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第十五話 本物の気持ち

 とはいえ、だ。

 三枝先生には汐留をよろしくと言われたものの、放課後に彼女が学校に残っていることがあるだろうか。

 あいつは部活には入っていなかったはずだ。だったら学校が終わればすぐに帰るのが道理。

 それが帰宅部の宿命なのだ。帰宅部は皆RTA走者なんだよ。俺も帰宅RTAなら負ける気がしないな。家超近いし。


 ともあれ、約束を破るわけにもいかない。先生は幾度となく俺の遅刻サボりを見逃してくれた。探すだけ探そう。

 三枝先生にこれ以上歯向かえば、今までの怠慢の数々が他の先生の元に晒されないとも限らない。晒されるとも限らない? 限らなくなくない? まあいいんだ、どっちでも。


 武道はいつもの如く部活中らしい。あいつの動向を確認しながら汐留を探せばいいか。見つからなきゃその時はその時だ。やってますアピールのためにも探すだけ探してみることにしよう。

 俺にとっては武道が最優先だからな。優先順位は武道>>>越えられない壁>>>その他だからな。俺の生活って武道だけで構成されてるの?


 時折、誰も居ない教室に入ってはグラウンドの武道を目視で確認。そして次の部屋へ。廊下からも見える範囲で武道を探す。


 そうしている内に汐留のことをすっかり忘れていた。今までの部屋に居たらどうしよう。

 まあ居ないやつを探したところで──


 ……居たわ、目の前に。汐留は豊満な胸の下で腕を組み、廊下で仁王立ちしていた。

 なにあれ、金剛力士像なの? 顔がすごく怖い。吽形(うんぎょう)みたいな顔してる。俺が阿形(あぎょう)になればいいの? 口ぽかーって。


「柊木、ちょっといい?」

「ああ」


 ギャル子に呼び出されたモブの図。あ、これ知ってる! 動画広告で見たことあるやつだ!

『あんたをかっこよくしてあげる!』からのあれやこれやあって付き合うやつだな。

 付き合うとか勘弁してくれ。いや、普通のカツアゲもNGで。



 連れ込まれた先は多目的室先輩。もう何回目だろうな、世話になるのは。なんやかんや使われてんな。今回はCだけど。


 ここからでもグラウンドが見えるのはありがたい。

 しかし、窓際からじゃないとサッカー部の様子は見えないため、なんとかして窓際に移動するしかない。

 ところがどっこい、窓側には汐留が立ち塞がっている。

 ここを通りたければ私を倒してからにしろ的なアレですかね。


「うちのこと探してたでしょ?」

「よくわかったな。お前に会いたかった」


 ほんと会いたかった。さっさと説得して授業を受けさせてやる。

 思いの丈をそのまま伝えると、先程の仁王は姿を隠し、顔を真っ赤にした可愛らしい女の子が現れた。俺、また何かやっちゃいました?


「あ、会いたかったってことは、その……思い出したの?」

「いや、全然」

「はぁ?」


 かと思いきや、今度は阿修羅像が姿を現す。俺、また何かやっちゃいました?

 俺に原因があるとか言われても、分からないものは分からなかった。だから、直接聞くことにしたんだ。


「ごめん、汐留が授業を受けない原因が俺にあるって言われてもわかんねえんだ。俺、汐留に何かしたか?」

「……何もしてないけど」

「いや、それじゃあわからんだろ……」


 なーんだ、俺のせいじゃないじゃないですかー。じゃないじゃなーい。

 言葉遊びを楽しんでいると、次は悲しげに眉を顰め、顔を俯かせた。七変化でも見せられてる気分だ。


「何もしてないからでしょ」

「ごめん、言ってる意味が……」

「だから!」


 汐留は俺のネクタイを引っ張った。ネクタイ結ぶの難しいから形崩すのやめてね。

 なんて、冗談を言える空気でもない。

 汐留は今にも泣き出しそうな顔でこちらを睨みつけていた。その表情に胸が苦しくなる。ついでに首も。


「あんたが言ったんでしょ、うちに勉強教えてくれるって。それなのにあんた、うちどころか誰とも喋んなくなってさ……。この前なんてうちが話しかけても無視したじゃん。だからうちも授業なんて受けないことにしたの」


 あー、なるほど。なるほど?

