1-1【氷の大地 5:~方針~】
「海って何?」
飛んできたのはそんな疑問。
『・・・見たことは?』
「家の近くに無いならないよ」
『じゃあ、初めてだな・・・』
どうやらモニカは家からそれほど離れたことがないらしい。
まあモニカの移動速度的に離れてないといっても数百キロレベルだろうが。
『ええっとな、海ってのは・・・でっかい水溜りだ』
「でっかい・・水溜り・・・」
『そう、そして半端なくでっかい』
「どれくらい?」
『今まで歩いてきた距離くらい進まないと反対側に着かないくらいでっかいかもしれないし、最悪その程度じゃ全く足りない場合も十分ある』
「それはマズイね」
『ああ、とってもマズイ』
そう、とってもマズイ状況なのだ。
眼前に鎮座するこの海原が示す可能性は3つ。
まず一つはこの氷の世界が極圏に存在する大陸だった場合。
もう一つはこれがカナダのハドソン湾などの巨大な入江だった場合。
最後にこれが巨大な湖だった場合だ。
だが俺達にとってその3つに大きな違いはない。
向こう岸が見えないほど距離が空いていることに違いはないのだ。
「まだ後の2つはマシだよね」
『迂回すれば辿り着ける分だけな、ただし距離は相当嵩むが』
もし仮に極圏に存在する大陸だった場合、星の自転によって発生する海流のせいで船で渡ることすら困難になる。
『これからどうする?』
「何ができる?」
『まず1つはこのまま引き返すことだな、といっても森の方が食料の確保が簡単なのでここでしばらく過ごすという手もある』
「それは、やりたくない」
『だが一番安全だぞ?』
「安全が欲しくて旅をしてるわけじゃないよ?」
そうだ、俺はただモニカに引っ付いているだけだが、彼女としては一世一代の覚悟と目的があるのだ。
引き返すという選択肢は最後の最後までないだろう。
『もう一つは、海岸線に沿って移動する』
「それは良さそうじゃないね」
『そう実際問題だらけだ、まず海岸線の形は複雑なので距離を大きく無駄にする』
「遠くから観察してちょっと突き出してるくらいなら無視したら良いんじゃないの?」
『それで無視できるのは比較的小さな半島くらいだ、目ではわからないレベルの巨大な地形による無駄は減らせない』
「そっか、そんな遠くまでは見えないもんね」
『そして仮にここが極圏に存在する大陸だった場合、いつまで経っても先に進むことはない』
「いつまで経っても?」
『そもそも繋がってないわけだからな』
「うわぁ、それは嫌だな」
『ただ、俺はここが独立した陸地だとは思ってない』
「何で?」
『あの森さ、独立しているにしては動植物の種類がかなり多いし、何より・・・・』
「何より?」
『あの森にいた動物だけど、確証まではないけれど家にあった本に全て載っていたと思う』
「へぇーそれで?」
『つまりあの本を書いた文明は、あの動物たちがいる環境に行けるということだ』
「文明って?」
『人のいるところさ、つまり俺達が今向かっているところとも言える』
「じゃあ、歩いていけるんだね」
『いや、そうじゃない、まだもう一つの選択肢を使ってたどり着いた可能性がある』
「もう一つの選択肢?」
『最後の選択肢・・・つまりこの海を渡ってきたということだ』
「それって難しいの?」
モニカが小首を傾げる。
まあ、現状目の前に見える海は一見すると、それほど難易度が高そうには見えないのも事実だ。
実は海といっても眼前に広がるそれは、その大部分が凍っている。
無理もない、極圏の海なのだから凍って当たり前だろう。
だが氷と氷の間には隙間があり、そこから明らかに冷たそうな水面が顔を覗かせていた。
遠くから眺めているとまるで僅かな溝のような氷の間の隙間だが、それでも身長140cm程でソリを2つ引いているだけの小さな存在からすれば絶望的な距離がある。
『試しに聞くけれど、泳げるか?』
「泳ぐって何?」
『すまん、忘れてくれ』
あの環境で泳げるようになる訳ないよな。
「ちょっと気になるよ!教えて!泳ぐって何!?」
『まず水の中に入る』
「え!?」
『そしてその水の中を進む』
「死ぬよね、それ」
『この気温の中ならな』
「濡れたまま外にいるのも頭おかしいのに、わざわざ濡れに行くなんて信じられない!」
『まあ、もっと暖かい地方の話なんだ』
「ロンは水に濡れることの恐さを知らないんだよ、知ってたら絶対に水に入ろうなんて思わない」
そう断言するモニカの姿に、俺は泳げない地方の人間の話を思い出す。
聞いたときはそんなバカなと思ったものだが、こうして実例を見ると案外泳ぐというのはとても恐ろしい行為なのかもしれないと思うから不思議だ。
もっと不思議なのはその話を聞いたときの感想だけ出てくる、俺の中の謎記憶なのだろうが、そこはさらに不思議と変には思わなかった。
『まあ泳げないと、この選択肢の実現性は大きく下がるな』
「水に入らずに氷の間を渡ることってできない?」
『水に入らずって言ったって、水を越えなきゃいけないわけだからな・・・』
そこで俺達は二人揃ってうーん唸る。
ここは何か方策が見えるまで、海岸沿いを移動する他ないか。
俺がそう考え始めた頃、モニカの視界がある一点を注視した。
「あれ使える?」
そう言ったモニカの視線の先には、先程までいた森があった。
正確にはその上空。
そこには人ひとり抱えて飛べそうなほど巨大な毛むくじゃらの鳥が飛んでいた。
『でっかい鳥だな、ええっと、図鑑によると”ルブルム・アンブリア”というらしいぞ』
俺は頭の中の図鑑をめくる。
翼長は最大5mに達する大型の鳥で、どうやら本当に人間も襲う事があるらしい、気をつけないと。
「いや、あの鳥じゃなくて」
『え?でも視線はあの鳥を追っているよね』
明らかにあの鳥の動きに見入っている。
「だから、そうじゃくて」
『え?何?』
「飛べばいいんだよ!」
『!?』
「あの鳥みたいに!」
『ごめん、何言ってるかわかんない』
この子は突然どうしたのだろうか、信じれば羽が生えるとでも思ったのだろうか?
