第二話 赫染めの処女
「ふっふ、ふーん」
一人の少女が鼻歌を歌いながらウキウキで森の中を歩いていた。
厚底の靴に白と黒のシマシマ模様の靴下、何色にも染まりそうな白のミニスカートドレスといった森を歩くには不釣合いな格好だ。
少女がスキップしながら森を歩いていると、茶色の水がはね白のドレスが泥水に染まった。昨夜の雨の事もあり地面がぬかるんでいたのだろう。
直ぐに洗って乾かさないとこのままじゃシミになってしまうが少女はそんな事些細な事、気には留めていなかった。
むしろさらに派手にスキップして泥水を白のドレスに付着させた。綺麗なドレスがあっという間に茶色のドレスに様変わりして台無しになる。
すると少女はようやく自分の着ているドレスの惨状に気づいたのかスキップをやめた。
「派手に染まったにゃ。まっ、なんにでも染まるのがカルちゃんの取り柄にゃ」
茶色に染まったドレスをみて少女は薄気味悪く笑った。そして再びスキップして森の中を歩いていった。
「久しぶりの里帰り、べネちゃん元気かにゃ」
彼女の行く目先にはウィルハイム氏の屋敷が映し出されていた。
肉体が再生すると手をつなぎ、エリックはベネディクティと共に階段を上がっていった。まだ抵抗があるのかベネディクティは移動中うつむいて一言もしゃべらなかった。
エリックは気を使いゆっくりとベネディクティのペースに合わせて階段を上がっていくと遂に寝室の間にたどり着いた。
「あ、晴れていますね」
エリックが先に階段を出ると日の光が出迎えてくれていた。
「雨は止んだみたいですね」
ベネディクティもエリックに続いて階段の入り口を抜け出した。抜け出すと、日がベネディクティの顔面に当たり、まぶしい表情をしながら手で顔を覆った。
「空をこうしてまた見るのは何年ぶりでしょうか。再びこの景色が見られて感激です」
溢れる太陽の恵みにベネディクティは心を奪われていた。
「少し大げさすぎませんか」
太陽など日頃エリックは見慣れているのであまりベネディクティのようになる気持ちがよく分からなかった。でも、それほどまでにベネディクティは我慢していたのが伝わった。
「お腹空いてない」
エリックは太陽に感激を得ているベネディクティに対しふいに聞いてみた。
「えっ、あっ、お腹ですか。空いていませんよ。大丈夫です。もともと私たちは人形ですので食事をとらなくても平気です」
ベネディクティは我に返ると慌てながら弁明した。
「そうなんですね」
「ああ、でも人間の食べ物は食べられますよ。そんな、残念そうな顔しないでください」
「じゃあ食べる?」
エリックは持ってきた荷物の中から携帯食料を取り出してベネディクティに差し出した。
「では、お言葉に甘えて」
ベネディクティは携帯食料を手に持って口に運んだ。
「本当は、人間の血肉が食べたいんですけどね」
口元をもぐもぐさせながらベネディクティはさりげなくおっかない言葉を吐いた。
「あはは、恐ろしいですね」
エリックはにっこりさせながら感情のない言葉を言う。
冗談に思えない発言だがそれでもベネディクティはエリックの渡した携帯食料を全部たいらげた。ベネディクティなりの気遣いだろう。これから、人間の世界へ行くことになるのだから少しでも人間のようにベネディクティは振る舞おうしているとエリックにはそう思えた。
エリックも自分の分の携帯食料をパクリと食べた。
携帯食料を食べ終えるとエリックは荷物をまとめて森を出る準備をした。
「これでよしっと」
一応役に立ちそうな資料を適当にリュックに詰める。こうでもしないと室長は信用してくれないのでカモフラージュとしてだ。
「ベネディクティ、何か持っていくものはある」
エリックの荷造りを後ろで見ていたベネディクティに聞く。
すると、ベネディクティは首を振った。
「いいえ、この屋敷にはもう何のしがらみもありません」
「そっ」
エリックはそっけなく二つ返事でベネディクティの言を受け止めた。
「ですが、一つだけお願いがあります」
これだけはどうしても譲れないとういう顔をベネディクティはする。緊迫感が一瞬走るがエリックは直ぐに優しい顔をした。
「いいよ、なんでも言ってごらん」
「どうか、この屋敷だけはこのままにしていていただけませんか」
何かされるような物言いだった。エリックはポカーンと口を開けてベネディクティを見ていた。
「あのーこの屋敷を燃やしたりしません?」
ベネディクティは恐る恐る首をかしげてエリックを見つめていた。
「燃やすなんてそんな事はしませんよ」
エリックは直ぐに首を振って否定した。
「本当ですか。私の読んだ物語では大抵証拠隠滅として事件の起きた場所を消していたんですが」
「あははっ」
エリックは腹を抱えて笑う。
「なんでそんな笑うんですか」
ベネディクティはエリックに怒り顔で言い寄る。
「ごめん、ごめん、ベネディクティがあまりにも世間知らずなものだからつい。でも、ずっとこの屋敷で暮らしていたら外の世界の常識なんて知らないよね。家を燃やすなんて物語の中だけだから安心していいですよ」
「これでわだかまりは抜けました。エリックが屋敷を出たとたん火をつけるのではないかと不安でしたので、もしエリックが火をつけたら私はエリックを五回ほど食べてしまうところでした」
ほっとした顔をしながらもベネディクティは惨忍さを隠そうとしなかった。
だがそんなベネディクティの殺害予定もエリックは難なく受け流した。
「それは僕としても危ないところでした。それに、僕がいた実験施設も閉鎖はされていますが取り壊されていませんしね」
さりげなくエリックは自分の過去を例にした。その方が信憑性も高まるからだ。
「ここはどんなに辛い事があった場所でも私たちの生まれた所に変わりありませんから。いつかまたこの場所に妹たちと帰ってくることを……」
憂いを秘めた目でベネディクティは屋敷を見渡した。今はボロボロでもかつてはここでベネディクティたちは暮らしていた。どんなに嫌な事があってもこの場所は間違いなくベネディクティたち拷問器具少女の故郷なのだ。
エリックは感傷に浸っているベネディクティにそっと声をかける。
「ベネディクティ君はこれから妹たちを殺すわけだけど大丈夫」
ベネディクティの話を聞く限り拷問器具少女を止めるには対峙して壊すしか方法がない。すなわちベネディクティ自らの手で妹を殺すのだ。
そんなことエリックだったら出来るわけがない。もし、施設にいた子供たちの誰かが敵になってもエリックは満を持してその刃を受け止めるだろう。
心が優しいベネディクティにそんな事が果たして出来るのだろうか。その真意をエリックはベネディクティに問う。
「それは軽率ですよ、エリック。私は確かに人を殺すのが嫌で閉じこもりました。けど、妹たちは人のふりをした拷問器具少女、人間ではありません。人の世界に迷惑をかけているのなら私は何をしてでも妹たちを止めます。じゃないと、外に出る意味もありませんしね」
ベネディクティはあの場所を抜けるとこから、他の拷問器具少女を殺す覚悟があったみたいだ。
エリックの考えは思い過ごしに終わった。
「じゃあ、出発しようか」
そう、エリックが言った時だった。バタンと音を立てて玄関の扉が勢いよく開かれた。
「たたいまにゃ~」
玄関の扉の前で遊びから帰ってきた子供の元気のいい声が聞えた。
エリックとベネディクティが同時に玄関の先を見るとそこには女の子がいた。
シマシマの白と黒のタイツに雨水の泥で茶色く染みたミニスカートドレス着た少女だ。
「なっ」
エリックは目を見開いてなんでこんなところに女の子がいるのかと驚いた顔をする。
「どうしてあなたがここに」
ベネディクティは少女の事を知っているようだった。そこで、エリックも気づく。
この場所にやって来る物好きなど答えは一つしかない。
目の前の彼女は間違いなく拷問器具少女だ。
少女は扉を開けるとゆっくりと屋敷の中へと泥まみれのヒールで入っていく。
「ここも随分とさびれたにゃあ。べネちゃんは今もあの中かにゃ」
変わり果てた屋敷を見渡し彼女は何かを探すようなそぶりをしていた。幸いまだ、ベネディクティとエリックには気づいていない様子だ。
彼女がきょろきょろしていると呆然と立ち尽くすベネディクティと遂に目が合った。
ベネディクティと彼女は黙ってしばらく目を合わせる。
すると先に動いたのは泥まみれの彼女だった。
「べネちゃん久しぶりだにゃあ。こんなところにいるなんて気づかなかったにゃ。てっきりカルちゃんはあの場所にこもりっきりだと思ってたにゃあ」
手を振りながら彼女はベネディクティに親しそうに話しかけながら近づいていく。
彼女はまだエリックの存在には気づいていない。だが、エリックは彼女が近づいてくるのを見て警戒を強める。
「やっと人間を食べることを我慢するのをやめたかにゃあ」
「カルスティアどうして」
ベネディクティは推し量るように彼女の名を呼ぶ。
「どうしても何も、ここはカルちゃんの生まれた場所にゃ。近くを通りかかったんで里帰りするのは当然だにゃ。カルちゃんは自由気ままに渡り歩く拷問器具少女だからにゃあ」
カルスティアと呼ばれる彼女は何とも旅人らしい理由でこの屋敷に戻って来たようだ。
「それよりもべネちゃん。お食事中だったかにゃ」
カルスティアがベネディクティの手の届く範囲まで近づくとベネディクティのドレスを犬のように嗅ぐ。
「クンクン。血の臭い、まだ真新しいにゃ」
「相変わらずお行儀が悪いんですね」
ベネディクティがカルスティアに注意するがカルスティアは明後日の方向を見ていた。というよりもエリックと目が合ってしまっていた。
遂にエリックは見つかった。
「あ」
エリックは自然と見つかってしまったという風な顔をして嫌な声を出した。
「べネちゃんそこにいるのは人間かにゃ」
カルスティアはエリックに顔を向けたままベネディクティに聞いてくる。エリックを見ているカルスティアの目はベネディクティのそれとは違う正真正銘の殺意の目だ。
今まで殺してきた人間の数が彼女の後ろから背後霊のように見えてくるようだった。
ベネディクティは何も答えず黙っていた。
「なんだ、食事はこれからだったみたいだにゃ」
舌なめずりしてカルスティアはエリックをどう食べようか見定める。
「いえ、その人は私の」
ベネディクティはエリックの事を味方だと言おうとしたがカルスティアの声に阻まれる。
「そう言わずにちょっとぐらいいにゃ。獲物を横取りされるのはべネちゃんも嫌かもしんにゃいけど」
話が全くかみ合っていなかった。カルスティアから見ればエリックはベネディクティが殺すために近隣の街から攫ってきた人間にしか見えなかったのだろう。
「ごめんにゃべネちゃん。カルちゃんは昨日から一人も食べてにゃいから空腹なのにゃあ」
カルスティアはそっと一瞬気配を立つとエリックに向かって飛びかかった。しつけがなっていない犬が、待て、を無視してエサを食べるような感じだ。
ノーモーションでいきなりカルスティアはエリックに飛びかかったのでベネディクティでも反応できなかった。
