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第四十二話 悲劇は繰り返される

 修学旅行から数日経って、貴船は地元の病院へ転院した。

 三枝先生曰く、怪我は回復傾向とのこと。恐らく、負傷した左目を除いては。

 病院名は告げられなかった。貴船がお見舞いを拒んでいるんだろう。多少励ましはしたものの、貴船が心に抱えた傷は、その外傷より大きかったのだと思う。


 ホームルームを終え、放課後。

 俺が三枝先生を呼び止めようとする前に先生の方から声をかけられた。

 どうやら考えていることは同じだったらしい。


「柊木、貴船の見舞いに行ってくれないか?」

「もちろんです。でも、どうして俺だけ?」

「わからん。ただ、貴船がそうしてほしいそうだ」


「あとは頼む」と要件だけ伝えて立ち去っていく三枝先生。

 去り際に見えた苦しげな表情から察するに、三枝先生では貴船の心を癒すに至らなかったのだろう。

 無理もない。俺たちがどれほど想像しようと、その痛みは傷を抱えた本人にしか分からない。俺でも彼女の救いになるとは限らないしな。

 しかし、それは別の話。

 俺はただ、貴船の望むままに行動するだけだ。

 暗い雰囲気の教室をあとにして、三枝先生に聞いた病院へ向かった。



 学校の最寄りから電車に揺られること三駅。さらにそこから歩いて十分。病院までは結構な道のりだった。

 学校からは少し離れているが、貴船の家がこの近くにあるのだろうか。それとも万が一にも生徒に会わないためだろうか。


 受付で貴船の名前を出して同級生だと伝えたが、受付の女性は曖昧な返事やんわりと面会を断るような口ぶりだった。

 もしかしてと思い自分の名を告げると、今度はあっさりと病室を教えてくれる。

 この徹底ぶりだ。やはり貴船は人に会いたくないらしい。

 不穏な影から逃げるように、足早に病室へ向かった。

 303号室は受付からすぐ近くにあった。名前を確認してノックすると、間延びしたような返事が返って来る。


「あ、やっぱりアカリ君だ。梨食べる?」

「おばあちゃんか。帰ったら夕飯だし、遠慮しとく」


 貴船は一口サイズに切られた梨を頬張っていた。よかった、思ったより元気そうだ。

 俺が断ると明らかにしょぼくれた顔をされ、少し申し訳なくなる。

「やっぱり貰う」と言うと、その顔は一瞬にして晴れる。わかりやすい奴だ。たぶん俺もそうなんだろうな。


 彼女は少しずつではあるが、また笑顔を見せるようになっていた。

 包帯や眼帯はそのままだが、表情は最初に比べると随分明るい。

 ただ、その顔を見ると、どうしても目元が気になってしまう。本人は何事も無いように接してほしいのだろうけど。


 勘の良い貴船に気付かれないよう、表面に出そうになったもやもやした感情を押し殺す。

 ベッド横の丸椅子に座ると、貴船は小皿を添えて爪楊枝に刺した梨を一切れこちらに向けた。

 言わずもがな、そのまま食べろと言うことだろう。


「いや自分で」


 またしょんぼり。その顔は本当にやめてほしい。俺への精神的ダメージが半端ない。

 なんともいたたまれない気持ちになり、身を乗り出して梨に齧り付く。うん、美味しい。果物はやはり良いな。柑橘系以外は。

 貴船が少し手を引っ込めていたせいか、思ったより顔が近い。長いまつ毛がぱちぱちと動いている。

 瞳の色は結構薄いんだな。鼻筋もはっきりとしていて、肌はしっとりときめ細かく、少し赤い。


「あ、あの」


 見つめていた唇が動いたことでハッと我に返る。危うく貴船に魅了されて行動ターンを消費するところだった。

 俺は椅子に深く腰をかけてこほんと大きく咳払いをした。


「まあなんだ。悪いとは思ってる。でも、お前はそれだけ魅力的だったと受け取ってくれ」


 ボッと音が鳴ったような気がした。貴船の顔は窓から差し込む夕陽よりも紅潮し、今にも傷が開くんじゃないかとひやひやする。

 これは良くない。この空気はあまりにも毒だ。

