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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第二章
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第九話


「み、見てなくていいからお前も飲めよ!」


 ぶっきらぼうに寄せたもう一客は、ロイヤルアルバートの『ISABELLA』だった。女性の名が付けられた四種のうちの、ひとつ。深い紺を基調としたデザインには金彩模様とピンクの薔薇があしらわれ、上品な高級感の漂う一品である。

 案外、派手好きなのかもしれない。

 どうしてか速くなった鼓動から気を逸らしながら見つめる先で、邦和はカップの半分程まで紅茶を注ぐと、「いただきます」と口をつけた。


「……しっかりとした香りですね」

「だろ? ロイヤルミルクティーがお勧めなんだと。オレは普通に、牛乳入れちまうけど。やってみるか?」

「……では、少々」


 幸い、邦和は功基の動揺に気づいていないらしい。

 席を立った邦和にバレないよう、功基は小さく息をついた。


(あっぶね)


 邦和が笑顔を見せる度に、謎の動悸に襲われる。

 これは、道端で突如カブトムシに遭遇したような、純粋な驚愕や物珍しさへの興奮とは少し種類の異なるものだ。

 ならばなんなのかと。浮上した違和感に焦点をあてるのは危険な気がして、功基は意識下へ丁寧に蓋をして閉じ込めた。

 世の中知らないほうが幸せな事もある。コレはまさしくその類だと、本能が警告している。


 自身の飲むものには興味がない、と宣言していた通り、冷蔵庫から取り出した牛乳パックを片手に戻ってきた邦和は、そのままカップへと注いでいた。

 あの『宝箱』の中にはミルクピッチャーも入っている。功基がミルクを所望すれば邦和は迷わず鍋で温め、ミルクピッチャーへ注いでから、更にお盆に乗せてくるだろう。


「ど?」

「……ミルク入りが好まれる理由がよくわかりました。むしろ、強い香りに抵抗がある方は、こちらの方が飲みやすいですね」

「あと個人的には、ちょっとだけ砂糖をプラスすんのがお勧め」


 正座をして、納得の表情でカップを傾けていた邦和が「取ってまりましょうか」と尋ねるので、功基は丁重に断る。


「今はストレートの気分だから。つーか、足崩せば? 痺れるだろ」

「いえ、大丈夫です」


 正座に慣れているだろうか。だとしたら、何故そんなにも腰から下が長いのか、切実に教えて貰いたい。


「……先程の店で出されたカップもそうでしたが」

「ん?」

「このカップも、持ち手が随分と小さな造りですね。女性の指でも、通らないと思うのですが」


 カップを左手に、訝しげに眉根を寄せる邦和。


「あー、それはアンティークに近い形だからな。もうメーカーでは取り扱ってないから手に入り難いし、それ自体、アンティークっていってもいいのかもだけど、そもそもの型が『古き良き』なんだよ。さっきのカップも、ノリタケのスタジオコレクションだし」

「古いモノは、こうして持ち手が狭いと」

「もちろん、全部ってワケじゃねーけどな。本来、ティーカップのこの部分って、指を通す部分じゃねーんだ。正式なマナーとしては、指先で摘むみたいに持つのが『お上品』だったんだと」

「……功基さんは、本当に博識でいらっしゃいますね」


 嫌味のない、ストレートな賞賛。

 こういった『豆知識』の類は、どちらかと言うと嫌悪される事が多い。

 惜しみなく注がれる羨望の眼差しにむず痒さを覚えながら、功基は念のため「こーゆー話しは、相手に気をつけろよ」と付け足した。

 だが邦和はその意図がよく分からなかったらしい。「心得ておきます」と口にしながらも、その首は不思議そうに傾いていた。


「そろそろ夕食の準備をさせて頂きます」


 彼の言う『サポート』には食事の準備も入っているらしい。

 パーカーを脱ぎ、意気揚々と腕まくりをした邦和が台所に立ってから早数十分。手伝いすら許されなかった功基は手持ち無沙汰にスマートフォンを弄りながら、ちまちまと紅茶を流し込んでいた。

 冷蔵庫に入る僅かばかりの食材も、二年前から殆ど出番の無いフライパンや鍋類も、好きに使っていいと伝えてある。


「お前、料理できんの?」


 そう尋ねた功基に「……簡単なモノですが」と返した邦和は実に神妙な面持ちをしていた。

 本当に大丈夫だろうか。この部屋の持ち主として万が一があっては困るのだが、功基の座る位置からは壁に阻まれて台所の様子は見えない。

 一応今の所、ヒヤリとするような焦げ付いた臭いも、駆けつけたくなるような慌てふためいた騒音もしていない。冷蔵庫の扉が開閉されるパタンパタンも、水がシンクを叩きつけるジャージャーも、薄っぺらなまな板を叩くトントンも、至ってよくある調理の音だ。

 テーブルの反対側、つまり、テレビの前へ移動すれば様子も確認出来るのだが、邦和からしたら信用されていないように見えるのではと動けないままでいた。

 今日初めて素性が知れたような相手に、信用も信頼もあったものではない。けれども何となく、彼の意思を尊重したいという思いが、胸中にふよふよと漂っていた。


(弟が出来た感じ……とも違うな。なんかこう、身内じゃねーけど、近いみたいな)


 しっくりくる表現が見つからないままんーんーと悩み続けている間に、料理は出来上がっていたらしい。


「……頭が痛いようでしたら、薬を買ってまいりますが」

「……平気」


 居住まいを正した功基の顔を探るように見つめ、邦和はテーブル上のティーセットをお盆に乗せた。

 捲られた袖の先から伸びる左腕は、功基が思っていたよりもガッシリとした太さがある。よく見れば体重を支える太腿も、細いというよりは筋肉感がある男らしいそれだ。

 そういえば、パーカーを着ている時は気が付かなかったが、肩まわりも重厚感のある肉付きで――。


「……私の身体になにか?」

「っ、わり」


 三個で百円の台拭きでキュッと机を鳴らした邦和が、横目で見遣る。

 功基は慌てて視線を切った。

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