第一話 紫電の淑女
「はぁーはぁー、うぅ……暑い」
大粒の汗をかきながらエリックは先の見えない森の中を歩いていた。
「本当にこんなところに屋敷なんてあるのかなあ」
彼、エリックが歩いている森は都市ロンドンから北に離れたノッテンガムの王室林であるシャーウッドの森だ。
エリックはイギリス政府の命によりこの森のどこにあるとも分からない、リカード=ウィルハイム氏の屋敷を目指してかれこれ一、二時間延々と歩いている。
石畳で舗装させていない道は、鬱蒼としげる原生林が躍っており、のびのびと枝を伸ばす樹が頭上を覆い隠す。わずかな木漏れ日だけが道とも思えない道にささやかな光りの切れ端を形作っていた。
歩きにくいことこの上ない。
都会生活のエリックはこの自然の洗礼に音を上げ始めていた。
「ぜぇ、ぜぇ」
バタン。
とうとう、エリックは歩く力をなくし地面にへたり込んだ。
「まだ春先だというのにどうしてこんなに暑いんだ」
息を切らし、エリックはこの異常気象の暑さを嘆く。
水筒を手に取り水をエリックは口に運ぶが、ポトン、と舌に一滴しか水が落ちてこなかった。
「もう、空っぽか……」
森に入るまでは満タンだったはずの水が一滴も残っていなかった。この暑さにより水を飲むペースが増したせいだろう。
「ああ、くそっ」
エリックは苛立ち、水筒を青々と生い茂る草の中に投げつける。
「大体どうして、僕がこんな目に合わなきゃいけないでしょう、はぁ……」
重いため息を漏らしエリックは大の字になり寝転がる。
木漏れ日の隙間から青い空をしばらく見つめ心を落ち着かせるとエリックは立ち上がり、再び歩き出した。
「いくら考えても分からない事にへこんでいてもしょうがない」
前向きに考え、エリックは更に森の奥へと進んでいった。
それから、一時間が経過した時、水の流れる渓流をエリックは発見した。
「わぁーこんなところに渓流があったなんて……」
目を輝かせエリックは流れる水に向かって走り出した。
そして、渓流につくと、手で水をすくい飲み始める。
天然の水が砂漠のようにカラカラになったエリックの喉に潤いを取り戻し、疲れた体を癒す。
エリックは水を飲み終えるとようやく周りを気にしはじめる。
「綺麗なところですね」
エリックの周りには青色のカーペットを敷いたようにブルーベルの花が咲き乱れていた。
絵本の世界に入り込んだように一面青で覆い尽くされている。
アイルランドではブルーベルが咲き誇る場所には妖精がいると言われ別名『妖精の花』と呼ばれている。
「妖精がいても不思議ではないですね。こんなにもブルーベルが綺麗だと」
などとエリックは冗談を言いながら渓流の流れる方向に目を移す。
水の流れる方向を辿っていくと……。
「あった。屋敷だ」
まるで、妖精がエリックをブルーベルの花で導くように目先には目的の場所が見えた。
「幻覚、じゃないよね」
目を何度もこすりながらエリックは確かめるように屋敷を凝視する。
何度もこすり、視界が変わらないのが分かると、エリックの表情が明るくなった。
「やった。やっとたどり着いた」
荷物をまとめエリックは招かれるように青の絨毯を走り出した。
「はぁ、ここがリカード=ウィルハイム氏の屋敷……」
門の前にエリックがたどり着くとその大きさに目を丸めていた。
「間近でみるとでかいなあ」
門から見える広大な庭は何年も手入れされていないせいで廃れているが、きっと数年前までは一面に緑と花が織りなすコントラストで見る人を魅了していただろう。
そして、何よりも屋敷だ。一面白で塗りつくされた洋館はファンタジー世界のお姫様のお城を思わせる。
ロンドンにある宮廷にも匹敵する優美かつ豪華な外観だった。
「僕なんかが入って場違いじゃないかな」
自分の自宅の小ささを思い出し、目の前にある屋敷とエリックは比べ頬を人差し指でかきながら焦りとちょっぴりの汗を垂らす。
「しかし、まあここまできて引き返したら元も子もないし、入りますか」
ギィーギィーと鈍い音を立てながらエリックは鉄格子で出来た扉を開けた。
そこから一歩足を踏み入れるとまるで世界が変わったような空気がする。
屋敷の庭は人の気配などなく閑散としていた。
「お邪魔しまーす」
とは言いうものの誰もエリックの声に反応する者はいない。
辺りをきょろきょろ見渡しエリックはまっすぐ本館へと向かう。
「誰もいないようですね……」
そうして、辺りを警戒しながら歩いていくうちに屋敷の扉の前までたどり着いた。
エリックの目の前には重くずっしりとした扉が待ち受けていた。
ごくりと息を飲み込み、覚悟を決め、ドアノブへと手をさしかける。
「大丈夫、落ち着け……」
声を出し精神を落ち着かせるといざ、エリックは扉を開いた。
すると……。
バサバサバサ、と黒い小さな塊がエリックに向かって羽音をたてて飛んできた。
「わぁっ!」
エリックは驚いて、その黒い塊を振り払うと勢いで屋敷の中へ。
バキッ。
「へ?」
屋敷の中に入ると何やら足元から鈍い音がして、足を取られエリックはピタゴラ装置のように穴に落ちてしまった。
「いったたたあ……」
屋敷が古いせいもあって建物の中はもろくなっているのだろう。
落ちた穴から足を外しエリックは立ち上がる。
「なんだ、コウモリか……」
屋根の部分を見るとコウモリがエリックを睨んでいた。先ほどの黒い物体は屋敷に住みついたコウモリだったようだ。
「脅かせてごめんよ」
エリックはコウモリに一言謝るとボロボロの屋敷を視察しはじめる。
「ホラームービーの建物ようですね。本当にこんな場所にいるんでしょうか」
エリックがこの屋敷に来た目的はある人を見つけるためだ。
リカード=ウィルハイム。
彼は今、ヨーロッパを狂気と混沌の渦で騒がせている、拷問器具人形の製作者なのである。
そんな、製作者の彼に会えば拷問器具人形の対処の仕方が分かるはずと、なんとも単純な考えでエリックはこんな森の奥へと派遣されたのである。
だが、ウィルハイム氏の居場所を誰も知らなかった。
そんな政府が拷問器具人形の対応に追われている数日前、ハイム氏はシャーウッドの森に屋敷を構え暮らしているという情報が入った。
政府はそんな嘘かまやかしかもしれない情報に望みを託し、エリックを派遣することにしたのだ。
「室長も人が悪いよ。なんで、僕一人だけ派遣するんだか、あと二、三人は必要でしょ、こんな重要な任務」
エリック一人だけを派遣することになったのは人数不足だという事をエリックは聞かされている。が、本当は政府が切羽詰まっていたという事実をエリックは知っていた。
「こんなどこの誰が流したか分からない根も葉もない情報をよく信じる気になったものですよ。だけど、当たりを僕は引いてしまったようですね」
本当は当たって欲しくなかったというように独り言をつぶやきエリックは屋敷の中をくまなく探した。
足元に注意しながら、キッチン、書斎、リビング、倉庫とありとあらゆる場所をくまなく探したが人の影は見当たらなかった。
あちこちウィルハイム氏を探しているうちに数時間が過ぎた。
「はぁ」
エリックは疲れたように息を漏らし、
「こんなボロ屋敷に人が住んでいるわけありませんよねぇぇぇぇぇぇっ!」
屋敷にきて最初に思ったことをエリックはとうとう吐き出した。
「こんなこと分かり切っていたでしょうに。確かに屋敷は本物です。だけど、この壁の穴とコウモリ、人が住んでないのは明らかじゃないですか。大体こんな森奥に人が住むなんておかしいでしょ」
判断力が低下しているのかストレスが限界に達してエリックは遠くロンドンの彼方にいる上司に向かって叫び散らす。
「普通に考えれば分かるでしょ、人が住んでないことぐらい。屋敷も庭もボロボロだ」
エリックは最初からそんなこと等に見抜いていた。ここには人なんていない。だけど、拷問器具人形に関する資料があると思い屋敷を探したが、そんなものは一つたりともありはしない。この屋敷はとうの昔に廃墟になっていたのだ。
エリックの長旅は無駄に終わり、疲れだけが溜まった。
「ああもう、政府はいい加減なんだから」
思いの丈を叫んだあとようやくエリックは静まり返る。
「もういい最後の寝室を調べてさっさとこんな場所から出ましょう、気味悪いですし」
エリックの顔はもうやる気をなくしていた。期待に胸を膨らませて屋敷を見つけて走り出した時の顔が嘘のようである。
力の抜けた体を起こしてエリックは寝室へと向かっていった。
「調べるところはまだあるけど、これで最後です。どうせ、何もありはしないだろうし」
仕事放棄とみなさせてもここにはエリック一人しかいない。なので、戻った後、何もありませんでしたと平然と嘘をつけば何の問題はないとエリックはこの時思っていた。
寝室の扉をあけ、中を見ると思った通り何もなかった。
あるのは羽毛が飛び散ったベッドと壁によりかかった本棚だけ、これといっておかしなことはない寝室だった。
中に入って、隅々まで確かめる。
そうして、エリックが羽毛布団に手を置いた時だった。
おかしな事に気がついてしまった。
「ベッドがわずかに傾いている……」
本棚は水平に保っているので屋敷自体が傾いていることはない。
という事は……。
急いでエリックはベッドの足の板を見る。
そうすると、ベッドが右の方に僅かに傾いているのが分かる。
「となると右に何らかの仕掛けが」
そう思って、エリックは寝室の右側を重点的に調べ始めた。
壁のブロックを一つ一つさわって確かめるうちに、不自然にせりあがるブロックを一つ探し出した。
「見つけた」
そのブロックに手を当てエリックは押す。
「かたっ」
何の力もなしに押せばいけると思ったのだがブロックは案外丈夫で動かなかった。
「こういう仕掛けは見つけたら簡単に開くものじゃないですかね……」
一体作った本人は何を考えていたのやら、機能不全をいいところだ。
今度は、力強くエリックはブロックを押した。
すると、あら不思議、かのお約束の通り、ゴゴゴゴと本棚が動いて地下へと続く階段が現れた。
こうして、簡単に階段が現れてしまうとなんのカタルシスもないというものだ。
ミステリー小説なんかで言えばこういう場面こそが重要になってくるというのになんともあっさり解決してしまった。
現実は小説よりも奇ではなかった。
「…………」
あまりにも気楽にあっさりと見抜いてしまったのでエリックは言葉を失ってしまった。
「やっちゃった……」
好奇心からとはいえ自ら死地に入ってしまったとエリックは後悔する。
