プロローグ
偶然生まれた存在だった。
覆い被さっていた瓦礫を退け、彼は起き上がった。頭から血を流しているが痛みを感じない。ただし一時的なものだったようで、時間が過ぎると、痛みが来襲したがその頃には傷が塞がっていた。彼は身体の再生の速さに驚嘆した。
自分は誰なのか。思い出せないとは違う。いや、自分自身の記憶を持たないのだ。しかし他人の記憶なら存在する。恐らくこの身体のものだ。無残に死んでいった一個の生命の感情が空白な彼の中に流れ込んでくる。
彼は違和感を感じないどころか、むしろこの状況に安堵さえ覚えた。しかし、この身体の感情に理解できない部分があった。どうして殺されたというのに、これほどに安らかな感情をこの身体は感じているのだろう。
疑問は彼の中でさほど重要な問題にはなかった。それよりも、彼自身が抱いていた物足りなさをどう解消するかの方が彼にとって問題だった。
まず自分の存在する場所が欲しいと思った。
周囲を見渡した。巨大な空間が広がっている。リビングやダイニング等が見えるので、家であることは間違いない。この身体の持つ記憶を手繰ると、別荘であることがわかった。近くからうめき声漏れていた。近づくと、瓦礫に挟まれて身動きの取れなくなっている女性の姿。彼女はこの身体の母親のようだ。
「た………、すけ、て…………」
助けを求めている。彼は事実としての状況しか理解できなかった。助けを求めているので、瓦礫を退けて引き摺り出す等の行動と結びつかなかった。それよりも、彼女は彼をこの身体と同じ人間であると考えているのだと、まるで脳に直接訴えかけるように情報が流れてきた。
居心地の悪さを感じた。恐らく求めている助けに応じたら、いずれ彼女が想像している彼でないことに気づくのは時間の問題だ。それまでにこの身体の記憶を元に行動を完全にコピーすればよいのかもしれないが、そうするまでの時間の中で、彼女の存在は著しく邪魔だった。とにかく時間が欲しい。
彼は素通りした。
「ねぇ!ねぇ!助けて…………!」
すると叫び声が電話線が切れたように途絶えた。後ろに振り返れば、巨大な黒い獣が赤い瞳を燃やして彼を見下ろしていた。大木のような足の下では塊が潰れていた。
その怪物が何を考えているのかがなんとなく感じ取れた。好意のようだ。彼に追従しようとしているようだった。
原因は定かではないが、彼自身によるものなのは明らかだった。
まだ自分についての知識が乏しいことには変わりなかったが、自分に秘められている様々な能力については理解した。
尚も居心地の悪さを感じ続けていた。これは恒常的なものだった。自分の居場所がいまはまだないからか。それとも、世界には決して自分の居場所がないことを既に直感しているからか。何れにせよ、気分の悪いままでいるつもりなかった。居心地のよい世界を作ってしまえばよい。彼はすぐに思い立った。絶対的で圧倒的な能力は何でも可能にする。ただ、居心地のよい世界の条件とは何か。
頭に浮かんだのは一つの言葉だった。これは一体誰なのか…………。
「羅愛………」




