イリスの怒り
ナルシスの粛清騒ぎから三十分ほど後。
トルネは、売店の二階の自分の部屋でため息をついていた。
「はぁ…、何でこんなことになってるんだか…」
憂鬱そうなトルネの表情の原因は、三十分前の出来事にあった。
◆
「次の準決勝で、私と本気で戦ってほしい」
イリスが、トルネに言う。
表情は真剣だ。
「いやぁ、だから、オレはもう…」
「トルネ」
トルネが笑って断ろうすると、イリスが言葉を遮ってくる。
「私に勝つ方法が見つからないなんて、嘘ですよね?
あなたは、私が負けるかもしれないと、そう思っているんでしょう?」
「えっ」
トルネは驚く。
しかし、すぐにイリスの発言の原因に気づく。
「ああ、今使った、この武器のこと?
いや、これはほとんど趣味で作ったようなものでさ。
別に大会で使うために作ったわけじゃあ…。
それに、たしかに強力な武器だけど…、これが学校の審査に通るわけないでしょ?」
「ならそれを使えばいい」
イリスはトルネに言う。
その言い方は、とても強く、冷たい。
「私が学校側には話しておきます。
次の試合では、トルネのアイテムの使用を無制限に認めるようにして欲しいと。
それに、どうせ次で棄権するつもりだったんでしょう?
それなら、たとえ学校側が認めずに、ルール違反になったって別に構わないじゃないですか。
試合で私に勝てば、店のいい宣伝になりますよ。
私はマキアート家の人間で、校長の孫娘。
この学校で一番の有名人ですからね」
そんなこと、トルネならわかっていたはずでしょう、とイリスが話す。
「イリス、オレは…」
「あなたは」
トルネの言葉を聞かず、イリスは話を続ける。
「私が、あなたと戦えば…。
トルネに負けた他の貴族たちのように大きな恥をかくかもしれないと、それでもしかしたら、私が騎士になる道が閉ざされるかもしれないと、そう考えているんでしょう?
それに、自分が棄権すれば、私が優勝できるかもしれない。でも自分と戦えば、きっと私は優勝できない。
だって…、私と戦えば、トルネは勝ってしまうから…!
そう考えているんでしょう?!
こんなにも大きな力を持っていて、他に戦わない理由はないじゃないですか!!!」
イリスが周りの状況を指差す。
イリスはあきらかに怒っていた。
その様子に、トルネは戸惑う。
そのトルネの表情は先ほどまでとは打って変わって、まるで子供のようだった。
「イリス、オレはそんなつもりじゃ…」
「馬鹿にしないでください!!!!」
イリスが叫ぶ。
トルネはビクッと身を震わせる。
「あなたに…、あなたに勝利を恵んでもらうほど、私は落ちぶれちゃいない!!!
正々堂々あなたと戦って、その結果敗北したとしても、私はそれを恥だとは思わない!!
むしろ誇りに思うでしょう!!
だけど…!だけど、戦いもせずに勝利を恵んでもらって、それで私が喜ぶような人間だとトルネが思っているのなら、それは、私に対する侮辱です!!」
イリスは怒っていた。
そして悔しかった。
トルネを心配させてしまうほどの、弱い自分が。
トルネは黙ってしまう。
トルネは見誤っていた。
イリスはトルネの思うような、恥に弱く、正義の騎士を夢見る世間知らずの貴族の娘ではなかった。
イリスの心は、すでに本物の騎士なのだ。
彼女こそトルネの見たことのない、本物の騎士だったのだ。
「イリス様…」
「お嬢…」
周りで見ていたナナとマルコが、心配そうにイリスを見ている。
こんなにも怒ったイリスを見るのは、長い付き合いの二人も初めてのことだった。
「…もし、次の試合をトルネが棄権するというのなら、お祖父様に言って、トルネの入学の話はなかったことにしてもらいます」
「ちょっと、イリス様…!?」
それを聞いていたナナが驚く。
「そんな条件じゃ、まだ本気は出せませんか?
あなたは、本当は騎士になんかなりたくないでしょうからね。
ならば次の試合、私が勝ち進んだら、この店を学校から撤退させてもらいましょうか。
もともと、お祖父様の口利きでやっと出店できた店ですから、そんなに難しくはないでしょう」
「…イリス…」
イリスがそんなことをするわけがないと、トルネにはわかっていた。
少しの間だが一緒に過ごしてきて、トルネは彼女の人となりを理解しているつもりだった。
イリスは、困っている人間を見ると放っておけない超お節介焼きで、他人のために自分との婚約を賭けの景品にしてしまうほどのお人好しで、そして誰よりも正義感の強い人間だ。
その彼女が、親の権力を使って無理やり裏で何かをしようなどするわけがない。
彼女がそうするとき、それはいつもトルネのためだった。
「…これ以上、他にどんな条件が必要なんです…っ!!トルネ!!
いいですか?あなたは私と本気で勝負するんです!!そして…っ!」
「わかったよ、イリス」
トルネがイリスを見て静かに言う。
「わかった。
次の準決勝で、本気で戦う。
オレの、アイテム屋としての誇りをかけて」
◆
まったく、めんどくさいなぁ…、騎士って。
トルネはまたため息をつく。
タダで勝利が貰えるなら、貰っておけば良いじゃないか。
それで長年の夢に近づけるなら、そうすべきだ。
だって目的達成のために、最善を尽くすこと、それが…。
正々堂々ということだと、トルネは思っていた。
では、イリスの目的とは何だろうか?
そこまで考えて、トルネは少し納得した。
…そうか、イリスは正々堂々と戦いたいんだな…。
彼女の夢を叶えるために…。
イリスの目的、イリスの夢。
それは本物の正義の騎士になること。
トルネにはわからないが、それはきっと騎士の資格を取ることではないのだろう。
「しかしオレは、別にウソをついてたってわけじゃあないんだぜ…?イリス」
トルネは独り言を言う。
トルネがイリスに言ったことは、全てが嘘というわけではない。
トルネは今まで、対戦相手の油断や、知識のなさを狙って勝ち進んできた。
しかし、今回の相手、イリスはきっと油断しないだろう。
全力でトルネに向かってくるはずだ。
しかもその実力は、今までの相手の中でも別格だ。
勝つ見込みがないといったトルネの言葉は決して嘘ではなかったのだ。
だけど、手段を選ばなければ…。
勝ち目がまったくないというわけでもない。
「無駄なことは、一切しない主義なんだけどなぁ…」
トルネは頭をかく。
「仕方ない、付き合ってやるよ、イリス。
正々堂々と。
誇りをかけてね」
そう言ってトルネは、イリスとの試合のための準備を始めた。