 汐留が言っていることには、確かに身に覚えがある。


 まだ俺が主人公だった頃の話だ。

 授業についていけないと授業をサボっていた汐留に声をかけ、わからないところは俺が教えてやると言って授業を受けるように促した。それ以来、汐留は真面目に授業に出るようになっていたはずだ。

 今思えば、どうして声をかけたのか分からない。ただ、一人ぼっちでつまらなさそうに外の景色に目を投げる彼女の姿が、どこか俺に近い気がしたんだ。


 俺は聞かれりゃ答えるつもりでいたが、汐留はどうやら俺が自主的に教えに来るのを待っていたらしい。何でだよ。わからないところは聞きなさいって先生に教わったでしょうが。


 無視した話についてはわからん。第四の壁の向こう側を知ってから、俺はこの世界の全員の話を無視してたからな。その中に汐留も居たんだろう。


「つか、それが原因で授業を受けなくなってたのか?」

「……そうだよ。あんたが約束を破ったから、うちも約束を破っただけ。あんたが悪いんだから」


 そうか、そう言われりゃ俺にも非がありそうだ。

 だからと言ってなぁ……俺が汐留の勉強を見てやるってことは、即ち汐留に時間を割くということで、結果的には俺がヒロイン攻略の一歩を踏み出すことになってしまう。


 その瞬間、俺に電流走る。

 やべえ、今俺の頭の上で電球光った。ピロン!って音が聞こえた。何かを閃いた時のやつ。


「俺も最近授業を受けてねえからその約束は果たせそうにない」

「あっそ。じゃあうちもこのままでいいや」

「待て! 代わりに提案がある!」

「提案?」


 教室を出ていこうとした汐留を呼び止める。よしよし、食いついた。

 これが俺の天才的発想力から導き出した答えだ!


「俺は教えられるほどの頭はねえ。だけど、武道がいる」

「武道? ああ、あの転校生ね」

「そうだ。あいつは頭が良いし優しいし約束は果たす男だ。あいつに頼もう。いや、俺から頼んでおく。汐留が授業でわからないことや、今まででわからなかったことを教えてくれるように俺からお願いしておく。そしたらお前も授業についていける。これで授業を受けない理由がなくなるだろ?」


 そして何より、俺も主人公という立場を脱却できる。武道秀優という新主人公の完成だ!

 ふふ、我ながらこれ以上ない最高の回答。見つけちまったな、ひとつなぎの大秘宝。これこそ友情・努力・しょうr


 バチン


 教室に、もしかしたら廊下まで響いた大きな音。

 それは一瞬のことで、何が起こったのかわからなかった。

 しかし、左頬にじわりと残る痛みで思いっきり叩かれたのだと理解した。

 汐留は俺の頬を叩いたであろう右手を握りしめ、肩を震わせていた。


「最低。そんな奴だとは思わなかった」


 キッと細められた汐留の目には涙が浮かんでいた。なぜ?


「うち、嬉しかったとに……」


 そう言い残して教室から出て行く汐留。どうして?

 俺、何か悪いこと言ったか? あいつが授業を受けたくないのは、進学校の勉強についていけなかったからだ。

 俺が勉強を教えると言って、あいつが授業を受け始めたのは、そうすることであいつが授業についていけるようになるからだ。

 その問題が解決する。俺が教えるよりも確実に、だ。


 武道と交流が無いから? そんなの俺だって元々交流があったわけじゃなかっただろ。勉強を教えると言ったあの時が初めての会話だったんだから。


 それなのに、どうして汐留は泣いていたんだ? どうして汐留は怒っていたんだ?

 女心はわからない。秋の空どころか山の天気とさして変わらない。コロコロと変わる。本当についていけない。


「わけわかんねえ」


 そう漏らした声は、部活の終了を促す放送に掻き消される。

 無性にズキズキと響く痛みに耐えきれず、俺は頬を押さえた。




 汐留のことを考えながら、俺は昇降口を降りていた。

 納得できない。俺が間違っていたとも思えない。問題は解決する。俺の問題もだ。なのにどうしてだ?

