第九話 ラッキースケベは主人公の特権
俺の朝はいつも同じルーティンで始まる。
朝起きてェ!顔洗いィ!制服着替えてパンを食うゥ!
おしまい。いつものことながら実に効率的でエコだ。環境に優しいかは知らん。
やることは必要最低限。主人公をやってた時はもっと見た目に気を遣っていた気がするが、何をしていたかまではもう覚えていない。
遅刻しない程度に、でも早く学校へ行くとそれはそれで朝のなんとも言えない時間が待っているので、そんな短いルーティンでもできるだけ時間をかけて行う。
支度を済ませて外へ出ると、いつもとは違う朝が待っていた。
「あっ! アカリ先輩、おはようございます!」
「なんで居るんだよ」
オラこんな朝嫌だ〜。マジで嫌だ。どうしてこうなった。
住所を教えたはずのない三雲は、何故か家の前で俺を待っていた。ほんとなんで居るの君。
俺の訝しげな視線に敬礼で返し、三雲は答える。
「こっちの方角で学校から近いというのは知っていたので探しました! 柊木という苗字は珍しいので、表札を見て一目でわかりましたよ!」
「探したって、お前もしかして……」
よく見ると三雲は汗だくで、制服はぐっしょりと濡れていた。こいつ、朝からこの辺り一帯を走り回ったのか……。ストーカーにしてもここまで必死だと逆に感心するわ。
「朝六時から探してました!」
「バカだろ……」
マジかよ……かれこれ二時間くらい探し回ってたのか。呆れるほど馬鹿な奴だ。
「何のために連絡先交換したんだよ」
「えー、先輩絶対に教えてくれないじゃないですか?」
図星を突かれ、俺は肩を竦める。
予め「家どこですか!」なんて連絡が来ていたら絶対に無視していた。
「それに、驚かそうと思って。サプライズです!」
「ああすごく驚いた。お前の馬鹿さ加減に」
「それ褒めてなくないですか?」
当然だ馬鹿め。
しかし朝からこんなに汗をかいて一日を過ごすのはあまりに……可哀想というか、まあ自業自得なんだけど。
その原因の一端が俺にあるせいか、罪悪感に似た奇妙な感情が芽生える。
やるせない気持ちを振り払うように頭を搔いて、三雲の手を掴む。
「とりあえずこっち来い」
「えっ、先輩!?」
そのまま彼女の手を引いて家に連れ込んだ。
困惑している三雲を脱衣所に放り込み、妹の部屋からタオルと下着を引っ張り出した俺は、それらを彼女に押し付けた。
「シャワー浴びてこい。制服は乾かしといてやる。下着はそれ着ろ。お前の下着は持ち帰れよ」
「え、な、なんですか突然! わ、私でも困惑しますよ。そ、それに……何で女物の下着持ってるんですか!」
「妹のだよ。いいからさっさと入ってこい」
何やらわーきゃーと騒がしい三雲を無理やり脱衣所に閉じ込めた。薄い体とはいえ、下着が透けているとこっちも困惑するんだよ。
……スポブラじゃなくて、ちゃんと女の子らしい下着だった。フリルがちょっとえっちだった。って何思い出して堪能してんだ俺は。
相手はフィクション。言わば二次元だ。ちょっとありだな……じゃねえんだ、ナシの方向で!
シャワーの音が聞こえたらドライヤーで制服を乾かそう。少し汗の匂いが残るかもしれないが、そこは目を瞑ってもらうしかない。
「もしかして私がお風呂に入ってる間に私の下着と匂いで……」
「うるせえ! 遅刻すんだろ!」
「先輩なら……いいですよ?」
「いい加減はっ倒すぞ」
扉の向こうでぶつくさと小言を垂れながら三雲は渋々風呂に入った。
そのタイミングを見計らい、俺は三雲の制服を回収する。俺も急がなければ。その割に下着の色が黒で蛍光色のラインが入っていたことはちゃんと確認してんだよなぁ。
リビングで制服にドライヤーを当てながら、壁に掛けられた時計を確認する。
歩いて五分で学校に着くとしてもホームルームには間に合いそうにない。と言うか、結局学校まで走ればまた汗かくのでは?
