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Deeper than well  作者: 水素
第1章 妄念
7/42

1.6

 部活が終わり、微はサッカー部の部員に誘われ、海沿いの歩道を通って駅へと向かっていた。部員たちが束になって歩いている中、微はその集団よりも少し離れて歩いていた。部員たちが、断る微を強引に誘ったにもかかわらず、誰も声をかけない。むしろ、彼らだけでその集団は完結していて、微の存在はあってもなくてもどうでもよかった。ただ、仲間外れにしていないという既成事実が欲しくて建前として誘ったにすぎなかった。

 テトラポットにぶつかって舞い上がる波しぶきに耳を澄ませた。微は、子供の頃に住んでいた福岡の故郷が浮かぶ。

 七竅市は、デミウルゴス・ショック後、東京都内の区分けの再編成に伴い設置された湾岸都市の一つである。市の南東部には石油コンビナートや化学工場が広がり、横浜港に次いで船舶の乗入数の多い港になっている。東ソー、アグゾノーベル、日産化学といった様々な株式上場企業が当時デミウルゴス・ショックに伴って荒廃し、下落していた土地を政府主導の元に買い取りこの数年間で復興させた計画都市として、その名は世界に知られている。

 人口は十万人。そのほとんどは北部の居住地区に集中しており、南部は新宿を思わせるような商業地区となっている。市を縦断して、政府管轄の儵忽しゅくこつ線が通っており、北は埼玉の方に、南は神奈川の方へと伸びている。元々は古代都市のある埼玉県行田市に必要な物資を運搬する目的でJR線の線路を改修・拡張して作られた路線だったが、現在では黒い霧の影響により行田方面への乗り入れはしておらず、東京と埼玉の県境で止まっており、完全に民間線として利用されている。歩いていると中央部に位置する国防軍七竅駐屯場へと向かっていく一台の戦闘車とすれ違った。市内を軍用車が普通に走行している事実に抵抗が未だ残っていた。デミウルゴス・ショックの後に、日本では憲法九条の全面改正に伴い、自衛隊が完全に解体され、新たに国会で可決された「デミウルゴス対策法」に基づいて、「国防軍」にその姿を変えた。

 デミウルゴスは、一般的な重火器が通用しないという特性を有し、それが人類に負け戦を強いた要因となった。しかし、デミウルゴスを構成するティマイオン製の銃弾を使用すると、デミウルゴス内部を貫通し、中の核を破壊できることが判明した。しかし、ティマイオンは当時、遺跡にしか存在しなかった元素であったことから、ティマイオンを人工的に製造する方法が模索され、世界各国の加速器で、合成が進められた。そして、日本の理化学研究所がその元素の合成に成功し、それを元に「対デミウルゴス弾」が生産された。

 デミウルゴスが世界を滅ぼしていない理由は、黒い霧の発生が収まっているのと同時に、この「対デミウルゴス弾」が開発されたことがその要因として大きいだろう。実際に確認されているだけで、人類によるデミウルゴスの撃破数は、百にのぼる。

 部員たちは駅に着くと、一人の提案で、近くのマクドナルドに入って行った。微の存在は完全に無視されていた。店員に、本当は微を含めて七人いるはずなのに、部員の一人は六人と申告した。微は無言のまま、マクドナルドを後にした。振り返れば、マクドナルドで既に席に着いた部員たちがげらげらと笑ってオーダーが来るのを待ちながら馬鹿騒ぎをしている。

「気にしていてもしょうがないか……」

 微は独り言ちた。ふと、駅の改札に向かう道中、ベリタス書店の文字が目に入った。時刻は午後六時三十九分。今、帰ったとしても家には親も誰もいなかった。本でも読んで暇を潰そうと、立ち寄る事にした。『数学・物理』と表記された書棚に足を運ぶと、そこには見知った人影が、じっくりと『電気磁気学』というタイトルの本を読んでいた。 

