7.1
「さぁ、着いたよ」
ヘブンズヘルの本社ビルはまるでバベルの塔のように、挑発的な意思が建物に現れていた。
「さてと……」
花は三人に続いて、怠そうに運転席から降りた。
「あまり気乗りしないが、最初で最後の挨拶ぐらいはしておこうか」
羅愛がエントランスに迷いなく突入、常駐していた警備員が驚いて咄嗟に発砲、おもちゃ玉のように躱して、首筋にかかとを叩き落とす。
ぞろぞろと出てきた十人を十秒で片付けた。幸い、会社には人が既に残っておらず、警備員以外に社員はいないようだった。
「さて、羅愛くんに着いていきますか……」
羅愛はエレベーターが停止しているのを見て、階段へと足を踏み入れ、一段ずつ駆け上がる。見たちも後に続く。外から確認した限り、明かりがついていたのは三十九階だけだった。建物が四十階だったので、その下だ。
微は階段を昇るたびに、自分の覚悟が揺らぎそうで怖かった。舞依の主張は正しい。何も間違っていない。現在に生きる意味を見いだせなければ過去に求めるしかなく、例えその行為に、執着という名がついていたとしても、それしか居場所がないのなら、バビルサの牙のような、いずれそれが自分を殺してしまうことがわかっていても、その死に怯えないようにして。たとえ、その時にそう選択するしか自分を生かすことが出来ないとしても、執着が目的なんてあまりに虚しい。そんなものに意味を求めないといけないほど世界は意味の資源に枯渇した場所なのだろうか。
微は彼女のことを否定しないために、昇っている。彼女の努力を全てただ無意味なんて言葉で否定したいわけではなかった。これはなけなしのプライドだった。どんなに彼女のためと言い繕ったってそれは嘘になる。自分も過去に執着している人間だから、誰かのためという言葉は仮面でしかない。彼女が嫌がっても踏み込む。その一歩が、一段となって、三十九階に辿り着く。
絨毯張りの灰色の床を駆け抜ける。途中に、『FLASH保管庫』というのが見えたが気にせず見たちは進んだ。
照明が微かに漏れている、大会議室に足を踏み入れた。凄惨な光景だった。血の匂いで充満して、二人は窒息しそうになった。観察すると、うち二人は首に社員証を掛けていた。殺し合いに巻き込まれたと思われる。しかし、社長らしき姿は見えなかった。
「情報通りだね。ここで羅愛くんがFLASH、演奏者くんと戦っている様子を観ていたようだね」
「しかし、なぜ全員殺したんだ?」
袖で口を覆っている微が言った。
「研究所が完全に私たちに掌握されたんだ。武器商人や政治家からも反発が起きるだろう。おそらくこの中にもFLASHの製作に資金援助をしている人たちも大勢いる。彼らが怒り出す前に、自分たちの手で始末したという事だろうね」
何かが舞う音が聞こえた。それは次第にこの建物に近づいてきているようだった。
「羅愛くん?」
羅愛はその場で跳躍し、天井を突き抜けて二階の高さを優に飛び越え、屋上に達した。居たのは必要な書類を纏めたと思われるアタッシャケースを幾つも携えた鎧社長、待っていたかのように構えていた舞依だった。足元に黒いケースが開かれている。
ヘリポートにはシングルローターの軍用ヘリコプターが旋回し、離陸体制に入っている。
羅愛はカードを引き出して掌を突き出し、高圧水流をヘリコプター目がけて、発射。いとも容易く貫通し、そのまま長剣のように厚い甲板を切り裂き、漏れ出た油に剥き出しの電線から散る火花が接触、大爆発が起こった。
鎧は吹き飛ばされ、アタッシャケースのいくつかが柵を越えて屋上から落ちていき、残りのケースは中身が散乱していた。書類だけでなく、FLASHのデバイスが転がっている。
相手は、スーツについた土埃を払い、押し殺しても殺しきれない憎悪を込めて言った。
「君がタイプワンか、まさしく、悪魔だな」