また遅刻かぁ。今度は何と言い訳をしようか。
三枝先生には言い訳なんて必要ないとわかっているが、今回ばかりは本当のことも言えそうにない。後輩の女の子を風呂に入れていたので遅刻しましたとか言えない。言いたくない。
そんな悩みを抱えながら、半乾きのブラウスをハンガーに掛けてスカートに手を伸ばす。
やはり着用していない衣類はただの布だ。この程度で興奮することは無い。三雲の匂いがするのはちょっと……精神衛生上良くないな。
そうこうしているうちに三雲が風呂から出て来る音が聞こえた。早くね? まだ三分も経ってねえぞ。
「せんぱーい、私の制服どこですかー? 私の匂いどうですかー?」
「うるせえ! お前が早すぎるんだよ!」
「あ、堪能中でしたか? ごゆっくり!」
「乾いてねえだけだわ!」
まだ少し濡れているが、何もしないよりはマシになっただろう。因みに匂いは汗でぐっしょりだった割に、洗剤の仄かな匂いが漂ってました。以上、ご報告まで。
三雲が急かしてきたため、風呂場の扉を少し開けて制服を放った。
「ところで先輩、この下着は先輩の趣味ですか? 可愛いですね」
「妹のだっつったろ」
「えー、でも先輩の妹さん見たことないですし、存在すら今初めて知りましたよ?」
「そりゃ言ってねえからな」
別に隠していたわけじゃない。話すこともなかっただけだ。そもそも俺と妹の仲はそれほど良好ではない。
普通ラブコメでは妹はブラコンだと相場が決まっているはずだ。何でそこだけ奇を衒ったのか。妹にトラウマでもあんのかよ。
「妹さん、今お幾つなんですか?」
「十五だ」
「わお、同い歳! もしかして常陽ですか?」
「いや、聖女だ」
「せ、聖女!? 先輩と違って頭良いんですね……」
「お前と違ってな」
聖和女子高等学校、通称聖女。この辺りじゃトップクラスの才女が集まる女子校だ。まあ、今は妹のことはいい。
「んなことより、支度終わったか?」
そう声をかけてみるが、三雲からの反応はない。急いでいるというのに、何をゆっくりしているんだ。
扉を叩きながら何度か名前を呼んだところで、「先……輩……」と弱々しい声が返ってきた。
扉越しに微かに聞こえるすすり泣く声。時折嗚咽を漏らし、泣いているように思える。
突然のことに思わず動揺し、扉に手をかけたところでハッと我に返る。
あっぶねえ。危うく『朝っぱらから後輩女子を家に連れ込んだ挙句、風呂上がりに襲いかかった男』という不名誉極まりないレッテルを貼られるところだった。主人公どころか人として何もかもが終わる。
「何かあったのか?」
「先輩……」
グズグズと鼻をすする。やはり何かあったようだ。いざとなれば不名誉な称号を得ることになってでも──
「Dなんてぶかぶか過ぎて合わないですぅ! おっぱいの格付けチェックなんて聞いてないですよぉ〜!」
「うるせえ! てめえのでも着けてろ!」
心配して損した。
「ぐすん……おっぱいが……名前も知らない妹さんのおっぱいが私を傷つける……」などとボヤいている三雲を放置し、俺も改めて支度を終える。
くだらないコントのせいで遅刻確定。劇場ならブーイング待ったなしだ。もう間もなく一限が始まってしまう。ホント、何て言い訳しよう……。
「お待たせしました……」
「お、おう」
やたら落ち込んでいる三雲。なんかごめんね、うちの妹が。まあ、成長期は人それぞれだしきっと三雲もいつか……。想像できないな、うん。
ふらふらと覚束無い足取りで、三雲が俺との距離を詰める。
「アカリ先輩」
「な、なんだよ」
三雲はがしっと俺の手を掴んだ。そのまま押し倒されるように三雲に跨られる。
嫌な予感しかしない。なんか目が怖い。やめろ! その目をやめろ!