「どうだ?」

 微は自然に声をかける。見は、微に気づかず、突然に声をかけられて肩をびくっと震わせた。

「びっくりさせないでよ………電気学会の本だけどめちゃめちゃ面白いよ」

「お前、小説しか読まないもんだと思ってたわ」

「ほら、今日の物理の授業で言ってた話って厳密にはどうなのかなって調べてたんだよ。ローレンツ力の話とかベクトルでどう書くのかとか知りたくて」

「勉強熱心だな」

「生きているなら多少は前進したいなと思うよ」

「殊勝な心がけだな」

「そういえば、今日は部活の面々と一緒に帰るってラインで言ってたけどどうしたの?」

「いや、ちょっとな……」

 微は目を伏せた。

 床のマーブル模様が自分の心を映し出しているように感じた。ふと、模様が亀裂のように見えた。錯覚かと思い、目をこする。錯覚が突如現実に変貌した。  

 地面が激しく揺れ、店内の電気がストップし、暗闇に包まれた。震動が一瞬で止み、戸惑う人々の間に、静寂が流れた。しかし、直ぐに静寂は破られ、先よりも巨大な震動が勃発し、床に亀裂が生じた。亀裂は雷のように瞬時に広がり、大きな穴を開けた。それは、地下深くまで続いていて、その震源と思われる穴の底には何かが蠢いているのが確認できる。穴を通して、その何かの凄まじい唸り声が拡散される。フロアは大パニックにつつまれる。 

 震動はより激しくなり、本棚がドミノのように倒れ、床はどんどん穴深くに落ちていく。見と微も急いでその場を離れる。全力で走っていく後ろで、人が次々に穴に落ちていく。振り返らずに走った。フロアの出口には、穴からいち早く逃げようと、人々がごった返し、大渋滞を起こしていた。

「どうする?逃げられないぞ」微の額には大粒の汗が浮かんでいる。

 しかし、時すでに遅し、穴からその何かは音速で這い上がってきて、地面諸共、人々を砂嵐のごとく巻き上げ、地上へと姿を現わす。気づくと、どこにも足をつけられる床や地面は存在せず、もがく身体は空中へと放り出されていた。闇夜に浮かぶ満月が確認される。二人はそのまま重力に従って落体運動を続け、駅前を通る二車線の道路、中央分離帯の茂みに落下した。

 身体に強烈な打撃が走る。見は、骨の砕ける音がして、右手に凄まじい激痛が走った。微はかすり傷で済み、身体が地面についたことを確認して、即座に茂みから見を抱えて這い出る。辺りを見回すと、宛ら地獄のようだった。つい先ほどまで生きていたはずの温かみのある有機物が石ころのように転がっている。頭が百八十度捻れていたり、足が明後日の方向に曲がっていたり、降ってきた瓦礫に押しつぶされているものもあった。

 微は先ほど、マクドナルドで別れたサッカー部員たちがすぐ脇で、悪魔のような形相を浮かべて死んでいるを見て、吐瀉が抑えられなかった。

 駅から現れた五十メートルはあろう巨体は漆黒の闇に包まれていて、月の光がその身体を怪しげに照らしている。

 頭からクワガタのように伸び、幾つもの牙が生えた強靭な顎。しかし、クワガタと異なり二足で直立していた。鼓膜が破れそうな甲高い咆哮を再びあげて、回頭して周囲の人間を嘲るように眺めている。

「何なんだよ、あれ………」「デミウルゴスだ……」「逃げろ!」「黒い霧はどこにも出てないぞ」「何で街に出てくるんだよ」

 再びパニックは訪れた。そのパニックをかき消すように、突如、デミウルゴスを覆う、キチン質の外殻が、青白く発光する。見ると、触れてもいないのに、周囲の瓦礫がデミウルゴスを囲うように、宙に浮かび始める。見と微は身動き一つ取れずに光景を目の当たりにする。