まもなくして、三人が屋上に到着する。微は、一言小さな声で、「剛理舞依………」と呟いた。別世界の人間のように、完全なパペットのように付き従っている姿は、微と二人の時に見せた姿とかけ離れていて、心が締め付けられた。
「ほう、あれがか」
鎧は花に侮蔑の眼差しを送った。
「まんまと罠にはめられたというわけか。まさか、あの医者が囮だったとはな」
「正直君たちの戦略は隙が多すぎて何処から突っ込めばいいか戸惑うけど、君たちの失敗はまず私たちに情報戦を仕掛けたところだろうね。私なんか社長さんが今日の昼ごはん中に愛人からのメールに返信していたことぐらいしか把握できないしがないハッカーHだからね」
「変態Hだったのでは?」
「エリのツッコミを見くんがしなくてもいいでしょ」
「ハハッ、笑わせてくれる。コケにするのが好きみたいだな」
身体中の血管が浮き出て、今にもはち切れそうなのが遠目からでも羅愛たちには確認できた。
「コケにするというよりかは単純に人を使う心得を知らない人が嫌いなだけだよ」
「タイプファイブ、やれ」
舞依はハープを響かせる。羅愛周辺の空気を振動させて、固定し、金縛りを掛ける。以前よりも強力で、羅愛は思うように動けない。
「は、使えるじゃないか。そのまま地獄送りにしてやれ!」
その時、時間が止まったかと二人は思った。羅愛は、耳が破れん限りの声を出して、制止を完全に振り切った。衝撃波が周囲に波及し、ヘリポートが陥没した。
「何なんだ……!」
鎧は腰が抜けて、その場に倒れてしまった。
羅愛はそのまま突撃し、舞依と距離を詰める。ハープを響かせ、瓦礫で防御、そのまま元素召喚
「『ニオブ』」
足元に白い煙を纏い、超伝導のスピードで羅愛から離れる。切り詰めた音色、細かい瓦礫を銃弾にして浴びせる。
——元素召喚
「『アンチモン』『鉛』」
銃弾で相殺。そのまま蹴りを二発、どちらも瓦礫に防がれ、舞依はチタン製ハンマーを振り回す。
上空で後方に宙返りして回避し、端に着地する。好機と捉えた舞依は羅愛周りの瓦礫を足めがけてぶつけた。骨を砕き、羅愛は態勢を崩す。
「あっ!」
見が声をあげた瞬間、屋上に彼女の姿が消えた。
「は、よくやった……。なっ…!」
鎧社長は驚愕する。何が起こったのか、誰にもわからなかった。羅愛から百メートルは離れていたであろう見が駆け出し、羅愛の腕を懸命に掴んでいた。
見はなぜか吐息一つあげずに羅愛を引っ張り上げた。既に、瓦礫が接触して砕けた骨は回復し、元どおりに戻っていた。
羅愛は表情を変えずに、立ち上がり、カードを握って構えた。舞依も羅愛を睨む。沈黙の攻防戦が既に始まっていた。互いが互いの隙を見せないように振る舞い、互いが互いの隙を血眼になって探しだす。
静寂こそ、最大の音楽だった。戦いという名のデュエットは静寂の形を取って、お互いが相手に飲み込まれないように必死に意志をねじ込み、本当はちぐはぐでミスマッチなはずなのに、最高の音楽と化していた。二人の、心の深淵に流れている信念は頑強なもので、それらがぶつかり合うことで、これは思想的な芸術を生んでいた。
舞依にとって、羅愛とは「現在」そのものだった。羅愛は何にも価値を置かない。超然、つまりどんな状況にも平然といられるということは、裏を返せば、現在に生きているから可能なことだった。現在というのは一点でしか存在し得ない。現在と主張している時点で、既に現在ではなくなる。点なのだ。点はたかだか測度ゼロ(つまり体積はない)のだから、価値など与えようがないし、与える必要もない。点のような人間なんだ。
舞依はそれを否定しないことには一歩も進めないと思った。
静寂は終盤を迎え、最高潮に達し、それは互いの、一撃必殺に集約された。
——『『元素召喚』』
「『水素』『酸素』『カリウム』」
「『ニッケル』『クロム』」