 実に合理的で、利害が一致する最適解だと思っていた。それなのに、どうしてか俺の心は暗く沈んでいる。


 汐留が泣いていたからだろうか。俺の提案が受け入れられなかったからだろうか。

 叩かれた頬よりも胸を締め付けるような息苦しさが酷く不快だった。


 くそっ、と悪態が口を衝く。

 あいつは俺の置かれた状況を知らないからあんな反応をするんだ。そんなわがまま言うなら他所の子になりなさい!と叱りつけたい気分だ。そう、武道君の子にね!


 まあいい。今は武道を探そう。元主人公という発言への言及と汐留の世話を頼みに行く。

 こっちで根回ししてしまえば、汐留も断ることは出来ないだろうと踏んだ。


 学校を出ると、ちょうど目の前に武道が居た。部活終わりのようで、ティーシャツをパタパタと仰いで体に風を送っていた。

 都合がいい。今日はラッキーだ、とってもラッ〇ーマン!

 なんて言える気分ではない。


「武道、ちょっといいか?」

「あれ、柊木君。どうしたの、こんな時間まで」

「お前に用があってな」


 武道は「着替えてくるから待ってて」と言い、部室棟へ向かった。

 部室棟は教室がある教室棟の隣にある棟だ。名前の通り部室が並んでいる。

 その中には当然バスケ部の部室もある。部員と顔を合わせるのも気まずいため、すぐにその場を離れた。



 どこで待つか悩んだ挙句、武道が見つけやすいように校門の前で待機することにした。この時間なら誰か良からぬ相手に会うこともな……なぜ、ここに居るんだ。

 涼しい秋風に戦ぐ黒髪が頬を包み、その隙間からいつものようにニコニコと笑顔を振りまく。


「やあ、灯君」


 鮮華先輩は、軽く手を挙げて俺の前で立ち止まった。


「お疲れ様です。今終わりですか?」

「そうだよ。そんな君は、生徒会を休んだのにこんな時間までどうしたのかな?」

「うっ……。今日は言い方キツいっすね……」

「そう感じたのなら訂正しよう。僕に会いに来なかったのに、ここで誰を待っているのかな?」

「あんま変わらないですよ、それ」


 ふふ、と笑う鮮華先輩。

 泣きながら怒る人を見た後だとこんな作り笑顔でも安らぐもんだな。もしかして私、傷心中?

 こんな時に優しい言葉をかけられるとコロッとオチちゃいそうだから、いつも通りの先輩で助かった。


「この時間だと……部活動の生徒かな。男の子? 女の子?」

「男です。今着替えてるんでここで待ってます」

「そうかい、それなら良かった」


 鮮花先輩は俺の返答に安堵したのか、うんうんと頷く。女の子って答えたらどうなってたんですかねぇ。

 っと、鮮華先輩と話してると本人のお出ましだ。噂をすればなんとやらだな。


「お待たせ、柊木君。……と、生徒会長、こんばんは。こんな時間まで生徒会活動ですか、お疲れ様です」


 丁寧に頭を下げる武道。ほんとこいつ、人が出来てんな。俺がお前の立場なら鮮花先輩に対する恐怖のあまり、俺ごと無視して帰ってんぞ。いや、帰られたら困るからやめてね。


「こんばんは。君は確か、少し前に転校してきた武道秀優君だったかな?」

「覚えていて頂けて光栄です」

「ふふ、僕は全生徒の顔と名前を覚えているからね」


 マジかよこの人。ここの生徒って千人以上居るんだぞ。俺なんて生徒の顔と名前でカルタしても一枚も取れない自信ある。俺のだけは頑張って取るけど。いや、鮮華先輩相手だとそれすら取れない可能性が微レ存……?


「良かったら僕も同席していいかな? 電車まで時間があって、暇を持て余しているんだ」

「僕はいいですよ。柊木君さえ良ければ」

「ありがとう。灯君はどうかな?」


 どうかな? じゃないが。良くないが?

「もちろんいいよね? 断る理由ないよね? 断ったらどうなるかわかってるよね?」って顔でこっち見るのやめてください! そんな顔してもダメなもんはダメ!