階段から漂う空気は明らかに異質だった。
奥底から亡者のうめき声が聞こえてくるような、死の香りがエリックの鼻をつまらせる。
さしずめここは地獄の門だ。ここから先へ行けば二度と戻れないというようにエリックの足をすくませている。
だが、エリックはこの感覚に懐かしさのようなものを思い出していた。
「久しぶりだな……この空気」
階段を見てしばらく感慨にふけ込むとようやくエリックは一歩階段を下り始めた。
パタンパタンとどこまで続くか分からない階段をエリックは下りる。
下へ下りるにつれて異質な空気はどんどん濃くなっていくのを肌で感じ呼吸するのが難しくなっていく。
「これは、本当にマズイですね」
自然とエリックは口に手をやって唇と鼻をふさいだ。
ここからでも、エリックには分かってしまう。この先で待ち受けているのは得体のしれない何かだという事を。
「引き返せばよかったかな」
そうは言うものの、エリックの足は引き返すどころか下へ下へと足を動かすのを辞めない。何かに誘導されているようにその足は目的地にたどり着くまで止まらないだろう。
そうして、数分後ようやく光りが見えてきた。
エリックは長い洞窟のトンネルをくぐり抜けるように光を渡った。
そこでようやく足が止まり、当たりの景色を見る。
「ここは……」
エリックが見たものは瓦礫、いや違う。
壊れた人形が積まれる白い山だった。
「ここで、拷問器具人形が作られていたのは間違いないようですね」
一目でエリックは理解できた。白の破片で覆われた地面は砂浜に散らばった貝殻のように薄く研ぎ澄まされて、山のように積まれた人形は縄文時代の遺物、貝塚のようだった。
だが、あくまで作られていた、である。
地下の空間は、もぬけの殻と化していたのだ。
パキッパキッと破片を踏みしめエリックは空間全体を見る為奥へと進む。
すると、パキッ……。
エリックの破片を踏む音が止まった。
突き進む先、誰もいない空間に人がいた。
「…………」
息をするのさえ忘れるくらいエリックは魅了される。
亜麻色のセミロングのウェーブがかった髪に深い海を連想させる緑色の瞳。そして何よりも彼女を象徴するかのような白と黒のドット柄のドレス。物語の女王様をイメージさせるような気高さがあった。
だけど、その瞳の先に見つめるはどこかはかなさと切なさが混じった、少女がいた。
「いけない、いけない」
舐めまわすように彼女を止観していること数分エリックは首を振り意識を身体に戻し始める。
血が通っていないように動かない彼女。人間なのか疑わしい。
彼女が何者か探るようにエリックは慎重に話しかけた。
「こんにちは、お邪魔しています。あなたは、この屋敷の方ですか……」
「……」
無反応。
「聞こえてないのかな」
今度は近づきながら話してみる。
「すみません。ここは、リカード=ウィルハイム氏の屋敷であっていますよね。僕は、エリック=ウォーカーと言います」
すると、動かなかったはずの彼女の首がエリックの方を向いた。
「人……」
今にも消え入りそうな声でエリックに向かって彼女は言葉を発した。
「なんだ、話せるじゃないですか。綺麗に保管された人形かと思っちゃいましたよ」
軽く笑顔を作るとエリックは更に彼女に近づいた。
「突然、お邪魔してすいません。僕は、政府の命によりリカード=ウィルハイム氏に少しだけお話を伺おうやってきたんですが……」
警戒は解いていなかった。
だが、エリックが次の一歩を踏み入れた時、
「来ないで!」
彼女が大声でエリックに向かって叫んだ。
「えっ!」
バキッ、とエリックの足が破片を踏んだ瞬間、真横を何かが凄まじい速さで通り過ぎた。
「……」
口を閉じ、エリックは何かが通り過ぎた横を見る。
しかし、何もなかった。
再び彼女の方を向くと、何やら焦げ臭い匂いと摩擦熱で出来た黒い跡が地面に作りだされていた。
「来ないで」
今度は忠告するように彼女は言う。
エリックは今自分がどういう状態にあるか気づいていなかった。
だが、左腕を動かそうと脳へと伝達した時だ。
「動かない」
動かないというよりは反応しないといった感じだ。
恐る恐るエリックは左腕を見る。
左腕は焼き斬られたようにエリックの胴体から離され、地面に落ちていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
遅れて痛みがやってきた。
足の力が一気に抜け落ち倒れ込む。
ない左腕を右腕で押さえながら、エリックは彼女に近づく。
「君は何者なんだ。リカード=ウィルハイム氏どこに……」
こんな状況になりながらもエリックは恐怖に怯えず仕事優先といった様子だ。
だが、エリックの言葉を彼女は聞いてなどくれなかった。
「来ないで下さい」
今度は否定だった。
それと同時に、右足が切断された。
「がっ」
痛みをこらえながら、エリックは彼女に近づいていく。
「来ないで」
「がぁぁぁぁっ」
次は左足がやられた。
彼女に向かってエリックは右腕を伸ばす。
「君は誰」
「来ないで、来ないで、来ないでーっ!」
右腕が失われ、血が目に飛び散った。
エリックが、最後に見た光景は涙を流す女の子の姿だった。
そして、エリックの意識がブラックアウトする。
吹き飛んだ男の人の頭を見て彼女は自覚した。
やってしまった。
今まで感じたことの無い感覚が全身へと押し寄せてくる。
「あは、あははっ」
自分でも訳が分からないうちに自然と笑い声を彼女は漏らした。
これが快楽というものなのだろうか。
とても気持ちいいと感じてしまっている。
「あはっ、あははっ」
笑い声が止まらなくなってきた。
これほどに人を殺すことが気持ちいいものだなんて、否応なしに胸が高鳴ってしまう。
だけど、それと同時に自分が自分ではいられなくなってしまったという後悔と懺悔する心が彼女に芽生えた。
「絶対に人を殺さないと自分の心と約束したのに……」
笑いながら涙を流し彼女は誰に向けてか分からない言葉をつぶやく。
油断した。
この場所に、あの人以外の人が来るなんて思いもしなかった。
いざ、人が来てみるとこの通りだ。
衝動を抑えられなくなり赤の絨毯を作ってしまった。
私はとっくに壊れてしまっていた。
「ごめんなさい」
と名前も知らない男の人に彼女は謝る。
そして、
「ごめんなさい、私」
手で顔を覆い自分自身に謝る。
後悔と快楽が混同して、制御が効かなくなる。
「ああっ、ごめんなさい。ひゃはははっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
子供が母親に泣きながら謝るみたいに彼女は泣きながら謝り続けた。
「酷い死に方だった」
すると、彼女の泣いている前で男の声が聞えた。
左腕で首をおさえながらエリックは膝をついて座っていた。
「この感覚、いつぶりでしょうか」
先ほど、吹き飛んだ体の部分を丁寧に動かしながら、胴体への癒着をしっかりとエリックは確かめる。
「よし、大丈夫ですね」
「あなた、どうして……」
「ん」
エリックが声のした方を振り向くと、白黒のドレスを着た彼女が目を丸くしてこちらを見ていた。
「ああ、やっと言葉が通じましたね」
エリックは笑顔で彼女を見つめるが、彼女は引きつった顔をしていた。
彼女がそうなるもの当然だ。
何故なら、エリックは先ほど腕と足、頭を切られ死んだのだ。
それがどうしてか、五体満足な様子で彼女の前に再び現れている。
血の絨毯はそのままだ。先ほどの彼の死は事象としてあったものだと証明している。
彼女は恐ろしいものを見るような目でエリックに尋ねる。
「あなた人間ですか」
そう聞かれエリックは少し驚いた顔をするが、直ぐに真顔に戻ると答えた。
「ええ、正真正銘人間ですよ」
「じゃあどうして、あなたは頭を吹き飛ばされ死んだはずなのに生きているんですか」
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたね」
彼女の質問にエリックはやさしい声で謝った。
「あなたが驚くのも無理はありませんよ。僕はちょっと特殊で死なない身体なんです」
とエリックは彼女に向かって言った次の瞬間、エリックの頭が再び吹き飛んだ。
「あ」
素っ頓狂な声を漏らし彼女は無意識で彼の頭を吹き飛ばしてしまったと気づく。
「またやってしまった」
けして、油断したわけではない。だが、彼が死なない身体なんて言うものだからこちらも身体が反応してしまった。
すると、コトコトコトコトと吹き飛んだ方角から転がりながらエリックの頭が帰ってきた。
下手なホラー映画よりも恐ろしい光景だ。
頭はそのまま、首なしの死体に乗ると、くっ付くように胴体とつながった。
「酷いじゃないですか。いきなり人の頭を吹き飛ばすなんて」
怒った顔をしてエリックは彼女に文句を言ってやった。
「すみません。死なない身体だとあなたが言うものだから、つい……」
後ろめたさを彼女は感じてエリックから少し遠ざかる。
「だけどこれで分かってくれました。僕が不死なんだと」
「ええ」
何とも信じがたいが、目の前で起こったことに嘘偽りはない。納得しきれない彼女の声が広く白い空間に木霊した。
「改めまして、僕はエリック=ウォーカーと言います。イギリス政府の拷問器具人形対策室から参りました。以後、お見知りおきを」
エリックは何事もなかったかのように自己紹介をはじめた。
「あっ、はい……エリック=ウォーカー、さま……」
どこか曖昧な返事で彼女はエリックの名をフルネームで復唱する。
そんな彼女の反応に不思議に思ったのかエリックはうかがった。
「うかない顔ですね。どうかしましたか」
「怖くないのですか」
「……?」
何事もなかったかのような表情でエリックは彼女を見つめている。
「私は一度ならず二度もあなたを、殺し、たんですよ」
そう彼女が言ってエリックもようやくピンときた。
「ああ、すみません。僕、こんな身体だから気づきませんでした。怖いかと聞かれると僕はそれほどあなたに恐怖を感じていません」
「どうして」
納得がいかないのか彼女はすぐさま理由を聞いてきた。
「だってあなたは今こうして僕と会話しているじゃないですか」
それがエリックの答えだった。
「こんな僕と当たり前のように会話をしている。恐怖など感じるはずがありません。それにあなたは僕を殺した時泣いていたじゃありませんか」
それを聞いて彼女は自分が人を殺すことにためらいを感じていた事を思いだした。
