2-14【ヴァロアの”血” 15:~”モニカ・シリバ・ヴァロア”~】
「それで・・・何から聞きたい?」
じいちゃんが、彼の執務室の椅子に腰掛けながら、徐にそう聞いてきた。
その傍ら、手で向かいの長椅子に座る様に促すが、モニカは無視する。
2人の間に流れる空気は昨日までと比較してもまだ、考えられないほど険悪だ。
”ヴァロア領の秘密”を知り、それをじいちゃんに迫ったところ、彼は俺達を自分の執務室へと連れてきて人払いをした。
あまり大事にしたくないという事なのだろうが、何となく”今のモニカ”の姿を領民に晒したくないと考えたのかもしれない。
それくらいモニカは今、腹の底から湧き上がる憤りと不快感で魔力がグツグツと煮えながら吹き出し、その勢いで文字通り周囲が歪んで見えていた。
当然、表情は般若の様に険しく、髪の毛に至っては完全に下から上に伸びて、いつものポカンとした天真爛漫な姿はどこにもない。
こんな姿を見れば、誰だって心象は悪くなるだろう。
「・・・いつから、やってたの」
モニカが魔獣の唸りのような声で威嚇するようにそう問う。
「魔法契約が発明される前・・・記録のない時代からだ。
元々ヴァロア家は奴隷商売で名を上げた貴族だからな」
じいちゃんは淡々と答えた。
そこに何ら気後れしたところはない。
「何でこんなこと」
「ホーロン人の奴隷は頑健だ。
特に”ヴァロア領産”ともなれば、1人売れば大家族が5年は食える」
「アルバレスは奴隷禁止なはず」
モニカが指摘する。
実際、俺達の知る限りアルバレスでは、奴隷の使用は最悪極刑もあり得る大罪だ。
それでも、じいちゃんは動じない。
「正確に言うと”解除要項のない主従契約”の禁止だ」
と、事も無げ言ってのけたのだ。
当然、それを聞いたモニカの表情が更にきつくなる。
「あの契約に”解除要項”なんて無かった!」
実際にその身に受けたから分かる。
あの奴隷契約に”解除要項”なんていう豪華な装備は付いてない。
だがじいちゃんは、それを聞いて鼻で笑い、
「それが分かるやつも、法律を知っている奴もここには居ない。
第一、わざわざそれをここまで指摘しに来る暇人もいないさ」
と言ってのけたのだ。
そして更に続ける。
「それに・・・来たところで、どうしようもない。
奴隷を作っているのは、我々と関係ない”山賊団”だからな。
我々はただ、ある歳の子供が毎月”ピクニック”に出かけるだけ」
じいちゃんはそう言うと、これが結論だとばかりに鼻を鳴らした。
なるほど、”ロンダリング”の為の人員まで用意されているとは、随分と筋金入りの事業という事か。
「だからいいと思ってるの? 誰も止めないから?」
それでも、モニカがそう言いながら迫る。
するとじいちゃんがまるで迎え撃つように顔を向けた。
「いいと思っているかだと? それがどうした? いいと思っていなかったら、やらなくていいとでも?」
じいちゃんがそう返す。
その表情は”呆れた”とばかりに不快気な空気を強めていた。
その反応に、虚を突かれたモニカが口籠る。
するとじいちゃんが頬を突きながら聞いてきた。
「それで・・・これを知ってお前はどうしたい?」
「今すぐやめて」
「寝言は寝て言え」
モニカの希望をじいちゃんは、一考の余地も無いとばかりに即座に跳ね除ける。
するとモニカの眉がピクっと動いた。
「なら、国に言う」
「言えばいいさ。
そうすれば私もこの街も破産し、また別の貴族に売られ、他の多くのホーロンと同様、ここも誰もいなくなり、お前はガブリエラの一世一代の好意に泥を塗って、くだらん偽善心が満たされるだろう」
「ガブリエラを盾にするの」
モニカが苦い顔になる。
だがそれを見たじいちゃんは、馬鹿にした様に鼻で笑った。
「いいや、その必要はない。
実際には、今言ったようにはならんからな」
じいちゃんはそう言うと、まるで諭すように語り始めた。
「私がアルバレスに対して、何の根回しもしてないわけがなかろう。
だから、お前がこの街の奴隷商売について、いくら言ったところで何も変わらん。
アルバレスの有力者の多くがその恩恵を受けてる以上、火の粉は被れんさ。
かつてマグヌスがお前を消そうとしたのと同じ理屈だ。
そして私はそうやって強固な地盤を築いてきた。
だから言ったとしても、お前に対するアルバレスの心象が少しばかり悪くなるだけで何も変わらん」
じいちゃんがそう言いながら、諦めろとばかりに手を振った。
だがモニカは引かない。
「奴隷は”鬼”を生む」
「”買ったやつ”の所でな」
「そんな物、なんで買う人がいるの」
モニカが心底信じられないと憤慨した。
確かに売る方も売る方なら、買う方も買う方だ。
特にリスクを全部背負い込む使用者の気が知れない。
だがそれに対し、じいちゃんは了見が狭いとばかりに語る。
「有力者にとっては全てが帳簿の上の出来事だ。
奴隷も帳簿、鬼も帳簿、死人も儲けも被害も全て帳簿でしかない。
軍の力が増大している今、”鬼”というのは売る方も買う方も本当に帳簿の”損害”に過ぎない。
だから 実質的に、我々が気にすることでは無いのだ」
「じゃあ、他の所がどうなってもいいの? 自分のせいで苦しむ人が出ても、見えなければそれでいいの?」
「さっきと同じ質問だな。
そんな気を回す余裕がどこにある? 領民の来年の食い扶持に気を病むこのフェルズに、どこぞの栄えた地域の心配をしろというのか?