 人間の気持ちとは、こうも簡単に揺らぐものなのか。俺の決意は、こんなにも脆く弱いものだったのか。


 俺の中に芽生えつつある感情の正体。俺はその答えを知っている。

 だが、その先には踏み込んではいけない。

 ここで答えを導いてしまうのは、あまりに身勝手で残酷だからだ。

 だから、俺はこの感情に重い蓋を被せた。まだこの箱を開ける時じゃない。そう自分に言い聞かせて。


「なあ、貴船」

「……」

「りり」

「なあに?」


 こいつ、名前で呼ばないと答えないのか。入院にかこつけてとことん甘えるつもりだなこりゃ。

 まあ、貴船への恩返しと償いだと受け入れよう。


「他の奴には会いたくないか?」

「……うん。アカリ君は今のりりでも受け入れてくれるけど、やっぱり怖いよ」

「そう……だよな」

「みんなに会いたくないわけじゃないんだよ? でも、今のりりをみんなが笑って受け入れてくれるとは思えなくて」


 貴船は今のままでも間違いなく可愛い。誰だってそう思うだろう。俺が保証する。

 だが、心配だろうと好奇だろうと、今の貴船を見てその顔を歪めない奴はいない。

 同情も心配も彼女は求めちゃいない。

 彼女は今までと変わらずに接してほしいんだろう。だから今日も俺だけを呼んだんだ。


「確かに他の奴らがりりを見てどう感じるかはだいたい予想がつくし、りりがそれを嫌なのもわかる」

「うん」

「だからさ、りりだけでもいつも通りで居てくれると俺は嬉しい」

「りりが?」


 俺は頷いて笑って見せた。

 例え誰がなんと言おうと、どんな目で貴船を見ようと、貴船は変わらない。

 可愛くて努力家で気遣いができる優しい女の子。そのままの貴船で居てくれればいいんだ。


「俺な、元々りりのこと苦手だったんだよ」

「えへへ、実はそうかなって思ってた」

「関わる前の話な。でも、今は違う」

「苦手じゃなくなった?」

「ああ。むしろ好きになった」

「ふぇっ」


 貴船は不意をつかれたように目を丸くする。俺もそうだ。なんてこと口走ってんだ俺は。


「あれだ、友達としてな、うん」

「そ、そうだよね! 友達として、ね……」


 やめろ。しゅんってなるな。


「そのー、なんだ。俺はやっぱり、この世界のことがあるからどうにも人を好きになれないんだ」

「そう、だよね」

「だから、この世界のことを知らなければ、たぶん本気で……その……」


 触れるのも恐れ多いほどに純粋で、可愛さや将来のためなら必死に努力して、何度も俺に手を差し伸べてくれて、夢物語みたいな話をしてもちゃんと受け止めてくれる。


 そんな貴船は、きっと最高のヒロインだ。好きにならない男なんていないだろって思う。

 貴船はきゅっと口を結んでいる。俺も言い淀んでいる。どうしてもその先は言えない。


「ごめん、やっぱ忘れ」


 その先は貴船によって止められた。

 前のめりに倒れてくる貴船を受け止める。細くて、今にも折れてしまいそうなほどに弱々しい。

 それでいて口元から伝わるぬくもりは強い意志を持っているように温かい。


 パッと離れた貴船は、いそいそと布団で顔を隠す。


「ご、ごめんね。その、気持ちが溢れちゃって」

「えっ。いや、別に」


 声が裏返った。動揺してるんだろうか。いやするだろこんなの。照れくさくて顔なんて見れねえよ。


 意識するなって言う方が無理な話だ。

 蓋をしたはずの感情が今にも溢れてしまいそうだ。

 理性という鎖を取り払い、この世界のことも俺が置かれた現状も他のヒロイン候補たちのことも忘れて、感情のままに行動出来ればどれほど幸せなことだろう。

 この世界が偽物じゃなければ、とこれほど強く恨んだことは無い。


 しかし、作り物だからこそ、貴船りりという少女が生まれたのもまた事実なのかもしれない。

 彼女はヒロインとして完璧過ぎる。

 神が精巧に創ったような容姿。男殺しな距離の詰め方。明るく他人想いな性格に努力家で将来性のある強い意思。その上、主人公を支えてくれる聖母のような包容力ときたものだ。欠点のひとつも見つかりやしない。

