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Deeper than well  作者: 水素
第1章 妄念
26/42

4.8

 微は一人、視上クリニックに訪れていた。以前のようにソファに座り、日木頭と対面していた。羅愛は深刻そうな微を他所に、肘掛け椅子で悠々とコーヒーを楽しんでいる。

「で、今日は何の用かな?」

「……そいつから聞いたが、三日後に駐屯地にカチ込みに行くらしいな」

「私たちヤクザじゃないけどね………」

「俺も連れて行ってくれないか?」

 花はなるほどと一言言って腕を組んだ。

「しかし、また何故だい?」

「理由が必要か?てっきり俺も仲間の一人として認識されていると思っていたが………」

「そういう意味ではないんだ。気を悪くしたなら謝るよ。しかし、羅愛くんと行動を共にすることがどんなに危険なことかわかっていないわけではなかろう。それに、見くんと違って君はデミウルゴスを恐れているようだ。それが当然の反応だろうが、わざわざそうした恐れを押し込めて、無理に見くんらに付き合う必要がないんじゃないか?」

 微は呼吸を整え、覚悟を決める。ゆっくりと顔を上げた。微の目は座っていて、日木頭も用意を以って彼の言葉を聞いた。

「自分の意志で、見てみたいと思ったんだよ。ここにいる人間の戦う様を」

「戦う様か、そんなに面白いものじゃないと思うよ」

「面白いか、面白くないか、そういう問題で付いていくって言ってんじゃねえよ」

「じゃあ、何なんだい?」

「俺な、あの演奏者に会ってたんだよ………」

 花は黙って耳を傾けていた。

「そいつは、無理に笑うことが何よりも意味のあることだと言ったんだ。俺はそれを否定した。意味がないと思った。だが、俺も一緒だったんだ。五年前に姉が死んだ。黒い霧の病で、リンチに遭った。身体に火をつけられて死んだんだ。その時から、俺は全ての元凶を作ったデミウルゴスが憎かった。滅ぼせるものなら滅ぼしたい。でも、俺にはそんな力はない。人間も憎かった。でも、憎悪が俺という人間の始まりではないんだ。俺にとって始まりは、本当に意味のあるものは、源泉は、姉の笑顔だったんだよ」

 羅愛は顔色一つ変えず、コーヒーを最後の一滴まで味わっている。

「姉は……、ねえちゃんは、俺がいじめられた時でも、失敗した時でも、笑って慰めてくれた。怒ったり、叱ったりしなかった。あの笑顔、心が解けるかのような笑顔に俺は何よりもの意味を見出していたんだ。俺は、もちろん、彼女の過去を全て知っているわけじゃない。でも、俺たち人間は過去に自分を生かすための意味を見出す。演奏者にとって生きる意味は贖罪なんだ。過去に犯した罪があるから現在にこれほどの重荷を背負っている。因果応報。そう思わなければ生きていけない。意味に執着しているんだ。俺は、彼女の姿をもっと見なくちゃならない。理解しなくちゃならない。わかろうとしなくちゃならない。けじめがつけられないんだ」

「けじめ?」

「生きていくための、過去に対するけじめだ」

 花は微の決心を、内に秘められた意志を直視した。

「………失礼かもしれないが、全く自分勝手ではないのかな?結局、相手の過去の清算ではなく、自分の過去を清算しようとするなんて」

「勝手で上等だ。自分のことも整理できずに、相手のことを語れねぇよ」

「…………死ぬかもしれないよ」

「見は許可したんだろ?」

「それは………。そうだね」

 花は複雑な顔を浮かべた。見には許可を与えたが、それは本意が別の所に存在するからに他ならなかった。


 微が去り、沈黙の中、花は納得したかのように頷いていた。

「途中でてっきり逃げ出すかと思ってたな。まさか、率先して関わろうとするとは……。これは、見くんのことも、もうすぐ彼は知ることになるだろうね」

「どうでもいい……」

 羅愛はぼそりと呟く。花に言われて、二人の護衛を名目とした、見らとの必要以上の接触、コミュニケーションは、彼女にとってはっきり言ってどうでもいいものでしかない。だが、羅愛は花の命令を聞いて、面倒くさい事でも動いていたに過ぎない。

「どうでもいいか………。微くんの言葉を借りれば、デミウルゴスの正体に意味を見出しているのは他でもない、私だからね。羅愛くんにとってはどうでもいいな…………。人さえ、死んでくれれば」

 花は胸が強く締め付けられそうな思いで、助けを乞うかのように羅愛を一瞥した。変わらず、冷淡で、温度変化のない彼女だった。


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