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それでもお前は執事じゃない!  作者: 千早 朔
第一章
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第一話

「とうとう……とうとう来てやったぜ……っ!」


 優美な字体が綴られた看板を見つめ、佇む男は歓喜を噛みしめながら呟いた。

 柔らかな波肌を描くようにセットされたアッシュベージュの髪。べっ甲色をした眼鏡フレームの奥では、やや薄い双眼が興奮にギラついている。

 本来は品を損なわない程度のダメージ加工が施されたジーンズがお気に入りだが、こうした場へ出向く際は黒のスラックスかベージュのチノパンと決めていた。

 今日着用しているのは後者で、白いカットソーに丈の長いグレーのカーディガンを合わせている。黒いジャケットと悩んだのだが、『間違われる』と困るので止めたのだ。

 つまり数日前から服装に悩むほど、この場に訪れる瞬間を心待ちにしていたのである。


「……そろそろ、いくか」


 ダークブラウンのバンドに支えられた文字盤を確認し、男――南条功基なんじょういさきは小さく息を吸い込だ。震えそうな脚を胸中で叱咤して、あくまで"普通"を装いながら、店の入口へと繋がるレンガ造りの階段を降りていく。店舗は地下にあるのだ。

 興奮と緊張に高鳴る心音を鼓膜で感じながら、階下に辿り着いた功基は周囲をグルリと見渡し安堵の息をついた。

 良かった。どうやら、同じように予約時間待ちをしている客はいないらしい。

 おそらく他の客とバッティングすれば、不審な目で見られるか、好奇の眼差しを向けられるか。どちらにしろ、勘弁願いたい状況になっていただろう。

 何故ならこの店の名は『Butler Watch』。予約を取るにも三ヶ月待ちという、絶対の人気を誇る『執事喫茶』だからだ。


「つくり込みスゲーな……」


 目の前に鎮座する扉を上から下まで眺め、呆然と呟く。重厚感のある引き戸はまさしく貴族の豪邸を思わせるそれで、階段横の壁からつたう葉が額縁のように扉の上部を飾っている。

 いくら『コンセプト』が勝負の店とはいえ、こりゃ手入れが大変そうだ。

 呆れ気味に息をついて、アンティーク調の黒いドアハンドルを片手で引いた。

 カランと鳴り響く、これまた古風なベルの音。


「……おお」


 漏れでた感嘆。天井から吊り下がるシャンデリア型の照明が、黒を基調とした室内に淡いオレンジを落としている。

 壁には白いレースカーテンとベルベット製の真紅のカーテンが重なりあい、まるで中世ヨーロッパの貴婦人が好んだドレスのようだ。

 艶やかな黒い床には厚みのあるレッドカーペットがひかれている。恐る恐る足を乗せると、靴底が柔らかく沈んだ。


「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」

「いっ!?」


 突如響いた低い声に顔を跳ね上げると、いつの間にか、奥へと繋がるカーペットの上に燕尾服の男が佇んでいた。白い手袋を嵌めた右手を胸に、恭しく下げた頭をゆっくりと上げる。

 柔らかそうな質感の黒髪はトップがやや長く、両目にかかる前髪が双眼を覆い、黒い影をつくっている。それでもわかるくらい整った顔立ちをしているが、どうにも無表情なため華はない。歳は功基とさほど変わらないように見えた。

 だが近しい年齢よりも、功基の意識はただ細身なだけではない、均衡の取れた身体に向いていた。

 『イケメン』に『スタイル良し』。それだけでも腹立たしいというのに、加えて自身よりも高い身長に、つい、内心で舌打ちをしてしまう。


「ご予約のメール等はお持ちでしょうか」

「あ、ハイ。これ……」


 慌てて手にしたスマートフォンを操作し、近づいて来た彼に事前に届いていた予約完了画面を見せる。

 身長差から少しだけ屈んだ男は確認が取れたのか、小さく頷くと「ありがとうございました」と一歩下がった。


「南条功基様ですね、お待ちしておりました。私は本日担当させて頂きます、フットマンの『和哉』(かずや)と申します」


 胸に片手を添えた仕草で再び頭を下げられ、功基はとりあえず「はぁ……」とだけ返した。

 三ヶ月の予約を心待ちにしてやっと訪れた客にしては若干温度が低いのではと自分でも思うが、別に『執事様』の接待を受けたくてこの店に足を運んだのではない。目的は別にある。

 とはいえ、この和哉とやらは、そんな功基の内情を知らない。仕事を全うする彼へ失礼があってはいけないだろうと考えた結果が、先程の「はぁ……」なのだ。

 曖昧な言葉って便利だよな。そんなコトを考えつつ、先を促す和哉の半歩後ろについて店奥へと歩を進める。


「こちらへのお帰りは初めてでございますか?」

「へ? ……ああ、ハイ。初めてです」


 問われた内容が来店回数を示しているのだと気づき、素直に答える。


(なんて回りくどい……)


 店全体を覆う『設定』にゲンナリしつつも、何かあるのかと言葉を待つ。が、和哉は「かしこまりました」と告げたのみで、特に先を続ける様子はない。

 どうやら会話は終了らしい。なんだよ、と心中で突っ込み、肩透かしを食らった気分のまま大人しく歩を進める。

 

(……てかコイツ、無愛想だな)


 繰り返すようだが、執事としてのサービスを望んでいる訳ではない。とはいえ、接客業ならば笑顔のひとつでもあっていいんではないだろうか。そう思ってしまう程に、和哉はニコリともしない。常に無表情なのだ。

 それはそれで女性の心を掴むものなのだろうか。功基は密かに眉を顰めた。


 廊下の突き当りを曲がった瞬間、畳二枚分よりも大きな鏡に姿が映り、思わず歩を止めた。どうやら正面の壁に立てかけられているらしい。彫刻細工で飾られた額縁には金色の塗装が施され、これまた豪華絢爛仕様になっている。

 その横には背を伸ばして佇む白髪混じりの男性が一人。年齢は四十を越えていそうで、その身に纏っているのは、もちろん燕尾服だ。

 洗練された動作で功基へと向き直り、ニコリと優しげな笑みを浮かべ、「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」と片手を胸に添えながら恭しく頭を下げる。

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