羅愛は前方にカリウムの粉末を展開し、それを水流で押し出し、舞依に向けて、閃光をひしめかせた爆発流を放った。
舞依はハープを鳴らし、ニクロムメッキを施した瓦礫を流星群のように羅愛に向けて放った。
クラッシュ。地面が割れるぐらいのスパーク。野獣のように二つの束は食らいつき、犬の威嚇のように拮抗し一歩も譲らない。
これは、舞依が形にした、最後の実体だった。
「もう、私はもう過去に縋るしか…………」
舞依は心の声が漏れ出た。微の眉が動いた。
「妄執だって、わかってる。執着だって。でも、それだけが私の存在意義なの。それに縋らないと生きていけない!生きる意味がないのっ!」
「だったら!」
舞依は怒鳴り声に振り返った。俯いている微。身体は震えていた。
「意味なんて見出すな…………」
「意味がないなんて、そんなの……」
微は一呼吸置いて、整理した。姉のことを。舞依のことを。自分自身のことを。心は決まっていた。
「意味なんて俺たちには関係ないんだ!理屈なんて知ったこっちゃないんだよ!御託なんて並べればいい!いくらだって並べられるんだ!そんなもの全て最初からないし、あったって壊れたんだ!勝手でも何でもいい、それで空っぽになったって、空っぽでも何でもいいだろ!生きてればいいんだよ!死んでないんだ!俺たちは生きてる、ここに地に足つけてる!デミウルゴスにだって殺されてない!ただ、生きてる!俺はそれだけで感謝する、どんな意味もなくなったってそんなの、衒学者にでも押し付けろ!生きてるってだけで俺は俺なんだ!お前はお前なんだ!生きるってのは欲望じゃない!熱望だ!だから…………」
覇気が途切れ、か細い声で言った。
「生きてくれ……………生きていて欲しいんだ………意味がどこにもないと生きていけないなんて、言わないでくれ………」
微は膝から崩折れた。
「微くんっ…………」
過去の情報が頭の中で氾濫を起こした。微は姉の笑顔に生きる意味を見出していた。もう存在しないのに、あるかのように胸に秘めて、それを辛いときに思い出して、生き永らえさせていた。しかし、思い出を大事にしていると言えば聞こえはいいが、過去への執着に過ぎないのだ。それなしには生きていけないのだから。人の考える、意味などという言葉は幻想に過ぎない。全てが相対化された世界で意味など成さない。人間は万物の尺度などと言った人がいたが、尺度なんて何処にもないし常に変化する。だから意味を見出そうとする行為自体にも意味はないし、この世界ではいくらでも意味は捏造され、何も真実を言い表さない。
ただ、それは無意味だと言っているわけではない。意味のない状態というのはふつふつと湧き上がるマグマのようなものだ。一部を切り取って「噴火」などと形容しているだけであり、俯瞰すれば噴火でも何でもない。しかし流動し目まぐるしく変化しとどまることを知らない状態。それが意味のない状態だ。つまり、「不在」ではなく「不定」だ。
人が何かに意味を見出そうとするのは、自分が自分であるための必要条件だと認識しているからだ。でも、微の結論はこうだ。条件などない。存在によって自分は自分となる。これは実在とか、そういうものではなく、形があろうが、これが夢だろうが、本当は存在していなかったとしても、生を受けているという事実、その認識が誤りでもその事実だけで、私は私になる。
こんな理屈を繕っても微はそのほとんどを言えず姉の過去が混ざり合って感情が優先され、あのような言葉になった。理性と感情が連帯し、一つの言葉、意志の表象となった。本来微が言おうとしたことではない。しかし、これでよかったと心の何処かでは思った。そうでなくては舞依に伝えたいことを伝えられなかったように思った。
二つの流速は、均衡を徐々に崩し始めた。
「くっ………………!」
