第三十二話 元カノ
「灯は元気でやってんの?」
「まあ、この通りな」
校庭のベンチで向き合いながら、亜梨沙の言葉に素っ気なく答える。
作り物だとわかっていても、トラウマってのは俺の意識の奥深くまで根付いているらしい。まともに顔が見れない。
亜梨沙は二重の大きな目を細めて、俺の隣に座る三雲に目を向ける。
「新しい彼女?」
「いや、部活の後輩」
「……そう。バスケ、まだやってんの?」
「最近辞めた」
「えー、もったいない。灯ならエース間違いなしだと思ってたのに」
喜怒哀楽がはっきりしている亜梨沙は、コロコロと表情を変えながら会話を弾ませる。
俺たちに気を遣ってか、それとも単に俺たちの会話に入れないのか、三雲と涼介さんは黙って俺たちの会話を聞いている。
「中西……新島はさ」
「よそよそしいな。前みたいに亜梨沙って呼べよ。苗字だと面倒臭いだろ」
「まあ、そうだな」
亜梨沙に同意しつつも、その名前で彼女を呼んでいいのかと逡巡する。
そう呼んだとして、俺は今と変わらず彼女と話せるだろうか。昔のことを思い出しやしないか。彼女に振られた過去に縋りはしないか。
そんな不安に駆り立てられる。
いや、大丈夫だ。今の俺なら大丈夫。
この世界は作り物で、亜梨沙との記憶だって物語の一部でしかない。物語にも含まれない前日譚だ。
そんな些細なこと、気にするまでもない。
「亜梨沙……はバレー続けてるのか?」
「いや、私も辞めた。先輩後輩の関係が面倒臭くてさ」
「亜梨沙らしいな」
「だろ」
肩を竦めて見せると、亜梨沙はにやりと口角を上げた。
あまり人との関わりを好まない亜梨沙は、中学時代もクラスで孤立気味だった。
元々地味で目立たない物静かな性格だったこともあるが、こうして自分の生きたいように生きるようになって、それはさらに加速した。
顔立ちのあどけなさに反して、開けば悪態が湯水の如く溢れる口の悪さと、受け入れた人物意外にはとにかく噛み付く狂犬のような性格が相まって他人からはとことん避けられていた。
あの頃の亜梨沙とまともに会話ができたのは俺くらいのものだろう。
思い返せばいとも簡単に浮かんでくる亜梨沙との生活。今の彼女が出来上がるまでの経緯。二人で作ってきた思い出の数々。
見た目こそ最後に見た亜梨沙の姿とは似ても似つかないが、性格はあの頃の彼女そのものだ。
「何だよ、じろじろ見やがって」
「ああ、悪い。やっぱり亜梨沙なんだなと思ってな」
「何だそれ。まあ、見た目は結構変わったかもな」
「そうだな、最初誰か分からなかった」
「それはひでえな。別れたとはいえ、好きになった相手の顔くらい覚えといてくれよ」
「キャラも見た目も変わりすぎなんだよ」
「このキャラは灯のせいじゃね?」
「確かに」
物静かだった亜梨沙を変えたのは俺だ。
中学時代、クラスの中心にいた俺は、誰とでも分け隔てなく接するような、所謂陽キャだった。今の武道みたいな。
その中で亜梨沙に話しかけるようになり、俺と話すことを嫌悪していた亜梨沙も、次第に俺に心を開いてくれるようになった。
「懐かしいよな。私、もっと地味なやつだったのに、灯のせいでこんなに口も悪くなってさ」
「それはお前が勝手に真似ただけだろ」
「そうだっけ?」
「俺のせいにされたくないからそこは訂正するぞ」
休みの日や放課後も一緒に遊ぶようになってから、亜梨沙は自分を変えたいと言い出し、俺の言葉遣いを真似るようになった。
そのせいで、元は大人しい女の子だったとは思えない口の悪さになってしまったが。
「あの頃は楽しかったなー。何も知らない私を連れ回してさ、よくゲーセンとか公園とか行ったよな」
「だな。ラーメンも牛丼も食べたことない奴初めて見たわ」
「仕方ないだろ。私外食とかほとんどしたことなかったし」
「さすが箱入り娘」
「キレるぞ。その呼び方やめろ」
両親の離婚によりシングルマザーである母親に育てられた亜梨沙は、外の世界のことをほとんど知らなかった。
そんな彼女を連れ回し、ありとあらゆる遊びや食べ物を教えていた。
あの頃はどこに行っても新鮮な反応をする亜梨沙を見ているのが楽しくて、嬉しくて、亜梨沙と一緒に過ごすのが当たり前になっていた。
「聖女、合格してたんだな。その見た目と口調からは考えられねえ」
「頭の良さにそれは関係ないだろ。ま、勉強は灯が教えてくれたからな。灯も常陽合格してるし」
「俺は落ちる気しなかったしな」
「ムカつく。ギリギリで合格した私への当て付けか?」
頭は良かったものの、勉強の効率が悪くイマイチ成績が伸び悩んでいた亜梨沙に、昼休みや放課後を使ってよく勉強を教えていた。今の汐留みたいに。
飲み込みは早いが全てを覚えようとする亜梨沙をよく叱っては逆ギレされていた。今となっては笑い話だ。
「でさ、なんで私のこと嫌いになったの?」
突如、真剣な表情でそんなことを言う亜梨沙。
かちりと時間が止まったように動かなくなる体。どういうことだ?
