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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第十章

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第三十九話


「っ」


 ギュッと功基が強く目を瞑ると、唇に軽く、掠めるような感触がした。

 功基の抵抗がないことを了承ととったのか、今度は確かめるように、柔らかな感触が押し当てられる。乾いた唇がなぞった瞬間、無性に気持ちよさを感じて、離れていこうとしたその感触を追いかけるように、功基は自分からも唇を重ねた。

 息を詰めた気配がする。羞恥が正気を引き戻す前に上唇を柔く食まれ、胸中を満たす薄靄のような甘さに、功基は思わず声をもらした。


「……っ、ン」


 割り開いた隙間から別の体温が入り込んでくる。

 いつの間にか後頭部へと回っていた邦和の掌が逃げる功基を押し留め、口中に差し込まれた熱が意志をもって深く絡みつく。

 ザラリとした舌の感触がすり合わされる度に、功基の背筋に淡い痺れが走った。朦朧としていく意識を手繰り寄せるように、邦和の背にしがみつく。


「っふ……、んぅ……っ」


 呼吸する暇も与えられず、功基はただ初めて覚える感覚に、必死に縋りつく。

 最後に優しいリップ音を響かせた唇は、そのまま流れるように、功基の頬にも労るような口付けを落としていった。


「……っ」


 ボンヤリと霞がかった脳のまま、功基は肩で呼吸を繰り返し、足りなくなった酸素を取り込む。

 薄く瞼を上げると、同じように呼吸を乱した邦和。その色を放つ艷やかな表情に、心臓がドキリと跳ねた。

 途端に邦和が眉根を寄せる。どうしたのかと未だ定まらない思考に掠めると、難しい顔のまま邦和がコツンと額を合わせてきた。


「くにかず?」

「…………すみません功基さん、その、ここまでするつもりはなかったんですが」


 重々しい口ぶりに、邦和の後悔が滲む。


「……なんだよ、イヤだったのかよ」

「違います! むしろ、その……止まらなくなりそうで」

「……? ……っ!!」


 しどろもどろ呟く邦和の示す意図に辿り着き、功基はビクリと肩を跳ね上げた。

 ちょっと、え、それは、その。

 真っ赤な顔で混乱に陥る功基に気がついたのか、邦和は苦笑するようにクスリと小さく笑んだ。


「大丈夫です。今日は、まだ」


(今日は、って!!)


 わかっている。『恋人』と称する以上、きっといつかは通る道だ。

 けれどもそう、あからさまに『捕食者』のような眼をされては、やはり言葉に詰まってしまう。

 ハクハクと唇だけを動かす功基を覗き込むように顔を寄せた邦和は、漆黒の瞳を蕩けさせて微笑んだ。次いで功基の片手をとり、忠誠を誓う騎士のように指先に口付ける。


「また『ご褒美』を頂けますよう、今後も精進致します」

「っ」


 衝動だった。

 それはあくまで『執事』としての立場を崩さない邦和の態度に触発されたのかもしれないし、未だ先程の熱に浮かされていたのかもしれない。

 自身でもわからぬまま、功基は邦和の唇に自分のそれを重ねていた。

 ただ押し当てただけの拙いものだったが、邦和は驚愕に瞠目し、硬直する。

 気恥ずかしさに耐えながら、功基は邦和を睨め上げた。顔は真っ赤に違いない。


「き、すくらい! 『褒美』じゃなくて、好きな時にしたらいいだろ!」

「っ」

「確かにお前の振る舞いは『執事』なのかもだけど! それでもお前は『執事』じゃなくて、『恋人』だろーが……っ!」

「っ、功基さん!」


 感極まったという様子で、邦和が抱きついてくる。

 ギュウギュウと抱きしめてくるその背をあやすように叩いてから、未だ放す気配のない邦和の肩口に仕方なく顔を埋めた。


「……功基さん」

「ん?」

「俺は功基さんの『恋人』ですが、やはり今まで通り、紅茶を注ぎ、身の回りのお手伝いをさせて頂きたいです。許して頂けますか?」

「……まぁ、いいけど」


(やっぱりそこは変わんねーのか)


「……その代わりっちゃあなんだけど、オレもひとつ、頼んでいいか?」

「なんなりと」

「その、出来る限りでいいから……そのカップ、他のヤツには出さないでくれ」


 我ながらなんとも鬱陶しい独占欲だ。

 胸中で自嘲して、功基は言葉を続けた。


「あのな、そいつは……」

「『Love Knot』」


 邦和の声が遮る。


「『愛の絆』、という意味を持つカップですよね」

「おま、知ってたのか」

「当店でもお詳しいお嬢様方には、人気が高いですから」


 顔を上げた功基に、邦和は優しげな笑みを向けた。


「功基さんと出会ってから、選択権を持つお嬢様のご依頼がない限り、俺からお出しした事はありません」

「っ、じゃあ、初めてウチでこれを出してきたのは」

「言ったじゃありませんか。『運命だと思った』と」

「っ!」


(アレはワザと!?)


「功基さんならお気づきになられるかと思いまして。けれどもどうにも反応が薄かったので、拒絶されずに済んだと安堵する一方、まったく意識されていないのだと、それなりに落ち込んだものです」

「だ、って! まさか初対面でほ、ほれられてるだなんて、思わないだろ!?」

「初対面ではありません。店を含めれば、二度目です」

「いや、そーだけど! そうじゃなくって!」

「まぁ、ですが」


 邦和が功基の首元に顔を埋める。


「こうした今があるのですから、私の見立てに間違いはありませんでした」


 噛みしめるような呟きに、功基は思考を放棄して「……そうだな」と首肯した。

 終わり良ければ全て良し。そういう事にしておこう。

 邦和の髪を撫でる。指先から伝わる柔らかな感触にも、温かな愛おしさを覚えた。


 この想いも、いつか時間と共に形を変えていくのだろうか。経験の乏しい功基には、全く想像がつかなかった。

 けれども出来るだけ長く、この穏やかな幸せが続けばいい。

 そう願いながら功基は肩口から顔を上げた邦和の双眸に応えるように、ゆっくりと瞼を閉じた。

 優しく触れ合った唇。ああ、好きだなと、心がないた。


「……やっぱりお前は、『執事』じゃないな」


 邦和はただ、嬉しげに頬を緩めた。




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