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第四十四話 大人の手

 答えは出ないまま時間だけが過ぎる。


 放課後、三雲にはうちに来るように言った。三雲も今日からは俺の家で匿う。俺の目の届かないところに置いておくと万が一が起こりかねない。


 昨日の汐留に引き続き三雲まで連れてきたことで、明には怪訝な目を向けられた。やはり隠したままというのは難しいか。

 とは言っても、昔から紗衣を慕っていた明にこの事実を打ち明ける勇気もない。



「お兄ちゃん、女の子を複数人家に泊めるのはどうかと思う」


 リビングに呼び出され、ソファに座る明の前で正座する。俺なりの誠心誠意だ。


「それは間違いない」

「わかってるってことは、何か理由があるんだよね」

「ああ」

「じゃあ、わかった。仕方ないから、二人ともうちに泊めてあげる」


 そう言って明は笑う。

 急に複数人の女の子を家に集めてそのまま家に泊めるなんて、無茶を言っているのは明白だ。その上、理由も話せないとなれば、疑念や不満が募っても仕方がない。

 家事をしてくれる明にははた迷惑な話だ。料理も洗濯も今まで以上に手間が増えるし、気を抜けるはずの家庭という環境でも他人が居ることで気を遣い続けることになる。

 それでも明は、話は終わりとソファから立ち上がった。


「理由、聞かないのか」

「お兄ちゃんって、時々本当にバカになるよね。聞いても答えられないんでしょ?」

「それは……そうだけど」


 明はヒロイン候補じゃない。紗衣も明のことは気に入っている。

 だからこの話は明には関係の無いことで、明を巻き込まない為にも、彼女に真実を打ち明けるつもりはない。

 しかし、すんなりと受け入れられると、それはそれで罪悪感が芽生える。


「お兄ちゃんはバカだよ。お兄ちゃんは私のために、私に余計な話をしないようにしてるんでしょ?」

「いや、それは」

「嘘ついてもわかるよ、兄妹だもん」


 明はくすくすと可笑しそうに笑った。

 俺に明のことが分かるように、明にも俺のことは筒抜けらしい。

 誤魔化すように頭を搔くと、明はまた笑う。


「お兄ちゃんが妹のことを考えてくれるなら、妹はそんなお兄ちゃんに甘えるのが兄妹なんだって私は思う」

「明……」

「だから、私は聞かないよ。お兄ちゃんが話してくれるまで待ってるから」


 出来た妹を持ったものだ。俺には勿体ない。

 明に彼氏が居ないことが不思議でしょうがない。世の中の男は全員目が腐っているんじゃないか。

 やはり明を巻き込むわけにはいかない。彼女は何も知らないまま、普通の女の子として幸せになってほしい。

 それが作り物の世界だろうと、そこにある感情が偽物だろうと、兄として妹の幸せを願う気持ちは本物だ。



 明が用意してくれたお茶を啜りながら、少しだけ他愛ない話をした。

 明とこうしてゆっくり話す時間も残り少ないのかもしれない。そう思うと、彼女との時間を、思い出を少しでも残しておきたかった。

 それに、まだ話しておきたいこともある。

 明の話に相槌を返しながら相談するタイミングを探っていると、俺の心中を察してか、明は訝しげに目を細めた。


「もしかして、まだ女の子が増える予定が?」

「……あるんだよなぁ」


 そう答えると、明はため息をついた。ほんとごめん。

 汐留と三雲に加え、今は入院している貴船もゆくゆくはここに匿う必要がある。そう約束しちまったし。

 あとは亜梨沙に鮮花か。鮮花は紗衣を撃退出来そうな気もするが、警戒しておくに越したことはない。

 そして汐留。彼女とは一度話さなきゃならない。紗衣が関係しているのか、どうして自殺しようとしたのか。

 問題はまだまだ山積している。


