06『白と黒』
現世で殺された僕が、天使として異世界に転生してから――一夜が明けた。
神の世界にも夜があり、それが一日という単位であるのは非常に分かりやすく、用意された自室で疲れ果てた僕は、
(天使になっても眠くなるんだ……)
なんて事を考えながら、そのまま眠ってしまった様だった。
――ヴェルカノンとの出会い。僕の死。そして天使への転生。
浅い眠りの中で、思い起こされる数々の出来事に、そんな濃密な一日がもしかしたら夢だったのでは――と、夢の中で夢オチを想像していた僕は、
「いつまで寝てんのよ! 早く起きなさい!」
という、いたってリアルな、それでいて耳が痛くなる様な大声で叩き起こされた。
(自宅の目覚まし時計でも、もうちょっと優しいぞ)
と、最悪の目覚め方をした僕の目の前には――大天使として、僕の教育係になったツンツンツインテール――マルヤがいた。
彼女がいるという事がとりもなおさず、すべてが現実だったという事を物語っているのだが、
「何よ。アタシの顔になんか付いてるわけ?」
いくら教育係、いや昨日の口ぶりでは、僕はマルヤの実質部下になった訳だが、それにしても人の寝室に無断侵入した上に、爆撃の様なモーニングコールの後のこの言いようは、あまりに横暴だった。
でも、他人に言い返すという事を知らない僕は、
「アハハ……おはよう……マルヤ……さん」
と、彼女の顔を見たまま、それでも穏便に事を済まそうと、引きつった笑顔で朝の挨拶をする。
「フン……早く支度しなさい。テルメメロイ様がお呼びよ」
バカ面さげてんじゃないわよ、の一言でも食らうかと思っていた僕にとって、その答えは拍子抜けともいえるものだった。
しかも、上級神による議会の議長である、神長テルメメロイからの呼び出しとはどういう事だろう。
おそらくは昨日、下級神から大天使への降格を告げられた直後に、それを挽回すべく戦神のヴェルカノンを強奪しようした、マルヤへの審問か何かなのだろうが――それに僕まで呼ばれているという事は、等しく同罪認定なのかと、朝から気が重くなってきた。
まあ、マルヤの行為は褒められたものではなかったが、僕がそれに便乗したのも事実だ。
予想外のヴェルカノンとの再会に無我夢中だったとはいえ、マルヤと同じく『緊縛の鎖』で戦神を拘束したという罪状は否定できない。
暴走超特急の様な上司を持ってしまったと諦め、こうなれば一蓮托生かと、そんな事を考えながら準備をしていると、
「あ、あのさ……」
というマルヤの声が、背中越しに聞こえてくる。
神妙というか――まだ浅い付き合いながら――『彼女らしくない』その声音に違和感を感じながら振り返ると、
「助けてくれて……ありがと」
そっぽを向きながら、小さな声でマルヤはそう言った。
確かに、ヴェルカノンの反撃を受けそうになった彼女を、僕が身を挺して守ったのは間違いない事実だったが――これまでの僕の人生からいえば、ピンチの女の子を助けるというのは、いたって当然の事だった。
それにその後、僕の思いはヴェルカノンだけに向けられ、正直マルヤの事は眼中に入っていなかった。
なので、『ありがとう』と感謝されても、なんだか申し訳ない後ろめたさもあって、
「い、いや、とんでもない……マルヤさん」
と、僕は変に恐縮した返しをしてしまう。
するとそっぽを向いていたマルヤが、チラリとこちらを見ながら、
「マルヤでいいわよ……」
今度はやけに緊張した声でそう言ってきた。
「……えっ?」
「マルヤって呼んでいいって言ってんのよ! と、特別なんだからね!」
言葉の真意を測りかねていた僕に、今度はいつもの大声でマルヤは怒鳴りつけてくる。
その眼差しが、少し熱を帯びていた事に――やはり彼女も呼び出しに緊張しているのか、と、ここまでの『らしくない』振る舞いと合わせて、僕が納得していると、
「い、行くわよ。さ、さっさと付いてきなさい」
しどろもどろの口調のマルヤは、プイと僕に背中を向け、歩き始めてしまった。
だが次の瞬間、
「あひゃっ!」
という訳の分からない奇声を上げながら、足をもつれさせたマルヤがコケた。それもかなり豪快に。
「アイタタタタ……」
地に伏した格好になった彼女の、清廉な白い衣装のスカート部がめくり上がり――その中にある、これもまた美麗な白い下着が丸見えになっている。
「な、なに見てんのよ!」
それに気付いたマルヤが、立ち上がるやいなや、羞恥と怒りに顔を真っ赤にしながら、僕に食ってかかってくる。
「ご、ごめん!」
僕は無実のはずだが、条件反射で謝ってしまう。
でも、これが本来の僕らしさの『はず』だった。
不意に――その正反対ともいえる――昨日、僕を襲った激情の一部始終が頭に浮かんでくる。
下卑た叫びを上げ、女性を鎖で縛りつけ、それだけでなく跪かせもした、信じられない自分の行為。
いったいあれは何だったのかと考えようとするが、喚き続けるマルヤの怒声がそれを許してくれない。
同時に、女の子のパンツをこんな間近で見てしまった事にも、少なからず動揺もしてしまっている。
だが――そんな中、マルヤの下着を見たにもかかわらず、僕の心にはヴェルカノンが蹴りを放った時に見えた、黒い下着の事が鮮明に思い出されていた。
こんな時でさえ、やはり僕の心はヴェルカノンだけに向いている事をあらためて認識し、マルヤへの申し訳なさで、いたたまれない気分になる。
それからテルメメロイの元に向かう間もマルヤは、やれエロ天使だの、スケベ天使だのと、僕を罵り続けていたが、そのおかげで彼女はいつもの『らしさ』を取り戻した様で、それはそれで僕は内心ホッとしていた。
ようやく少し落ち着いた事もあって、歩きながら審問の内容とはどんなものなのだろうと、気を取り直して考えてみる。
まあ、どう言い繕っても事実は変わらないし、レジーラとかいう、ムチャクチャ強い女神に現場を目撃され、彼女の鞭で吹っ飛ばされた上に、『追って沙汰する』とまで言われていたのだ。
状況として現行犯だし、下手な嘘や言い訳を言っても神様相手には通じないだろう。それに、もとより嘘をつく気もない。
ただ、できるだけ寛大な処置を期待するだけだ、などと考えていた僕は不意に、そのレジーラという女神が言っていた『鍵』という言葉を思い出す。
(あの女は、僕の事を『鍵』と言っていた……それってどういう事なんだ?)
無性にそれが気になりだしたが、「着いたわよ」という、マルヤの少し緊張した声が、僕の思考に割って入ってくる。
気が付けば、僕とマルヤは、初めて僕が天界で目を覚ました『例の広場』に到着していた。
そして考える暇もなく、光があたりに満ち溢れ、一瞬で僕たちはテルメメロイの元へと転送されていった。
審問――そう思っていた僕たちは、そこで予想外の『指令』を受ける事になるのだった。