 次の瞬間、その瓦礫は、圧倒的な初速を以って全方位に射出され、ソニックブームに近い衝撃波を周囲に巻き起こし、ビルに激突、大爆発を起こした。瓦礫が引き起こす、瓦礫の雨。デミウルゴスはどんどん弾を量産し、謎の力で瓦礫を宙に持ち上げると、発射、得体の知れない爆発の旋風。辺りに人の姿が消えて行く。

 爆発に重なる爆発。

 見と微は走り出した。地球最後の日を思わせる空の景色。瓦礫が射出される度に地面が激しく揺れ、デミウルゴスの、嘲笑にも似た雄叫びが轟く。

 二人の走っていった先からは機械の駆動音のようなものが聞こえ始める。先から近づいてくる金属の塊。その銃口はデミウルゴスの方を向いていた。16式機動戦闘車。対デミウルゴス戦に合わせて日本で制作された、市街戦を前提としたキャタピラのない戦闘車である。最高時速は百五十キロを記録し、火器として、52口径105mmライフル砲を搭載している。後に続いて、高機動車が向かってくる。戦闘車は眼前を通過し、高機動車の一台が二人の前で停車した。

「大丈夫ですか?」兵士の一人が呼びかけをする。

「連れが怪我をしているので、治療をお願いします」微が言った。

 それを聞き、兵士の一人が無線で連絡を始める。

「こちら、B班。民間人を二名保護。繰り返す。民間人を二名保護。これより、駐屯地に搬送します」

「こちら救助キャンプ、了解」

 兵士の一人が無線を切ると、

「乗ってください、国防軍の救助キャンプまで搬送します」

 二人は言われるがまま、車両に乗ると、来た道を引き返して、スピードを上げていった。

 その頃、向かっていった戦闘車群は間も無くして、化け物の姿を確認し、作戦通りに散開しそれぞれが配置についた。火器の銃口を静かにデミウルゴスへと向ける。高機動車は戦闘車の配置より内側で停車し、兵士が次々に降りて、瓦礫に身を潜め、ライフルを向ける。

 そして、指揮をとる作戦隊長の号令を受け、一斉に銃口が火を吹く。兵士も次々にライフルを撃ち続ける。

 弾は緩やかな放物運動をして、着弾、激しい閃光、共に爆発。駅周辺に舞い上がる火の竜巻。

「全弾命中」

 瓦礫から様子を窺っている、観測手の一人が確認。

 竜巻が止み、煙が晴れる。しかし、そこに聳えるのは無傷のボディ。観測手の一人は、驚愕を持って通信する。

「デミウルゴス、健在。繰り返す、デミウルゴス、健在」

「次の装填急げ!」「弾はまだか!」「次の発射位置まで早く移動しろ」

 戦闘車は、その射撃統制装置により、銃口をデミウルゴスからそらすことなく、追尾しながら移動を開始する。

 デミウルゴスは次の発射の機会を与えなかった。再び謎の現象が起こり、瓦礫がデミウルゴスを囲うように宙を舞うと、インターバルを挟まずに瓦礫を連続発射、二台の戦闘車に直撃し、爆発、炎上する。

「五号車、八号車が沈黙」「気にするな、装填を急げ」「こちら一号車、装填完了」「同じく二号車装填完了」「九号者、銃口に瓦礫が侵入し、砲弾が打ち出せません」「了解した。一から四、六、七、十、装填完了に伴い、一斉発射」「砲撃よーーーうい………発射!」

 第二射。

「全弾命中」「しかし、無傷です!」「何故だ?」「嘘だろ」「対デミウルゴス砲弾がなぜ聞かない!」「どういうことだ!」「効かないどころか傷一つつかないとは」「次が来る!」「全車散開!」