この打ち捨てられたヴァロア領に、他に売るものなどあるものか!
理想を語る前に現実を知れ!
”ヴァロア”として生きるというのは、そういう事だ!」
じいちゃんが語気を荒げながら捲し立てる。
それに対しモニカは顔では平静だが、内心では全く引かぬじいちゃんに対し焦りが生まれ始めていた。
「・・・他の道はなかったの?」
「あると思うか? 作れると思うか? この家の隅に捨てられていた”無能な男”に!
有能な奴らは皆、領地の事など気にもせずに正義を抱いて英雄譚の中に逃げ込んだ。
その尻を拭き続けるのが”私”という存在だ」
「・・・だとしても、変えなきゃいけないでしょ」
「一時の宿としてヴァロアを名乗っているような、継ぐ気もないやつが、偉そうな事を口にするな」
即座になされたその回答に、モニカの顔に初めて驚きの色が吹き出した。
そしてそれを見つけたじいちゃんの目が、猛禽の様に鋭くなる。
「隠せてると思ったか? お前がヴァロア領に興味など無いことは初めから見抜いておったわ!
お前のそれが、単に自分の不快な物を排除したいだけの身勝手な”感情”でしかないこともな。
私は少なくとも、お前や先人達よりも領民の事を考え心を痛めておるぞ。
奴隷の待遇には気を配り、実際に”鬼”の発生率も減っている」
「・・・・・」
じいちゃんの指摘に、モニカが言葉を失う。
実際、そこまで本気で”ヴァロア”という名前を考えてなどいなかったからだ。
「継ぐ気も責任を取る気も無いなら口を出すな。
お前の一時の”正義感”の為に、多くの家族が生活を失うかもしれなかったんだぞ。
だが、もし万が一継ぐ気があるなら覚えておけ、”ヴァロア”を名乗るというのはこういう事だと。
責任を取るということは、”罪”を飲み込むという事だとな」
じいちゃんはそう言いながら、勢いよく扉を指差した。
「わかったら、さっさと奴隷達を元の場所に戻してこい!」
「わたしは、そんな事はしない!」
じいちゃんの言葉にモニカが弾かれた様に叫ぶ。
だが同時に掴みかかった手は、モニカの後ろめたさで止められ空を切った。
すると、じいちゃんの剣幕がさらに厳しい物になる。
「そんな無責任な考えで、彼等の人生に手を出したのか!」
「・・・・・!?」
「彼等は己でその人生を受け入れた者達だ。 それをお前の浅はかな価値観で止め、責任を取る気も当てもないのに連れてきたんだ!
ならせめて、お前の手で元の場所に戻さんか!」
俺達に向ってじいちゃんの強烈な叱咤が飛ぶ。
その迫力は、力の有無等を超越した強さがあった。
モニカの内側が様々な感情で嵐の様に荒れ狂い、乱れたスキルの反応に俺の肝が大きく冷える。
なんとか影響は見られないが、いつモニカの力が暴発してもおかしくない状況だ。
実際、モニカから漏れ出た魔力がいよいよ肉眼で黒く見え始め、部屋の中をグラグラと揺らしていた。
じいちゃんの周りに高密度の魔力が集まり始めている。
もはや、いつでもじいちゃんをひねり潰せる状況だ。
だがそこにあっても、じいちゃんは全く怯むことはなかった。
「またそれか」
そう唸りながら、キッとにら睨みつけてきたのだ。
「そんな”虚仮威し”にこの私が怯むと思ったか! 見飽きたわ!
力で脅せば弱い誰もが言うことを聞くと思うな。
そんな安い覚悟で領民を売ってるわけではないわ!」
そう一括するとモニカの顔を平手で叩き、さっさと奴隷を戻しに行けとばかりにまた扉を指差す。
俺達の頬がジンジンと痛んだ。
じいちゃんの腕力程度では痛くない・・・筈なのに・・・
「ぐっ・・・ぐっ・・・」
モニカが内から湧き上がる痛みに歯を食いしばり、頬を抑えながらじいちゃんを睨む。
だが内側から出てきたのは、魔力ではなく熱を持った大粒の涙だった。
◇
・・・・・フェルズ城の玄関にて。
「モニカ様・・・」
玄関先で俺達の顔を見たアルトが驚いた表情でそう言った。
近くで成り行きを見守っていた奴隷達も似たような顔をしている。
そんなにひどい顔か。
「・・・ゴメン」
モニカが消えるような声でアルトに呟く。
そしてモニカは奴隷達の注目が自分に集まっている事を確認すると、持ってきた馬車を指さした。
「早く乗れ・・・」
「・・・え?」
その場の全員が、モニカの言葉に驚き固まる。
それを見た瞬間、モニカの心の奥底から強烈な感情が噴き出した。
「早く乗れ!!!!」
モニカが必死にその感情を噛み殺しながら叫ぶ。
すると奴隷達がお互いに顔を見合わせ、頷き合いながら馬車の中へと歩き始めた。
1人、また1人と馬車の中に消えていく様子を見ながら、その度に俺はモニカの中の”何か”が死んでいくような、そんな苦痛に近い感覚を噛み締め続けるしかない。
◯
それから少しして、フェルズの街の上空に再び大きな黒い翼が広がった。
だが来たときとは異なり、その姿は見る影もないほど力なく、打ちひしがれている。
ただ、それでも街の人々は、まるで死神のようなその姿に、先程とは違った恐怖を感じていたのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・・・・・その夜。
フェルズ城の城主執務室で、ヴァロア伯爵が半ば自棄酒の様に酒を呷っていると、非常に珍しい事にその扉を開ける者がいた。
「爺さん、付き合うぜ」
「・・・ん? アオハの羽虫が何用だ」
なんの脈絡もなく現れたヘクターの姿に、ヴァロア伯爵が怪訝な表情を浮かべる。