その隙にカルスティアはエリックを射程範囲内に収める。
「いたたきますにゃあああっ」
エリックの目の前でカルスティアが半分に割れて口が開いた。口の中は無数の刺があり、閉じたら人を簡単に穴だらけにするほど鋭かった。
エリックは逃げることができず、抵抗しないままその口に身体ごと飲み込まれた。
口が閉じ、爆弾のようにエリックの血がはじけ飛んだ。
声を出さずにエリックはまた死を体験した。そして、再びカルスティアが口を開けると穴だらけになったエリックの身体が床にだらりと落ちた。
「はぁ、おいしかったにゃあ。ごちそうさまにゃ」
ドレスを真っ赤に染めながらカルスティアは満足そうに笑みを浮かべていた。
「カルスティア、あなた」
ベネディクティは血で染まったカルスティアは見て自然と電気を身体にほとばしらせ怒っていた。
「エリックの身体は私だけのものでしたのに……」
他の拷問器具少女にエリックが殺されるのがベネディクティは気に食わなかったようだ。
「ごめんにゃ。べネちゃんの獲物を奪って、代わりに今度はカルちゃんがべネちゃんに美味しい肉を提供するにゃ」
流石にカルスティアはやばいと思ったのか直ぐにベネディクティに謝った。だが、ベネディクティはそんな形だけの薄っぺらい謝罪じゃ許してなどくれなかった。
「代わりですって、彼に代わりなんていないんですよ。それをあなたは食べてしまった。他人の所有物を無断で食べる礼儀のなってない子にはおしおきが必要なようですね」
「ごめんなさいにゃあああっ」
怒り狂うベネディクティを見てカルスティアは半泣きで謝る。
「許しません」
ベネディクティが一歩カルスティアに近づき手刀をふるおうとした。
「ああ痛かった」
痛みを痛みと思っていないような何とも軽い感じのエリックの声がベネディクティの後ろから聞こえた。
ベネディクティはピタッと止まると後ろを見た。
「エリック、大丈夫ですか」
ベネディクティはエリックの安否を心配する。
「大丈夫ですよ。これくらいで僕が死なないのはベネディクティがよく知っているでしょ」
エリックの身体は何ともなかったように元に戻っていた。
「それにしてもカルスティアって言いましたっけ、あなたは鉄の処女がモデルの拷問器具少女ですよね。前に一度体験したことがありますが、あれ半開きでも痛いですよねえ。血がどくどくと刺に注がれる感じが何ともいじらしくて、いっそ全部閉じて楽になりたと思いましたし」
それどころか、エリックはカルスティアの元になった拷問器具を言い当て実験施設での体験を語ってくれた。
「でも今回丸呑みされてとてもいい体験ができました。施設では甘噛み程度だったので」
エリックの笑顔がベネディクティとカルスティアに狂気となって降り注いだ。
「エリック、あなた異常ですよ」
「へっ?」
だがエリックは何とも思っていない様子だ。自分が死ぬことに何のためらいもなかった。しかしベネディクティはエリックが異常なことくらいとうの昔に知っていた。
したがって、ベネディクティは無言でエリックに近づいて頭を叩いた。
「いたっ! 何するんですか」
「さぁ、何のことでしょう。鈍感なあなたにはいい薬です」
ベネディクティはとぼけながら明後日の方向を向いていた。
そんなベネディクティとエリックを見ていたカルスティアはというとガタガタと目と身体を震わせエリックに指をさす。
「なっ、なっ、なんで生きてるにゃああああああああああっ」
確実に殺したはずのエリックが元通りになっていれば当然の反応である。
「カルちゃんは間違いなくきさまを食べたはずにゃ」
カルスティアはうろたえる。
「血だってこんなにべっとりにゃ」
ベネディクティとエリックに確認するようにカルスティアは生々しく血の付いたドレスを大胆に見せつける。
「まさか、幻覚だったのかにゃ。カルちゃんはお腹が空きすぎて在りもしない人間を殺していたのかにゃ」
「そうするとその血はどうなるんでしょね」
ベネディクティは肥大妄想するカルスティアに対してボソッとつぶやいた。
「そうにゃあ。この血は紛れもなく存在するにゃ、だからカルちゃんは絶対に食べたのにゃああ」
「ですが、エリックはこの通りです」
追い打ちでもかけるかのようにベネディクティは更にカルスティアの頭を混乱させる。
「もう訳が分からないにゃ。血の付いたドレスに食べた感触はあるのに人間は元通り、おかしいにゃ」
こんな事があってたまるかと言うようにカルスティアは頭を抱える。そんなカルスティアの様子を見てベネディクティは微笑していた。
流石、姉というべきかベネディクティは後に生まれた拷問器具少女を軽くあしらっていた。でも、これ以上はエリックも見ていられなかったため声をかける。
「ベネディクティいたずらはこれくらいにしときましょう」
「そうですね。これ以上この子を混乱させると屋敷の崩壊につながりますから」
息を漏らしてベネディクティはエリックに近づく。
「ベネディクティ、何を……」
「カルスティアよく見といてください」
「にゃ」
ベネディクティはカルスティアにこれからすることをよく見るように言うとエリックの胸に触り、心臓をぶち抜いた。
「にゃ、にゃ、にゃあ?」
信じられない光景を見たかのようにカルスティアは唖然とする。何故なら、あれだけ人を殺すことを嫌がっていたベネディクティがこうもためらいもなく人を殺したのを見たのが初めてだったからだ。
「べネちゃん、今、人を殺したかにゃ……」
真意を探るようにカルスティアはベネディクティに聞いてくる。
「ええ、殺しましたよ」
ベネディクティはあっさりと答えた。
「にゃは、にゃは、にゃははははっ」
壊れた機械のようにカルスティアは奇声をあげる。
「ですが……」
エリックの身体が巻き戻すように再生していく。
「いきなり殺すなんて酷いにも程がありますよ。殺すなら殺すと合図してくださいベネディクティ」
エリックは傷一つなく元に戻った。
「すみません。合図しない方が彼女には伝わると思いましたので」
「素直に謝ってくれるのは嬉しいですが次からは目線なり殺気なりを送ってください」
「承知しました。カルスティアこれで分かりましたよね」
カルスティアに顔をベネディクティは向けると威圧するようにっこりと笑顔を作った。
「にゃ、その人間死なないのかにゃ」
エリックが死なないことなど明白だった。それほど単純にエリックの不死性は死を拒んでいた。
「初めましてこんにちは、僕はイギリス政府の拷問器具人形対策室からきました、エリック=ウォーカーと言います。どうぞよろしくお願いしますカルスティア」
笑顔でエリックはカルスティアに自己紹介するのだった。
あまりにも自然にエリックが自己紹介をしたのでカルスティアは声を忘れて呆然と口を開けていた。
「……にゃ、にゃんで死なないのにゃ、おかしいにゃ、人間なのに人間じゃないにゃあ」
カルスティアは声を取り戻すとエリックに質問攻めだ。
「人間なのに人間じゃないですか……」
全くその通りだとエリックはカルスティアの発言に納得する。命というのは殺されれば終わりだ。生命はそのたった一つの命を奪われるだけで身体は動くことを辞める。
だが、エリックはその命を奪ったのに再び動き始める。ゾンビのそれとは違う。理性を保ったまま、エリックは生命の理を大きく逸脱しているのだ。
大量に人を殺してきた拷問器具少女がエリックを見て人間じゃないというのは当然の反応だ。
「ベネちゃんこいつ何者だにゃ。カルちゃんこんな人間見たの初めてにゃあ」
「私もエリックの不死性を見た時はカルスティアと同じ反応をしていましたよ。ですが、エリックはとても残酷な運命の元不死の力を手に入れたんです」
エリックからベネディクティは前に出てエリックの過去をカルスティアに話そうと決めていた。が、後ろからエリックがベネディクティの肩に触れた。
「エリック……」
「いいんですよ、ベネディクティ僕が話します。あなたは本当に優しい」
ベネディクティはきっとエリックが辛い過去を話すことで暗い顔になるのが嫌だったのだろう。だからエリックに代わりベネディクティはエリックの不死性について自ら話し出したに違いないとエリックは踏んでいた。
「ですが……」
「気にしないで下さい。過去を話すのは何も一度きりじゃありませんので、それにつらい過去を背負って生きているのはお互いさまでしょ」
エリックはベネディクティを下がらせるとカルスティアを見る。
「お待たせしてすみません。さぁ、あなたの知りたいことを僕がこれから全力で答えますので殺さないようにお願いしますね。では、あなたが知りたがっている僕の力から」
こうして、屋敷で二度目となるエリックの過去語りが幕を開けた。
「にゃーあああ、悲しいにゃ、悲しいにゃ。ベック、にゃあああ。カルちゃんがその場にいたら研究者全員血祭りにあげてたのにゃ」
エリックは包み隠さず全てを飾ることなく話した。その話を最後までカルスティアは聞くと号泣していた。
ベックの死を心から悔やんでいるようにエリックには見えた。カルスティアは感受性豊かな拷問器具少女なのだろうとエリックはふと思う。
ベネディクティとカルスティア二人の拷問器具少女をエリックは見ているが人を殺すような人形には見えない。どこにでもいる普通の女の子だと勘違いしてしまうほどだ。
けれど、こんな人間性の一面は彼女たちのカモフラージュだという事もエリックは心に留めておいた。
「ベックの事をそんなに悲しんでくれて僕は嬉しいです、ありがとう」
「にゃ、エリックの死なない身体がお父様の副産物だという事は分かったにゃ。けど、べネちゃんが外に出る気になったのはどうしてにゃ」
涙を強引にカルスティアは拭くとベネディクティを見て言う。
「あれだけ外を出るのを嫌がっていたべネちゃんがどうして今になって外に出る気になったのかにゃ」
ベネディクティの真意を探るべくカルスティアは挑発するような目で語り掛けてくる。
カルスティアはベネディクティが本当は妹たちを羨ましく思っていたのを知らないらしい。
「私はあなたたちがここを出ていくのを羨ましいと思っていました」
ベネディクティはカルスティアに面と向かって答えた。
「にゃ……」
「私はあなたたちが羨ましかった。だけど、外に出てしまえば人を殺してしまうそれが嫌で閉じこもった。世界の美しさを知りたい。そんな感情を心に秘めながらも外に出るのを拒み続けた。けれど、エリックがその感情を解き放ってくれた。だから、私は外に出ます」
強いベネディクティの思いが屋敷中に響き渡った。それを受けたカルスティアは納得した顔で口元を吊り上げた。
「なるほどにゃ。べネちゃんの思いはカルちゃんにもよーく伝わったにゃ。でも、それは依存じゃないかにゃ」
納得の顔からカルスティアの顔が蔑み変わる。
「エリックの不死性を利用してカルちゃんは外に出る。それを依存じゃないなら何というのにゃ。カルちゃんたちは人を殺す人形にゃ。殺して生きる快感を味わう。だけど、同じ人を殺して、殺して、殺しまくる、カルちゃんはそれに耐えられるのかにゃ」