 瓦礫の流星が降り注ぐ。デミウルゴスはピンポイントで狙いを定めて発車し、同じく第二射にして全車両を沈黙させた。

「こちらA班、戦闘車全て沈黙。繰り返す、戦闘車沈黙」「どうしてだ!」「対デミウルゴス砲弾が効かないのにこんなライフルでは……」「こちらD班、E班とF班の全滅を確認」「作戦中止、直ちに戦域を離脱せよ」「こちらC班、無理です!デミウルゴスがこちらを……、ああああああああああ」

 突発的な爆発。滲み出る兵士の悲鳴。銃声。既に人の形をしたものがなかった。


「いたっ…………」

 気づくと、微は地面と邂逅してた。周囲の炎のせいで地面は熱く、肌が焼けそうだった。微は瞼を震わせている。なんとか意識を回復させようとしているが、未だ朦朧としている。

「おい、微!しっかりしてくれ」

「うーん、見………」

 頭から血が額を右から左に横切って流れている。辛うじて動かせる右手で、微を必死に揺さぶった。先ほどのデミウルゴスの砲撃によって道路がせり挙げられ、その拍子で高機動車は宙を走り、そのまま近くのビルの二階に激突し、二人は振り落とされた。見渡す限り、生き残っているのは二人だけだった。

 大地が鳴動し始め、震源は徐々にこちらに近づいてくる。一歩、また一歩と進むたびに揺動する。炎上している地域を避けて、入り組んだ迷路のように前進する。ビルとビルの間からデミウルゴスは姿を現した。空を覆うばかりの巨大な黒に、二人はすでに逃げる気力をなくしていた。

「もう……絶望的だな……」微が、声を絞り出して言った。

「僕に百合漫画貸してくれるんじゃなかったの?絶望的とか言ってちゃダメでしょ」

「お前が言うかよ。足、瓦礫に挟まれてるくせに。俺は頭打っただけでまだ動けるぞ」

「そうか………。言っただけ損だったね」

「そんなことねぇって……。ありがとよ………」

 不思議な感覚である。死の直前というのは、もっと慌てふためいて、完全に冷静さを欠いた状態だと思っていたが、間際になってみると、そうでないことを知った。多分、血がどんどん身体から抜けていくので、この状況を危機と感じるだけの理性が欠落しているからだと思う。しかし、感覚、特に聴覚は鋭敏になっていた。見は微の心臓の音さえも聞こえる気がした。

 デミウルゴスは二人をマットな黒を帯びた目で認めると、瓦礫を浮遊させ始める。瓦礫の流星で押しつぶすつもりである。瓦礫がデミウルゴスの視線の高さまであがり、一瞬、僅かながら火花が散った。瓦礫の超速射出。衝突。衝撃が走り、周囲に存在する瓦礫や死体を跡形もなく吹き飛ばし、大きなクレーターが現れる。

 二人は目を閉じた。そして、意識が消えゆくのを待った。しかし、いつまで経っても意識が消えていく感覚に晒されることはなかった。

 二人は目を開いた。影が二人の方に伸びている。視線を上に向けると、ぼんやりながらその姿を認めた。

 見たことのある服、七竅高校の制服だ。黒い、プリーツの入ったスカートが靡いている。

 得体の知れない、白いカードを指に挟んでいる。

 一瞬だけ、彼女は二人の方を一瞥した。見はその瞳に映った彼女を、脳裏に焼き付けていた、いや、あまりにも強烈だったので無意識にそうしていた。

 目の前に立っていた彼女は、紛れもない、残火羅愛だった。

 羅愛は二枚のカードを頭上に掲げ、目を閉じた。

 ー元素召喚

「『アンチモン』『鉛』ッ!」

 カードが発光し、粒子状になると、羅愛の前方に漂い、その一粒一粒が黒い銃弾に変わる。

「発射!」

 掛け声と共に、羅愛はその場で踏ん張る。銃弾の発射時の衝撃が身体に伝わり、のけぞりそうになるが、必死に耐える。何十発もの銃弾が空気を切り裂き、煙に穴を開けて、デミウルゴスの硬い外殻に着弾、罅を生じさせ、体勢を崩して背中から倒れた。

