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第二十七話 モブ、死す。

「なんか妙に視線を感じるんですけど」


 俺と鮮華先輩はグラウンドの端に設けられた特設ベンチで昼食を摂っていた。

 三年生の出店からいくつか見繕い、机に広げている。

 学生の出店にしては味も悪くない。明には及ばないけど。何でも明の料理と比べてしまうとは、俺は割とシスコン気質なのかもしれない。

 鮮花先輩は焼きそばを飲み込むと、水を一口飲んで周囲を確認する。


「目立つからだろうね」

「鮮華先輩、人気そうですもんね」

「僕じゃなくて」


 俺? 俺なんてモブ顔だしモブモブしいことしかしてないから目立つ要素なんて……あ。


「その格好なら目立つよ」

「確かに……」


 演劇が終わってすぐに出てきたせいで、俺はアラビアンナイトな格好のままだった。なんかよくわからんコスプレイヤーがあの生徒会長とご飯食べてるんだもんな。そりゃ目立つわ。


「味、感じなくなってきたんですけど」

「周りの目なんて気にしないのが一番だよ。なんなら食べさせてあげようか?」

「それは悪目立ちするのでやめておきます」

「そっか。それは少し寂しいね」


 鮮華先輩はその美貌ゆえ、学校中……特に同学年の男子生徒から人気がある。いや、男女問わずか。

 女子生徒から告白されたって話も聞いたことがある。女学園ですか?

 百合展開は悪くないと思います。


 その鮮花先輩が特定の男子と二人きりで食事というだけでも珍しいのに、相手が妙なコスプレイヤーとなればその観衆の興味は計り知れない。


「どちらにせよ、そろそろ移動の時間じゃないかな?」

「あー、ですね。先輩のせいで」

「そう邪険にしないでほしいな。僕の愛しの灯君は、僕と一緒に居ても釣り合う男なんだと見せてあげたかったんだ」

「まあ、今はどう見ても不釣り合いですしね」


 誰だあいつ、あの美人な生徒会長と一緒にいるなんておこがましい奴め、みたいな視線が痛いくらいだし。


「僕は釣り合いなんて気にしないし、僕が一方的に灯君を好きなだけなんだけどね。周りはそんなことを知りもせずに、勝手な憶測を立てるものさ」

「面倒臭いですね」

「そうだね。高校生の交際のほとんどは恋人のスペックをステータスにしたい不埒な関係だからね」


 なにそれこわい。そこに愛はあるんか?


「もちろん僕は、灯君のことをよく知った上で心の底から好きだから一緒にしないでほしいけどね」

「よくそんな恥ずかしいことを普通に言えますね」

「ふふ、これでも一緒にいるだけで心臓が飛び出そうだよ。少しずつでいいから僕のことを好きになってもらうために頑張っているんだ」


 愛もローン化できる時代かぁ。どうする? ア〇フル!