「あなたは泣きながら僕に謝ってくれた。そんな心の優しい人に対して僕は嫌悪も恐れも抱きません。それに今あなたは僕を殺したいと思っていないでしょう」
「……はい」
意外と素直な返事が彼女の口から漏れた。
「それじゃあ、あなたの名前を教えて下さい。見たところあなたは僕たちが言うところの拷問器具人形ですよね」
彼女が何者かエリックは言い当てた。そして彼女はそれに頷いて自己紹介を始める。
「はい、私は世間が言う拷問器具人形、名を第一ドール『紫電の淑女』ことベネディクティ、この世で最初に生まれた拷問器具少女です。先ほどはとんだご無礼をいたしました、エリック=ウォーカー様」
ベネディクティはスカートを少し上げメイドのようにカーテシーをしてエリックに改まった挨拶をした。
「そんなかしこまった挨拶をされるとなんだか恥ずかしいですね」
「そうですか。私は、死をも恐れないあなた様の図太さに感服いたしましたけど」
「それ、褒めていませんよね」
異常者を見るような目でベネディクティはエリックを見ていた。
「エリック様はお父様、リカード=ウィルハイムに会いに来たのですよね」
「様はよしてください。あまり他人にそんな風に言われた事ないので」
「分かりました、エリック。では、単刀直入に申し上げます。お父様、リカード=ウィルハイムは死にました」
感情を押し殺してベネディクティは答えた。
「やっぱり……」
エリックは八割型分かっていた。荒れている屋敷を見れば当然だ。それに、目の前にいるベネディクティがそれを物語っている。
「こんな何もない辺鄙なところまでわざわざ来て下さったのに申し訳ありません」
「いえいえ、そんな滅相もないです。いけないのは下調べもせずに政府が僕をここに派遣してきたのが悪いんですから」
ベネディクティの悲しげな顔を振り払うようにエリックはごまかした。
「それにしても、そうですか。リカード=ウィルハイム氏もう……」
彼の死を聞いてエリックは一気に疲れが舞い込んでくる。
「結局水の泡だったってことですね。何て室長に報告するべきか……」
「ごめんなさい」
がっかりのエリックにベネディクティは謝る事しかできなかった。
「ベネディクティが謝る必要はありませんよ。あまり自分を責めないで下さい」
「いえ、こうなったのも私がしっかりしていれば……」
どこか意味深な言い方をしてベネディクティは話を濁す。
「ベネディクティ、あなたは……」
エリックが次、言葉をかけようとすると、ベネディクティは明るい顔でエリックに尋ねた。
「話のはしを折ってしまいすみません。それよりも聞かせて下さい。外の事を、いえ、妹たちの事を……」
それは、ある日突然に起こった。
イギリスの首都ロンドンで女性の変死体が発見されたのだ。
手と首がもぎ取られたようにバラバラの死体。服はボロボロで擦過傷が生々しく浮かび上がっていた。
その死体が発見された直後からヨーロッパのあちこちで次々と奇妙な死体遺棄事件が起こり始めた。
あるところでは、黒こげに綺麗に焼かれた人の身体、またある所では生殖器をめちゃくちゃにされた死体。
その他にも、聞くだけで吐き気がするような人の無残な姿がさらされまくった。
調べていくうちに政府はその死体を作ったのがある特殊な機能を持った少女たちの仕業だと分かった。
拷問器具人形。
人を殺すことに快楽を覚える、サディスティックバイオレンスな狂った人形である。
彼女らは普段人間のふりをして昼夜を過ごしているが、一度その殺人衝動を解き放つとたちまち死体の山を次々と作り上げる。
何のために作られたかは分からない。しかし、人々を脅かす存在は敵でしかないとそうイギリス政府は断定し、拷問器具人形対策室を設立して今に至る。
「僕たちが知っている限りの事はこれだけです」
エリックは外の世界で何が起きているのかベネディクティに一から順に話した。
「そんな事が、外では……」
真実を受け止めきれないベネディクティの声が静寂の広場に響く。
言葉ではそう言っているがベネディクティの表情はそんなに驚いた様子無いように思えた。
「分かっているんですね」
エリックがそう優しい声で問いかけるとベネディクティは頷いた。
「では、僕たちに力を貸してはいただけませんか。このままでは世界は拷問器具人形に蹂躙されてしまいます。ハイム氏が死んでいるのなら、僕たちはあなたを頼ること以外に解決策はありません。だから僕と共にロンドンに来てくれませんか」
求婚の申し出のようにエリックはベネディクティに手を伸ばす。
だが、その手をベネディクティは取ることはなかった。
「できません!」
ベネディクティがエリックの手を振り払うと、全ての雑音をかき消す芯のこもった声がエリックと周りの空間を包みこんだ。
「どうして……」
動揺気味にエリックはベネディクティに聞く。
「私はここから出られません。いえ、出てはいけないのです」
ベネディクティの目元からは少しだが水が流れ落ちていた。
そんな容姿のベネディクティを見てエリックが一歩近づくと、顔の横に電撃が走った。
「これ以上先に近づかないで下さい。次は本気で頭を飛ばしますよ」
低くドスの利いた声でベネディクティはエリックに殺気を漏らしながら警告した。
ベネディクティの周りから紫電がほとばしっている。
これは、一度引かないと自分の身が危ういとエリックは察した。
冷や汗を出しながらエリックはベネディクティから後退すると、彼女の周りを包んでいた電気の帯が消えた。
「警告に従ってくれてありがとうございます。従わなかったら、エリックの身体を粉みじんに焼き切って二度と再生できないようにしていました」
「恐ろしい事を軽々口にしますね。でも、ご忠告ありがとうございました。いきなり粉みじんにされるのは僕も嫌でしたから」
「では、どうぞお帰り下さいませ」
メイドがお辞儀をする様にベネディクティは頭を下げた。
エリックはそれに従うように元来た道を戻り階段を上っていった。その間ベネディクティはずっと顔を地面に向けていた。
「はぁ~」
エリックが階段を上って姿が見えなくなるとベネディクティは糸が切れた人形のように地面に膝をついた。
「いってしまいましたね。これでよかったのですよね、お父様」
二度とこの場所に人が訪れないことを予感してベネディクティはただ一人何もない場所で儚くまた立ち尽くすのだった。
「参ったなあ、ここまで来たというのに」
エリックは屋敷の玄関で暗くなった空を見渡していた。
収穫はあったのに最後まで掴み取れなかった気分だ。
「ああっ、どうして僕はいつも詰めが甘いんだ」
頭をわしゃわしゃとかきながらエリックは座り込む。
多少強引だったというのは分かる。でも、彼女がなぜあそこまで外に出ることを嫌がるのかエリックには分からなかった。
「ベネディクティ、泣いていましたね」
ふと彼女が涙を流して追い払おうとする顔が思い浮かぶ。
すると、暗くなった空から雨が降ってきた。
まるで、エリックを帰らせまいとして天が雨を降らせているようだ。
「これじゃあ、帰れそうにありませんね」
外は暗くしかも雨で森も抜けるには危険な状態だ。エリックは玄関の扉をあけ再び屋敷の中へ入っていった。
「それに、あんな顔されると黙って見てはいられないよ」
ベネディクティはエリックの事を思っていた。
「無事に帰れたでしょうか」
妹たちが外でしていることを聞かされ胸が躍った。外に出たら自分もそうなってしまうという自覚がある。
ほしい。
人の血が恋しい。
エリックを殺したことによってベネディクティの本能のような物が覚醒してしまった。
拷問器具人形になってしまったらけしてあらがえない、殺人衝動。
それが、理性を通り越して今にも飛び出しそうで身体全身が震える。
また、人がここに来ないかなあ、と飢えた食虫植物のように待ち伏せしている状態だ。
「ああ、出たい、出たい、ここから出たい」
そう思って階段にベネディクティは手を伸ばすが足は動こうとしない。まだ、殺人衝動を抑え込むように足が地面と一体となって離れない。
さしずめ最後の砦といったところだろう。
「駄目よ。ベネディクティ、外に出たらたくさんの人を殺してしまう。だから、ここは耐えて、人間を久しぶりに見たからこうなっているだけ。また、時間がたてば元に戻るわ」
冬の寒さに凍えるように身体を震わせながらもベネディクティは自分に言い聞かせ己の本能と戦って理性を抑えている。
と、そんな時だ。
階段の奥から足音が聞えるとエリックが再び現れた。
「どうして」
「やあ、こんばんは」
すると、ベネディクティが抑えていた殺人衝動が一気に解き放たれた。
目にもとまらぬ速さで地面を焦がしエリックに近づく。
紫電の手刀がエリックの顔を一刀両断する直前で、止まった。
「驚いたあ、一瞬でここまでたどりつくなんて」
まばたきした一瞬の出来事のようにエリックはベネディクティに詰め寄られていた。
「はぁ、はぁ、どうして」
今にもエリックを殺しそうな顔をしてベネディクティは荒い息を吐く。
「どうして、と聞かれると色々事情があってどれを答えていいかわかりませんね。でも、とりあえず昔話をしに来ました」
「何を呑気に言っているんですか。私は帰って下さいと言いましたよね」
ベネディクティはそう言うがエリックは聞かない。
「そうですね。でも帰れない状況なので」
エリックはベネディクティの手を掴んで自分の首の横に置く。
「なに、を……」
「とりあえず、僕を一度殺してください。その方が気持ちも和らいで昔話が簡単に話せるので」
エリックがそう言った次には首が吹き飛ばされていた。
「あなた異常ですよ」
「えへへ、よく言われます」
エリックは笑ってベネディクティの言葉を返すと、ベネディクティは殺人衝動が和らいでようやくまともに話が出来るようになった。
「ほめていません」
二人は広い空洞の中心に行くと座り込んだ。
「いいですか。ここから先に踏み込まないで下さい。踏み込んだら、死にますからね」
適当な瓦礫をベネディクティは目印にしてエリックが近づくのを止める。
「分かっていますよ。そうそう、死ぬような真似はしません」
「先ほどの言動でよくそんな事が言えたものです」
「なんだか僕、めちゃくちゃ怒られています?」
「当然です。自分の命を大切にしないあなたの行動はとても不愉快に感じます」
「あはは、参ったなあ、すみませんでした」
エリックはベネディクティに言動に頭が上がらず謝る事しかできなかった。
「それで、昔話を聞かせてくれると言いましたが、一体どんな話を聞かせてくれるのですか」