 ビル街を、強風が駆け巡る。咄嗟に二人は地面から伸びている、道路の破片に掴まり、吹き飛ばされないようにした。

 羅愛は何も言わず、デミウルゴスの倒れている方へと走り出す。そのスピードは、人間のそれを超えていた。

 微は見の足に載っていた瓦礫を押しやり、自分の持っていたポケットタオルで足首の傷を塞いだのち、手を貸して、傷だらけの見の身体をなんとか起こして、微は右肩を貸して歩き出す。

「悪い」

「気にするな。それにしても、転校生が……一体どういうことだ……?」

 現在、身体を起こしたデミウルゴスと羅愛は交戦状態に突入していた。瓦礫の流星を、驚異的な跳躍力で回避し、カードを手に出現させ、空中で詠唱。銃弾の雨を悉く降らせる。

 二人は、百メートルほど歩いて、未だ形を崩さずに健在しているビルの陰に隠れた。

「ごめん、俺も限界そう」

 そう言い見を壁に凭せ、その場に力尽きて倒れた。再び頭から血が流れ出していた。

「ありゃ、人間じゃねえだろ。何なんだよ……」

「あっ!」

 見は叫び声を漏らした。羅愛の脚がデミウルゴスの大顎にブロックされている。すると、彼女の周りに火花が散った。突然に彼女の全身から血が吹き出した。次の瞬間、弾丸のごとく羅愛の体が吹き飛び、二人が潜んでいたビルの十階に突っ込んだ。同時に、ガラスの破片が氷柱のように落ちてくる。辛うじて、ビルの裏手に潜んでいたことでガラスの猛襲が二人に及ぶことはなかった。

「おい、これどうすんだよ。あいつ、強すぎだろ」

 頭を抱えて、朦朧としている微は壁に手をついて踏ん張りながら立つと、左手に聳えるビルの角から頭だけを覗かして言った。

 見はふと、連鎖的にある結論が浮かんだ。

「あの怪獣、何であんな何も触ってないのにものを飛ばせるんだろう?」

「おい、今考えるべきことか?どうせ、なんか超パワーみたいので飛ばしてるんだろ、現にそれに立ち向かう、人外の奴はいるし。もはや何でもありだろ」

「そうでもないかもしれないよ。少なくともデミウルゴスに関しては……」

「どういうことだよ……くっ……」

 微は強烈な頭痛に、立ちくらみを起こし始める。見は彼を庇おうとするが、微は「気にするな」と言った。右手と右足が不随の見を心配しての行為だった。

「あのデミウルゴスは、周囲に強力な磁場を発生させて瓦礫を浮かしているんじゃないかな?」

「磁場?」

「そう……。その磁場によって、瓦礫を宙に浮かせ、レールガンと同じ要領で瓦礫を撃ち飛ばしていると思うんだ」

「根拠は?」

「まず、磁場について。、残火さんが吹き飛ばされる前に、血が肌から吹き出していたことかな。あれ、血に含まれる鉄分に反応して、高温になって、血が出ていたんだと思う。元々レールガンの原理は、ローレンツ力のF=I×Blの式に基づいたものだ。つまり電流が流れていて、磁場が生じていれば、力が加わって、撃ち出されるって仕組みだ。そこで、撃ち出されるときに火花が散っていたのを思い出した。詳しい原理はわからないけど、あいつは、空気中に電流の流れを作り出して、疑似的なレールガンを空中に作り出している。しかし、空気中に電流を流す際には、空気をプラズマ化させないといけない。それが火花の形で現れたと思うんだよ」

「こんな、死にそうな状況でデミウルゴスの解説どうも。お前の解説好きにはほとほと呆れそうになるけどな……」

「『電気磁気学』はためになりましたよ」

「お前、本当に知識馬鹿だな……」

「いや、まだ続きがあるんだけど、デミウルゴスさ、火の中を突っ切ってこずにわざわざ遠回りしながら近づいてきたのを思い出してさ。あいつ、磁場を発生させられるということは、体に恐らく大量の電流が流れているとは思うんだけど、磁石みたいなものだよね。熱に弱いんじゃないかな………」