 食材と寝床についていろいろと話し合い、明は再び立ち上がった。


「お買い物行ってくるから、燈ちゃんには部屋にいてもらうように言っといて。お兄ちゃんと結奈さんはお友達のお見舞いでしょ?」

「ま、待て。買い物は俺が行く。帰りに買ってくる」

「え、でもそれだと晩御飯遅くなっちゃうし」

「い、今時物騒だからさ。頼む。家に居て、ちゃんと戸締りして待っていてほしい。知り合いだろうと、誰が来ても開けないでくれ」


 それが紗衣だとしても、とは言えなかった。

 紗衣が明に手を出すとは考えにくい。あいつは明のことも俺と同じくらい大切にしていたから。

 だが、もしも明が邪魔になれば、俺が紗衣を絶対に選ばないと分かれば、紗衣はきっと明ですら……。


「……もしかして心配してくれてるの?」

「当たり前だろ。大切な妹の心配をしない兄なんて居るかよ」

「ふふ、腐ってもお兄ちゃん、だもんね」

「ああそうだ。きもくてもお兄ちゃんだからだ」


 明は声を上げて笑うと、「わかった。じゃあ、誰が来ても開けずに家で待ってる」と言ってくれた。

 問題は多いが解決策は見い出せていない。光明も見えなければ踏み出す勇気もない。

 だけど、明のその笑顔に少しだけ勇気を貰った。




 桐崎は先生だろうと生徒だろうと面会謝絶とのことで、俺と汐留はいつも通り貴船のお見舞いに行った。

 自殺未遂となれば、患者のメンタルを最重要視しなければならないという医者の判断だから仕方ない。


「よ」

「待ってたよー」


 貴船はベッドを起こして梨の皮むきをしていた。


「それ、普通俺たちがするもんじゃないのか?」

「いいのいいの。何かしてないと暇なんだもん。料理の腕が鈍っちゃうのも嫌だし」


 貴船は精神的にもだいぶ落ち着いたようで、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 本人にはあまり言いたくないが、いつも前向きで努力を怠らない貴船の方が好きだ。


「つか病院に刃物っていいのかよ」

「お医者さんにお願いしたら許可貰えたんだー」


 果物ナイフだけなんだけどね、とはにかむ貴船。

 医者も甘いな、と言いたいところだが、貴船に上目遣いで頼まれては断れない男心もわかる。

 顔も知らない担当医に同情しながら、ベッド脇の椅子に汐留と並んで腰掛ける。


「あ、そういえば来週には退院できるって」

「結構早いんだね」

「傷自体は浅いからねー。頭は抜糸できるけど、目はどうしようもないみたい」


 貴船は入院直後に比べると、幾分かその現実を受け入れる覚悟を決めたようで、へらっと笑う。少し無理をしているようにも見えて胸がちくりと痛む。


「まあなんだ、それでも可愛いからいいんじゃねえの」

「……柊木、結構普通に言うようになったよね」


 一方は赤くした顔を伏せ、一方は訝しげな目でこちらを見ている。

 違うぞ汐留。これは口説いているとかではなく、ビジュアルとして可愛い、鑑賞対象としての可愛いという意味であって、好きとかそういう気持ちはまた別の話なんだ。

 そもそも可愛いというのは人それぞれ違う価値観なのだから、俺が可愛いと言ったところで……って誰に言い訳してんだ俺は。


「アカリ君、どーぞ」

「あ、うん」


 差し出された梨をぱくりと頬張る。一口サイズに切ってあるおかげで食べやすい。さすがの配慮だなぁ。じゃなくて。


「もう付き合っちゃえばいいのに」


 目を細めて俺たちの様子を見ていた汐留は、そうぽつりと呟いた。

 今そういう状況じゃないのわかってるよな? 俺にその気がないのもわかってるよな? 貴船もその満更でもない顔やめなさい。


「アカリ君が嫌じゃないなら……」

「嫌です」

「ひどい!」


 いや、もしかしたら、誰か特定の一人と結ばれることでこの物語に終止符を打てるのでは?

