始末をつける
侠一郎の拳を受けた男が叫ぶ。
「小僧っ!」
「化けの皮が剥がれるのが早すぎんだろ」
醜態を晒し始めたことに対する嘲りを呟きながら、侠一郎は動く。
相手の油断のおかげで、間合いは最高の位置まで詰めている。それは踏み込み一つで最速の拳が放てる間合いだった。
侠一郎からすれば相手はなんの因縁も無い通り魔だ。
わざわざ口上を聞いてやる道理も義理も無い。だから、問答無用で殴る。
名前を言おうとしたら、隙があったので殴った。
何か術を発動しようとしたので殴った。
ゴチャゴチャとやるのも面倒くさいので殴った。
侠一郎にとしては、それで充分すぎるくらい相手に構ってやっているつもりだった。
一発、二発、三発と拳を叩き込まれるたびに男の顔は怒りで歪んでいくが、そんなことはお構いなしに侠一郎は丁寧に打撃を入れていった。
相手の攻撃にタイミングを合わせるのではなく、相手の攻撃をしようとするタイミングを潰す攻撃だ。
何かしらの特殊な術や能力を発動しようとする気配があれば、鼻先にジャブを打ち込む。
意識は飛ばなくても、集中は消え、発動しようとしていた術はキャンセルされる。
術や能力が使えなければ、咄嗟に手が出るが、咄嗟の攻撃などは腰の入らない手を振って出すだけの攻撃が関の山であり、簡単に軌道が読める。
なので、侠一郎はそのような攻撃が来る瞬間に、深く踏み込み腹に拳を抉り込むように打つ。
すると、相手の振った腕の軌道は懐に潜り込んだ侠一郎には届かず、侠一郎の攻撃を一方的に受ける形になる。
そのような状況になれば、相手は侠一郎を遠ざけようとするか、自分が遠ざかろうとする。
だが、それこそが侠一郎の思うツボであり、相手が侠一郎から逃れようと重心を後ろに下げ、上体が僅かに後ろに反らされた瞬間、開いた顎に侠一郎のアッパーが叩き込まれる。
「この街じゃ、この間合いで俺と喧嘩しようなんてアホは殆どいねぇぜ?」
侠一郎の拳を全く認識できていないのか、男の方は驚愕を隠せない様子で、突破口を開こうと考えるが何も出来ない。
基本的な速さが侠一郎と違うこともそうなった原因ではあるが、それが全てではない。
攻撃の組み立てや位置取りが侠一郎の方が圧倒的に巧みであったことが大きい。
反撃しようにも、それをする機会すら与えずに一方的に自分が攻撃できる状況を侠一郎は作りあげていた。
戦闘技術に関しては侠一郎の圧勝。
ただし、それでも侠一郎の攻撃には欠けているものがある。そのせいで、侠一郎は圧倒的な優勢を得ているのにも関わらず、勝負を決め切れていなかった。
侠一郎に攻撃に欠けているもの、それはすなわち重さである。侠一郎の放つ攻撃は速いものの軽く、それ故に相手に致命的なダメージを与えることは出来ていない。
「少し休憩すっかね」
軽く息を吐き、侠一郎は攻撃を止める。
すると、その瞬間に侠一郎に好き放題殴られていた相手が、息を吹き返したように機敏な動作で侠一郎に襲い掛かる。
僅かな集中の直後、男の手に光が集まり、集束された光を侠一郎に向けるが、それと同時に即座に間合いを詰めた侠一郎のアッパーが叩き込まれ、発動を阻止する。
「休憩終了。そんじゃ、もう少し続けようか?」
侠一郎は顎をかち上げられた男の脇腹に拳をねじ込み、更に体勢を崩させると駄目押しに身体を旋回させて放った後ろ蹴りを腹へと叩き込む。
やはり攻撃に重さは足りていなかったが、それでも蹴りの威力は充分であり、男の体はトイレの個室の中へと吹き飛ぶ。
その結果、計算していたのか定かではないが、男の体勢は洋式便器に腰かけた状態になる。
「調子はどうだい、オッサン?」
侠一郎は尋ねながらスマホをズボンのポケットから取り出し操作する。
「ふむ、そこまで悪くはないようだ」
答える男も平然としていた。あれだけ殴られていたのにも関わらず、その傷は消えているか、少しずつ癒えていくのが目で見て分かった。その様子はどう見ても普通ではなく、侠一郎は確信を持って問う。