「あ、えっと……大丈夫、です」


 思考に反して俺はあっさり受け入れていた。もう、このお口ってばお茶目さんなんだからっ!

 恐怖に対してちゃんと怖いって言えるのは素晴らしいことだな。俺の口は正直すぎるけど。断る勇気も大事なんだぜ。


「じゃあ行こうか。近くのカフェでいいかな?」

「はい、いいですよ」


 何で鮮華先輩が仕切ってんのか知らないけど、もうそれでいいです。

 何やら楽しげに話している二人の後ろをとぼとぼとついて行くモブ俺。これ俺帰っていいんじゃね? てかそっち、家から逆方向なんだが? 寄り道どころか遠回りなんだが?


 しかし俺が呼び出した都合上、帰ることも許されず、嫌だなー怖いなーと稲川〇二風のモノローグと共にカフェへ向かうのであった。




「お洒落なお店ですね」

「ふふ、そうだろう。武道君も彼女を連れてきたらどうだい?」

「僕は今、部活一筋ですから」


 和気あいあいと話し込む爽やかスマイルとセメントスマイル。こうして比べると鮮華先輩って笑顔下手ですね。


 そんなことよりもこの配置替えてくれない?

 テーブル席で俺と武道が対面。これはいいよ、分かる。

 俺の隣に鮮華先輩。マジで怖い。なんか近い。マジで怖い。手が触れそうなガチ恋距離。マジで怖い。怖いを重ねすぎてミルフィーユ作れちゃうよ。

 注文した飲み物が届いたところで、武道が口を開いた。


「ところで、柊木君の用って何かな?」


 ここでぶっ込んでくるか、武道。頼むから空気を読んでくれ。俺が断れなかったのが悪いんだけどさ。


「へー、灯君が用事ねぇ」


 そして食いつくな鮮華先輩。超興味津々な目をこっちに向けるな。

 やべー、これどうしよう。「この前俺のことを主人公とか言ってたけど、もしかしてこの世界について知ってるぅ?」とか聞けねえよ。


 武道一人ならまだいい。だが、鮮華先輩もいる前で話すわけにはいかねえ。誰よりも信じてくれそうだが、誰よりも面白半分で首を突っ込んで来そうだ。


 その話は後回しだな。一先ずもう一つの相談だ。

 夏休みの課題とか最後に残すタイプですか、苦労しますよ。


「武道、汐留結奈は知ってるよな?」

「同じクラスだからね」

「あいつ、学校には来てるのに授業を受けてねえんだ」

「そうなんだ。どうして?」

「授業についていけないらしい。そこで、お前に頼みがある」


 ここで間を溜める。真剣らしさを醸し出す技術だ。俺の私情を知られるわけにはいかない。


「良かったら、汐留に勉強を教えてやってくれないか?」

「どうして僕なんだい?」

「武道、頭良いだろ? 俺が教えるよりも汐留の為になると思うんだ」

「僕は彼女とは話したこともないよ」

「俺だってあんま変わんねえよ」

「じゃあ、どうしてそこまで知っているんだろう?」


 くそ、なんなんだこいつ。

 こんなに食い下がるような奴だったか? 武道なら二つ返事で了承してくれると思ってたんだが……。まあ、武道の人物像なんかほとんど知らんが。


「灯君は汐留さんと直接話してそこまで聞き出していたね。しかも武道君に押し付けようとしてビンタまでされていた。それなのに、どうしてまだ武道君に押し付けるような真似をするのかな?」


 そう口を挟んだのは鮮華先輩だ。この人余計な援護射撃しやがって。てかなんで知ってんだよ怖えよ。

 鮮花先輩の話を聞いて、武道はこくりと頷く。


「そうなんだ。だったら尚更、柊木君が教えるべきじゃないのかな。それはきっと、僕じゃなくて君が良かったからだと思うよ」

「いや、それはだな……」

「そうだよ。三枝先生にも汐留さんに授業を受けさせるようにお願いされているのに」

「だからなんで知ってんだよ!」


 この人エスパー? この前「観察してる」って言ってたの本当なの? ストーカーの方でしたか?


