第三十六話 なりを潜めたラブコメ要素
会場の撤去も終わると、文化祭なんて過去の話。
きっとこの振替休日が終わる頃には次のイベントに向けての期待が高まっていくのだろう。
だがその前に、俺の前には問題が立ちはだかっていた。
火曜。その日は文化祭の振替休日で、俺は翌日に控える汐留との勉強会のために復習をしていた。
汐留の覚えが想定より遥かに早いため、勉強を怠ると俺の方が追いつけなくなりそうだったからだ。俺、もう要らないのでは?
昼過ぎになり、休憩がてら食事でもと思った矢先、俺のスマホが震えた。
せっかくの休みに何の用だと悪態をつきながらスマホを確認する。そこには見覚えのある名前が早く出ろと言わんばかりに訴えかけていた。そりゃまあ、登録してるんだから見覚えはあるんだけど。
なんでこいつから? 嫌だなー怖いなー電話出たくないなー。
俺の脳内の稲川〇二が警告するが、放っておく方が厄介そうなので出る。
「はい」
『遅い。何してんの?』
相変わらずな荒い口調。の割に声は少し高めで、女の子なのは確かだと再確認する。
「勉強してた」
『あ、それはごめん』
素直に謝る亜梨沙。こいつも一応聖女なだけあって、勉学の大切さはわかっているらしい。
「で、何か用か?」
『今から会えない?』
「え、何で?」
『会って話すから。三十分以内にうちで』
「会うのは決定なのかよ」
理由を問い質す暇もなく電話は切られた。勝手すぎません? 勉強してるなら予定もな 無いってわかっててやってんな、こいつ。
しかも三十分後って時間がねえ。次のバスすぐ来るかなー。バスが無いんじゃ仕方ないなー。
準備をしてバス停に向かうと、すぐにバスが来た。あいつ、もしかしてここまで計算に入れて……? 鮮花じゃあるまいし、それは考え過ぎか。
ちょうど三十分後。俺は亜梨沙の家の前にいた。やっぱ全て計算済みだったのかもしれない。
中学の頃によく遊びに行っていたおかげで、家の場所は今なおはっきりと覚えていた。
父親が医者なだけあって、それなりに金持ちな俺の家と比べても壮観な家だ。
最初は娘が男を連れて来たことで、亜梨沙の父親には親の仇のような形相を向けられたものだ。懐かしいなぁ。
インターホンを鳴らすとすぐに亜梨沙が出てきた。
全身もこもこの白いパジャマ。フードには耳のようなものが垂れている。人を出迎える格好じゃないだろ。
「よっ! とりあえず上がって」
「お邪魔しまーす」
久々に入る亜梨沙の家。外観の通り家の中も驚くほど広い。
俺が遊びに来ていた頃は、ここで亜梨沙と父親の二人で暮らしていた。今は涼介さんも一緒に暮らしているはずだが、彼の姿は見えない。
「義文さんたちは?」
「仕事」
「ああ、平日だしな」
義文さんは亜梨沙の父親だ。確か個人クリニックを営んでいたはず。そりゃ平日には居ないか。
数年前に亡くなった母親の妙子さんは看護師だったと聞いた。亜梨沙も医者か看護師になるのかなぁ。すげえ不安。
あれ? そういや今日は平日だよな。明も家に居たから気にしていなかったが、なんでこいつは家に居るんだ?