 無理か。俺もうモブじゃないですしね。むしろヒーローポジの俺に彼女ができることで主人公の紗衣がどんな行動を起こしてくるかわからん。想像もしたくない。


 俺たちの会話に汐留がくすくすと笑うと、貴船はそんな彼女を睨み、頬を膨らます。


「お、怒らんでよ。最近怖かことばっかりやったけん、普通に話せるとが楽しかっちゃん」

「なんて?」


 訛りすぎてわからん。だが、貴船には伝わった様子で、汐留にぎゅっと抱きついた。


「全部終わったら、三人でご飯食べたりお買い物行ったりしようね」


 切実な願いだ。全部が終わるその頃にこの物語が続いているのかはわからない。この世界が存在するのかさえ。

 それでも俺は肯定した。


「ああ、そうだな」

「柊木はいてもいなくてもいいけどね」

「なんでだよ」

「冗談冗談。柊木が居ないとりりが寂しがるもんね」

「ゆ、結奈ちゃん!?」


 他愛ない話だ。取るに足らないただの会話。

 存在するかもわからない未来についての話。

 だけど、未来のことは考えても分からない。

 可能性が無限に広がる未来の話なんだ。小さな希望のひとつくらい、願ったっていいだろ。




 翌日。登校してすぐのこと。


「柊木、今日は一限出なくていいから、ホームルームが終わったら職員室に来い」


 三枝先生から突然の呼び出し。久々だな。

 以前と違うのは、その気だるげな顔はどこへやら、真剣な顔つきで俺を咎めるように、何か不安をぶつけるようにそう言ったことだ。


 頭によぎったのは、桐崎のことだ。あいつに何かあったのかもしれない。



 言われた通りに職員室へ向かうと、そのまま生徒指導室へと連行された。それだけ真面目な話だということだろう。

 机と椅子、それに棚がひとつ置いてあるだけの殺風景な部屋。取調室みたいだ。少し緊張する。


「お前、桐崎に何かしたか?」


 向かい合って座るや否や、三枝先生はそう口を開いた。

 俺が? 桐崎に? どういうことだ。


「何もしていません。どういう意味ですか?」

「昨日、桐崎の担当医と話した。桐崎は誰とも口を聞かないらしくてな。担当医も心配して、先生やクラスメイトに会ったらどうかと聞いたそうだ。すると一言『柊木くんには会いたくない』と」


 俺には会いたくない? 桐崎がそんなことを? 俺が桐崎に何かしたか?

 そんな覚えはない。が、三枝先生はそう疑っているのだろう。


「桐崎の自殺未遂の原因が俺にあると?」

「そうだ」


 あっさりと肯定される。そんなことを言われても俺には思い当たる節がない。

 いや、ひとつだけありはする。紗衣だ。あいつが何かを吹き込んだ可能性。

 だが、それを今切り出したところで言い逃れにもならない。根拠もないんだ。それで通るわけが無い。


「お前がいじめたって言ってるわけじゃない。ただ、桐崎がお前の名前を出した以上、俺はお前に話を聞くしかないんだよ。知ってることを話してくれ」


 三枝先生は眉間に皺を寄せて鋭い目で睨めつける。以前のような優しさは面影もない。威圧感で押し潰されそうだ。

 何か言わなければ……でも、何も出てこない。


「お、俺は……」

「灯君は何も知らないよ。三枝先生」


 扉を勢いよく開けて入ってきた制服の少女。

 凛とした顔立ちに似合う短い黒髪。先生相手にも臆することなく飛ばされる鋭い眼光。

 蓮城鮮華がそこに立っていた。


「蓮城……鍵をかけていたはずだが?」

「僕が全ての教室のマスターキーを持っていることを忘れたのかな?」

「なんで持ってんだよ。お前生徒だろ」


 呆れたようにため息をつく三枝先生。

 鮮華はぴしゃりと扉を閉め、こちらに歩み寄る。


「灯君の身の潔白は僕が証明しよう」

「どうしてお前にわかる」

「僕はずっと彼を監視しているからね。灯君がいつ、誰と、何の話をしていたのかまで全て知っているよ」

「は? 監視?」


 思わず口を挟んでしまった。やけに俺の動向について詳しかったのはそのせいかよ。やっぱこの人が一番怖えよ。

 だが、今回ばかりは助かったと言わざるを得ない。


「灯君は最近、桐崎さんとの接点は無かった。ひとつ気がかりがあるとしたら、文化祭後の一幕。クラス会の中で桐崎さんは『柊木くんは誰かが救ってくれたのね。私と違って』と言っていたね。でも、その真意を聞く前に彼女は離席してしまった。そんな灯君が桐崎さんの自殺未遂に関して情報を持っているとは思わないよ」


 文字通り一言一句そのままだ。確かに桐崎はあの日、そう言っていた。

 つまり、彼女は誰かに救われたかったということだ。何から? 誰から?