いや、まてよ・・・
『フロウか!』
「そう!」
ここで登場したのは棒状の万能便利グッズことフロウだ。
俺達のスキル覚醒と共にその便利さが最近青天井だが、その便利伝説に更に新たな1ページが加わるようだ。
『ちょっと待ってろ』
俺は早速魔力操作スキルを利用して、フロウに中に魔力を流していく。
「おお!」
それに従い棒状だったフロウが薄く長く変形する。
『こんなもんか』
結果、モニカの背中から羽のようなものが生えた。
天使と言うにはいささか羽の形が簡素だが、とりあえずはこれでいいだろう。
『それじゃあまずは練習だ!行くぞ、モニカ!』
「よし!!」
その掛け声とともに羽が大きく上に折れ曲がり、風を羽に受けながら一気に下へ下ろす。
その力強い羽ばたきによって、あっという間に上空に飛び上がった。
羽だけが。
「『あ、』」
俺達は二人揃って間抜けな声を出す。
一方飛び上がった羽は空中で魔力を失い、すぐに棒状に戻ってしまった。
そのまま落ちてくるフロウをモニカが無言でキャッチする。
後ろで鳥の鳴き声が響いた。
へえ、あの鳥ってあのサイズなのに綺麗な鳴き声なんだな・・・
「・・・原因は?」
『体に固定するの忘れてました』
問題ははっきりしているので、対策も簡単だ。
今度はモニカの体にしっかりと固定するようにフロウを巻きつける。
形としてはパラシュートなどのハーネスに近いか?
すると今度は羽の大きさが小さくなってしまった。
ハーネスが小さいと負荷が掛かるので、ある程度のサイズが必要だが、そうすると今度は羽に回す分のフロウが足りなくなってしまったのだ。
試しに羽ばたいてみるもわずかに体が浮く程度、パワーには余裕があるのだがこれ以上の速度で羽ばたけないのが問題のようだ。
やはり羽にはある程度の大きさが必要だな。
『モニカ、フロウって他にあるか?』
「あるよ」
そう言って二台あるうちの後ろの方のソリにモニカが近づく。
ソリの中には日用品などが積まれており、その中には棒が二本入っていた。
そしてそのうちの片方を掴む。
「これ」
『もう一本は違うのか?』
「そっちは本当にただの棒、重たいから運動するときにはいいんだけどね」
手に取ったのはいつも使っているものとは異なり、白く塗られてはいない。
こちらも”家”にいた時にモニカが練習で使っていたものだ。
さてこれでフロウの量は確保できたが、気になることがある。
二本のフロウは一緒に使う事は可能なのか?
それと混ぜちゃったらどうなるのかだ。
結論から言うと、二本を混ぜて使う事はできなかった。
どうも魔力繊維同士が激しく反発してしまい、どうやっても馴染まないのだ。
ただ二本同時に扱う事は十分可能だったので、普段使っている方を羽だけに。
もう一方をハーネスとして組み合わせて使うことにした。
こうして羽の固定とサイズの問題を同時に解決できたのだ。
『それじゃあ今度こそ行くぞ』
「うん!!」
そして三度俺は羽を上下させる。
すると十分な大きさを持った羽が風をしっかりと掴む感触が伝わってきた。
羽だけ飛んで行く様子もない。
これならいける!
そう確信した俺は羽の速度を一気に速める。
モニカに体重を上回る力を得た俺達は、力強く舞い上がり・・・・
あっという間にバランスを崩して墜落した。
響き渡るグシャッという鈍い音。
幸いにも地面に激突する寸前に、防御システムが発動してフロウが守ってくれたおかげで直撃は避けたが、それでもしばらく動けなくなるほどの痛みに襲われてしまった。
うずくまる俺達。
するとまるでそれを笑うかのように、後ろから鳥の鳴き声が聞こえる。
それがまるで”素人が!”と言っているようでムカついたが、残念ながらこの痛みではしばらく動けそうにない。