第十六話 少しだけ前向きに
「あのさぁ、帰ってくるなり玄関で寝るのはどうかと思うよ?」
「あのさぁ、意気消沈してる兄の頭を踏みつけるのはどうかと思うよ?」
鮮華先輩と武道の元から逃げ出した俺は、すぐさま家に帰り、そのまま玄関に倒れ込んだ。
そして、それを見つけた我が妹、明は俺の頭をぐりぐりと踏み躙りながらそんなことを言うんだ。
元よりこいつに心配されたいとも話を聞いてほしいとも思っちゃいないが、それにしても扱いが雑すぎやしませんかね? てか雑を通り越して嫌がらせじゃん、こんなの。
ああ、俺の脳内ツッコミにもキレがない。やる気が出ない。俺のやる気スイッチ、どこ?
「こんなところで構ってくださいオーラ出してるから構ってあげただけじゃん」
「出してねえからほっとけ」
「現役JKの生脚を堪能しててよく言うよね」
「してねえよ重いんだよ」
吐き捨てるようにそう言うと、明らかに過剰な体重がかかる。重い重いギブギブ!とタップするが、明は足を捻って更なる負荷をかける。
待ってそれほんと痛い! フローリングと踵に挟まれてスクラップにされちゃう!
バシバシと床を叩いていると、ふと痛みが和らいだ。
「返せたの?」
足を止めた明はそう尋ねた。
頭を踏まれ続けて脳が萎縮したせいか、一瞬何の話かわからなかったが、なんとか記憶を呼び起こす。そういや今日は明のせいで酷い目に遭ったんだ。
「ああ、返した」
「なんで置いてったの」
「あんなもん持ち歩けるか」
「家に連れ込んどいてよく言うよね」
「あれには事情が……」
俺の話には興味無いと言わんばかりに明はため息をついた。
話が長くなると悟ったのだろう。明はそのまま踵を返し、リビングへ向かおうとする。
「ちょっと待て」
「何?」
俺は体を起こして明を見上げる。
鋭い視線がこちらを見下している。お前如きがこの私に何の用だとでも言っているような目が。
「お前、なんであんな時間に常陽にいたんだ? あの時間じゃ学校に間に合わないだろ」
「行ってないから。わかってて言ってんでしょ」
薄々気付いてはいたが、やっぱりそうか。
「なんで学校に行ってねえんだ」
「行きたくないから」
「お前なぁ……母さんが心配すんぞ」
「あんたが言わなきゃいいだけでしょ」
「甘いな。休み続けりゃ学校側から親に報告されるぞ」
「休んでる理由は病気ってことにしてるし、親に心配かけたくないから何かあれば自宅に連絡してもらうようにしてる」
くっ……こいつ、なかなかやりおる。
どうやらサボりに関しては明の方が何枚も上手らしい。
他で勝ってるような言い方だな。甘いのは俺の方では?
全てにおいて明の方が優れていようと、俺が明の兄であることは変わらない。
生意気だろうと、兄を兄として見ていないとしても、妹の過ちは兄である俺が正してやらねば。
それがお兄ちゃんという生き物なんだ。
「その話を聞いて、はいそうですかって流すわけにはいかないな」
「あんたには関係ないでしょ。これ以上関わんないでよ」
「馬鹿言え。腐っても俺はお前の兄貴だぞ。関係ないわけないだろ」
「何それ、馬鹿じゃないの? きも」
「いやきもくはないだろ」
「自分で腐ってること自覚してんじゃん。きも」
「ああ、確かにそれはきもいわ」
モブになろうとするあまり、思考までマイナスになってたらしい。
俺、腐ってたの? いやいや、まだ賞味期限切れてるくらいだから。消費期限じゃないからセーフ。
妹を諭すどころか自分の弱さをひけらかしてしまった俺は、どうにか次の一手を探す。
が、どうやら脳みそは完全に腐ってしまっていたらしく、上手いフォローも妹の叱り方も出てきやしない。兄としての尊厳もあったもんじゃないな。
そんな俺を見かねて、明は再び大きくため息を漏らす。
「私、今のあんたをお兄ちゃんだって思ってないから」
「……今の?」
「うるさいきもい」
どこか引っかかる言い方に首を捻ったが、明はきもいきもいと好き放題言ってリビングへと姿を消してしまい、その真意は聞けなかった。
そういや、あいつさっきリビングから出てきたよな? わざわざ俺と会話しに来たの?