「おっぱいって、揉まれると大きくなるらしいですよ。ほら先輩……」
「おいバカやめろ、離せ、やめろー!」
我ながら凄まじい棒読み。なんかこう、嫌じゃない。
いやいやいや、後輩相手になに欲情してんだ。
胸が小さくても小柄で細身で抱きしめたくなるとか、いつも元気な三雲が艶かしい表情をしているとギャップでドキドキするとか、そんなことは思ってない。断じて。絶対。ホントだよ?
「何してんの?」
場が凍るとはこういうことを言うんだなぁ。一瞬にして血の気が引いて指先の温度が失われる。めのまえが まっしろに なった▽
声の主は俺たちには目もくれず、それどころか俺の存在を認識していないかのように俺の脚を踏んで行く。
「きも」
冷めた目でこちらを一瞥した彼女の名は柊木明。紛れもない俺の妹だ。たぶん。俺の妹がゴミを見る目で俺を睨むわけがない。あるんだよなぁ、それが。
ラブコメだとお助けキャラ。エロゲーだと血が繋がってない隠しキャラ。じゃあ現実では?
赤の他人同然の、むしろ好感度が南極の平均気温並に低いラスボスだ。そんじょそこらのRPGのボスより強い。いてつくはどうばっか使ってきそう。
いやこの世界はフィクションだろ? だったら妹も優しくしてくれ。ここだけリアリティ求めんなよ。どの層に向けてんだよ、レベル高すぎるだろ。
外から帰ってきた明が二階に上がって行ったのを確認すると、三雲が耳打ちをする。近い近い。こいつには恥じらいがないのか?
「今のが妹さんですか?」
「ああ」
「なんでこんな時間にお家に?」
「さあな。あいつの考えてる事はわからん」
明が俺に話しかけることは滅多にない。当然、俺から話しかけることも。
昔は俺のことを追いかけて来る可愛い妹だったのに、どうしてこうなってしまったのか。鏡でも見りゃ一発でその理由が分かるな、うん。
それよりも、だ。
「そろそろ行かねえとまずいだろ」
「あ、もう九時過ぎてますね。でも大丈夫です! 正直に謝ったら許してくれますよ!」
「言えるか!」
汗だくの後輩の女の子家に連れ込んでシャワー浴びせた後に胸を揉まされそうになってるところを妹に見られて修羅場ってました〜!
……はいそうですか、で済まされる内容じゃねえ。病院か少年院か生徒指導室のどれがいいか予め選んでおくべきだな。冒険の最初の三択にしてはハード過ぎない?
「とりあえずお前先に行け。一緒に行くところ見られるのはまずい」
「えー。一緒に行けばデートって言い訳で済みますよ?」
「何も済んでないんだよそれ。何より教室から見られて俺が死ぬ」
紗枝や桐崎に見られたらと思うと……想像するだけで背筋どころか全身が凍る。なるほどこれが急速冷凍。解凍出来そうにないのでこのまま休んでもいいですか?
「一緒にお休みしません?」
「しません」
とは言ったものの、一度サボるとサボる口実が見つかる度にそちらに引っ張られてしまう自分が居る。休みたいなぁ、一人で。
いや、解凍できないから、はサボる口実にはならないな。
「ぶー。じゃあ私行ってきます」
「おう、行ってらっしゃい」
渋々家を出て行こうとした三雲は、玄関でピタリと足を止めた。
忘れ物だろうか。あ、良識をどこかに落とされました?
「行ってきまーす!」
「お、おう」
「もう。ちゃんと行ってらっしゃいって言ってくださいよ。夫婦みたいで良かったですよ、さっきの」
「うるせえ、はよ行け」
行ってらっしゃいに新たな境地を見出した三雲を無理やり追い出す。
何やら外で文句言っているがとりあえず放置。そんなことより、今はどう言い訳をするか考えるべきだ。
なんかいつも言い訳ばっか考えてんな。




