2-22【あの山を登るために必要な船頭の数12:~黒に染まる~】
俺と同じ表示を睨んでいたモニカが、そのまま辺りを見回す。
先程まであらゆる物理干渉を避けているかの様だった黒い靄が、弾けて俺達に見えなくなった瞬間、周囲の魔力傾向を肌で感じるほど変化させているではないか。
『ヴィオ!』
咄嗟に俺はヴィオに注意を飛ばす。
だが彼女は俺の言葉を待つまでもなく、エリクに保護魔法をかけていた。
同時に俺達が肩車しているリャーダにも同様の保護を実施し、俺達自身にも行う。
スコット先生やスマイソン大尉は独力で対処できるだろう。
だが、他の者達は?
この大通りに詰めかけた群衆の殆どは、なんの対策も打てないまま・・・いや気づくことすらなくこの魔力を吸うしかない。
横の女性の一人が気持ち悪そうに俯き、その向こうで子供が失神したように倒れる。
呼吸で取り込む魔力の傾向がこれだけ一気に変われば、健康的な影響は無視できない。
おそらく一時的に酸欠ならぬ”魔力欠”の様な状態になったのだろう。
だが、”それ”ですら一番大きな問題ではなかった。
問題は、”わかりやすい体調不良”を起こさなかった者達だ。
”黒”の魔力は”白”の魔力同様に、意識的なものに作用する事が知られている。
白の魔力が生体機能を活性化させつつエネルギーを与えるのに対し、黒の魔力は一部の生体機能を抑制しつつエネルギーを与えるといった具合に。
何が言いたいかというと、黒の魔力が過剰になるとストレスが溜まる・・・それも急速に。
そして理性的な思考が阻害されて、感情的な側面が強くなる。
しかも悪い事に黒の魔力は活力たっぷりだ。
結果として、突然黒の魔力を接種しすぎた者はかなり攻撃的になる。
そんな状態で憎き魔王の姿なんて見たらどうなるか。
「あああああああ!!!!!」
突然、通りの向こうにいた老人が、大きな奇声を上げながら魔王の舞台車に向かって石を放り投げた。
その弱々しい投擲は脅威どころか、舞台車にすら届かずに地面をカラカラと転がる弱々しいもの。
だがその”威力”は劇的なものだった。
「・・・!?」
舞台車の上の小さな魔王がその”変化”に気づいて目を見開くのが遠目に見えたと同時に、周囲の人混みが発する圧力が一気に数倍に膨らむ。
気づいたときには大通りにいたほぼ全員が、怒りを顔に浮かべて前方へとにじり寄り始めていた。
「おさないで!!!」
最前線の兵士が叫ぶ。
「どけええええ!!!!」
「このやろおおおおお!!!」
突然迫ってきた群衆を最前列前の兵士たちが必死になって止めようとするが、言葉すらまともに話せなくなるほどにまで怒り狂った者達が、何人も折り重なるように押していくので効果がない。
日頃の訓練の賜か、兵士達で特段大きな変化を見せている者はまだいない。
だがそれが、逆にこの突然の異常さへの反応を鈍らせていた。
いくら護衛役の彼等でも、なんの前触れもなく群衆が一気に怒りだせば、反応が遅れるだろう。
そしてその間に、先程の老人に倣うように後ろの者達が一斉に投擲を始めていた。
道端に落ちていた石や土、手に持っていた鞄や水筒、とにかく投げられるものを全て投げている。
その時、スコット先生が目を見開いて何かを掴んだ。
驚いたことにその物体が「おぎゃあ!」泣き叫び、一連の記録を振り返った俺は絶句した。
湧き上がった怒りにまかせて、”赤子”を投げた母親がいたのだ。
正気の沙汰ではない。
もちろんそんな状態だから、投擲の大部分は、見当外れの方向に飛んでいく。
だが、全員が弱い者ではない以上、中にはまっすぐに魔王の頭めがけて飛んでいく石も珍しくはなかった。
ただ魔国の防護とて見た目だけ飾りではなかった。
投石の最初の1つが魔王の頭に触れる刹那、横から割り込んだ侍従が驚くべき反応速度でそれを掴み取ったのだ。
その反応は、明らかに常人のそれではない。
さらに周りにいた魔国の兵士が一斉に舞台車の上に飛び上がると、持っていた棒を振るいながら飛んでくる投石を次々に撃ち落とし始めたではないか。
儀礼兵とはいえ彼らの動きは”魔人棒術”の名に恥じないもの。
最小限の動きで飛来する様々な物を次々に弾いた上で、決して群衆のいるところまでは飛ばさない配慮を入れる余裕すらある。