明なりに俺の事心配してるんだろうか。あの明が? お兄ちゃん嬉しくて泣いちゃうよ。
「ありえないんだけど、きも」と脳内の明が見下すせいで涙はすぐに引っ込んだ。
とはいえ、あいつが俺とスキンシップ(一方的に踏まれてこめかみを重点的に潰される拷問)を取るくらいだ。余程俺が凹んでるように見えたんだろうな。情けないったらない。
行き場のない感情を抱え、俺は部屋に戻った。
俺は、部屋の中で一人考え続けていた。
俺が進むべき道について。この物語が行き着くべき結末について。
そして、俺が望む選択について。
武道は、俺が皆の中心にあるべきだと言った。
鮮花先輩は、俺を想う気持ちは本物だと言った。
彼らの主張を否定するつもりはない。だけど、素直に受け入れることも出来ない。
この世界は作り物で、言葉も感情も誰かが用意したストーリーの一部でしかない。
だからこそ考えてしまう。それは本当に本物なのか、と。
俺がこの世界の理を知り、主人公から降りようとするまでの全てが創作者の手のひらの上だったとしたら。
武道も鮮花先輩も、俺でさえもその手のひらの上で踊らされていただけだとしたら。
全身の毛が逆立つほどおぞましい妄想だ。妄想で済めばどれほど喜ばしいことか。
だが、それが事実である可能性が常に存在している。シミュレーション仮説──仮想現実論と同じだ。疑う限りキリがない。
証明する方法はないが、否定も出来ない。
ただ一つ、俺はこの世界が、俺たちの生活が物語として綴られている事実を見てしまった。最も信じたくないその根底だけは揺るがない。
だからこそ俺は、全てを疑い、全てを捨てた。
そうして俺は変わった。これがタチの悪い創作者への投石になり得ると信じて。
俺の思惑が成功したかどうかは、今の俺に分からない。
「今の俺、か……」
明の言葉を思い出し、脳内に刻みつけるように吐き出した。
俺は変わった。それに伴い、俺の周囲も少しずつ変化が訪れた。
紗衣は……あんま変わんねえな、うん。一時期凹んでたのに、今は普通に話しかけてくるし。
桐崎は、以前の俺よりも今の俺の方が話しやすいように思う。
三雲……もあんま変わんねえわ。珍しい表情を見せるようになった程度か。
汐留は何故か俺に厳しくなったし、鮮花先輩はやけに積極的になった気がする。
それに、武道という新たな登場人物まで現れた。
最も変わったのは明だ。
会話は次第に減っていき、今となっては一言も言葉を交わさない日もざらにある。
その明もまた少しずつ変わりつつある。きっかけは……俺が揺れているせいだろうか。
全ては俺を起点に始まり、俺の行動によって全てが変わっていく。
確かに、武道の言うように、俺が世界の中心にあるような感覚だ。反吐が出る。
その俺が、今は迷子の子供のように行き場を失って、ただ呆然と佇んでいる。
行く宛もないまま、正しい答えを探して一人彷徨っている。
明はきっと、そんな俺のケツを蹴飛ばそうとしてくれたのだろう。
兄でありながら妹に心配されちゃ元も子もない。
兄貴として……あいつが認めてなくても兄貴として、俺がしっかりしねえと。
作り物だとしてもこの気持ちだけは本物ってのは、こういう気持ちのことを言うんだろうか。
ああ、なんか体が重い。土日を挟んでもずっと尾を引いているような気がする。
こんな時は無性に学校に行きたくない。体調は良好なんだ。でも心が追いつかない。
体「俺、超元気だぜ! 学校行こうぜ!」
心「きも」
くらいの温度差。俺と明じゃん。俺の心は明だった……?
アホなこと考えてないで準備しよう。心が泣いてるので休みますって言い訳が通用するのは三枝先生くらいだ。
もっと思春期の少年少女に優しい世の中にしてくれませんかね。それを理由にサボる奴が出てくるからダメ? そんな奴がいるのか、けしからんな!
