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Deeper than well  作者: 水素
第1章 妄念
31/42

5.5

 再び、二時間前に遡る。羅愛が去った後の視上クリニックの建物前に、黒い大型バンがゆっくりと停車した。ドアが開き、武装した迷彩服の兵士たちがぞろぞろと照明の灯っていた三階に目掛けて流れ込み、ドアを蹴破ると兵士たちが雪崩れ込む。

 そこの部屋にはエリだけがいた。兵士の数人かが他の部屋を探すも、エリ以外の人影は確認できなかった。

「おい、お前が幻エリだな」リーダーと思わしき茶髪の、眼光の鋭く、頰に傷のある男が言った。見る限り、日本人ではないようだが、流暢な日本語を使っている。

「もう診察時間は終わっているけど、もし診てほしいというなら、喜んで診察してあげよう。話をするというのはとても大事………」

 銃声。木目の並んだ床が抉られる。

「どうやら、話はしたくないらしい」

「ついてきてもらおう」

 傭兵らによって、エリはボディチェックをされる。着ていた白衣を脱がされて茶色のシャツと黒のズボンを調べられた。ボディチェックをしていた傭兵は、自分の、薬指につけていたニッケル製のシンプルな結婚指輪が何かに引っ張られるような感覚を覚えた。

 傭兵あはポケットや両袖、両足には何も所持していないことを確認した。そのまま手を後ろに回して、結束バンドで結んだ。

 エリは兵士の誘導で、バンに乗り込んだ。その中央の座席に座らされた。

 傭兵らは何かをひそひそと、聞き慣れぬ言語で話し込み、その内の一人が電話をかけていた。英語で話しているようだった。

 海岸沿いを進む中、退屈そうにエリは口を開く。

「ヘブンズヘルは私を連れ去ってどうしようとしているんだろうね?」

 意図的な沈黙が流れる。

「誰かチョコレート持ってないかな?甘いもの食べないと口が死んでしまうんだ」

「黙れ」

 リーダーが拳銃を光らせながら言った。

「おしゃべりが過ぎるんじゃないか」

「そういえば、君たち、ロシア語を話しているみたいだけど、あまり意味ないんじゃないかな。だいぶ筒抜けだよ。話し方から察するにウクライナかな?」

 エリは教科書通りのロシア語で言った。

 ロシア語話者は、英語のvをfとして発音する特徴がある。しかし、ウクライナ人はロシア人と違い、vをʋ(ウクライナ語特有の発音記号)で発音する。前歯が下唇から離れてしまった音として説明されるが、他言語者にはない発音なので、聞き取るのは至難と言える。

 エリのロシア語に、リーダーの青い瞳が見開かれる。

「おい、減らず口は叩かない方がいいぜ」

「そうは言っても、この口、なかなか止まらないんだ。そうそう、入金されるのはドネツィクの銀行かな」

 銃口が額と擦れる。

「黙れって言ったろ?」

「でも、私を殺すと規約違反なんじゃないかな?」

「知ったことか。抵抗したとでも何とでも言える」

「ウクライナ東部紛争時に生まれた民間軍事会社の要員みたいだが、ヘブンズヘルの信用は失わない方がいいのでは?」

「隊長、彼女の言う通りです……」

 傭兵の一人がリーダーにロシア語で言った。

「それにもうすぐ研究所の方に到着します。後は彼女を引き取りに来るはずですので、到着を待てば私たちの仕事は終わりです」

 血気盛んなリーダーは仕方なしに銃を降ろし、腕を組んだ。

 まもなくしてバンは停車した。

「早く、降りろ」

 無理に外に引き出され、研究所と思わしき建物のフロントが目に映った。一見、三階建ての小さく、老朽化したビルだが、中は、全く異なるものだった。

 エレベーターで地下を降りると、巨大な空間が広がっていて、窓越しに通路からその空間内に敷き詰められた設備の数々が一望できる。リアルタイムで装置が稼働しており、機械化された生産設備によって、次つぎに量産されていく。

「FLASH、既に量産が始まっているんだな」

 所の職員と思われる研究者たちがFLASHの動作確認や、最終調整を奥で行なっているのが認められた。ちょうどその辺りの右奥に、「全職員立入禁止」と書かれた観音開きのドアがあった。