死んでも生き返るエリック、それを殺し続けることで人を殺さないという道理になる。けれどそれは拷問器具少女の殺人衝動という本能から外れる事ではないのかとカルスティアは言っているのだ。
だが、ベネディクティはそんなまやかしのようなカルスティアの声には引っかからなかった。
「カルスティアあなたが私の事を案じているのは伝わりました。けれどそんな心配は鼻からご無用です。これは、私が選んだ道であり、エリックがそうさせてくれるのです。それを依存というならそれでも私は構わない。どんな事をしても私はこの屋敷から外に飛び立ちます」
言葉による攻撃がカルスティアに跳ね返ってきた。カルスティアは、こんな感情むき出しの姉をはじめて見たという顔になる。
そうして、カルスティアは元の顔に戻ると重い口を開いた。
「にゃは、べネちゃんがそこまで言うなら、カルちゃんはもう何も言わないにゃ。エリック、べネちゃんの事をよろしくにゃ」
カルスティアは納得してエリックにベネディクティを託した。姉思いのいい妹のようだ。
「けど、一つ言っておくにゃ。拷問器具少女はけして本能にはあらがえないと。べネちゃんが特別だという事を忘れちゃダメにゃ」
どこか意味ありげにカルスティアはエリックに忠告した。そんな、カルスティアの言葉にエリックは無言で頷く。
ベネディクティが外に出ることを認めてくれてこれでようやく場の緊張がほぐれるとエリックが思った矢先だった。次のカルスティアの言葉によって場の空気が更に緊張した。
「ところで、べネちゃんはこの場でカルちゃんを壊すのかにゃ」
邪悪な笑みを浮かべ、今まで隠していたかのようにカルスティアの身体から一気に殺気が溢れ出してきた。
その言葉に反応するようにベネディクティはエリックをどけると、全身に電撃を纏わせる。
「あなたがその気なら私は構いませんよ」
ベネディクティは世界を知るために外に出るがそれと同時にエリック、拷問器具人形対策室に協力するという名目もあるのだ。
それはつまり、拷問器具少女を殺すことと同意。カルスティアも当然その対象であり明確な敵だ。
「エリック巻き込まれたくなかったらこの場を下がってください。見逃してあげようと姉として気を使ったつもりなんですが、どうにも愚妹が言う事を聞いてくれないようですので」
口が悪くなり、ベネディクティの拷問器具少女としての本能があらわになる。
「人を殺せなくてずっと閉じこもってたベネちゃんがよく言うにゃ。カルちゃんは外に出てたくさん殺して成長したのにゃあ。屋敷にいたころとは違うにゃ」
「弱い妹程よく吠えるとはまさにこのことですね。第九ドール赫染めの処女」
「べネちゃんこそ、紫電の淑女の力がなまってないといいけどにゃ。以前のべネちゃんならエリックを簡単にカルちゃんに殺されなかったにゃ」
二人の拷問器具少女は罵倒を浴びせるたびに殺意がどんどん高まっていく。まるで水の入ったコップにコインを互いに入れているようだ。
その水が溢れ出した時、殺し合いが始まる。こうなってしまったらもう人には止めようがない。エリックはベネディクティの力になれないのを残念に思いながらもその場から引いていく。
ベネディクティが協力すると言った以上いずれにしろこうなる事は分かっていた。だからエリックはベネディクティを信じることにした。
「ではそろそろ始めますか」
エリックが巻き込まれない位置まで退くのを見てベネディクティはカルスティアに合図を送る。
「こっちはいつでもバッチリにゃ」
二人の殺気が互いにぶつかり合うとコインを入れた水が一気に溢れ出して拷問器具少女同士の殺し合いが始まった。
最初に動いたのはベネディクティだった。地面を蹴り上げ電気を纏って雷の如く走る。その姿は雷獣そのものだ。
「一瞬で肩を付けてあげます」
カルスティアのモデルは鉄の処女。拷問器具の性能からいって射程距離の短い超近距離型だ、一方ベネディクティのモデルはテレフォンという相手に銅線を絡みつけて電撃を流す拷問器具だ。
ベネディクティは体中に巻き付いた銅線を自らに電気を流すことによって雷のような速さを得ている、超攻撃型だ。カルスティアとベネディクティの相性は最悪と言っていい。
ベネディクティは持ち前の速さでカルスティアの正面を回って背後を取る。
「べネちゃんは相変わらず速いにゃ。でも、どこに攻撃が来るか分かればこっちのものにゃ」
ベネディクティが背後を取ると、それを待ち構えたようにカルスティアは口を開けていた。
「べネちゃんは単純だにゃ。カルちゃんの攻撃範囲の短さなら背後を取って叩けば終わりと思っているにゃ」
カルスティアはベネディクティがどこに攻撃するか読み取り罠を張っていた。まるで、獲物を誘い込んで食らう生物のように。鉄の処女という攻撃範囲の短い拷問器具をカルスティアは上手く扱っていた。
「それじゃいただきますにゃ」
鋼鉄の刺が電撃を纏うベネディクティに食らいつくかと思われた。
「フッ」
ベネディクティは涼しい顔をして不敵に口を大きく開けたカルスティアを笑う。
「あなたが私の攻撃に対してそう来ることは読めていました」
「何を言うにゃ。べネちゃんはカルちゃんの罠にまんまとはまっているにゃ」
動揺するカルスティア。ベネディクティの身体はカルスティアの大きな口の中にすっぽりと入っている。口をしめれば確実にベネディクティは壊れる状況だ。
「べネちゃんは高速でカルちゃんに突っ込んで攻撃モーション入っているにゃ。そこからの方向転換なんて無理にゃ」
カルスティアはせかしたようにその大きな口をベネディクティごと閉じる。
しかし、カルスティアの捕食は空振りに終わった。ガチャリと鉄と鉄が混ざり合う音の中にはベネディクティの姿はない。
「だからあなたは第九ドールなんですよ」
ベネディクティはカルスティアが口を閉じたはるか先に移動していた。
「どうしてにゃ」
「簡単な事ですよ。よく私の延長線を見なさい」
「延長線……にゃ」
カルスティアはベネディクティが攻撃の際に施していたそれを見つけた。
「ようやくお気づきですか。注意力が足りませんね」
カルスティアは見たものはベネディクティから出た一本の銅線だった。それがベネディクティから伸びて柱に絡みついている。
「攻撃の際に後ろに銅線を伸ばして柱に巻き付けることによってカルちゃんの捕食から逃れたにゃ」
「そうです。方向転換が出来ないのなら強制的に方向転換すればいいだけです」
ベネディクティはカルスティアの攻撃を受ける前に繋がれた銅線に引っ張られて後ろに後退していた。カルスティアのはるか先に移動したように見られたのはそのためである。
ベネディクティは再度カルスティアに突撃する。カルスティアは口を閉じてしまったことにより先読みして罠を作る事が出来ない。それよりも速くベネディクティの攻撃が当たる。
「あなたは知らないようですから教えてあげます。私が何故第一ドールなのかを」
「そんなの最初に生まれたからにゃ」
「それは正しいようで間違いです。私が生まれて次のドールを生み出すとき私のモデルのテレフォンは除かれました。そうしないと私というコピーが何人も出来てしまいますからね」
ウィルハイム氏は第二ドールを製作するにあたってベネディクティのモデルであるテレフォンを除いて製作した。
そうして、第二、第三と製作された拷問器具は除いて製作することで新たなドールが誕生していった。
「あなたは第八まで除かれてやっと九番目に勝ち上がってきた拷問器具少女です」
ベネディクティが手刀の構えをとりカルスティアをとらえた。
「つまり、私が一番強い」
振り上げた手刀がカルスティアに落とされた。
「待つにゃ」
カルスティアは大きな声で叫んだ。すると、ベネディクティの手刀がピタッとカルスティアの顔数センチのところで止まった。
「べネちゃんたちは他のみんなの居場所を知っているのかにゃ」
「知りません。今はロンドンで起きている殺人を止めることに躍起になっているので他の地方の殺人は二の次です」
真っ先に答えたのはエリックだった。
「そうかにゃ。なら、カルちゃんと取引するにゃ」
「取引ですか」
ベネディクティはいぶかし気に答える。
「そうにゃ。何、簡単な取引にゃ。べネちゃんたちは他の妹たちの居場所を知らない。だけど、カルちゃんは大体は知ってるにゃ」
「他の妹たちの居場所を教える代わりにここであなたを殺さないでほしいという事ですか」
「流石べネちゃん、話がはやくて助かるにゃ。カルちゃんもここで死ぬのは勘弁だからにゃあ」
他の拷問器具少女の居場所を教えるから見逃してくれとカルスティアは提案してきた。これは、エリックにとっても好都合だ。だが、ベネディクティは疑う。
「本当に知っているのですか」
「そんな怖い顔をしなくても、カルちゃんは知っているにゃ。カルちゃんはあちこちで血を求めて彷徨う拷問器具少女だからにゃ。行った先で他の拷問器具少女に会う事がしょっちゅうあったにゃ。なんなら、べネちゃんたちと一緒について行ってもいいにゃよ」
ベネディクティの反応を見るようにカルスティアは目を合わせる。
「……と言っていますがどうしますかエリック」
数秒間ベネディクティはカルスティアと見つめ合うとエリックに聞いてきた。こればかりはベネディクティだけの判断では決めかねるものだ。
「僕は構いませんよ。他の拷問器具少女の居場所が分かるなら大助かりですしね」
エリックがそう言ってカルスティアの取引を受け入れるとベネディクティは今や今かとカルスティアの頭をかち割ろうとしていた手刀を下げた。
「ふぅ、危なかったにゃ。心臓が冷や冷やしたにゃあ」
ベネディクティが手刀を下げるとカルスティアは安堵の息を吐いた。張り巡らされた緊張が一気に緩んだようだ。殺気を感じない。
「ですが一つ条件があります」
「何にゃ、リック」
エリックの事をリックと呼ぶのはベックだけだ。なので、カルスティアがエリックをそう呼んだので少しだけ驚いた顔をした。
「う、うん。けして僕たちの前で人を殺さないと約束してくれますか」
これは条件ではなくエリックからのお願いだった。カルスティアが一緒に同行する以上人を殺してしまうのは避けられない。それをしてしまうと、エリックも流石に擁護できなくなる。
「リックはカルちゃんの殺人を見て見ぬふりをするって事かにゃ?」
「そうですね。けして人を殺すなと僕は言いません。言っても無駄でしょうから」
エリックはベネディクティがエリックを殺すことを受け入れるようにカルスティアの人殺しも受け入れた。異常な事だとは思うが本能に付き従う拷問器具少女にとっては好都合な条件だろう。だが、カルスティアは口を渋った。
「にゃはは、これは傑作にゃ。リックみたいな人間はじめてにゃ。でも、それは困ったにゃあ。カルちゃんも拷問器具少女のはしくれだからにゃ。いつ、理性が暴走するか分からないにゃ」
カルスティアはエリックの反応を見るようにいやらしく、憎たらしい態度でエリックを見つめた。
「駄目ですか……」