俺の記憶にそんな過去はない。作り物の記憶にも存在しない過去だ。
俺は、ずっと亜梨沙のことが好きだったんだから。
「俺が、亜梨沙を嫌いに?」
「何? 覚えてないの?」
「お前がフったんだろ? あの日の約束すっぽかして」
「は? 何言ってんの?」
「いや、それは俺のセリフ……」
話が噛み合わない。
受験の当日、俺たちは進学先が別だったこともあり、それぞれの受験が終わった後にいつも遊んでいた公園で待ち合わせをしていた。
試験が終わり、亜梨沙を茶化してやろうと意気揚々と公園に向かった。
しかし、待てど暮らせど亜梨沙が現れることは無かった。
スマホなんて持っていなかった俺たちは、互いに連絡を取ることも出来なかった。
受験後は自由登校だったため、学校に行くのも怖くなった俺は、彼女に会うことを避けるために学校にも顔を出さなかった。
結局卒業式の日に顔を合わせても、どうして来なかったのか聞くのが怖くて、目も合わせないまま卒業した。
その後、高校に入学して間もなく、紗衣から亜梨沙に新しい彼氏が出来たと聞かされた。
「私、ずっと待ってたんだよ。それなのに、真っ暗になっても、先生たちが帰っても、灯は来てくれなかった。私のことが嫌いになったんだと思ってた。学校にも来なかったし。だから、卒業式の日も話しかけるのが怖かった」
「待て……先生? お前、どこに居たんだ?」
「学校だろ? 校門前で待っててって手紙がポストに入ってたから」
「なんだよそれ。待ち合わせは公園だっただろ」
「え、どういうこと?」
待ち合わせ場所の変更なんてしていない。していないはずだ。
どうなってんだ。俺の記憶がおかしいのか? これも作り物の記憶のせいなのか?
「二人とも落ち着こうか」
会話が噛み合っていない俺たちを見かねて、涼介さんが口を挟む。
ややヒートアップしていた俺たちは、前のめりになっていた体を背もたれに移す。
気付けば隣では三雲が不安そうに眉根を寄せていた。
涼介さんは俺たちが落ち着いたのを確認して、こくりと頷く。
「柊木君は公園で待っていた。間違いないか?」
「あ、ああ。受験の前日にそう約束したから……」
「でも、亜梨沙は中学校の校門前で待っていた。それはポストに手紙が入っていたから」
「うん。あれは灯の字だったし、連絡手段も無かったから、私は言われるがまま校門に向かった」
「なるほど。そこで食い違いが発生してるんだな」
「ど、どういうことなんですかね?」
三雲も話についていけない様子で困惑している。俺と亜梨沙だってそうだ。どうしてこうなっているのか、全く分からない。
俺は亜梨沙にフラれたんじゃないのか? 過去が改変されたとでも? んなSFみたいな話があるかよ。
だが、この世界が作られたものなら、俺の記憶だって真実とは限らない。頭がおかしくなりそうだ。
「そうだな……。この話から考えられるのは、柊木君と亜梨沙との関係をよく思わない悪意ある第三者の介入、かな」
「第三者?」
そう反芻すると、涼介さんは静かに頷く。
「柊木君に対して恨みを持った人物か、亜梨沙に恨みを持った人物か、はたまたその両方か。いずれにせよ、互いが互いを待っていたということは、柊木君も亜梨沙も相手を嫌って約束の場所に行かなかったわけじゃないんだ。だったら、その可能性が高いんじゃないか?」
第三者の介入。そんな嫌がらせで俺たちの関係は終わったのか?