中でも凄まじいのが、最初に飛んできた石を掴んだ侍従だ。
配下と思われる兵士が舞台車の裏から取り出した、儀礼用ではない無骨な棒を受け取ってからというもの、魔王の前に立ち塞がり、稀に飛んでくる強烈な投石を見惚れるような動きで撃ち落としながら、これぞ”仁王立ち”とばかりに強烈な威圧を周囲に撒き散らしている。
なるほど、この状況に”大魔将軍様”が動かないわけだ。
魔国の最強戦力であるシセルは依然として魔王の舞台車の前に立ち、事態を見守るように周囲に気を配ってはいるが、動く気配はない。
当然、かの大魔将軍への憎しみが魔王以下であるわけもなく、シセルに向かって投げられる様々な投擲物の量や重さは、魔王に匹敵するか手近な分だけむしろ苛烈だ。
だが、そんなもので傷つくようなのが、ついこないだまでこの世界で”最強”を名乗っていたわけもなく、どれだけ強烈な石を投げつけられようとも小雨に降られているかのごとく、鬱陶し気な表情のまま微動だにしない。
シセルはむしろ、自身を恐れずに攻撃を続ける者が大量にいるこの状況に困惑しているようだった。
恐怖や自制は”理性”の範疇、すなわち黒の魔力で最も麻痺しやすい思考パターンだが、それにしたってあの大魔将軍に石を投げられるほどの麻痺とくれば、只事ではない。
大魔将軍の額の”三眼”は、困惑したようにせわしなく動き、その目が時折思い出したかのようにこちらを向く。
その動きで俺は、シセルが動かない”理由”に気が付いた。
どうやら、俺達がこの騒ぎの原因ではないかと疑われているらしい。
動かないのは、何かに気を取られて俺達を見逃さないためだろう。
まあ、無理もない・・・”黒の魔力”だもんな。
「この魔力・・・関係ないですよね?」
案の定、スマイソン大尉からも同様のツッコミが入る。
言葉は確認だが、表情は明らかに疑っていて険しい。
だが、それに対してモニカがギロリと睨む。
「わたし、魔力使った?」
「・・・いえ」
スマイソン大尉がモニカの問を否定する。
だが、それで納得はしてくれないようで、俺達の周りの群衆に紛れていた私服姿の兵士達が一斉にこちらに躙り寄り始めたではないか。
スコット先生が俺達とスマイソン大尉の間に動き、エリクが剣の柄を握りしめる。
ただ、モニカはそんな事を気にする暇があるのかとばかりに、その様子に不機嫌そうな息を吐くだけ。
『ロン、攻撃されてもうごかないでね』
『なんで?』
『まだ、”大魔将軍”をしげきしたくない』
モニカがそう言って舞台車の前に立つシセルへちらりと視線を送る。
すると当然のように向こうの三眼と視線があった。
急速に混乱が拡大していく中で、モニカとシセルだけが無反応を装うように静かなまま。
だがそれはお互いの膠着状態というよりも、次に”何か”が起こる事をを本能的に察した者の身構えに近かった。
空では依然として黒い靄が弾け続け、その度に空気中の魔力傾向が強まっている。
それに伴って群衆の狂乱の濃度も増し、理性が耐えられる者の数も急速に減っていく。
何が起こるのか。
臨界は、進行方向300ブル程先のところで発生した。
上昇する魔力濃度に当てられ、ついに理性を失った兵士が群衆を切りつけたのだ。
飛び散る血、上がる悲鳴。
そしてそれが、燃え始めた炎に大いに油を注ぐ結果となった。
怒り狂った群衆の箍が外れ、それまで押し留めていた兵士の列を飲み込むと、そのまま濁流のように通りの中になだれ込む。
そうなると後にできることは少ない。
仕切り用のロープをその支柱ごと勢いよく引きちぎりながら、大量の群衆の服や毛の色で遠目には泥のように見える塊が、どんどんその大きさを増している。
そしてそれを見て勢いづいたのか他の場所でも同様の突破が発生し、静寂だった大通りはたちまち、圧縮から開放された暴徒達が走り回る狂乱の舞台へと様相を変えていた。
俺達の周囲がまだ突破されてないのは、魔王の舞台車が近く、随伴していた兵士が抑えに加わっているからだろう。
だがそれも時間の問題だ。
既に決壊した前方から濁流が流れ込んでくるのとどちらが早いか。
大通りになだれ込んだ者達の目的は、”魔王”なのだから。
大通りをゆっくりと逆流する人の群れは、確実に魔王の舞台車に迫ってきていた。
