4.6
携帯が鳴っている。時刻は朝の七時。今日は十時ぐらいまで寝ていようと思っていた微は、不快な着信音に辟易しながら、仕方なく応答した。
「もしもし」
「あ、元気!今日、暇?暇よね?暇じゃなくても来て!視上駅に八時!いい!」
何も言わせずに、相手は電話を切った。
微は頭を掻いた。雀の囀りが聞こえた。確かに、朝だった。
§
視上駅に八時十分前に到着したが、舞依の姿がない。人を呼びつけておいて、十分前に集合しないとはどういうつもりなのだろう。ロータリー側のベンチにどさっと座り、待ち続けること二十分。ベンチの後ろから、藪蛇のように現れた。
「わぁ!」
驚かす気満々だったのか、手には蛇のおもちゃを持っている。
微は特に反応もせず、舞依の手から落ちた蛇のおもちゃを拾って返した。
「もうちょっと驚いてよ」
不満そうに受け取って、微の隣に座った。危機感を忘れていない微は、少し身体を遠ざけた。
「さて……今日はね………」
「帰ってもいいか?」
舞依はカードをちらつかせ、にししっと悪の親玉のような顔を浮かべている。本当に悪の親玉がすることだなと微は恐怖を感じる以前に呆れていた。ただ、明確に言葉では説明できないが、彼女も、羅愛と同じように人間であって非人間な存在なのに、親近感のようなものが湧く。たとえ、カードで脅されていなくても、少しぐらいなら付き合ってもいいと思えてくる。
「どこにいくんだよ?俺、学生だから慢性金欠だぞ」
「心配ご無用!私のポケットマネーわんさかあるから、奢っちゃうよ!」
どうしてだろう、元気があるのはいい事なのだろうが、違和感を感じる。
連れてこられたのは小さな遊園地。子供の頃に姉に連れて行ってもらって以来なので、かれこれ十年ぶりに訪れた。
言われるがままに様々なアトラクションに乗せられた。しかし、ほとんど遊ぶに気になどなれなかった。やはり、頭に浮かぶのは数日前のことだった。
見とはどう付き合っていけばよいのだろう。一回は思考の放棄を選択したが、そのつけが回って来た。自分と考え方の違う人とは関わりを持たなければ済む話なのかもしれない。もしくは、自分が謝って彼の個性と呼ぶべきものに、目を瞑ればよいのかもしれない。しかし羅愛やデミウルゴスを許すことなど出来なかった。羅愛は直接的には関係ない。微の姉の命を奪ったわけではないし、デミウルゴスを生み出した黒幕でも何でもない。彼女だって被害者に他ならないのだ。
初めて見に会ったのは高校の入学式だった。見は丁度席の位置が微の前だった。入学式の最中に、彼は『植物図鑑』を念入りに読んでいた。周囲は好奇の眼差しで見ている。入学式では、必ず入学者を一人一人呼び上げる、意味不明な儀式がある。その時に、見は、本を夢中になって読んでいたせいで、自分が呼び上げられたのに気づかず、入学式以来、誰も彼に近づかなかった。 ただ、面白いことに本人は一切の恥辱を受けたと思っていないようで、入学式の時も平然としていて、加えて、一人でいることにそんなに悲しそうにしている様子もなかった。
一方で、微は、目つきの悪さ、金髪、着崩した制服。外見的に人がよってくる要素が一つも存在しなかった。自分ではカッコいいと思ってすることも、他人にはそう思われないという典型である。誰もが微を怖がって近づくことはなく、屋上で一人飯が当たり前だった。
最初の数ヶ月は彼と一回も話すようなことはなかった。
ある時の昼休みである。いつも通りに一人飯をしていた。すると、屋上のドアが開いた。やって来たのは見だった。屋上の柵に片方の手をつけて、双眼鏡を覗いて、鳥を見ているようだった。微にはその鳥の名前がわからなかったが、よく見かける鳥だった。「おお!あれがコゲラか!」
コゲラ……。『ゲラ』と言っているから、キツツキの仲間だろうか、と微は思っていると、見がそばに近づいて来た。