するとヘクターはニヘラっと掴みどころのない笑みを浮かべた。
「なに、傷心な老人を慰めておこうとな」
「なら孫の方に行ってやれ」
そう言いながら、ヴァロア伯爵はモニカの部屋の方に目をやる。
「ついさっきも泣き声が聞こえてきた。 だが、泣いているのが”あの子”だからな、城の者が落ち着かなくていかん」
実際、超高位スキル保有者の泣き声など、間違いなく人生で聞きたくない音の上位に入るだろう。
まだ魔獣の横で寝る方が心が休まるというものだ。
だがそれに対しヘクターは肩をすくめて”お手上げ”のポーズを取る。
「あいにく。 酒の飲めない奴を慰める方法は知らないもんで」
ヘクターはそう言うと、ヴァロア伯爵の隣に置いてあったヴァロアの紋章の入ったグラスを手に取り、その古風な作りをひとしきり眺めると、そこに北国でよく飲まれる透明な蒸留酒を注ぐ。
すると、その様子を見たヴァロア伯爵が嘲笑った。
「貴様だって飲めないだろうに」
「それでも”飲んでるふり”はモニカ嬢よりは上手い。 コツは口の中で除去魔法をかけることだ」
自分の口を指差しそう言いながら、ヘクターは酒を一口含み、少し味わう”フリ”をして当たり前のように飲み込んだ。
そして軽く口を拭いながら、”迂闊なこと”をしてくれたヴァロア伯爵への愚痴を漏らす。
「まったく・・・王位スキル保有者をよくあそこまで怒らせられるもんだ。
怖くないのかこの爺さんは。
モニカ嬢がその気になればこんな小さな街、跡形もなく消えるってのに」
「そんな事を言いに来たのか」
「真面目な話、爺さんの方が気になった」
ヘクターの言葉に、ヴァロア伯爵が挑むような視線を送る。
だがモニカと違い、ヘクターはそれに笑みで返した。
「この状況を変えたいんだろう? だから俺に好きにさせてるし、モニカ嬢を怒らせるような真似も平気でできる。
あんた、本音じゃ、この街ごと消し去りたいんじゃないか?」
ヘクターがそう言うと、ヴァロア伯爵が無表情なまま口を開いた。
「ヴァロア領はもう死んでいる。
今あるのは、ただの”骸”だ。
それにアオハの手は借りん。 借りることもできんしな」
「あんたはな、だがモニカ嬢なら話は別だ。 もしモニカ嬢がヴァロア家を継ぐなら、アオハの力で”浄化”もできる。 恩を売るにはちょうどいいからな。
爺さん、本当はそう考えてるんだろう?」
ヘクターがそう言うと、ヴァロア伯爵が大きく息を吐いた。
「あの子に、こんな”汚い土地”はやれんよ。 向こうも欲しくないだろう」
「だろうな。 だが俺の上司は”商売人の息子の嫁”だ。 ”前借り”の相談は乗るぜ?」
ヘクターがまるで秘密の取引を持ちかけるようにそう言う。
するとヴァロア伯爵は、不快そうに椅子の背もたれに体重を乗せながら呟いた。
「・・・なんでそれを、あの子がここに来る前に言ってやらなかった」
「言ってたら、モニカ嬢はヴァロアを継ぐって言ってたかもしれない。 ウチとしちゃ、アオハに嫁いでくれるのが1番だからな」
「商売人め、何が欲しい」
「爺さんが”まだ”持ってないものさ。 だから手に入れるまで、こうして付き合ってる」
ヘクターはそう言うと、持っていたグラスでヴァロア伯爵のグラスに軽く小突き、カランという小気味のいい音を出すと、それを一気に飲み干した。
「だが、爺さん、覚悟しておいた方がいいぜ」
「何をだ?」
「モニカ嬢だ。
あれが強情で頭が硬いときは、とことん根に持つからな」
するとヴァロア伯爵が鼻で笑う。
「・・・ふっ、何を根拠に・・・」
「いや、そうでもないぜ、この旅でわかったんだが・・・」
そう言いながら、ヘクターが笑う。
「あれはウルスラの娘3人の中で・・・1番、俺の上司に似てるんだ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そこから、またたく間に3日が経過した。
といっても、俺達はひたすら布団に籠もってヘソを曲げて拗ねていただけだが。
ごく偶にロメオの様子を見に一階の厩の方に行くことがあるが、フェルズ城の軍馬や軍牛相手にでかい顔をしているところを見るだけで、なんとも腹が立ってしまうから不思議である。
ただ、モニカの立腹ぶりはかなりのもので、カミルが無理やり食わせなければ、食事すら嫌がった程。
俺の言葉にも要領を得ない返事ばかりだし、時折、
『・・・どうすれば良かったのかな』
と念仏の様に呟く以外は、何も話し掛けてくる事はなかった。
それくらい、今の状況はモニカにとっては忸怩たる思いがあると言える。
結局、奴隷産業を目の前にして、俺達に今できる事は何もない。
だが、その事が凄まじい無力感としてモニカの心に伸し掛かっていた。
まあ、これでもだいぶマシになったんだけれど。
昨日など、殆ど一日中、最後に見た奴隷達のあの呆れたような冷たい視線の雨の光景がフラッシュバックしては、泥のように布団に齧りついて泣いていた。
だがそれも、怒りが1周回ったのか今ではボーッと窓からフェルズの空を眺めている。
驚くほど能天気に晴れているこの空を。
俺にとって辛いのは、この件について全くアドバイスしてやれる事が無いことだ。
事が事だけに、感情や道理だけで動くことは出来ない。
奴隷商売については俺も即刻止めさせたいが、同時にせっかく手に入れた”帰る場所”をこんな早く手放すわけにはいかないという思いも強い。
もちろん、いくつか”解決策”は浮かんだが、そのどれもが”モニカの覚悟”を必要とするものばかり。