エリックは気に病むような顔をしながらもチラッとベネディクティに目線を送る。条件に乗らないとここで殺すとエリックははったりをかけた。
「ああ、待つにゃ。何も約束しないと言っているわけじゃないにゃ。はやまるにゃよ。リックが見ている前では人は殺さないにゃ。我慢するにゃ」
「そうですか。では、僕たちはこれからロンドンに戻るのでついて来てくれますね」
「本当、素で恐ろしい奴にゃ」
カルスティアはぼそりとベネディクティだけに聞こえるようにつぶやいた。
「そうですね。エリックは本当にどこか狂っています。私たちと共に歩もうとして」
ベネディクティはカルスティアに対してそう言葉を返した。
「彼の前では殺さないで下さいね。じゃないと私があなたを抹殺することになりますので」
ベネディクティは残りの言葉を付け加えた。
「分かっているにゃ。それくらいは……にゃ」
カルスティアは大変な事になってしまったと心の中では思いながらも涼しい顔をして答えた。
カルスティアが来て時間を大幅に獲られてしまったがエリックは準備を整え終わる。
三人は荒れ果てた庭園を抜け城門を閉じる。
「さぁ出発にゃ」
手をブルーベルの花の海にカルスティアがかざして先頭を歩いていった。カルスティアのドレスがいつの間にか純白な白に戻っていたけど気にしない。きっとそういうものなのだろうとエリックは受け入れた。
先頭を歩くカルスティアを見失わないようにエリックが続くと、一番後ろにいたベネディクティが立ち止まって屋敷の全容を眺めていた。
「ベネディクティ……」
「いいえ、なんでもありません」
ベネディクティは取り繕った笑顔を見せ振り返った。
「べネちゃんもリックも何してるにゃ。置いて行くにゃよ」
すると、遠くの方からカルスティアの声が聞えた。カルスティアは、すでにブルーベルの海を越えた先にいた。
「さぁ、行きましょう」
ベネディクティは淑女のように歩き出した。その姿は、これから家を飛び出して冒険に出る物語の主人公のようであった。
「行ってきます」
シャーウッドの森を抜けた三人はノッテンガムの駅に来ていた。そこから、エリックの職場があるロンドンまで三時間程度の汽車の旅だ。
エリックは三人分の切符を購入すると待っている二人の元へ足早に行く。なにせ、彼女たちは今世間を騒がせている拷問器具人形なのだ。こんな人が多い場所で殺人衝動が抑えられなくなってしまったら、たちまち駅は血の海に変わるだろう。
「二人とも切符買ってきたよう……って」
「これが、駅、そして人……なんて素晴らしい」
エリックが二人の元に駆け寄るとベネディクティが目を輝かせて人の多さと駅に感動していた。
「本当に蒸気で動く乗り物があるんですね。しかもあんなに人を乗せて、なんて人の世界は凄いのでしょう」
移動手段のない田舎からやってきたというような言葉をベネディクティは次々と吐いていた。
「人、人、人、ああっ、食べたい」
ベネディクティは駅にいる人間をきょろきょろと眺めてはよだれを垂らしていた。
発言だけでも目立つのにベネディクティの格好は気品のあるドレスでそして美しい。人々の注目を集めるには十分すぎるくらい目立っていた。
エリックはそんなベネディクティを見てまずいと思って心を落ち着かせるように止めようとすると先に横にいたカルスティアがベネディクティを促した。
「もうやめるにゃ、べネちゃん。人の世界を見て感動するのは分かるけど我慢するにゃ。じゃにゃいとカルちゃんたちの正体がバレてしまうにゃ。カルちゃんたちはただでさえ目立つのにそんな変な発言していたら余計怪しまれるにゃ。分かったなら、そのよだれを拭くにゃ」
「そ、そうでした」
ベネディクティは我に返るとはしたなく口から垂れていたよだれを拭いた。間一髪でベネディクティが正気に戻ったのでエリックは一安心して安堵の息を吐いた。
「ありがとう、カルスティア。君がいなかったらベネディクティは今頃人を一人殺していたところだったよ」
「別に人の為に止めたわけじゃないにゃ。ベネちゃんの為にやったのにゃ。ベネちゃんがここで人を殺してしまったらカルちゃんも迷惑だからにゃ」
カルスティアはエリックから顔をそらしてそっけない態度を取った。
「優しいですね」
「にゃ、そんなんじゃないにゃ」
慌てたようにカルスティアはエリックに振り返ると否定した。
「ところで、カルスティアは平気なんですか」
エリックは話を切りかえるようにカルスティアに聞いてきた。
「何がにゃ」
「いえ、これだけ人がいるのにカルスティアは殺人衝動が出ないんだなあと思って」
拷問器具少女たちは人を見ると殺人衝動が出てしまう。だから、今現在彼女たちの殺人が絶えないというのに目の前のカルスティアは人を見ても何ともないような様子だ。
殺意を感じない。完全に人の世界にカルスティアが溶け込んでいるのをエリックは不思議に思っていた。
「にゃははっ、これくらいもできずに人間世界を歩き回ってはいけないにゃ」
カルスティアはエリックを馬鹿にするように笑った。
「なぜ、カルちゃんたちに人間が殺されていくか分かるかにゃ。そして、なぜ、カルちゃんたちの所在がつかめないのか」
カルスティアはエリックに対し逆に質問した。
「拷問器具少女たちが人間と見分けがつかないからですか」
エリックは彼女たちと出会う前から持っていた答えを頭の中から引きずり出した。大量に人が殺されて何故彼女たちが所在を掴ませないのか、それは彼女たちが人間と変わらないくらい崇高に出来た人形だからだと考えていた。
「半分正解にゃ。確かにカルちゃんたちは一見人間と見分けがつかないにゃ。だけど、それだけじゃカルちゃんたちは綻びが出てしまうにゃ。だから、人を良く観察して溶け込むのにゃ、人間に」
エリックはそれを聞いて思った。彼女たちは人間が普段する動作を真似て極限までに人間に近づこうとしているのだと。言うなればこれは、学ぶ。人が学校で計算の仕方を学ぶように彼女たちは人を見て学んでいるのだ。
「べネちゃんはまだまだだけど、他の妹たちは全員、人を殺していくうち人間になっていったにゃ。リックたちがいくら探しても見つかりっこ無いように」
どうりで彼女たちを探すのが困難なわけだ。拷問器具少女の恐ろしさをエリックはまた一つ体験した。
カルスティアはエリックに近づいて耳元で言う。
「そして、カルちゃんの獲物は、血で汚れた人間だけにゃ」
そう言葉を残してカルスティアは目的の汽車へと歩いていった。それはまるで得体のしれない狂気が通り過ぎて行くようにエリックは感じていた。
「彼女は穢れた血を求める拷問器具少女なのです。お父様の血を一番好んでいたのはあの子でしょうね。エリックを見て彼女が捕食したのもあなたの過去と力せいでしょう。穢れている血こそが真にあの子を染めさせると思っているのです」
エリックとカルスティアの話を聞いていたベネディクティは『赫染めの処女』の由来を教えてくれた。
何はともあれ三人はロンドン行きの汽車内に入るため順に待っていた。
そうしていると、三人の前に大きな荷物を両手に抱えたふくよかなおじいさんが汽車前で詰まっていた。
しわのないシャツにシュッとしまった帽子、身なりからするにお金持ちには間違いない。
おじいさんは荷物を大変重たそうに持っていたのでエリックは手伝う事にした。
「持ちますよ」
「ああ、ありがとね。優しい紳士さん」
「そんな、紳士だなんて」
エリックは照れ笑いを浮かべてごまかした。だが、カルスティアはそんなエリックを見てじーっと睨んでいた。
殺意は隠しているが完全に獲物を見つけたというよう目だった。しかし、エリックは気にせずおじいさんの荷物を座席まで運んでいった。
「どうもありがとう」
おじいさんにお礼を言われると直ぐにエリックたちも自分の座席へと向かった。
三人が座席に座ると出発を告げる鐘が鳴り汽笛が鳴り響いた。
ロンドン行きの汽車が出発した。
汽車が出発して一時間が経つ。
エリックは出発してから軽く睡眠をとっていた。その間、ベネディクティはずっと窓際で景色を眺めていたようだ。
カルスティアはというと何もせずただじっと座っていて、静かなものだった。エリックはカルスティアと会って間もないがカルスティアがこんなにも黙っているのは珍しいと感じる。
エリックから見たカルスティアの印象はにゃにゃいって猫のように自由な存在だと思っていた。それが、汽車の中ではこんなにもじっとしているなんて、性格が変わったのかと思えてくる。
「ねぇ、ベネディクティなんでカルスティアはこんなにも静かなの」
広大な景色を眺めている時に悪いと思ったがカルスティアの事をよく知るベネディクティにエリックは耳打ちした。
「私にも分かりません。私は移動中もおしゃべりが絶えなくてうるさく感じる汽車内だと思っていました。それが、こんなにも静かだとは思いもよりませんでした」
やはり、ベネディクティから見てもこのようなカルスティアは珍しいようだ。
「なんか、カルちゃんの悪口が聞えるにゃ」
カルスティアはむすっとした顔をして言い寄った。なんだか、機嫌が悪そうだ。
「別に悪口を言っているわけじゃありません。ただ、カルスティアがこんなに静かなのは珍しいなあと思っていただけです」
隠しても無駄だとエリックは思い素直に答えた。今になって、先ほどエリックがおじいさんのお手伝いをした時のカルスティアの顔が浮かんでくる。あの時は別に気にも留めていなかったが原因はそれだろうか。
「僕がおじいさんを手伝ったのが不満だった?」
カルスティアの機嫌をこれ以上損ねないようにエリックは慎重に聞いた。カルスティアを怒らせた場合間違いなくエリックはカルスティアに食べられる。そうなってしまったら汽車は大パニックだ。
「別に……にゃ」
カルスティアは汽車の窓から遠くの景色をうすぼんやりと眺めながら答えた。
「そう……ですか……」
これ以上話すことはないというように会話が途切れた。
沈黙が続く。思ってみればエリックは彼女たちの事をまだ何も知らないと気づかされる。知った気になっていたのだ。彼女たち拷問器具少女という存在を勝手に認知して決めつけていた事を心の中でエリックは恥じる。
「そろそろお腹が空いてきませんか。この汽車には食堂もある事ですしどうです一緒に」
エリックは彼女たちをよく知るため食事に誘った。食事をすればこの沈黙を破って会話も弾むだろうと踏んでだ。それに、食事を通して彼女たちの事をより一層聞けると思っての事だ。
だがそんな考えは人と人だけだと教えられる。
「カルちゃんは別にいいにゃ。食事は人間だけで済んでいるからにゃ。行くなら、べネちゃんと行けばいいにゃ」
カルスティアにきっぱりと断られた。ベネディクティはというと、食堂に興味があるのか連れてってくださいという雰囲気を出している。
「えっと、じゃあベネディクティ行きますか」
カルスティアに遠慮するような態度をエリックは取りながらベネディクティを食堂へといざなう。本当は、カルスティアと話がしたかったのだがこうも断られると強引には連れてはいけない。
