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第十三話 忘れ物には気をつけろ

 翌日、俺は気がつくとベッドの上にいた。

 昨日帰って来てからのことはほとんど覚えていない。

 鮮華先輩の圧に耐えていた俺の体は想像以上に疲れていたようで、妹との会話もないまま部屋に戻り、すぐさま眠ってしまっていた。蛇に睨まれたカエルってこんな気分なのかなぁ。食べられる前にストレスで死にそうだ。


 風呂も食事も無しに寝てしまったせいで、制服はヨレヨレになっていた。近々クリーニングにでも出すか。

 高いんだよな、あれ。だからと言って洗濯となると、アイロンの手間もあって……どちらも一長一短で悩ましいところだ。


 少し早めに起きたおかげで余裕のある朝。たまにはパン以外のものでも食べようかとリビングへ向かう。

 そのテーブルにあったのは、用意された食事……ではなく黒いフリルの下着。何度見ても艶めかしいな、サイズ以外は。


『洗ったから返しといて』


 そんな書き置きが添えれている。たぶん明の字だろう。あいつの字なんざ知らんが、この家に居るのは俺と明だけだから間違いない。


 そんなことより、もしかして俺がこれを持って行くのか? ランジェリーを鞄に詰めた男子高校生とか響きが性犯罪者予備軍なんだが。

 いやいや、さすがに無理だ。帰りに三雲に取りに来てもらおうそうしよう。

 にしても明のやつ、わざわざ洗濯してくれたんだな。結構いい所も……ん?


『P.S.きもいから直で触らないで。袋のまま持って行って』


 前言撤回。俺を何だと思ってんだこいつは!

 こんなぺったんこな布切れに興奮するわけねえだろ!

 ……しないよ? ほんとだよ?

 触ることさえ憚られたため、やはりそのまま置いていくことにした。




 いつもはホームルームギリギリに登校しているが、そのせいで変なことに巻き込まれている気がして、今日は早めに家を出ることにした。シャワーは浴びたよ、汚いもんね。


 しかし、こんな時に限って何も起こらず、普通に早く学校に着いてしまった。何も起こらないのが一番なんですけどね。

 平和な日常ってのはそれが失われて初めてありがたみを感じるものなのさ。おかえり、俺の日常。


 教室には既に数人の生徒がいる。

 モブモブしい連中の中に、ぽつりと異彩を放つ人物が一人。桐崎茜だ。ぽつりじゃねえな、\デデーン/って感じ。

 桐崎は教室の隅の自席で本を読んでいた。清楚な雰囲気と相まって、それだけで絵になる。じゃあさっきの効果音おかしくね? 清楚さの欠片もなかったよな。

 まあ、何だっていい。俺は他の奴らと同じモブBだ。静かに自席に移動して──


「おはよう、柊木くん」


 \デデドン/

 さよなら、俺の日常。

 やべーよ話しかけられちゃったよ。しかも俺ってば、桐崎の後ろの席なんだけど。逃げ場ねえよ。


「おはよう、桐崎」


 ここでキメるぜ営業スマイル!

 説明しよう、営業スマイルとは! ……あー、あれだよ。別に面白くなくてもにっこり笑顔をセメントで固めて、相手からの印象を上げる営業術の一つだよ。社会人って大変そう。

 ちょ、桐崎女史! その顔はなんでござるか!

「は? 何その笑顔きもいんだけど。きも」みたいなその目! 明を思い出すからやめなさい!


「今日はちゃんと遅れずに登校したのね。いい心がけだわ」

「俺の事を何だと思ってんだ……」

「遅刻魔、サボり魔、犯罪者」

「ちょっと待て、最後の何だ」


 遅刻魔→わかる サボり魔→わかる 犯罪者→???

 俺が一体いつ罪を犯したって言うんですかー? 何時何分何秒地球が何回回った日ですかー? 天動説が主流の時代は宇宙が何回回った日〜とか言ってたのかな。


「昨日の昼休み、女生徒を無理やり連れ去っていたようだったけれど、あれは犯罪ではないのかしら? 傍から見ると拉致にしか見えないわよ」

「待て、あれは違う。断じて違う」

「そうなの? じゃあ誘拐?」

「何も変わってませんけど?」

「脅迫したか誘惑したかで大きく違うわよ?」

「じゃあそもそもどちらも当てはまってないですね」


 拉致と誘拐の違いなんてどうだっていいんだよ。どこで使うんだよその知識。

 あらぬ誤解で犯罪者認定される朝。こんなことなら遅刻すりゃよかったぜ。

 それに、桐崎が俺の前に座って体をこちらに向けているせいで会話に参加せざるを得ない。誤魔化しや逃げは通用しないとその目が語っている。

 目は口ほどに物を言うとは言うけど、この目は雄弁過ぎるだろ。


「昨日の子は一年生かしら?」

「ああ、バスケ部の後輩だ」

「あら、お付き合いしているわけではないのね」

「当たり前だ。なんで俺があんなちんちくりんと……」

「そうよね。あなたと彼女じゃ釣り合いが取れなさそうだもの」

「だろ? あんなちびっ子と俺とじゃ」

「あなたが下に決まってるでしょ」

「ですよねー」


 おお、なんか感動。いや、貶されてることに対してではなく。

 初めて三雲との交際疑惑を解消できた気がする。今までの相手はどいつもこいつも話を聞かない連中ばかりだったからな……。


 やはり桐崎は優等生キャラだけあって、そういうところはしっかりしている。たまに壊れたようにツンデレというアイデンティティーを主張し始める点以外は至って普通の女の子だ。普通にしてはスペック高いけど。


「それで、悩みは解消されたのかしら?」

「悩み?」


 何の話やら、と思考を巡らせて思い出す。

 ああ、そういや桐崎とは河川敷で青春を謳歌した仲だったな。お前を含め、ヒロイン候補共のせいで全く進展してないんだよなぁ。


「いや、もう少し時間がかかりそうだな」

「そうよね。頭の中まで楽観が詰まったあなたが悩むくらいだもの。すぐに解決できることじゃないわよね」


 なんで急に罵倒したの?