「熱に……?」

「そう。だから、デミウルゴスを丸焼きにすれば倒せたり……?」

「そんな上手くいくかよ………。それにどうやってそんなことするんだよ………」

「話は……聞いたわ………。私もその通りだと思う」

 そう言い、二人に近づいてきたのはぼろぼろになった羅愛だった。新品だった制服は既にぼろぼろ。身体も擦り切れて、立っているのが不思議なほどだ。

「私が何とかするから、下がっていて…………」

「いや、その身体でどうやって立ち向かっていうのさ。もうぼろぼろじゃないか!」

「私がやらなくて誰がやるの?」

 羅愛の眼差しは、矢のごとく、見を貫いていた。彼女の、硬い鋼鉄の意志を体現しており、その眼光のみで人を殺めることができそうな気がした。

「それに……恐らくあいつは三枚のカードを……。一挙に回収するチャンス……」

 そう言い、ノミのごとき跳躍で飛び出していった。

「おい、行っちゃったぞ……」

 二人はただ見守る他なかった…。

 羅愛は、ビルの屋上を伝っていく中、デミウルゴスを捕捉する。

「あいつは……ネオジムと、鉄……しかし、あと一枚は……」

 一瞬で、デミウルゴスに邂逅。デミウルゴスは待っていたかのように、瓦礫を一斉発射、寸前で回避し、空中で回頭。頭が地面を向き、足をプロペラのようにして、強烈な回し蹴りを浴びせる。デミウルゴスは吹き飛ばされまいと踏ん張り、地面を擦過。地面が陥没する。羅愛はそのまま頭部に乗り移り、手に一枚のカードを出した。

 ——元素召喚

「『カリウム』ッ!」

 すると、カードが粒子に変換、それは銀白色の金属粉末へと姿を変え、デミウルゴスに雪のごとく降り積もる。金属が周囲の赤い光を乱反射して、幻想的な光景を作り出していた。

 そして、別の二枚のカードを取り出す。

 ——元素召喚

「『水素』『酸素』!」

 すると、粒子は水を成形し、激流が降り注ぐ。羅愛は水が近づくと、近くのビルに飛び移る。うっすらと降り積もったカリウムの粉末は、水と化学反応を起こし、激しく炎上。デミウルゴスは火だるまと化す。黒い外殻の罅が苛烈を増し、炎が身体の内部を侵していく。

