08『神の道具』
天使といっても、別に羽が生えた訳でもない。
今さら気付いた事だが、天界に来てからの僕の服は死んだ時に着ていた普段着から、少しダボっとした聖職者の様な衣装に変わっていた。
白一色というのが、せめてもの『らしさ』なのかもしれないが、それ以外、特に変わった事もなく、僕は天使へと転生した身で地球へと降臨した。
例の広場から、マルヤが詠唱を終えると同時に転送された僕たち――降り立った地は、なんと僕が殺された公園だった。
暗闇という事は時刻は深夜。天界と地球の時の流れがほぼ同じなら、僕が殺されてから二日後の夜という事になる。
あたりを見ると、僕が息を引き取ったであろう木のそばには、警察による規制線が張られていた。
だとすると僕の死は殺人事件として扱われ、大事になっているのだろう。
親代わりの住職や、学校の友だちにも迷惑をかけているかもしれない――と、僕は死んだ後でも、そんな事がまず頭をよぎる性分だった。
でも、「まだ近くにいるわよ」というマルヤの声が、僕のそんな感傷を断ち切る。
そうだ、僕は自分の死を見届けに地球に来た訳じゃない。テルメメロイとレジーラからの指令で、神を殺しに来たのだ。
天界の汚れ仕事――離脱者『ノイズ』の討伐という使命を果たすために。
そのための戦神、ヴェルカノンもマルヤを挟んで、隣に控えている。
ヴェルカノンは、あくまで目付神であるマルヤに預けられた存在で、僕の管轄下にある訳ではない。
だから彼女のそばに行きたい、話しかけたいという欲求はあれど、一応、僕はマルヤの部下に過ぎないという立場を遵守して、少し離れた立ち位置を取っていたのだ。
ヴェルカノンは、そんな僕を気にする様子もなければ、討伐を前に緊張している素ぶりも見られない。
そんな霞の様な彼女だから、僕ばかりいつもヤキモキしてしまうのだが、ここは私情は抑えるべきだ。
なぜなら、今から始まるのは命のやり取り。非戦闘員とはいえ、僕にも命の危険はあるはずなのだから、気を引き締めて臨まなければならない。
「ねえマルヤ、本当に近くにいるの?」
「いるわ」
不安げな僕の声に、マルヤは短く答える。
深夜、かつ殺人事件の現場という事もあって、あたりにはまったく人の気配はない。
「どうして分かるの?」
「戦神はその存在を、隠しきれないシステムになっているのよ。だからアタシの索敵からは逃れられない。おおよその目星はつけて降りてきたから、ここで間違いないわ」
(またシステムか……)
マルヤの答えに、戦神という存在が、神々の中でどれほど『道具』として扱われているのかと、僕は内心でまた不快感を覚える。
同時に、犯罪者はその現場に戻ってくるという心理は神も同じなのか、などと考えていると、
「ケッ、思ったよりも早く来やがったな」
という獣の様な声に、思わず僕は戦慄した。
恐る恐るその方向を見ると、服の上からでも分かるほどの筋骨隆々とした男が、僕たちを睨みつけている。
しかも男の顔は、こめかみから上が左半分なくなっていた。
それでも生きているという事は、彼は人間ではない。
すなわち、これこそ僕たちが指令を受けた討伐対象――戦神ガズルに間違いなかった。
「ガズル、あなたを討伐に来たわ」
「へっ、一度失敗しておきながら、よくノコノコとまた来れたもんだな」
マルヤの言葉にガズルは臆する事なく、そう言い返す。
思い返せば、僕はこのガズルに殴打されていたヴェルカノンを助けようとして、鎌で斬り裂かれ殺されたのだ。
あの時はヴェルカノンの魅力に取り憑かれ、平常心を失っていたため、正直その姿をよく覚えていなかったが――今あらためて見るその姿は、人の形はしていても、人ならざる威圧感に満ちており、僕はよくこんな存在に立ち向かったものだと、今さらながら恐怖と共に驚愕を覚えていた。
「ガズル、もしおとなしく連行されるなら、寛大な処置もあるかもしれません」
この期に及んで、マルヤは説得を試みようとする。
「断ると言ったら?」
予想通りのガズルからの答え。それに、
「どうして……どうしてなの⁉︎ あなたは、あれほど清廉な戦神だったはずなのに⁉︎」
マルヤは、何やら過去の話を持ち出して、必死に訴えかけている。
「いい加減気付けよ……。俺とお前が討伐に送り込まれた世界――凶悪な五人の戦神が逃げ込んだ、バルメドールの事をよ」
「何を言っているの? あれは、あなたがバルメドールに着いて、すぐに脱走したから――」
「本気で奴らに勝てると思ってたのか? いいか、あれは威力偵察――俺たちは『捨て石』にされたんだよ!」
「えっ……」
ガズルの言葉が胸に刺さったのか、マルヤは絶句してしまう。
「戦神なんざ、しょせんは使い捨ての駒だ。だから俺も折を見て逃げようと思ってた。そのために清廉な犬を装って、お前みてーな雑魚神が目付神になっても逃げねーって、思わせるまで……機会を伺っていたんだよ」
「嘘……」
「そんで、ようやくこの地球に転移したってのに、お前が討伐に来た時はお笑いだったぜ。しかも、討伐に失敗したお前をまた寄越すなんざ、議会もヤキが回ったか?」
雑魚呼ばわりされ涙目のマルヤに、追い討ちをかける様にガズルは饒舌に喋り続ける。
「それに戦神もまた同じとは……おや?」
不意にガズルの視線が僕に向けられる。
「お前はあの時、俺に斬られたガキじゃねえか。そのナリって事は……そうか、天使に転生させてもらったのか。こりゃ傑作だぜ!」
大笑いするガズル。だが彼はすぐに真顔に戻ると、
「だが、残念だったな。すぐに俺がまた殺してやるから……覚悟しとけや」
その凶暴な本性をさらけ出し、僕の抹殺を冷酷に宣言してくる。
初めて感じた死の恐怖――それに僕は動けなくなってしまったが、
「許せない……! ヴェルカノン、いきなさい!」
女の子とはいえ、目付神に指名されるだけあって、マルヤは侮辱への怒りに震えながら、ガズルへ敢然と立ち向かう姿勢をみせた。
だが戦神への枷である『緊縛の鎖』を用いず、真っ先にヴェルカノンを前に立てたという事は、もうマルヤの力ではガズルを抑えられないという事だ。
だから戦神には戦神を――『神の道具』の命をかけた戦いが、これから始まるのだ。