 通路を渡り、薄暗く、機材が脇に積まれた廊下を通り抜ける。ここに勤めているであろう研究者らと何度かすれ違う。目に流れていく部屋の数々を、窓越しに眺める。薬品の調合をしている部屋や、動物実験をしている部屋などがあった。その中にはマウスやサルだけでなく、人間の姿もあった。

 アルミ製の机を挟んで椅子が両側に置かれている殺風景な部屋に連れて行かれた。エリを椅子に縛り付けると、兵士たちは退室し、電子錠がかかった。磁気センサーで指定のカードを読み込むことで、鍵が開く仕組みのようだ。

「後一時間もすれば受取手がやってくる、それまで大人しく待っていることだな」

 部屋の全貌を映し出している監視カメラから茶髪の男の声が届く。別室で監視していると思われる。

「そんな大人しくするのは性分じゃないな」

「負け犬みたいにきゃんきゃん吠えてろ。俺たちは金の分の仕事をするだけだ」

「じゃあ、私がなぜヘブンズヘルに拉致されて、こうして来たかも知らないわけだ」

「俺の別荘は外れにあるもんでね」(注:ウクライナの諺に「私の別荘は、ずっと外れにある」というのがあり、「自分には関係ない」という意味がある)

「そうだな、はっ、ははっ、は」

 エリはユーモアが面白くて笑いが止まらない。監視カメラは気味悪そうに黙っていた。

「急に沈黙されると対応に困るな」

「笑う女は信用しない主義でな」

「そうか、それは正解だな。信じるのは自分だけでいい。人生の如何なる選択にも後悔しなくて済む。で、そろそろかな」

「何がだ………?」

 その時、室内の照明が突然に落ち、監視カメラも映らなくなった。所内の工場の稼働もストップし、研究者たちからどよめきが起こっていた。

 モニターに映し出された全ての監視カメラの映像が映らなくなって、いくら機器を操作しても何も反応しなかった。

「あ、早く監禁部屋に戻れ!」

 警備室から傭兵たちは飛び出し十秒ほどして部屋に到着した。電子錠が解除されていて、椅子に縛られていたエリの姿はどこにもない。というより、椅子ごと消えていた。

「探せ、探せ!!」

 所内に警報が響き渡る。廊下を駆け回る足音が工事現場の騒音のように響く。

「非常用電源に切り替わるまでにどれくらい掛かる」

 リーダーが警備員に尋ねた。

「一分です」

「しかしどうやら電源が落とされたわけではなく、電子機器が全て壊れてしまっています。幸い、電子機器ではないFLASHは無事ですが………」

 職員の一人が機器を確認して言った。

「どういうことなんだ?なぜ起きた?」

「それこそネオジム磁石でも近づけない限り、こんなこと起きません」

「ネオジム磁石……」

「おい、心当たりあるのか?」

 傭兵の一人の反応に、茶髪の男が食いついた。

「いや、私のつけている指輪がボディチェックをした際に引っ張られた感じがしまして」

「もしかして、あいつ、磁石を身につけていたのか?」

「でも、近づけでもしない限りはいくらネオジム磁石でも、これほど広範囲に装置が壊れると言ったことは起きませんよ」

 職員が不審感を募らせる。

「でもこうして起きてるだろ。それが紛れもない事実だ」


§

 エリは、所内の混乱に乗じて、椅子に繋がれたまま歩いて適当な部屋に入った。運よく機器の上にハサミが置いてあり、機器に体当たりして手前に寄せると、椅子ごと何とか手を持ち上げて取った。すぐに結束バンドは切れ、椅子と手を縛っていたロープも切れ両手が自由の身となる。

