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拷問器具少女  作者: 御巫歪
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第三話 悲嘆の旋律

エリックたちを乗せた汽車は、短い旅を終えロンドンに到着した。

 汽車が到着した直後、たくさんの警察が押し寄せるように汽車の中へ入り、あまりいい雰囲気とは言えない。

 二つの死体が運ばれた。どの死因も拷問器具人形の仕業にされるのだろう。

 乗客たちも恐怖のせいか顔に疲れが見えている。

「着いたにゃあ、ロンドン。一度はカルちゃんも行きたいと思ってたビッグベンにゃ」

 そんな中カルスティアだけが大はしゃぎしていた。

 それもそのはずだ。カルスティアは車内で食事を終えた後なのだ。気持ちが高ぶるのは仕方がない。だが、この場の空気から場違いにも程があった。

「カルスティア声を押さえて」

「なんにゃ、せっかくロンドンに着いたというのにべネちゃんもリックも辛気臭い顔してどうしたのにゃ」

 自分が車内でしでかしたことをカルスティアはもう忘れているらしい。というより気にも留めていないようだ。

「あんな事がありながらよく平然としていますね。私も食べたかった」

 小さい声でカルスティアは言うがエリックには聞こえていた。カルスティアの行動はベネディクティの本能を触発していたらしい。

 カルスティアに食べられた乗務員の死体は何もせずそのまま放置することにしておいた。自分たちで死体をどうにかするよりも警察に任せるべきだと思ったからだ。

 エリックたちは乗務員の死体を置き部屋に戻って、ロンドンに到着するのをじっと待っていた。

「それにしても、カルスティアの染まったドレスが戻ってよかったです」

 カルスティアの着ているドレスは純白に戻っていた。あれだけの濃い血を浴びていたのでロンドンに到着しても戻らないのではないかとエリックは心配していたのだ。

「それじゃあ、カルちゃんはここでおさらばするにゃ」

 はじめからロンドンに着いたら逃げる予定だったかのようにカルスティアは二人から距離を置いていた。

 だが、ベネディクティが瞬発加速でカルスティアの肩を掴んだ。まるで、獲物を逃がさない狩人のようだ。

「待ちなさい」

「なんにゃ、べネちゃん」

 首をベネディクティにカルスティアは向けた。

「逃げるつもりだったのですか。だけど、逃がしませんよ。あなたにはまだやることが残っているんですから、それとも他の妹たちの居場所を知らないわけではありませんよねえ」

 ベネディクティの語り口調は幽霊話よりも怖い恐怖をカルスティアに与えていた。

「冗談にゃ。逃げようだなんて思ってないにゃ」

「そうですか。なら、道草してないで行きますよ」

 カルスティアの手を握ってベネディクティは先行して歩いた。

「べネちゃん放してくれにゃ」

「私と手をつないで歩くのがそんなに嫌ですか」

「そんなわけないにゃ……」

 カルスティアは完全にベネディクティにより拘束された。


 ロンドンの中心を流れるテムズ川を渡ったバッキンガム宮殿の隣に拷問器具人形の対策室の建物はあった。

「ここがエリックの仕事場ですか。何というかあれですね……政府の役人というものですからもっと凄いところでお仕事されているのかと思いました」

「何とも小さいしぼろいにゃ。カルちゃんたちがあちこちで活躍している割にこの建物は地味すぎるにゃ」

 二人の拷問器具少女はそれぞれが思ったことを一切たがうことなく言う。隣のバッキンガム宮殿と見比べると天と地の差だ。

「すみません。なんか期待させてしまい、急ごしらえでつくった建物ですのであまり大きくはないんですよ」

「これなら私たちの家の方がよっぽどいいですね」

 エリックは何も言い返せなかった。ウィルハイム氏の屋敷と比べてもエリックの職場は本当に酷い物なのだ。

 とはいえ彼女たちをここに連れてきたのは大きな功績だ。これで本格的にこの建物も機能するだろう。

「ここで立っているのも何ですし、中に入りましょう」

 三人は形だけは重厚な扉をくぐり中へ入っていった。

「ただいま戻りました……」

 エリックは一応帰って来たという挨拶をした。しかし、誰もエリックの言葉に反応する者はいなかった。

「やけに静かですね」

 対策室の中は閑散としていた。人がいないわけではない、ただどんよりとした悲しい空気が漂っているだけだ。

「室長はいますか。エリックが戻って来たと伝えて下さい」

 エリックは受付の人にそう言うと、室長にアポを取る。

 アポが取れるとエリックは二人を連れて迷わず室長室へと向かった。

「従業員の他に一般の人がいるみたいですが彼らは一体……」

 ちらちらと従業員ではない人たちを見てベネディクティが聞く。

「彼らは今ロンドンで殺人を行っている拷問器具人形によって家族や友人を殺された方々です。毎日のようにここにやって来て悲しみの声をあげています」

「なるほど、それでこのような重い雰囲気に、教会で懺悔している人のようですね」

「教会で懺悔するならいいですよ。でも、彼らはここに救いを求めているんです。拷問器具人形をどうにかしてほしいと」

 教会で懺悔しても何も変わらない、ならこの場所にすがるしかない。けれど、どうにもならないからこそ、悲しみが充満しているのだ。

「カルちゃんたちはここではあまり歓迎されていないようにゃ」

 周りを見ると、人々の目は三人に注目していた。その目はどれも三人を睨んでいる目だった。

「そのようですね」

 華やかなドレスを着た少女二人が地獄のようなこの場所に赴けば目立ってしまうのは当然だ。しかも、エリックが連れてきたとなればなおさらである。

「あまり目を合わせないで下さいよ」

 暴動を避けるためエリックは二人に注意した。二人が目を向ければたちまちここは戦場と化すだろう。そんな事になれば、大参事の血の空間が出来上がる。

 二人はエリックの言葉を理解したのか下を向きながらエリックについていった。

 人気がなくなりしばらく施設の奥を歩いていると、気品にあふれた大きな扉が見えた。

「ここが室長室です。さあ中に入りますよ」

 エリックは敬礼し室長室の扉を開けた。

「エリック=ウオォーカーただいま戻りました」

 扉を開けると七三に分けたチョビ髭を生やしたいかついおじさん堂々と座っていた。

「よくぞ帰って来た、エリック=ウオォーカー、長旅ご苦労様」

 微動打に一つせず目の前にいる室長は三人を怖い顔で見ていた。いかにも、お堅い感じの人のように思える。

「ところで、エリック君そちらのお嬢さん方は何者かな、連れがいると連絡は聞いていたが」

「私は拷問器具少女第一ドール『紫電の淑女』ことベネディクティと申します。以後お見知りおきを」

「同じく拷問器具少女第九ドール『赫染めの処女』ことカルスティアにゃ」

 二人はエリックから一歩前に出て自己紹介した。

「そうか君らが例の……私は拷問器具人形対策室の室長を任されているウィリアム=ルイスという者だ。まあ座り給えよ、立ち話も何だろうお茶でも出そうか」

 三人は室長のウィリアムに言われるままに座った。

 お茶が出され、緊張感が走る。どことなく氷のように張り詰めた空間にいるようだった。そうして、その空間を破るようにウィリアムの口が開いた。

「よかったよおおおーっ、エリック。心配していたんだよ、リカード=ウィルハイムの屋敷に単独で行くってなった時は気が気でなくて、エリックの不死性をこんな危ない任務に使うのは嫌だったんだけどね、女王陛下に言われてはどうしようもなくて」

 ウィリアムは泣きながらエリックに抱き付いてきた。先ほどの空気が嘘のようである。

「にゃにゃ」

 ベネディクティとカルスティアはウィリアムの豹変ぶりに目を疑っている。

「痛いよおじさん、離れて、二人が見てるから」

「ああ済まない」

 エリックに言われるとウィリアムは我を取り戻したのか離れて咳払をして元のいかつい顔に戻る。

「おじさんって……」

 ベネディクティはエリックを見ながらウィリアムが何者か目で訴えてきた。

「そうですね、二人には話しておかないと、室長は僕の親代わりなんですよ」

「エリックの親にゃ」

「施設から抜け出した後、身寄りがなかった僕を引き取ってくれたのが室長なんです。以来、ずっと僕の面倒を見ているんですよ」

「お見苦しいとこを見せてしまい済まない」

 ウィリアムは恥ずかしそうにしながら照れる。案外、悪い人ではなさそうだ。

「なんだか安心しました」

 ベネディクティはふと声を漏らした。緊張がほぐれたようだ。

「それじゃあエリック報告を頼もうか」

 程よく空気が和んだところでウィリアムは話を戻す。エリックは頷き返して口を開けた。


 報告は二時間ほど続いた。時間がかかってもいいからエリックは屋敷であった濃密な時間を一秒一秒見たまま、体験したままを全て話した。

 リカード=ウィルハイム氏が死んでいた事、作られた少女のことそれに関する情報、屋敷でのカルスティアとの戦闘。汽車内での出来事は隠そうと思っていたが、すでに情報は入っていると思ったのでウィリアムだけには真相を伝えた。

「報告は以上で終わりです」

 ため息を漏らしエリックは力を抜く。一人で二時間それもぶっ通しで話すのは疲れたようだ。その間、ベネディクティとカルスティアは動くことなくまるで人形のようにエリックの話を聞いていた。

「お疲れ様です、エリック」

 疲れた様子のエリックに気を使ってかベネディクティはお茶を差し出した。

「ありがとう、ベネディクティ」

 エリックはお茶を一気に喉に飲みいれた。カラカラになった口の中が潤いを取り戻す。エリックは茶器を置くとウィリアムを見た。

「それで室長、彼女たちの今後を話したいのですが……今は無理そうですね」

「うっうぅーっ」

 ウィリアムは涙を流してそれどころではなかった。

「君たちは辛い痛みを乗り越えてここまで来たんだね。エリックもよく彼女たちを連れ出してきてくれた」

 ウィリアムはベネディクティたちに同情していたのだ。

「ごめんね。おじさんのこんな汚い面を見せてしまって」

 感受性がとても豊かなのだろう。エリックが施設から助け出されたときもウィリアムはこんな顔をしていたとエリックは記憶している。

「いいえ、それよりも驚きました。私たちの正体を知りながらこんなにも泣いてくれるなんて」

 拷問器具人形は畏怖の象徴で人間の敵だとあの汽車の中で散々感じてきたのに目の前にいるウィリアムは泣いてくれているのがベネディクティは不思議だった。

 普通だったらもっと毛嫌いしてもいいはずなのに、ウィリアムは離れるどころかベネディクティの心に近づいて来てくれている。

「私の正体を知って恐れなかったのはお父様を除けばあなたが二人目です。エリックがあなたに育てられたのは間違いないようですね」

「話に聞く通りベネディクティ君は本当に優しい子だ。そしてカルスティア、君も色々と大変な生き方をしているね。でも、君の心は正直だと私は思っているよ」

「別にそんな苦労した生き方はしてないにゃ。ただ、カルちゃんは思うがままに自由に生きているにゃ」

 ウィリアムから顔をそらしてカルスティアは言った。

「おじさんの心の整理もついてきたことだし本題といこうか」

 ウィリアムはハンカチで涙を拭くと同時に三人の気も引き締まる。

「まずカルスティアだが君は他の妹たちの居場所を教えるという条件で二人について来ているけどその後はどうするんだね」

「んー、カルちゃんは自由気ままなのにゃ。だから、その後どうするかは決めてないにゃ」

 少しだけ考えるそぶりを見せカルスティアは言った。

「また何処で人を食べると」

「そういう事になるにゃ」

「分かった。ならこちらに協力してもらうよ。引き続きエリックとベネディクティの監視のもと行動を許可する」

「にゃにゃ、それは話が違うにゃ」

「たった今決まった事だ。それとも他の拷問器具人形の居場所を知らないわけじゃあるまいな」

「にゃ……」

 カルスティアの声が止まった。ウィリアムはカルスティアが嘘をついていないか試していた。エリックはカルスティアが嘘をついていないと信じここまで連れてきたが、室長はカルスティアを疑っているみたいだ。

