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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第九章

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第三十四話

 教室から飛び出した功基は真っ直ぐ家に向かうのではなく、別の場所に向かっていた。邦和と出会う前、頻繁に通っていた喫茶店だ。邦和に了承の返事を送る前に、少しでも気を落ち着けようと思ったのだ。

 思えば久しく訪れていない。というか、邦和と『契約』を結んだ日が、最後だった気がする。

 懐かしい扉を開けると、やはり変わらずピアノで弾かれたジャズが耳に流れ込んできた。カウンターの奥から顔を覗かせた白髪の店主が、功基を見て「おや」と呟く。


「兄ちゃんは久しぶりだね。良く来るもうひとりは、今日はいないのかい?」

「え?」


(良く来る、もうひとり?)


 ゆったりとした店主の言葉は明らかに誰かを示しているが、功基には思い当たる相手がいない。

 邦和と来たのも一度きりで、『良く来る』という表現は当てはまらないからだ。

 誰か別の客と勘違いをしているのかもしれない。ここは適当に話を合わせたほうがいいのだろうかと思案していると、店主が「ほら」と思い出したように言う。


「背が高い、黒髪の。ちょっと表情が堅いけど中々いい面した兄ちゃんと、一緒に来ただろ?」


(――邦和だ)


「き、ましたけど……」

「あの兄ちゃん。あの後ちょくちょくココに来ててな? なんでも紅茶やらカップやらの知識を増やしたいだとかで、たっくさん質問してくるんだわ。兄ちゃん、詳しそうだったから、お前さんに訊いた方が手っ取り早いだろっつったらよ、あの兄ちゃん、それじゃダメなんだって息巻いとったわ」


 店主が目元に皺を刻む。


「お前さんと対等に話せるよーになりたいんだと。それも、内緒でな」

「っ、オレと?」

「ああ。あの兄ちゃん、よっく分厚い本抱えて来ててな。図書室で借りてきてたらしいけど、今時ならインターネットでも見れるだろうに、古風なこった」


(だからよく、図書室にいたのか)


 邦和が時間潰しにと図書室に通っていたのは知っていたが、それは空き時間を利用して課題やら予習やらをしているのだと思っていた。

 まさか、自分と話をしたいが為に、こうして見えない所で動いていたとは――。


(……っヤバイ。すっげぇ、嬉しい……っ!)


「っ、すみません。また来ます!」

「お? おお、今度はあの兄ちゃんと来いよ。ついでに、バラしちまってスマンなと謝っといてくれ」


 店を出るなり、功基は急いで返事を打った。問題なく送信されている事を確認して、急く感情のまま走りだす。

 心臓がバクバクいっている。少しでも気を抜けば、視界がジワリと滲みそうだ。

 だから必死に走った。意識が感情に向かないように、ただひたすら家だけを目指した。辿りつく頃には心臓は張り裂けそうに高ぶっていて、絶え間なく荒い息を繰り返しながら、扉を開いた。

 邦和は、まだいない。

 重い足をなんとか動かし、靴を脱ぎ捨て玄関に上がる。部屋に進むのも億劫で、そのまま壁にもたれて座り込んだ。

 まだ息は整わない。天井を仰いで、功基は必死に酸素を取り込む。

 ふと、気配を感じて視線だけを部屋の奥に投げた。ベットの上に転がる黒犬が、心配そうに功基を見つめていた。

 大丈夫だ。そんな思いを込めて、目だけを細める。

 スマートフォンはあれから確認していない。けれども、邦和は来る。そんな気がしていた。

 玄関の扉が無遠慮に開かれたのは、そう待たないうちだった。


「っ、く」

「功基さん!!」


 らしくない大声で飛び込んできた邦和が、放り捨てるように靴を脱いだ。

 呆気にとられたのは、ほんの数秒。床に両膝をついて視線を合わせた邦和の腕が、功基の背に回った。


「!?」


 力強い拘束に、功基は息を止めた。

 ただでさえ酸素の足りない脳は全く機能しない。


「功基さん」


 耳に近い位置ではっきりと呼ばれた名に、わけもわからず目奥が熱くなってくる。

 触れ合った胸からドクリドクリと聞こえるのは、功基の心臓音だけではない気がした。


(っ、はやく、振りほどかないと)


 伝わってくる温かな体温。これを手放さなければならないんだと脳裏に掠めた瞬間、堪えていた寂しさが一気に崩壊した。


「っ、く、かず」


 床に落とした両手で、耐えるように拳を握る。

 その背に縋り付きたかった。側にいてくれと、なりふり構わず。けれども唇は震えてしまって、上手く言葉をかたどれない。

 嗚咽を零す功基を、更に強い腕が閉じ込める。

 沈黙を貫いていた邦和が、口を開いた気配がした。


「ごめんなさい、功基さん。全部、俺が悪いんです」

「っ」

「このまま『終わり』だなんて嫌です。俺は、誰かに功基さんを譲る気はありません」


 どうしてこんな時まで、期待させるような言い方をするのだろう。

 感情が先立つ今では、怒りよりもただ純粋に信じたくなってしまう。例え功基の望む関係ではなくとも、側にいてくれるならそれでいいと、求める心が勝ってしまう。

 でもそれでは、きっと同じことの繰り返しだ。

 頷きそうになる自身を賢明に押し留めて、功基は喉奥から声を絞り出す。


「……オレは、『執事ゴッコ』につきあうつもりはない」


 邦和が小さく頭を振った。


「違うんです。確かに昔から『執事』に憧れはありました。けどそれは、あの店で働くだけで十分だったんです。でもあの日、功基さんが本当に嬉しそうに紅茶の事を話されて、本当に美味しそうに、オレの紅茶を飲んでくれるから。……もっと知りたいって、思いまいました。どんな人なんだろうと。でも功基さんはお客様で、従業員の俺は次の来店を待つしかありません。学校で会えた時は、運命だと思いました。せっかくのチャンスを逃すほど、俺は馬鹿じゃありません」


 そっと腕の力が緩められ、邦和が功基の顔を覗き込むように視線を合わせた。

 薄っすらと眉根を寄せた弱々しい微笑みに、功基はただ息を呑んだ。

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