持ってる”知識”の中にも、こんな時の解決策など載ってなかった。
結局俺は、モニカの”内側”の存在で、側にいて見てやるしかできないという事実を突きつけられ続けるようだ。
昼を少し過ぎた頃、アルトが昼食を持ってやって来た。
「モニカ様、昼食をお持ちしました。
街の南を流れる川で取れた新鮮な魚ですよ」
アルトは何でもないようにそう言うと、部屋の机を食事仕様にセットし始めた。
モニカの目がうつろに動き、アルトの姿を追う。
アルトは表面的にはなんともないが、俺はその手が僅かに震えているの見逃さなかった。
そして、それを見たモニカから”ズキン”という痛みが上がってくる。
「・・・!?」
その時アルトが驚いてこちらを向いた。
モニカが突然、アルトの手首を掴んだのだ。
「あ・・・ごめん」
それに気づいたモニカが、慌ててその手を離す。
「い・・・いえ、だ・・・大丈夫です」
アルトがモニカに掴まれた手首を擦りながらそう答える。
別に何か悪さをしようとしたわけではない。
モニカはただ、人の温もりを感じたかっただけなのに・・・
アルトもそれは分かっているだろう。
だが、それでもモニカとアルトの距離は少し広くなっていた。
部屋の中に気まずい空気が流れる。
お互いにそれをどうしたものかと何度も目線を合わせては、恐れる様にすぐに離す。
そんな空気を破ったのは、俺達の部屋をノックする”コンコン”という音だった。
「あ、はい!」
まるで逃げる様にそれに反応したアルトが、若干俺達を迂回するようにカーブしながら扉に駆け寄り、ノブに手をかけて開ける。
「・・・モニカサマ?」
そう言ってアルトの向こうから顔を出したのは、アルトより僅かに背の低いクリっとした目の少年だった。
「シャンテ?」
モニカが不審げにこの城の雑用見習いの名を呼ぶ。
するとシャンテはアルトにアルバレス語の小声で何かを伝えると、部屋の中へと入り俺達の座るベッドの横までやって来た。
「ゲンキ・・・ダシテ」
シャンテがそう言うと、何かをこちらに差し出す。
「デジル・・・コレ、モッテケ、イッタ・・・”ペラーレ”、キノウ・・・ミツケタ」
辿々しいホーロン語でそう言いながらシャンテが差し出したのは、眩しいくらいにハッキリとしたオレンジ色の1輪の大きな花だった。
「ペラーレは雪の下で成長して、春の一番先に咲く花で、フェルズではとっても縁起のいい花なんですよ」
シャンテの後ろから近づいてきたアルトが、そう教えてくれる。
「・・・・」
モニカが若干驚きつつもペラーレの花を受け取ると、何となく匂いを嗅ぐ。
雪を押し出すためか硬い花びらのその花からは、ほんのりと甘い香りが漂い、その甘さが俺達の”心の凝り”をゆっくりと解してくれるような、そんな気になる。
「ありがとう・・・ちょっと元気でた」
モニカがそう答え、アルトがすぐに通訳する。
すると驚いた事にシャンテは顔を真っ赤にして、言葉にならない声を上げると逃げるように部屋を出ていってしまったのだ。
モニカがそれを軽く笑いながら見送る。
「最後なんて言ってたの?」
「”怒ってる顔は似合わない”ですよ」
アルトはそう言ってはにかんだ。
俺の理解する限り、シャンテはそんなこと言ってないのだが、それを聞いたモニカの心がまた少し軽くなったので無粋な指摘はしない。
「私もモニカ様には笑顔でいてほしいです。
無理なのは分かってますけれど・・・」
すると、そう言いながらアルトが意を決したように正面から軽く抱きついてきた。
目の前に彼女の印象よりも長い髪が大写しになり、彼女の活発な温もりが俺達の体へと伝わる。
「私達にとってモニカ様はやっと咲いた”ペラーレの花”なんです。
ヴァロア領は良いところじゃないかもしれないけれど、見捨てないでください・・・」
アルトのその言葉は震えるように揺れていた。
まるで本当はずっとそう言いたかったかのように。
するとモニカがアルトの手をギュッと握る。
と同時に、また少し心の中に苦い物が充満した。
モニカはまだ、アルトの思いに対し何か声をかけることも、目を見ることもできなかったのだ。
ピロリン♪
その時、そんな空気をブチ壊すような音が鳴り、俺のコンソールにウルからのメールの着信を知らせるサインが現れる。
こんな時に・・・いつもの定期連絡かな。
・・・いや、こんな時だからありがたいのか。
実は結局、ガブリエラには俺達が”ヴァロアの秘密”を知った事を話してなかった。
何となく責めるような口調になってしまうのを恐れていたからだ。
おそらく・・・というか間違いなく、ガブリエラも知っていたと思う。
それでも彼女はそれを飲み込んで、俺達の為にこの家を用意してくれたのに、こんなにすぐに台無しにはできない。
俺はそんな事を考えながら、メールを開封する。
やっぱり、内容は案の定違うはなし・・・
『モニカ・・・』
『どうしたの?』
『・・・悪いニュースだ』
俺がそう言うと、ちょうどその瞬間、窓をコンコンとノックする音が聞こえてきた。
その音にモニカが反応して振り向くと、窓の向こうの屋根に乗るイリーナの姿が。
その姿は彼女には珍しく息を切らせ額に汗を浮かべている。
遠くから急いで駆けつけたことが丸わかりだ。
アルトが急いで窓に駆け寄り開けるとイリーナを部屋の中に引き入れる。
すると彼女は俺達の方を掴んで真剣な眼差しで聞いてきた。
「”話”は聞いてますか?」
「なんのこと?」