これ以上雑談で話を濁すわけにはいかないと思い、ベネディクティは話を本題に切り出した。
「そんな身構えるほどの話じゃありませんよ」
一呼吸間を置いてエリックは低く言葉を吐いた。
「僕がこの身体になるまでの話を今から話します」
ペンキをかけたように血がレンガの壁にべっとりとくっ付く。
宙につるされくるくる回り。しまいには冷たい水に付け込まれる。
その他にもいろいろされてきたがいちいち覚えてはいない。
そんな世界にエリックは身を置いていた。
バシッ、バシッ。
ザバーン。
血液が沸騰し肌が腫れあがる。その沸騰した熱を冷ますように一気に水に付け込まれ呼吸を殺される。
そして、死に近づく前に水の中から引き上げられ、やっと息ができる。
「けほっ、けほっ」
水浸しになった身体を乾かすようにエリックは地面にへたり込む。
「よく耐えたねえ。これで、六十八回目だ。次の六十九回目も期待しているよ。くれぐれも死なないように体力を温存していてくれ」
感情のない言葉で大人たちは見捨てるようにエリックから去っていった。
うつろな目でエリックは大人のたちの背中を眺める。
どうしてエリックがこんな溝のような場所にいるかというと事のはじまりは十九世紀ロンドンにあった。産業革命が発達し人口が莫大に増加したスモッグで霧に包まれた街は格差社会が火を見るよりも明らかだった。
エリック親子も当然その格差の影響を嫌というほど味わった。不味しい家庭環境、食事をいつしたかもわからない。雨風が吹き付ける借りの住まいで親と子供三人暮らし。
仕事はしているが安い給料で家族を賄える金額ではない。逃げることの出来ない家畜の生活を何年も強いられてきた。
そして、とうとう両親の限界が来て、一家もろとも住まいに火を放って無理心中。しかし、エリックだけが生き残ってしまった。
ヒリヒリと痛む火傷の後を手で押さえながら霧の夜道を彷徨い歩く。
意識が朦朧とする中でエリックは大人数人に捕まった。
以来エリックはこの血と反吐が飛び散る腐りきった場所で拷問を受け続けていた。
「おいお前、大丈夫か」
拷問の後でエリックが倒れ伏していると誰かが声をかけてきた。
見ると、同じように傷だらけの赤い髪の男の子が手を差し伸べていた。
その少年の手を取って、エリックは立ち上がる。
「お前、名前は」
赤い髪の少年は自然と名前を聞いてきた。ここでは、名前なんてあってもないような物なのにもかかわらずだ。
「……エッ、エリック」
戸惑いながらもエリックは赤い髪の少年に名前を言った。
「エリックか、いい名前だな。俺はベックだ。よろしく」
「ああ」
軽くエリックは返事をする。
「それにしても酷いやられようだったな。リックの背中、赤い世界地図が出来てるぜ」
エリックの背中をそっとなぞりながらベックが背中の様子を現してくれた。
ベックは冗談で言ったつもりなのだろうが冗談にしては笑えない有様だ。
「いたっ……」
「わりぃ、わりぃ」
そっと背中に置いていた指を引いてベックは謝る。
「いや、いい。それにしても、リック?」
なんとも聞きなれない響に首を横にかしげてエリックは聞き返す。
「お前のあだ名だよ。ベックとリックなんかゴロがいいだろ」
「そかなあ」
「それよりもさっさといこうぜ。ここでいつまでも寝ているとネズミのエサになっちまう」
「あっ」
ベックはエリックの手をとるとその場から駆け出した。足をつまずかせながらもエリックは流れに任せるようにベックの手を少しだけ握りしめた。
走り出すとこの世界の全容を現すように悲鳴が嫌でも耳に入る。
「いやっ、やっ、やだああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「やっやだ、ママァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「嫌だいやだいやっ、痛いよ助けて」
ここではどこからともなく、子供の断末魔の叫びが聞こえる。
指を間接ごとに釘を打たれる女の子。両手両足を別々に縛られ四方からちぎれるくらいまで引っ張られる男の子。
皆、順番はバラバラだが同じような拷問を毎日受けていた。
入ってきたばかりの子は皆威勢がいいものだ。表現的には悪いが、いい声で泣いてくれる。
だが、拷問が続き次第に年季が経っていくと、叫ぶ力もなくした子供たちが出来上がり、いっそのこと殺してくれと思えるようになる。
そして、それを通り越して、痛みを受け入れ死んだ魚のような目で世界を見つめるようになるとエリックのような実験動物が誕生する。
食事を机に運ぶと、エリックはベックの向かいに座る。
食事と言っても、小麦を水で固めて焼いただけの何の栄養もないクソ不味い飯だが、食べないよりはマシである。
これも一つの拷問だといえる。
「いつまで続くんだろう。これ」
食べ物を口の運びながらそっと独り言のようにエリックはつぶやく。
「そんなの実験が成功するまでじゃね」
どこか遠くを眺めるような声でベックは言う。
「実験、かあ」
どうしてこんなことをされているのかエリックは思い返す。
この時代の医療は混沌を極めていた。
死者をよみがえらせる。不老不死。
どこかの死を恐れる貴族たちがここぞとばかりに望んで手に入れようとしていた。
医療機関に莫大な金を渡し、研究に次ぐ研究。
いつしか、非人道的になり錬金術とかいう訳の分からないものにまで手を出してしまったのがこの世界の医療だった。
しかし、ある時妙な噂が飛び込んでくる。
九十九の拷問に耐えた時不老不死の肉体を手に入れることができる。
冗談だと誰もが思った。
しかし、たった一人の狂った医師はそれを信じると瞬く間にその為の実験は拡大した。
たくさんの身寄りのないスラムの子供や病気の子供を誘拐し集め、地下施設へ収容。
集まった医師と共に九十九に至るまでの拷問を繰り返し始めた。
ここまで来れば、悪徳宗教と変わりはない。
しかもそれが、警察も目には止まっていないというのが現状だ。
その拷問が広まってから早五年、未だに実験は成功していない。
「リック知ってるか」
「ん、何を」
「この実験が成功していないのは九十九の拷問に差し掛かる前にみんな死んでるかららしいぜ」
得意げにベックは分かり切った真実を自慢でもするかのように話す。
「なんでも研究者たちの方が拷問に精を出し過ぎて実験のことを忘れて殺してしまうみたいだ」
「へぇ、そうなんだ」
そんなことを聞かされたがエリックは上の空だ。むしろ、どうでもいい。
大体想像がつく。
地下施設という名の溝を拡大させただけの広間、血の飛び散った壁に掃除されていない汚物にたかるハエやネズミ。
空気の入れ替えはほとんどない。病を発症させるにはまたとない環境だ。
どう考えても外のスラムの方がまだましだろう。
「ここで生きていられていることが奇跡に等しいよ」
そんな感想をエリックが漏らすとベックは言う。
「何辛気臭いこと言ってんだよ。九十九まで耐えれば不老不死だぜ。夢があると思わねえか」
目を輝かせてベックは言うが、夢、そんなの在りはしないとエリックは心の中で思った。
六十八回目まで拷問の痛みを受けてきたというのにベックは希望を胸に抱いている。そんなベックの姿が滑稽すぎてエリックはつい現実を突きつけてしまう。
「この環境で九十九まで拷問を続ければ身体が持たないよ。諦めた方がいい」
エリックは不老不死の夢なんて諦めるようにベックに忠告してやった。
「そんなの耐えてみないと分からないじゃないか、リックは薄情だな」
「そういうベックは強情だなあ。そんなに不老不死なんてろくでもないものになりたいの」
エリックは別に不老不死なろうなんて思ってここまで耐えてきたわけではない。ただ、身体が生きることを諦めていないだけだった。
「ああ、なりたいね」
椅子から立ち上がり仁王立ちでベックはエリックを見下す。
「おっ、おう……」
頑なに言い張るベックにエリックは気押されとうとう骨が折れ反論する気にならなくなった。だから、エリックは話題を変えることにした。
「じゃあ聞くけど、ベックは不老不死になって何がしたいの」
「何でも」
とてつもなく大雑把な答えがベックから返ってきた。
「何でもって、もっと具体的にやりたいことがあるから不老不死を望んでいるんじゃないのかい」
エリックはうろたえるがベックは首を振った。
「いいや、そんな具体的なものは俺にはないよ。俺はさあ、親に捨てられから毎日ギリギリの生活をしてきた」
そう話を切り出しながら自分語りをベックははじめた。
「いつも、いつも、冷たい道のはしで雑草のように生きてきた。時には大人たちに理不尽に殴られ蹴られ、犬に噛みつかれる。たとえ死んでも誰も気に留めない世界。そんな生活をしていた時ここの連中に捕まったんだ」
ベックの語り顔は恐怖に歪んだ表情だった。きっとここに来た時の記憶を思い出しているのだろう。
そんなベックにエリックはかつての自分と重ね見た。
変わらないな。
目の前にいる少年は自分と同じ誰も助けてくれない場所に放り込まれたんだと。
しょうがない。とエリックは諦めてベックの肩に手をやる。
「おっ、おい。いきなりなんだよ、気持ち悪いな」
嫌そうにしながらベックはエリックの手を肩から振り払う。
「僕もベックも同じ穴の狢ってことだよ」
「それよりもだ。俺は、この拷問を最後まで耐え抜くぜ。そうすれば、今までできなかった事がなんでもできるんだからな」
両手を横に広げて膨大にやりたいことの大きさをベックは示す。
「いいなそれ」
エリックは近くにいるのに、はるか遠くに声をかけるように言った。それほどに、ベックはエリックからは高くまぶしい場所にいた。
「今、六十八回目まで耐えているのは俺たちだけらしいし、どっちが先に不老不死になるか競争だ」
「いいよ」
はじめてこの場所で生きるための目標がエリックに出来た。
しかしこの時エリックは果たしようがない約束を簡単にしてしまったと後に後悔することになるが、その事に気づくのは少し先の事だった。
痛い、いたいたいたい。
言葉にならない叫びが激痛となって脳にスパークする。
たくさんの拷問の末、痛みには耐性がついて我慢できない事はない。
だが、肉体の方はもうとっくに音をあげていた。
「がぁぁ」
バタン。
横に転がるベックの身体。
彼もエリックと同じで限界を迎えていた。
六十九回目まではまだ耐えたと記憶している。