その波が舞台車に到達した時に何が起こるかは予想がつかないが、決して愉快なことではないのは確かだ。
なにせ、その先頭を行く者達の目はギラギラと危険な色を帯び、その手には鈍器になりそうな様々な物品に混じって、明らかに武器の類の姿が見える。
さらに恐ろしいことに、魔力で自我を保てなくなった警備兵の姿までも見えていた。
なんと無責任なと憤るのは僅かな間。
チラリと観測スキルの結果を見れば、空気中の魔力濃度が恐ろしいことになっているではないか。
今吸った空気の最も多くの空間を締めているのは、”窒素”ではない。
それはもはや液体を吸い込んでいる、のかと錯覚するほどの濃密な魔力だった。
魔力傾向は当然、俺達の観測スキルで黒が正確に測れる9割を超えていた。
間違いなく99%は超えているだろう。
こんな中で正気を保てる方がおかしいのだ。
そして悪いことに、その”おかしな者達”は、完全にどうしようもできなくなっていた。
警備責任者のデニス・ノリエガが迫りくる群衆の前に立ち、気を静めて元の位置に戻れと怒号を飛ばす。
だが大通りをうねるように流れ始める、暴力に飢えた群衆の波には効果がない。
「ひけええぇぇ!!!!! ひかんかぁぁ!!!!!」
そう叫びながら、持っていた剣に魔力を流して爆音を発生させるダニエル・ライド。
だが特級戦力が剣を振り上げて威嚇するというのに、群衆は止まる様子がない。
かといって、振り上げた剣を下ろす事もできない。
彼等はあくまで”被害者”なのだから。
そして、その躊躇と混乱が、警備体制の完全崩壊を招いていた。
どれほどの強者であっても破れぬ筈の防御が、圧倒的数の”弱者”の前では無力に変わるしかない。
そして襲い来る弱者の”弱さ”が、守る強者の判断を遅らせていたのだ。
群衆の先頭がついに、魔国一行の最前列にまもなく到達する。
舞台車の周りを歩いていた文官達が怯え、少しでも安全そうに見えるらしい魔王の舞台車によじ登ろうと藻掻いている。
群衆の目的地はそこだというのに。
だが、魔国一行の先頭を歩いていた大魔将軍シセル・アルネスだけは、迫り来る凶気を前にして”恐怖”ではなく、”呆れ”と面倒くさそうな表情を浮かべるだけ。
彼がこの様な表情を浮かべているのは、先程からずっと魔王が反撃するなと言うサインを送り続けているからだ。
そりゃもう、暗号とか秘密のサインとかそんなものではなく、
「魔国の者は手を出すな!! シセル!!絶対に手を出すなよ!!」
と血相を変えて叫んでいるので分かりやすい。
魔王はこの状況でもなお、政治的体面を優先できる度胸があるのか、それとも恐怖でおかしくなっているのかは定かではないが、少なくとも惨めに魔王のいる場所に上がろうとして侍従に押し止められている大臣級と思わしき魔人に比べれば、遥かに大物に見えた。
だがそれで、事態が収拾できるわけではない。
群衆の先陣は、シセル・アルネスの威嚇に勢いを削がれはしたものの、屈強な何人かはこの怪物が魔王に止められて動けないことをすぐに見抜いた。
その一人、身長5ブルはあろうかという虎人が、その身長を上回ろうかという大剣を振り上げ、動けないシセル・アルネスに斬りかかる。
その堂に入った剣撃に、横のエリクがたまらず声を上げた。
彼が焦るということは、これはかなりの一撃らしい。
俺も一瞬、シセル・アルネスが切り飛ばされるか、潰されるか、とにかく致命的なダメージを負ったと思ってしまったからな。
だが、それで傷つくならば、この世界で伝説にはなりはしない。
シセル・アルネスの側頭部に直撃した大剣は、だがそれ以上の一切の進行を許されなかった。
唐突に静止する大剣、だが内側に溜め込まれた莫大な運動エネルギーは消費されておらず、その勢いで”ベキョッ”という金属の衝突音とは思えない音を残して、ひしゃげてしまう。
シセル・アルネスは当然のように無傷。
それどころか、1ミリだって攻撃由来の動きがない。
驚くべきは攻撃を受けてもピクリともしない大魔将軍か、それとも大魔将軍に叩きつけるだけで大剣をグシャグシャにしてしまえる虎人の膂力か。
・・・少なくとも危険なのは後者だ。
その瞬間、俺はハッとした。
この群衆、かなり強いのまで混じっている!?
