第三十五話 それぞれの悩み
「柊木くん」
背後から聞こえる優しい口調。汐留が女子たちに拉致られ、代わりに現れたのは今日の主役、桐崎だ。
「よう、解放されたか」
「ええ。隣、いいかしら?」
俺が手で促すと桐崎はそっと腰を下ろす。そんな次々に現れなくてもいいだろ。お悩み相談じゃねえんだぞ。
桐崎は男子たちに囲まれていたせいか、ものすごく疲れて見える。楽しむためのクラス会で疲れすぎだろこいつら。
「なんだか、こうして話すのも久しぶりね」
「あー、だな。基本、教室でちょっと話す程度だしな」
冷めきったコーヒーを飲み干す桐崎。ティーカップの縁をなぞる姿は、大人びた顔立ちと相まって色っぽい。こりゃ優勝するわ。
元々自分から話を切り出すガラじゃない俺たちの会話は少ない。俺としてはその方が楽だが。たぶん桐崎もそう。
「飲み物、注文しなくていいのか」
「ええ。そろそろ帰るから」
「帰れるのか」
「明日は学校だもの。あまり遅くなりたくないの」
「まあ、そりゃそうだな」
とはいえ、午前中は文化祭の撤去作業しかない。午後から授業はあるが、課題は出ていなかったはずだ。
桐崎は課題がないからと勉強を怠るような奴じゃないのは知っているが、果たしてクラスメイトたちが逃がしてくれるのかは疑問だな。
「柊木くん」
ティーカップをソーサーに置いて小さく呟くように俺を呼ぶ。
「最近、少し変わったわね」
「そうか?」と聞き返しはしたものの、確かに俺は変わったと思う。
人と話すことを避けていた俺が、今やこうして色んな人に囲まれて普通に会話をしている。少し前の俺なら想像出来なかっただろう。
桐崎もそう思ったのか、静かに首肯する。
「変わったわ。少し前に戻ったような……あまり人を避けなくなったと言うべきかしら」
「避けようとしても避けられないって悟っただけだ」
桐崎は何か言いたげに眉を顰めて笑った。
恐らく、俺の返答が嘘っぱちだと気付いたのだろう。
最近の俺には、人を避けようとする素振りすらない。それどころか、どこか人を……人の気持ちを受け入れようとしている節すらある。
そもそも人を避けようとすらしていない。彼女はそう言いたいのだと思う。
けれど、彼女は言及しない。言及したところで俺がはぐらかそうとすると分かっているからだ。
そんな含みのある苦い笑顔から逃げるように、俺は氷だけになったグラスをカラカラと鳴らした。
「何か飲む? 注文してくるわよ」
「いや、いい。大丈夫だ」
席を立とうとした彼女を止める。この発言だって、以前の俺なら考えられなかった。
本当に人を避けようとするなら、自分で注文しに行って、そのままカウンターで一人グラスを傾けていただろう。酒に溺れる男かよ。
それが今や、彼女に気を遣わせまいとし、あまつさえ、彼女との時間を作ろうとしている。
俺は何がしたいのだろうか。
三雲や鮮花、紗衣が抱いているような本物の気持ちに当てられ、桐崎が持つそれにも興味を持っているのかもしれない。
思考の沼に嵌って行く俺に桐崎が問う。
「悩みは解決したのかしら?」
悩み。桐崎には俺が人を避けるようになった原因は話していない。
話したところで変な奴だと思われるのが関の山だというのと、あまり人に話すような事じゃないと思っているからだ。
いつか話してくれるのを待ってる。そう言ってくれた桐崎だが、やはりその時は訪れそうにない。
「解決はしてないが、少しはマシになった」
「そう……なのね」
そう声を漏らす桐崎の表情は晴れない。
桐崎にとって、人との関わりを避けて陰キャになった俺は話しやすい対象だったのだろう。
それがいつの間にか、普通に人との会話を楽しめる陽キャのような俺に少しずつ戻ってしまっている。
彼女にしてみれば、勝手に凹んで勝手に立ち直った能天気野郎に見えていることだろう。俺は戻る気はさらさら無いけど。
「柊木くんは誰かが救ってくれたのね。私と違って」
どういう意味だ? と聞こうとしたが、飲み物を取ってくると立ち上がった桐崎を止めることは出来なかった。
よくわからん奴だ。桐崎は、俺を救う救世主にでもなりたかったのだろうか。
主人公を支えるヒロインの鑑だな。彼女の背中を横目に、そんな呑気なことを考えていた。
桐崎が居なくなった直後、断りもなく隣に座る人物が。次の方どうぞー。
「鮮華か」
やっぱ帰ってもらっていいですか? 今日のお悩み相談は店仕舞いでーす。
「女の子を悲しませるのはいただけないね」
「悲しませる?」
「彼女、悲しそうな顔をしていたよ」
「俺のせいなのか」
「さあね。でも、灯君に何かを期待していた様子だった」
「期待なんてされてもなぁ」
桐崎が何を悩んでいるのかは知らない。話してくれなければどうしようもない。
知ったところで、俺に出来ることなんて限られてるだろうし。
「彼女は、彼女を救ってくれるヒーローを待っているんだと思うよ」
「じゃあ俺の出番はないな。ヒーローなんてガラじゃねえ」
「そうかな。少なくとも僕は、灯君に救われたヒロインの一人だよ」
「複数いるような言い方はやめてくれ」
「僕一人だけなら、それは光栄なことだね」
「茶化すなよ……」
俺は鮮華を救ったつもりはない。むしろ、俺が変わるきっかけになったのが鮮華だ。ありがた迷惑な話だけどな。
でも、そのおかげで以前より気が楽になったのは確かだ。少なくとも、人の気持ちを受け入れる余裕と覚悟が出来た。
「ありがとな、鮮華」
「君が主役と聞いては、それ相応のステージを用意せざるを得ないと思ってね」
俺が言ったのは鮮華が俺の悩みを聞いて、彼女なりの答えを出してくれたことに対してなのだが、鮮華はこの場を用意してくれたことだと思ったらしい。
まあ、それでもいい。言ってから恥ずかしくなったし。
「そろそろ終わりかな。二次会は行くのかい? ファミレスに行くと話していたけれど」
「行かない。明日は学校だからな。つか、この時間からファミレスって校則違反だろ。止めなくていいのか?」
「学校をサボった人のセリフだとは思えないね。……こんな日くらいはいいんじゃないかと思うよ。あまり羽目を外すのは良くないけれどね」
「俺以外には寛大だな」
そうこうしていると、周りは締めの時間に入っていた。
俺は二次会への参加を断った。クラスの半分ほどは帰るそうで、俺も桐崎もすんなり解放されることとなった。
結局、その日に紗衣からの返信は無かった。
そうして波乱の文化祭と後夜祭は幕を閉じた。
新たに生まれた好意や少しの不安を残して。