 創作の世界でなければ、これほど完成された少女は誕生しなかっただろう。さらに言えば、彼女が俺を好きになることなんて有り得ない話だったはずだ。皮肉な話だけどな。


 彼女の気持ちに答えたところで、それは紙面上の夢でしかなく、俺が抱く感情も物語の1ページに過ぎない。

 そんなこの世界の理不尽さに、貴船の想いをこの身に受けてなお、こんなことを考えてしまう自分が底気味悪く、吐き気を催す。



 なんだか気まずくなってしまった。

 貴船はあれから喋らなくなり、俺もどう話しかけていいか分からずに言葉を探る。

 時間だけが刻々と過ぎて、そのまま面会時間を終えようとしている。

 しかし、荷物をまとめていると貴船が弱々しく声を出した。


「明日、も……来てほしい……」

「言われなくてもそのつもりだ」


 貴船は安心したように微笑んだ。

 彼女の目を真っ直ぐ見ることも出来ず、「また明日」と告げて、俺は病室を後にした。




「柊木」


 翌日、放課後。

 貴船との約束通り病院へ向かおうとした俺は、駅で汐留に呼び止められた。


「お前、何でここに」

「話があって追いかけてきた」

「学校で呼び止めりゃいいだろ……」

「学校じゃダメだから」


 目は真っ直ぐに俺を見ているものの、その表情はどこか怯えているように見える。

 貴船に少し遅れると連絡を入れ、汐留の案内で移動することにした。



 最寄りのカラオケボックスへと連れ込まれ、俺たちは向き合うように座る。


「それで、個室でしかできない話って何だ?」


 わざわざカラオケを楽しむために連れてきたわけじゃないだろう。学校じゃ話せない。駅でも不安。だから個室のカラオケボックスを選んだ。

 そうまでして話したい内容は一つしかない。


「柊木、りりに会ってるよね」

「ああ」


 隠す必要は無いだろう。汐留は貴船を心配していた。たぶん、誰よりも。

 貴船に伝えたいことがあるなら俺から伝えられるし、貴船の容態を知りたいなら教えるつもりで肯定した。


 しかし、汐留から出た言葉は予想外のものだった。


「お願い。りりとうちを助けて」


 助けて? そう問い返すよりも先に、汐留は声を殺して泣き始めた。

 今まで我慢していたものが溢れるように、拭っても拭っても流れてしまう。


 それだけでなんとなく想像が出来てしまった。これから汐留が話すことが。貴船が入院した日からずっと溜め込んでいた汐留の感情が。




「うち、本当は見たんだ」


 落ち着きを取り戻した汐留は、ぽつりぽつりとこぼし始めた。


「外の空気を吸って部屋に戻ったら、りりが血まみれで倒れてた。頭と顔……目からたくさん血を流して」


 俺は黙って相槌を挟んだ。

 その惨状は想像したくない。汐留もあまり思い出したくないはずだ。

 それでも彼女は続けた。

 懇願するように、恐怖を吐き出すように。


「うち、見たんだ。りりの傍に立ってたんだ。結城さんが……手にガラスの破片を持って。ガラスにも結城さんの手にも……たくさん、血がついてて。うち、思ったんだ。結城さんがやったんじゃないかって。りりの目に……」


