2.2
東京都霞ケ関。デミウルゴス・ショックの直接的な被害を受けなかった地域の一つである。各省庁の機能は当時より健在であり、この点で他国と状況を異にしていた。日本は首都攻撃を受けても、中央省庁は無事であり、そのお陰で政治機能の麻痺は避けられた。
世界を見渡すと、このように政治的に安定している国はそう多くない。イギリスやフランス、韓国など、二十四の国は完全に国自体が崩壊し、暫定国家が樹立、内紛が勃発してそのどれもが現在に至るまで終結していない。
一方でアメリカやロシアなどの大国はほとんど政治機能にダメージを負わなかった。首都と古代都市との距離が物理的に離れていたことが要因だった。彼らはデミウルゴス殲滅を名目にして軍備強化に力を入れ、内政を疎かにした。アメリカでは人口の九十%がショックで死亡し、三百万人もの人々が家を失ったにも関わらず福祉厚生に全く力を入れなかった。貧富の差はさらに拡大し、各地でデモが頻発しているが武力制圧を敢行しており、問題が先送りにされているに過ぎなかった。
霞ケ関には五年ほど前に新設された省庁が存在する。デミウルゴス対策庁である。五年前に制定されたデミウルゴス対策法に基づいて設置された省庁の一つで、デミウルゴス災害の対策・作戦立案、デミウルゴスの研究、古代都市の発掘・調査などを各省庁と連携して行う、縦割りが横行している官僚世界では異例の庁である。
庁は十階ほどの建物で、その八階にて七竅駅事件を受けての緊急会議が行われていた。ただでさえ殺風景な室内が、事件による緊張感を帯びた人々によってさらに強まり、死体が中央に転がっているかのような殺伐さが生まれていた。
デミウルゴス対策庁から大臣、副大臣、大臣政務官、事務次官、審議官二名、財務省、外務省、総務省、防衛省、経済産業省、国土交通省からそれぞれの大臣、内閣府から官房長官、国家安全保障局長が列席していた。ただし、あくまでも秘密裡に行われている会議で、公式のものではないために国の長は出席していなかった。
「情報統制はどうなっている?」
官房長官に尋ねられ、審議官の一人、鷲蛇清一が答えた。
「七竅駅周辺を完全に封鎖し、百五名の生存が確認されたので速やかに処置いたしました。一部、メディアで放送された映像もあるようですが、処分して、一切のネット上の書き込みも介入・削除を徹底しています」
「デミウルゴスの出所は?」防衛大臣が言った。
「残念ながら特定できておりません。また、デミウルゴスを構成していたと思われる三枚のカードを捜索しておりますが、見つかっていません。能力者の目撃が確認されていることから、デミウルゴスを倒し、回収したと思われます」
「その能力者は?」財務大臣が言った。
「三枚のカードのデミウルゴスを倒したことと状況から、タイプワンと推測されます」
「又してもタイプワンか」
「しかし、タイプワンが七竅市に出現したということは、地下の研究施設に感づいているようにも考えられますが」
嫌味を言う財務大臣、そして懸念を示す総務大臣。答える鷲蛇。
「恐らく、七竅駐屯地の地下に位置する更地加速器研究センターで研究が進められている三枚のカード、『ルテチウム』『インジウム』『タリウム』の奪取が目的と思われます」
「やはりそうですか」
「対策は?デミウルゴスでさえ、現在の火力では効果がないというのに能力者相手では犬に論語ではないか」
意地悪そうな顔をして、審議官を睨みつける外務大臣。
「私どもの対策としましてはこのままタイプワンが来るのを待つのが良いと考えています。無駄に対策を立てて、予算をつぎ込むのもあまり得策ではありません」
言ったのはデミウルゴス対策庁大臣、萬至である。六十過ぎの、卵型の頭にのっている鬘を執拗に整えている。
「なぜでしょう?」
返したのは国家安全保障局長。
「私としては、現在有効な対能力者用兵器を投入すべきと思います。既に開発は済んでいるとお聞きしていますが……」
「そうだ、早い段階で芽を摘まなくては取り返しがつかなくなるぞ」
加勢する防衛大臣。それを制止して、萬大臣は重々しく口を開いた。
「タイプワンが研究施設のことを知っている以上、背後には庇護者がいることと思います。つまり、こちらの情報は筒抜ということです。ですので、たとえ開発に成功した対能力者用兵器も既に調査済みでしょう。そうすると、あちらも対策を立てて来ることと思います。また、相手は人間ではありません。三枚のカードのデミウルゴスを倒しているので、戦闘力はそれ以上です。研究チームの推算では、一枚のカードのデミウルゴスで、地球を一日で滅ぼせるとしているので、三枚ではその戦闘力は計り知れません。それ以上ですので、たとえ、対能力者用兵器であっても、焼け石に水でしょう。防衛装備庁には申し訳ないですが、実戦で使えるとは思えません。細胞破壊を引き起こす生化学兵器ということでしたが、タイプワンは我々の知る能力者の中でも再生能力に特に優れた個体です。情報がほとんどないので、それがどれほどなのかわかりませんが、細胞破壊を引き起こす程度の兵器では到底叶わないでしょう」
