街を進む
火澄の泊っているホテルまでの道を進みながら、火澄は侠一郎に話しかける。
「どうして着替えさせてくれなかったの? 普通は血で汚れた衣服をそのままにしてはおかないと思うのだけど」
今の火澄は侠一郎の家にあったコートを羽織ってはいるものの、その下は起きた時のままの血まみれの服のままだった。
「馬鹿を言うなよ。俺は女の裸とかネットの動画とかでしか見たことねぇんだぞ。生身の女の裸を見るのは抵抗あんだよ。つーか、そもそも女の服の脱がし方が分かんねぇから無理」
「それにしたって、他に何かあるとは思うけど――」
言いかけたものの、不意に火澄の言葉が止まる。
侠一郎は何事かと思い、火澄の隣まで歩き、その横顔を見ると火澄は空を見上げて固まっていた。
その視線の先に何があるのかと思い、侠一郎も空を見上げてみるが、特に変わったところは無い。
遠くにドラゴンが見える程度の普段通りの青空だった。
「……あまり、その手のものに詳しいわけではないんだけど、アレってドラゴン?」
「? そりゃあ、そうだろ」
見ればわかるだろうに何を言っているんだと思いながら口にして、侠一郎は気づく。
街の外にはドラゴンのような生き物は普通は存在しないことに。
「アレは危険は無いの?」
「この時間に街の上を飛んでいても誰も動いてないってことは誰かのペットか、それとも知性がある奴だから問題ないだろ。危険な奴なら、誰かがぶち殺しに動くだろうし」
「誰かって、誰なの?」
「そんなことまで分からねぇよ。ドラゴンスレイヤーなんて黒桜市にはいくらでもいるし、俺だって何匹か始末してるくらいだから、殺せる奴が殺すだろ」
侠一郎は火澄の問いに真剣に答える様子もなく、腕時計を見て時間を確認していた。
「そんなことより昼飯どうする? 俺はハンバーガーかラーメンが良いんだけど」
侠一郎が腕時計を指で示すと時計の針はちょうど11時を指していた。
昼食には些か早い時間ではあったが、既に空腹の身の侠一郎としては速やかに何かを腹に入れたかった。
侠一郎としては火澄も同じ状態だろうと思い提案したのだが、火澄の方はというと、その提案を無視してさっさと先を行く。
そうして、昼食を口にすることもなく二人は火澄が泊まっているというホテルまでの道を行くことになった。
何の変哲もない高層ビルが立ち並ぶビル街を抜け、二人は黒桜市の中心部に到着する。
都市の規模を考えれば高層ビルが無数にあるビル街などが存在するのは不自然なのだが、火澄はそんなことには気づかなかった。
それよりも火澄が気になっていたのは街を行き交う人々の方であった。
日本の一地方都市であるのにも関わらず、街を行き交う人々の人種は極めて多様であり、一目見て日本人であることが分かる人の方が少なかった。
「基本、他所の世界からやってきて定住してる奴が殆どだ。何代にも渡って黒桜市に住んで子供を生んで、仕事してって感じだな」
火澄が街の人を見ていると横から侠一郎がそれとなく説明を口にする。
「国はここのことを知っているの?」
「知らないでいられるわけねぇだろ。公的には十万人程度って言ったが、黒桜市の実際の人口は確認できてるだけで五百万人を超えてんだぜ。それに面積だって色んな次元とか異世界とかが――」
そこまで言いかけて侠一郎は言葉を切る。
何事かと思い、火澄が侠一郎の視線の先を見ると、そこにはファーストフード店があった。
それを見て、火澄はどうせ腹が減っただけだろうと思い、侠一郎のことは気にせずに先を急ぐことにする。
ついてきてもらう必要性もないというのに同行している時点で煩わしさを感じているのに、食事をする所を見かける度に足を止められていては堪らないと、火澄は口には出さないものの態度でそれを示していた。
「一食くらいなら、まだ良いんだけど、二食抜くと結構きついんだよなぁ」
侠一郎が後ろで呟いているが火澄は、それを気にも留めない。
そうして侠一郎を無視して歩いているうちに、ようやく二人はホテルに到着する。
辿り着いたホテルは黒桜セントラルホテルという名の市内中心部にあるホテルであった。