 汐留は咄嗟に口を押さえる。


「わかった。貴船の状況は思い出さなくていい」


 やはり汐留は見ていた。見てしまった。

 あれは事故じゃない。三枝先生がおかしいと言っていたのはこれが原因だ。

 紗衣が貴船の目にガラスの破片を突き立てた。想像しただけで背筋が凍る。気分が悪くなる。


「もう手遅れだよ」という紗衣の声が頭の中でリピートする。紗衣はもう止める気は無いと、そう言っていたのだ。


 俺がもっと配慮しておくべきだった。警戒しておくんだった。

 汐留と貴船を匿うなりできただろ。彼女たちを紗衣から遠ざける方法はいくらでもあったはずだ。

 後悔の念に苛まれ、唇を噛む。鉄の匂いが口から鼻にかけて広がっていく。


「どうして今、こんな話を?」


 見ていたならそう言えばよかった。先生に伝えるべきだ。そうでなくとも、俺に相談する時間はあっただろう。

 思わず糾弾するような言い方になってしまう。

 だが、ぎゅっと力強く拳を握る汐留を見て、すぐに後悔した。


「先生に報告しようとしたんだ。でも、結城さんが言ったんだよ。『余計なことをしたらあなたもこうなる』って」


 眉間に皺を寄せ、声を絞り出すように続ける。


「うちは怖くて、見てることしかできなかった。誰にも言えなかった。りりに申し訳なくて、自分が情けなくて。それでも、何も出来なかった」


 口止めか。言わなかったんじゃない。脅されて何も言えなかったんだ。

 汐留だって辛かっただろう。ずっと一人で抱え込んでいたんだから。

「悪い」と頭を下げると、彼女は首を横に振る。

 誰よりも辛かったはずだ。怖かったはずだ。

 友人が怪我を負わされて、その光景を目撃したにも関わらず、誰にも言えない状況に陥った。

 誰も彼女を責めることなんて出来ない。


「先生にも言えなかったけど、柊木なら聞いてくれると思って。うちらを救ってくれると思って。お願い。りりを助けて。うちを助けてほしい」


 汐留らしからぬ弱々しい声。苦しみに染められた表情。お前までそんな顔、するんじゃねえよ。

 そんなの、答えは決まっている。


「わかった。俺がなんとかする」


 方法なんて何も思いついちゃいない。

 それでも、これ以上俺の周囲で人が傷ついていくのを黙って見ているのは嫌なんだ。


 話を聞き終えた俺は、すぐさま貴船に連絡した。




 カラオケボックスを出た俺たちは、二人で病院へ向かった。


「よう」

「あ、アカリ君。結奈ちゃんも」


 病室の扉を開けると、貴船が歓迎するようにひらひらと手を振った。予め二人で向かうと連絡しておいて良かった。


「アカリ君と二人きりだと思ってたのになー」

「悪かったな。事情が変わったんだ」

「ごめん、りり」

「なんてねっ。結奈ちゃんなら大歓迎だよ!」


 電車の中で貴船の容態を伝えてはいたが、それでも目の当たりにするとそのショックは大きいらしい。

 特に汐留は惨状を実際に見てるんだ。尚更辛いだろう。


「汐留、約束と違うだろ」

「……ごめん。りり、お見舞い持ってきたんだ」


 対面すると汐留は罪悪感に取り憑かれるだろうと思っていた俺は、話を逸らせるように何か買って行こうと提案した。早速それが功を奏したらしい。

 汐留は手のひらサイズの紙袋を貴船に渡す。


「え、なになに」

「開けてみて」


 中身は手のひらサイズのリスのぬいぐるみだ。

 何を買おうか永遠に迷いそうだったため、汐留の好きなものを渡せとアドバイスした結果だ。


「わっ!可愛い!りり、ぬいぐるみたくさん持ってるんだけど、病室だと寂しかったんだー。ありがと、結奈ちゃん!」


 貴船は目を輝かせて、ぬいぐるみを抱きしめている。汐留は恥ずかしそうだが、満更でもないらしい。

 やはりこの二人は好みが似ている。

 汐留に「よかったな」と目配せすると、彼女は涙を浮かべながら満面の笑みを見せた。


 にしても……。

 貴船は汐留に抱きついて胸元に顔を埋めてるわ、汐留は汐留で嬉しそうに貴船の頭を撫でてるわ、目に毒だなこれは。むしろ保養か。

 少しくらいこんな時間があってもいいだろ。ラブコメなんだから。




 とはいえ、いつまでもそうされちゃ話が進まない。

 俺は咳払いをしてその場の空気を振り払う。


「貴船」

「……」

「お前、汐留がいてもそれで通すのかよ」


 目を細めて貴船を睨みつけてみたが、彼女はぷいっとそっぽを向いたまま俺の話を聞く様子もない。

 人前だと余計に恥ずかしくなる。が、それで呼ばないことには反応すらしないつもりだろう。


「りり」

「なあに?」


 きらきらと目を輝かせる貴船。ちくしょう、可愛いやつめ。

 汐留、言いたいことはわかる。その目はやめろ。眉間の皺が大変なことになってんぞ。別にそういう関係じゃねえから。


「話は汐留に聞いた」

「……そっか」

「一つ聞きたいんだが、どうしてりりは誰にも言わなかったんだ?」


 貴船はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

 汐留も静かに俺たちの話を聞いている。


「アカリ君に相談したら、きっとアカリ君はりりたちのために頑張ってくれるでしょ?」

「当たり前だろ」

「それが怖かった。アカリ君も何かされるんじゃないかって」


 それに、と貴船は続ける。


「紗衣ちゃんだって、きっと何か理由があったんだと思う。紗衣ちゃん言ってた。この世界は私とアカリ君だけのものなんだって。だからりりが邪魔なんだって。紗衣ちゃんはアカリ君と同じことを知ってるんじゃないの?」