「灯君が直接教えられない理由があるのかな。その話をしないと、武道君も納得してくれないと思うよ」


 ぐぬぬ……。このぐぬぬ顔で許してくれません? ダメですかそうですか。ぐぬぬどころかチクショー顔だしな。白塗りせずとも顔面蒼白だ。


 しかし困ったな。その理由を話すには、この世界のことについて話さなきゃならない。

 果たしてこの二人に話していいのか。いやいや、武道はともかく鮮華先輩だぞ。あの鮮華先輩だぞ?

 面白おかしく学校中に噂として撒き散らし、俺が凹んだところで優しく声掛けて俺をオトとしに来るに決まっている。そして一生甘やかされてダメ人間になるんだ。

 美人相手ですし、それはそれでありでは?


 だからと言って、話さない限りは汐留のこともこの状況も打開できない。ほら見て、世界はこんなにも俺に厳しい! モブってもっと自由で身軽な存在じゃねえのかよ。


 ……このまま悩んでいても埒が明かない。ええい、ままよ!


「俺は主人公になりたくないんですよ」


 シンと静まるテーブル席。あ、これはやってしまったやつですね。

 何言ってんのこの人みたいな目で見てる。まあこれだけだとそりゃそうなるわ。

 俺はいたたまれない空気の中、補足するように言葉を継ぎ足す。


「少し前までの俺は、クラスの中心人物で、俺の周りには常に人が居て、女の子が周りにたくさんいて、傍から見りゃそれはそれは幸せな野郎だった」

「へー、それは楽しそうだね」


 鮮華先輩、その目怖いです。今すぐにでも女の子たちを焼き払いそうな目付きで俺を睨むのはやめてください。

 まあいい、今は武道の説得だ。

 鮮花先輩からの脅威を振り払うように咳払いを一つ挟んだ。


「でも、今の俺はそれが全て嘘にしか見えないんだ。友人の言葉も女の子の気持ちも、全部が嘘で塗り固められた作り物にしか見えない。だから俺は、恋心を抱かれるようなことをしたくない。汐留の件も同じだ。俺があいつの力になることは簡単だろうけど、そうすることで汐留が俺に好意を抱くことが怖い。紗衣に桐崎、三雲、そして汐留。皆が俺に……恋愛感情とまで言わなくても、好意的になってんだ。だから俺は、あいつらから離れたい。ラブコメの主人公にはなりたくないんだよ」


 つい感情的になる。つらつらと自分語りを披露してしまった。

 この世界のことに触れなかったのは上出来だろう。俺を褒めたいくらいだ。


 俺は初めて口にした。初めて誰かに打ち明けた。俺の思いの丈の全てを。

 この世界のこと──第四の壁の向こう側が存在していることを言わないと、俺は自意識過剰なナルシストだと思われるかもしれない。もうそれでもいい。モブになれるならなんだっていいんだよ。


 ティーカップからほんのりと湯気が立ち上る。何とも言えない空気だ。

 武道は俺の言葉を信じるべきか、その言葉を受け入れたとしてどう答えるべきか、この先を模索しているのだろう。

 鮮花先輩は既に自分なりの答えに辿り着いているように思う。これでも人の気持ちを理解できる人だ。武道が答えるまで口を出さないつもりだろう。


 やがて、立ち上る湯気が薄くなった紅茶を啜り、武道が重い口を開いた。


「柊木君の気持ちはわかったよ。だけど、僕にはできない」

「なんでだよ。お前はこの世界のことを知ってるんじゃないのか? 主人公であるべきは、俺じゃなくてお前なんだよ」

「何の話だい? 僕には君の気持ちはわからないし、君の言っていることを全て理解出来ているとも思えない。でも、君が皆の中心に居るんだということはわかるよ」

「なんだよそれ……俺に主人公をやれってことかよ」

「そうだよ」


 くそ、くそくそくそ。

 やっぱりこいつは、シナリオライターが用意した、俺を主人公として物語を進行させるための駒だったんだ。


「主人公……この世界……僕たちは作り物……」


 鮮華先輩は何やらぼそぼそと呟いている。

 話についていけないのは当然だろう。第四の壁の存在を知らなければ──


「今の話から推測するに、僕たち自身が作り物で、僕たちを思いのままに動かしている存在が居る、ということかな?」

「……っ!」


 鮮花先輩から放たれた一言に息を飲む。

 何を言っているんだ、この人は。

 俺が目の当たりにした現実を彼女はズバリ言い当てた。知っていたわけじゃ……ないよな?