「行くにゃ、行くにゃ、そこで人間の血のスープでも飲むといいにゃ」
そんなエリックの態度を煩わしいと感じたのかカルスティアはジョークを言って追い払うような態度を取った。
「心配しなくても、人は殺さないにゃ」
その言葉を最後にエリックとベネディクティはカルスティアをおいて食堂へと向かった。
食堂の扉を開けるとそこは汽車の中とは思えない光景が広がっていた。
小さなシャンデリアが車内を明るく照らし鮮やかな彫刻を模したイスとテーブルが何列にも並び、清潔感のある白のテーブルクロスの上にそれまたくすみ一つないワイングラスが置かれている。
そして、食堂全体を包み込む優雅な音楽が場を引き立てまるで、英国紳士が夜な夜な通う高級レストランに来たかのような気分にされる。
ベネディクティは食堂が包み込む豊かな空間に飲み込まれ棒立ちで眺めていた。
「結婚式の会場にでも来た気分です」
ベネディクティは一言ぽつりと口を開けてつぶやいた。それほど車内の食堂がベネディクティには美しく見えたのだろう。
「結婚式場って大げさですよ。確かにここの食堂は美しいですが結婚式場はこれ以上に美しいです」
エリックも結婚式には参列したことはないがこの食堂以上だとは一目で分かる。それでもベネディクティがそう思うのは仕方のない事だろうとエリックは大目に見る。
「そうなんですね。いつか、結婚式を見て見たいものですね」
叶わぬ夢と分かっていながらもベネディクティは結婚式を見ることに憧れを思う。世界を知りたいと願い外へ出たベネディクティ、その手助けエリックは出来る限りしてやろうとこの時言葉にせずに誓った。
「いつか見られる機会があれば……」
エリックはこれ以上言葉を重ねなかった。
「さて、座りましょうか。ここで突っ立っているのも変ですし。えーっと」
エリックは辺りを見渡して空いている席があるかどうか探した。
すると、エリックの目がぱっと見開かれた。エリックは迷わずベネディクティを連れてそこへと行く。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
軽く笑顔をつくりエリックは挨拶して相席させてもらうように頼んだ。
「おやおや、奇遇ですね。先ほどの紳士さんとそのお連れのお嬢さん」
気のいい返事を返して食事の席に座っていたのは汽車に乗る前にエリックが荷物を運んだおじいさんだった。
ベネディクティはおじいさんに軽くお辞儀した。
「いえいえ、先ほども言いましたが僕は紳士という程の身分ではありませんので」
「そう、自分を卑下なさらず。座ってください。私はちょうど食事を済ませたところですので」
おじいさんは立ち上がると気前よく席を譲ってくれた。おじいさんの出された皿を見るとソースの付いた空の皿だけが残されていた。
「遠慮せず座ってください。食後酒とデザートがまだですよね」
エリックはおじいさんに言った。
「そうですか、ではお言葉に甘えて」
おじいさんはそう言うと席の外側に座った。
「このお方に食後酒とデザートを、あとコース料理を二つお願いします」
ベネディクティもいる事だしあれこれメニューをみて注文するよりもこの方が楽だと思いエリックは注文を取りにやってきたウエイターに言った。
しばらくすると、前菜とおじいさんにはデザートがやってきた。
ベネディクティは綺麗に運ばれた前菜をフォークで丁寧に口に運ぶ。
「美味しいです」
ベネディクティは前菜の感想を言った。どうやら、ベネディクティの口にも合ったようでエリックは微笑んだ。
「新婚旅行ですかな」
おじいさんがそんな二人の様子を見て言う。
「ちっ、違います」
食器を甲高く鳴らしてエリックは顔を赤くして慌てふためいた。
「すみません」
エリックは直ぐに冷静になりレストラン全体に謝った。こういう場では食器を鳴らすのはマナーがなっていないとされているからだ。
「おや、違いましたか。てっきり結婚式後だと思っていたんですが。こんな素敵なドレスを着たお嬢さんが隣にいたので」
何とも今日は結婚式と縁が深いとエリックは思う。ベネディクティの正体を知らずに見たら皆一同にそう言うに違いない。おじいさんは思った通りの事を言っただけだ。
「お褒めに預かり光栄です」
ベネディクティは少し顔をテーブルに向け言う。
「僕たちは仕事でノッテンガムに来ていてその帰りです」
エリックはベネディクティに代わっておじいさんに言う。
「これは失礼しました。ドレスで汽車に乗るお嬢さんなんて結婚式以外に考えが及ばなかったもので」
「こちらこそ勘違いさせてすみません。ところでおじいさんはロンドンへ何用ですか。たくさんの荷物を抱え込んでいましたが」
食事が前菜からスープに変わるタイミングでエリックはおじいさんに聞いた。
「私は絵を売りに行くんです。あの中の荷物はほとんど絵なんですよ」
おじいさんは荷物の中身が何なのか言った。
「画商さんでしたか」
どこかの土地を持った有権者かと思ったが違ったみたいだ。
「いえいえ、画商というものでもありませんよ」
おじいさんは否定した。
「えっ、でも絵を売りに行くんですよね。ロンドンに」
エリックは驚いた顔をした。産業革命で発展したロンドンは世界中のあらゆる芸術も行きかう場だ。そこに絵を売りに行くのだからおじいさんはきっと名のある画商だとエリックは思っていた。
「私は娘の絵を売りに行くだけなんです」
「娘さんの絵をですか……」
興味が沸いたのかベネディクティがおじいさんに聞いてきた。
「娘はね小さいころから病気で外に出られないです」
「それはお気の毒ですね」
エリックはおじいさんの娘に対して同情した。小さい子供に対する世界から与えられた残酷な運命にエリックは感傷する。
「いえいえ、そう暗い顔せずに。娘は絵を描くことが好きでね。外の世界に出られない娘に私が紙と絵具と筆を渡したのがきっかけです。外に出られないなら外の内側から見える景色を紙の中に納めればいいと」
エリックとベネディクティは料理を食べることを忘れ、おじいさんの話を黙々と聞いていた。
「最初は拙いただの絵でした。けれど、娘は毎日描き続けて成長していった。ある時街の酒場に行った時、娘の絵を見せたら大好評で凄く嬉しく思いました。その事を後で娘に話すと娘は笑ってくれました」
おじいさんの笑顔を見てベネディクティはまた一つ世界の美しさを見た気になった。
「外とのつながりが無くても絵さえあれば娘は外とのつながりが持てる。残念ながら娘の命はあとわずかしかありません。だからこれを機に世界の芸術が集まるロンドンに絵を売りに行くんです」
「素晴らしい」
ベネディクティは一言口を手に当てながら漏らしていた。外とのつながりを一切断っていた自分と対比して恥ずかしさがこみあげてきていた。
「誰でもいいから娘の絵を買ってほしいものです。あの絵は娘の魂であり生きた証です」
見ず知らずの誰かが絵を買ってくれることでおじいさんは娘さんが生きていた証拠を残そうとしている。
強い願いと思いでおじいさんはこの汽車に乗っていた。
「おっと長話が過ぎましたな。私はこれで失礼します。後はお二人でごゆっくり」
おじいさんは残りの食後酒を飲み干すと立ち上がって食堂を後にした。
二人はおじいさんが食堂を出るのを確認すると向かい合った。
「娘思いの素敵なおじいさんでしたね。お父様もあんな風に私たちを思ってくれていたでしょうか」
ウィルハイム氏が彼女たちの事をどう思っていたのか今となっては分かりようがない。でもこれだけは言える。
「ウィルハイム氏はベネディクティたちの事をちゃんと見ていたと思いますよ」
エリックは優しくささやいた。
「さて、残りの料理も食べましょうか」
コース料理も終盤に差し掛かり残りはメインだけとなった。白身魚のムニエルがバターの香りを濃厚に匂わせながらテーブルに出される。
エリックはナイフとフォークを使いムニエルを丁寧に切って口に運ぶ。
「悪く思わないで下さい」
ベネディクティが一言ムニエルを頬張るエリックを見て言う。
「何がですか」
エリックは聞き返した。
「彼女、カルスティアの事」
「ああ」
ベネディクティがそう言ったのでエリックは理解した。
「別に僕は気にしていませんよ。人の食事に拷問器具少女を招き入れる方が実際のところ不自然なんですから」
カルスティアが食事の席を断ったのをベネディクティは気にしていたようだ。
所詮は人と拷問器具少女、二つの存在が手を取り合う事なんて出来ないのだ。人を殺して生きるのが彼女たちにとって生きる目的なのだから。
「あの子は血以外で人と関わることが出来ないんです」
「汽車に乗る前もそんなこと言っていたけど詳しく聞いてもいいかい」
エリックが伺うように聞いてくるとベネディクティは姉として答えた。
「私はまだ未熟ですが、妹たちは人の行動を真似てこの世界に溶け込んでいます」
「それは僕もカルスティアから聞いたよ」
「ですがそれは人を殺すためであってなれ合いではありません。人を殺すこと以外で人を真似ることが妹たちは出来ないのだと私は感じました」
「つまり今僕がベネディクティと食事をしているようにはいかないって事だね」
「そういう事になります。私はエリックと共に行くことを決めたので違いますが、妹たちはそのようにはいきません。殺す以外で人と関わってしまったら自分が何者であるか見失ってしまうのだと思います」
ジレンマだとエリックは思った。
拷問器具少女は人を殺すために人になる。だけどそれは、殺すためであって共存ではない。共存で人と関わってしまったらいつしか人となってしまい己の存在理由を失ってしまう事になる。
「そうなる事が妹たちは少なからず怖いのだと姉として感じました。アイデンティティの崩壊とでも言うべきでしょうか」
妹たちが心に思っていることをベネディクティは遠からず見抜いていた。結局のところベネディクティが人を殺したくはないと屋敷に閉じこもっていたように他の拷問器具少女たちもそれぞれ悩みを抱えて生きている。
「それが、カルスティアにとっては血なんですね」
「はい。私はエリックと関わる事で外に出ていますから、もう欠陥品ですけどね。一番最初に出来たものが壊れているのはよくある事です」
ベネディクティは自分を責めるがエリックは少なからず欠陥品ではないと思う。むしろそれはたった一つの希望だ。
ベネディクティこそが人類と共存できるきっかけであるとエリックは信じていた。
「話してくれてありがとうございます。さぁ、ベネディクティも食べて下さい、冷めてしまうと不味くなってしまいます」
手の付けられていないベネディクティの皿を見てエリックは言った。
ナイフとフォークをハの字にして食事終了の合図を二人は告げた。
「人の食べ物は複雑なものですが、美味しいものですね」
「それは良かったです」
エリックがベネディクティを人と同じように接した結果だ。
「さて、戻りましょうか。カルスティアが待っている事ですし」
そう言って二人がテーブルから立ち上がろうとした時だ。
「きゃあああああっ」
車両の奥から悲鳴が上がった。