「アンタさ、人間の魂を喰ったろ?」
侠一郎のその問いに、男がその通りだと言うように口元に笑みを浮かべようとした瞬間、侠一郎は便器に腰かけた状態の男の顔面に踏みつけるような蹴りを叩き込んだ。
「っ!?」
先程とは桁違いの衝撃に男は目を白黒させる。
なぜ、いきなり威力が変わったのか、その理由は極めて簡単だ。
さっきまでは手を抜いていた。単にそれだけである。
「オッサンさ、アンタは余所者だから知らないと思うけど。この街には、絶対にやっちゃいけないことが一つだけあるんだよ」
顔を押さえながら男が侠一郎に向けて手をかざそうとするが、その瞬間に侠一郎がその腕を取って、個室内の壁に叩きつけ、押さえつける。
「殺しは別に構わねぇんだよ。盗みも犯しも良くはねぇが、まぁ、それは警察が何とかするし、最悪の状況になっても何とでも取り返しがつくんだよ、この街じゃ」
手を押さえつけられ、逃げ場を無くし、もがく男の顔面に侠一郎の拳が振り下ろされる。
話を聞かせるつもりはあるのか、最低限の手加減はしている。
だが、それでもその拳の威力は死を感じさせるには充分すぎるものがあった。
「盗み、犯し、殺しても、絶対に許されない罪にはならない|黒桜市(この街)で絶対にやってはいけないこと、それはだな――」
侠一郎は手を離し男から僅かに距離を取ると低く重い声で伝える。
「ヒトの魂を喰うことだ」
侠一郎の眼差しから明確な殺意を感じた男は現状から自分が極めて危険な状況にあることを理解する。
今までの戦いから、戦闘で状況を覆すことは不可能であることは理解している。
であるならば、なんとか交渉をしてこの場は見逃してもらう他ない。
そのような考えが出来る点で男は賢明ではあった。だが――
「確かに私や私の仲間は人の魂を喰うが、それであるならばすぐに戻そう。そういうことはできるんだ」
男は嘘をついてはいない。
彼と彼の仲間たちは人間の魂を喰うことで力を高めるという特性を持っており、場合によっては自分の体に取り込んだ魂を元の持ち主に戻すことが出来た。
魂を戻す、それを条件に男はこの場を見逃してもらおうという取引をするつもりであった。
しかし、男の言葉に侠一郎は首を横に振り、ため息を吐く。
「これだから余所者は嫌なんだよな。他所の土地のルールを全く分かってねぇっていうか、なんというかな」
侠一郎はウンザリした様子を隠さずに説明をするのだった。
「外の認識がどうかは知らねぇが、この街では魂っていうのは、真ん中に大きな種がある果実みたいに考えられてるんだわ。んで、お前らが喰ったのは種の方。果肉は喰われても別に良いんだよ、どうせ放っておいたって腐るしな。でも、種の方を喰われたら、果実が芽を出して樹になって、再び実る機会は無くなるだろ? それが拙いわけ」
侠一郎の言うことを男は理解できていなかった。
それは話を理解する能力がないというわけではなく、男が知る知識とは全く違うものであったからだ。
「果実の例で言った魂の種の部分を俺達は〈魂核〉って言っている。魂核が破損すれば、その人間は生き返ることも生まれ変わることもできないってのが、この街のルール。魂核が無事でさえあれば、蘇生も転生も出来るんだから、その可能性を奪うってのがヤバいことだってのは分かるよな? まぁ、それ以外にも世界に存在するはずの魂の絶対量が減るから、人間が産まれにくくなるんだが、それは今はどうでもいいか」
侠一郎はそこまで穏やかに説明すると、眼差しに殺気を込め男を睨みつける。
男はその殺気に気圧され、身動きが取れずトイレの個室に座ったままだった。
「そ、それでも戻せば解決――」
「しねぇんだな、これが。魂核は四割破損すると復元が効かなくなる。アンタの匂いからすると、一人に付き七割とか喰ってるみたいだ。そんでもって、自分の力を上げるためにこの街で十人くらい喰ってるだろ?」
図星であった。黒桜市に来てから、男は侠一郎の言う通り十人の魂を貪り食った。