 なんて、恥じらいを隠すために馬鹿なことを考える。鮮花先輩はどうしてここまで俺に固執するのだろうか。


 人の愛にはそこに至る原因や重要な分岐点が存在する。

 それは直観的な一目惚れだったり、吊り橋効果のように窮地を救われたり、学校や職場での時間を共にして、ゆっくりと愛が芽生えることもあるだろう。

 それこそ、ストーリーという名の運命で決まっていたことなのかもしれない。


 しかし、彼女は自分の愛情を本物だと言った。

 俺のことが好きだと、俺への愛情は本物だと言ったんだ。

 そのきっかけはどこにあったのだろうか。


 元からそうなるようにプログラムされていたと切り捨ててしまえばそれまでだ。

 ただ、淡い期待に縋るような、触れると壊れてしまいそうな脆く弱い笑顔を見ていると、心が苦しくなる。


 悩み抜いた末に「考えておきます」とだけ返して、俺たちは体育館に移動した。




 第一体育館には既に多くの人が集まっていた。

 鮮華先輩は客席から俺の勇姿を見ておくとのことで、俺だけが着替えのためにステージ裏へと移動した。


「遅いよー、もう皆着替えてるよ」

「お兄ちゃん、ずっとその格好で過ごしてたの? なんか恥ずかしいんだけど」


 そこには何やら大量の袋を抱えた紗衣と明が待ち構えていた。どんだけ気合い入ってんだよ。


「灯の出番までは時間があるから、いくつか衣装合わせするね。ほら、そこ立って」

「紗衣ちゃん、髪のセットの前に服決めないと髪型崩れちゃうよ」


 なんか楽しそうですね。着せ替え人形で遊ぶ子供みたいだ。モブになりたいとは願ったが、人間扱いすらされないのは聞いてない。


 五着ほど試着した結果、俺の服装は黒のシャツに白のタキシードを合わせたフォーマルな格好に決まった。なんでだよ! 結婚式じゃねえんだぞ!

 続いて髪型のセット。そして、メイク……?


「いや、なんでメイク道具?」

「お兄ちゃん顔色悪いから、少しでも誤魔化さないと」

「余計なお世話じゃ」

「いいから動かないで!」

「あ、はい」


 なんか怖いよこの子たち。目がガチだよ。真剣と書いてガチって読みそうな気迫だよ。気迫に圧されて俺はガチガチ。


 俺のメイクアップが終わったのは、俺の前の出番の人がステージへ出て行った後のことだった。


「なんとか間に合ったね」

「あとは腕時計とチーフも合わせて」

「すごいね。一瞬誰かわからなかったよ」


 そう声をかけてきたのは、出番を終えた武道だった。

 武道はティーシャツにジャケット、デニムパンツという至って普通のカジュアルな格好だった。なにそれ俺もそれがいい。

 だが、それが似合うのは武道の身長と顔があってこそだろう。普通の格好でもそれだけでかっこいいんだ。これだからイケメンは……。


「客席が盛り上がってたのはお前が原因か」

「ありがたいことだけど、柊木君には負けちゃいそうだね」

「なわけないだろ。こんなん出てきたら冷めるわ」

「鏡見たかい?」

「俺はここから動くなって言われてるからな。見てない」

「じゃあ、楽しみにしておくといいよ」


 武道はどことなく楽しそうで意地悪な笑顔を見せる。

 さらに噛み付こうとしたが、俺の出番が来てしまった。


「じゃあ行ってくる」

「お兄ちゃん、これ持って」


 明に差し出されたのは赤い薔薇の花束。本数的には……ひぃふぅみぃ……十一本か。中途半端だな。

 そんなことよりも、だ。


「ちょっと待て、こんなもん持って行けるか。つか何で持ってきてんだよ」

「似合うかと思って。造花だけどね」


 造花とか生花とか関係ないんだよなぁ。

 ともあれ、断固返品を拒否する明に花束を押し付けることも出来ず、俺は花束を抱えたまま壇上に上がった。


「ちゃんと決めゼリフ忘れないでね!」


 そんな紗衣の言葉を背後に浴びながら。



「続いてのエントリーは、二年五組の柊木……えっと、アカリ君! おおっと、これはこれは気合いの入ったタキシードでの登場だぁ!」


 おい司会。名前くらいちゃんと把握しとけ。

 ステージの中心に立つと、観客の顔がよく見える。そして何故か一番前にいる鮮華先輩。なんでそこに居るんですかねぇ。最後の方に入ってきたはずなんだけどなぁ。


 そして静まる体育館。そりゃそうなるわ。

 恥をかかないようにあいつらに頼んだのに、これじゃあ逆効果だ。薔薇よりも顔が赤くなりそうだ。

 だが、ここまで来てしまえばもう逃げ場はない。俺はモブらしく淡々とこなすだけだ。


「それでは柊木君、アピールタイム……どうぞ!」


 マイクを受け取り、改めて客席を見る。

 ざっと二百人近くは集まっているだろうか。女子生徒の比率が高めだが、中には父兄や先生たちの姿もちらほら。大人たちは俺の事をどんな気持ちで見てんだろうな。


 大きく深呼吸をして、折れそうな心を必死に繋ぎ止める。頑張れ俺! 演劇で覚えた演技を思い出せ!