イリーナの要領を得ない問に、モニカが怪訝な表情を作る。
だがそれに対し、俺は即座にモニカに伝えた。
『たぶん、ガブリエラからの連絡と同じ内容だ』
「・・・なにがあったの?」
モニカが俺とイリーナの両方にそう問いかける。
するとイリーナが苦い顔で口を開いた。
「モニカ様のスキル反応が・・・観測されました」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
イリーナとガブリエラの思わぬ連絡に、フェルズ城は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
何せ、唐突に俺達がアクリラに帰ると言い出したのだ。
アルトとカローラの2人掛かりで出立の準備が進む中、試しに音声解析スキルを回すと、事の経緯を知らない兵士などは先日のモニカの姿を思い出して、じいちゃんがいよいよ俺達の逆鱗に触れる事をしたのではと邪推していた。
まあ、それもないとは言わないが。
だが、本筋はあくまで”俺”の活動を示すデータが再び現れ始めた事によるもの。
どうやら、北に行き過ぎると反応が出るかもという注意喚起は本当だったらしい。
いったいどういう仕掛けなんだか。
実験で魔力炉を回したのは別の反応として取れたらしいので、誤検知ではないだろう。
こうなればさっさと引き返すしかない。
いくら”準王位スキル”として一部の大スキルの稼働が認知されているとはいえ、それが四六時中稼働しているとなれば国際問題になりかねんからだ。
じいちゃんは、内容を話すと何も言わず、こちらも見ずに頷いた。
結局、この爺さんとは最後まで上手くは行かなかったのが心残りだが、今はどこかその事にホッとしている自分もいる。
まるで逃げるようだが、実際に逃げたい気分だったのも事実なのだ。
◯
「また、随分と慌ただしい出立になってしまったな」
出発前のスキルチェックをしながら、カミルがそう言ってきた。
そういえば前に彼のところを出るときも、かなり荒々しい事になっていたんだっけ。
「カミルさんは、これからどうするの?」
「好き勝手に動くわけにもいかんし、この街でゆっくりと過ごそうと考えておるよ・・・お前さん達がここに戻ってくるならの話だが」
「・・・」
カミルの言葉にモニカが下を向く。
その言葉通り、俺達がこの街に戻ってくるかはまだ未知数だった。
正直、ガブリエラにもらった地位でなければもうとっくに蹴り飛ばしていたかも知れない。
「・・・カミルさんは、この街のこと・・・どう思う?」
「好き嫌いで言えば、好きではない。 奴隷の話は良いことだとも思わん。
だが、たかが来て数日の余所者が言っても、どうもならん。
・・・それでもここで生きておる者も居るからな」
「そう・・・」
モニカはそう呟くと、カミルの腕をギュッと掴んだ。
「わたしが答えを出すまででいいから・・・おじい様を見ててあげて、それとこの街の人も」
するとカミルはまるでモニカを安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。
「言われなくても、私は医者だ」
「うん・・・お願い」
◯
玄関へと向かう廊下の道すがら、俺達とじいちゃんの間のことを知らないイリーナは、城全体に漂うギスギスとした空気に僅かに不審げな表情を作ったが、それ以上に俺達を南に退避させることが優先と考えているのか、特に指摘することはなかった。
一方、俺達と対照的に上手いこと立ち回っていたらしいヘクター隊長は、フェルズ城の番兵たちと別れの抱擁を交わしながらお土産の様な物を貰っている。
会話の内容からしてどうやら指南役のようなことをしていたらしい。
本職の”エリート”に稽古をつけてもらえるのは、こんな田舎の兵士にしてみれば破格の栄誉だからな。
だがそのヘクター隊長は、俺達の横に並ぶなり思わぬことを口走ってきた。
「ふう・・・これでこの僻地ともおさらばできる」
「・・・? 結構楽しそうだったけど?」
「楽しいわけ無いだろ、言葉も曖昧だし、明らかに敵視してる連中だし、”護衛対象”は勝手に動き回るし」
「・・・・」
ヘクター隊長の意外な告白に、俺達は言葉を失う。
ちょっと邪険にしていただけに、そんな風に思ってたのかと、ちょっとデリケートになってる心が傷んだのだ。
するとそんな様子の俺達をヘクター隊長は、やれやれとした表情で後頭部を小突いた。
「ほれ、最後ぐらい明るい顔で歩け。 いい関係を築くには人一倍楽しそうにしていることが一番だからな」
「別に、いい関係なんて・・・」
モニカがそう言いながらプイと顔を前に戻す。
だがそんな態度とは裏腹に、なんとか笑顔を作ろうと顔の筋肉に指令を出していた。
『【笑顔】使おうか?』
『いい、そこまでしたくない』
俺の提案にモニカが若干苛立ち気味にそう答える。
まだまだご立腹らしい。
複雑な年頃だ。
だが1階に降りた時のことだった。
「・・・あっ」
驚いたことに、階段の下でロメオと一緒にじいちゃんが待っていたのだ。
「見送りくらいさせろ」
「・・・・」
じいちゃんの言葉にモニカが無言で頷く。
すると場にまた強烈な居心地の悪い空気が充満する。
じいちゃんもそれを察したのか、それ以上は言わずにロメオの手綱を隣の兵士に渡すと、先陣を切るように扉に向って歩き始めた。
『・・・・』
『まあ、行こうぜ』
『うん・・・おじい様もどうしようもないのは分かってる』
