第四十五話 柊木のために
「三枝先生、すみません」
涙が枯れた俺は、三枝先生に向き直った。
先生はああ言ってくれたが、俺は俺のやるべきことがある。
「先生は普通の生徒に戻っていいと言ってくれましたが、俺は最後までこの物語を見届けます。第三者としてではなく、当事者として。主人公として」
三枝先生に甘えたい気持ちもある。先生なら紗衣から話を聞き出して、きちんと対処してくれるだろう。
だが、それじゃあ根本の解決にはならない。この物語が続く限り、いつ誰が紗衣のようなことを、或いはそれ以上のことを始めてしまうかわからない。
「俺がこの物語を、この世界を終わらせます。なので、先生にはその手助けをしてほしいんです。もちろん、鮮華にも」
「僕は元々そのつもりだよ。灯君とのハッピーエンドは一先ず見送ることにするよ。エピローグでも番外編でも、気長に待つよ」
鮮華はにこりと笑った。それでも自分の幸せは求めるあたり、鮮華らしいな。
ため息をついた三枝先生は「わかった」と諦めたような、納得してくれたような返事をした。
「アテはあるのか?」
「一応。でも、手段についてはこれから考えます」
「そこから手伝えってことか。まあいい」
やれやれと首を掻く三枝先生にもう一度謝っておく。
多分、これからやることは、担任である三枝先生に迷惑がかかることだろうから。
「それと、もう一人協力を仰ぎたいんですけど」
「誰だ?」
俺の状況を知っていて、その上で協力者となってくれるであろう人物。
新たな主人公となり得た、俺の友達。
「武道です」
「あいつも絡んでんのか。俺のクラスどうなってんだよ」
「主人公の担任はサポートキャラクターだからね」
「俺に何を求めてんだ。まったく」
本当に、三枝先生には申し訳ないことをしていると自覚はある。全てが終わったら、ちゃんとお礼をしなきゃな。
二限が終わり、俺は武道に連絡した。
武道は俺のためならと協力を快諾してくれた。
俺はきっと、周りの連中に恵まれている。
だからこそ、こうしてこの世界と向き合うことが出来るんだ。それが紗衣との大きな違いだろう。
じゃあ、俺に出来ることは?
この物語をハッピーエンドに導くことだ。
ハッピーエンドに導くには?
主人公である俺が、ヒロインである紗衣を救う。
この物語の全員が笑顔になれるエンディングをこの手で作る。
それが、俺のすべきことだ。
「で、なんでお前もいるんだよ」
「ごめん、柊木君。ここに来る途中で見つかって」
武道と共に満面の笑みを浮かべて現れたのは三雲だった。
「アカリ先輩が困っていると聞いたので!」
「お前は戻れ」
「嫌です! 私も先輩の力になります!」
「戻ってくれ」
「嫌です!」
三雲は眉を寄せてこちらをじっと見たまま、目を逸らそうとしない。
屋上に吹く風を浴びながら三雲と睨み合っていると、武道が間に割って入った。
「まあまあ、柊木君。三雲さんを一人にしておくのも良くないんだ。協力させるかは別にして、今は一緒に居てもらう方がいいんじゃないかな?」
武道が続けざまに「ね」と鮮花に目配せすると、彼女も武道に同意した。
武道の言うことは最もだ。しかし……。
「柊木、いざと言う時は俺が必ずお前たちを守る。危険なことはさせない。それでどうだ?」
三枝先生の後押しに俺は口を噤んだ。
先生の目が届く範囲ならきっと安全だ。紗衣が主人公だろうと、大人の男性に力で対抗することは出来ない。
俺は困り果てて三雲に目をやると、彼女は祈るような潤んだ眼差しを向けていた。
それが三雲の答えだ。いつもは聞き分けが良いくせに、今日に限って三雲はテコでも動きそうにない。
俺は諦めて話を始めることにした。
「俺が持っていた主人公としての力。この世界の真理を知り、介入できる可能性を持つ力は、現状結城紗衣が握っています。俺は、紗衣をこの物語から失脚させ、力を取り戻そうと考えています」
「柊木君が主人公に戻る、ということだね。方法は思いついたのかい?」
「それはまだ。ただ、紗衣が今まで行ったことは警察沙汰になってもおかしくないことだと思う」
「結城を警察に逮捕させ、少年院に送ると?」
「そのつもりです」
この世界は恐らく、高校生活を主軸としている。その期間を少年院で終えてしまうことになれば、紗衣はもう主人公としては成り立たない。
それが俺の考えだ。
俺の意見に対して、鮮花は顎に手を当てて低く唸った。
「でも、難しいだろうね。貴船さんや桐崎さんの証言があるとしても、その証拠が見つからない可能性がある。不起訴処分ですぐに戻って来るようなら、主人公である結城さんにとってはひとつのイベントとしてしか処理されない」
鮮華の言う通りだ。そこを切り崩さない限り紗衣は戻ってくる。さらには、より危険な思想に及ぶ可能性だってある。