「……!」
二人は同時に声のした方向を見ると勢いよく立ち上がった。そして、エリックの方が真っ先に冷静になると飛び出すように走った。
「エリック!」
ベネディクティもエリックが走り出すのを見て追いかけ食堂を出る。
走る、走る、声のした方へ。声を聞いてから嫌な予感がエリックの胸を騒ぎ立てる。そうであって欲しくないと願いただひたすらに悲鳴のした方へ向かって行く。
すると、個室の扉の前で顔色を変えたご婦人が立っていた。
「どうしたんですか」
エリックはご婦人に事情を聞く。
「さっ……先ほど……隣の個室から大きな音がして……気になって見に来ましたら……」
その先は言えないと言うようにご婦人はエリックから顔をそらし黙ってしまった。
「個室……あっ」
エリックは個室を見て気づいた。その個室はあのおじいさんの部屋だった。
最悪な想像がエリックの頭の中で浮かばれた。
エリック直ぐに扉のドアノブを握るが鍵がかけられていて扉は開かない。なので、中の様子が見える小窓を覗いた。
「!」
エリックは見てしまった。最悪な光景を。
腹をえぐられ、引き裂かれた内臓。その代わりに詰め込まれた額縁。赤の絵の具がはじけたように個室を彩りながら切り刻まれた絵がナイフでぷすりとまるで展覧されているように張り付けられていた。
おじいさんは一つの芸術作品のように死んでいた。
「なんてことを……」
「エリックどうしたのですか」
呆然とエリックがおじいさんの死体を見るなか、ベネディクティが一足遅く駆けつけてきた。
「死んでる」
小窓から下がりエリックは言う。
すると、ベネディクティはエリックが下がった後の小窓を覗き込んだ。
ベネディクティはゆっくりと小窓から下がる。
「なんてことを、こんな残虐な」
もっと取り乱すと思ったが、以外にもベネディクティは冷静だった。
「どうした」
ようやく騒ぎを聞きつけて、鉄道警察と駅員がやって来る。
「一体何があった」
エリックに鉄道警察が聞いてくる。
「殺しです」
「殺し! そんな馬鹿な事が」
鉄道警察は驚いた様子だったが小窓を覗いて態度が変わった。
「はやくこの個室の鍵を」
駅員がカギを取り出して死体の入った箱が開けられた。
「こりゃあ酷い」
誰が見てもそう思えるほど個室の中は酷い有様だった。
「ご……拷問器具人形だ……拷問器具人形があらわれたあああああっ」
騒ぎに駆けつけた一人の駅員がおじいさんの死体を見てうろたえた。
「待って下さい。まだそうと決まったわけでは」
ベネディクティはそう言うが駅員はベネディクティの言葉など聞かずにパニックに陥った。
「終わりだ。この車内は終わりだ。みんな殺される、うわあああああああああああ」
そう言いながら駅員は走り出していった。
「無駄だよ。ああなってしまったらもうどうしようもない」
経験から来るのかエリックはベネディクティに言う。
「それにこんな残虐に満ちた死体を見てしまったらね」
世界で妹たちが暴れているとは知っていたがここまで浸透していたとはベネディクティは思いもよらなかった。
「いるんですよね、こう拷問器具人形を装った殺人鬼が、ベネディクティは平気ですか」
普通にエリックは話しているがその言葉の奥には間違いなく怒りがこもっていた。それでもエリックは拷問器具少女のせいにされたベネディクティの気持ちを考え擁護する。
「私は平気です。仕方がない事ですから」
拷問器具少女たちがこの世界の悪であることを知り、身をもってベネディクティは受け入れた。
「なんだかうるさいにゃ。何かあったのかにゃ、ベネちゃん」
眠たそうに眼をこすりながらカルスティアがやってきた。駅員の叫び声を聞きつけてきたのだろう。カルスティアはそのまま二人の方へ進んでいく。
「カルスティア、あなたなにもしてない……」
駆けつけるカルスティアを見てベネディクティの声が止まった。
「どうしたの、ベネディクティ」
エリックはベネディクティの様子を見てカルスティアを見る。
「……」
エリックの声が何者かに口をふさがれたかのように出なかった。カルスティアを見て唖然としてしまったからだ。
カルスティアの白のドレスに赤い血の斑点が染みのように大きくついていた。
「どうしたのにゃ、ベネちゃんもリックも鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をして」
何食わない顔をしてカルスティアは二人に近づく。状況が状況なだけにエリックの全身から冷や汗が出る。
「カルスティア、その……」
エリックがドレスについている血について聞こうとすると先にベネディクティが瞬発加速で動いていた。
ベネディクティは寸でのところでカルスティアの首に手を置く。
「わぁっ、何にゃ。べネちゃんそんな怖い顔をして」
カルスティアは自分がなぜ殺されそうになっているのか分からないという態度をとる。
「殺したのですか」
ベネディクティは殺気を出し問う。
「何のことかにゃ」
「その血はどうしたのですか」
「血?」
カルスティアは血と言われて自分のドレスを見た。
「うわあっ! 何にゃこの血」
カルスティアは今気づいたかのような反応を示す。
「とぼけないでいいですよ。あなたが殺したのですよね、あのおじいさんを」
「おじいさん……あああのおじいさん死んだのかにゃ」
全く身に覚えがない様子のカルスティア。
「そうです。それも酷い殺し方で」
エリックは駆けつけると事実を話した。
「それで、カルちゃんを疑っているという事かにゃ」
二人は頷いた。血の付いたドレスを身に着けて現れたら誰だって疑いたくなるというものだ。それに、カルスティアの場合そうしても可笑しくはないと判断できる。
「誤解にゃあ。カルちゃんはまだ殺してないにゃ。このドレスの血だっていつの間にかついていたにゃ」
カルスティアは二人の疑いを晴らすため説得する。
「それにカルちゃんが殺したならドレスが真っ赤に染まっているにゃ」
確かに言われて見ればそうだ。カルスティアの拷問器具は鉄の処女、もしカルスティアにおじさんが捕食されてしまえばカルスティアのドレスは真っ赤で死体は身体のあちこちが穴だらけになっているはずだ。
「という事は、カルスティアは白」
「そうにゃ」
エリックはおじいさんを殺したのはカルスティアではないと認めた。だが、疑問が残る。
「ではこの血は」
カルスティアのドレスには血がついている。間違いなくおじいさんのものだろう。殺していないというならカルスティアのドレスについた血は一体どこから。
だが、そんなこと考えている場所ではない。カルスティアのドレスについた血を鉄道警察が見たらカルスティアは拷問器具人形と確定してしまう。そうなる前に一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。
「ベネディクティこの場で事情を聞くのはまずいです。一旦僕たちの個室に戻りましょう」
「君たち、ちょっといいかな」
鉄道警察が声をかけてきた。
「ベネディクティ、カルスティアを連れて瞬発加速で戻れますか」
ベネディクティは頷く。
「なら、僕が時間を稼ぐので戻って待っていてください」
「分かりました」
「さっきから二人でこそこそと何を話しているにゃ。カルちゃんだけのけ者扱いはずるいにゃ」
ベネディクティは何も言わずカルスティアを抱きかかえた。
「べネちゃん何するにゃ」
「舌を噛みたくなかったら黙っていてください」
ベネディクティがそれだけ言うとカルスティアを抱え紫電となった。
「にゃああああっ!」
エリックが認識した時には遠くでカルスティアの叫び声が聞えていた。
「あれっ、そこにお嬢さん方がいたはず……」
鉄道警察は不思議な顔をしてエリックの後ろを見ていた。
「お嬢さん方なんていませんよ。最初から僕だけです」
エリックは誰もいなかったという風を装い警察をごまかした。
「でも、確かにお嬢さん方が……」
首をかしげる警察。
「それよりも僕に聞きたいことがあったのではないですか」
どうも疑ってかかる警察のお茶をエリックは濁した。
エリックはおじいさんの死体を発見するまでの様子を丁寧にベネディクティとカルスティアの事を抜きにして話した。
一通り話すと用済みになったのか解放され、エリックは自分の個室へと戻った。
「いきなりカルちゃんを抱えて電撃を纏って走り出すなんて酷いにゃ」
個室の扉をエリックが開けるとベネディクティに対しカルスティアが怒っていた。
「落ち着いてください。あの場合はカルスティアのそのドレスについた血を見られるわけにはいかなかったもので」
エリックはカルスティアに事情を話しなだめる。
「そういうことなら仕方ないにゃ。カルちゃんが疑われるとリックもべネちゃんも同罪にゃ」
カルスティアは怒りを沈めてくれたようだ。
「そうなると、無いもない草原で汽車を降ろされることになりますね」
「べネちゃんそれはカルちゃんに対する嫌味かにゃ」
「いえ、そういうわけではありません。それよりもどうでした車内の様子は」
「今警察が全ての乗客たちに事情聴取しているところです。しかし、怯え切っている乗客たちが多いせいでなかなか進んでいません」
拷問器具人形が現れたと駅員が叫んだおかげで車内はパニックに陥っていた。恐怖で警察の聴取を断る乗客が多く存在している状況だ。
車内は閑散とし、まるでゴーストタウンのようになっていた。
「カルちゃんたちが現れたとなればそうなるにゃあ」
カルスティアは当然だという反応を示した。
「いくつかの街をカルちゃんは転々と旅してきたけど、どの街もこの車内のような反応をしたにゃ」
「気楽に言ってくれますね、カルスティア」
妹たちが世界中でこんなにも迷惑をかけているのに対しベネディクティは申し訳なく思う。軽はずみなカルスティアの口調にベネディクティは少しだけ憤怒する。
「そんな怖い顔しにゃい。これは仕方がない事にゃ。カルちゃんたちは明確な人類の敵なのにゃ、恐怖に恐れおののくのが普通の反応にゃあ」
「ですが」
「ですがじゃないにゃ。カルちゃんたちとそこにいる人間が同じ世界で生きられるとか間違った考えを持っているなら今すぐ捨てるべきにゃ。べネちゃん、もしもカルちゃんたちが人を食べなかったらどうなるにゃあ」
「それは……」
ベネディクティは口を閉ざした。人を食べない、そんな事出来るわけがない。拷問器具少女は人を食べることでしか満たされない。
現にベネディクティはエリックを殺さないと外に出られてなどいない。人を食べないではない、人を食べないと生きられないのだ。食物連鎖の人の上に拷問器具少女はいる。
「そうですね。人を食べないなんて一度血の味を知ってしまったからには無理な質問でした」
ベネディクティは自分が人類の敵であると認める。
「やっと夢から覚めたかにゃ」
「ですが、私は分かった上で妹たちを止めます」
ベネディクティの目は明確な覚悟を示していた。妹を殺す事が人のためになるからやるのではない。自分という存在を認めた上で殺すのだ。