だが、七十を超えた先から拷問は過激さを増した。今までの拷問がぬるかったように一歩間違えば殺してしまうような実験が絶えまなく続いたのだ。
大人たちは目先の欲に駆られて歯止めがきかなくなった。
言葉を交わすのもままならなくなり、食事をするのも億劫で目は顔から生気が抜け落ちたようにどろんとしている。
地面にエリックが寝ていると、横にいるベックが手を着きながらも立ち上がった。
「今、何回目だっけ」
唐突にエリックはベックに聞いた。
「はち、じゅう、に、だ」
わずかに残っている声を絞り出してベックはフラフラになりながらもゾンビのように前に進む。
「あと、すこしだ。こんなところで立ち止まってなんかいられない」
壁にべっとりと血を擦りつけながらベックは己の執念を込め上げる。不老不死になる。その願いだけでベックは動いていた。
まるで狂信者だとエリック思いながらもその背中を追いかけるように立ち上がる。
「耐えろ、耐えるんだ。耐えなきゃここで死んで終わりだ。こんなところで死んでたまるもんか」
到底言葉になっていなかったが、エリックは自分に言い聞かせる。
「ここで終わったらベックとの約束を破ることになる、それだけは絶対にしない」
感情をあらわにしないエリックがこの時だけはむき出しの裸子植物の種子のように表に感情を出していた。
そうして、数々の痛みを切り抜けた二人はとうとう九十八回目の拷問も成し遂げた。
「がはっ」
「はぁ、はぁ」
足の筋肉に力が入らず地面に転がるベックとエリック。
「おめでとう。君たちは栄えある九十八の拷問を耐え遂に九十九回目の拷問を迎えることになった」
狂った研究者たちから賞賛の拍手を二人はもらった。
こんなことで、拍手をもらってもうれしくはないが、とうとうここまで来たかという実感が沸いてくる。
「なあ、リック。次耐えれば俺たち不老不死だ」
足をがくがくさせながらも立ち上がると横からベックが不意に言ってきた。
「そうだね」
出ないはずの声が出て、嘘のように饒舌に二人はなる。
「なぁ、リック、この拷問が終って二人とも不老不死になったらどこか楽しいところに行こうな」
いつものエリックなら否定しているところだがこの時だけは違った。
「そうだね、こんな血生臭い世界を忘れるくらいのところへ」
今まで見たこともない顔でベックが言うとそれにつられてエリックが答える。
「時間が惜しい。どちらから先に拷問を受ける」
切羽詰まった感じで研究者はエリックとベックに言ってきた。
「俺から先にやるよ」
ベックが手をあげる。
「ベック……」
不安そうな顔をしてエリックは名を呼ぶ。どちらが先に不老不死になるとかそんな競走なんてどうでもよかった。
不老不死になりさえすればバラ色の未来が待っている。そんな期待に二人は胸を寄せていた。
「大丈夫。心配するなって、先に不老不死になって待ってるからよ。必ず俺の後について来いよ」
一歩踏み出してベックは研究者たちの前へと出た。
「君が先だね。さあ、入ろうか何せ最後の拷問は研究者全員でやる最も悲惨なものだから一人ずつしか出来ないものなんだ」
そうやって研究員はベックの腰に手をやりゆっくりと最後の拷問部屋に招き入れる。
「いい子だねぇ」
これから痛みを伴う拷問を前に堂々した態度のベックを見て研究員は言う。
「じゃあいってくるぜ」
手を振る姿のベックを見てエリックは見守るように閉じていく扉をじっと眺めていた。
バタン、と扉が閉まって数分、ベックが出てくるのを扉の外でエリックは待っていた。
「ベック大丈夫かな」
そう思っていた矢先の事だった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ。いたい、いたい、いたい、いた、いたたたたたたたたたあああああああああああああああああああああああああ」
扉の奥から信じられないようなベックの悲鳴が聞こえてきた。
「ベックッ!」
今までベックを見てきたがこんな声を出したのは初めてだ。
「おい、聞こえるか、ベック。俺だ、エリックだ!」
バンバンと扉をたたいてエリックはベックを呼ぶ。
しかし、悲鳴は収まらない。
「殺してくれぇぇぇー」
こんなにも、ベックがうろたえるなんて尋常じゃない。エリックは目を血走らせて硬い扉を殴る。
「開けろ、今すぐこの扉を開けろ」
手から血がにじみ出るがエリックは扉をたたくのを辞めない。
「ベックに会わせろ」
すると、唐突にベックの悲鳴が途切れた。
それと同時に扉が開く。
「ああ、失敗だ」
研究者の一人がそう言った。
扉が開くと濃い血と肉の匂いが、塊となって押し寄せてきた。
ぐちゃぐちゃと何かが肉をむさぼる異様な音も聞こえてくる。
「ベッ、ク……」
エリックは恐る恐る扉の向こう側に足を運んで目を向ける。
間接ごとに串刺しにされた死骸の上に獣がまたがって、引き裂かれた腹から啄むように肉をむさぼっている。その腹の奥から蟲たちが脱出するように腹から溢れる。ぐちゃぐちゃになった生殖器、血に染まった顔からは痛みに耐えた我慢の汁が下にしたたり落ちていた。
そんなこの世の惨状とは思えない状況にエリックは息をのんでゆっくりとベックに近づく。
「ベック……」
今にも消え入りそうな声がエリックからこぼれる。
そっとベックの肩を触るとだらりと腕ごと落ちた。
「おい起きろよ、ベック」
頭は冷静になっているが身体がそうしていないと保てなくなるようだ。エリックは両手でベックを押さえて揺らした。
「最後の拷問は終わっただろ。なら起きろよ、ベック!」
カラカラの喉を震わせ、これでもかとエリックはベックに向かって叫ぶ。
だが、ベックはエリックの声にうんともすんとも答えやしない。ただ、無残に血だるまと化していた。
「お前は不老不死なんだよ……」
目標がないエリックにはじめて目標というものを見つけ出してくれたベック。彼の生き方に対して何も感じなかったわけじゃない。
「ベックがいたから僕はここまで耐えられたんだ。なぁ、起きてくれよ。起きてくれないと俺はこれからどうしていいのか分からないじゃないか」
心の奥底では分かっていた。こんな事続けても、結局最後は終わるのだと、それでもベックにすがり依存して自分を騙してきた。
所詮こんなものただの戯言、ベックに対しての本当の想いがエリックの口から出される。
「僕はベックに、不老不死になって欲しいと思っていたんだよ」
ベックの置かれた台の前で足を落してエリックは泣きながらうずくまる。
「時間がない。次をはじめるぞ」
こんな惨状にしていながらも研究者たちは情け容赦なく実験をはじめようとしてくる。
同情なんて感情は全くなかった。
「直ぐに準備に取り掛かれ」
彼らに感情というものをむき出しにしたって意味がない。不老不死という自分たちの欲求を満たすだけのただのマッドサイエンティストとなっているのだから。
研究者の一人がベックの置かれた台から残飯を処理するみたいにベックの死体を排除する。
エリックを無理やり立ち上がらせると研究者は台に乗せ身体を拘束する。台にはハンコのようにくっきりとベックの血の跡が残っていた。
まるで、ベックが自分という存在を刻み込んでいるようにも見えた。
「今すぐそっちに行くよ」
研究者に聞こえないほどのか細い声でエリックは言うと吸い込まれるように台に仰向けになった。
冷たいベックの血の感触が背中に伝わってエリックの背中を燃やす。
「いい子だ」
自分の子をあやすような声ではない声で研究者はエリックにささやいた。
「これから行う拷問は全ての総集編みたいなものだ」
淡々と研究者が最後の拷問について説明してくる。だが、そんなのどうでもいい、ただの耳に入る雑音だ。今までどんな拷問をするか説明してこなかったのだから変わりなんてない。
「一から九十九の拷問をこれからやりつくす。それが最後の拷問だ」
そこで、エリックは研究者全員でやる理由が分かる。
「全ての拷問を最後に一から捧げ神に祈る。それで、神はその身体をお許しになり不老不死を君に与えるだろう」
狂信者の目つきで研究者は言い確実に実験準備を進めてくる。次々と今まで使った拷問道具がどこからともなく出てくる。
「だだし、それだけじゃ足りない。一から九十九までの拷問を普通にヤッても神は君の身体をお許しにならない」
研究者はエリック問いかけるみたいに顔を向けるがエリックは無言だ。少しだけエリックの反応を研究者は見ていたが興がそがれたのか顔を戻すと答えを出すように注射針を右手に掲げた。
「この注射器には人間の感度を数倍にする薬が入っている。ここまで言えば分かるよね」
「……」
エリックは無言を貫く。御託はいいからさっさとやって欲しいと思えるほどだ。
「んん~ん、今まで感じた事ない痛を味わってこそ神はお許しになるのデス」
研究者たちから段々と共鳴するように狂気が満ちて口調がおかしいとこまで来ると準備が整ったのか合図なしに注射針を入れられた。
最後の拷問が始まったのだ。
注射針を入れられると血管を蛇が通り抜けるように薬が循環していって感度が研ぎ澄まされていった。
身体がほてり熱ぽくなったのを研究者たちが確認するとそれを合図にエリックの身体を蝕み始めた。
今まで味わったことの無いような痛みがエリック身体を通して脳に送り込まれてくる。身体をバラバラに引き裂かれて意識だけが痛みを感じているような感覚だ。
手足そして瞳孔が動いているのか、はたまたついているのか分からない。痛みだけが常に意識に即座に伝わってくる。
我慢、そんなものをとっくに超えて声が溢れ出す。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
壊れた機械のようにエリックの叫び声が実験施設中に轟いた。今、何回目とかそんな律儀に考えるよりもはやく「痛い」の叫びがストレートでやって来る。
死ぬまでに一生分の痛みを味わいながら叫びはまだまだ続く。
砂が落ちるまで終わらない砂時計のように、ゼンマイが尽きるまで鳴りやまないオルゴールのようにエリックの叫びは死ぬまで終わらない。
だがその叫びも終わりがやってきた。
エリックがいくら叩いても開けられなかった扉がガコッと鈍い音をして蹴破られた。そして、当たりが光り一体になりエリックと研究者を包み込む。
「動くな、警察だ」
数人の軍警が中に入って来て銃を構え、研究者たちの動きを止めた。同時に、エリックの叫びもやむ。
「イギリス政府の命によりお前たちを拘束する」