より確実な方法なんて思いつかず、沈黙が流れる。
それを破ったのは、大きく手を挙げた小さな少女だった。
「はい! 私が囮になるのはどうでしょう!」
元気にそう告げた三雲に視線が集まり、彼女はバツが悪そうに身動ぎする。
「えっと、私がその、結城先輩に襲われそうになっているところを警察に見せたら、捕まえられるのではないかと」
「ダメだ」
俺はそうきっぱりと断った。
だから三雲にこの話を聞かせたくなかったんだ。
「危険すぎる。万が一のことがあるだろ。俺が三雲と付き合っているように見せれば、紗衣は確かにお前を遅いに来るだろう。だが、もし確保が遅れたり、紗衣がお前を人質に取るようなことになれば、三雲の身が危険だ」
「でも、有効な手段かもしれない」
「は? 武道何言って」
「今の状況じゃ結城さんは抑えられない。それなら、実際に誰かを襲わせる方が現行犯として確保できる」
「紗衣には主人公としての力があるんだぞ。そんな状況、切り抜けられでもしたら」
「警察が難しいなら僕が確保役を担うよ。最悪、僕が刺されでもすれば、凶器が残るだろう?」
「本気で言ってんのか?」
「本気だよ。僕は友達のために出来ることはなんでもしたいんだ」
武道はいつもの優しい顔を見せない。こんなことを冗談で言うような奴じゃない。そんなことはわかってる。
だからこそ、命を投げ出す覚悟なのだとはっきりと伝わって来る。
「僕に協力を仰いだのは君だ。僕はそれに応えたい。僕らにその役目を担わせてくれないか?」
三雲も武道の隣で頷く。二人分の目に真っ直ぐと見つめられ、ダメだとは言い切れなかった。
「……わかった。二人に任せる」
「ありがとう」
ダメだ。やめてくれ。
その言葉が喉に引っかかって出てこない。
彼らの決意を無駄にしたくない。俺の為にと危険な役を買って出てくれた彼らの好意を否定できない。
武道が見せるいつもの優しい笑顔。三雲の朗らかな表情。
そんな顔をされちゃやめてくれとは言えなかった。
「お前ら、教師の前で勝手にそんな話を進めるなよ」
「す、すみません」
「まずは結城と直接話す方が先だ。放課後、結城の家に行く。そこで俺が説得する。お前らの提案は最終手段だ。わかったな」
「……ダメだとは言わないんですね」
「教師としては言わなきゃならないだろうな。だが、サポート役としては主人公の決めたことには逆らえないだろ」
サポート役、なんて自分で言ってしまう三枝先生がおかしくて、俺は少し笑ってしまった。
俺のことを信頼して、俺の話を信じてくれた結果出た言葉だと思うと嬉しかったんだ。
皆が俺を信頼してくれる。皆が俺を支えてくれる。俺には仲間が居る。
まるで主人公だ。いや、主人公かどうかなんて関係ないな。
これが本来、人間関係のあるべき姿なんだと思う。
誰かを支え、誰かに支えられ、一人で乗り越えられない苦悩や困難には協力して立ち向かう。
俺一人で解決出来ないなら、誰かを頼ればいい。協力してもらえばいい。
俺には、こんなにも素敵な仲間たちがいるんだから。
「柊木は放課後、俺についてこい。お前がいないと話をはぐらかされる可能性がある」
「わかりました」
三枝先生の説得に応じてくれるのが一番平和な解決策だ。だが、今の紗衣相手に上手くいくとは限らない。
もう少し、協力者を増やしておこう。
解散してすぐに、俺はあの人に電話をかけた。
午後の授業中、ふと考えた。
俺が主人公なら、紗衣は敵なのか。
俺を主軸とした物語に於いて、紗衣は悪役だったのか。
この世界が一つの物語だとしたら、この状況まで想定されていたのだろう。
だとしたら紗衣は、ヒロインではなくこの物語から消される存在として用意されていたのか。
いや、違う。
紗衣は紛れもなくヒロインだ。ヒロインだった。
明るくて社交的。家事は得意なのに料理は下手。だけど、不器用なりに頑張っていて、いつも主人公を支えてくれる。
俺が主人公を降りて一人になった時は、紗衣が声をかけてくれた。
俺が主人公に戻るべきか悩んでいた時は、紗衣が行く先を照らしてくれた。
文化祭の日だって、紗衣は他のヒロイン候補に負けないくらい輝いていた。
物語として描かれていないであろう過去にも、紗衣がいつも隣に居てくれた。
れっきとしたヒロインじゃないか。これ以上ない最高のヒロインだ。
そんな彼女を歪ませたのは、この物語が原因だ。主人公である俺が原因だ。
だから俺が、彼女を救わなきゃならない。
この物語が終わった後でも構わない。エンドロールの先に存在するか分からない未来でもいい。
この俺が主人公として、ヒロインを幸せにする。
物語が駄作に終わったとしても、全員が笑顔で過ごせる世界を作る。
それが、主人公たる俺の役目なんだから。