 しかし、デミウルゴスは苦しみながらも生死の狭間で耐えているようだった。

 羅愛にとって晴天の霹靂だった。

 次の瞬間、背後から瓦礫の流星が炸裂、ビルから真っ逆さまに転落した。一回、地面でバウンドして、ビー玉のように転がっていく。

 デミウルゴスが弱っていると見せかけて、後ろから瓦礫を近づけて羅愛にぶつけたのだ。狡猾な戦略を敵は構築している。

「熱に弱えんじゃねえのかよ………」

「もし、仮にあのデミウルゴスがネオジム磁石だと仮定してなのだけれど……」

 見は思い立ったように言った。

「何だよ、早く言えよ」

「ネオジム磁石って、熱に弱いからその対策としてジスプロシウムという金属を混ぜるんだよ」

「つまり、あいつはそのジスプロシウムとかいう金属を大量に身体に含んでいるということか……。で、それはどの本の情報だよ」

「『世界一美しい元素図鑑』」

「安定の出典明記解説どうも」

「しかし、瓦礫を撃ち出される前に決着をつけないと……」

 すると、見の中で、雷撃のごとく、案が閃いた。

「塩酸はどうかな……?」

「塩酸………あの化け物を溶かすってことか……あんな炎にも耐えているのに塩酸ごときで効くのかよ」

「わからないけど、実はネオジムとプラセオジム、酸にすごく弱い金属で有名なんだよ」

「だから塩酸でも溶けると?」

「じゃないかなと。でも、塩酸をどこから……」

「あるじゃないか……」

 そう言い、微が指差したのは海岸沿いに聳える化学工場群だった。

「確か、あそこの化学工場の会社の中には塩酸を専門に作っている会社があったろ。あそこまでおびき寄せればなんとかなるんじゃないか?」

「でも、自分たちの独断で被害を拡大させても大丈夫かな…」

「いずれにしろ、このまま放っておいたら七竅市は壊滅だぞ……。俺たちがやらなきゃどうしようもないだろ。国防軍だって当分応援に来そうにない」

 微は頭から吹き出ていた血液がようやく止まるのを確認し、制服でそれらを拭うと、ポケットに入っていたハンカチを巻いた。

 見は、瓦礫が徐々に持ち上がっていく様を見た。そして、今にも力尽きそうな、瀕死の羅愛。見は決心する。

「わかった」

「よし、で、だ。お前は足をくじいて動けないだろ。俺がやる。あいつは人間を見た途端に攻撃を仕掛けてくるから、俺が挑発すれば、間違いなく来るだろう」

「無理しないでね……」

「はっ、さっきまでこんなことになるなんて微塵も思ってなかったけど、案外その状況になってみると、沈着に動けるもんだな」

「それは、僕も思ったけど多分出血して、脳に十分な血液が行き届いてないからだと思うんだよね」

「そういう見は、よく血も回ってない頭で説明したり考えたりできるな」

「ゴキブリみたいに条件反射的に思考するんだよ。長いことぼっちだったせいだね……。生き残る上では役に立つことが今回のことで判明したけど……」

「ハハッ、例えが悪すぎる」

「じゃあ、僕はここで待ってるよ」

「ああ、行くぜ。サッカーで鍛え上げられた脚力、見せてやるッ!」

 そう言い残し、微は地面を蹴って駆け始める。デミウルゴスは瓦礫を完全に射程高まであげて、スタンバイを終えていた。

 発射寸前、微の絶叫が街中に響き渡る。

「化け物ォォォォォォォォォォォォ。コォォォッッチィダァァァァァァァァァァ」

 デミウルゴスは発射を中断。声の先をみると、怪我人が猿のように叫んでいる。目標を羅愛から切り替え、微の方に体を向けると、一斉に瓦礫を打ち込んだ。地面が炸裂。周囲が引き飛び、微の足は地面と離反する。しかし、体勢を保ち、挫けず着地すると衝撃に耐えながら疾走する。

 デミウルゴスもその後をのそりとついていき始める。その様子を眺めていた羅愛は、進行方向の先にある化学工場を認識し、彼らの意図に気づく。身体が動かない。カードを使い過ぎた上、背後からの奇襲は予想外だった。遠のきそうな意識。周囲の手頃な大きさの瓦礫を拾い上げると、自分の足に突き刺した。痛みが一瞬で更新され、激痛が身体を駆け巡る。

「ふん…………」

 一歩、一歩と血液を降らせながら路を進む。

 微は全力疾走を続ける。デミウルゴスの足は遅いものの、徐々に距離を詰めてきていた。

 止まっていた血が、再び頭から溢れ出し、タオルを赤く染めていく。

 その時、瓦礫の山を躱すだけの脚力がもはや残っていなかったことをようやく悟った。崩れるように地面に邂逅。気づくと、足が脱臼している。力が入らない、自分の体がまるで自分の体ではないようだ。