「あの鳥、いつもこの辺りにいますか?」
ぽかーんとしたが、微は気を取り直して言った。
「………ああ、飛んでるな」
「感動しませんか?」
「……話が読めねえな」
「コゲラ、キツツキの仲間なんですけど、都内で見れるの、結構珍しいんですよ。いやー、感激!」
「そんなに鳥が好きなのか……?」
「気になったので色々調べてたんですよ」
「はぁ………」
物好きだなぁ、と微は思いながら、コゲラを眺めていた。目で追っていると、青々しい葉をつけている大木に止まった。目を凝らすと、木々に蠢いていた小さな虫を、短いくちばしで突いて口に放り込む。
「コゲラって世界最小のキツツキなんですよ」
ギィーッ、キッキッキッ、と鳴いた。初めて聞いたかもしれない。身近にどんな鳥がいるかなんて考えたこともなかったので、見の視点が非常に新鮮に感じられた。
「そういえばよ、入学式の時、お前植物図鑑見てただろ」
「ああ、見てましたね」
「それも何か調べてたのか?」
「入学式前に終わらせる算段が試算を誤って式中読んでましたね」
「………………で、名前はわかったのか?」
「はい、イヌダテでしたね。世間的には雑草扱いされている植物ですが、一つ一つに名前があるってなかなか面白いものですね。それに、イヌダテは画材として使われるぐらい、色が綺麗なんですよ」
「雑草でも、雑草じゃないんだな」
「そういうわけですね」
元気だなぁ、と思いながら思わず笑ってしまった。
「どうしたんですか?」
不思議そうなのが、何とも面白可笑しい。
「いや、俺が怖くないのか?」
「……ああ、いや、怖い噂は良く聞きますが、僕は話したことなかったので、何も思わなかったですね。ただ、いま話した限りでは怖い噂はあまり信憑性のあるものとは思いませんでしたよ」
偏見というのは人が作り出すものだが、それは、正確には集団が肯定するもので、個々人が肯定するものではない。個人では自由な認識が存在し、それが偏見に埋もれているに過ぎない。
「なるほどな」
微は言った。
「ねぇ、聞いてる?」
現実に引き戻された。目の前には、舞依の姿。飲み物を二人分買ってきて、コーラを微に渡した。
「心ここに在らずって感じだね」
「……ああ、そうだな」
なぜ、彼女は微に拘るのだろう。見とも接触する機会はあるだろうに、その気配を見せず、微を何度も呼びつけ、今日の呼び出しで六回目を迎えていた。平日でも構わずに、学校が終われば電話で呼び出し、公園で散歩に付き合ったり、服の買い物につきあわされたり、様々だった。微はその真意を知りたがったが、舞依はそれを言うそぶりを全く見せず、ずっとニコニコしていた。舞依は能力者であるが、それ以前に世界的な演奏家のはずで、こんなに遊んでていいわけがない。彼女のことをネットで検索すると、日本には全国ツアーの名目で訪れているようで、昨日は仙台でコンサートをしたはずだった。
「元気だな……」
「そりゃ、元気だよ。最近、力有り余っちゃって」
「昨日は仙台でコンサートだったんだろ?」
「え、私のこと調べてくれたの?うれしいなぁ」
「二日後は函館らしいな」
「そうそう」
「こんなところにいていいのか?」
「ほら、いざとなればカード使って高速移動ってね。そんなのお茶の子さいさいだから」
「そうか」
「今まで微くん、ずっとだんまりだったのに」
「別に、考え事だ」
「そう…………それにしても楽しい!」