「もしも知らないと分かったらどうなるにゃ……」

「壊す」

「侮れない男にゃ。言われなくても、他の妹たちの居場所は教えるにゃ。仕方にゃいからべネちゃんとリックにも引き続き同行してやるにゃ。甘々な二人をこのままにして置いたら間違いなく他の奴に食われてしまうしにゃ」

 カルスティアは引き下がるようにウィリアムの命令を受け入れた。

「いいのですかそれで、連れてきた身とはいえ、妹たちの居場所を教えたら僕は解放するつもりだったんですけど」

 申し訳ない表情でエリックはカルスティアに対し謝ろうとしている。

「いいも何も関係ないにゃ。リックたちの目的はカルちゃんたちを壊す事。一度捕まった以上逃がすわけにはいかないにゃ。それに、べネちゃんはカルちゃんを逃がすつもりはないようにゃ」

「そうですね。あなたを見過ごせばたくさんの人に迷惑が掛かるので」

 カルスティアに向かって電流の流れる銅線がはじけ飛ぶ。はじけ飛んだ銅線はカルスティアの目、あと数センチのところで止まった。

「これで分かったにゃ。リックが心配することにゃんて何もないにゃ。カルちゃんはリックとべネちゃんと旅をするのも悪くにゃいと思っているのにゃ」

「話はついたようだね。なら、後で知っている限りの拷問器具人形の居場所を吐いてもらおうか」

 カルスティアは素直に頷いた。

「では次にベネディクティ君だが、君は本当に妹を殺せるのかい。君は聞くところによると一番最初に生まれた拷問器具人形でウィルハイム氏や他の妹のお世話をしていたそうじゃないか、そんな愛情が溢れる君に果たして殺せるのか」

 ベネディクティに目を向けるウィリアム。今度は、ベネディクティを試すようだ。

「出来ますよ。ならばここでカルスティアを殺して見せましょうか」

 なんもないところからベネディクティは不意に殺人衝動を現した。まるで、今まで隠していたかのようだ。カルスティアもそれにつられ臨戦態勢に入る。

「今度は本気にゃ。次は油断しないにゃ、簡単に壊せるとは思わない方がいいにゃ、紫電の淑女」

「何と言おうとあなたは九番目、私には勝てません、赫染めの処女」

 エリックは一瞬で本気だと感じ取った。室長室はあっという間に二人の殺気で充満していった。そして、今にも二人の殺し合いがはじまる直前だった。

「待ってくれもういい、室長室をボロボロにされてはたまらん。殺気を解いてもらえないか、試すような真似をして悪かったよ」

 二人の殺気に当てられてウィリアムが弱腰で止めに入った。それを見た二人は直ぐに殺人衝動を抑え込んだ。

「面白いおじさんにゃ。カルちゃんたちの本気を見て、子羊のように怯えているにゃ、さっきまでの威厳がまるでないにゃ」

 カルスティアはウィリアムを見ておちょくる。

「これで分かったなら何よりです。エリックと同じで、肝の据わった方かと思いきや、一般の人となんら変わらない反応を私たちに見せるのですね」

 ベネディクティは鼻で笑っていた。

「エリックみたいに私は不死でも何でもない。怖いものは怖いんだ。人間は他の動物よりも敏感に死を恐れる生き物なんだよ」

「二人とも室長をおちょくるのはここまでにしておいてください。それと室長はベネディクティを試すにしてもやりすぎです」

「反省してます」

 ウィリアムはエリックに対し頭が上がらなくなる。上下関係が入れ替わったみたいだ。

 ひと悶着はあったもののこれでカルスティアとベネディクティはウィリアムに信用されたようだ。

 重い腰を上げウィリアムが言う。

「では改めて、三人にこれから拷問器具人形の調査及び討伐の任務を与える。なお、この任務は全ての拷問器具人形を破壊するまで解かれることはない」

「全てですか……」

 エリックは聞き返す。そして、横にいるベネディクティを見た。全てという事はベネディクティも間違いなく含まれている。

「当然だろ。拷問器具人形は我々人類の敵なのだから、一体すら残しておいてはいけない」

 これがベネディクティを傷つける選択であったとしてもウィリアムは無情に言った。

「しかしベネディクティは人を殺してなんかいない」

 怒りをあらわにしてエリックが反論した。

「今はそれでいいかもしれない。しかし、君が寿命で死んだらどうなる」

「それは……」

 エリックの言葉が止まる。

「ベネディクティは今君を食べることで殺人衝動を抑えている。当然同行しているカルスティアもだ。しかしそれはエリック、君が生きている間だけの気休めに過ぎない。鎖を外された拷問器具人形がどうなるか我々にも想像がつかん」

「だから全てを破壊すると」

 ウィリアムは重く頷いた。

 傲慢だ。人間は自分たちの脅威を排除しようとしている。それが、他の生きる生物を絶滅させてもだ。

「彼女たちだって生きているんですよ。それを壊すだなんて」

 自分がなんて愚かな事を言っているかエリックにも分かる。これは人類の敵対だ。だけど、ベネディクティやカルスティアを見ていたらどうしても殺すなんて選択肢がエリックには出来なかった。

「もういいです、エリック。そこまで私たちを庇わなくても」

 ベネディクティが怒りで暴走するエリックに言った。

「はじめからこうなる事は予想していました。私はいずれ壊されなければならないと」

 優しい声でベネディクティは自分の運命を受け入れる。

「ただし条件があります」

「何かね」

「どうか最後はあの屋敷で迎えさせてくれることをお許し願います。あの屋敷は私たちが生まれた場所であり帰るべき家です。あの場所で死ねるのなら私は本望です」

 身体を震わせながらもベネディクティはウィリアムに頼みこんだ。

「分かった、条件に追加しておこう。エリックもそれでいいな」

「はい……」

 何とも言えない表情でエリックは返事をした。ベネディクティを生かすことができなくてやるせなく思う。こういう時、自分という人間が嫌になる。ベックを救えなかった自分と重なってしまうからだ。

「そう気を悪くしないで下さい。これでよかったんですから、泣くことはありません」

 エリックは涙を流していたことにベネディクティに言われようやく気付いた。

「ベネディクティの方が僕より心は大人ですね」

 涙をぬぐってエリックは晴れた気持ちで条件を再度受け入れた。ベネディクティが壊されるのは仕方のない事だ。それならエリックに出来ることはベネディクティが死ぬまでの間に世界の美しさをたくさん教えてやることだけだ。

「さて、さしあたってはまずこのロンドンで殺人を行っている『一夜限りの管弦楽曲(ワンナイトオーケストラ)』の調査をしてもらう」

「なんにゃそれ」

「一夜限りの管弦楽曲なんて呼び名を持つ妹はいませんよ」

 ベネディクティもカルスティアもそんな奴知らないという反応を示す。それもそのはずだ。一夜限りの管弦楽曲はイギリス政府が決めた異名なのだから。

「一夜限りの管弦楽曲はこちらが決めた名前です。一晩にして大量の首なし死体を作りだし、首から滴る血の音が朝になるにあたって終わる事からこの名前が付けられました」

 エリックはベネディクティたちに分かるように説明した。

「首なし死体ですか」

 思い当たる人物がいるのかベネディクティは考え込んだ。

「なにぶんこちらの死体処理も大変でね、毎日のようにつるされた首と道路に胴体が在るものだからお手上げなのだよ。君らの妹は休むことを知らないらしい」

 ウィリアムはやれやれと言ったように頭をあげていた。

「それでこのロンドンに来たとき血の臭いがいくつも混ざっていたのにゃ」

 カルスティアは話を聞いて納得したらしい。どうやら、このロンドンの異変に気付いていたようだ。

「今すぐにその死体を見せていただくことは出来ますでしょうか」

 よほど気になるのかベネディクティは死体を見たいと躍起になる。死体を見たいなんて解剖医かベネディクティくらいのものだ。

「残念だかもうその死体は処理された。ロンドンの人々が気味悪がるからね」

「そうですか」

 ベネディクティは残念な表情を見せ、頭を少しだけ地面に向けた。

「それに今日はもう遅い。調査は明日からやってもらう」

 窓の外を見ると空はもう夕刻になっていた。いち早くこの問題を解決したいはずなのにウィリアムは何故か調査は明日からだと言い張る。

「ここからがカルちゃんたちの活動が活発になるのににゃ」

「駄目だ。今日だけは三人ともエリックの部屋で待機だ。エリックもいいな。くれぐれも二人につられて夜に外を出るんじゃないぞ」

 エリックが命令を無視するのが分かったのかウィリアムは釘を刺した。今夜中に騒ぎを収めるのは不可能となった。

「仕方ありません今夜はベネディクティもカルスティアも僕の家でおとなしく寝ていて下さい」

「そうはいきません」

 普段エリックの言う事に従順なベネディクティが反発した。

「そうにゃ、今夜は寝かさないにゃリック」

 燃えるように目を血走らせカルスティアも言った。

「二人ともどうしたんですか」

 エリックが訳も分からず聞くとベネディクティが胸を手で押さえて言う。

「この胸のもやもやは朝までエリックを食べつくすしか治まりようがありません」

「あ……」

 エリックは唖然としながらも自分の立場がどういう位置にあるのか理解した。それと同時に今夜は自分の部屋が血の海になる事を受け入れるのだった。


「失礼しました」

 話を終え三人は室長室を出た。

「やっと解放されたにゃあ」

 カルスティアが大きく伸びをした。あの後、カルスティアには知っている他の拷問器具少女の居場所を洗いざらい吐いてもらったのだ。その反動で疲れたのだろう。

「今夜は暇になってしまいましたね」

 ふと残念がるようにベネディクティ言う。主にこの後エリックの身は暇どころでは済まなくなるのだが、彼女たちにとっては暇つぶしにもならないのだろう。

「こればかりは命令だからね。仕方ないよ」

 気休めにエリックは言うがなぜ室長は今夜、調査をしない方がいいと言ったのか気になる。だが、その意味がこの先の数秒後に分かった。

 三人が対策室を出ようとする扉の前に行く手を塞ぐように男が一人立っていた。

「そこを退いてくれるかにゃ。カルちゃんたちはこれからディナーなのにゃ」

 カルスティアはそう言うが男の様子を見る限りとても退いてくれそうにない雰囲気だ。男の目からは隠しようがないほどにベネディクティとカルスティアに対する怒りが満ち溢れていたからだ。