舞依から火焔のような喘ぎ声が漏れた。そのまま火に染まった液体を吐き出していた。唇から一筋血液が伝った。
「私は現在を、今を否定しないで、過去に戻れな………」
もう限界だった。
舞依は押し切られ、爆発流はハープを直撃し、粉砕した。ヘリポートが巻き上げられ、落ちていたケースが宙を舞う。舞依はコンクリートに何度も阻まれながら、転がって、微のそばで止まった。もう動けそうにないのにそれでも身体が悲鳴を上げても、神経の一本一本が痺れていても、心が空っぽどころか、その形さえ崩れてしまっても、舞依は立ち上がろうとする。
微はそっと彼女の側に寄った。
「私は一人だから………自分で生きなきゃ、過去に求めなきゃ………」
舞依の顔はくしゃくしゃだった。微はそれに目を逸らさなかった。
微はしゃがんで、起き上がろうとする舞依にそっと手を差し出した。
「何度も会ってるから言い忘れたけどよ、俺が、俺たちが、お前の友達になってもいいか………?」
「………えっ?……」
予想外の言葉に、舞依から素っ頓狂な言葉が漏れた。彼女は自分の後悔に押しつぶされないように仮面を被り、感情を殺し、流れ作業のように生きてきた。しかし空っぽであることには耐えられず、過去に意味を求めた。この永遠に終わることのない円環、地に堕ちていくスパイラルは結局のところ、彼女が「孤独」だったからのように微は思った。それは自分も同じだったからだ。
「俺は、姉の死が本当に苦しかった。未だに乗り越えようと思っても乗り越えられずにいる。でも、別に乗り越える必要なんてないんだ。もう事実は変わらないし、それを乗り越えるというのは過去への冒涜だ。今まで生きてきた人の存在の略奪だ」
孤独というのは一人でいることではない、意味を自分で作ろうとし、その意味に自分がくいつぶされることである。だから——
「友達は俺の心を支えてくれたさ。まぁ、見の趣味趣向には文句しかないから、ぶん殴りたくなるけどな。あとで拳で語ってやるとして、俺なりに言うがな、生きていると、その生きているという事実に押しつぶされそうになる。だから、それを無意味なんて思わせない、意味がない状態にしてくれるってのが友達だと思う。まぁ、なんだ、現実に押しつぶされそうになっても、俺がそばにいてもいいならいさせてくれ、てことだ」
自分で言いつつ、恥かしくなり、赤面する微。舞依は俯いて、黙っていた。何を言えばいいのかわからなくなっていた。
「微…………」
見は微の主張に、今まで疑問に思っていた、生と死の激情的な一体化を条件として人は固有の存在となり自我を持つ、という主張の一つの解答が得られたような気がした。微こそ、生と死の激情的な一体化を果たしているように思えた。もちろん、『不滅』を読む限り、微のような人間のことなど何処にも書かれていない。しかし、これは見なりの「見方」であった。見自身、どうして微の主張が疑問の解消になったのか名状しがたいが、感覚的、衝撃が走ったかのように、大地に亀裂が入ったかのように感じたことだった。
微は、原形を失ったハープに目を移した。その側に黒いハープケースが落ちている。ケースも中身の板が木の皮のように剥がれていた。ふと微は板と板の間からわずかばかり顔を覗かせている、一枚の、折りたたまれた紙切れを見つけた。手に取って開くと、それは手紙だった。筆圧の高い、はっきりとした字で、想いが綴られている。手紙を一読し、微は黙って、舞依に渡した。
「これ、お前の母さんからだ」
瞳孔が異様な拡大を見せた。それを受け取るのが舞依には躊躇われた。伸ばそうとする腕が途中で止まる。それを微が掴み、手紙をしっかりと握らせた。
「読んでみろ」
手紙を落としそうなぐらい震える手で、手紙を開いた。
「 舞依へ