 とはいえ、以前の俺はチャラけたキャラクターで、クラスでもお調子者だったからあながち間違いでもない。今となっては黒歴史だ。

 大人になって後悔するアレですね。


「私は今の柊木くんの方が接しやすくて良いけれど」


 俺が過去の記憶をクリーニングしていると、桐崎はそうぼそりと呟いた。まあ、真面目キャラとお調子者キャラは相容れない存在だよな。


 そういや桐崎とはたまに話をすることはあったが、こうして二人きりで話すようなことはあまりなかったような気がする。もしかして道を間違えました? 何だか桐崎に優しいキャラになってないか?


 これ以上桐崎と話して好感度を上げてしまうと取り返しがつかなくなりそうだ。

 さっきのは聞かなかったことにして教室に目を向けると、いつの間にか人が増えていて何やら騒がしくなっていた。


「柊木君」


 突然視界に入ってきたのは……俺の待ち人! 大親友の武道氏ではないか!

 もしかして俺の気持ちをわかって話しかけてきてくれたのか? 俺たちの心は通じ合ってたのかもしれない。僕らはいつも以心伝心なんだ。

 いかんいかん、ここは冷静に。頭は冷静に、心は熱くってマーシャルも言ってた。


「おはよう、武道」

「うん、おはよう」


 何だか久しぶりに見た気がする爽やかな笑顔。こいつもいつもニコニコしているけど、鮮華先輩のそれとはなんか違うんだよな。そう、愛嬌がある!

 ……なんて言うと鮮華先輩に殺されそう。


「どうしたんだ?」

「君にお客さんだよ。まさか他の学校の女の子まで手を付けていたなんて、君もなかなかやるね」

「は?」


 他の学校の女の子? ナニソレオイシイノ? 

 ここでそのセリフは別の意味に聞こえますね。


 武道が指す先を見ると、教室の入口に人が集まっていた。

 その集団の中心には、暗い茶色の髪に紺色のセーラー服の女子生徒が居た。見るからにうちの制服ではない。

 彼女は視線を集めて困ったように笑顔を……って、明じゃねえか!

 なーにやってんだあいつ。なんで常陽に?

 まあいい、本人に聞きゃいいだけの話だ。

 俺は人混みを掻き分けて、明に声をかけた。


「なんでここに居るんだ」

「あ、お兄ちゃん!」


 あの……どちら様ですか? 俺の妹がこんなに可愛いわけがないんですけど?

 そうか、これが本物の営業スマイルか。我が妹ながらなかなかやるなぁ。これなら誰にでも愛される妹の日本代表になれるぞ!


「お、おう。で、どうしたんだよ」

「もー、お兄ちゃんが忘れ物するから届けに来たんだよぉ」


 そう言って紙袋をこちらに差し出す明。何これ、妹がお弁当届けに来るイベントなの?

 あと、その喋り方なんとかならないのか。違和感着こなしちゃってるよ。

 明から紙袋を受け取り、中身を確認──


「ぶふっ!」


 したところで思わず噎せた。見覚えのある黒いランジェリーがそこに居たんだもの、こんな反応にもなる。

 お弁当配達イベントじゃなかったの? 食えってか、これ食えってか?

 朝から学校に女性ものの下着を届けにくる妹がいるか!


「忘れないようにテーブルに置いてたのにぃ。お兄ちゃん、おっちょこちょいなんだからぁ」

「お前な……」


 明は俺の腕に抱きつくように体を寄せた。


「持って行けって書いてたよね? おつかいすら出来ないの? きもいんだけど」


 ゾッとするような低い声。さっきとのギャップが激しすぎる。も ど し て。

 俺から離れた明は何事も無かったかのような可愛らしい笑顔を向けてきた。やっぱ戻すな、逆に怖いわ。


 周囲では「あれ聖女の制服じゃね?」とか「やべえ、超可愛いじゃん」とか「連絡先交換してもらおっかなー」とか、モブたちが好き勝手言っている。

 やめろ、人の妹をそんな目で見るな! ホントにやめとけ、俺はお前らを心配してんだよ!


「じゃあ、私も学校行くね! もう忘れ物なんてしちゃダメだよ〜」


 ひらひらと手を振りながら軽い足取りで去って行く明。恐怖で身動き一つ取れない俺。そして残された黒いランジェリー。

 妹の本当の怖さを知ったような気がして、俺は立ちつくすことしか出来なかった。


「柊木。遅刻していないのは良い事だが、そこに立ちっぱなしじゃ意味無いぞ」


 そのまま硬直していた俺は、三枝先生の声によって我を取り戻す。メデューサの呪いかよ。

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