「カルちゃんたちに用があるのならなんか言ったらどうにゃ」

 男の様子に何か感じたのかカルスティアは自分から事情を聞く。

 すると男はいきなり涙を流し出し言った。

「うぅっ……お前たちのせいで、俺の妹は……」

「は? 妹にゃ」

 そんなの知るわけがないとカルスティアは反応を示す。カルスティアがロンドンに来たのはこれが初めてだ。目の前の男の事もましてや彼の妹なぞ知るわけがない。

 それでも男はベネディクティとカルスティアに怒っていた。

「彼は一体何者なんです」

 ベネディクティは自分たちが何らかの事情で関わっていると感じたのかエリックに耳打ちしてきた。

 エリックは少しだけ言いづらそうにしながらもベネディクティとカルスティアにささやくように言った。

「彼は、そのう……『一夜限りの管弦楽曲』の最初の犠牲となった女の子アリシアさんの実の兄ロイドさんです」

「つまり彼は妹による最初の犠牲者というわけですね」

「なるほどにゃ」

 事情を察したのか二人の拷問器具少女は今にも膝から泣き崩れそうなロイドに向き直る。

「お前らのせいで、妹は、妹は……」

 まるで、繰り返し鳴るオルゴールのようにロイドは妹、妹とぶつぶつとつぶやく。

「妹、妹うるさいにゃ。カルちゃんたちに言いたいことがあるならさっさと言うにゃ。そうじゃにゃかったらそこを退くにゃ」

 話が進まないのに苛立ちを隠せないカルスティア。ロイドに次の言葉を言うように急かすようだった。当然カルスティアは次どんな事を言われるか分かっている。

「お前ら殺人人形のせいで妹の輝かしい未来は奪われた」

 カルスティアの後押しが聞いたのかロイドは躊躇なく怒りをダイネクトにぶつけてきた。

 この感じをベネディクティは先刻も経験している。同じだ、汽車の時と。

 しかし、ロイドはなぜベネディクティたちの正体に気づけたのだろう。彼女たちは殺人衝動を隠している時は人となんら変わらないというのに。

 だが今はそんな事を考えている場合ではない。ロイドが殺人人形と口にした途端周りの人間がエリックたちに注目し始めた。

 悲しみと憎悪そして怒りがエリックたちを覆い囲んだ。あっという間に三人はその場から孤立し周りは敵だらけになってしまった。

 もはや言い逃れは出来そうにない。それでも、エリックは彼女たちを庇った。

「誤解です。ロイドさん彼女たちは拷問器具人形じゃありません」

 あまりにも苦し紛れだがこの場を収めるには嘘をつくしかエリックには方法が見つからなかった。

 しかしエリックの嘘は火に油を注ぎ込むだけだった。

「嘘をつくんじゃねえ! 俺には分かんだよ。こいつらからたくさんの血と屍の臭いが漂ってくるのが」

 悲しみが連鎖して加速していった。何とでも言える事だ。例えベネディクティがエリック以外を殺していないとしても相手はそれを信じていない。拷問器具人形は彼らから大切なものを奪った。それだけで敵意認定してしまい後はどんなにこじつけや言い訳をしても無駄なのだ。

「見ただけで気づいたよ。人とどこか違う雰囲気を出しているなと。どんなに崇高に人を真似ても気配が違うんだよ」

 ベネディクティたちを一度認識してしまったら彼らはどこまでも悲しみぶつけてくるだろう。気づくのが遅かったというより必然的な流れだったのかもしれない。室長が今夜は出歩かない方がいいと言った理由が分かってくる。

「妹はなあ、バレエで舞台に上がるため毎日一生懸命やってきたんだ。そして、やっと念願の舞台に上がれるのが決まったと思ったら次の日無残な姿で戻って来たんだよ。なぁ、どうしてくれんだよ。お前らみたいなのが現れなければ妹は今頃舞台の上で踊っていたんだよ。返してくれよ、妹の命を」

 ロイドは言うがどうしようもできない。まず、ベネディクティとカルスティアは殺してはいない。怒りをぶつける矛先が違う。そして、失った命はもう戻ってこないのだ。

「ごめん……ベネディクティ、カルスティア」

 エリックはうつむいて小さく謝った。自分の注意不足だ。もっと考えていればこうなる事態も予測出来た。彼女たちを上手く隠し通すことが容易に出来たはずなのに周りを視てなかった自分が情けない。

「リックのせいじゃないにゃ。悪いのは全部カルちゃんたちなのにゃ。だからそんにゃ自分を責めにゃい」

 カルスティアはうつむいているエリックの頭を撫で励ました。そして、踵を返しロイドを睨み付けた。

「うっ、なんだよ。そっちが悪いんだろうが」

 ロイドはカルスティアの睨みに対し一瞬気圧されたが直ぐに反撃してきた。

「黙って聞いてればバレエの舞台だの妹を返せだのうるさいにゃっ! そんなに死に急ぎたいにゃらカルちゃんが今ここで殺してやるにゃ」

 殺意の圧力が場を覆い包みカルスティアはロイドを黙らせた。ロイドはカルスティアの獲物ではない、だがカルスティアは自ら人の敵になる事を選んだのだ。

 人々の恐怖の色が濃くなるのはあっという間だった。周りの人がカルスティアの正体を認識し始めた証拠だ。

 状況から言えば最悪と言っていい。こんなところで血を流してもカルスティアもロイドも報われやしない。残るのは胸糞悪い気持ちと納得いかずに倒れる無念だけだ。

 しかし、自分の信念を曲げてまでこの場を解決しようとするカルスティアにエリックは動けないでいた。

「ほ、ほら見ろ。この様だ。結局お前らは殺す事しか脳のない人形なんだよ」

 震えながらもロイドはまだカルスティアに突き掛る。恐怖と怒りがごちゃ混ぜになり体と心が反対に行動していた。

「いい度胸にゃ。この『赫染めの処女』を見て立ち向ってくるとは、その無謀さだけは褒めてやるにゃ。さあ、妹に残す言葉はないにゃ」

 カルスティアは本気でロイドを殺す気だ。もう避けようがない。

 エリックの中で自分じゃ止められないというどうしようもない後悔が溢れ出す。

 僕じゃ駄目なのか。目の前で悲劇が起ころうとしているのに僕はまた繰り返すのか、ベックのように大切なものをまた失ってしまうのか。

 駄目だと心の中で否定しながらも身体が動こうとしない。そうしてもたついている間に死は近づいていった。

「アリシア、悪い兄ちゃんでごめんな」

 一言だけロイドは妹に謝って覚悟を決めた。

「いただきます、にゃ」

 カルスティアはロイドに向かって大きな口を開け飛びつく。それと同時にエリックが叫んだ。

「やめろぉぉぉぉぉーっ!」

 そんな中一つの紫電がロイドとカルスティアの間に割って入った。

 ベネディクティだ。ベネディクティは、瞬発的な加速でカルスティアを追い抜き前へと出たのだ。

 そしてカルスティアを蹴り後ろへ吹き飛ばし動きを止めた。

「何するにゃ、べネちゃん」

 当の吹き飛ばされたカルスティアは直ぐに立ち上がり怒り模様だ。軽めの攻撃だったのでピンピンしている。

「おだまりなさい」

 その一言でベネディクティはカルスティアを凍り付かせた。

「私たちの目の前で人を殺したら容赦しないと約束しましたよね。今のは、ほんのあいさつ代わりですが次向かってくるなら私の手刀があなたを確実に仕留めます」

 カルスティアのなけなしの殺意をベネディクティの殺意が上回りかき消した。とても、妹に向ける物ではないがカルスティアを止めるにはこれが一番効く。

「あ、にゃははっ、忘れているわけないにゃ。カルちゃんはしっかり覚えていたにゃ。殺すなんて冗談にゃ。カルちゃんの獲物をべネちゃんだって知っているにゃ。そこにいる人間を食べるわけにゃいにゃ」

 すっかり殺意を抜かれカルスティアはありとあらゆるごまかしでその場を収めた。

「今後そのような行動を取ったら次は容赦しませんよ」

 ベネディクティはそう言い踵を返し、ロイドを見る。

「何をする気だ、殺人人形」

 ロイドはベネディクティを警戒する。すると、ベネディクティは何も言わずロイドに近づき予備動作もなくロイドに向かって頭を下げた。

 その行動が意外だったのか、周りの人、更にはカルスティアまでもが息を止めた。

「何の真似だ……」

「謝罪です」

 ベネディクティは告げる。

「妹が大変失礼をしたことをお許しください。それと、あなたの大切な妹を私たちの身勝手な理由で殺してしまい申し訳ありませんでした」

 心の底からベネディクティはロイドに向かって謝っていた。下ろされた頭がまだ上がっていない。

「違う」

 ロイドは唇を震わして言う。

「違う、違う、違う。俺はお前らに謝ってほしいわけじゃない」

「このような事であなたの怒りを償い切れないのは分かっています。それでも私はこうする事しか出来ません。あなたの妹を生き返らせる術など私たちにはありませんから」

 ベネディクティが必死に考えていたのをエリックには伝わった。どすればロイドに分かってもらえるか、その結果ベネディクティが導き出した答えは謝る事、それ以外に思いつかなかった。

「顔をあげてくれ」

 ロイドは言う。だが、ベネディクティは顔をあげることはない。

「あげてくれよ。お前らは感情なんてないただの殺人人形だろうが、そんな風に謝られるとどうしていいか分からないじゃないか」

 感情のないただ殺しを繰り返す人形ならまだよかったのにとロイドは思う。彼女たちにはちゃんと人間のように感情があるのだと気づいてしまった。

 ロイドには今、怒りの感情と戸惑いの感情が混同していた。

「クソがっ!」

 ロイドは悪態を吐いてベネディクティたちの前から姿を消した。ベネディクティはロイドが見えなくなるまで顔を地面に下ろしていた。

「さて行きましょうか。今夜は何も起こらないといいですね」

 まるで先ほどの出来事がなかったようにベネディクティは振る舞う。それに応じるようにエリックもカルスティアも振る舞った。


 エリックの家はロンドン市内にある普通のアパートの最上階にあった。

「何もないところだけど二人とも上がって」

 鍵を開けエリックは久方ぶりのわが家に帰った。中に入ると、最低限の家具以外本当に何もない部屋が広がっているだけだった。普通の家ならばその人の趣味嗜好が現れるのだがエリックの家にはそういったものがまるでない。そこに住んでいるかも怪しいくらいモデルルームのような家の中だった。