『こりゃ、とめねえと!』
俺がそう言いながら、”手札”の状況をメガネに映し、モニカに戦闘態勢への移行を促す。
だがモニカは、驚いたことにそれを拒否した。
『まだ動いちゃだめ!!』
そう言って全身に魔力を流して、俺の準備を止める。
『おい!? モニカ、何考えて・・・』
『まだ、ここ動いちゃだめなの!!』
モニカは、再びそう言うと目の前の状況を睨んだ。
流れてくるのは、”この状況を無視しなければならない”という、強烈な使命感。
だがなぜ!?
その言葉を俺は飲み込む。
この状況を、モニカは【予知夢】で見ているのだ。
何人かがシセル・アルネスを囲み、手に持つ様々な”もの”で叩いている。
当然、一向にダメージが入る様子はない。
さりとて天下の大魔将軍も、この状況には完全に面食らっていた。
依然として魔王からは”待て”の合図が出続けている。
たぶん、シセル・アルネスが軽く動いただけで、この者達は死にかねないのだろう。
そこは理解できた。
シセル・アルネスの強さは知らないが、ガブリエラが同じ状況で動けば、確実に何人か死ぬ。
さしずめ不殺の誓いを立てたものに、羽虫が集っている状態だろうか。
ただし、そんな”無駄なこと”を続ける者は多くはない。
暴徒と化した群衆の濁流は、大魔将軍を飲み込んだあと、その大部分は依然として舞台車に向かって進んでいる。
俺達の近くで抑え込んでいた兵士の何人かが、慌てて間に入ろうとするが、攻撃できない彼等では結局濁流に飲み込まれて袋叩きにあうだけ。
それどころか、支えを失った俺達の前の抑えが一気に崩れ、決壊したように動き出した人混みの圧力が、俺達の背中を強力に押し始めた。
モニカがエリクとスコット先生の腕を掴み、足にアンカーを打ち込んで固定する。
幸いなことに、目の前に魔王が見えているこの辺りの群衆は、怒りに我を忘れすぎて多少の障害があったところで気にも留めない。
最前列の兵士を引きはがし、規制線を食い破った群衆がそのまま魔国の兵士に襲い掛かる。
さすがに一般兵まで大魔将軍並みの防御力はないようだが、それでも魔人の強度は並ではないので、素人の激しい殴打くらいでは死ぬところまではいかないだろう。
ただ、脇を抜けた何人かが魔王の舞台車の壁を上り始める。
いつの間にか舞台車後方の規制線も破られ、魔国の一行は完全に囲まれた状態になってしまった。
舞台車の中段の踊り場に最初にたどり着いた、暴徒の中に混じっていた我を失っているトルバ兵が、そこにいた何かの大臣と思われる文官に斬りかかり、それを見た群衆が一斉に強烈な歓声を上げる。
最上段の魔王の瞳に恐怖が宿った。
逃げ場がない。
だが同時にそれが、”最後の一線”となった。
血の付いた剣をトルバ兵が掲げた瞬間、その兵士の首が吹き飛び、代わりにその場所にダニエル・ライドが現れたのだ。
「・・・魔力で我を失っているとはいえ・・・守兵が護衛対象に剣を向けるとは」
ダニエル・ライドがそう言いながら、全身に魔力を漲らせる。
その迫力は、事態に追いつけず混乱していたこれまでとは明らかに違っていた。
大通り全体を、猛烈な怒気を含んだ風が駆け抜ける。
ダニエル・ライドは滾らせた憤りをぶつけるかのように、首のない兵士の骸を蹴り落とし、虚空に向かって吠えた。
誇りを傷つけられた魔導剣士の咆哮は、限界まで魔力で理性を吹き飛ばされた者達ですら、一瞬足を止めざるを得ないものだ。
そして、まるでその咆哮に呼応するかのような”声”が、大通中に響き渡る。
「ノリエガ将軍、我々は十二分に耐えていたと思うが、どうか?」
その声は、ダニエル・ライドの咆哮より遥かに小さく、小声のように静かだ。
だが、遥かにはっきりと聞こえていた。
俺達にも・・・他の者にも。
声の主はもちろん・・・魔国行進列の最前方で群衆に集られる大魔将軍のもの。
何か魔法か?