 近づいて来る化け物。逃げられそうにない自分。

 再び、ゆっくりと目を閉じた。

「ねえちゃん………」

 臨終の直前の呟きだった。


 耳に届いたのは、自分が踏み潰される音ではなく、銃撃音だった。

 風をきる音。怯むデミウルゴス。怪物は進路を変えて、ビルを顎でなぎ払いながら後を追う。

 ポタッ、と液体が目の前に落ちた。

 鉄臭い匂い。血液だ。

「あとは任せるか………」

 それを最後に、意識を失った。


 羅愛は、化学工場へといち早く着いた。塩害に曝され、僅か建造されてから数年しか経っていないものの、所々外壁に錆がこびりついている。『東ソー』の工場を発見すると、閉じられている扉を、蹴り飛ばし、内部に入った。人の姿はない。電気も点灯したままで、機械も稼働している最中であった。直接製法で作られた塩酸のタンクは目の前に聳え立っていた。デミウルゴスはすぐそばにまで迫っていた。すると、片っ端から瓦礫を巻き上げて、工場へと容赦無く放つ。爆撃の嵐。羅愛は飛び上がり、屋根へと足をつける。デミウルゴスが視認。瓦礫を連射。その全てを、工場内に入ることで躱し、そのまま駆けて行き、工場を出て行く。デミウルゴスは工場に容赦無く、積み木を崩すかのように体当たりし、羅愛を探す。工場内にその姿がない。ふっと、頭に違和感を覚える。

 湖面に落ちる一雫のように僅かな振動しか与えずに羅愛はデミウルゴスの頭部に乗っていた。

 デミウルゴスは先のように、攻撃をされまいと、身体を振り、投げ飛ばそうとする。羅愛はジャンプ、空中を舞い、銃弾を塩酸の入ったタンクに向けて、放った。

 破裂、中から大量の塩酸が吹き出し、洪水のごとくデミウルゴスを飲み込んだ。

 塩酸が外殻に触れた瞬間、炭酸がペットボトルから吹き出すような音を上げて、どろどろに溶けていく。まず足が無くなり、直立できずに崩れ落ちる。そして、大顎、頭、胸部に塩酸の猛威が掛かり、全身が溶解、ものの一分で、その巨体は跡形もなく消え去った。塩酸は何処かに流れていき、後に残ったのは、ティマイオンの黒い結晶と、三枚のカードだった。元素召喚で、水を発生させて一面を洗い流す。鳥の羽のように降り立ち、黒いの結晶を踏み潰して粉々にし、三枚のカードを回収した。

 それぞれ、鉄、ネオジム、プラセオジム。三枚のカードは光の粒子となり、羅愛の手の内へと吸い込まれていった。

 すると、身体の傷が癒えていき、傷口が塞がっていく。もう、不自由なく身体を動かせるようになっていた。

 戦いは終わった……、かに見えた。

「やるね?」

 工場の機材の影から、声の主は一歩ずつ羅愛に近づいてきた。

「はじめまして」

 茶色のボブヘア、キリンのように長い睫毛。イルカのようにきめ細やかな肌、大きく、つぶらな瞳。百七十はあろう身長。何かの催しがあったのか、社交用の真紅のドレスを纏っていた。羅愛は挨拶を返す気など毛頭なかった。既にカードを手に出して、構えを取っている。

「戦うつもりはないのだけれど、もしやるというなら……」

 次の瞬間、彼女の行動は羅愛を驚愕させた。首筋に手をかざすと、白い粒子が流れ出し、手の元に集まって成形され、カードの姿となる。

「カード……!」

「私も貴方と同じなの。でね、やる?」

 その時、遠くの方からサイレンの音が鳴り響く。ようやく消防車が駆けつけてきたのだ。雲にサイレンの光が反射してちらつくほどの数が向かってきているようだった。

 ドレスの女性は、それに気づき、カードを手から離した。粒子と化してすぐに消えた。

「戦うのはやめにしましょうか?お互い、誰かに見つかるわけにはいかないし」

 そう言うと、ドレスの女性は暗闇へと消えた。

 何重にも重なるサイレン。瓦礫から流れ出る煙。

 羅愛は暗闇を睨みつけた。

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