俺達はそう言い合うと、そのままじいちゃんの先導のもと、重々しい空気の中玄関へ歩みを進める。
その中で、モニカは無言のまま目だけでじいちゃんの大きな背中を見つめていた。
まるで、父親の面影でも探すような視線で・・・・
だがその歩みは、3歩も進まずに途絶えてしまった。
なにやら玄関の方が騒がしいのだ。
聞こえてくるのは、兵士と思われる大きな叫び声と、いくつかの悲鳴・・・
「・・・何事だ?」
じいちゃんが眉を顰め、そう呟きながら玄関に向かって走ろうとして・・・その肩をヘクター隊長に掴まれて止まった。
「・・・!? なにを・・・」
「じいさん、”俺達3人”の後ろから出るな」
そう言うのと同時にイリーナが前に飛び出し槍に手をかけ、続いて俺達が”グラディエーター”を展開しながらその横に並ぶ。
俺達2人とも、玄関の扉の向こうから漂ってくる”並々ならぬ気配”を感じ取っていた。
『ロン・・・』
『ああ、誰かやってくる』
【透視】で扉の向こうを観察しながら、その向こうに映る見慣れぬ人影に俺達は警戒の色を強める。
するとその扉が”バン!”と大きな音を立てて開けられ、負傷した兵士が這うようにして飛び込んできたではないか。
「お館様! お逃げください!」
兵士がこちらを向いて叫ぶ。
その瞳にはこれ以上無いほどの恐怖が浮かんでいる。
そして俺達の視線が兵士の向こう、玄関前広場の真ん中に見える人影を捉えた。
するとヘクター隊長が吐き捨てるように呟く。
「・・・だから、奴隷商売はいつか破綻するんだって・・・」
その人影の額からは、燃え盛る炎のような魔力が4筋飛び出し、まるで4本の角のように見えている。
さらに真っ白で濃密な魔力がその人影の表面を厚く覆って、人相はおろか性別まで判別が難しい。
「・・・”鬼”?」
その正体をモニカが問うように呟く。
その現象は間違いなく”魔獣化した人”である”鬼”の特徴に合致していた。
だが、その人物が纏う魔力はルキアーノ先輩とは比較にならないほど濃く、それでいて遥かに”安定”している。
「気をつけろ、かなり古い”鬼”だ。 たぶんAランク以上・・・」
俺達のすぐ後ろからヘクター隊長が呟く。
その額には恐怖からか冷や汗が浮かんでいた。
『どう?』
『ヘクター隊長の言葉通りだ。 なんでこんなところに・・・』
俺がそう答えると、モニカがジリリと腰を落として構えた。
と同時にイリーナの様子をチラリと窺う。
対決となれば、どう考えても彼女を全面に押し出してもらうしかないからだ。
すると”鬼”の視線がゆっくりとこちらを向き、そのまま全員を舐めるように見回すと、その視線がピタリと俺達を向いて止まった。
モニカが挑むように睨み返し、同時にいつでも迎撃できるように体の中で魔力を練り込んでいく。
『勝てる?』
『1人でもなんとか・・・だが、ここだと被害がやばい』
ルキアーノ先輩の例から言って、あの強度を抜くには大出力攻撃が必須になる。
そんな事になれば、流れ弾で何人死ぬか分かったものではない。
まったく、何でこんなところに。
だが俺達の警戒とは裏腹に、その”鬼”とぶつかることはなかった。
驚いたことに、いきなりその”鬼”が膝をついて頭を垂れたのだ。
「聞きしに勝るその魔力! 貴殿をモニカ・ヴァロア様とお見受けする! 我が名は”ザハトバ”、見ての通り醜悪に生き長らえた”老鬼”なり!
最初に、この度の突然の無礼を詫びる」
そして、その口上を叫ぶ。
ホーロン語・・・というかほぼマグヌス語で若干古風な口調ではあるものの、ルキアーノ先輩とは比較にならないほど”まとも”で滑らかだった。
呆気にとられた俺達は、玄関先の広場に跪くその鬼を前に口を開けて見ている他ない。
モニカがグラディエーターの兜を外して、助けを求めるように左右と後ろを見る。
だが皆が皆、こちらをじっと見返すばかりで埒が明かなかった。
なにせ、この”ザハトバと名乗る鬼”は、明らかに俺達を名指しで呼びかけたのだ。
「えっと・・・わたしに用があるの?」
仕方なしに恐る恐る、モニカがザハトバに問う。
するとザハトバは、力強くうなずいた。
「モニカ・ヴァロア様、”ヴァロアの後継者”として、かつて私にヴァロア様が約束なさったことを・・・果たしてもらいに来ました」
「約束?」
モニカがそう言いながらじいちゃんを振り返る、だがそれに対しじいちゃんは知らないという風に小さく首を振った。
「そこにいる老人ではない。 もっと前、まだ”ヴァロア”の名が神のようにこの地に轟いていた頃の話です」
「我が先祖が貴様に何を約束したというのだ?」
じいちゃんが厳しい声でザハトバに問う。
するとザハトバは、まるで羽虫でも見るかのような視線でじいちゃんを見つめた。
「”逃亡すれば死”」
ザハトバはそう言いながら服の上を破り捨て、上半身の魔力を引っ込める。
すると、真っ白の魔力に覆われた左胸の奥から、ぼんやりとした白い魔法陣が浮き上がって見えたではないか。
しかもその形には見覚えがある・・・それはつい先日、山道で俺達がかけられかけた”奴隷契約魔法陣”とほぼ同じ内容のものだった。
「私は今でも”ヴァロア領の奴隷”だ。
だが私は契約に背き逃亡した。 だからその契約通り”死”をくれ」
ザハトバは俺達を見る目に強烈なものを込めてそう言った。
「そこまで死にたいのなら、自分で死んだらどうだ?」
ヘクター隊長が茶化すような声でそう言う。
すると再びザハトバの目がさっと動いてそちらを向く。