 いやほんと心折れそう。まぢつらたん。あ、もう死語ですかそうですか。

 客席を一瞥して、再び鮮花先輩に視線を送る。何でビデオカメラ構えてんだ、あの人。あれ写真用じゃなくて動画用だろ。黒歴史を残して楽しいか?


 静まり返る会場の中、俺はもう一度大きく息を吸い、気合いを入れた。

 そして、予め決めていたセリフを吐き出した。さながら、物語の主人公のように。


「将来の花嫁に捧げる、一足早いプロポーズです」


 ここで片膝をつく。これも紗衣の指示だ。

 作者の思い通りにはなりたくない、主人公から脱却したいと願いながら、誰かの指示通りに吐き出す言葉。

 気分が悪くなりそうだ。俺はどこまで行っても主人公であり続けるのだと暗に受け入れてしまっている気分だ。

 だから俺は、紗衣の言いなりにはならないことにした。明の指示を無視することにした。


「俺と結婚してください。この俺が、一生貴女を幸せにします。忘れられない毎日を俺と一緒に築きましょう」


 決められたセリフを吐き切って、薔薇を少し前に向ける。この所作は今思いついた。

 俺は、誰かの思い通りにはなりたくない。俺の道は俺が決める。

 これは、そんな小さな抵抗心だ。


 俺の目線の先には非常口のマーク。俺はお前に言ってるんだ。結婚しよう、非常口のマーク。今すぐ逃げ出しそうな格好だな。


 俺のアピールタイムが終わり、会場は静けさに包まれる。

 ……何この沈黙。司会の人、しっかりしてもらっていいですか? 俺のアピールタイム、もう終わったんですけど。

 このセリフめちゃくちゃ恥ずかしいし、このポージングは今すぐにでも逃げ出したくなる。クラウチングスタートですよこれ。よーい、どん!

 とはならず、司会がゆっくりと近付いてくる。


「こ、これは驚きましたね」


 俺もびっくりだわ。なんだその感想。

 俺はいそいそと立ち上がってマイクを返す。


「客席の皆さん、固まってますけど大丈夫ですかー?」


 客席の前に俺の心配してほしいでーす! 救急車呼んでもらっていいですかー! メンタルが大事故起こして死にかけてまーす!


「そ、そうですねー。じゃあどなたかに感想伺ってみましょう!」


 この空気にいたたまれなくなったのか、司会が逃げに走る。やめろ、知らん奴を巻き込むな。


「あ、生徒会長! 会長のご意見を伺ってみましょう!」


 やめろ! 知ってる奴を巻き込むな!

 そんな心の叫びは届かず、客席に控えていたスタッフによって、マイクは鮮華先輩の元へと届けられる。


「会長、柊木君のアピールは如何でしたか?」


 鮮華先輩は俺と目線を合わせたまま呆然としている。鮮華先輩までドン引きしたら俺は泣くしかないぞ。あんたが出ろって言ったんだからな。せ、責任取ってよねっ!

 マイクを握ったまま固まる鮮花先輩の様子に困惑する司会者は、キョロキョロと視線を忙しなく動かす。


「か、会長?」

「あ、うん、ごめんね」


 司会の呼び掛けに答えた鮮華先輩は、ようやくマイクを口元に近付ける。

 頼むぞ、なんか適当なことを言って流してくれ。なんなら自分の責任だと言ってくれてもいいんだぞ。


「その相手には僕が立候補してもいいのかな?」


 何言ってんだこの人。

 と思ったが、プロポーズというアピールを誤魔化すには良い手なのかもしれない。さすが鮮華先輩! テノヒラクルー。


「か、会長からのアピールも入りました! 柊木君、答えは!?」


 この司会、勝手に盛り上がってんな。これが茶番だと気づいてないのか?