「亜梨沙、学校は?」
「灯が休みって聞いてたからサボった」
「お前なぁ」
「いいんだよ一日くらい。私、成績良いし」
「嫌味かよ」
勉強を教えた側としては少し複雑だ。高校に入ってからはきっと一人で努力したんだろう。高校でガクッと成績を落とした俺とは真逆だな。
「お茶でいい? 灯の好きなりんごジュースもあるけど」
「準備良すぎだろ。じゃありんごジュースで」
「おっけ。先に部屋行ってて」
「おう」
なんか普通に通されたが、もうあまり関わりのない男を二人きりの家に呼び込んだ上、一人で部屋に置いとくとか警戒心が無さすぎると思う。
俺なら何もしないだろうという信頼の裏返しなんだろうけど。もちろん何かするつもりは無い。
およそ二年ぶりに訪れた亜梨沙の部屋は、当時と何も変わっていなかった。
整理整頓が徹底され、清潔感のある白で統一された部屋。そんな部屋を彩るようにカラフルなぬいぐるみが各所に並んでいる。見た目も口調も男勝りだが、可愛いものが好きなのは変わらないな。
中にはやたら色褪せたぬいぐるみも居た。一際異彩を放つのは、丸いカエルのぬいぐるみだ。
このセンス、なんとかならないのか。そう過去の自分に問い詰めたくなる。なにせ俺がプレゼントしたやつだからな。
なんでまだ持ってんだ。あとこのぬいぐるみのセンスなんとかなりません? 何度見ても可愛くはない。
「人の部屋ジロジロ見んな!」
俺がぼうっと突っ立っていると、尻に蹴りが入る。じーんとした痛みが臀部を襲う。加減を考えろ。
「おま、足はないだろ足は」
「手が塞がってんだから仕方ないだろー。女の子の部屋を舐め回すように見てた灯が悪い」
「舐め回すようには見てねえ。なんか久々で緊張するっつうか」
「……灯って童貞みたい」
ボソッと呟いてトレイを小さな机に置く亜梨沙。どどど童貞ちゃうわ! ごめんなさい嘘ですバキバキ童貞です。
図星を貫かれて内心動揺するのを悟られないよう、「うるせえよ」とだけ返す。これ認めてますよね?
「そんなことよりさ、話があるんだけど」
「だろうな。知ってた」
「さっすがー」
そうじゃなきゃ呼ばないだろ、というツッコミはさておき、俺はカーペットが敷かれた床に座り、差し出されたりんごジュースに口をつけた。
「で、話って?」
「私とまた付き合って」
「断る」
なんだそれは。亜梨沙ってこんなことを冗談で言うような奴だったか? それに、彼氏はどうしたんだ。
まあいい。事情を聞かないことには話が進まない。
「で、なんで?」
「断ってから聞くなよ。付き合ってって言ってもフリだけでいいんだよ」
「フリ?」
またそのパターンか。ここ数週で何回デートすりゃいいんだ。
やはり断ろうと思ったが、亜梨沙がやけに真剣な眼差しで俺の目を見続けるせいで、俺が先に折れた。
「理由が知りたい」
あまり口にしたくないのか、亜梨沙は口を噤んで顔を伏せた。さっきからずっとそこに触れてないしな。
だが、それを聞かないことには了承できない。これ以上ヒロイン候補増やしたくないんだ、勘弁してくれ。
やがて、白状する気になったのか、亜梨沙はジュースを飲み干してグラスをゆっくりと置いた。
「……私たちの邪魔をした犯人がわかったかもしれないから」
亜梨沙はそう告げた。
犯人。つまり亜梨沙に手紙を出し、俺たちが会わないように仕向けた奴のことだ。
亜梨沙は、その正体がわかったのだと言っている。
今更掘り返して解決したところで、俺は亜梨沙と以前のようには付き合えないだろう。そう思う反面、あの頃の楽しかった思い出を壊した相手を知りたいとも思った。
この作り物の世界で、わざわざ俺や亜梨沙にトラウマを抱えるような記憶を残した奴。そいつに対する個人的な恨みでしかない。
自分でもねちっこい奴だと思う。それでも、俺たちが抱いていた本物の好意を踏みにじるような奴を許すことは出来なかった。
「教えろ。誰だ」
「そ、それは言えない」
「なんでだよ」
「まだ確証が無いんだよ。だから、私ともう一度付き合ってほしい」
「……俺たちの誤解が解けて、また付き合ったと知れば、そいつはもう一度邪魔をしに来るだろうってことか」
「そう」
回りくどいな。候補に挙がった奴の名前くらい教えてくれりゃいいものを。直接問い詰めるのを避けてるのか?