「無理だ・・・自分では死ねない」
「身勝手な!」
突然、イリーナが吐き捨てるようにそう叫び、あっという間に距離を詰めると、槍を一振りしてザハトバの首を撥ねた。
そのあまりの速さに、”ブシュッ”っという肉を切る音がハッキリ遅れて聞こえたと錯覚するほど。
少なくともその一瞬の早技に、この場の誰も反応することが出来なかった。
一拍置いて、飛んだ生首が数m先にボトリと落下すると、広場の階段を下に転がっていく。
一方、首のない胴体は依然として白い魔力に覆われており、その上を断面から漏れる真っ赤な血が鮮烈に染めていた。
モニカが唇をギュッと閉めてその血をじっと見つめる。
あまりにも唐突で凄惨な光景に周りの兵士たちは狼狽え、後ろでは侍従達が固まりシャンテに至っては完全に腰を抜かしていた。
イリーナが速すぎて血の付いてない槍を振って払うと、それを背中にしまう。
だがその目は依然として、首のないザハトバの体をじっと見つめていた。
まるで、まだ何かあるかのように・・・
その時、驚くべきことが起こった。
「!?」
イリーナの目が鋭くなり、槍を握る手に力が籠もる。
突然、首を失った断面が彼の白い魔力に覆われながらボコボコと波打ち、そこから肉の塊のようなものがいくつも飛び出して形を作ると、あっという間に元のザハトバの頭が復活してしまったのだ。
「・・・こういう事だ。 私でも私を殺すには力が足りぬ」
復活したザハトバは心底疲れたようにそう言った。
「ほんの少しでも欠片が残っていれば、そこから再生してしまう」
「・・・どういう仕掛け? なんで頭を失ったのに記憶が残ってる?」
モニカが鋭い声で問う。
するとザハトバは新しい頭を手で擦りながら首を振った。
「わかりません。 私はそれ程魔法に詳しくはないので」
「下に転がった頭はどうなるの?」
「増えたりはしませんので安心してください。 今回は無意識にこちらを選んだので、頭は只の肉塊になります」
『どう思う?』
『聞いた限りだと、”概念魔法”辺りと”再生魔法”が、彼の魔力と直接結びついてる感じだな』
モニカの問に俺はそう答える。
正直、見ただけじゃ、これ以上はどういう仕掛けなんだか俺にもさっぱりわからなかった。
とりあえず、少なくともアクリラ内での回復力に比肩するかそれ以上、インスタントな分速度だけなら圧倒的に上回ってる印象だ。
俺の見立てを聞いたモニカが、他の者の様子を見回す。
そして最後にじいちゃんを見つめると、彼はゆっくりと首を振って口の形だけで”関わるな”と呟いた。
それを見たモニカが視線をザハトバに戻す。
「話して・・・なんで死にたいの?」
モニカが問う。
するとザハトバは、一際苦い表情を作りながら彼の人生を語り始めた。
ザハトバが奴隷となったのは今からもう数百年も昔の話だ。
ヴァロア侯爵領の”商品”として生まれ落ちた彼は、幼少期から成人前に奴隷として売られ外の世界に出ていくことになることを大人達から刷り込まれ、そのことに疑問や不安を感じることは殆どなかった。
だが今でも、少なくともヴァロア領での暮らしは幸福だったといえる。
当時からヴァロア領は”商品”の質の向上のために、奴隷として出荷する予定の子供にも・・・いやそんな子供だからこそ様々な訓練や教育を受けさせ、丁寧な扱いをしていたからだ。
ザハトバもその例に漏れず、いつか仕える主人のため”ヴァロア産”の名に恥じぬ優良奴隷となることを心に誓う、ヴァロア領のどこにでも居る平均的な青年に育っていた。
そして15歳の夏の日、ザハトバは南方の貴族と正式に契約を結び高値で売られていくことになる。
そこは現在でこそアルバレスの一部となっているが、当時はまだオルドビス(後のアルバレス)の影響下にはなかった。
だがそんなことは15歳の奴隷の少年には関係はない。
ザハトバを待っていたのは、想像していた”忠臣の人生”ではなかったのだ。
その貴族はホーロン産の奴隷を沢山購入していたが、その使用用途はかなり過酷なものだった。
その地域の特産は、流れのない大きな湖の底にのみに出来る大きな魔法石。
後に聞いた話によると、今でも特産品らしい。
だがその採取方法がかなり危険だ。
そこでは泳ぎ慣れてない少年少女たちは腰につけたロープ一本で水に潜り、湖底にガッチリとくっついた魔法石を力づくでこそげ落とし、それを引き上げる。
ロープが付いているのは安全のためではない。
採掘の帰り道、奴隷達はそのロープに魔法石を括り付けそれと一緒に引き上げてもらう。
そうしないと、途中で息が続かなくなって溺れてしまうからだ
ザハトバはロープを引きながら、水を飲み込んで死にかけた友人達を何人も蘇生させた。
もちろん明日は我が身だから、奴隷達は必死だ。
ザハトバ自身、何度死にかけたか分かったものではない。
そして多くの者はザハトバ程運は良くなかった。
毎日のように友人が戻ってこない日が続く。
いつしか夜寝るときにも、姉と慕った少女や弟と可愛がった少年の水を飲んでブクブクに膨らんだ物言わぬ姿が、瞼の裏にこびり付いて離れなくなってしまった。
”次は自分の番だ”という恐怖が、ザハトバを襲い続けたのだ。
だがその状況ですら、他に売られていった”奴隷達”と比べれば”マシ”な方だと知ったときは・・・
ヴァロア領の奴隷は”生産時”は丁寧だが、使用者がそうだとは限らない。
当時既に奴隷制自体が下火になっていた世情の中で、売り先を選ぶことなど出来ようか。