「君たちの家に比べるとすごく狭いけど我慢してください」

 エリックは彼女たちの屋敷を思い出したのか謙遜していた。

「そんな心配しなくてもいいにゃ」

 カルスティアは言う。

「むしろこの方が、都合がいいにゃ。無駄にだだっ広い建物だったら返って目立ってしまうにゃ。最上階ではあるものの、カルちゃんたちが隠れ住むのには十分適した場所にゃ」

 悪目立ちしないとういう事をカルスティアは言いたのだろう。悪い噂を立てずに住まうにはエリックの家は最適のようだ。

「それにこの場所にいるのも長くなさそうですしね」

 落ち着いた様子でベネディクティは言った。世界中に拷問器具少女が散らばっている以上エリックたちはその討伐に向かわなければならない。ロンドンを騒がせている拷問器具少女を退ければロンドンを飛び立ち他の場所へと向かわなければならないのだ。いわばここは、仮の住まいのようなものだ。

 三人で長い期間住むのであればもっと広い部屋の方がいいが一時的ならこの狭さも窮屈にはならないだろう。そうエリックたちは納得した。

「今夜はもう外に出ない方がいいですね。買い物を済ませておいて正解でした」

 ベネディクティは窓際に立つと下の方を見つめていた。帰りに寄っていった店で買った食材などの詰まった紙袋を置いてエリックも窓際に来てベネディクティと同じように下を見つめた。

 エリックたちの真下からは、ランプの灯がぽつぽつと照らされていた。

「つけられていましたね」

 対策室からだろう。ロイドとの一見以来、何人かの被害者たちが一般人を装ってエリックたちについて来ていたのだ。魔女狩りにでもあったかのような気分だ。

「監視の為ですかね」

「それもあるだろうね。だけど本来の目的は悪い噂を流すために思えるよ」

 対策室でベネディクティとカルスティアはその正体をさらしてしまった。それによりこのなんの噂も立たない地味なアパートもたちまち拷問器具人形が住まう屋敷へと様変わりだ。先ほど、カルスティアがこの方がいいと言ったのは家の中だけであって外は全くもってそうではない。

 彼らは二十四時間、ベネディクティたちを見張るつもりだろう。そして、ひとたび彼らの前でベネディクティたちが人を殺せばロンドンから追放のシナリオだ。

室長も人が悪い。この事態を想定していたなら、はやく言ってほしかった。

「嘆いたところで仕方がないですね。こうなったら最後、行くとこまで行くだけですし」

 エリックは目先の不安から目をそらしそれ以上外を見ない事にした。

「全く夜は危ないというのにのんきな奴らにゃ。カルちゃんたちよりもこの街に住まう姉妹の方が危ないって言うのににゃ」

 ソファーに座りくつろいだ様子でカルスティアは外にいる人間を哀れな目で見つめていた。

「心配なの」

「別にカルちゃんは心配なんてしているわけじゃないにゃ。カルちゃんは獲物以外食べる事ないから他の奴の気持ちが分からないだけにゃ」

 エリックが聞くとカルスティアはそっけなく答えた。

「カルスティアの殺人衝動は他の妹と違い選定されているタイプですしね。その分お父様の血を随分好んでいましたが」

 エリックのいた施設にウィルハイム氏は関わっていたこともあり、カルスティアにはさぞ美味しい血だったのだろう。彼が何故彼女たちを造ったのか未だ本当の事は解明されていないがそれでも彼女たちと関わっていくことで真実を知っていけるとエリックは信じていた。

「他の妹たちは違うの」

 エリックはベネディクティに聞いた。

「カルスティアのように限定して狙っている妹は少ないですね。いないわけではありませんが」

「つまりほとんどは誰彼構わず殺人を繰り返す拷問器具少女が多いというわけですね」

「そうですね。今この街を騒がせている妹もそのタイプでしょう。でも、殺人の仕方についてはそれぞれ個性があります。私の『紫電の淑女』もカルスティアの『赫染めの処女』もそれぞれ性格と殺人方法を見たお父様がつけた名です」

「じゃあ、このロンドンに住まう妹の殺人方法に心当たりは」

「あるにはあるのですが、まだ確定というわけではありません。この辺りはカルスティアに聞くのが一番かと」

 ベネディクティはソファーでくつろいでいるカルスティアに話を振った。

「カルちゃんもロンドンに行ったって姉妹の話は聞かないにゃ。あまりに大きな街だと日が経つにつれて殺人が難しくなってしまうにゃ。カルちゃんの知っている姉妹は小さな町や村でひっそりと殺人を繰り返しているにゃ。でも、この街の人はまるで警戒の色を一つもしてないにゃ。殺人には都合が悪いと避けていたけど、大穴だったにゃ」

 先に居住を見つけた姉妹を羨ましく思ったのかカルスティアは悔しそうに言った。

「お手上げですか」

「お役に立てず申し訳ありません」

 ふがいなくベネディクティは謝った。

「別にベネディクティが謝る事はないよ。知らなくて当然なんだから」

 謝るベネディクティにエリックは気を利かせた。

「それよりもカルちゃんはお腹が空いたにゃ」

 カルスティアは言った。家に着いてから、すっかり長話をしていてお腹の事など忘れていた。時計を見ると、普通の家庭では仲睦まじく食事をしている時間帯になっていた。

「そうですね。僕もお腹が空きました。あり合わせですが直ぐに食事に用意をしますね」

「そっちの食事じゃないにゃ」

 エリックが食事の用意をしにキッチンに行こうとするとカルスティアが止めた。

「えっ!」

 エリックは驚きもあったが、それと同時に忘れていた記憶がフラッシュバックした。

「カルスティアの言う通りです。私もお腹が空いていて我慢できなくなっていたところです」

 ベネディクティはサッと窓のカーテンを閉め部屋を暗がりにした。よだれを垂らしながらエリックを見つめる二人の拷問器具少女を見てエリックは今、ライオンに囲まれたウサギだと察した。

「そろそろ限界なので一思いにいいですよね」

「べネちゃんだけでこんな無限食料を独り占めするなんてずるいにゃ。カルちゃんが先に食すにゃ」

「あなたは汽車内で食べたからいいでしょ。私は屋敷からずっと食べてないんですよ。あなたが汽車内で食べた時も羨ましく思っていたのを知っていて言いますか。先に食べるのは私です」

 無限食料とは何とも酷いあだ名だ。どちらが先にエリックを食すかの姉妹喧嘩が始まった。屋敷にいたウィルハイム氏もこんな気持ちだったのだろうか、こんなのがあと数人もいたのなら身体なんて普通に壊れてもおかしくはない。死ぬのは当然だとエリックは悟った。

「二人とも僕は大丈夫だから、喧嘩しないで……ね」

 心無い言葉でエリックは言う。覚悟は決まった。これから女の子二人にめちゃくちゃに殺されるというのにエリックは平常心を保ち続けるのだから真の猛者と言っても過言ではない。

「じゃあ、二人同時に行きますか」

「いいにゃ。その後は独り占めでむしゃぶりつくすでいいかにゃ」

 ベネディクティが頷くと、二人の目はエリックの方へ注がれた。制御の効かない獣が檻を突き破りエサを求めるようだとエリックには見えた。

「覚悟するにゃ、リック」

「行きますよ」

 ごくりと息を飲み込みエリックはベネディクティたちに身を捧げた。二人の獣が同時にエリックに飛びかかった。今まで感じたことの無い痛みを味わってエリックの意識は遠く彼方へと飛ばされる。

 次エリックが意識を取り戻した時には記憶が曖昧で、部屋は散々な散らかりようだった。二人は満足そうな顔をしながら部屋の床で倒れ込んでいた。

「もう食べられないにゃ」

「ごちそうさま」

 どのくらいエリックは死んだのか自分でも分からなかった。しかし、彼女たちが満足できたなら何回死のうと一向に構わなかった。

 時計を見ると意識を失ってから四時間ほど時間が経っていた。

「さて、僕も遅めの晩御飯としますか」

 彼女たちのお腹いっぱいの顔を見ながらエリックはありあわせの材料で晩御飯を作って食べた。

 こうして、三人のロンドンの夜は更けていった。


 ランプの灯が照らすロンドンの街の夜の酒場は賑わっていた。酒を飲み、ダンスを踊り、毎日がパーティーのような場所だ。

 拷問器具人形がロンドン中で人を殺し続けているというのにとてもそんな雰囲気を漂わせない。皆、恐怖よりもお酒と娯楽の方が勝っているようであった。

 家の中でびくびくと震えて怯えているよりもそんなこと忘れるように酒を飲み明かした方が、気分がいいのだろう。

 何とも短絡的で危機感が感じられないように思うが内心では心臓が飛び出るほど怖がっている。お酒はその恐怖を緩和してくれるアイテムとなっていた。拷問器具人形のおかげで繁盛しているのは酒場だけだろう。

 そんな中、一人ぽつりと思い悩むようにお酒を飲んでいる男性がいた。

「なんで、謝るんだよ」

 ロイドだ。顔は赤く、呂律はあまりよくはない。相当飲んでいるようだった。

 それもそのはずだ。ロイドは、対策室を出ていってから酒場に駆け込み今の今まで飲んでいたのだから。

 しかし、記憶だけはしっかりしていて、頭を下げるベネディクティの事が頭から離れなくなっていた。お酒を飲んで忘れようとするが、飲みに飲まれ、ベネディクティの姿が鮮明になっていく。まるで、初恋をした男子学生のようだった。しかし、ロイドを悩ませているのは男子学生の初恋とは違いもっと複雑なものだ。

「クソったれ、俺は妹を殺した人形を絶対に許さないはずじゃなかったのか」

 ロイドは自分に問いかけていた。妹の死体を見た時は身体の中の臓器が根こそぎ奪われたように空っぽになった事を覚えている。

 彼にとって妹が全てだった。両親はとっくに他界して、ロイドは家庭を支えるためにずっと働いてきた。それは全部、妹の為を思っての事だった。

 自分はどんなになってもいい。死んだって構わない。けれど、妹だけは日の光を浴びてまともな生活をしてほしいと願っていたのに、現実はそう上手くいかなかった。

 どうして妹に付き添ってあげていなかった。バレエの練習で帰りが遅くなっていたのは知っていた。妹だけは大丈夫だろうと甘い考えを引き起こしていた結果だ。

 悔やんでも悔やみきれずに、後悔と涙の海だけがロイドを絶望の底に溺れさせた。

 そして、底から這い上がるように徐々に空っぽの身体に怒りをため込んで上昇して今のロイドがいる。

 妹を殺した拷問器具人形を絶対に許さないと。

 なのに、頭を下げて謝ったあの白と黒のドレスを身に纏う拷問器具人形がロイドの怒りを再び底に沈めようとしていた。

「何なんだよ。あの殺人人形は」

 人と同じように謝り、人と同じように接するベネディクティの姿を見てロイドの怒りが少しばかり緩和されたのは事実だ。拷問器具人形は全て感情のない殺人人形だと思っていた。その認識が変えられそうになる。