「タクシーかバスを使えば良かったな」
侠一郎の言葉に火澄が苛立ちを込めた視線を向ける。
使えない理由は分かっているだろうにと、責めたい気持ちがあったが火澄はそれをグッと堪えていた。
使えない理由というのは単純で火澄に持ち合わせがないこと。
そして、持ち合わせがないからといって侠一郎からは借りられないこと。
更に今後のことを考えると出費は極力抑えなければいけない等という理由の為であった。
「しっかし、良い所に泊まってんだな。神名さんの組織って、お金持ち?」
「別に何でもいいでしょ。どうせ、引き払うことになるんだから」
火澄は侠一郎を置いて、さっさとホテルの入り口をくぐり中へと入っていき、侠一郎もそれに続く。
「少し受付の人と相談をしてくるから待ってて。別に帰ってもらっても構わないけれど」
「それが出来ないのは、神名さんも分かってるだろ? それやったら、危ないのは神名さんの方だぜ?」
そう言うと同時に、火澄の口から露骨な舌打ちの音が漏れる。
態度の悪さに関しては、自分も人のことは言えないと分かっている侠一郎は何も言わず、火澄を見送ると、自分はホテルのロビーにあるソファーへと腰を下ろす。すると――
「ここは空いていますか?」
にこやかに微笑む紳士然とした初老の男が侠一郎に話しかけてきた。
さして気にする風でもなく頷くと、男は一礼をして侠一郎の隣に腰かける。
侠一郎が周りを見回すとロビーに空いているソファーは自分の隣にしかないことに気づき、なんとなくした選択が間違ってはいないことを理解する。
「素敵なお嬢さんですね」
男はにこやかな表情を崩さずに侠一郎に話しかける。
歳は五十代後半から六十代前半、品の良いジャケットを羽織っているどこからどう見ても立派な紳士だった。
口調にも嫌味な感じは全くなく、その点に関して侠一郎は好感を持つ。
「誰のことを言っているのか見当もつかないんですが」
「先程、お話をしていたお嬢さんですよ。いや、失敬、盗み見るつもりはなかったのですが、つい目に入ってしまいまして」
「どういう御想像をしているのは分かりませんが、アレは妹です」
なんとなく面倒くさくなりそうだったので侠一郎は嘘をついた。
相手もすぐに嘘だと気づくだろうが、別に気づかれたとしても問題は無いし、そもそもマトモに相手をする気はないという意思を示す為の嘘だ。
「これは失礼をしました。いやはや、あまりに似ていらっしゃらないので恋人同士かと思ってしまいました」
「ははは、よく言われますよ」
当然、言われたことなどはない。
男の方も嘘をつかれているのは理解しているが、それでも話を合わせていた。
わざわざ侠一郎の嘘を暴いて、真相を確かめるほどの興味も無いということだろう。
そうして、お互いに心のこもらない寒々しい会話をしていると火澄が受付にいた支配人との話を終えたようで、侠一郎に合図をだす。
「失礼、妹が呼んでいるようです」
「お時間をいただいてしまったようで申し訳ありません。どうか、妹さんと末永く仲良くしてください」
侠一郎は男に一礼をして、その場を立ち去り火澄のもとに向かう。
「誰と話していたの?」
「ボケたオッサンの独り言を聞いていただけだ」
火澄も興味が無いようで、それだけ聞くと深く追及することも無く、侠一郎を先導してエレベーターに乗り、上の階へと昇っていく。
「部屋にある荷物を取ってチェックアウトするわ。先払いしていた予約分の宿泊料金の三割が返金されるみたいだから、そのお金でとりあえずは――」
「なんか手伝うことある?」
「無いから、どこかに行っていて。ホテルの最上階にレストランがあるみたいだから、お腹が空いてるなら、そこに行けば?」
そう言うと火澄は自分の部屋がある階に到着したのか、エレベーターのドアが開くなり侠一郎のことなど気にも留めずにエレベーターから降りてしまう。
エレベーターに一人で取り残された侠一郎は言われた通りに空腹を満たすために最上階のボタンを押すのだった。
設定がとっちらかってたなぁと改めて思う