第二十一話 誤解は早めに解いておけ
沈黙。そして沈黙。
かれこれ十数分。いや、それどころか学校からの帰路まで含めるとそれ以上になるだろうか。
気まずさと居心地の悪さが充満する空間で、俺と紗衣は何をするでもなく並んでベッドに腰かけていた。
机の上に置かれた演劇用の台本も開かれることは無く、その役割を果たせないまま。
紗衣は機嫌が悪そうというよりは、どこか虚ろな目で放心したような状態だった。
原因は恐らく、昼休みのあれだ。
教室内に投下された爆弾発言。間違いない。
あれは俺のクラスで起こったことだ。つまり、確認はしていなかったが、クラスメイトである紗衣、桐崎、汐留らヒロイン候補たちもあの場に居た可能性がある。
助けられたとか浮かれていたが、全くもって助かっていなかったということだろう。むしろ、モブ女子生徒だけでなくヒロイン候補たちにまで三雲は目をつけられたことになる。
幸い、紗衣以外の二人はそこまで関係が進んでいるわけじゃない。紗衣だってただの幼馴染から抜け出してはいないはずだ。
それでも、幼馴染が居ながら他の女子生徒、しかも当人とは全く交流のない謎の後輩が彼女になっていたとなれば、幼馴染としては気まずさがあるのだろう。
もしも俺が紗衣の立場で、紗衣に彼氏が出来たとなれば、こうして相手の家で二人きりになるようなことは避けたい。
なんとも言えない居心地の悪さに時計を仰ぎ見ていると、沈黙を破るノックが鳴った。
「お兄ちゃん、入るよ?」
「おう」
確認の上、明が顔を覗かせる。救世主の登場だ。本当にいたたまれない空気だったし、ナイスタイミングだと言わざるを得ない。
明の手にはトレイと二つのグラス、それにお茶請けが小皿に添えてある。
「全然声が聞こえてこなかったけど大丈夫? 何かあった?」
「だ、大丈夫だよ! ちょっと休憩してただけ。学校で練習しすぎちゃって」
紗衣はそう言ってわざとらしく頭を掻く。
明は紗衣が誤魔化していることに気付いたようだが、深く詮索するつもりはないらしい。
グラスを机に並べながら、「無理しちゃダメだよ」と眉を顰めて笑った。ちゃんとコースターも用意しているのは我が妹ながら配慮があると関心する。
ただ、俺と紗衣に妙な距離感があるせいか、はたまた俺にあらぬ疑いをかけているのか、「お兄ちゃん、休憩がてらちょっと手伝って」と部屋から出るように促した。
当然、この場に残るよりはマシだし、誤解されているなら解いておきたい俺は、承諾して明と共にリビングへ向かった。
トレイを所定の位置に片付け、ダイニングの椅子に腰をかけた明は「それで」と話を切り出す。
「何があったの?」
何かしたの?じゃないだけ良心的というか、紗衣が家に来るようになってから少しばかり明も丸くなったような気がする。
ただ、事情については話しても解決する問題じゃない気がするし、紗衣が俺の事を気にかけているという自意識過剰な面がある気がしないでもないため話しにくい。
「いや、特には……」
「何も無いのにあの状況はないでしょ? いいから話してよ。お兄ちゃんが何言っても別に気にしないから」
「うーん……」
話していいものなのか。話すとしてもどこから話したらいいんだよ。
でも、明がこうして気にかけてくれようとしているのを無下にするのも気が引ける。
「この前うちに来た女の子覚えてるか?」
明は唸りながら斜め上を見上げ、あっと声を上げる。
「思い出した、ちょっと日焼けした子だよね。下着の子」
「覚え方よ。まあ間違ってないし、いいんだけど」
かくかくしかじかと今日の学校での出来事を時系列に沿って話した。
三雲が部活の後輩であること。彼女と共に部活を辞めたこと。クラスで孤立していた三雲を助けるために彼氏のフリをしたこと。そして今日、俺を助けるために彼女のフリをしてくれたこと。
明は適度に相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
俺の感情や考えは抜きにして、ただあったことだけを話し終えると、明は「なるほどね」と立ち上がった。
「それは確かに少し気まずいかも」
「だよなぁ」
「でも、それは学校で起こったことが原因じゃなくて……元々はそれが原因ではあるんだけど、お兄ちゃんがきちんと紗衣ちゃんに教えてあげないのが悪いと思う」
「いや、どう説明すんだよ」
「今私にしてくれたように説明したらいいんだよ。その子とは事情があって付き合ってることになってて、その子もお兄ちゃんを助けるために付き合ってるなんて嘘をついてくれただけだって。その子とはそれだけ……って言うとちょっと悪いよね、助け合いの関係だから、紗衣ちゃんは気負わずにうちにいてくれていいよって教えてあげなよ」
「そう、だなぁ」
それだけ、と言うと確かに語弊がある。
昼休みに一緒にご飯食べて、さらには食べさせてもらって、間接キ……いや、変に意識するな。あの意地悪な笑顔を思い出すな。そう、作り物! あれは作り物だ! ギャルゲーのイベントの一枚絵みたいなもんだ!