「違う、違う、奴らは所詮殺人人形だ。妹を殺したことに変わりない。奴らがこの世界から消えるまで俺の怒りは収まらない」

 頭の中のベネディクティを追い払いロイドは決心を硬くした。

「お客さん、そんな思いつめて飲んだら酒が不味くなっちまうよ。あんた、ずっとそうして今日飲んでいるだろ。もう酒はやれないよ。今日は帰りな」

 ロイドを心配してか、酒場の主人が言ってきた。お酒に写る自分の顔をロイドは見つめる。相当酔っているのが自分でも分かるくらい顔色が悪い。

「あんたの独り言を聞いていたら、何があったか大体想像がつくけどさ、そんなに悩んでも仕方ねえよ。終わっちまったことをうじうじ悩んでも、戻っては来ないんだからさ。まあ、赤の他人がこんな説教じみた事を言っても響かねえだろうけど、独り言として聞いといてくれや」

 ロイドは残っているお酒を一気に飲み干してフラフラになりながらも立ち上がった。

「悲しみを忘れたくなったらまた来な。一杯おごるよ」

 お金を台においてロイドは酒場を後にした。


 ロンドンの夜はよく冷える、スモッグで霧がたちこみ寒さをより一層際立たせていた。ロイドはそんな寒さの中一人、体を震わせ帰路に立っていた。

 あれだけお酒を飲んでいたのにこの寒さで一気に酔いが覚める。

「あの殺人人形たちは今頃どうしているだろうな」

 気を抜いていたら、ロイドの口からそんな言葉が漏れていた。

「あいつらにもう一度会っておきたいな」

 許せないのは絶対だ。だが、話か通じるのが分かってロイドの中で拷問器具人形の価値観が変わった。

「明日また、対策室に行ってみるか。多分、いるだろうし」

 彼女らから話を聞いてみたいとロイドは思うようになっていた。何の目的で人を殺すのか、なぜロンドンに現れたのか、聞きたいことは山ほどある。

 それらを全て、明日はこちらから頭を下げて聞いてみよう。酔いが覚めたこともありロイドは冷静さを取り戻していた。

 すると、ロイドは道端に何か線のようなものがあるのを発見した。

「ん?」

 首をひねって近づいてみるとその線は真っすぐ直線状にどこまでも続いていた。

 腰を下ろして人差し指で触ってみるとその線はべっとりと粘着質でドロっと指に絡みつく。

「なんだこれ」

 臭いを嗅ぐと鉄の臭いがした。月の光を隠していた分厚い雲が退き、ロイドを明るく照らす。

 ロイドの指先が赤く光った。

「血」

 そう声に出した時ロイドの背後から声が聞えた。


「しくしくと、しくしくと、ああ、悲しい」


 寒さの震えが恐怖の震えへと変わった瞬間だった。


 朝霧が立ち込む早朝、エリックたち三人は室長に言われてロンドンの通りに来ていた。

 ポタッ、ポタッ、タタタン。雨音のオーケストラが鳴り響く中三人は小さなコンサート会場に招かれた。

「……」

 エリックは無言でその通りに置かれていた物を、目をそらす事無く見ていた。

 ポタッ、ポタッと赤い水が落ちる音が聞こえる。その水の出所は首のない人の身体の上からだった。

 茶器を包むように持っている手には見覚えのある顔がある。血が雨のしずくのように落ちて真っ赤に染まった顔は間違いなくロイドのものだった。

「かわいそうに」

 まるで芸術作品のようなロイドの死体にベネディクティは近づくと手を合わせた。

 妹さんと同じ結末を迎えてロイドの気持ちは無念だっただろう。エリックにはロイドが血の涙を流しているように思えた。

 聞くところによるとロイドは昨晩からお酒を大量に飲んでいたらしい。油断していたわけではないがそこを拷問器具少女は付け込んだのだろう。

「エリック、これ以上犠牲者を出すわけにはいきません。今夜で全てを終わらせます」

 踵を返したベネディクティはエリックに向かって言う。紫電がはじけ、その場を出る。

「協力してもらいますよ」

「僕で良ければ何でもします」

 ベネディクティに圧倒されエリックはついそんな言葉を口走ってしまった。エリックには死ぬ事しか出来ないのに。

「今、何でもって言ったにゃ」

 カルスティアは笑いながらエリックを凝視していた。訂正なんてもう二度と出来ないとカルスティアは言っているようだ。

 エリックは嫌な予感をしながらも頷いた。


 深夜遅くエリックは一人でロンドンの通りを歩いていた。

「やっぱりこうなりましたか」

 エリックが予感していた通りに事は進んでいた。しかも、普通の通りではない『一夜限りの管弦楽曲』が頻繁に姿を現している場所だ。

 エリックは拷問器具少女のエサとして使われていた。

 死ぬことしか取り柄がないとは言っても夜道に一人というのはあんまりではないだろうか。しかし、ベネディクティたちがエリックについていると向こうが仕掛けてこない可能性があるのでエリックは一人むなしく夜道を歩くことになった。

 ベネディクティとカルスティアはエリックからは見えない場所で尾行している。

 『一夜限りの管弦楽曲』が姿を現したら一気に叩くというエリックが死ぬことを前提とした大胆な作戦である。

 もしも、エサが普通の人間であったのならこんな作戦は出来なかっただろう。エリックが死なないのはこの作戦において重要な役割を果たしていた。

 すると、エリックの前方から声が聞えた。


「しくしくと、しくしくと、ああ、悲しい」


 紫色のドレスにウシャンカ帽の下から見えるアルビノの髪、はかなさを纏った少女が現れた。彼女は、常に悲しみで溢れているようにエリックは思えた。

「当たりだ」

 エリックは彼女に聞こえない声で言った。一目でエリックは彼女が拷問器具少女だと分かった。彼女が手に持っているのは拷問器具バイオリンだったからだ。

 拷問器具バイオリンは首かせと手かせが一体化したものだ。本来は女性専用の拷問器具だがエリックも施設で使われた事がある。

 その使用方法は手首と首を固定して引きずり回すものだ。

 しかし、エリックはおかしいと思う。引きずり回されて死体に裂傷が出来るのは分かるが首を切断するまでに至る力はバイオリンにはありはしない。てっきり拷問器具のモデルは処刑刀かギロチンだとばかり思っていた。

 だが、エリックの役目はこれで終わりだ。余計な詮索はせず、後はベネディクティとカルスティアに任せよう。

「こんばんは」

 エリックは彼女に近づくため声をかける。

「しくしくと、しくしくと、こんばんは」

 何とも独特な一人称で話しづらい。

「しくしくと、しくしくと、あなたは違うのね」

「違う?」

「しくしくと、しくしくと、私を見た人は皆悲しい顔をしてた」

「ああ、それは悲しいというより怖いって顔だと思うよ」

 エリックは優しく彼女に言う。

「しくしくと、しくしくと、私が、怖い……」

 彼女は首をかしげる。どうやら自覚がないらしい。真夜中にこんな格好の少女が現れたら誰だって恐怖を覚えるだろう。それが、拷問器具少女ならなお更だ。

「しくしくと、しくしくと、でも昨日私の曲になってくれた人は悲しい顔してたよ」

 おそらくロイドの事だろう。妹に申し訳ない感情が死ぬ直前に現れたのかもしれない。

 自覚がない彼女に対してこれ以上説明しても無駄だと思いエリックは話を変えることにした。それに、ベネディクティたちと違い話が通じなさそうだ。彼女背中からはおぞましい程の人の悲しみが溢れているのだ。それを隠そうとしていない。間違いなくエリックを殺すつもりだ。

「君はこんな夜中に何をしているの」

 ここで、恐怖を出し一歩でも後ろに下がったら作戦は失敗に終わる。エリックは、彼女に対し普通に接して見せた。

 自分は死んでも生き返るので怖いという感情は一つもなかった。

「しくしくと、しくしくと、悲しみを止めに来たの」

 意味が分からなかった。

「悲しみを止めるって、どういう事なのかな」

 エリックは聞き返す。

「しくしくと、しくしくと、私ね、この胸の奥から悲しい感情が溢れて、溢れて、溢れて、止まらないの」

 胸を押さえながら彼女がそう口にした途端一気に殺意が膨張した。

「しくしくと、しくしくと、だからあなたも私の曲になって、ね」


「しくしくと、しくしくと、さあ奏でましょう。一夜限りのハーモニーを……」

 彼女から殺人衝動が抑えられなく溢れた。まだ、話の途中ではあったが彼女はバイオリンをエリックに向ける。

「しくしくと、しくしくと、さあおいで私のコンダクト」

 そう彼女が言うと何もないところから首なしの馬が出現した。漆黒の馬は魂あるものを死へといざなう指揮者のようだった。

「リック、そこを動くにゃよ」

 エリックのいた後ろのビルからカルスティアの声が聞えた。

 カルスティアはエリックと『一夜限りの管弦楽曲』に向かって落ちていく。大きな口を開きエリックと彼女を食らう。大きな音をあげ、土煙が舞い上がった。

 カルスティアが地面に到達すると、地面はえぐれ、道は粉々になった。ロンドンは一気に拷問器具少女たちの戦場に変わるはずだった。

 が『一夜限りの管弦楽曲』はカルスティアが食らう前に動いていた。瞬時にエリックにバイオリンをはめ、首なしの馬にバイオリンを付けると馬に乗ってそのまま逃走した。

「逃がしたにゃ。もう少しリックが引き付けていればにゃあ。あとは頼むにゃべネちゃん」

 残念な顔をしてカルスティアはベネディクティに後を託した。


「しくしくと、しくしくと、今のカルスティアちゃん?」

 まだ土煙が舞い上がる後ろを振り向いて彼女は言う。

「待ちなさい」

 すると、馬を追いかけるように紫電を纏ったベネディクティが現れる。

「しくしくと、しくしくと、ベネディクティお姉ちゃん。出られたんだ、あの場所から」

 久しぶりの再会を喜ぶように彼女は少しだけ微笑んで、ベネディクティを見る。

「感動の再開は後です。はやくその馬を止めなさい」

「しくしくと、しくしくと、ごめん、今は抑えられないから止めるのは無理」

 ベネディクティの言葉を無視し彼女は馬を走らせる。

「聞き分けのない妹たちばかりですね。こうなったら、エリックだけでも助けないと」

 首と手首を固定され馬の後ろで引きずられるエリックめがけてベネディクティは紫電を走らせる。

 しかし、ベネディクティと馬の距離は離れていった。

 瞬発的な加速で移動するベネディクティに対し首なしの馬は一定に速さを保っている。その場合ベネディクティが加速する間に僅かながら時間ができてしまい、距離が離れてしまうのだ。