「本当に邪魔しに来るのかも怪しいだろ。俺たちに興味が無くなってる可能性もあるしな」
「あいつは間違いなく阻止しに来る」
その相手に検討もつかない俺は、亜梨沙の確信を持ったその目が理解できない。
そもそも、どうしてこいつはこんなに必死なのだろうか。犯人を捕らえたところで、その先には何も無いと分かっているはずなのに。
俺が頑なに首を縦に振らないせいか、亜梨沙は言葉を選ぶように語り始めた。
「私さ、灯と一緒に居るのが楽しかった。私を変えてくれた灯が好きだった。私にいろんなことを教えてくれた灯が好きだった。だから、灯が私との約束を破った時、死にたいほど辛かった。実際に何度も死のうって思ってた」
語られた亜梨沙の気持ちは、俺が思っていた以上に深いものだった。
気丈な亜梨沙がここまで追い詰められていたとは思わなかった。
当然、その原因は亜梨沙に手紙を出した犯人にある。
だけど、俺が亜梨沙に会っていたら、亜梨沙とちゃんと向き合っていたら、亜梨沙はここまで悩むこともなかっただろう。
もしかすると、こんなラブコメ的ストーリーに巻き込まれることもなかったかもしれない。
だから、亜梨沙が打ち明けた気持ちは、彼女を傷つけた一端である俺にとっても突き刺さる話だった。
「本当はさ、灯と会ってあの日約束を守らなかった理由を問い質して、私を嫌いになったって言われたら……死のうかなって思ってたんだよな」
「は? お前」
「バカみたいだよな、わかってる。学生の恋愛なんて遊びだとか言われるけどさ、私にとって灯は神様みたいな人なんだよ。私の世界を変えてくれた神様なんだよ。だから、私から灯を奪ったそいつを絶対に許せない」
俺が苦しんだように、亜梨沙も追い込まれていたんだ。
彼女が抱いていたのは……たぶん俺が抱いていたのも、本物の好きって気持ちだったんだ。
俺たちは、第三者の手でそれをぶち壊された。
フィクションの世界の話だ。そういうシナリオだと言われればそれまで。だから、俺が辛い思いをするのはいい。
しかし、俺に好意を抱いてくれた相手を追い詰め、命まで奪おうとするシナリオライター。そして、そいつにまんまと踊らされる犯人は絶対に許せない。
都合の良い話だ。俺だって他人を傷つけてでもモブになるなんて息巻いていたわけだし。
だけど、シナリオを壊すのとシナリオに沿って人が死ぬのは違うだろ。作り物だからってそう簡単に人の命や感情を弄んでいいわけがない。
懇願するような眼差しを向ける亜梨沙。そんな目をしなくても、俺の答えも決まった。
「わかった、付き合おう。今日から俺がお前の彼氏だ」
「……いいのかよ。灯、なにか他にも悩みがあるんじゃないのか? なんか前よりもずっと、表情が暗いし」
「お前なぁ。自分で頼んでおいて余計な心配すんなよ」
「ごめん……」
「俺のことはいい。それとこれとは別の話なんだ。お前の気にすることじゃねえよ」
「……そっか」
そうだ。この世界のシナリオ通りに俺たちは別れた、なんてクソみたいな話、今の亜梨沙には話せない。
話せないんだよ。だからそんな寂しそうな顔やめてくれ。心が痛む。
「わかったよ。この問題が解決したら亜梨沙にも話す」
「そっか」
安心したようにこっそりと口角を上げる亜梨沙。
なんだかなぁ。喜怒哀楽がはっきりしていると言うか、隠しきれてないと言うか。
付き合っていた頃を思い出して少し照れくさくなる。それを亜梨沙には悟られないよう、甘いジュースを喉に流し込む。
「つか、お前彼氏はいいのかよ。フリだとしても隠さなきゃならないだろ」
「は? 彼氏?」
「いや、お前彼氏が出来たって」
「あんまふざけてると怒るよ? 私が灯以外の人好きになれるわけないだろ」
「え」
芽生えた猜疑心に水を与えるように、背中につうっと汗が流れた。