よし、そう考えると確かに俺たちは何も無かったような気がしてくる。紗衣は今まで何度もうちに遊びに来てたんだ。それを今更、変に気を遣わせる必要は無い。
「わかった。ちゃんと紗衣と話してくるよ」
「うん。私はご飯でも作りながら待ってるから。出来たら呼びに行くね」
「おう、ありがとな」
我が妹ながら出来た妹だ。ダメな兄を持つと妹はしっかりするんだな。俺は彼女に助け舟を出してもらってばかりで、どちらが歳上かわかりゃしないけど。
キッチンに立つ明を横目に、俺も部屋に戻ろうと立ち上がる。
「……お礼だよ」
ぼそりと呟く声が耳に届き、ドアノブに掛けた手を止める。
「お礼?」
「この前のお礼」
明はそっぽを向いたまま答える。
明が言っているのは、紗衣にまたうちに来るように言ったことに関してだろう。
しかし、俺は彼女に感謝されるほどのことはしていない。
明は少し気難しい性格ではある。しかし、紗衣のことは昔から関係があるおかげか、紗衣が明をよく気にかけてくれるおかげか、明は紗衣のことを慕っているようだから、俺としても二人が仲良くしてくれると少し嬉しい。
ただ、それだけだ。
「兄弟で礼だなんだ考える必要ないだろ。妹はお兄ちゃんに甘えてりゃいいんだよ」
「えー、こんなことで躓いてるお兄ちゃんに甘えるのはなぁ」
「悪かったな、頼りなくて」
明は楽しそうにクスクスと笑う。
こうして二人きりの時でも笑うようになってくれたのは、間違いなく紗衣が来てくれるようになったおかげだ。
だから紗衣には気兼ねなくうちに来てもらわなきゃならない。
シスコンじゃないぞ。もう明に足蹴にされるのはごめんなだけだ。
「じゃ、戻るわ」
「ん。わかった」
「ちょっとその前にトイレ」
「そういうところはきもいと思う」
うるせえな、尿意は生理現象なんだよ仕方ないだろ! トイレ行かないのはアイドルだけなんだぞ! 多分裏でめっちゃ行ってると思うけど。
用を足して部屋に戻ると、紗衣はソワソワしながら明が用意したお茶を飲んでいた。
茶菓子を睨みつけて、伸ばそうとしては、手を引っ込めている。
「それも食べていいぞ」
紗衣の体がビクッと跳ねる。どうやら俺が戻ったことにも気づかないほど、茶菓子に熱中していたらしい。
「紗衣が好きなやつだろ。たぶん、明も知ってて用意したんだろうし」
「う、うん」
紗衣の反応はやはりぎこちない。俺もどうしたものかと小さく息を吐く。
それでも茶菓子は食べるらしく、彼女はかりんとうを頬張った。食いしん坊め。
「ちょっと話があるんだが」
「な、なに?」
改まって話を切り出したせいか、彼女に再び緊張の色が見えた。
やめろよ、紗衣が緊張してるとこっちまで緊張してくる。緊張ってのは伝染病みたいなもんなんだよ。治療薬どこですか! 医療班はよ!
「紗衣、昼休み教室に居たよな?」
「うん」
「ってことは、あれ聞いてたよな」
「……うん」
あれ、と言うだけで簡単に伝わった。そして、紗衣の表情も見るからに暗くなる。やはりあれが原因で間違いなかったか。
こうして弊害が見えてくると、三雲のせいで問題が増えている気もする。
だが、三雲自身は俺を想ってああしてくれただけだし、実際に俺は助けられたんだ。だったらその尻拭いでも後始末でもやってやる。
「あの子、バスケ部の後輩で三雲燈って言うんだけどさ。俺、あいつと付き合ってるわけじゃないんだ」
こうして俺は明に説明した内容をなぞるように、そのまま紗衣にも事のあらましを話した。
最初は眉を顰めながら話を聞いていた紗衣は、話を聞き終える頃には笑みも見えて少し穏やかな表情になっていた。
「と、いうわけで、俺は三雲に助けられただけで、付き合ってるふりをしてるだけなんだよ」
「そうだったんだ」
どこか安堵したような、張り詰めていた気が抜けたような落ち着きのある声。
「よかった」
「よかった?」
「あ、えっと、もし灯に彼女が出来たら私がここに来るのは邪魔になっちゃうというか、彼女さんにも変に誤解させることになっちゃったら嫌だなーとか思ってて」
「いや、そんなことは無いから大丈夫。むしろ、明は紗衣が来てくれるようになってからよく笑うようになったんだ。俺としても、紗衣が遊びに来てくれる方が嬉しい」
「そっかぁ。そっかそっか」
嬉しそうに体を左右に揺らしながら笑う紗衣。よかった、なんとか誤解は解けたらしい。
ただ、俺の言ってることって下手すると二股男の言い訳に見えない? お前が一番だからさ、みたいなあれに似てない? そう思うと途端に不安になってきた。
「よし、灯! 今日も練習しよ!」
俺の不安も他所に紗衣は元気を取り戻し、台本を手に取る。
まあ、紗衣が喜んでくれたならそれでいいか。