よだれを流し虚ろな目で警察を見ていたエリックも拷問の痛みが途切れてはりつめていた感覚が緩んだのかそこで意識を失った。
「これで僕がこの身体になった理由は終わりです」
舞台は戻ってウィルハイム氏の地下空間。
「……」
しかし、エリックの過去を聞かされてもどこにも死なない身体になった理由が話されていないではないかというような顔にベネディクティはなっていた。
「ああっ、すみません。僕としたことがこの身体になったいきさつが抜けていましたね」
慌てたようにエリックはベネディクティに謝ると補足した。
「僕はそれから警察に保護されてイギリス政府の元で生活していました。そして、ある日たまたま道を歩いていたら転んでしまいまして、その拍子に擦り剥いて血が出たと思ったんですが何ともなかったんです」
ベネディクティは少し笑いながらもエリックの話を聞いていた。
「そこで僕はおかしいなと思って、家に帰ってナイフで僕自身の手を切りつけました」
「ちょっと待ってください。ナイフで切り付けたって本当なんですか」
なごやかに聞いていたベネディクティの顔が一変した。
道で転んで傷がなかったならまだ分かるがそれをおかしいと思って自宅で自分の手をナイフで切りつけるなんてどうかしているとしか思えない。
それに先ほどのベネディクティの殺人衝動を抑えるときもエリックは自分の首を差し出した。死なないからと言って痛みは存在するのにそんな行動をとるのは狂った人間のやる事だ。
そこで、ベネディクティは一つの結論に至る。
目の前の彼、エリックは実験の結果、純粋に狂ってしまったのだと。
これはとてつもなく嘆かわしいことだ。彼をそうさせてしまった壮絶な人生が悪いのだがそれによって人としての人生を全うに生きる事が出来なくなっている。
ベネディクティはエリックを数回も殺してしまった事を悔やみ、ますます心の扉を閉じてしまった。
「そうですよ。血はいっぱい出ましたが直ぐに治りました」
ベネディクティはもう何も言い返さなかった。
「そこで僕がその事をイギリス政府に言うと政府は僕をまともな医者に見せ、検査しました。まあそこでも僕は一回死んじゃったんですけどね」
照れるように笑いながら検査の時に起こった不祥事を何事もなかったかのようにエリックは話す。
聞きたくないとベネディクティは思って耳を塞ごうとするが、手は耳を塞ごうとはしない。まるで、お父様がこの少年の過去を最後まで聞けと言っているようだったからだ。
「それで僕が死なない身体の持ち主だと分かったんです。政府はこのことを公には明かしていません。僕の身体の事はごく一部の方しか知らないんです」
政府の考え妥当だ。不老不死を望んでいる世界だ。エリックの身体の情報が世に放たれてしまっては再び実験が繰り返されエリックのような悲劇が生まれかねない。それにエリック自身の身も危ない。
「ですが、死なない身体と言っても消して死なないわけではないんです。神の悪戯かそれとも慈悲か、この身体は寿命以外では死なない事になっているようです。最後の拷問を中途半端に終わらせた結果がこれです。僕の身体も中途半端に不死になってしまいました」
エリックは普通に話すがその顔の裏には憎悪のようなものをベネディクティは感じていた。
「九十九の拷問に耐えれば不老不死になれるという噂は間違ってなかったみたいです。だけど、僕があの扉を開けていればベックを不死の身体に出来たと今でも密かに思っています」
ベネディクティはエリックの中に潜む闇の部分を少しだけ垣間見た気がした。
「なーんて、今思えば非力な子供が扉を破って友達を助けるなんて出来ないですけどね」
開き直るようにエリックは言ってみせた。
「だから、ベネディクティもそんな悲しい顔をしないで下さい。涙、出てますよ」
エリックに唐突に言われてベネディクティは自分が涙を流していることに気づいた。感傷的になっていたようだ。
「僕の身体に起こった悲劇の話はこれで終わりです。最後まで退屈せずに聞いていただきありがとうございました」
他人行儀にエリックはお礼を言ってお辞儀した。ベネディクティは涙をぬぐってエリックに顔を向ける。
「それがどうしたというのですか。あなたの身に起こった悲劇と今外で起こっている悲劇は何の関係ありませんよね。私を説得しようとしても無駄です。私はここを一歩も離れませんから」
ベネディクティはそれとこれとは関係ないと怒りエリックを拒絶した。そして、ここを出たくないという主張を上昇させ電撃が流れる。
ベネディクティの怒りを納得してエリックは半ば頷く。しかし、それでエリックの行動は終わらなかった。何かを言いたそうに、口をもぞもぞさせた。
「そうですよねえ、これだけは言いたくなかったのですけど」
そんな煮え切らないエリックを見てベネディクティは横顔に電撃を走らせた。
「言いたいことがあるのなら早く言いなさい。私に殺されたいんですか」
横顔を通り過ぎた電撃はエリック反応速度を上回り頬に焦げ跡を作る。
少し焦げた頬をエリックは触ると決心ついたのかベネディクティに向き直る。
「分かりました。少し迷っていたんですが、ベネディクティの電撃に知りたいという意思が伝わったのでお話します」
「それでいいのです。私に殺されたくなかったら全てを話しなさい」
身体を反ってベネディクティはえらそうな態度で上から物を言う。だが、それは単なる強がりだ。本当に殺したいならとっくにエリックの身体は丸焦げだ。
しかし、ベネディクティがそうしないのはエリックを殺したところで何の意味もない事が分かってしまったからである。
そうして次のエリックの声がベネディクティの耳に届くとベネディクティは耳を疑った。
「その、僕が囚われていた実験に施設の研究者の一人にウィルハイム氏の名前があったんですよ」
言う直前まで迷っていたのかエリックの声はおどおどしい声だった。
ベネディクティはそれを聞いた時冷たい冬の風が体の横を通り過ぎたような感じがした。
「本当なんですか」
信じがたい話を聞いたように目を見開くベネディクティは再度エリックに同じことを言うように催促する。
「本当です。ウィルハイム氏は僕を捕えていた実験施設の研究者の一人として席を置いていました」
偶然なのかそれとも必然なのか彼がこの場に降り立ちここに現れた理由をベネディクティは理解してしまった。
エリックをあんな身体にしてしまったのはお父様だった。その事がベネディクティを更に深く闇へと引きずり込んでいく。
「しかし、ウィルハイム氏は軍警が駆けつける前に研究施設から逃げ行方を暗ましました。それから数年の時が経ち再び表舞台にその名が知れ渡りました」
ベネディクティはひざまずいて手で顔を覆った。目の前にいる少年はどこまでもベネディクティを追い詰めていく。
「知りたくはなかったと存じ上げます。けれど、これは紛れもない事実です。どうか、受け止めていただければ幸いです。僕はあなたを強引に連れ出そうとはしません。しかし、どうかこの場所であったこと、ほんのちょっとだけでいいんで聞かせてくれませんか」
慰めのようにエリックはベネディクティに声をかける。
話せる状況ではないが、ベネディクティから返ってきた言葉はエリックも予想外ものだった。
「同情のつもりですか……」
深い闇の底から這い出てきたような声がベネディクティの腹を通って口からこぼれた。
ベネディクティは立ち上がって、今にもエリックを殺しそうな目で訴えてくる。
「同情を煽っているつもりですか。それとも私の心を弄んでいるのでしょうか。私はそんな事ではここから出ませんよ」
「違います」
エリックはベネディクティが電撃を出して暴走する前に咄嗟に大声で否定し止めた。
「僕はただあなたに、いえベネディクティに世界の美しさを知ってもらおうと思っただけです」
「……はぁ」
ベネディクティの口から力のない声が出てきた。流石のベネディクティもエリックの言葉に呆れてしまう始末だ。
世界の美しさ、そんな言葉がよく出てくるものだ。エリックの話を聞いてもどこからそんな夢見がちなものが出たのかベネディクティはさっぱり分からない。
エリックの話は美しさとはかけ離れたこの世界の汚い部分を抽出した場面しか浮かんでいなかった。
そんなエリックに電撃を飛ばそうとしていたのがベネディクティは馬鹿みたいになる。
ベネディクティは張り詰めた身体の力を緩めた。
「呆れました」
一言ベネディクティはそれだけ言ってエリックに向かってため息をつく。
「世界の美しさなんてあなたの話にはどこにもないじゃないですか」
「そう言われるとそうですね」
「今頃気づいたんですか」
驚きをひっくり返してまた驚きだ。エリックは何も考えずにベネディクティにあんな事を言っていたらしい。
だが、エリックは一言だけ否定し言葉を付け加えた。
「考えていなかったわけじゃありません。ただ、ベネディクティは世界の美しさというものを欲しているように僕には見えました」
ベネディクティは呆気にとられた顔をして言葉を失った。
「……世界の美しさなんて私は別に欲しいとは思いません。私の世界はこの場所で終わっています。今も、そしてこれからも」
我を取り戻したベネディクティは再び自分の殻へと閉じこもる。
ベネディクティは常にエリックの話に踊らされているようで気に食わない。本当はここから去って欲しいというのにどうもエリックの口車に乗せられている気がする。
「いいでしょう。どうせあなたはここから立ち去ろうとはしないのですから。仕方ありません。ここで起こった事を話します」
今まで固く閉じていたベネディクティの口がようやく開いた。
「本当ですか。粘ったかいがありました。僕は聞きたいなあベネディクティの話」
目を輝かせてエリックはベネディクティに近づこうと一歩踏み出そうとした。だが、足が地面につく前に止まった。
「おっと危ない。これ以上近づくと僕は殺されるんでしたね」
「そのまま踏み出して私の電撃によってすべてをバラバラにされればよかったのに」
何とも残念に悔しげな表情をベネディクティは見せる。
「人聞き悪いですよ」
「失礼、言葉が滑りました」
華麗にベネディクティはエリックの言葉を流した。
「ですが、私が話すからと言ってここを出るとは言っていませんからね。勘違いしないように。それと、私が生まれる以前の話は出来ませんのでご了承下さい」
エリックは納得したのか軽く頷いた。これから話されることがこの屋敷で起こった悲劇だとしてもそれに耐えうる覚悟をエリックは灯し出す。
そんなエリックの姿を見てベネディクティは微笑んだ。
