最悪だ。どうしてこんなことに。どうしたら紗衣を止められる。どうしたら皆を救える。
「はい、そこまで」
抱えていた頭を上げると、紗衣の腕は掴み上げられ、バットがカランと音を立てて地面に落ちた。
「涼介さん……」
「ごめん。間に合わなかった」
涼介さんは強い力で紗衣の腕を締め上げる。
よかった、協力を仰いでおいて。あとはもう一度警察を呼んで……。
「新島涼介さん。そこまでなのはあなたですよ?」
紗衣がそう告げると、涼介さんは突然血を吐き出し、その場にうずくまった。
その様子を見て、紗衣は奇声にも似た笑い声を上げる。
「バカみたい。私が知らないわけないじゃん。新島涼介は昔から病弱なんだよ。それで、今日ここで死ぬんだよ」
涼介さんはその場に膝をつき、大きく咳き込む。その度に血が留まることを知らず、ドロドロと流れ出る。
「涼介さん!」
俺の声に答えることはなく、涼介さんは倒れ、そのまま動かなくなった。
紗衣が涼介さんの体を足でつつくと、彼は力なく転がった。
「さて、と。邪魔なモブはみんな死んじゃったね。あとは邪魔なヒロインを殺すだけ。全員いなくなれば私を選ぶしかなくなるよね。ね、灯?」
紗衣は何も無かったようににこりと笑う。いつもの明るい笑顔で。
狂ってる。こんな奴、どうやって止めりゃいいんだよ。
「ヒロインを残した、ということは、君はヒロインのシナリオは書き換えられないんだね」
鮮華は俺の前に立ち、真っ直ぐに紗衣を見る。
その口調はいつもと変わらず淡々としていて、その姿はいつもと変わらず凛々しかった。
「そうなんですよー。なので、ヒロイン候補は私が自分で殺すしかないらしいんです。それがシナリオなので仕方ないですけどね」
「ということは、僕ら次第ではまだこの状況を打破出来るかもしれない、ということだね」
鮮華はちらりとこちらに目を向けた。
そうだ。紗衣が好きにシナリオを改変できるなら、俺が紗衣に好意を持つようにすればいいだけだ。
俺がまだ紗衣に恐怖し、憎悪を抱いているということは、紗衣の力は完全なものじゃない。
まだ、やれることはある。紗衣から力を取り戻して、この物語を終わらせる方法がまだあるはずだ。
「そんなこと出来ると思います? この物語では私が主人公で、灯がヒーローなんです。他のヒロイン候補はみーんな私に殺されて、灯と私が結ばれるハッピーエンドしかないんですよ」
「それは君を主人公とした場合の話だよね。でも、この物語の主人公は君じゃない。灯君だ。灯君が全てを終わらせてくれる。灯君なら必ず」
鮮華は俺のことを信じてくれている。俺ならきっとこの世界を、この物語を終わらせられると。
君が主人公になるんだ、と。
俺は大きく深呼吸し、紗衣に向き直る。
「結城紗衣。お前が誰を傷つけようと、この世界に俺とお前だけが残ろうと、俺は結城紗衣を選ばない。お前の物語はここで終わりだ。俺が終わらせてやる」
俺はそう宣言した。
紗衣に対してだけじゃない。俺自身に、俺を支えてくれた人たちに違うように。