 それにより馬とベネディクティの間の距離は縮まることはない。

「駄目ですか。エリックだけは助けたかったのですが」

 ベネディクティは紫電を解いた。首なしの馬は、もうはるか遠くを走っている。

「べネちゃんリックは大丈夫かにゃ」

 少し遅れてカルスティアがやって来る。

「べネちゃん……」

「あの馬は何ですか。私はあの子があんな力を持っているのを知りませんよ」

 カルスティアに八つ当たりするようにベネディクティは怒った。

「カルちゃんも知らないにゃ。あいつは、他のみんなと違ってどこか不気味だったにゃ」

「使えない妹ですね」

 ベネディクティはカルスティアに悪態をつく。苛立ちを隠せないようだ。姉に黙ってあんな馬を隠し持っていたのだ、怒って当然だろう。

「使えない妹って何にゃ」

「思ったことを言ったまでです。それよりも追いますよ。あの馬を八つ裂きにしないといけませんので」

「そこはリックを助ける方が先じゃにゃい」

 二人はリックの引きずられた後に出来た血を眺めていた。


 ズルズル、ザーザー、サーッ、ガゴッ、身体がきしみ血肉が飛び散る。地面に血の線を付けて首なしの馬はエリックを引きずって走る。

「痛い、痛い、痛―い」

 ベネディクティたちと違い一瞬の痛みではない痛みが続く。拷問されていた時をエリックは久しぶりに感じて声をあげていた。

 あんな非力に見える少女がバイオリンを持って街中引きずり回るわけがないと思っていたが、まさかこういう事だったとは、エリックの予想を一回り『一夜限りの管弦楽曲』は裏切ってくれていた。

 死体の擦過傷も納得がいく。そして、首の切断もエリックは理解した。

「なるほど、千切られたような首なし死体の理由はこの馬ですか」

 エリックは酷い痛みを味わいながらも冷静に分析していた。馬が通りの角を曲がると、首は吸い寄せられるようにその方向に向けられる。その勢いと摩擦により首の骨が折れ、引きちぎられるように首が飛ぶという仕組みだ。

 分かってしまえば簡単だが、人ではそんな芸当出来ない。彼女が乗っている馬はそれを可能にする武器だった。

 いつも死体は通りの角を曲がったところで出来ていた。エリックは周りの建物を見て、もうすぐコンサート会場にたどり着くことを予見した。

 馬は勢いを殺す事無くそのまま角へ曲がる。

 エリックの首が吹き飛び意識が途絶えた。


 ポタッ、ポタッ、エリックの顔に血が落ちる。

「うぅっ、どうやらここが今日のコンサート会場のようですね」

 エリックが意識を取り戻すと、もうたくさんの死体が血を流し音楽を奏でていた。

「しくしくと、しくしくと、驚いた。ちぎった首がひとりでに動いて引っ付いた」

 さほど驚いた様子を見せずに彼女は言った。

「よく言われます。おはようございます。僕は死なないんです」

「しくしくと、しくしくと、死なないの? なら、悲しみを消してはあげられないね」

 理解が早くて助かる。彼女はエリックが死なない事に対してなんの疑問も無いようだ。

「君はバイオリンの拷問器具少女だね。悲しみを消してあげられないってどういう事かな」

 エリックは慎重に今度は彼女を刺激しないように聞いた。

「しくしくと、しくしくと、私、悲しいの、ずっと、ずっと」

「何に悲しんでいるか聞いてもいいかな」

「しくしくと、しくしくと、分からない」

 彼女の瞳から涙とずっと抱えている悩みがにじみ出る。悲しみの権化ではない。目の前にいる拷問器具少女は悲しみに悩まされているのだ。

 ベネディクティが家から出られなかったように、彼女も彼女なりの悩みを抱えている。拷問器具少女だって生き物だ。悩む事だってあるのだ。

「しくしくと、しくしくと、でも他人の悲しみを取り除けば私の悲しみは収まる」

 人殺しの事を言っているのだろう。彼女にとっては殺人衝動イコール悲しみなのだ。

「しくしくと、しくしくと、私を見たらみんな悲しい顔をする。だから私はその悲しみから救うため今日も曲を奏でるの」

 その人の顔は恐怖だよと言っても彼女には通じないのだろう。彼女には人の心を理解することが出来ていない。

「しくしくと、しくしくと、でも私の悲しみは治まってもまた出てくる。曲を毎晩、毎晩、奏でても全然私の悲しみは救われずに出てくる。ねえ、どうして、どうして私を救ってくれないの」

 彼女のうるんだ瞳がエリックに向かって訴えてくる。それは、彼女がそういう定めの元生まれてきたからとは言えない。

 人を殺すことによって悲しみを抑える。しかし、殺人衝動という名の悲しみはまた彼女を襲って人殺しを進める。

 まるで彼女は薬物中毒に犯されているようだった。彼女は己の持つ殺人衝動で壊れてしまっている。それを救えるのはエリックじゃない。救えるとすれば彼女の姉だ。

「見つけました」

 ベネディクティの声が聞えるとエリックの周りに紫電が起きた。エリックはベネディクティに抱えられ『一夜限りの管弦楽曲』から離れた。

「お怪我はありませんか。というのも変ですね」

「そうだね。一応首をはねられたけど僕は無事だよ」

「ところでどうしてこの場所が」

「リックの血を辿って来たのにゃ」

 カルスティアが言った。街についた血を追って二人はここまで来たようだ。

 ベネディクティは抱えたエリックを下ろすと、『一夜限りの管弦楽曲』に目を向ける。

「この騒ぎを起こしていたのはあなたでしたか第五ドール『悲嘆の旋律(ラピスノーテ)』クレモナ」

 ベネディクティは『一夜限りの管弦楽曲』の真の名を口にする。

「しくしくと、しくしくと、ベネディクティお姉ちゃんそれにカルスティアちゃんも久しぶり。元気だった」

「カルちゃんはいつでも元気にゃ。家の中でうじうじしてたべネちゃんとは違うにゃ」

「一言余計ですよ、カルスティア」

「そこはべネちゃん落ち着いて。それにしてもモナちゃんは随分とはべりがいいみたいで良かったにゃ。いつも悲しんでいた割に元気そうにゃ」

 カルスティアはクレモナの後ろにそびえ立つ死体を見て言う。

「しくしくと、しくしくと、違うよ、カルスティアちゃん。これは私の曲で悲しみを救って私の悲しみを取り除いているだけ」

「この姉はいつ話しても言っていることが分からないにゃ。べネちゃんもこの訳の分からない妹になんか言うにゃ」

 カルスティアはクレモナの言っている事が理解不能なのかベネディクティに助言を頼る。

「さすがの私も言っていることが何一つ理解できませんね。クレモナはいつも悲しんでいて何を考えているのか姉の私でも分かりませんでしたから、厄介な妹の一人です」

 姉のベネディクティでさえ彼女の悩みを気付いていないようだ。側にいたのに、姉妹でも分かり合えない事がある。だから、エリックはベネディクティに伝える。

「彼女、クレモナは悲しみが殺人衝動となっているんです。悲しみをぬぐう為にこのロンドンで殺人を繰り返しています。けれど、その悲しみが抑えても抑えて出てくることにより彼女の心は今も泣いたままなんです」

「そうですか。一度、お父様といると悲しみが落ち着くと言っていたのを思い出しました。そういう事だったのですね」

「どの姉も全く情けない姉にゃ。カルちゃんみたいに何も考えずに自由気ままに生きればいいのににゃ」

 カルスティアは皮肉交じりに言う。エリックは三人の拷問器具少女を見たが、皆一心に悩みを抱えて生きている。その中でも、クレモナは救う事が難しい拷問器具少女だ。

「カルスティアは黙ってなさい。クレモナ、私からも聞いていいですか」

「しくしくと、しくしくと、何、ベネディクティお姉ちゃん」

「あなたのその後ろにいる馬は何ですか。私はあなたがそんな馬を持っているなんて知りませんよ」

「しくしくと、しくしくと、知らないの、ベネディクティお姉ちゃん。ああ、ベネディクティお姉ちゃんはまだあの家から出て日が浅いんだね」

 クレモナだけが分かったような言い方だ。

「しくしくと、しくしくと、カルスティアちゃん教えなかったの」

 ベネディクティとエリックの視線が一瞬にしてカルスティアに注がれた。

「知っていたんですか、カルスティア」

 ベネディクティは威圧を交えてカルスティアを見る。

「いやあ、そのう、知っていると言うかにゃんというか、モナちゃんその馬ってもしかして二つ目かにゃ……」

 目を左右に泳がせてカルスティアはクレモナに聞いた。

「しくしくと、しくしくと、そうだよ。コンダクトって名前なの。可愛いでしょ」

 クレモナはそう言いながら首なしの馬を愛でた。

「やっぱりそうなるのかにゃ」

 カルスティアは諦めたように下を向いてベネディクティから目をそらした。

「その反応知っていましたね。二つ目とは何なのですか」

 カルスティアにベネディクティのプレッシャーが襲う。カルスティアは、隠すのも無駄だと思い顔をあげ覚悟を決めた。

「カルちゃんも最近知ったんだけどにゃ。私たちってある程度人を殺すと新たな力に目覚めるらしいのにゃ」

「「!」」

 カルスティアとエリックは同時に目を見開きながら驚いた。

「つまり二つ目の能力を所持しているんですか」

 エリックが聞いてきた。

「二つ目の能力というよりは今在る力をサポートするためのアイテムと言った所にゃ。簡単に言うと弱点を克服するための力って言った方が正しいかにゃ」

「つまり、あの実験で生まれた時よりも格段に妹たちは強くなっているという事ですね。よくも今の今まで黙っていましたね」

 ベネディクティはカルスティアの首をしめ、紫電を流す。

「やめるにゃ」

「今すぐあなたを壊します。そうしないとこの怒りが治まりませんから」

 鬼のような形相でベネディクティはカルスティアに殺意を振り向かせる。

「待つにゃ。今はモナちゃんを止める方が先にゃ。それに、カルちゃんの二つ目はあの家で使うと家ごと破壊してしまうから使わなかっただけにゃ」

「それをいいことに黙っていたわけですね」

「にゃあ……」

 ベネディクティから首をそらしてカルスティアは答えた。すると、ベネディクティはカルスティアから手を離した。

「いいでしょう。これくらいで、勘弁してあげます」

 ベネディクティは寛容に振る舞うとクレモナに視線をやる。

「しくしくと、しくしくと、私を止めるの、ベネディクティお姉ちゃん」

「ええ、止めます。これ以上犠牲を出すわけにはいきません。あなたのコンサートも今日で終わりです」

 紫電を纏いベネディクティが前へと出る。

「べネちゃん、外に出た皆は家にいた時よりも格段に強くなっているにゃ。もしも、べネちゃんが一番強いとか思っているならその考えは捨てるにゃ。捨てないと、べネちゃんの方が壊されるにゃ」

 カルスティアは助言した。二つ目を持っている以上家にいた時より彼女たちはベネディクティをしのぐほどの力を持っている。二つ目を開花させていないベネディクティにとっては大きなアドバンテージだ。それでも、ベネディクティはひるむ事無くクレモナに立ち向っていく。