「そんな気を貼らなくても大丈夫ですよ。あなたの過去程、悲惨ではありませんから」
ベネディクティは緊張をほぐそうとしたのかエリックにささやいた。
「これから話すことは別段変わった話ではありません。人の感情を持っていればこそ当然という成行きの話。では初めにあなたは、拷問器具少女の作り方を知っていますか」
そんな切り出しでベネディクティは話し出した。
「……いや知りません」
エリックは拷問器具少女の作り方を聞かれたので正直に答えた。むしろ知るわけがないのだ。今世間を騒がせている拷問器具人形がどのように作られたかなんてエリックもイギリス政府も誰も分かってはいない。
作り方を分かっているのは人形本体と作った本人くらいのものだ。だから、対策に困っているのも一つの要因である。
「言っておきますがあなた方が拷問器具人形と言っているのは私たち拷問器具少女という事なので理解していただければと思います」
質問されてエリックが少しだけ口を閉じたのが見えたのかベネディクティは気遣うように拷問器具人形と拷問器具少女は同じものだと説明した。
「分かりました。これからは改めて拷問器具少女と言う事にします」
エリックが一言だけ返すとベネディクティは頷いた。
「ご理解いただけてありがとうございます。私はこれから拷問器具少女と話すので」
その方がベネディクティには言いやすいという事なのだろう。
それにしてもベネディクティの話し方は他人に話すそれだ。まるで、エリックをはじめて来た客人のように扱っている。初めて会った時もそうだがベネディクティはどうも難しい話をするときは相手を敬うような話し方になるのが癖らしい。
「私たち拷問器具少女の作り方は至って簡単です。何一つ複雑なものを用意したり魔術的な儀式をしたりはいたしません」
拷問器具少女を作るのは簡単なことらしいが、そんな簡単にベネディクティが作れるなんてエリックには理解の及ばぬ話だ。
なにせベネディクティの見た目はただの可愛らしい女の子でどこにいても人と変わりはないからだ。殺人衝動が無ければ生きている人と何一つそん色ない。
つまり、生殖行動なしに命を作っているのだ。時代が時代なら間違いなく世紀の大発明だと言える。
「ただ、人サイズの人形にそれぞれ違った拷問器具を持たせて部屋に閉じ込めるだけです」
「……それだけ」
あまりにも簡単だったのでエリックは聞き返した。
「はい、それだけです」
どうにも納得がいかない。拷問器具を持たせた人形を部屋に閉じ込めるだけでこんな狂気を秘めた美少女が生まれるものだろうか。
エリックは信憑性にかけるベネディクティの話を疑いながら問う。
「一つの部屋に閉じ込めるだけでベネディクティみたいな女の子が何人も生まれるわけがないよね。ただの拷問器具を持った動かない人形のはず」
そう、ただの動かない人形。だがそれが動くのだとしたら、どうだろう。そうなるとエリックの考えなど全てひっくり返ってしまう。
「語弊があったようですね。動くんですよ、部屋に閉じ込めた人形たちが」
そして、次に衝撃的な言葉がベネディクティの口から出る。
「殺し合うんです。拷問器具を用いて人形が」
その事を聞いた時エリックの顔から嫌な汗が漏れ出した。心臓が鷲掴みされた気分だ。幼いころの記憶がフラッシュバックして研究者に痛みつけられた身体がうずいて傷が震え出す。
「そして今、私たちがいるこの場所こそがその部屋です」
エリックは一瞬で理解した。瓦礫のように積み上げられた破壊された人形は殺し合った成れの果てなのだと。
「じゃあベネディクティはこの壊れた人形を全て殺しているの」
気は確かかと言うようにエリックが聞くとベネディクティは首を振った。
「いいえ、残念ながらこれら全てを殺したわけではありません。せいぜい、百やそこらでしょう。詳しく説明しますと、この拷問器具人形を作る方法は数百体の人形で行うものらしいです」
「数百体だって、そんなに」
周りの壊れた人形を見てエリックは否定しかかる。しかし、ベネディクティはエリックが納得する言葉を一言だけ告げた。
「たった一回だけだと誰が言いましたか」
外の世界の出来事を照らし合わせれば簡単な事だ。世界中で暴れている拷問器具人形たち、それをたった一回の呪いじみた実験で出来るわけがないのだ。
「この残骸たちは過去数回殺し合った事によって出来たものなんだね」
エリックが答えを言うとベネディクティは首を縦に振った。
「はい、一回の実験で生み出される拷問器具少女は一人なので、この人形たちは生まれてこられなかった少女たちの亡骸です」
「その時の記憶とかはあるの」
あくまでも参考までにエリックは興味ありげな感じで聞いてみた。
「うっすらとはあります。まだ、ただのプラスチックで出来た人形の時の記憶が、訳も分からず目の前の同じような人形を感情のないまま殺す。殺さなければ私が殺されるだけだったとこの身体になった時に感じました」
ベネディクティは悲しみの声が段々と高くなっていく。
「次々と殺していくうちに、身体が変化していって、最後の二人になった時にはもう、私は少女の姿になっていました。相手も同じようなドレスを着ていたことを覚えています」
辛そうに自分になる思い出を語るベネディクティの表情はエリックから見てもやりきれないなと思ってしまう。大量に殺して生まれるたった一つの命、不死になったエリックとベネディクティは、存在は違うが何も変わりはない。
「そして、私は最後の少女を殺すと本能のままにあの長い階段を上っていきました」
エリックが下りてきた階段に指をさしてベネディクティは言う。
「階段を上がっていくにつれて徐々に私というものが完成されていって遂に階段を上り終えるとお父様がとても喜ばしい顔で私を迎えてくれました」
「そうしてベネディクティ君は生まれた」
「はい、私はテレフォンという拷問器具を宿した世界で最初の拷問器具少女なりました」
死んでいった人形たちを思ってかベネディクティはどこか後ろめたそうだ。
「私という存在もそうですがここで生まれた他の妹たちもたくさんの屍を踏みしめて生きているわけです」
「それで、他の少女たちは今も外でたくさんの屍を作っている」
「そうなりますね」
これで大方拷問器具人形が出来た経緯は分かった。後は、この屋敷から放たれた理由を聞けばエリックの役目はほとんど終わりだ。
「拷問器具少女たちが出来た理由は分かりました。言いたくない気持ちは伝わりますが、ここで起きた悲劇、どうして拷問器具少女がこの屋敷を飛び出した理由を聞かせてくれますか。ベネディクティは生まれて何をしていたの」
優しくエリックはベネディクティに聞きよる。ここまで話してくれればエリックにも大体は察しづくが聞きてみない事には真実は分からない。なので、エリックは心を鬼にした。
「私が生まれてからはお父様と二人で過ごしていました。新しい拷問器具少女を作る準備、それ以外はお父様の身の回りのお世話をしていましたね」
「それで、またベネディクティと同じ拷問器具少女が生まれた。それ以外はどうしていたの。ベネディクティが身の回りのお世話をしていたからと言っても二十四時間ウィルハイム氏に付きっきりってわけでもないよね」
少しだけ食い気味になるエリック。そうでもしないと、ここで話を自分から切ってしまいそうになるからだ。自分が立てた予想は間違いなく当たっていると確信がある。
「私がお父様とご一緒していない時はいつ何時階段を妹たちがあがってこないかと見張っていました。その見張っている間に外の世界の本を読んでいましたね」
「その妹たちっていうのはベネディクティの後に生まれた拷問器具少女でいいんだよね」
「ええ、人間の世界では後に生まれた女の子を妹と言うのですよね。そして、私は最初に生まれたので姉という事になります」
「それを繰り返してたくさんの妹たちが生まれた。ウィルハイム氏はそんな事を繰り返して何を望んでいたのか分かりますか」
エリックは更にベネディクティから深層部分を深く聞きこんでいく。
「それは分かりかねます」
即答でベネディクティは答えた。
「ただ、エリックの話を聞く限りだとお父様は不老不死になりたかったのではないかと思われます」
ウィルハイム氏はエリックが収容されていた実験施設の研究者の一人だった。その研究資料を持ち出して、拷問を代行できる人を作りだしたかったというのがベネディクティの考えなのだろう。
「これは私なりの考えに過ぎませんので、気に留めないで下さい」
「いいよ、ベネディクティの考えは間違っていないと思うし、それが普通だ。だけど僕は、可愛らしい容姿に狂気を秘めた女の子を単純に作りたかっただけのようにも思える」
エリックの考えは単なる世迷言だ。だけど、そう思えるほどベネディクティはエリックから見て美しいのだ。
「それこそ気にも留めないバカバカしさですね」
ベネディクティは少しだけ口をあげて笑った。
「さて、話も終盤ですね。ここからが悲劇の幕開けと言ってもいいでしょう。心して聞いてくださいね」
エリックはごくりとつばを飲み込んだ。
「拷問器具少女作りも一通り終わり落ち着いてきたころ、私たちはお父様と共に屋敷で穏やかに暮らしていました。晴れた日には外で紅茶を飲み。妹たちと戯れ、喧嘩して、お父様に粗相をしたら私が姉として叱りつける」
どこか懐かしむようにベネディクティは屋敷での日常を語る。まるでその時の情景が目に写るようにエリックは感じ取っていた。それほどに、エリックの目には屋敷の跡が目に焼き付いていたのだろう。
普通の家庭と変わりがない。エリックは親に捨てられたのでそんな家庭風景がうらやましいとさえ思えてくるほどだ。
しかし次のベネディクティの発した言葉で空気が変わった。
「だけどそんな日常も長くは続きませんでした」
氷のように張り詰めた言葉がエリックの身体を震わせ硬直させた。
「所詮は拷問器具をつかさどる人形。与えられた力からは逃れられませんでした」
ベネディクティの見た光景が恐怖と悲しみが旋律となり口から楽器のように淡々と語りかけてくる。
「私の妹の一人がお父様に傷を作りました。妹もその時はただお父様と戯れたかっただけでした。しかし、お父様の血をみた私を含めた妹たちは胸がぞくりと高鳴りました」
地面に顔を向けるベネディクティ。きっと、申し訳ない気持ちを耐えているのだろう。そして再び顔をあげるとベネディクティは勇気を振り絞るようにまた話し出す。