列席者たちは萬大臣の論説にぐうの音も出ない。
間も無くして、会議は解散し、大臣はまだ席に座っていた事務次官と対面した。
「それでは、詳しいことはお前に任せたぞ」
「萬大臣、安心してください。手は打ってあります」
萬大臣は安堵し、会議室を後にした。入れ替わって鷲蛇審議官と、もう一人の審議官、立川獅駱がやってきた。既に列席者はいなくなり、三人しか会議室に残っていなかった。
「さて、事務次官、引き続き、計画の方は進めてよいかな」
「ああ、もちろん。ヘブンズヘルは立川審議官に一任するよ。タイプファイブはタイプワンを回収してくれそうだと私は君から聞いているよ。でも、ヘブンズヘルも上手いことを考えたものだね。最初、研究所の情報を流すと聞いた時には冷や冷やしたものだが結果、タイプワンの存在を確認することができたのだから」
「しかし、わざとその情報に乗ったということも考えられる」
「それはどっちでもいいさ。問題は乗ったという事実だ」
「確かに、姿を表してくれること自体、稀有なことだ」
「タイプワンに遭遇した者は生きて帰ってこないとさえ言われているほどに、存在に対する情報が欠如している。しかし、女の子という話は伝聞で耳にしたことがある。唯一生還した兵は殺戮の天使と言っていたか」
「言い得て妙ですな」
「しかし、運命というのは面白いものだ。誰が、そんな天使と言わしめる少女にあれほどの殺戮を強いたのか。それらも全てがあらかじめ神なるものに定められていたのか、とても興味深い」
「私はこれで失礼していいかな?」
立川審議官は冷酷な視線を下げたまま、座っている事務次官に言った。事務次官のポエティックには付き合う気はないようだ。
「ああ、そうだね、では引き続きよろしく頼むよ」
黙って会議室を後にした。
鷲蛇審議官はため息をついた。
「立川を野放しにしていいのですか?上官に対してあまり快い態度とは言えませんが」
「そうは言っても、私は三十五で、彼は五十。鷲蛇審議官も四十八だと聞いている。仮にも自分より年の若い事務次官というのはいけ好かないだろう。しかも、私たちは官僚、出世コースにいかにのるかが大切とされる人種だ。それはデミウルゴスが出ようが変わらない」
「しかし、事務次官は地位に見合う能力を備えていると思います。デミウルゴス・ショックの後に、当時法務省審議官だった事務次官が対策法案を草案し、それが国会で可決されたことで、対デミウルゴスを主軸とした新しい現代日本の在りようを確立し、七竅市都市計画のプランを草案したのも事務次官です。そして法律に基づいた対策庁発足に伴って転向し、現職についたのですから。また、デミウルゴスの対応を一人で仕切っておられる。大臣の首を安泰にするなりふりまで計算して指示していらっしゃる。若いというのは一過性のものです。さほど重要なことだとは思えません」
「鷲蛇審議官、その心遣いには大変感謝するよ。ただ、あまり私のことを敬愛しないほうが良い。むしろ私のことを蹴落としていく勢いでいてもらわないと。鬩ぎ合ってこそ新しい世界は生まれるのだよ。池に住むコイが一匹では、人がパンを投げても、安心しきって食べなくなる。そのコイのように私はなりたくない」
「なるほど」
「そうそう、レーテの方はどうだい?」
「順調です。間も無く、試作が完成すると連絡が入っています」
「今日は朗報尽くめだな。明日、不幸にならないか心配だ。禍福糾える縄のごとしというから」
「明日も幸福になると思えば、幸福になると思います。問題は個人に依拠しています」
「鷲蛇審議官の意見も一理あるね」
「レーテとは不都合なく、ビジネスは進んでいるので、後は能力者さえ揃えば役者は揃うことになります。ですが、レーテには当てがあるようで、既に動いているそうです」
「そちらもお任せするとしよう。よろしく頼んだよ」
事務次官、連藤助虎は年寄りも若く見える皺の少ない顔に笑みを浮かべた。
鷲蛇も会議室を後にし、部屋には連藤のみが残った。立ち上がってシェードを上げると、窓の外はあいにくの土砂降りである。一寸先でさえ、雨の闇で視界が遮られていて、ろくに見えない。窓に手を当ててみる。冷気が手に伝わってくるが、手の熱によって反対に窓が温められて冷気が徐々に消えていく。窓に接触したまま、窓の外に進むことはない。その向こうの外には、一体何があるのだろうか。もし、この手が窓をすり抜ければ、そこには私たちの知らない世界があるのかもしれない。
夢想に浸っていた連藤は、シェードを下ろして、書類を片付けると消灯し、会議室を出た。