「エリックには悪いですが私は妹たちと同じ殺人人形です。人を殺していないからと言って妹と私を分けていました。申し訳ありません」
ベネディクティはエリックに深く頭を下げた。
「大丈夫です。ベネディクティ、あなたはそれでも優しい方です」
「そう言っていただき感謝します」
「それで、べネちゃんもリックもこれからどうするのにゃ。まさか、このままってわけにゃいにゃ」
「「あっ!」」
二人は思い出したように声を出した。もとはと言えばカルスティアが軽はずみな発言をしたのが原因なのだがその事は置いとくとして今は車内の殺人について話し合うのが先決だ。そして真っ先に解決すべきはカルスティアについた血をどうするかだ。
「カルスティアその血のついたドレスを脱いでください。警察に見つかったら今度こそ大変な事になります」
エリックは駆り立てるようにカルスティアにドレスを脱ぐように言う。
「そんなに慌てなくても心配ないにゃ。もうすぐこの血は消えてなくなるにゃ」
カルスティアは焦ることなくゆっくりした態度で言う。
「それは、どういう……」
「説明も何もこの血はもうすぐきれいさっぱりとなくなるのにゃ」
エリックはカルスティアのドレスについた血をおもむろに見つめる。が、いつまでたってもその血が消えることはないと思った時だった。
血の付いたドレスに変化があった。まるで、何かに吸い取られるように血だけが綺麗になくなり、元の純白に輝くドレスに戻った。
「すごい」
エリックはその現象をまじまじと見ていた。
「にゃははっ。驚いたにゃ。このドレスは血を吸う作用があるのにゃ。多分だけど、この作用はべネちゃんのドレスにも備わっているにゃ」
「それでは他の拷問器具少女にも」
「そうにゃ」
カルスティアは自慢げに言ってみせた。屋敷でいつの間にかエリックの返り血が消えていたのはこのためだったのだ。
殺人現場付近で血を浴びた服やそれらしき人物が見つからないわけだ。拷問器具少女が身に着けているドレスは捜査を迷宮へといざなうようだ。
血が消えたことによりこれで一番の問題は解消された。
「カルスティア、僕たちが食事をしている間何をしていたか聞いてもいいかい」
エリックはカルスティアに落ち着いた声で尋ねた。
「何をしていたかにゃんて聞いてもカルちゃんは何もしてないにゃ。ずっとこの部屋にいたにゃあ」
「それなら血はいつ付いたのですか」
嘘は許さないと言った声音でベネディクティが言う。
「だから何もしてないにゃ。カルちゃんは悲鳴が聞こえたから何事かと思ってこの部屋を出たっきりにゃ」
「では血はいつ……」
「思い出したにゃ。カルちゃん、べネちゃんたちと出会う前に人にぶつかったのにゃ」
カルスティアは納得した顔をする。彼女にとってはほんの些細な事だったので忘れていたようだ。
「でもそいつはえらく慌てていてカルちゃんは顔を確かめることができなかったのにゃ。そして、べネちゃんたちと出会ったカルちゃんはそこでようやく血がついていたことに気づいたのにゃ」
「嘘は言っていないようですね」
「じゃあそのぶつかった人が犯人ですか」
「どうなさいます」
ベネディクティは顔を近づけエリックに今後どうするか聞いてくる。ベネディクティはおじいさんを殺した理由を犯人に聞きたそうな目をしていた。
「カルちゃんはそいつを見つけ出すにゃ。じゃにゃいと拷問器具少女としての名折れにゃ」
カルスティアが言った。自分のドレスに血を付け拷問器具少女に罪をなすりつけられたのだ。カルスティアの反応は当然である。
「僕がここで見過ごすって言っても二人は犯人を捜すよね」
エリックが聞くと二人は頷き返した。
「私はどうしてあのおじいさんが殺されなければならなかったのか知りたいんです。いえ、知らなければいけない気がするんです」
ベネディクティは犯人を捜す目的をしっかりと伝えた。知らなければならないと彼女の心が言っている。なら、エリックの取るべき行動は一つだ。
「はぁ、そう言うと思いました。僕も犯人を捜すのに賛成です。それにおじいさんを殺した犯人がまだこの車内にいるのなら行方を暗ます前に見つけ出さないといけません」
「他の乗客が狙われる可能性も無きにしも非ずですからね」
付け足すようにベネディクティが言った。
「そうと決まったら、さっさっと行くにゃ」
カルスティアが立ち上がり個室の扉を開け二人に向かって言う。何ともノリノリな様子だ。
「何所へ……」
エリックが聞くとカルスティアは間髪入れずに答える。
「殺害現場にゃ」
カルスティアの目が赤々と血の色に輝いていた。
車内は閑散としていた。物音一つ聞えず個室の中で乗客たちは息をひそめる。普段の車内なら、まだ移動する足音がたくさん聞えただろう。
個室の外にいるのは見回りをしている鉄道警察とエリックたちだけだ。まるで、誰もいない廃墟の街に足を踏みいれたようだ。
「静かですね。あの場所に佇んでいた時の事を思い出します」
「カルちゃんはこの方が歩きやすいからいいにゃ」
カルスティアの言う通りだ。車内の内情がこの様子だと怪しい目で見られることがない。
三人はおじいさんが殺害された場所へとサクサク進んでいった。
おじいさんの殺害現場の扉の前には見張りの為警察が一人立っていた。
「止まれ、ここに何の用だ」
険しい表情で警察は殺害現場に何の用があって来たと聞いてくる。
「ちゃんと供養しておきたいと思いまして、短い間でしたが車内で親交があったのも一つの縁ですし」
「そうか。そう言えばお前たちは第一発見者であったな。いいぞ、入れ」
警察は三人を疑うことなく中に入れてくれた。中に入ると、いつ見ても酷い有様が散乱していた。
すると、ベネディクティが切り刻まれた娘さんの絵を手に取った。
「この絵をおじさんは売ろうとわざわざ遠いところから出てきたのですね」
もはや原型をとどめていない風景画を見てベネディクティはおじいさんの死を弔う。エリックはそれを見て手を合わせお祈りする。
「そんなことやっている場合じゃないにゃ。さっさと犯人を見つけ出してこんな辛気臭い空気を終わらせるにゃ」
空気を読まないカルスティアの声が飛び込んできて二人は半ば強制的に現実に戻された。
「そう言えば、カルスティアはどうしてここに戻って来たんですか」
殺害現場に行くと聞かされてカルスティアの言うままについてきたがまだ理由を聞いてはいなかった。
「理由なんて一つしかないにゃ。今更過ぎて聞いてくるリックに呆れてしまうにゃ」
気だるげに嘆息しながらカルスティアはおじさんの死体に近づく。
「犯人を見つける以外にこの場所に来る理由があるのかにゃ」
人差し指で血をぺろりと取りカルスティアは邪悪な笑みを浮かべる。
「この殺人は私たちの手によるものではないでしょう。残虐性を真似ているだけでおじいさんの直接的死因はナイフで心臓を一突きです」
人の手による殺人だとベネディクティは断定する。
「そして、カルちゃんは血の味を辿るのが得意なのにゃ」
指についた血を舐めカルスティアは他人には見せられない顔をした。
汽車内の最後尾は貨物室となっている。チェックを終えたら何らかの不備でもない限り目的地にたどり着くまでその扉は開かれない。しかし、その貨物室の扉がぱたりと開けられた。
扉を開けた主は貨物室の更に奥へと行き、外へとつながる扉を開ける。
すると、後ろから不意に声が聞えた。
「こんな人が立ち寄らない場所で何をしているんです」
身体をビクッと震わせ扉を開けた主はゆっくりと振り向いた。
「ごきげんよう。乗務員さん」
微笑みを浮かべてベネディクティが立っていた。
「何をしていらっしゃるんですか」
ベネディクティは聞き返した。
「やっ、やだなあ。見回りですよ。車内に拷問器具人形がいるんですよ。乗客の安全を守るのは当然じゃありませんか」
「どうして拷問器具人形がいると分かるんですか」
「えっ、それはその……あんな残虐な殺人ですよ。拷問器具人形以外ありえません」
乗務員は言葉を詰まらせ少し考えてから、言い放った。
「それじゃあ、何の証拠にもなりませんよ。それに、あなた真っ先に拷問器具人形が現れたと叫んで逃げましたよね」
ベネディクティの後ろに隠れていたエリックが姿を見せる。エリックは確かに見ていた、目の前にいる乗務員が、拷問器具人形が現れたと叫び散らして逃げ去っていったのを。
「おかしくないですか。そんなあなたが乗客の安全を守るために見回りなんて、ねえ、偽物の乗務員さん」
エリックは乗務員が言っている矛盾を突いた。
「それともこう言った方がいいですか。どうしておじいさんを殺したんですか」
「違う! 私はやっていない」
大声で乗務員は怒鳴った。だが、その瞬間ベネディクティが動いた。ベネディクティは瞬発加速で乗務員の目の前に行くと目にもとまらぬ速さで乗務員の首に手を置いた。
「それ以上嘘を言うとあなたの首が飛びますよ。あなたの血が言っているんです。おじいさんを殺したと」
獰猛な眼光でベネディクティは乗務員を睨んだ。
「ホン……モノか」
乗務員は冷や汗を滲ませるとベネディクティの正体を言い当てた。
「はい。私は拷問器具少女第一ドール『紫電の淑女』ことベネディクティと申します。さて、お聞かせ願いませんか、どうしてあの心優しいご老人を殺したのか」
ベネディクティが丁寧に挨拶をすると、乗務員の顔つきが邪悪な鬼へと変貌を遂げた。そして、心の底からの憎しみの肉声が乗務員の口から飛び出る。
「心優しい? あいつが、そんなわけあるかあっ!」
もう言い逃れは出来なかった。乗務員は激しい怒りと共におじさんを殺した事を認めた。さきほどまで平静を保っていた乗務員がこれほどまでに取り乱すとはおじいさんはこの男に相当な恨みを買っていたようだ。
「あのニコニコと優しい笑顔にお前らも騙された口だろ。あいつは人間の皮をかぶった悪魔だったんだよ」
乗務員の言動とおじいさんの姿がベネディクティとエリックは全くかみ合っていなかった。どうして乗務員が、ここまで言い切れるのかも謎である。
「あのおじいさんは身体の弱い娘の事を思って、生きた証を残そうと絵を売りに遠いところまでわざわざ足を運ぶ人です。そんな人が悪魔なはずがありません。ましてや恨みを買うような人ではないでしょう」
ベネディクティはおじいさんの印象を率直に乗務員に伝えた。しかし、乗務員は自分の首が飛ぼうが構わないのか身体ごとベネディクティに乗り出して言う。
「それが全て嘘なんだよ、殺人人形。自分の娘だってふざけんじゃねえ」
このままじゃ火に油を注ぐだけだ。エリックはベネディクティに代わって言う。
「では、聞かせて下さい。あなたとあのおじいさんに何の因縁があるのか」
きっと知らない方がいい事だ。だけど、乗務員をこんなにした世界の歪みをエリックは探る必要があると感じていた。
そして、ベネディクティも知ることになるだろう。外の世界の複雑に満ちた悪を。
「いいぜ、冥途の土産に話してやる」
臆することなく乗務員は口を割る。自分がろくな死に方は出来ないだろうと自覚しているのか自白剤でも盛ったようにすんなりと話し出した。