 エリは襟のボタンを外し、双丘の間に手を差し込むと隠していたネオジム磁石を取り出した。

「身体検査するなら、それこそ念入りにしないとな」

 部屋を出ると、慌てふためく人を掻い潜って、研究所の職員がどう移動していたかを先に連行された時に覚えていたのでその通りに移動し、巨大な製造部屋にたどり着いた。

 すると、空間を見下ろす位置にある、先のに通った通路から怒声が聞こえる。

「あそこだ!」「撃て!撃て!」

 リーダーの命令で、AK−12の銃口が火を吹く。窓ガラスを粉砕し、39mm弾がエリに降り注ぐ。すぐに装置脇に隠れ、そのまま全力で走り続け、立入禁止エリアを目指す。

「彼処だ!」

 ドア目前、後一歩のところで、手首を銃弾が貫いた。エリは構わずに走り続け、そのままドアに体当たりして入っていく。

「おい、追うぞ」

 傭兵たちは猪のように猛進した。

 エリはシャツの袖を破いて、包帯の代わりに手首に巻きつけた。追っ手が来ることは想像できたので、そのまま走り続ける。

 すると、目の前に電子錠付きの厳重なドアが現れた。ここまでは磁力の影響も及んでいなかったようで、まだ鍵が掛かっていたが十秒も立たぬうちに小爆発を起こした。

 ネオジム磁石は役目を終えたかのように、粒子状に変化し、三枚のカードの形に戻った。

 ドアは自動でずれ、冷気が廊下に漏れてきて足元の温度を下げる。

 本棚のような形をした巨大なコンピューターが整列されて、コンピューターの小さなランプが点灯しているぐらいで、部屋全体は暗闇に満ちている。轟音を鳴らして動いており、リサイタルの大音量スピーカーが大量に並んでいるかのようだ。しかし、眼前に映る雰囲気としては図書館に近い。 

 エリの目が段々と暗闇に慣れてきて、視界が開けてきた。

「確か、この大量のコンピューターの中にメインがあって……」

 遠くから足音が続く。此方に向かってきている。悠長に、一つ一つ探している場合ではなくなった。基本的に並列されたコンピューターはメインとなる数台の統括によって情報を受け取って稼働する。上司がいて、たくさんの部下がいるようなものだ。そして、調整などの利便性からメインコンピュータは入り口付近か、もしくは最も稼働するため、熱を冷ます目的で空調の吹き出し口付近に設置されるのが一般的である。入り口付近のコンピュータはその他諸々のコンピュータと機材が同じことから、メインではない。代わって、空調の吹き出し口を探す。入口からみて、右奥の角に位置していた。

 エリは走り出す。

 違い様に、傭兵らが辿り着き、発砲。

「おい!発砲はダメだ!コンピュータがある」

 職員の一人が焦燥する。

「早く電気をつけろ!」

 リーダーが電気をつけたことで、エリの双眸が過大な光を取り込み、一瞬立ちくらみを起こした。構わずメインコンピュータを探す。

「あっちから足音が!」

 吹き出し口付近に着き、確認する。他のコンピュータに比べて、管が大量に伸びていてスイッチも多い。間違いなかった。

 エリは花に言われたことを思い出して、管の数本を抜き、扇型のマークが入っている接続部分に差し込み、数個のスイッチを入れる。するとコンピュータは今までの轟音から更に大きな爆音をあげて動き始め、ランプが緑色に発光し始め、他のコンピュータも追随して挙動が変化していく。

「そこまでだ……」

 エリの後頭部に銃口が密着している。

「何をしでかしたか知らんが、もう逃げ道はないな」

「そのようだな」

 エリは観念したように立ち上がった。

「さぁ、部屋を出ようか」

 傭兵たちを連れ、リーダーは銃を突きつけたままエリを部屋から追い出し、巨大な空間へと引き戻した。

「別の部屋に移ってもらおうとしようか」

「それはどうかな」

 エリは、にこっと笑って答えた。しかし、半面マスクに覆われているので、その笑みは全く微笑ましいものではなく不吉極まりないものだった。

 エリは銃から頭を話し、勝手に歩き始める。

「おい、止まれ!!!」

 リーダーが発砲しようとしたその時、自分たちの状況に気づいた。

「おい、嘘だ……」

 心の声が漏れ、条件反射的に傭兵たちは銃を落としてしまった。周囲に浮かぶ黒い人形。

 職員の一人が奥の、コンピュータ室から叫び声を上げた。

 黒い人形の数台がすぐさま奥の方へも向かっていった。

「誰が操縦してるってんだ」

 リーダーはため息をつくが、銃の構えは崩さない。しかし、数台の人形が彼らの身体を的確に捉えていた。銃声。リーダーは銃を携えたまま死を吹いて倒れた。

 既に研究所はFLASHによって陥落していた。

「さぁ、カードの在りか、教えてもらおうか」


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