舞依は屈託のない笑顔を浮かべる。何故だろうか、どうしても舞依を見ていると、姉を思い出す。外見的に似ている要素はないし、性格も大きくかけ離れている。しかし、その根底に流れるものが同一のように感じた。優しさというか、思いやりというか、人が人であるために忘れてはいけないものを彼女は大切にしているようだった。それが何かによって脅かされていて、必死に守ろうとしていて、それで無理して頬笑を作っているのではないか。舞依に尋ねてみようと思った。でも聞くことができない。否、聞いちゃいけない、微は頭によぎった。姉の顔が。姉の最後の言葉が。微が舞依にただ尋ねてしまうことで、舞依から笑顔を奪ってしまうような気がした。
「微くん、さ……………………デミウルゴスって何なんだろうね………」
微ははっと、舞依の方を見た。先の笑顔は彼方に消えていた。
「街を壊して、人を殺して、大切な人を奪って、その余波は世界中に広がって、世の中が変わった。各国が各国のやりたいように政治を進めて、無政府状態になって、治安もどんどん悪くなっていく。人同士の殺し合いなんて当たり前。力のためには何だって取り合う。デミウルゴスって何なんだろうね…………」
少しの沈黙の末、微は声を絞り出した。
「俺にとって、デミウルゴスは……………。憎悪だ。デミウルゴスがいなかったら、姉が黒い霧の病に苦しむことはなかった。姉がリンチを受けて、死ぬこともなかった。両親が離婚することもなかった。デミウルゴスは俺から大切なものをどんどん奪っていった。あれは、人間の負の感情の塊だ。でなければ、これだけ無慈悲に人を殺したりできないはずだ」
「じゃあ、私ような存在は憎い?」
「……………………ああ、憎いよ。途方もなく。どうしてだって思う。何で姉は死んだのに、同じように黒い霧を浴びた人間は何も身体に外傷がなくて、しかも力を手に入れて…………」
微は言葉を止めた。視線の先、舞依の流れるような脚。踝の辺りに、小さいけれども、黒い腫瘍ができていた。
「あ、これね……」
舞依は、弛んでいた靴下を上げて、腫瘍を隠した。
「私ね、能力者だけど、なぜかな、黒い腫瘍が出てるんだよね。治療もしているよ。でも、そんなに長くないだろうね……」
微は何も答えられなかった。
「でもね、そんなに落ち込むことばかりじゃないだよ。私が社の命令通りに動けば、母が治療してもらえる……」
聞くのはあまりにも野暮だと思った。でも、聞かないことは出来なかった。
「じゃあ、何でそんな悲しそうなんだ……」
「……………………私ね、今だに母と仲直りできていないの」
「仲直り?」
「そう。私がハープ始めたのって母に勧められてなの。でも、徐々にハープが嫌いになっていったわ。それで、母と何度も喧嘩したの。私にどうしてハープをやらせたのかって。母は単純に、願望を押し付けたの。母はね、ハープ奏者を目指していたの。でも自分にその才能がなかった。だから、私にその願望を押しつけた。そんな理由が許せなくて、憎くて…………。でも、あの時全てが変わった。私は手を失った。正直、最初に思ったのは安心だった。もう母の言いなりにならず、ハープを弾く必要ないんだってね。でも、バチが当たった…………。ヘブンズヘルに、母の治療をし、義手を与える代わりに協力しろという提案に安易に乗ってしまった。やっぱり母がいなくなるなんて考えられなかった。これ以上、家族を失いたくなかった。そんな目先の利益のために承諾してしまった。治療を続けているけど、本当は助かるかわからない。私は実験を繰り返されて、それで彼らはVICEを作った。他にも作っているようだけど…。実験だけでは飽き足らずに、能力者として、要人の暗殺を繰り返させ、金儲けの道具として使われてきた。ハープを弾くのだって、どこにも楽しみがないままで……。ただ、社のために、弾いてきた。これも自分が、自分が悪いと思わなきゃ…………生きていけない。だから自分のためにこんなことをしているのよ」
何も言えなかった。突然に、俯いていた舞依は空を向いて、笑顔に戻った。
「やっぱり笑ってないとね?」