 まあ、俺も流れに合わせよう。


「会長のような綺麗な人なら、是非こちらからお願いしたいくらいですよ。立候補と言わず、確約しては如何ですか?」


 キャー!と盛り上がる会場。ようやく湧いてくれて助かった。咄嗟に思いついたにしては良い答えだったと俺を褒め讃えたい。


「え、えっと、その……。じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 鮮華先輩の狼狽える演技も完璧だ。これで万事解決だな。

 ……あれ? なんか変な方向に進んでませんか?

 これ、傍から見れば大勢の前での公開恋人宣言じゃないです? おかしくないです? その盛り上がりやめてもらっていいですか?


「素敵なアピールでした……。私も彼氏がほしくなっちゃいます……」


 司会さん? まるで付き合ったみたいなのやめてくれません?

 待て、待ってください! なんか思ってたのと違う! おめでとうじゃねえんだよ! すてきーじゃねえんだよ! 鮮花先輩も普通に照れてんじゃねえ!

 これやばいって、まずいって!


「柊木君、ありがとうございました!」


 何もありがたくないが?

 ちょっとこれは鮮華先輩と今すぐに話をしなきゃならない。俺の出番は終わったんだ。もうここに居る必要もないだろ。

 俺はステージ裏ではなく、そのまま客席に降りて鮮華先輩の元へ向かう。


「鮮華先輩、ちょっと話が」

「え、灯君?」


 俺は鮮華先輩の手を引いてそのまま体育館から逃げた。

 そして気付いた。これ、恋人になって二人きりの時間を過ごすために鮮華先輩を連れ出したように見えるな、と。

 会場の歓声と共に俺のモブ人生が崩れる音が聞こえた。




「終わった、何もかも」


 出来るだけ人目を避けて辿り着いた先は生徒会室。ここなら人は来ないだろう。

 そこで項垂れる俺と、優しい目を向ける鮮華先輩。


「僕としてはとても良い舞台だと思ったんだけどね」

「俺はモブとして生きられなくなりました。これは死と同義ですよ」


 モブとして死んだだけじゃない。一部では俺は後輩と付き合っていると思ってる奴もいる。完全に二股野郎だ。


「僕と付き合うのは嫌だった?」

「嫌じゃないんですけど、そうじゃなくてですね」

「灯君なら『立候補は自由なんで』とか言って流すと思っていたんだ。まさかあそこまで積極的に返してくるとは思わなくて……ごめんね」

「あ、いや、鮮華先輩のせいじゃないですよ」


 申し訳なさそうに顔を伏せる鮮花先輩に思わず謝る。

 実際、俺にも悪いところがある。盛り上げるためとは言え、あんなこと言っちまったのが原因なんだから。


「灯君に『確約しては?』なんて言われたら、僕としてはそうしたいと言いたくなってしまって」

「気にしないでください。ほんと、無かったことになりませんかね」

「無理だろうね」


「僕としてもそれは悲しいな」と俯く先輩。やめて、これ以上俺のメンタルを傷付けないで。なんであんなこと言っちまったかなぁ。


「会場が冷めてたんで、少しでも盛り上げようとしたのが間違いでしたかね」

「冷めていたわけじゃないと思うよ」

「……違うんですか?」


 静まり返った会場の空気が脳裏にチラつく。あれを冷めていたと表現せずどう言い表すと言うのか。

 鮮花先輩は薄く笑顔を浮かべて頷いた。


「僕もそうだけど、灯君がかっこよくて見惚れていたんだと思う」

「それ先輩だけですよ」


 鮮華先輩はふうっと小さくため息をつく。

 その態度に難色を示すと、彼女はさらに呆れたようにやれやれと首を振る。


「鏡は見たかい?」

「武道も同じこと言ってましたけど、見てないですね」

「そこで見ておいで」


 俺は鮮花先輩が指さす先──生徒会室にあるスタンドミラーで自身の格好を確認する。

 が、そこに居たのは俺じゃなかった。

 顔はまんま俺なんだが、雰囲気がまるで俺じゃない。薄黒い髪はワックスで綺麗に整えられ、白いタキシードとの色彩でより際立っている。元の体格は悪くないおかげで立ち姿は様になっているし、化粧のせいか血色も良い。