一体そんなことしやがったクソ野郎はどこのどいつだ?
いや、余計なことを考えるのはよそう。
そもそも、筆跡まで真似るなんてことが出来るはずがない。涼介さんの言うことが正しいわけじゃないんだ。
ただ、少なくともわかったことがある。
俺は、亜梨沙に嫌われたわけじゃなかった。その事実だけで、少しは救われた気がする。
結局一時間ほどの間、その第三者について考えたものの、その人物像は浮かばなかった。
そして三雲が「一時間くらいなら」と言っていたことを気遣ってか、涼介さんの提案で今日は一旦解散することになった。
「灯、連絡先教えて」
「涼介さんが知ってるからいいだろ」
「私に教えたくねえの?」
「いやそういうわけじゃないんだけど……」
亜梨沙に嫌われたわけではなかったと知って、少しだけ気まずい。安堵と嬉しさがある反面、今の俺には彼女の気持ちには答えられないという罪悪感が頭の中を渦巻いている。
まあ、亜梨沙には新しく彼氏が出来たらしいし、もう俺と寄りを戻すことはないだろう。俺は亜梨沙と連絡先を交換することにした。
「同じ中学から進学してきた奴も居るだろうけど、今日私と会ったことは内緒な」
「言われなくてもそのつもりだ」
もしも涼介さんの言うように第三者の悪意ある介入があったとしたら、今度は直接的に亜梨沙や俺が嫌がらせを受ける可能性だってある。それだけは避けたい。
「じゃあ、また連絡する」
「ああ。今日は……その」
「ありがとう」
俺が言おうとしていた言葉を亜梨沙が口にする。
「ずっと会いたかったんだけど、灯に嫌われてるんじゃないかって思うと怖くて……。でも、会えてよかった」
それは俺のセリフだ。
俺だってずっと会いたかった。初めて本気で好きになった人。初めてできた彼女。
頭の片隅には常に彼女との思い出がこびり付いていた。どんな驚きも喜びも、絶望感さえ彼女との思い出を消すには足りなかった。
「俺も会えてよかった。またな」
「うん、また」
亜梨沙と涼介さんを見送り、冷たい風に身を震わせる。
秋の夕暮れは少し寒い。気分的に少し沈んでいるせいでもあるだろうけど。
隣に立つ三雲は、亜梨沙たちの姿が見えなくなるまでじっと遠くを見ていた。
今日は三雲と文化祭を楽しむはずだったのに、蓋を開ければ三雲と二人きりの時間はほとんどなかった。
気を悪くさせただろうか。三雲には申し訳ないことをした。
「三雲、今日は……」
「まだ終わってませんよ」
三雲は踵を返して俺の手を握った。
「文化祭は……いえ、私の時間はここからです」
「ここからって言ってもな……」
日が傾きかけているこの時間では、ステージイベントは勿論、出店や出し物もほとんど終了している頃だ。
今更見て回る場所なんて……。
「先輩、そろそろ時間です。行きましょう!」
「時間?」
いつも通りに俺を振り回す三雲に少しだけ安心感を覚える。
が、同時に彼女の言葉に首を傾げる。時間とはなんのことだろうか。閉会式まではまだ時間があるはずだ。
俺の疑問に答えるように、三雲はグラウンドを指さした。
「キャンプファイヤーですよ! 文化祭の最後のメインイベントです!」
「ああ、そういやそんなのあったな」
文化祭を締め括るメインイベント、キャンプファイヤー。
去年は生徒会として見回りをしていたため、そんなものの存在はすっかり忘れていた。
「そのために今日にしてもらったんです! ほら、いざグラウンド!」
ああ、なるほど。だから日曜に拘っていたわけか。
俺は三雲に手を引かれ、グラウンドへと向かった。
その足取りは軽やかだったが、三雲の手は少しだけ震えていた。




