03『天使』
僕が――天使? 転生?
神長テルメメロイの言葉は、にわかには信じがたかった。ああ、テルメメロイというのは、ここまで僕に神の世界のシステムを説明してくれた老婦人の名前だ。
ちなみにこれも後で知った事だが、神長というのは合議制である上級神の議会をまとめる議長の役割らしい。
そんなまるで内閣総理大臣みたいなポストのテルメメロイが、
「本来、人間は死すればその積み重ねてきた功罪によって、再びしかるべき人間に転生します。ですがショーカ、あなたは此度、私たち神々の失態によって命を失いました。これは痛むべき事態です。ですので、これまでの人生における善行も重んじ……あなたを天使へ転生させ、私たちの眷属としてその末席に迎える事とします」
と口にすると、左右に並んだ上級神たちも口々に、「異議なし!」と言った事で、僕の天使への転生はあっさり可決された。
いきなり天使と言われても、どうすれば良いのか分からない。
ジョブチェンジにしても、かなり衝撃的な部類に入るだろう。
「あの……それで僕は、何をすればいいんでしょうか?」
率直な質問をする僕に、テルメメロイは優しく微笑みながら、
「大丈夫です、あなたには教育係を用意しています。マルヤ――」
と口にすると、「はい、テルメメロイ様!」という声と共に、僕の傍らに一人の女の子が現れる。
まるで瞬間移動でもしてきた様なその子は、歳の頃は僕と同じ十代後半の様に見えた。
でもきっと、彼女も神の一族なんだろうから、見た目に反して年齢は五千歳とか、そんな事もあるのかな……などと、もうすでにこの天界に順応し始めていた僕は、ハッとある事に気付く。
――この声は、聞き覚えがある!
それは、僕がヴェルカノンに見とれていた時に、あたりからギャーギャー聞こえていた女の声だった。
僕が致命傷を負ってからも、ヴェルカノンに向かって、何をしているだの、追えだのと、うるさいくらいまくし立てていたから、はっきりと覚えている。間違いない。
あの時いたのはこの子だったのか……などとボンヤリ考えていると、
「マルヤ、二度に渡る討伐の失敗。ばかりか下界の人間を巻き込み、死なせてしまうという失態。あなたも下級神から大天使に降格となったことで、その重大さは身に染みている事でしょう」
という、テルメメロイからの声が聞こえてくる。
マルヤと呼ばれた女の子の肩が震えている。だがそれが恐怖ではなく、屈辱によるものである事は、下を向いた彼女の厳しい顔付きから、すぐに分かった。
つり上がった勝ち気な目。しっかりと結ばれたツインテールからも、彼女の強気そうな性格が見て取れる。正直、このタイプは苦手であった。
「マルヤ、木戸聖佳を下級天使として転生させました。あなたに、彼の教育係を命じます」
「――――⁉︎」
テルメメロイの言葉に驚き、思わずマルヤの顔を覗き込んでしまう。
だがそんな僕に構わず、「テルメメロイ様!」と、彼女はキッと顔を上げると、
「お願いします。私に……私に、もう一度討伐の機会をお与えください! 今度こそ、今度こそきっとやり遂げてみせます! お願いします、テルメメロイ様!」
と、あの時と何も変わらないヒステリックな大声で、自分の主張をまくし立てる。
「マルヤ……」
だが、テルメメロイは穏やかながら、厳格な口調でそう言ってから、
「あなたに拒否権はありません。本来なら厳罰をという意見もありましたが、あなたは己の失態により命を失ってしまった、このショーカを天使として全力で育てる事で、その贖罪とすべき――と、私の一存で決めたのです」
と、これが寛大な処置であるという事を説いた上で、マルヤの哀願を柔らかく退けた。
「まったく、身の程をわきまえよ」
「これだから下級神は」
左右に居並ぶ上級神たちの侮蔑の言葉に、マルヤへの同情を抱きかけたが、その中に、
「やはりヴェルカノンは無理であったか」
という言葉があったのを聞き逃さなかった僕は、その瞬間、雷に打たれたかの様に心を震わせた。
天界に来てから、初めて聞いたヴェルカノンの名前。
いったい彼女はどんな存在なのかと、それを問いただすべく身を乗り出そうとしたが、
「では、これにて議会は終了といたします。マルヤ、ショーカ、励みなさい」
というテルメメロイの一言で、荘厳な部屋は一瞬で元の屋外へと変わり、上級神たちも煙の様に消えてしまった。
そして、天界の広場に戻された僕とマルヤ。
ヴェルカノンの手がかりが得られず、失意の底に陥りそうな僕だったが、それを許してくれなかったのは、隣に立つマルヤという存在だった。
とにかく気まずい。気まずすぎる。
焦点が合ってない、はるか彼方を睨みつける目は、明らかに怒りに満ちていたし、とにかく僕のこれまでの人生経験から察するに、この子は無鉄砲で危なっかしいタイプに間違いなかった。
それが正解である証拠に、「チッ!」と彼女は下品な舌打ちを残すと、まるで僕なんていないかの様に、スタスタとどこかに向けて早足に歩き始める。
僕を天使として育てる事が贖罪だと、あれほど言われておきながら、もうどこ吹く風のマルヤだったが、
「ちょ、ちょっとマルヤ――」
と、僕が呼びかけると、ピタリと足を止めた。
嫌な予感がした。
それがまた正解である証拠に、
「なに呼び捨てで呼んでんのよ! アンタは新米の天使、アタシは下級神…………」
とまで言って、少し口ごもってから、
「大天使! だ、い、て、ん、し、よ! 下級天使のくせに、口のきき方に気を付けなさい!」
マルヤはことさら居丈高な口調で、例の大声でまた僕に向かってまくし立ててきた。
年功序列には厳しいタイプらしい。僕の一件で降格された事もあって、その舌鋒はさらに鋭さを増している様子だった。
見たところ十八歳の僕と同い年ぐらいに見えるのに――いやいや、神の一族だからやはり僕よりはるかに年上なんだろう、と、さっきと同じ考えにふけっていると、またマルヤは僕を置いて足早に去っていく。
「ねえ、待ってよマルヤ……さん。いったい神様って何をするのさ?」
追いかけながら僕は、神々がいったい何を成す存在なのかという、その根本についてまず問いかけてみる。
「神とは創造するもの。また創造したものを正しく導くものよ!」
ひどく抽象的な答えが返ってきた。その間もマルヤは足を止めない。
「じゃ、じゃあさ、天使って――僕がなった下級天使って何をすればいいのかな?」
「はあ? 天使なんて神の使いっ走りよ! んでもって、下級天使のアンタは大天使のアタシの使いっ走りなんだから、黙ってアタシにハイハイ従ってりゃいいのよ!」
なんだか、とんでもないブラック企業に就職した気分になってきた。
そんな僕の暗澹とした気持ちを察する事もなく、マルヤはとある屋敷の前に到着すると、ようやくそこで足を止める。
暗い――。澄み切った大気だったはずの世界で、まるでそこだけが黒く澱んでいる様な印象を受けた。
いったいここに何の用事があるのかと僕が思っている間に、マルヤは無作法に屋敷の扉を開け放つと、ズケズケとその中に入っていく。
慌てて僕もその後を追う。マルヤを放っておけないという気持ちもあったが、それ以上に僕の感性は、なぜかそこに探し求めているものがある気がしたのだ。
薄暗い室内。その中にマルヤの大声が響き渡る。
「いるんでしょ⁉︎ 出てきなさい――ヴェルカノン!」
再び、僕の心が震える。
そして薄い靄がかかった闇の中に、女の姿が浮かび上がってきた。