 そう、俗に言うイケメンがそこに居た。


「誰ですかこいつ」


 鏡に指をさす俺がおかしかったのか、鮮花先輩がくすくすと笑う。


「灯君だよ」

「俺、こんな奴知らないです」

「皆が見ていたのはその灯君だよ。わかったかな、君がどれほどかっこいいアピールをしたのか」

「これは確かに……冷めると言うよりは驚愕ですね」


 この見た目であのセリフなら、人目を引くには充分だ。もちろん良い意味で。俺としてはバッドニュースだが。

 武道はこうなることを予期していたのだろう。今の俺なら、会場の注目を独り占めすると。そう考えた上で黙っていたんだ。タチの悪いやつだ。


 この姿を見ては、あの場の空気が悪い意味での沈黙ではなかったのだと受け入れざるを得ない。不本意ではあるが、鮮花先輩の言うことが正しいのだろう。

 当の先輩は、スカートの裾をきゅっと握って、ちらりとこちらに目を向けていた。鮮花先輩らしからぬ女の子らしい態度に思わずどきりとする。


「灯君、あの言葉はアピールのひとつと受け取った方がいいんだね」

「ですね。俺はこの世界を信じてないので。あれで盛り上がるのも、なんなら俺が勘違いしてあんなセリフを吐いたのも、創作の一環だと思ってます」

「……そっか」


 絞り出すような鮮華先輩の声。

 先輩はぎゅっと手を握り込んで、眉根を寄せている。いつもの堂々とした姿は無く、とても弱々しい。

 痛々しさすら感じる彼女の仕草に、俺はどうしたものかと頭を搔いた。


「でも、鮮華先輩の気持ちだけは……その、本物だって信じたいと思います」

「灯君……」


 彼女を見ていると、胸がチクリと傷んだ。今のセリフは、その痛みを和らげるための言葉に過ぎない。

 俺を好きでいてくれる鮮華先輩にとっては、あの会話はきっと嬉しかったんだと思う。


 だから、あれが全て嘘だと言ってしまうと、それは鮮華先輩の気持ちさえ踏みにじることになる。その気持ちを本物だと言ってくれた鮮華先輩の言葉さえ。

 それはあまりに残酷過ぎる。俺が信じていないからと、人の気持ちを偽りだと断言していい理由にはならない。

 俺にとっては物語上に綴られた一コマだとしても、彼女にとっては本心なのだから。


「灯君は優しいね」

「そんなんじゃないですよ」

「わかっているさ。僕を気遣ってくれたんだよね。でも、そうして気遣ってくれるのも優しさだよ」


 俺の真意まで見抜いた上で「ありがとう」と告げる鮮華先輩。ほんと、この人には敵わないな。


「でも、ちょっとだけ」


 突然のことだった。

 ふわりと揺れる黒髪。ほのかに漂うフローラルな香り。体に直接伝わる柔らかい感触。

 鮮華先輩がすぐ目の前にいた。俺の肩にそっと顔を置くように、俺の背中に手を回している先輩。


「あ、あの、これは?」

「あのやり取りが嘘だったとしてもいい。灯君が僕のことを好きじゃなくてもいい。だから、ほんの少しだけ、こうして恋人のようにしていたいんだ。ダメ……かな」

「えっと……ダメ、じゃないです」


 ダメじゃないんだけど、これは刺激が強すぎる。

 鮮華先輩はスタイルがいいんだ。その、柔らかいものが当たっていて辛いんだ。

 何より、鮮華先輩の鼓動が俺にまで伝わってくる。顔が近いせいでその熱も顔を通じて俺に伝わる。その温かさが、俺の胸の鼓動も早めていく。


 この温もりでさえ嘘だなんて、本当は信じたくない。

