請求され少女
男の始末をつけてから数分後――
「いやぁ、ごめん。道に迷ってさぁ」
侠一郎は火澄の部屋にやってきていた。
「メシを食おうにも高いし、全く嫌になるぜ」
火澄は陽気に話す侠一郎に対して冷たい視線を送っていた。
合流しなければならない事情があるにしても、ようやく別れて一人で行動できるようになったと思った矢先にこれだから不満は隠せない。
「どうしてこの部屋が分かったの?」
口調は鋭く詰問するような雰囲気であったが、侠一郎はそれを無視して陽気に話す。
「なんとなく訪ねてみたら、神名さんの部屋だったって奇跡が起こっただけだよ」
「そんな話を信じるとでも?」
「いや、冗談だから信じられると困るんだけど。どう考えたって、そんな運命的なことが起こるわけねぇじゃん」
火澄は近くにあったクッションを掴んで侠一郎に投げつける。
ホテルの備品であるので乱暴に使うのは控えるべきだったが、侠一郎のふざけた物言いに感情を抑えられなかった。
「それよりも、予備のスマホとか財布は見つかったのか?」
侠一郎は飛んできたクッションを受け止めて火澄に尋ねる。
侠一郎の問いに対して、火澄は仏頂面で自分の財布を手に取ると、その中から数万円分の抜き出し侠一郎に手渡す。
「女子高生が持ち歩く金額じゃないと思うぜ?」
侠一郎は受け取った紙幣の枚数を確認すると、それを懐に収めた。
予め打合せされていたような動きに、二人の間に何らかの契約があることは見て取れる。
「生活費とかその他諸々よ」
「遊ぶための小遣いとか貰ってねぇの?」
「そんなものは必要ないわ」
それは寂しい人生だし、属している組織も碌なものではないなと侠一郎は言いそうになったが、詳しい事情も知らないのに余計な口を挟むというのも憚られると思い口にしなかった。
「電話はしたのか?」
「これからだから、待ってて」
火澄は気の進まない様子で軽くため息を吐くと、スマホを手にして、連絡先から自分の上司へと電話を繋ぐ。
「――もしもし、神名です。報告したいことと、お願いがありまして。――いえ、任務に関しては大きな問題は発生していません。――いえ、そういうわけでもなく、ただ黒桜市に関して何か御存じのことは無いかと――。はい、特別な何かは無いということですね。――いえ、でしたら特には何も。――はい、それとお願いがありまして、それは、えーと……」
そこまで話して火澄は口ごもり、侠一郎の方を見る。
口に出したくない様子ではあったが、言ってもらわなければ侠一郎としてもどうしようもないことであり、侠一郎は肩を竦めさっさと伝えるように態度で示す。
それを見た火澄は覚悟を決め――
「すみません。五億円ほど、私の口座に振り込んでもらえないでしょうか?」
――耳を疑うような金額を電話越しに催促したのだった。
……事は侠一郎たちが家を出る前まで遡る。
生き返ったものの体調の優れない火澄に対して侠一郎が要求したことは──
「出てっても良いけどよ。その前に治療費をなんとかしてくんねぇかな?」
何を言っているのか咄嗟に理解できていなかった火澄に対し、侠一郎は言う。
「いや、神名さんを生き返らせた費用だよ。一応、医者を呼んだわけだし、その分のお金を払わないとさ」
なんで私に言うのだろうという表情を火澄が浮かべていたので侠一郎は説明を続ける。
「私は関係ありませんてツラしてるけどよ、元はと言えば神名さんが夜道で俺に襲い掛かったりしなけりゃ必要なかったお金なんだぜ? つーか、俺としては迷惑料を貰っても良いくらいなんだけど、それを請求しないで立て替えた分の治療費だけで済ませようとしてるんだから、有難く思って治療費だけは払おうぜ」
侠一郎の言葉に対して釈然としないものを感じていたものの、払わないとこじれそうな予感もしたので、火澄は仕方なく払うことを決めて尋ねる。
「いくら?」
どれだけ高いにしても十万かそこらだと思って聞いたのだが――
「五億円」
火澄は返ってきた答えを耳にして、硬直する。
五億円つまりは一億円の札束が五つ。もしくは一千万円の札束が五十個。更に言うと百万円の札束が五百個いる金額である。
「ふざけてるの?」
「いや、マジだよ」
火澄の言葉に対し、侠一郎は真面目な様子で説明を始める。
「あのさ、普通に考えてみなよ、死んだ人間を生き返らせるような技術がそんなに安いわけないじゃん? いや、正直言うと黒桜市ではクソ安いんだけどね。でも、それって市民の保険適用した値段なんだわ。市民はどんなに精度の高い蘇生術でも支払いは五万円までだけど、余所者にはそのルールは適用されないの」
侠一郎の説明に対し、何を言っているんだという思いを瞳に浮かべながら火澄は黙って聞いていた。
「だって、安かったら、金を持ってて裏の事情に精通した余所者がどんな手段を使っても生き返ろうとするじゃん? そういうことをされて、世の中のルールを乱しては良くないって感じで、気軽に払えない額にしてんのよ」
「……そんな額を素直に払うと思うの?」
色々と理不尽な上に自分には理解しきれない話を聞いていたせいか、火澄は思わず強い口調で侠一郎に尋ねる。それは侠一郎からすると、支払いを拒否しているようにも聞こえ――
「素直に払わないと辛いのは火澄さんだと思うけどな」
侠一郎がそう言うと、火澄の体から不意に力が抜け、その場に倒れ込みそうになる。
「説明すると、火澄さんは現状では生き返り切れてないんだわ。支払いを完了して初めて、完全に生き返って、今まで通りの生活を送れるようになるんだ」
侠一郎は倒れそうになる火澄の体を支えながら、そのことを伝える。
火澄は、体を支えてくれたことに対して礼を言うべきではあったが、とてもそんな気分にはなれず、無言であった。
それも仕方ないことで、金を払わなければ死ぬのだから、感謝の言葉などを一々口にしている心の余裕はなかった。
「とりあえず、神名さんがお財布とかを持っていないのは分かるし、神名さんにお金を出している人たちが五億円を払ってくれるかもしれないから、連絡先が保存されてるスマホでも取りに行こうぜ?」
そうして侠一郎と火澄はホテルへと向かい、今に至るわけである。
火澄は自分の命を守るために五億円を自分が所属している組織に支払ってもらおうとしたのだが――
「いえ、冗談ではなくて……。あ、はい、本気だとしても五億円は払えないんですか? いや、それはちょっと困る……いや、そちらが忙しいということは知っていますけども、それでも、そういうことになると――あ、切れた……」
結局は火澄の上司は火澄の話を冗談と受け取ったようで、火澄の頼みは相手にされなかった。
それはつまり、五億円は支払われることは無いということで、火澄は自分が極めて危険な状況に陥ったことを理解するのだった。