黒に出会う
──夜の闇の中を少女は駆けていた。
倒すべき敵を追い、その過程で訪れた初めての街。
だが、街の中には見知った気配がある。
それは忘れもしない仇の気配。
そして、人外の魔の気配。
どちらも少女が狩るべき邪悪。だから、少女は闇を駆け、獲物を探す。
まずは近くにいる人外の存在。
それは間違いなく罪なき人々を傷つける。
それを少女は経験から知っている。
それ故、少女――神名火澄は躊躇いもなく刃を抜き放つ。
抜き放った刃は彼女の家に伝わる宝刀。
火澄はそれを自分が狩るべき相手を視界に捉えると同時に抜き放った。
火澄の目に映るのは黒髪の少年。
家屋の屋根を飛び移りながら、夜を疾走する火澄の眼が一人で夜道を歩く少年を捉えていた。
一目見た瞬間に気付く異常な雰囲気。
少年の放つ気配は人外の存在であるが、見た目は人と変わらないでしかし、人と変わらない姿であっても火澄は躊躇わない。
人の姿をした怪物などは何人も見てきた経験があった。
故に火澄は即座に斬り捨てる判断をし、一気に間合いを詰める。
問答をする気は無かった。
それをして命を失った仲間を何人も見てきた経験があったからだ。
人の姿をしていても人でない者に言葉は通じない、それが火澄の学んだ知恵だった。
少年は火澄の存在に気付いていないのか、振り返るような素振りも無い。
それを幸いと、火澄は全力を込め、必殺の確信を持った一撃を少年に向かって放つ。だが――
「──勘弁しろよ」
声が聞こえると同時に火澄の体が吹き飛ぶ
そして、それと同時に金属の衝突する甲高い音が辺りに響く。
吹き飛ばされた火澄はアスファルトの地面を転がるも、受け身を取りすぐに体勢を立て直し、少年の方を見る。
必殺の確信を持って一撃を放ったのは自分であったはずなのに、何故倒れているのが自分なのか、一瞬混乱したものの、目の前にいる少年が何かしたのだと結論づけ、火澄は少年に警戒しつつ、改めてその姿を見た。
辺りは夜の闇に包まれているが、街灯が少年を照らし、その姿を露わにする。
屈強な体躯の少年であった。
顔立ちは整っているが人目を引く様な華やかさは感じられない。
だが、その容姿に対して体躯は極めて逞しく人目を引く。
身長は180cmは優に超えているだろう。
肩幅は広く、腕も太い。普通に生きていたら、そんな体になるとはとても思えない鍛えられた肉体だ。
そんな屈強な体躯の少年は自分に襲い掛かってきた少女に対して呆れたような視線を向けている。
そうして、うんざりしたような調子で少年は火澄に向かって話し掛ける。
「アンタ、余所者だろ? 他はどうか知らねぇけども、この街じゃ辻斬りは日常茶飯事なんで、それ自体は気にしねぇけどよ。俺には斬られるような覚えは何一つないんだけどな」
火澄は少年の言葉を耳に入れず、手に持った刀を構えようとするが、目を見開く。
見開いた眼の、その視線の先にあったのは中ほどから折れた宝刀の無残な姿。
火澄が吹き飛ばされたと同時に響いた金属音は、火澄の刀が折れる音だった。
「俺は見ての通り、夜食を買いにコンビニまで出かけてる途中の高校生だぜ? 斬られる道理はねぇと思うし、斬られてやる筋合いもねぇと思うんだが、そこら辺はどう思うよ?」
少年は折れた刀を呆然とした表情で見つめる少女に語り掛ける。
「人違いだって言うんなら、俺も騒ぎを大きくはしたくねぇから帰ってくれ。一応、春休みだから夜更かししても構わねぇし、時間に余裕はあるけども、アンタにかける時間はねぇんだよな」
自分の都合だけで物を言う少年に対し、火澄の方はというと、少年の言葉は全く耳に入らず肩を震わせていた。
それは苦楽を共にしてきた愛刀を無残に破壊された怒りや悲しみ、悔しさなどの様々な感情の表われであった。
少年の方もなんとなくではあるが、火澄の様子から状況を察していたが、謝る気は無かった。
少年からすれば、問答無用で斬りかかってきた方が悪く、それによって加害者の方に不利益が生じても、被害者である自分には関係が無い。
むしろ、被害に対して賠償を請求しても良いくらいである。それが口には出さないものの少年の言い分であった。
「……お前、ただで済むと思うな……」
「勘弁しろよ。それは俺のセリフだぜ」
少年が言葉を返すと同時に火澄が距離を詰める。
手にあるのは折れた刀。武器としての機能は大きく損なわれたはずだが、火澄はそれを構わず武器として振るう。
「怪しい奴とは話す気はねぇってか? まぁ、この街も俺のことも知らねぇ余所者だから、そこら辺は斟酌してやっても良いけどよ。ただ、そうするにしてもな――」
折れた刀に光が集まり、失った部分を補うように炎の刃が形成される。
不可思議な力によって生み出された炎の刀を少年は不思議に思う様子も無く平然とした表情。
その奇妙さに火澄は気付くべきだったが、冷静さを失った少女に、それは難しく火澄は炎の刃を少年に向けて振るう。
「とりあえず、お互いを知っておこうぜ。話はそこからだ。まずは名前からだと思うが――」
火澄は既に間合いを詰めきっていた。
しかし、少年は炎の刃を手にした火澄に対して、動じることも無く、構えすらしていなかった。
「黒木侠一郎。それが俺の名前だ。それだけ憶えて――」
火澄は少年に対して躊躇なく刀を振り下ろす。幾分か冷静さを欠いてはいたが、その太刀筋は火澄にとっては会心と言えるものであったが――
「一度、死んどけ」
振り下ろしたはずの火澄の刃は届いていない。
火澄の刃が届くよりも早く、黒木侠一郎――そう名乗った少年の拳が届いていたからだ。
何気なく放った侠一郎の拳は、火澄の会心の一太刀よりも遥かに速く、火澄の胴体に腹に届き、何の抵抗もなく少女の柔らかい腹筋を貫いた。
筋肉と脂肪の壁をぶち破り、内臓を引き千切り、背骨を粉砕し、侠一郎の拳は火澄の体を突き抜け、たったの一撃で侠一郎の拳は少女の命を奪う。
そうして、神名火澄は黒木侠一郎に殺されたのだった──