38『奇策』
サリアヴィオラとの早期決着のために、街へ反転した僕たちだったが、リュルルとの戦闘で著しく体力を消耗した僕を気遣い、結局、進攻は翌日へと持ち越しになった。
その夜――。僕は思い出す。
『緊縛の鎖』でリュルルの洗脳を解いた時に流れ込んできた――アーデン反逆の瞬間の映像を。
リュルルの幼い目には、バルメドールに降り立ったアーデンが目付神たちに罵倒される姿が映っていた。
そして――『声』が聞こえた。
それはおそらく、その場にいたサリアヴィオラや、目付神たちにも聞こえていたのだろう。
なぜならその瞬間、状況が一変したからだ。
――六道世界は、もはやその形をなしていない。天界は『輪廻転生』を私物化している。
声の主は、第七世界セブンスロードの創造主、シャウア。
彼が、天界が戦神の転生を許していないと告げると、怒りを爆発させたアーデンが二人の目付神を殺害した。
天界の汚れ仕事を背負わされ、使い捨ての様に扱われる戦神の悲惨さは、僕もヴェルカノンのご主人様となってから、痛いほど思い知らされている。
だから、『次の生』さえ約束されていなかった事実を知ったアーデンの怒りは、僕にも理解できた。
アーデンの行動は『義憤』だ。すなわち僕の価値観からいえば『正義』だ。
僕が――クッカとボルドスの陣地の人間が、天界により消された事を知った時に抱いた思いと、まったく同じだった。
アーデンはリュルルの願いを聞き入れて、戦神を蔑む事のなかったアロエットを見逃してもくれた。
反逆者なのに――そこには、善悪を見定める血が通っていた。
――果たして僕たちは『善』、すなわち『正義』なのか?
サリアヴィオラの陣地で、直面した思い。
天界を主導する『議会』は、反逆者に降伏した人間をも『失敗作』と断じた。
でも、アーデンもサリアヴィオラも、そんなバルメドールの人間たちを守ろうとしている。
彼らにも、彼らなりの『大義』があったのだ。
もちろん僕たちにも、僕らなりの『大義』はある。
だから――僕はアーデンと話したいと思った。
堂々たる体躯。静かながら精悍な顔付き。そして圧倒的戦闘力を持ちながら、事の理非を知る威厳に満ちた風格。
けっして口には出せないが、僕は彼に男として『憧れ』にも似た感情さえ抱いてしまっている。
彼なら分かってくれる――。
そんな淡い期待を抱いたのは、僕たちが共に、シャウアという存在に導かれているという事もあった。
――真実を知りたければ、セブンスロードに来るといい。
僕は『不死の呪い』を背負ったヴェルカノンのため、セブンスロードに行くと決めた。
だがその関門が、侵食世界となったこのバルメドール――アーデンが天界から守り抜こうとしている異世界だ。
――共に手を取る事はできないのか……。
横たわる僕を、ヴェルカノンが静かな眼差しで見つめている。
僕の思いを、彼女は見抜いているのだろうか。
仮にそれを問い質しても、きっと彼女は、
「私は戦女神――ただ戦い抜くだけです」
と、きっと、はぐらかしてしまうのだろう。
思えば今日まで天使に転生してから、驚きの連続だった。何を信じればいいのか、いまだに戸惑う事ばかりだ。
でもヴェルカノン、マルヤ、アロエット、そして新たに加わったリュルル。
彼女たちのとの絆は本物だ。それだけは信じ抜きたい。
僕は真実を知りたい。どうして六道世界がこうなってしまったのかを。
それがきっと僕が愛したメスブタ――ヴェルカノンを救う事になるのだと、僕はそんな事を考えながら、思い人に見守られたまま眠りに落ちてしまった。
翌日――僕は奇策に出た。
僕の胸には、『お姫様抱っこ』の状態で抱かれたリュルルがいる。
その僕を先頭に、僕たちはサリアヴィオラの陣地である街に、正面から堂々と進入したのだ。
もちろん、リュルルが戻ってこない事を警戒したサリアヴィオラによる、街の住民で編成された哨戒部隊にも遭遇した。
だが、彼らは僕に抱きつくリュルルの姿を認めて、手も足も出なくなった。
僕が思った通りだった――。サリアヴィオラと共に、『可愛い女神様』と崇拝の対象になっていたリュルルが、僕に懐いているという事態は、昨日僕たちを邪神の手先として攻撃までしてきた印象を一変させたのだ。
まるで無人の野を進む様なその間、リュルルはとても嬉しそうにはしゃいでいた。
策の効果として、それはありがたい事だったが――その分、作戦行動だと事前に説明していたにもかかわらず、後ろをついてくるヴェルカノンとマルヤの突き刺す様な視線と、それを面白がるアロエットの含み笑いが、なんとも痛く苦しかった。
それにも耐え、僕たちはまるで聖者の行進の様に、街の大通りを悠然と進む。
街の人たちは、皆、目を丸くしている。
そんな中、
「リュルル様ーっ!」
という少女の歓声が上がる。
見れば声の主は、僕たちに花を選んでくれた花屋の娘――リーザだった。
「リュルル様ー、おかえりなさーい!」
明るく朗らかなリーザの声。するとそれに続いて、
「リュルル様ーっ!」
「今日もお可愛いらしい!」
「リュルル様、こっち向いてーっ!」
という住民たちの歓声が次々と僕たちに、いやリュルルに向かって投げかけられる。
僕はリーザと目を合わせる。
彼女は僕たちを信じてくれていた。だから僕に向かってニッコリと微笑んでくれた。
いける! ――もう住民たちが僕たちの敵に回る事はない。
そう確信して、僕はリュルルを抱いたまま、侵食世界の原因となっている結界の元である『石碑』へと向かう。
鈍い光を放つ石碑――街の住民が『御神体』と思い込まされているそれと、再び僕たちは対峙する。
草原に静かな風が吹いている。その中に――サリアヴィオラが待ち構えていた。
「てめえら……」
苦い表情で、リュルルを抱いたまま先頭に立つ僕を睨み付けるサリアヴィオラ。
彼女はリュルルに二段洗脳を施した上で、一度目の洗脳を解いて油断した僕の抹殺を狙った。
だが僕は、規格外の権能――『緊縛の鎖』による『支配』の力でそれを打ち破った。
リュルルは無邪気に、サリアヴィオラの名前を呼びながら手を振っている。
それはやはり彼女たちにも、絆があるという事を物語っていた。
サリアヴィオラが動く。リュルルに対して、再度の洗脳を狙っているのは明らかだった。
それに、
「もうリュルルに魔眼は効かない――。リュルルは僕が支配した。もうこの子は――僕のものだ!」
と、僕は言い放つ。
リュルルはその意味が分からずキョトンとしていたが、サリアヴィオラの表情には動揺の色が浮かび上がっていた。
同時に、
「ご主人様――!」
「なに言ってんのアンタ!」
という、ヴェルカノンとマルヤによる弾劾にも似た叱責が飛んできたが、ここは背筋を寒くしながらも勇気を持ってスルーする。
ここが正念場だ。住民たちが僕たちを攻撃してこないのなら、勝機は十分にある。
そう思った矢先、
「フッ、どうしたサリアヴィオラ。――手助けが必要か?」
という重く突き刺さる様な、男の声が耳に飛び込んでくる。
僕は目を疑った。
石碑の陰から静かに現れた声の主は、真紅の装束に身を包んだ男。
それは間違いなく、ヴェルカノンを赤子の手をひねるがごとく葬り去った紅の戦神、アーデンだった。