顔洗おうと鏡を見たらそこに居た。おまわりさんこいつです。
生気のない顔を石鹸でゴシゴシと洗ってみても血色が良くなるはずはなく。
リビングに向かうも、いつも通り明は居ない。
学校行ってないのバレてんだからもうずっと家に居りゃいいのに。お礼でも言おうかと思ったのにな。いや、踏まれたことじゃなくてね?
本人はそんなつもりじゃなかったかもしれないが、あいつのおかげでほんの少しだけ気持ちに整理が着いたのは確かなんだ。
俺は心の明にありがとうと告げて家を出た。
「あ、おはよう灯!」
「ああ、おはよ」
なんか紗衣と久々に話した気がする。数ヶ月話さなかった時は大して何も感じなかったんだが、目まぐるしく回る日々を過ごしていると、時間の感覚も変わってくるらしい。
濃密すぎたここ数日と空白とも言える数ヶ月の差だろうか。マジ濃すぎる。カルピスを原液で飲まされてる気分。喉通らんわ。
「ねね、今日一緒に帰らない?」
「いいよ」
「え、あっ……え?」
「なんだよその反応」
「断られると思ってた」
「断られる前提で聞くな」
嬉し恥ずかしそうに頭を掻く紗衣を見て、俺は肩を竦めた。
別にこの世界の不条理を受け入れたわけじゃない。
だけど、それを理由に彼女たちの本物の気持ちとやらを否定するのは少し違う気がした。
ちゃんと向き合って、その上で身を引くよう決断をさせりゃいい。
つまり、武道にその気がなくとも、武道に好意を持つように誘導してやればいいんだよ。天才か?
誰も傷つかない。俺も面倒事から逃げられる。
何故、主人公であるべきだと諭され、本物の気持ちをぶつけられてもなお、こんな結論に至ったかって?
天才ですから。天才柊木灯と呼んでいいぞ。誰だ今どあほうって言った奴!
「じゃあ、授業終わったら待っててね」
紗衣はそう言って手をヒラヒラと振って自席に戻った。
……かと思いきや、仲の良い女子グループのところに戻ったらしい。ホームルームまで五分もねえぞ。
友人たちと話す紗衣の表情は、少しばかり明るくなったように見える。俺の色眼鏡のせいでそう見えているだけかもしれないけど。
「悩みは解決したのかしら?」
紗衣が居なくなったタイミングを見計らったように、目の前に座っていた桐崎が話しかけてくる。ターン制バトルじゃないんだからさぁ。
もしかして会話に混ざれなかったの? まあ君、紗衣みたいな明るいイケイケ女子が居るグループには馴染めなさそうですもんね。
「まあな」
「そう、よかったわね」
「……なんか悩み事でもあんのか?」
「ないわよ」
「そうか?」
気のせいか? 前向いてるから顔は見えないけど、声のトーンがいつもより低い気がした。
なんか怒ってる? 俺何かしたっけ? 俺いつもやらかしてるから言ってくれないと何の事かわかんないよ?
「……ただ、結局私には話してくれなかったと思っただけよ」
珍しく人の心配をしている俺が気になったのか、桐崎は独り言のように呟く。
元々話すつもりもなかったのもあるが、武道や鮮花先輩に言いたいことをぶちまけて、明に頭を踏み潰されたおかげで俺が目指す方針もある程度固まってしまった。
残念ながら桐崎の出番はなかっただけで、他のヒロイン候補も似たようなものだ。彼女が気にすることは何一つ無い。
しかし、俺を気にかけてくれていたことは少し嬉しくもある。多少のフォローはしておこう。
「まあ、問題の解決法なんて意外なところに転がってるもんだからな。今回は偶然それを見つけただけだ」
「そうなのね」
いや素っ気ないな! 興味無しかよ!
自分から風呂敷を広げておきながら勝手に畳んじゃったよこの人。やっぱ怒ってますよね?
俺がお悩み相談しなかったことがそんなにお気に召さないのか? お悩み相談室でも開きたかった?
桐崎も結構、何考えてるかわかんねえんだよなぁ。
ツンデレ属性の宿命か。超能力者じゃないんだから、ちゃんと口にしないと気持ちは伝わらないぞ。
桐崎の意図はわからないまま、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。