口下手な私でも、手紙でなら舞依に気持ちを伝えられのではないかと思い、認めることにしました。ハープケースの中に隠したので、ケースが壊れでもしない限りは舞依はわからないと思います。私なりの照れ隠しと言えば聞こえはいいですが、やっぱり、私自身、この気持ちを知られたくない、今まで舞依に押し付けていた事実を隠蔽しようという腹黒い気持ちがあるからここに隠しているのだと思います。
ただ、ハープが壊れた時に舞依に気づいて欲しいという気持ちもあります。舞依はハープが自分と人を隔てていると思って、苦しんでいると思います。でも、ハープをやめたくなった時、思い出してほしいです。
ハープはやめてもいいから、あなたの好きなことをやってねと。好きを大切にしてほしいです。
確かに、この「好き」の気持ちが人と自分を分けてしまうことがあります。でも、「好き」というのは生きていれば感じる、心が理屈なしに震えるものです。これが自分らしさだと思います。
舞依は昔から一人で抱え込んで、苦しんでいたと思います。母親としてフォローできなかった私の責任でもあると思います。
ハープを勧めたのは私です。舞依の言った通りです。自分はハープ奏者になるのが子供の頃からの夢で、それを諦めたことがいまでも心残りで。自分の娘にハープをやらせたかったという想いが強くて、むしろ最初はそれだけでした。
でも、ハープをやっている舞依が本当に楽しそうで、見ている私もほっこりとするぐらい可愛くて。気づかされた気がします。私はなりたいという目標があまりにも強すぎて、だから上手くならなかったんだって。ハープを楽しめなかった。
舞依は何かを心から楽しめる気持ちを持っています。それはあなたらしさです。
だから忘れないでほしい。どうか、好きを、あなた自身を大切にしてね。
剛理咲」
手紙に水滴が落ちた。複雑に感情が入り混じって不可分になった水滴がぽたぽたと。
「私………わた、しは………………」
「俺が言えた義理じゃないんだろうけどさ、オルフェウスホールで聞いた演奏、本当に感動した。姉の笑顔があの時戻った気がした。ハープって心を映すんだな。ありがとな」
舞依は母との思い出がどっと溢れてくる。
ハープを楽しむことなく、母との折り合いのために、ヘブンズヘルのために、ハープを弾き続けていた。自身の両手と共に、ハープは最大の呪いだったと思っていたのだ。「好き」という気持ちは、ヘブンズヘルに仕えていく中で消滅し、操り人形として、生きていく道を選んだはずだった。
ヘドロの浮いた海で生きていれば、それが自分の贖罪だと思い込んでいた。
でも、好きという気持ちは、殺して殺せるものではなかった。完全に死んでなどいなかった。
「わ、たし…………、ハープ、好きだったんだぁぁぁぁ………………。いまでも大好きだったんだぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
その言葉はハープだけに対して向けられたものではなかった。
慟哭が空気を揺らした。今まで吐き出せなかった気持ちが、その声になって現出した。
意味が本当に壊れた。ガラスの破片のように飛び散っていく中、幾つもの可能性を見出した。一切の「意味」が拒絶された中で、屈服も使役もせず、生きている事実、それだけの事実が私なんだ。
好きってのは生きていることなんだ。このどんなに枯れていたと思っていても無尽蔵に湧き出てくる理屈のない思い、これが生きていることなんだ。想いが溢れ出す。好きが溢れ出す。仮面が消えていた。
慟哭が止み、舞依はくしゃくしゃの顔のままで、心細く言った。
「ねぇ、私の、友達に、なって、くれる?」
微は、力のない手を強く握った。
「………願ったり叶ったりだ。お前もなるか?」
「いや、そこに僕が入っても邪魔なだけだと思うんだけど………」
「俺と見が友達で、俺と舞依が友達なら、見と舞依も友達だろ」
「友達の推移律が起こっているね。まぁ、僕の問題というよりかは、剛理さんの問題かな」