「珍しく姉思いのいい妹ですね。ですが、今も私が最強なのは変わりありません。馬が一頭や二頭増えたところで私が負けるなんて事はありませんから」

 ベネディクティはカルスティアの助言を無視して、最強だと言い張る。カルスティアの助言はベネディクティに返って油を注いだだけだった。

「失敗したにゃ。べネちゃんの性格を見誤っていたにゃ」

「ベネディクティは妙なところで頑固なところがありますからね」

「それよりもリック、カルちゃんから離れるにゃよ。あの二人が殺し合いを始めると人間の領域から外れリックじゃ到底足を踏み入れられなくなるにゃ」

「心配してくれてどうも」

「そんなんじゃないにゃ。リックに何かあるとカルちゃんがべネちゃんに怒られるのにゃ」

 不愛想な態度をとりながらカルスティアはエリックをあしらった。


 ベネディクティが電撃を弾かせながらクレモナに近づいていく。徐々にその殺人衝動が解放されていき『紫電の淑女』としてのベネディクティが姿を現した。

「しくしくと、しくしくと、本当にやるんだね、ベネディクティお姉ちゃん」

 ベネディクティの殺意の上昇を見てクレモナは本気だと分かる。それに連なりクレモナも悲しみが上昇していく。

「しくしくと、しくしくと、ああ、悲いしよ、悲しいよ、ベネディクティお姉ちゃん。ベネディクティお姉ちゃんを壊せばこの悲しみ抑えられる?」

「いいえ、壊れたあなたの悲しみを抑えるにはあなた自身が眠りにつくことが最善です。だから私は、あなたをこれから一方的に蹂躙します。それが私の目的ですから」

 ベネディクティはクレモナの悲しみを断ち切るため紫電を走らせた。

「しくしくと、しくしくと、終わらないよ、私は悲しみから救われるためずっと曲を奏でるんだ」

 もはや、クレモナは情緒不安定の子供のようだ。殺意の悲しみが『悲嘆の旋律』を呼び覚ます。クレモナはバイオリンを構えた。

「紫電の淑女、ベネディクティ、いきます」

「しくしくと、しくしくと、悲嘆の旋律、クレモナ、いくよ」

 二人同時に地面を蹴り上げた。

 ベネディクティは瞬発加速でクレモナの背後を取る。どんなにクレモナが強くなっていようともベネディクティの加速は有効だ。他のどの拷問器具少女もベネディクティの加速にはついていけないだろう。これが、ベネディクティが第一ドールたる所以だ。

 稲妻のように速いその瞬撃は群がる実験ドールたちを寄せ付けずに破壊した。誰もその速さについて行けず、だれも止めることが出来ない。破壊されたドールの上には可憐な少女が佇む。まさに、『紫電の淑女』の名にふさわしい。

 ベネディクティはクレモナの首めがけて手刀を繰り出した。

 しかし、クレモナはベネディクティの手刀を、目を閉じながら腰を落として避けた。

「っ!」

「しくしくと、しくしくと、聞こえているよ、ベネディクティお姉ちゃんの悲しみの音」

 どん底から悲しみの声が聞え這い上がって来る。クレモナは自分の大きさもあるバイオリンを振り回しベネディクティに打撃を与えた。ベネディクティは大通りへと吹き飛ばされる。

「さすがに一筋縄ではいきませんか。それにしても馬は使ってくれないんですね」

 ベネディクティは打撃を与えられたがまだ余裕の表情だ。再び瞬発加速でクレモナに向かって行く。だが、次の攻撃もクレモナには避けられてしまった。

 ベネディクティの瞬発加速を避けることはたやすい。カルスティアの時もそうだったが狙いが分かっていれば簡単にベネディクティの攻撃を避けられるのだ。

 でも、それは初激の話であってこう何回もベネディクティの攻撃が避けられるのはおかしい。ベネディクティは二重に瞬発加速を使いフェイントをかけ攻撃している。いくら、クレモナが避けるのが上手いからと言ってベネディクティがこうも攻撃を外されるのは異常だ。

「しくしくと、しくしくと、ベネディクティお姉ちゃん一人だと聞くのがたやすくて楽だよ。コンダクトを使うまでもない」

 クレモナの方がベネディクティよりはるかに余裕だ。

「なるほど、私の音を聞いているのですね。まだ、こんな力を隠し持っていたとは、どうりで屋敷であなたの姿をあまり見ないわけです」

 ベネディクティは自分の攻撃が避けられている理由に検討がついた。

 第五ドールクレモナ。彼女はバイオリンという攻撃に向かない拷問器具のモデルでありながらも五番目に生き残った拷問器具少女だ。なぜ、クレモナが五番目に生き残ったのかは彼女に備わっていた能力にある。

 それは、絶対響音感である。生き物は全ての動きに音が付く。その音を理解し相手の動きを読む事によりクレモナは五番目に勝ち上がってきたのだ。

「私の攻撃する瞬間の音を聞いて避けていたわけですね。しかし、それは多数の場合、雑音が多すぎると処理しきれなくなるというわけですか」

「しくしくと、しくしくと、そうだよ、ベネディクティお姉ちゃん。一対一の相対なら私に攻撃を当てることは出来ないよ」

 クレモナは言い切った。まさしく、『悲嘆の旋律』悲しみの音を聞き、旋律を奏でるバイオリンだ。

「随分と姉に向かって生意気な口ですね。あなたがそんな風に思っていたとは驚きです」

「しくしくと、しくしくと、事実を言ったまでだよ。私を止めるには、カルスティアちゃんと協力した方がいいよ」

 情けをかけているわけではないが、クレモナはベネディクティにカルスティアの協力を仰いだ。それでも、私は止められないと余裕の表情だ。

「舐められたものですね。自分の力に溺れて大海を知らない蛙のように滑稽です」

 ベネディクティは自信満々のクレモナに対し鼻で笑う。

「しくしくと、しくしくと、でも私はまだ紫電を一つも浴びてないよ」

「当てますよ、次は必ず。あなたの音を読む力がいかに欠陥品か教えて差し上げます」

「しくしくと、しくしくと、そう、なら試して。私の悲しみを止められるものなら止めてみてよ」

 クレモナは否定するように叫んだ。ベネディクティはその言葉を合図に地面を踏み込み紫電となり再び二人の戦闘が始まった。

 しかし、クレモナに攻撃を当てられていないのは本当の事だ。クレモナに攻撃を当てるにはクレモナの耳を潰すか、音のない攻撃、つまり真空の中で攻撃しなければならない。けれど、空間を真空にするなどという神様じみた芸当は拷問器具少女にも出来ない。

 そんな回避率百パーセントのクレモナに攻撃を当てる術などあるのだろうか。ベネディクティは瞬発加速を連続使用し縦横無尽に建物と建物を行き来しクレモナの目を翻弄する。

「しくしくと、しくしくと、そんなことしても無駄だよ。私にはベネディクティお姉ちゃんがどこに移動するかはっきりと聞えている。目が駄目でも音は正直だから」

 クレモナはバイオリンを縦に構えた。ベネディクティが来たところをカウンターで打ちのめすつもりだ。

「しくしくと、しくしくと、何時でも来ていいよ。来た時にはベネディクティお姉ちゃんの顔がめちゃくちゃになっているから」

「めちゃくちゃになるのはあなたの方です」

 紫電となったベネディクティがクレモナに正面から向かっていった。クレモナはタイミングを合わせ、バイオリンを振った。

「しくしくと、しくしくと、いない……」

 クレモナがバイオリンを振った先にはベネディクティの姿はなかった。

カウンターが空振りに終わったと理解した時にはクレモナの横から強烈なベネディクティの拳がクレモナの顎をえぐった。

 ベネディクティの攻撃が当たり、クレモナの顔は砕け建物の壁に激突する。

「しくしくと、しくしくと、どうして攻撃が当たったの、私は間違いなくカウンターを決めたはずなのに……」

 クレモナはベネディクティの動きをはっきりと予測出来ていた。しかし、クレモナのカウンターは空振りしてしまった。その事に対しクレモナは目を丸くしながら立ち上がった。

「分かりませんか。ならその答えをお見せしましょう」

 ベネディクティが紫電を纏うと、ベネディクティの周りにも細い電撃が連なっていた。

「しくしくと、しくしくと、銅線」

 クレモナは細い電撃の正体を即座に見破る。

 ベネディクティの身体には幾千もの銅線が巻き付いている。その銅線を蜘蛛の巣のように張り巡らせることにより瞬発加速に二段階の変化を与えていたのだ。

「この銅線は私の分身と言っても過言ではありません。だから、この銅線一つ一つが殺意の塊なのです」

「しくしくと、しくしくと、私が攻撃した瞬間、銅線を蹴り上げ横に移動し攻撃を当てた」

 銅線はベネディクティの一部なのでクレモナの絶対響音感も騙されたという事だ。

「あなたの力は確かに私の動きをとらえていましたが、二重変化することまでは見抜けなかったようですね」

 つまりベネディクティ本体の居場所を銅線が濁らせることにより、回避率百パーセントのクレモナにも攻撃が当たるとういう仕組みだ。

「この一撃で決めたはずなのですがまだ立ち上がりますか」

 クレモナの悲しみはまだ終わっていない。だが、クレモナの身体はきしみ出していた。人形の身体ギィーギィーと鈍い音を出している。

 もはや、クレモナに勝ち目はもうなかった。ベネディクティは、次で終わらせるため殺人衝動の底を上げた。すると、クレモナから尋常じゃない声が聞えた。

「しくしくと、しくしくと、ああ、悲しい、悲しい、悲しいよ。まだ、足りない、足りないよ、私を癒してくれる悲しみの旋律が」

 クレモナの身体から、とてつもない程の悲しみが溢れ、ベネディクティの殺意を通り越した。まるで、制御がきかない人形になったみたいだ。クレモナの瞳孔が開きベネディクティを睨みつける。

「いけない」

 暴走気味のクレモナを見てベネディクティは直ぐに動いた。紫電を走らせ、銅線を蹴り上げる。

 すると、銅線を張り巡らせた場所にクレモナが先に移動していた。

「っ!」

 クレモナはベネディクティの動きを読み先回りしていた。

「しくしくと、しくしくと、捕まえた」

 バイオリンがベネディクティを捕えた。

「しくしくと、しくしくと、コンダクトお願い」

 首なしの馬が出現し、首と手を拘束されたベネディクティをつなげる。

「まずいにゃ」

 ベネディクティとクレモナの戦闘を見ていたカルスティアが焦った顔をした。

「しくしくと、しくしくと、もう遅いよ、カルスティアちゃん」

 カルスティアとエリックの横を馬が通った。クレモナは馬に乗りベネディクティを引きずり回し始める。

 ベネディクティの身体から摩擦で火花が散り、ドレスの切れ端が飛び散る。それを見ていたエリックはただ呆然と突っ立っていた。

「なにぼさっとしているにゃ、リック。はやく、何とかしないとべネちゃんが死ぬにゃ」

 カルスティアがエリックの腰を叩き、エリックは現実に引き戻される。死という単語がエリックの脳と身体を極限までに加速させる。

 死なないエリックならまだしも首が飛べばベネディクティ死ぬのだ。どんなに頑丈な拷問器具少女であっても摩擦による首の切断からは逃れられない。

 嫌だとういう感情がエリックの心を跳ね上がらせる。しかし、エリックには馬を止める術がない。

「クソっ! また僕は終わらせてしまうのかベックのように」

 エリックは嘆く。こうしている間にも、ベネディクティは痛みに耐えているというのにあの時のようにエリックは何もできない。

「その悔しい気持ちさえあればべネちゃんは救われるにゃ」

 エリックを横切ってカルスティアは前に出る。

「ここでベネちゃんを失うわけにはいかないのにゃ。リック、今からカルちゃんの二つ目を使うにゃ。あのチョビ髭に後でたくさん怒られるけど許してにゃ」

 カルスティアはベネディクティを助けるために行動した。地面に両手を置き叫ぶ。

崩噛(ホウガミ)