「俺たち夫婦には一人の娘がいた。生まれつき身体が弱く、外には出られない。けれど、絵を描くのがとても好きな女の子。毎日窓の扉を開けては、風景画を描いていた」
似ている、とエリックは思った。おじいさんが話してくれた娘の話と。こんな偶然がありえるのだろうか。同じ汽車に乗り合わせた中に同じような境遇の娘をもつ人物、あまりにも出来過ぎた話だ。
しかし、その娘の存在が真実を紐解いていく。
「俺たち家族の生活はそんな良くはなかった。娘の治療費にお金を取られ、妻と共働きの毎日。その日暮らしがいいところだった」
まるで見てきたかのように乗務員の家庭の風景がエリックの頭に流れ込んできた。
「それで、あなた方家族はどうされたのですか」
話を痛感して聞いていたエリックに対してベネディクティがその先を聞いてくる。
エリックにはその先家族がどうするのか選択肢が分かる。自分の親のようにみちづれかベックの親のように捨てるかだ。
だが、目の前の家族は違った。
「娘を捨てれば今の生活が楽になる事は分かっていた。でも、出来なかった」
絞り出したように男の口から第三の答えが飛び出した。
「娘を死にさらすような真似なんて、俺たち夫婦にはできなかったんだよ。娘には生きて欲しかった。だから、自分の身を犠牲にしても働いた。この身がどうなろうと娘だけは最後には幸せであって欲しいと願って、笑いたきゃ笑えよ、殺人人形。どうせお前たちにはこの気持ちは分かるはずないんだからな」
「笑いません、あなた方夫婦はとても素晴らしい。私は、過酷な世の中で親に捨てられた人間を知っています。子を捨てることが時代の習わしなのでしょう。しかし、あなた方はそれを拒んだ。誰よりも自分の子の幸せを願って奮闘し生きた、美しい以外の感情を私はあなた方夫婦に持ちえません」
ベネディクティの手は自然と乗務員の首から下へと落ちていた。
「美しい、そんな綺麗ごと今となってはどうでもいい飾りなんだよ。どんなにあがいても戻りはしない」
ベネディクティの言葉は響かず、乗務員はさらに深く闇に落ちていく。
「娘の病気は悪化していった。今ある薬じゃ到底治らないくらいに、だから俺たち夫婦は第三者に全ての願いを託したんだ」
「それって……」
「養子だよ。金持ちの貴族なら娘の病気を治せる薬だって買う事が出来る。別れるのは辛い、だけど娘が生きられるならと養子縁組を出した」
「無理です」
エリックは残酷だが乗務員に言ってやる。
「いつ死ぬか分からない病気の娘を養子にする人間など今の時代見つかるわけがない」
「お前の言う通りだ。娘を養子に出したのはいいが、中々貰ってくれる金持ちはいなかった。そこで最後の手段として娘の絵を見せアピールしたのさ、絵の才能があるって、そしたら奇跡が起きたんだよ」
乗務員は少しだけ明るい表情をした。
「一人の男が娘の絵を気に入って、養子にしたいと言ったのさ。俺たち夫婦はその時は泣いて喜んだ。これで、娘を助けられる」
「それが、あのおじいさんなんですね」
エリックは言った。同じ境遇の娘、乗務員の家庭の話、そしておじいさんとの関係、ここまでくれば話はすべて繋がる。
「そうだ。小さな街の領主だったが金はあった。これで、娘は生きられると思って俺は養子の取引を成立させた。けれど、それが終わりの始まりだったんだ」
乗務員の口から絶望の声が漏れ始めた。
「娘を養子に出してしばらくの事だ。俺たち夫婦は娘の事が気になって会いに行くことにしたんだ。だけど、いざあのいじじいの屋敷に行くと娘はいないと追い返された。そんなはずはないと言い張ると、知らないと屋敷の連中は一点張りだった」
どうか自分たち夫婦に起きた悲劇を聞けとでも言うように乗務員はエリックに自ら近づいていく。
「そこで俺は、屋敷の連中の目を欺いた隙に屋敷に忍び込んだ。するとどうだ、俺はこの世の地獄を見た」
乗務員の目から涙があふれてくる。エリックはこの涙を知っている。ベックが死んだときに流した涙と同じものだ。
「娘は屋敷地下深くの部屋に監禁されていた。食事もろくに与えられていないのか酷くやせ細っていたのを覚えている。食事を与えられないのならまだいい。娘の格好がそれはもう見てられなかった」
屋敷の娘の姿を思い出し乗務員の声が大きくなる。
「裸で娘は部屋から出られないように首と腕と足片方ずつ鎖でつながれていたんだ。想像できるか、裸なんて、まるで動物のような扱いを娘は受けていたんだよ。とても、悪趣味な光景だったよ」
エリックは己の過去の幻影を見た。
「食事は一日一回、何の栄養にもならない、水と小麦粉を固めて焼いたものだ。それ以外は絵を描いて娘は一日を過ごしていた」
だいじょうぶ……だよね?
ぶっ……ひっく。
ぐすっ、うぅう。
「今でもあの部屋で泣きながら絵を描いている娘の姿が頭から離れない。泣いている娘を見て思ったよ、人間なんて嫌いだ。殺してやる、娘をこんなにしたあのじじいを」
乗務員の憎悪と悲しみがエリックとベネディクティにぶつけられる。これがおじいさんを殺した真実だった。けれど、ベネディクティは平静を保ったまま聞く。
「娘さんはどうなったのですか」
普通の人だったら聞かない事をベネディクティは聞いたのだ。エリックだって娘さんの安否など聞かないだろう。容易に想像できるからだ。
「死んだよ」
風船からゆっくり空気が抜けるみたいに乗務員は言った。
「これで満足か。殺人人形、お前らと違って俺には殺す理由があったんだよ」
自分を正当化するように乗務員はベネディクティを卑下した。
「おじいさんを殺した理由は分かりました。しかし、一つ分からない事があります。なんで、娘さんの絵をあんなバラバラに切ったんですか」
ベネディクティはおじいさんの殺害現場に張り付けられていた娘さんの絵と思われる物の事を言っているのだろう。あれは単なる拷問器具人形の仕業にするための見せつけだとエリックは思っていたがベネディクティは他に思う事があるみたいだ。
「あの絵はどんなに過酷な状況でも生きたいと願った、娘さんの最後のあがきだったんじゃないですか。その生きた証をあなたは切り刻んだ。どうしてですか」
「違う。あんなのは生きた証じゃない。あのじじいの屋敷で描かれた絵は全て娘のものではない。汚らわしい物だ。だから、俺は全て壊したんだよ」
「哀れですね」
ベネディクティはぼそりと呟く。死んだ見たことの無い娘さんを思っての事だろう。しかし、乗務員の男にはそれすらも通じないらしい。
「哀れだと何とでも言え! 俺はもう人の道から外れているんだよ」
乗務員はナイフを持ちエリックに向かっていった。
咄嗟の事でエリックの反応が遅れる。エリックにナイフが当たるのは免れない。
「危ない」
ベネディクティが瞬発加速で動く。エリックにナイフが当たる直前ベネディクティが一瞬にしてエリックとナイフの間に割り込むとエリックを抱きしめベネディクティは加速しエリックごとその場を離脱した。
死なないはずのエリックを守ったのだ。
乗務員はそのままエリックたちを無視して貨物室から出ていった。
「ありがとう……」
エリックは自分を守ったベネディクティに対し礼を言う。
「どうして僕を守ったの」
エリックが死なないのはベネディクティも百も承知だ。しかし、エリックはこうして守られた。あまりにも不思議な光景だったのでエリックは聞いてみた。
「いえ、私にも何が何だか……どうして助けたと聞かれましても……」
ベネディクティもどうしてエリックを守ったのか分からないらしい。
「下ろしてくれますか。それよりも乗務員を追わないと大変な事になります」
そうして、二人が乗務員を追おうとした矢先だった。
「ぎゃあああああああああああっ!」
鈍い音と共に乗務員の悲鳴が聞こえた。
汗がどこからともなく流れ出す。息を切らし、乗務員の男はただ闇雲に走っていた。
「クソっ、クソっ、クソがああっ」
どうして、自分が走っているかもわからずにただ前につき進む。この先自分がどうなるかなんて分かっている。けれど、暴言を吐かずにはいられなかった。
「なんで本物がいる」
己の事を哀れだと言う殺人人形の顔が頭の中をチラつかせる。
「娘はもう戻らねえ、仕方ないじゃないか。絵なんて取っといてもこっちは辛くなるだけなんだよ。娘の生きた証じゃなく、生きた娘を、元気に外を走り回る娘を見たかったんだよ。絵さえなければこんなことにもならなかったんだよ」
娘が死んだきっかけを娘の絵に父親はなすりつける。養子に出そうなんて考えなければ、あの絵をおじいさんに見せなければ、情けなく後悔だけが今になって溢れてくる。
「チクショウ!」
ドアを蹴破り、別の車両に乗務員は移った。
そうして、車両に乗り移った時だった。まるで、乗務員を待ち構えていたかのように車両の天井から乗務員めがけてカルスティアが落ちてきた。
グシャ、グチュ、と身体からきしむ音を出しながら乗務員は悲鳴をあげ、命がかき消えた。
「カルちゃんの獲物を横取りするとはいい度胸にゃ」
そこら中に穴の開いた死体を見つめカルスティアは見下した。真っ赤に血に染まったドレスはトマトソースを頭からかぶったみたいに鮮やかに白の部分をなくしていた。
「これは……」
エリックとベネディクティがやって来て惨状を目にした。
「やっときたかにゃ、べネちゃん、リック」
「やったのですか」
乗務員だった者の死体を見つめベネディクティはカルスティアに低い声で聞く。
「カルちゃんの獲物を略奪した罰にゃ。それに、あの老害を殺した時点でこいつもカルちゃんの標的にゃ」
「聞いていいですか」
顔を死体に向けながらエリックが言う。
「何にゃ」
「カルスティアははじめからおじいさんが人殺しだと知っていたんですか」
「血の臭いを嗅げば当然にゃ。はじめに会った時点でこいつは穢れた血の持ち主だと分かっていたにゃ。でも、あそこで殺すのはやめといたのにゃ」
「いずれ殺すつもりだったと」
「ロンドンについたら殺す予定だったにゃ。ロンドンには姉妹がいるにゃ。たった一つのおかしな死体があってもそいつのせいにすれば丸く収まるにゃ」
カルスティアは自分に罪はないといった様子だ。それどころか他の姉妹のせいにしようとしていたらしい。
「ところで、リックはカルちゃんを殺すかにゃ」
「いいえ」
エリックは首を振った。カルスティアをここで殺しても何の意味がないと瞬時に理解できたからだ。
おじいさんも乗務員も時代が生んだ哀れな犠牲者だった。そして、何よりも一番被害を被ったのは娘さんだろう。
娘さんの絵をエリックは思い出す。夕焼けをバックに家が描かれていた。あの絵は間違いなく自分の家だろう。養子に出される前に見た家を記憶の中から絵に流しこみ、帰りたいと願った悲しい絵。
それを実の父親が壊してしまったら何の報いもありはしない。結局のところ、娘さんの思いを無駄にしたのは実の親だったのだ。
「最後に言っておくにゃ。これがカルちゃんたちの本能にゃ」
血を顔につけカルスティアは冷酷にささやいた。
この時エリックは本当の意味で拷問器具少女の真の姿を見るのだった。