 その事実を知らなければ、俺はきっと先輩の気持ちを受け入れて、俺も彼女を好きになっていたんだろう。

 そんなたられば、いくら考えたところで意味は無いんだろうけど。


 だから、俺は彼女の震える体を抱きしめることが出来なかった。

 彼女の気持ちを受け入れられない俺に、彼女を支えてあげる権利はない。

 それは俺の自己満足で、彼女のためにはならないから。


「ごめん。気持ちに応えられなくて」

「ううん。いいんだ。いつか、この想いが伝わってくれたら」


 俺には謝ることしか出来ない。

 彼女の気持ちを受け入れられないこと。彼女の勇気に応えられないこと。俺がこの世界を、この世界の人々を否定してしまうこと。

 謝ることはたくさんある。罪悪感ばかりが募る。


 肩が湿気を帯びていく。鮮花先輩は声を殺して泣いている。

 彼女の背中に伸ばしそうになる手を握りしめた。

 それは優しさじゃない。俺のわがままだ。自分勝手な行為は人を傷つける。それは俺もよく知っていることだ。


 俺はどうしたらいいんだろう。フィクションの世界だとしてもそれを受け入れて、好意に応えるべきなのだろうか。

 作り物だとわかっていて、そこに意味は無いとわかっていて、感情はないと知っていて、そんなことが出来るのだろうか。

 少なくとも、今の俺にはできない。


 五分ほど経って、鮮華先輩はゆっくりと俺から離れた。目元は赤くなっていたが、もう泣いてはいなかった。


「ごめんね、灯君。君を困らせると知っていても、止められなかった」

「いえ、気にしないでください。俺が受け入れられないのが悪いんですから」


 鮮華先輩の顔を見ることが出来ずにいると、先輩は俺の頬に手を触れた。

 温かい。しっとりとしていて、心地よい。


「この手の温かさも作り物だと思う?」

「思いたくはありませんよ。ただ、知ってしまったら、もう……」

「そう、だよね」


 鮮華先輩は俺から手を離すと、ソファーに腰を下ろした。どこか儚げで、吹けば飛んで行ってしまいそうなほど弱々しい。

 こんな鮮華先輩は、あんま見たくないなぁ。


 俺は手に持っていた薔薇の花束に視線を落とし、鮮花先輩に差し出した。

 この行為が自己満足だとわかっていても、少しでも彼女のためになればと思った。

 いや、こうすることで彼女は多少なりとも喜んでくれると知っていた。鮮花先輩の辛そうな顔を見たくなかった。

 そんな俺のわがままだ。


「先輩、これ、よかったら貰ってください」

「僕に? どうして」

「なんかその、深い意味は無いんですけど……日頃のお礼と言いますか。先輩にはメンタル面で助けられたこともあるんで」


 あくまでお礼だと言い聞かせる。彼女に、ではなく自分自身に。

 鮮花先輩はきっと、俺の弱さに気づいている。それでも彼女は、花束を受け取ってくれた。

 胸に抱えた薔薇を見て、くすりと微笑む鮮華先輩。


「灯君、薔薇の本数にそれぞれ意味があるのは知ってる?」

「いえ。花とかそんな詳しくないんで」

「そっか」


 鮮華先輩は薔薇を優しく抱きしめて、再び笑顔をこぼす。造花だが、喜んでくれたならそれでいい。

 鮮華先輩が笑ってくれるなら、それでいいんだ。

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