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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第八章

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第三十二話

 鳴り響くアラームの音に、功基の意識が浮上する。いつの間にか眠っていたらしい。横たわっていたベットから上半身を起こすと、胸の上から何かが転げ落ちた。太腿横の布団上にダイブしたのは、黒い犬のぬいぐるみ。幼気な瞳で功基をじっと見上げてくる。

 どうやらいつもの癖で、抱きしめて眠っていたようだ。悪い夢を見ることもなく熟睡出来たのは、コイツのお陰かもしれない。


「……ありがとな」


 ポフリと子犬の頭を撫でて、功基は立ち上がる。とりあえずシャワーを浴びないと。

 脱衣場へと重い足を引きずっていくと、いつもの定位置に、キチンと畳まれたバスタオルが置かれていた。反射で邦和の面影が浮かび、意識が沈みそうになる。が、思考が暗雲に絡め取られる前に、突如鳴り響いた呼び鈴が無理矢理引っ張り上げた。


(っ、まさか)


 この時間に尋ねてくる人物など、ひとりしかいない。だがその唯一には昨日、『終わり』を告げたばかりだ。

 なら、誰が。混乱したまま立ちすくんでいると、再び呼び鈴が響き渡った。

 そこでふと、功基は思い出した。そういえば邦和はまだ、この家の鍵を持っている。

 もし扉の向こうの人物が邦和なら、このまま功基が開けずとも、その鍵を使って入ってこれるだろう。

 緊張と期待に高鳴る心臓の音だけを聞きながら、功基は必死に息を潜めた。だが呼び鈴は再び鳴ることはなく、鍵が開く気配もない。

 違ったのか。落胆に視界を下げた刹那、ドアノブが小さくカタリと鳴った。

 次いで功基の携帯が受信を告げる。足音を潜ませてベットに放置していたそれを拾い上げると、邦和の名が表示されていた。


(……やっぱり、アイツだったのか)


 あんな一方的に終わりを告げたというのに、また来てくれたのだと嬉しさを感じてしまう自分がいた。だが鍵を開けなかったという事実が、本当は顔も見たくないのだと暗に示されているようにも思え、功基の心臓がツクリと傷む。

 それにしても、何の用だったのか。

 冷静になってから、文句の一つや二つぶつけてやろうと思ったのかもしれない。もしかしたら、功基の『秘密』をネタに強請りをかけてくるつもりだったのかもしれない。


(いや、どっちもねーか)


 そういった類をするような人間ではないと、悲しいかな、よくわかっている。

 深く息を吸い込み、躊躇いがちに開いたメッセージを薄目で見ると、『ドアノブに朝食をかけておきました。良かったら、食べてください』と表示されていた。

 そしてもう一通、『話がしたいです』と。


「……話し、か」


 何を話すつもりなのだろうか。今になって、全てを吐露するつもりなのだろうか。

 正直、邦和の思惑など、もうどうでも良かった。というより、これ以上かき乱さないで欲しかった。

 バラバラに崩れたジグソーパズルのように、功基の心臓を覆うのは『無』だ。

 もう何も考えたくはない。それでも床に伏せるでもなく、こうしていつもの『日常』をなぞろうとしているのは、なけなしの『理性』が細い糸でギリギリ繋ぎ止めているからだ。

 もしも今この状態で、邦和の声を、顔を、息遣いを感じてしまったら、どうなってしまうのか。

 そっと玄関へと歩を進め、覗き穴で外に誰もいないことを確認し、扉を慎重に開ける。メッセージの通り、ノブにはビニール袋がかかっていた。そろりと保護して中を覗き込むと、タッパーがふたつ入っている。

 こんな時でもご丁寧なもんだと呆れつつも、やはり胸中には歓喜が溢れてくる。が、いかんせん昨夜から全く食欲が湧かない。

 とりあえずしまっておくかと冷蔵庫を開けると、サランラップがかけられた皿が二つ目に飛び込んできた。昨晩の夕食用にと、邦和がしまっていたのだろう。


(……気づかなかった)


 邦和はどんな気持ちで、これを用意していたのだろう。出迎えてきた時はあんなに怒っていたというのに。

 一つだけわかるのは、少なくとも、まだ二人で食べるつもりはあったようだ。


「……っ」


 昨晩限界まで出し尽くしたと思ったのに、再びこみ上げてきた感情が目奥から眼球を支配する。

 功基は慌ててビニール袋を冷蔵庫に入れ、風呂場へと駆けこんだ。


***


「わーひっどい顔」


 功基を見るなり、庸司は唖然と呟いた。しっかりと身支度は整えていたが、功基の瞼は腫れぼったく、目下もくぼんでいるように見える。

 それに、何よりも生気がない。現に、睨みるけているつもりだろう二つの瞳は混濁としており、全く覇気がない。

 そんな状態にも関わらず、こうして学校に出てきた精神力を褒めるべきだろうか。悩んだが、結局事情も訊けないまま午前の授業を終えた。


 昼時になり、食券を買おうと功基が五百円玉を取り出すと、後ろから伸びてきた手が千円札を突っ込んだ。


「……庸司?」

「好きなの食べな。奢ってあげるから」


 これが庸司の言っていた『慰め』なのだろうか。いちいち尋ねるのも億劫で、功基はそのままボタンを押した。普段はなかなか手の出せない、一番高い定食だ。

 昨晩今朝と何も口にしてなかったので、食事を目の前にすれば腹も空くだろうと思っていた。だがそんな功基の予想に反して、美味しそうな匂いをかいでも食べたいとは思えなかった。

 失恋した女の子が数日間殆ど食べれなかった、とは耳にした事はあっても、いや腹は空くだろうよとどこかで疑っていた功基は衝撃を受けた。

 所謂、これがソレなのか。

 だがせっかく庸司に奢ってもらったものだし、庸司にも「無理してでも食べなきゃダメだよ。なんなら『あーん』してあげようか」と脅されてしまっては、無理やり箸を動かすしかなかった。

 少しずつでも飲み込んでしまえば吐き気もなく、案外すんなり入っていった。そういうものなのかと、功基は再び驚いた。

 薄い靄がかかったような思考のまま、気付けば午後の授業も全て終わっていた。

 庸司に連れられて来たのは馴染みのベンチではなく、生徒のいなくなった空き教室だった。

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