それは|黒桜市(この街)の住人の魂があまりにも美味であったことに加えてその魂を口にすればするほど、全身に力がみなぎってくる実感があり、喰らうこと止められなかったためであった。
「ニンニクを食った後の口臭みてぇに、魂を喰った奴の臭いってのは、近づきゃすぐに分かるんだわ。……随分と美味しく食べてくれたなようだな、ゴミ野郎。安らかに死ねると思うんじゃねぇぞ」
侠一郎の眼に凶悪な殺意が宿る。
間違いなく殺される。その確信を抱いた男は恐慌を露わに叫ぶ。それは最後の手段であった。
「誰か! 誰か助けてくれ! 殺される!」
この場所はホテルの最上階のトイレ。大声で叫べば、すぐに人が来る。
状況から見て年寄りに暴行を加えている若者として侠一郎の方に非があると判断し、止めに入るだろう。
そうなれば、善意で割って入ってきたものに危害を加えてまで、自分に暴力を振るうはずはないだろうと、男は目論んでいた。
「無駄だ。人払いは済ませてある」
侠一郎は動じることなく、男をトイレの個室に蹴り入れた直後に弄っていたスマホを見せる。
「黒桜市にはいろんな研究をしている奴らがいてな。数百年は先を行っている科学とか、神話の時代の魔法とかを応用してスマホのアプリで使える魔法を売ってる奴らがいるんだわ。
俺が使ったのはそのうちの一つで、かなり強力な人払いの術だから、叫んだって誰も来ねぇよ。まぁ、人が来たところでアンタが魂喰者だって分かる奴が来たら、そいつは間違いなくアンタを殺そうとするがな」
魂喰者。
それは黒桜市においては存在を許されない犯罪者の烙印の名である。
その烙印を押された者は――
「魂喰者は生死問わずに身柄を警察に引き渡す。ちなみに、これには資格も何もいらねぇ。だから、そこら辺の主婦とか幼稚園児でもアンタを殺した所で問題は無いし、むしろ謝礼を貰えるくらいだ」
侠一郎の言葉を聞いて男は青ざめる。
人払いの術が発動されていたのも理由の一つだが、それよりもこの街の人間すべてが自分と自分の仲間たちの敵になってしまったという事実に。
「とりあえず、自分がどれだけヤバいことをしたか理解してくれたらなにより。ぶち殺されるまで、そのことを後悔し反省してくれれば尚良いけれど、そこまでは期待しねぇから、身の丈にあった程度のことを思いながら――死ね」
侠一郎はもう一度近づく。
男の方は逃げ場を探そうと、自分が閉じ込められている個室の両脇の壁を叩くが、それは想像を絶する強度、何をしてもビクともしなかった。
それも当然である。
侠一郎の言葉が事実であるなら、黒桜市には能力を持っている者の対策をする必要がある。
例えば、トイレなどのプライベートなスペースを侵入されたりしないように魔術的な手段で強度を上げたり、素材そのものを特殊なものに変えたりなどする。
それなり以上に由緒正しいホテルがそのような対策をしていないはずもなく、馬鹿らしく聞こえるかもしれないがトイレの設備の強度も極めて高かった。
「待て、待ってくれ! 貴様は一体何なんだ? 何故あの少女の味方をする? そもそも何が目的――」
質問の声を無視して侠一郎は男の顔面に拳を叩き込む。
「てめぇに話す必要はねぇだろ? てめぇは何も分からず、誰かも知られず、何処の誰かも知らない通りすがりの奴にぶち殺されて、ゴミの様に死ぬわけだ。理不尽だし、自分の人生が何だったのかって思うよな?」
話しながら侠一郎は殴り、蹴る。その一発一発が人間の体を容易く粉砕する。
男は喰らった魂を消費することによって傷を癒す。
しかし、癒えた所で侠一郎の攻撃から逃れる術はなく、傷が治ると同時に再び体を砕かれるを繰り返し、喰らった魂を無駄に消費していく。
「これが、てめぇみたいな魂喰者にはお似合いの末路だ。野良犬の様に無様に死に腐れ」
そうして、侠一郎の無慈悲な拳は目の前の相手が魂の全てを消費し、死を迎えて肉体が消えるまで止まることなく振り下ろされ続けるのだった。