 俺は肯定も否定も出来ずに口を噤んだ。

 それは、推測と呼ぶにはあまりに突拍子もなく、確信と呼ぶにはあまりに現実離れしている。


 しかし、彼女が言っていることは正しい。

 それが妙に不気味で、背中を摩られるような寒気にゾッと身を震わせた。

 武道は何の話をしているのか分からないと言いたげに首を傾げる。そんな彼の様子を見て、鮮花先輩は補足するように続けた。


「第四の壁、という言葉がある。フィクション世界と現実世界の間にあるとされる概念のことだよ。灯君の言った『作り物』とはつまり、僕らの居るこの世界が、僕らの存在そのものが作り物だということ。そして、『この世界のことを知っている』というのは、この世界の全てがフィクションで、ノンフィクションである現実が存在するということ。そこから導くに、この世界をフィクションとした時の現実世界が壁の向こう側に存在し、僕ら……灯君の日常を物語として綴っている人物が居ることを指しているんじゃないのかな?」


 何なんだよ、この人は。不気味さを通り越して恐怖すら覚える。

 昔から不思議な人だとは思っていた。変に勘が鋭く、何事にも無関心なようで、何でも知っている。全てを見透かしているような人物だと。


 だが、今の数分の会話だけでそこまでわかるのか? そんなことが可能なのか?

 この人ならもしかしたら可能……いや、実際に全て当たっている。一言一句違わず彼女の言う通りだ。


 不意に核心を貫かれ、呼吸が早まる。恐怖か焦燥か、心拍数が高まる。

 じっと視線を交わす俺と鮮花先輩を他所に、武道は頭を抱える。


「これは……ついて行けない僕がおかしいのかな。この世界が作り物? 全てが創作? 柊木君も会長も、何を言っているのかさっぱり分からないよ」


 そうだ、本来はこの反応が正解のはずだ。

 武道に不安や苦悩の色が見えたのは初めてだ。それは同時に、武道はこの世界のことを知らないということを示していた。


 あの武道が俺たちの会話を理解するのに四苦八苦している。普段なら笑ってやるところだが、この揺るぎない事実を明かされてしまっては、俺も平静を保つことなど出来そうもない。


「悪い、武道。理解出来ないお前の気持ちは分かる。だけど、これがこの世界の真実なんだよ」


 俺がそう告げると、彼は「そうか」と零して天井を仰いだ。

 それから黙り込んでしまった武道の代わりに、鮮花先輩が「やはり、事実なんだね」と再確認する。

 もう隠すこともない。隠せる気もしない。俺は彼女に目をやって首肯した。


「最初は夢だと思ってました。いや、認められなかった、受け入れたくなかったんだ。だけど、人と話していく度にわかったんです。この世界は、俺を中心に回っていると。そして確信しました。この世界は、俺を中心としたラブコメ……恋愛ストーリーなんだって。最近のことだってそうだ。今まで交流があった女子生徒たちが立て続けに俺の前に現れる。都合が良すぎるんだよ」

「僕もその恋愛ストーリーのヒロインの一人、ということだね」

「ああ。俺たちの今までの記憶も過去も全て、作り上げられた妄想でしかない。これからの未来も、元々予定されていたものでしかない。タチの悪い創作者の稚拙な物語なんだ」

「それはいいね」


 鮮華先輩はふふっと笑い、俺の腕を抱きしめる。

 柔らかい感触が腕を包み込む。その温もりは、作り物と呼ぶにはあまりにもリアルだった。


「つまり、僕が灯君の真のヒロインになれば、この物語は終わるってことだね」

「いやいや、その気持ちだって」

「僕の気持ちは僕のものだよ」


 鮮華先輩は俺の頬に手を触れる。

 先輩の目はいつになく真剣で、真っ直ぐにこっちを見ている。

 俺はその目に魅せられて、視線を逸らすことが出来なかった。


「例え今までの出来事が全て偽物だったとしても、僕のこの気持ちだけは本物だよ。僕のこの感情は、誰にも揺るがすことは出来ない。今、この物語が完結していないということは、まだヒロインが決まっていないんじゃないのかな? 延いては、この先の未来が決まっていないことを示しているはずだよ」