「柊木、蓮城の言っていることは間違いないな?」

「はい、確かにそう言いました。俺には意味がわからず、詳しく聞こうとしたんですが……桐崎はそれで話を切り上げました」


 事実を淡々と答えると、三枝先生は乱れた髪をぐしゃぐしゃと掻いて立ち上がった。


「悪い。やっぱタバコ吸っていいか?」

「あ、はい」

「蓮城、お前も来い」

「言われなくてもそのつもりだよ」


 三枝先生は呆れながらも、俺たちを連れて屋上へと向かった。




 三枝先生はタバコを一口吸った。その顔はいつもの気だるげな表情に戻っていた。

 煙が流れた先では、少し離れた場所で腕を組んで壁に寄りかかった鮮華が立っている。


「灯君。先生にはまだ話していないのかい?」

「ああ」


 鮮華が言っているのは、恐らくこの世界と現状についてのことだろう。むしろ鮮華はどこまで知っているんだろう。


「僕も現状についてはあまり詳しくは知らない。だから、僕と先生に話してくれないだろうか。君の知っていることを。貴船さんと桐崎さん……それと、結城さんのことも」


 やはり、紗衣が関わっていることは知っているのか。

 ここまで言われて知りませんじゃ誰も納得しないだろう。そこまでわかって、鮮華はああ言ったんだ。

 俺は深呼吸をして答えた。


「わかった。鮮華、三枝先生。話を聞いてください」



 俺は二人に全て話した。

 この世界がフィクションであること。それを実際に見て知ったのは俺と紗衣の二人だけ。俺が今まで何を考え、何をしていたのか。紗衣が今まで何をしてきたのか。亜梨沙とのことも。貴船に対して行ったことも。恐らく、桐崎の件も紗衣が関わっているであろうこと。そして、この先も俺と関わった女の子が危険であること。


 上手くまとまらない話は、二限になっても続いた。それでも二人は黙って俺の話を聞いてくれた。



「勘弁してほしいな、まったく」


 話を聞き終えた三枝先生はそう言って煙をくゆらせた。


「先生は事が露見すればクビになるかもね」

「それはどうでもいいんだよ。起こったことは戻せねえ。クビになったら実家の農家でも継ぐさ」


 そんなことより、と三枝先生は続ける。


「生徒のことに気付けなかった自分に腹が立ってしょうがねえ」


 三枝先生はタバコを咥えたまま俺の頭を撫でる。


「柊木がそれほど苦悩し抱え込んでいたのに、俺は何も出来なかった。そんな俺に腹が立つんだよ」


 悪かった、と三枝先生は頭を下げる。

 大人の大きな背中は何処へやら、彼の体は後悔と憤りで小さく震えていた。


「え、いや、俺が話さなかっただけですから。俺の方こそ、こんな状況になるまで黙っていて、すみませんでした」

「ほんとにな。もっと早く言ってくれよ。と言いたいところだが、お前としてはそうも出来なかったんだろ。お前が最初にここで例え話をしてくれた時、もっと深く聞いておくべきだったんだ。柊木が謝ることはねえよ」


 三枝先生は再び俺の頭をぐしゃぐしゃと無造作に撫でる。

 ほんと、なんで相談しなかったんだろうな。三枝先生ならきっと、俺の力になってくれると知っていたはずなのにな。


「話してくれてありがとな、柊木。ここから先は俺がなんとかする。だからお前はもう、普通の生徒として過ごしていいんだ」

「いえ、俺は」


 俺は、この物語の主人公だ。

 今ここにある結果は、全て主人公である俺が選択してきた結果だ。

 俺が紗衣と向き合っていたら。主人公として、幼馴染の苦痛を聞いてあげられたら。少しでも俺が背負ってあげていたら。

 俺のせいだ。俺が主人公から逃げたせいだ。

 だからもう、俺は逃げるわけにはいかない。


「主人公だとか結城の幼馴染だとか関係ねえ。お前は子供だ。子供は大人に頼ってりゃいいんだよ。何も背負わなくていい。これからは、柊木の代わりに俺が全て背負ってやる」


 三枝先生の言葉は、俺の思考を遮った。煙草の煙のように、吐息でふっと飛ばされて体から力が抜けて行く。

 三枝先生の大きな手は、やっぱり大人の力強さと優しさが伝わって来る。


 俺は泣いた。何故かわからない。それでも声を上げて泣いた。

 主人公として俺がなんとかしなければ。皆が傷つくのは俺のせいだ。そんな重圧から少しでも解放された気がして、三枝先生の胸の中でただひたすら泣き続けた。

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