 カルスティアがそう叫ぶと、地面の下から、たくさんの鉄の処女が動物の足を捕える罠のように地面をかみ砕きながら出現する。

 それはまるで、水面にいるワニが地上にいる哺乳類を捕食するようにも見えた。鉄の処女は首なしの馬に向かってロンドンの道をえぐっていく。

 カルスティアの二つ目の力は超広範囲型の攻撃のようだ。スピードのないカルスティアにとっては正に打って付けの力だ。ロンドンの街の一部は鉄の処女の山と化した。

 鉄の処女は馬の後ろ足を捕え、噛み千切る。首なしの馬は勢いよく倒れクレモナは落馬する。ベネディクティは拘束していたバイオリンが外れ鉄の処女の山に落とされた。

 しかし、気を失っているのかベネディクティは動かないまま、地面にひれ伏す。エリックは危険を承知ですぐさまベネディクティの元へと向かって行く。

「待つにゃ、リック」

 カルスティアはエリックを止めようとするが聞く耳を持たない。

「しくしくと、しくしくと、よくもやってくれたね。カルスティアちゃん、私の大事な、大事なコンダクトをこんなにして」

 エリックを追おうとしたカルスティアを足止めするようにクレモナが立ち塞がった。

「しくしくと、しくしくと、許さないよ」

 カルスティアに『悲嘆の旋律』が襲い掛かる。

 どことなくカルスティアは身長が縮んでいた。

「この鉄の処女はカルちゃんの分身にゃ。だから、『崩噛』を使うとカルちゃん自身の身長は縮んで攻撃力も半減されるにゃ。にゃんで、見逃してくれにゃい」

「しくしくと、しくしくと、ダメ……」

 悲しみの音がカルスティアに牙をむいた。


 鉄の処女の山をエリックは無我夢中で走る。むき出しになった鉄の処女の刺がエリックの足を引き裂いていく。

 痛い、それでもエリックはベネディクティの元へ最短で向かう。

 嫌だ、嫌だ、また同じことを繰り返してたまるもんか。

 エリックの中で過去の苦しみが甦り否定となり現れる。足から血しぶきを撒き散らし全身血にかぶる。

 僕の目の前でまた大切な人が死んでいくのはもうこりごりだ。誓ったんだ、ベネディクティに世界の美しさを見せてあげると。どんなに残酷な世界でも美しさはあると教えるんだ。終わらせない、一方的にこの誓いを終わらせるなんて出来ない。

「ベネディクティ―」

 エリックは叫んだ。ベネディクティを見ると、白黒のドレスは破れ人形の身体がむき出しになっていた。目を閉じたベネディクティの顔はまるで寝ているように美しかった。

 赤く染まるエリックの指先がベネディクティに触れる。

「ベネディクティ起きて下さい。僕はあなたと一緒に世界の美しさを知りたいんです」

 エリックの心からの言葉だった。残酷な世界で生まれた二人は未だ世界の美しさを知らない。境遇が似ているせいか自然と心が解け合った。

 一人では見ることができなくても二人なら見ることができると信じてエリックはベネディクティを屋敷から連れ出した。

「一目見た時から感じていました。僕とベネディクティは似ていると、これは僕のエゴかも知れません。けれど僕はあなたと一緒にいきたい」

 エリックがギュッとベネディクティの手を握ると異変が起きた。エリックの周りが電撃に包まれエリックを囲う。

 そして、ベネディクティの身体が変化しエリックと一体となる。

 エリックの身体にベネディクティの銅線が巻き付き、紫電を纏うグローブが形作られる。


『紫電の淑女(エレクトリックレイディ)、バージョン電綱(イヅナ)


「これは……」

「ふふっ、聞こえていましたよ、エリックの声」

 エリックの頭の中からベネディクティの声が聞えた。

「ベネディクティなの、これは一体」

 グローブを眺め、エリックは言う。

「分かりません。けれどこれが私の二つ目なのかもしれません。エリック以外を私は食べていないので自然と身体が馴染んだのでしょう」

 エリックとベネディクティの身体は今、一心同体となっている。

「私はこの姿になって思うのです。拷問器具とは人に使われてこそではないかと。行きましょう、エリックが私を使い私があの子を止める」

 鉄の処女の山から紫電が弾けた。


「流石にこれ以上は無理かにゃあ」

 カルスティアは防戦一方となっていた。

「しくしくと、しくしくと、悲しい、悲しい」

 狂ったようにクレモナはカルスティアをバイオリンで殴り続ける。カルスティアの真っ白なドレスがカルスティアの打撃痕を生々しくさらけ出す。

「これじゃあ、『赫染めの処女』でも何でもないにゃ」

 自虐的にカルスティアは言う。

「しくしくと、しくしくと、まだ悲しみが治まらないの。ベネディクティお姉ちゃんを潰しても足りない。カルスティアちゃん……あなたをやればこの悲しみ治まるかな」

「そんなもの治まるわけないにゃ」

「しくしくと、しくしくと、そう、でも私のコンダクトの足を潰した代償は払ってもらうよ」

 クレモナがバイオリンを振り上げカルスティアにとどめを刺そうとした。

「代償を払うのはあなたです」

 クレモナの横から一閃の紫電が現れ、クレモナをバイオリン事吹き飛ばした。

「大丈夫ですか、カルスティア」

「リック、それにそれはベネちゃんかにゃ」

 エリックの銅線のグローブを見てカルスティアは言う。

 エリックは頷いて答えた。

「ったく、遅いにゃ。いつまで寝ていたのにゃ」

 そう言ってカルスティアは気を失った。『崩噛』を使った影響で体力に限界が来たのだろう。

「しくしくと、しくしくと、生きてんたんだね。どうりで、悲しみが治まらないと思った」

 クレモナはバイオリンを杖代わりにして立ち上がってエリックを見る。

「もう交響曲は終わりにしましょう」

 エリックは優しくクレモナに言った。これが、せめてもの慈悲だと思って。

「しくしくと、しくしくと、終わらないよ、これからもずっと私は悲しみを救って悲しみを治める」

「何を言っても無駄ですよ。あの子はもうとっくに壊れているのですから」

 ベネディクティはエリックに言い聞かせた。

「じゃあ、仕方ないね。ベネディクティ、僕が使ってベネディクティはがクレモナの悲しみを消す」

 一筋の紫電がクレモナに向かっていった。

「しくしくと、しくしくと、私には動きが聞えるからそんな攻撃当たらない」

 クレモナはエリックの紫電を避けたかのように思えた。が、避けたと同時に重い打撃がクレモナの腹を粉々砕いた。

「しくしくと、しくしくと、どうして銅線もこの場所じゃ張り巡らせることもできないのに、それに人がベネディクティお姉ちゃん以上の速さを出せるなんて」

 クレモナは純粋に驚いていた。人がベネディクティの速さで動いたら間違いなく身体は壊れ、肉塊と化すからだ。

 だが、エリックは平然と紫電を纏って、ベネディクティの本体よりも速く動いていた。

「あなたの思う通りエリックは壊れていますよ」

「けれど、僕の身体は死なないんで」

 最後のとどめを決めるため、エリックは腹をえぐられて動けないクレモナに向かっていく。その間、エリックの身体は粉々の肉となっていた。しかし、ミンチになった肉が再生するようにまたエリックの身体となる。

「しくしくと、しくしくと、ああ、そうなんだ。悲しいな」

 クレモナはつぶやくように泣いた。

 ベネディクティはエリックに二つの電撃を流していた。一つは攻撃するための剛の電撃もう一つはエリックの肉体が破壊されたときの柔の電撃だ。

 柔の電撃はエリックの肉体が破壊されると同時に流れる。その電撃によりエリックの細胞は活性化されより早く肉体が再生するのだ。

 ベネディクティにも速さには限界がある。しかし、死なないエリックなら限界なんてものは存在し無い。まさに、ベネディクティの二つ目はエリックの為にあるような力だった。

「あなたの悲しみをこれで終わらせます」

 紫電を纏ったグローブがクレモナの胸を貫いた。

「しくしくと、しくしくと、ああ、悲しい」

 そう言葉を残しクレモナの身体は粉砕され元の人形となった。バイオリンは人形から分離するように空中へ舞う。

 それと同時に、エリックと一体となっていたベネディクティが元に姿に戻り、バイオリンをキャッチし抱きかかえた。

「あなたの悲しみを、救えましたか」

 哀愁を漂わせ、ベネディクティはしばらくそうしていた。

 朝陽が登り、ロンドンを騒がせていた夜が終った。


 後日、エリックたちは室長に事の詳細を話した。カルスティアがロンドンの道を壊したことにより、こっぴどく叱られエリックは始末書の嵐だった。

 クレモナを形作っていたバイオリンは対策室の奥へと保管された。いずれ、ベネディクティが葬られるとき一緒において置きたいというベネディクティからの願いを受け入れた結果だ。

 それから数日。

 汽車は間もなく出発しようと警笛を上げていた。そんな中、エリックたちはギリギリで汽車に乗り込んだ。

「遅いにゃ、二人ともどこで道草食っていたにゃ」

「あなたが、駅内でどこかれ構わずうろつきまわり迷子になっていたからでしょう」

「そんにゃの知らないにゃ」

 カルスティアは自分が主犯だとは全く思っていないようだった。

「この先が思いやられます。これから向かう場所に本当にいるのでしょね」

「カルちゃんがあいつを最後に見たのはあそこにゃ。多分いるにゃ」

 何とも曖昧にカルスティアは返した。

「いい加減ですね」

「まぁ、まぁ、二人とも落ち着いて、部屋に行きましょう」

 三人はこれから、グラストンベリーにあるトールの丘に行くつもりだ。その丘で、原因不明の焼死体が何体も発見されていた。間違いなく拷問器具少女の仕業だ。エリックたちはカルスティアの情報を元に表向きはその焼死体の調査ということで対策室から派遣されることになった。

「さてと、どんな世界が待っているんでしょうね」

 三人は部屋につくとくつろぐように座った。クレモナの一見以来忙しく、三人は対策室にこもりっきりでまともに椅子に座れていなかったのだ。

「どんな世界でも二人一緒なら何も怖くありません」

「カルちゃんもいるにゃ」

「そうでしたね。さあ行きましょう、世界の美しさを見に」

 窓を開けると、優しい風が車内に入って来た。エリックたちは、窓の外を流れる風景をしり目にひと時の汽車の旅を過ごすのだった。


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