「そ、そうかもしれないですけど……」

「それなら、ここから先のことは僕たちの行動次第で決まるということだよ。灯君を好きになったり、嫌いになったり。灯君が好きになったり、嫌いになったり。たくさんの気持ちが渦巻く中で、灯君が出した決断が物語の完結に繋がるんだ」


 その言葉は不思議な説得力があって、その声はどこか俺に安らぎを与えてくれる。

 蓮城鮮花という人物の人柄か、或いは彼女の本気の気持ちか。

 否定していたはずの言葉がすんなりと喉を通る感覚。俺は、この現実を受け入れようとしている。

 だが、一つだけ納得出来ないことがあった。


「……もう物語の結末が決まってて、その通りに言葉を吐いているだけだとしても、そこに心があるんですか?」

「ないかもね。でも、僕が君のことを好きだという気持ちを作り物で済ませたくないんだ。それに──」


 彼女は作り物とは思えない優しい笑顔を見せた。


「作り物で済ませられるほど、僕の気持ちは軽くないよ」


 わかんねえ。わかんねえよ、この人。

 どうしてそこまで言えるんだ。その言葉だって作り物かもしれない。俺が第四の壁に気付くことだってシナリオの内かもしれない。

 なのに、その気持ちが本物だってどうして言い切れるんだよ。


 目頭が熱くなる。この感情を零してしまえば、どれ程楽なのだろう。


「僕は灯君が好きだよ。大好きだ。初めて出会った十年前から、ずっと好きなんだよ。この言葉を作り物だと思うならそれでもいい。僕は気持ちのままに何度でも伝えるよ。もしこの世界が物語だとしても、僕が君のヒロインになって、灯君が幸せだと思えるエンディングを迎えられるなら、それでもいいと思えるほどにね」


 いつもの貼り付けたような笑顔はどこに行ったんだよ。なんでそんなに、泣きそうな顔して笑ってんだよ。

 作り物だって知って辛いんだろ。その言葉だって、俺が受け入れられないってわかってんだろ。

 それなのに、どうしてそこまで……。


「柊木君」


 今まで黙っていた武道が口を開いた。

 彼もどこか吹っ切れたように、眉根を寄せて微笑む。


「もしも、話の通り君が主人公で、僕に主人公を押し付けようとしているのなら、僕は断るよ。君の苦悩を考えると代わってあげたいけどね。でも、会長の真っ直ぐな気持ちは君に向いているんだ。他の子だってきっとそうだよ。その心まで動かすことは、一生かかっても僕には出来そうにない」


 くそ、ふざけんな。

 俺は主人公にはなりたくないんだよ。作り物の世界で、紛い物の感情で踊らされたくない。平穏に、何事も無く物語を終えたい。

 だと言うのに、鮮華はこんなにも真っ直ぐで、武道は全てを受け入れろと言ってくる。

 ふざけんな、ふざけんなよ。


「今すぐに僕を選んでほしいとは言わないよ。そうあってほしいけれど、灯君が僕の気持ちを受け入れてくれるまで、僕はずっと灯君に訴え続けるよ。僕の気持ちが偽物じゃないって」

「鮮華……」


 俺は、この現実を受け入れられるのか。

 俺は、この感情を受け止められるのか。

 俺は、この物語の主人公になれるのか。


 わからない。全てを知って、全てを捨てた俺に、何が出来るのか。

 果たして、俺はこの世界と向き合うことが出来るのか。


 武道の言うことは正しい。だけど、俺にはどうするのが正解なのか分からない。

 鮮花先輩の気持ちは嬉しい。だけど、俺の感情はぐちゃぐちゃで、自分がどうしたいのかもわからない。


 俺は──。


 俺は、耐えきれずにその場から逃げ出した。

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