 あいつ、貴船にもそんなことを……。

 やはり紗衣は、自分以外のヒロイン候補を全員ヒロインの座から下ろすつもりなのだろう。

 たとえ、それが他者を傷つけることになっても。

 苦虫を噛み潰したような不快な感情が沸き上がる。


「……ああ。そうだろうな」

「きっと紗衣ちゃんもどうしていいのかわからないんだと思う。アカリ君のことが好きだけど、アカリ君は主人公だから、女の子が集まって来ちゃう。だから紗衣ちゃんは、アカリ君が自分だけを見てくれるように、あんなことをしたんだと思って……」


 貴船は「紗衣ちゃんも被害者なんだよ」と声を震わせる。

 貴船は信じてるんだ。紗衣はきっと元に戻ってくれると。

 貴船は貴船と汐留だけじゃなくて、紗衣までも救ってほしいんだろう。


 俺だってそうしたい。だが、今のままではまた誰かが傷つけられる。

 恐らく紗衣が貴船の顔を狙ったのも、貴船の可愛さゆえだろう。貴船の象徴とも言える顔を傷つければ、貴船はヒロイン候補から脱落する。そう思ったんだろう。

 同じ立場の俺だからこそわかることだろうし、本人には言えないが。


「お前は優しすぎるな、りり」

「そんなことないよ。紗衣ちゃんが頑張ったとしても、りりがアカリ君のヒロインになりたいって気持ちは変わらないもん」


 芯が強いというかなんというか。汐留は貴船の真っ直ぐな気持ちに赤面している。赤面したいのはこっちだ。もうしてるけど。


「りりの気持ちはわかった。だけど、それは後の話だ。今はとにかく二人の命が優先。それでいいか?」


 貴船は顔を曇らせながらも頷いた。

 貴船の願いは叶えたい。俺も紗衣をこのままにしておきたくない。

 紗衣だって、本当は優しい女の子なんだ。紗衣との付き合いが長い俺は、彼女のことをよく知っている。

 泣き虫で、他人想いで、困っている人は放っておけない。

 そういう女の子なんだ。

 俺も紗衣を救いたい。このままバッドエンドに進ませるつもりはない。

 しかし、どうしていいかわからないのもまた事実だ。

 俺はやるせない気持ちを握り拳に乗せて、奥歯をギリリと噛み締めた。




「紗衣が何をしてくるかわからない以上、一人にするのは避けたい。汐留には今日からうちに泊ってもらう」

「ええっ! ずるい!」

「汐留は一人暮らしなんだ。念の為にな」

「りりも退院したらそうしてもらう予定だから、今だけは我慢して? うちは明ちゃんと寝るし、柊木が何かしようとしても蹴り飛ばすから」


 汐留が必死にカバーするが、どうも納得いかないらしい。

 ぷうっと頬を膨らませて不貞腐れている。仕方ないやつだ。


「本当はりりが心配だからここに泊まりたいんだけどな、そういうわけにもいかないだろ。俺だって妥協してんだ。受け入れてくれないか?」

「えっ。えっと……そうだよね、仕方ないもんね」


 それだけで貴船は機嫌を取り戻した。ちょろいな。あと、今すぐ蹴り上げそうなその足を下ろしてください汐留さん。


「お見舞いには毎日来る。それは約束する」

「うん、約束ね」


 パッと笑顔を咲かせる貴船に、俺は力強く頷いた。

 とりあえずこの二人はしばらく安全だろう。

 ただ、他の連中……特に三雲は早めに手を打った方がいいだろう。鮮華はなんか、うん。安心感あるなあいつ。


 貴船に別れを告げ、病室を後にする。

 その約束がすぐに果たされなくなるとも知らずに。




「桐崎が病院に運ばれた。自殺未遂だそうだ」


 翌日の朝。

 それは、三枝先生に告げられた絶望から始まった。

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