「どうだ?」
微の無邪気な表情。表裏のない、仮面など持ち合わせていない美しい笑顔だと舞依は思った。
「えぇ、友達に、なりましょ?」
微は、舞依の笑顔に、姉の笑顔が重なった。堪え切れそうで堪えきれない涙を、袖で拭った。
「青春っていうのかな………」
羅愛と花は遠目からその様子を見ていた。
「どう?羅愛くんも友達欲しいってなったりする?」
「ならないですね………」
羅愛は馬鹿馬鹿しいと思いつつも、友達という言葉の解釈に別の解釈として、微の主張を加えた。とは言いつつ、馴れ合いを納得するほど、羅愛の心は他人の色を移しやすいものではなかった。如何なる解釈であれ、友達の言葉に無縁だった羅愛にとって、「友達」の言葉がすんなり受け入れられる体制はどこにも出来上がっていなかった。
「さてと、あとは社長さんをって……………」
鎧は嘲るように立って、頭にはFLASHのデバイスを装着していた。
「黙って見ていれば、茶番をよくも俺の前で演じてくれたなぁ」
地面と激突して得た傷から流れ出る血が、まるで興奮ではちきれた血管から吹き出ているかのように、全くその血は固まらずに流れ出ていた。
「ここにはな、お前たちが掌握したマザーコンピュータに接続されていない試作のFLASHがあるんだよ」
その言葉と共に、地面を突き破って、蟻地獄から這い出てきた幼虫のように、FLASH五機が姿を現した。
「タイプファイブ、俺の会社が拾ってやった恩を忘れるつもりか?お前を研究して、その腕を作るよう指示したのは俺だ。俺がいなかったらお前は二度とハープを弾けなかったんだぞっ!ああっ?」
「私は!」
舞依は力目一杯叫んだ。
「……生きています!………………!」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
FLASHは動き出し、舞依目掛けて突進する。
「お前殺してぇやぁぁるぅぅぅぅぅぅ、」
声は途切れた。鎧の脳天から水鉄砲のように血が吹き出て、後ずさって、そのまま、屋上から落ちていった。
「元素召喚『アンチモン』『鉛』」
羅愛はたった一発の弾丸で的確に、冷静に射抜いた。しかし……。
「止まってない!」
見が叫ぶ。
「おい、しかも………」
FLASHの胸部パネルに赤い数字が光り、カウントダウンは、一瞬でゼロを迎えた。
羅愛の瞬足も届かなかった。見の手も届かなかった。爆風に吹き飛ばされ、舞依と微は空中を舞った。そのまま、底知れぬ地獄へのカウントダウンが始まった。
ビルの四十階は、高さとしておおよそ百四十メートルぐらいと言われている。重力加速度はおよそ十メートル毎秒毎秒。初速度をゼロとすれば、地面との邂逅まで、五秒から六秒。ほんの一瞬の出来事だった。
しかし、微には途方もなく長く時は流れた。走馬灯のようなものは流れず、それよりも、全てが夢になっていく時間の中で舞依が映った。舞依は必死で手を伸ばしている。微も必死に伸ばす。でも、手は届かない。
意味のない世界では必然も偶然もない、出来事が生じるだけだ。
ふと微は神について思った。死ぬ間際なのだから、つまり、それは生と死の架け橋となる時間であり、三途の川のようなものだ。ギリシャ神話では、冥府の川レーテを守護するアケロンという神がいると見から聞いたことがあった。つまり、この瞬間、死ぬ間際だけの神というのがいてもいいのではないだろうか。
現実、人は神を知らない。微には神がいるのか、いないのか、正直どうでもよかった。微には神が必要ではなかった。ただ、自分だけに頼る人間であれば、それでよかった。少なくとも、自分という、得体のしれないものにその身を託すだけの勇気はあった。
その自分はこう述べていた。
「もう心残りはない」
と。
微の手に温もりが灯った。