どれ程に、その笑顔に、様々な苦しさを隠してきたのだろうか。微には到底、笑っていることなどできなかった。彼女は強い。でも、脆かった。どこかに寄りかからないとすぐにでも崩れそうなぐらいに脆くて、必死に贖罪と、後悔と、非道と、戦っていた。
「無理して笑わなくたっていいんじゃないか。」
「……………………何でそんなこと言うの?」
「笑ったって意味なんてないんだ。そうなんだ、意味なんて………」
「意味がないなんて言われたくない!」
微は唇を噛み締めた。無意味と言いたかったわけじゃなかった。ただ、無理をして欲しくない、と思った。これ以上、無理をすれば、死んでしまう。姉のように。微が心配しないように黒い霧の病に罹っても大丈夫と言って死んでいった姉のように。
「何で意味がないの?笑って、仮面をつけていないと、自分がもう壊れていく、何十人って人を殺して、それでも殺すことが怖くて、今度は自分と同じ仲間を捕まえてこいって言われて、どうせ捕まえたら私みたいに、いずれゴミ同然に捨てられることなんてわかっている。それが人間でない私のすることなの。でもそうしないと母は絶対に助からない。助からないの!」
微は黙っていた。
「………………執着だな」
微は平手打ちをくらった。舞依は立ち上がって、顔を歪めている。憎悪のこもった眼差しだ。あの時、自分は見に、こんな目を向けていたのだろうか。
「そうよ、執着よ。そうじゃないともう私は私を保てない………。意味があるの!」
舞依はその場を走り去った。舞依が飲んでいたジュースがベンチから落ちて、中身がぶちまけられている。ジュース溜まりが、徐々に微の足にも広がっていく。
「意味。ああ、そうか、意味なのか」
微は腑に落ちた。微は羅愛やデミウルゴスを憎むことに意味があると考えていたのだ。そうでなくては、平常を保てないと思ったからだ。しかし、その平常とは何か?一体何を守りたいのだろう?
舞依にとっては、笑わなければ、平常を保てないと思って、だから笑うことには意味があった。その意味はどこから来るのか、その人の過去だ。
過去に意味を見出すとき、その意味が人の行動原理の大半を占めれば、執着という名を持つ。
意味は、又の名を価値とも言うが、これがなくては、人が人の形を保つことは困難だろう。 果たしてそれは本当に大切なものだろうか?生きることを楽に、円滑にするために意味を持つはずなのに、それが生きることを苦難にしているなら意味にくいつぶされているだけじゃないか。
ただ、姉のように、無理をして欲しくなかった。でも、無理でもなんでもしなければ、生きていけない。だったら…………。微は何としても反駁したかった。先見を否定しないことには、自分の大切にしたいと思うものを大切に出来ないような気がした。
意味なんて、ない。それは決して無意味だと言いたいわけじゃない。
こんな議論、屁理屈を並べ立てただけの、自分を守るための欺瞞でしかない。それでも……。
『俺が俺であるにはそうするしかなかった』
微は、舞依を、悲しませたくなかった。
§
舞依は沿岸沿いの道路を一直線に、ずっと走っていた。何処までも続いているようで、終わりがなかった。息切れを起こして、途中で撃沈すると、胸が締め付けられるような痛みに襲われ、咳き込んだ。手が濡れる。見ると、血だった。ポケットから黒いハンカチを取り出して、血を拭き取り、口元をぬぐった。
柵に凭れて、その場に座り込んだ。過ぎ去っていく車。空に舞うカモメ。後ろで聞こえる波の音。気持ちのよい潮風。
意味がないと微に言われた。微には否定されたくなかった。微にだけは………。
その時、着信音が鳴り響いた。画面を見ずに、応答する。
『何処で何をしている?社で最終調整をする。戻ってこい」
結城からだった。
「わかりました……」
電話をオフにした。もう動ける気がしない。