一瞬俺はそう思ったが、すぐにそれが誤りであることに気づく。
シセル・アルネスは”まだ”なんの魔法も使っていない。
今の”声”だって、ただ普通に話した言葉を、強力なモニカの聴力と分析力がより分けて聞いていただけ。
ただ、シセル・アルネスの言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、周囲の者に思わせていただけのことである。
なぜ?
簡単なことだ。
この程度の暴動などいつでも鎮圧できるが、この場にいる全員に配慮して動かなかっただけのこと。
そして、その”配慮”を暴徒達ははっきりと踏みにじったのだから。
それは誰の目にも明らかで、その”引け目”が、石の代わりに我が子を投げる者まで現れるまでに我を失った者の中にある消せぬ”引け目”が、恐怖となって湧き出した。
シセルの問に、もう一人の魔導剣士がどう答えたのかは、聞こえなかった。
通信回線には流れなかったし、トルバ最強格程度でしかない者の声など、そこまで注力して聞くべきものと本能は判断しなかったからだ。
だが、何と答えたかは即座に全員が察した。
「・・・了解した。 これより防御行動に移る」
シセル・アルネスのその言葉と同時に、大通りの空気が一変した。
突如として、シセルの居たあたりから強烈な突風が吹き始め、その圧力で走り回っていた暴徒達が引きずられるようにその場に叩き伏せられる。
暴徒の塊が、花が開くようにこじ開けられ、中から全身から魔力を放つ無傷の魔人が姿を表す。
それは、もはや”魔神”と呼んだ方がしっくりくる程の重圧だ。
抱きつく形で最後まで抵抗した屈強な女戦士を手で引き剥がしたシセルは、そのまま放つ魔力の勢いを上昇させていく。
死人が出ないように調整されているのだろうが、その嵐を超える突風と化した魔力の波に逆らって進める者などいようはずもない。
魔王に向かっていた暴徒の濁流がそこでせき止められ、既に抜けている者達も後ろから迫りくる圧力に勢いを弱めている。
そして、魔王の周りにはその間隙を見逃さない者もいた。
「魔国兵!! 構えよ!!」
舞台車の上から強烈な号令が掛かる。
誰もが一瞬、魔王の声かと思いそちらを見上げるが、舞台車の頂上の魔王は呆気に取られた表情で、己の前に立つ侍従を見つめていた。
そしてその”侍従”が凄かった。
やはり先程の投擲への対処はまぐれではなかったようで、その手に握られた棒を舞台車の床に”ドン!!”と叩きつけると、その音で鼓舞された舞台車の上の”棒術部隊”の構えが一斉に揃う。
「叩き落とせ!!!」
「・・・ちょっ!? 待ってトリオン!!」
将軍のように号令を掛ける侍従を魔王が慌てて止めようとする。
だが、既に何らかの”スイッチ”が入っているらしい魔国の兵士達は、魔王の静止ではなく、この場の指揮官と思われるその侍従の言葉の方に従った。
ブワッ!!っという、棒が回転する音が舞台車を取り囲んだかと思うと、取り付いていた暴徒達が一瞬にして舞台車の周囲から叩き落された。
ゾクリ・・・
モニカに背筋が凍りつくような緊張が走る。
魔国兵達の棒術の構えは、同じ棒術使いのモニカをして衝撃を受けるほどの練度を感じさせるものだった。
そして構えだけではその力量を測りかねなかった者も、次に始まった魔国兵の”反撃”で、その実力を嫌というほど感じる事になる。