「その時から事態は一変しました。お父様を傷つける妹たちが増えました。私は妹たちを止めようとしましたがお父様はそれを制止して何食わぬ顔で妹たちの拷問を受け入れました」
不老不死になりたかったというベネディクティの考えは間違ってなかったとエリックにもこの話を聞いて納得してしまう。間違いなくウィルハイム氏はあの実験施設の一員だったと確信が持てた。
「お父様は次第に弱っていき寝込むようになりました。それでも、妹たちの拷問はエスカレートしていくばかり、私はそれを止めずに目をつむり毎晩自分の殺人衝動を抑えるので精いっぱいでした」
「ベネディクティは最後までそうしていたの」
「はい、私はお父様が死ぬ時までずっとお父様を傷つけることはありませんでした」
もはやなんて声をかければいいのかエリックには分からなかった。ベネディクティはベックを助けられなかった時のエリックと同じだ。
自分の感情を押し殺してそれでも心の奥底で希望にすがろうとする、過去の自分。なにもできなかった無力なエリックだ。
「そうして、妹たちは殺人衝動を強め、ついに抑えられなくなりお父様を妹たちは私を除いた全員で殺めました。赤き血に染まった肉体は二度と動くことはありませんでした」
やっぱりとエリックは思った。ベネディクティの話を聞くまでもなく想像がつく話。この屋敷で起きたことはなにも摩訶不思議な出来事ではなく当然の結果だった。
「しかし、それでも妹たちは殺人衝動を抑えられませんでした。もっと人を殺したいと、のどの渇きを潤すようにこの屋敷を飛び出していきました」
「そして今、人間の世界で暴れまわっている。渇きを潤すオアシスを見つけてしまったんですね」
ベネディクティの話を代弁するようにエリックが付け加えた。
「これで、話は終わりです。知ってしまえばなんてことない話でしょ」
どこか遠くをベネディクティは眺めていた。
「お父様が死んで妹たちが出ていって私はどうすることもできずにこの残骸と共に身を隠しました。そうすれば人を殺すこともせずに朽ち果てることができます」
人形のカケラを一つベネディクティは拾って握りしめる。
「私の人生は痛いだけです。どうすることもできずに死を持つのみなんですから。これでお分かりいただけたでしょ。私は外に出るのが怖くて仕方がないんです。外に出てしまえば私も妹たちと同じように大量虐殺を繰り返す人形に変わってしまう。あなたと共に外へ出ることは出来ません。どうかお帰り下さい」
ベネディクティが頭を下げると閑散とした広場に静寂が訪れた。
ベネディクティはここで起きたことを何一つたがうことなく話してくれた。後は話してくれたことを元に対策を練るだけだ。
エリックは一息つく。ベネディクティの気持ちはエリックにも痛いほどよく分かる。が、しかし一つだけベネディクティは嘘をついている。
「話していただきありがとうございます。ここでベネディクティが話してくれたことを持ち帰れば僕の仕事はほとんど終わりです」
「では、お帰りになるのですね」
「いいえ」
エリックは首を振った。
まだ帰るには早い。エリックにはこの屋敷でやらなければいけない事が残っているからだ。
「どうして……」
理解できないという目をしてベネディクティはエリックを見ている。
「あなたが自分の気持ちに素直になってないからです」
そんなベネディクティの目をエリックは鋭く見つめて堂々と宣言した。
「何を言っているんですかあなたは。私が自分の気持ちに素直になれていないなんてどうしてそんな事が言えるんですか」
ベネディクティは動揺して眉を吊り上げた。それほどに、エリックの言っていることが間違いだと感じているのだろう。
しかし、エリックは間違ってはいないとベネディクティに真剣に向き合っている。
「分かるんです、僕には、だってベネディクティはベックを助けられなかった頃の僕と同じだから」
何の根拠にもなっていなかった。
「そんな世迷言私は受け入れませんよ」
「世迷言じゃありません」
エリックはベネディクティの言葉を否定すると、自らデッドライン踏み越えた。
その瞬間エリックの横顔に電撃が通り過ぎた。
「それ以上近づくと殺すと言いました」
殺意を向けてベネディクティは体中に電撃を纏う。他人が見たら恐ろしくて逃げるところだろうがエリックはあろうことか更にベネディクティに近づいた。
「馬鹿……」
あまりにも無謀なエリックの自殺行為にベネディクティは容赦しない。それと同時に抑え込んでいた殺人衝動が一気に溢れる。
電撃がエリックめがけて放たれる。
「こないでぇぇぇぇぇぇぇっ」
ベネディクティはありったけの声を出してエリックを止めようとする。
が、電撃はエリックの手足の横をかすっただけだった。
「痛ぁ。ベネディクティあなたは本当に優しい方だ」
普通なら痛みで苦痛の表情を見せるのにエリックは微笑んでベネディクティに近づいていく。
「なんで、なんで、なんで」
エリックがどうしてこんな血迷った事をしているのか混乱するベネディクティは電撃を更にエリックに向かって放つ。
「あなたは、本当はどうしたいんですか」
エリックはベネディクティに語り掛けながら足動かす。
「私は……この場所に残って朽ちるのを待つんです」
「それは違う!」
エリックは叫びがベネディクティの正面に咆哮となって轟いた。
「あなたは思ったはずだ。妹たちがこの場所を去って行くときに。僕がベックを失った時に思いを打ち明けた時のようにあなたは心の底でそれを思っていたはずだ」
「わからない。わからない、わからない、わからない。わかりません、そんなここに残る以外の事を私が思っていたなんて」
「まだ、しらばっくれるんですか。あなたの顔、僕を殺したいって歪んでいますよ」
「えっ……」
ベネディクティは自分の顔を触る。だが、鏡が無いのでその表情はベネディクティには見えない。
「あなたは僕を止めたいと口では言っていますが、あなたの顔はどう見ても僕を殺したいという殺人衝動で溢れています」
自分でも気づいていなかった。止めたいと、殺したくないと思っていたはずなのに身体と心は正直だ。
「僕に打ち明けて下さい。あなたが本当に思った事を、僕はそれを受け止めます」
エリックは更にベネディクティに向かって進んでいく。だが、ベネディクティはそんなエリックを迎え撃つ。
「こないで、こないで、こないで下さい。この場所に残るのが拷問器具少女にとって一番いい選択なんです」
エリックにベネディクティの放った電撃がかすり、血しぶきがあがる。
「くっ……本当は思ったはずなんです。妹たちが外に出た時あなたは、同じように外に出たいと」
「そんなことしたら私も妹たちと同じように殺戮を繰り返すじゃありませんか。だがら、ここに残る事が最善なんです」
「そんなのは間違っています。自分の心を偽って我慢するのは良くありません。拷問器具少女にとって都合がいいと言いますが、あなたはどうなんですか」
「それは……」
ベネディクティは押し黙ったみたいに言葉が出なかった。
「あなたはベネディクティという意思を持った存在だ。そのあなたの心は今どうしたいと言っていますか」
言えない、言ってしまったら取り返しのつかない事になってしまうとベネディクティの冷静な部分が言っている。
「言えません。言ったらどうしようも無くなってしまう」
「いいんです。言ってください」
それでもエリックはベネディクティに本心を言うように強制してくる。
「でも」
ベネディクティが言葉を迷っているといつの間にかエリックが手の届く距離まで近づいていた。
エリックはベネディクティの肩を掴む。
「僕がいます。僕が、あなたを助けます。その力が僕にはあります」
緊迫した表情でエリックが言うとベネディクティの目は震えて身体が固まって動けなくなる。
「僕は今までこの死なない身体の代償が何の役に立つんだろうと思っていました。だけど、あなたと会ってこの力の使い方分かりました」
それは歪んだ考えだとエリックも分かっている。だけど、目の前の少女がそれを望むならどれだけでも死ぬ覚悟がエリックにはあった。
人を殺せば拷問器具少女は殺人衝動が和らぐことをエリックは実際に確認している。そして、エリックはその歪んだ考えをベネディクティに押し付けた。
「僕を殺してください。僕を殺し続けることであなたは外に出られます。この歪んだ世界が生んだ力はあなたのためにある」
心優しいベネディクティは誰一人殺したくないと思ってこの場所に一人こもってしまった。けれど、本心は違う。だから、エリックは自分を犠牲にすることでベネディクティを外に出そうとしている。
「だから言ってください。ベネディクティの本当の願いを」
ベネディクティは戸惑う。本当にいいのだろうか、エリックの手を取ってしまえばもう二度と後へは引き返せない。
だけど、心の中のわだかまりが除外されていくようにベネディクティは感じる。次第に除外された部分が空っぽになりたくさんの温かな思いが言葉となり溢れ出す。
「外に出たいです。街も見たい、海も見たい、世界の美しさを見たい」
今なら分かる、妹たちが外に出ていくのがベネディクティは羨ましかったのだと。最初に生まれたから姉としてしっかりしなければという考えが、人を殺してはいけないという世界の倫理観が、自分の優しさが、そして拷問器具少女ではなくお父様と同じ普通の人でありたいという願いが、自分の行動をひどく縛っていた。そんな重荷を全てエリックが取り除いてくれた。自分は外に出てもいいと許してくれた。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げたベネディクティがエリックを見ると笑っていた。
「僕はこれからベネディクティの為に死にます。けして一人にはさせません」
「ありがとうございます」
「そんな大したことじゃありませんよ。さぁ、僕と一緒にここを出ましょう」
ベネディクティはエリックの手を取り立ち上がった。
「その前に一ついいですか」
「なんですか、僕に出来る事ならなんでもしますけど」
ベネディクティは邪悪な笑みを浮かべるとエリックの胸に手を置いた。
「殺されてください」
「えっ……」
次の瞬間電撃を纏ったベネディクティの手刀が痛みを感じるよりも速くエリックの胸を貫いていた。
エリックが至近距離に近づいたことにより、より一層殺人衝動が強まり抑えることがベネディクティにはできなかった。
「あぁ、気持ちいい」
顔を赤らめベネディクティはエリックの肉片を舐めまわすように見ていた。