号令を発した侍従が、棒を下に向けて伸ばすと同時に、魔国兵たちが一斉に舞台車から飛び降りて、今まさに登ろうとしていた暴徒達をまとめて棒の一振りで吹き飛ばしたのだ。
そして魔国兵達は、棒の勢いを全く止めることなく、身長の数倍の長さの棒を高速で振り始める。
棒の動きが次第に速くなり、目にも留まらぬ速度で魔国兵の周りを動き回っていく。
いつの間にか魔王の舞台車の周りに、棒術が作り出す大輪の花がいくつも咲き乱れ、その動きに怯えた暴徒達はジリジリと後ずさるしかない。
そこに、魔国兵の振り回す棒の先端が音速を超えて発生した衝撃波の鋭い破裂音が、更に追い打ちをかける。
この棒に打ち据えられればどうなるかは、単純な暴力であるが故に、理性を失った頭でも理解することはできた。
『だが、この動きって・・・』
俺がそう言うと、モニカが拳をきつく握る。
俺達はそこで、モニカが普段行っている”棒の振り回し運動”の本当の使い方を、まざまざと見せつけられたのだ。
一見ランダムに滅多振りしているように見えるその棒の動きは、だがしかし、間に重なり合っているはずの隣の兵士の棒と全く接触することもなく、そればかりか、飛び込んできた魔国関係者を全く傷つけることなく内側に通していた。
彼等の棒振りは、打ち落としたいものだけを打ち、守りたいものだけを守る”鉄壁の盾”だったのだ。
あの段違いに強い侍従を”達人”、他の魔国兵を”有段者”とするなら、モニカの棒術はさしずめ”級位者”が限度だろう。
センスと才能と力で誤魔化している”モノマネ”に、級をくれる師範がいればだが。
そう、魔人達の棒術は、俺達のそれと完全に”同じ思想の物”だった。
”魔人棒術”の真髄をいかんなく発揮した魔国兵たちは、お互いの間隔を維持したまま、揃って前へとゆっくり歩みを始めたではないか。
「うわ!?」
「くるなぁ!!??」
衝撃波の破裂音をまき散らしながら、音速以上で正確に振り回される棒に群れに恐れをなした者達が、口々に叫びながら後ろを下がろうとする。
ご丁寧なことに、それに呼応するようにシセル・アルネスの魔力放出が弱まり、もはや暴徒ではなくなった群衆に、逃げる隙を与えていた。
一方で暴徒の襲撃に取り押さえられていた魔国兵が、開放される端から隊列に加わり、”棒術防御壁”を拡大させながら広がっている。
風向きが変わったことで、本来の護衛役のトルバ兵達もその職務を徐々に取り戻し始めていた。
恐怖をバラ撒きながら行進する魔国兵から逃げる群衆を、大通りの奥へと押し込むように誘導し、代わりに新たに加わろうとする暴徒達を、持ち前の戦闘技術を駆使して押し留めていく。
俺達の周囲の人の動きも、いつの間にか反対向きに変わっていた。
どうにか騒ぎが収まりそうだ。
まだ理性を保っている者のほぼ全員の心に、その言葉が浮かんだ。
見上げれば、舞台車の上で魔王が腰が抜けたかのように玉座の上に座り込むところが見える。
「どうにか、収まりそうですね」
スマイソン大尉がそう言って胸を撫で下ろし、それを見たエリクがホッとした表情を浮かべた。
だが、掴んでいる俺達の手の力の機微を感じられる程の実力者であるスコット先生だけは、まだ表情が硬い。
なにせ、モニカの表情が急激に険しいものになったのだから。
『ロン・・・いくよ』
『え? いくってなに・・・』
『【制御魔力炉】、点火!!!』