一定のペースで売り続けなければ、領自体が破産しかねないのだ。
そんな状況では、ホーロンの貴族たちにとって自分たち奴隷は単なる纏まった数字中の一つに過ぎず、”奴隷環境の改善”などというのは、あくまで購入者側に推奨する”商品を長持ちさせる秘訣”のレベルに過ぎなくなっていくしかない。
だから極一部の”愛玩用”として購入された者(それはそれで悲惨なのだが)以外の運命も、あくまで高級な消耗品や”投資対象”でしかなかった。
金を払っている以上、そこから先はあくまで購入者の自由だったのだ。
ザハトバが、ようやくその事実に気づいたときはもう遅かった。
もっとも、気づいていても選択肢など無いのだが・・・
それでもザハトバは、”命”を盾に己を縛る”契約”に動かされるように日々を生き続けた。
何年もの年月が経つ。
いや、何十年だったかも知れない。
正確な日付を覚えておく理性など、ものの数年で擦り切れてしまっていたから、覚えていないのだ。
そしていつの間にか、人生の半分以上をその地獄で過ごしたザハトバの中には、まるで呪いのように”生への渇望”が蓄積し始めていた。
それはやがて、徐々にではあるが様々な形で噴出し始める。
何度かは、まだ若い他の奴隷を犠牲にして生をつないだ。
いじめ殺そうとした管理人を事故に見せかけて湖に沈めて殺したことも、一度や二度ではない。
常にマントのように纏わりつく”死の気配”が、彼の中の”生存本能”を刺激し続けていた。
そしてその高まり続ける”生存本能”がついに臨界値を越えたとき、彼の中の眠っていた”呪い”と結びつき・・・破裂する。
働かされていた湖が壊滅し、周囲から生命が消えた後、そこにザハトバの姿はなかった。
”鬼”として目覚めた彼は他の”鬼”と同様、最初の数日を単なる思考のない”災害”として過ごした。
ただ、”生存本能”が魔獣化の引き金となったせいか、ザハトバはその中でもかなり強力な回復力を手にしており、死から遠のいた安心感に酔いしれながら暴れたのだ。
”もう死に、怯えなくていい”
当時のザハトバの心はその歓喜に震えていたように思う。
もちろん、”勇者革命”もまだで”呪い”が単なる呪いだった時代でなければきっと早々に討ち取られていただろう。
ザハトバの回復力は当初、今ほどには強力でも万能でもなかったからだ。
だがその危険な時期を生き延び、百年以上かけて徐々に己の膨らむ”衝動”の中に人格を取り戻した後、彼はひっそりと世界の中に溶け込んでいた。
当時既に”鬼”の頭目として名を馳せていた”ゼキエイ”に助けられ、彼の下で衝動と共に生きる術を学んだのだ。
だが、それも長くは続かなかった。
ザハトバは、どうやってもゼキエイほどには世界を憎めなかった。
まだ、”人の社会”に未練があったからだ。
だからゼキエイ達と袂を分かったザハトバは、人の中で過ごし始めた。
幸い、当時すでに百年を超える”鬼”としての経験が、彼の”根源”となった”生存本能”をある程度制御する力を与え、彼が人の中で生きることを可能にしていた。
そこからの数十年、ザハトバは本当の”幸せ”の中にあった。
社会の中で地位を持ち、仕事を持ち、そして驚くことに最愛の人を持って、その者との間に子供まで持つことができていた。
やがてこのまま”呪恨”すらも薄れて、”人”として人生を全うしていくのではないか・・・そんな風に考えていたこともあったくらいである。
だが彼の中で爆発した”呪恨”は、見えづらくはなっていても決して薄れてはいなかった。
ある日の朝、ザハトバは壊滅した街の中で目が覚める。
住民は残らず引き裂かれ、殆どの家は跡形もなく打ち壊されていた。
呆然と歩き続け家だった場所まで戻り、変わり果てた家族を前にして、ようやくザハトバはその災厄の正体が自分であると知った。
僅かに霞む記憶から、なんでもない自分の子供の悪戯が、彼の中の”生存本能”をほんの少しだけ刺激して、ザハトバの中の”鬼”が目覚めたことを知る。
だが最初のときと同様、何が直接のキッカケだったのかは覚えていない。
それでもそのあまりにもの悲しみに、彼は再び狂い、新たに生まれたその”情動”を己にぶつけた。
すなわち”死”だ。
彼は救いを求めるように死に場所を探し、ありとあらゆる自殺を行った。
だが何度自殺を試みても、長き時の中で強化された彼の”生存本能”が彼を助け続ける。
死のうとするたびに彼の本能がその障害を排除し、仮に死んでも力づくで死の淵から引き戻す。
こうなればその回復力は完全な呪いでしかない。
失った家族のもとに行こうとしても、”呪恨”になるほど生き続けたいと願った”報い”が、彼を地面に縫い付けていたのだ。
そんな風に死を求める中で、いつしか彼は己を殺してくれる者を求めて様々な戦場に顔を出し、多くの強者や魔獣に挑むようになった。
これまた100年を超えるその状態の中で、彼は幾度となく討ち取られ、その度に死ぬ事ができずに涙を流す日が続いた。
何度か勇者に襲いかかったこともある。
だが彼らは決まってザハトバの首を落とすと、満足そうにそれを持っていくだけで殺してはくれない。
彼の肉片が1片でも残っている限り、そのどれかに彼の命が舞い戻り復活してしまう。
ある時など、数百の破片に切り刻まれたが、その時に飛び散った血痕から復活した程にザハトバの”呪恨”の力は強大になっていった。
それでも彼は今も尚彼を苦しめる契約の痛みを力に変えながら、頑なに死を求め続けている。
「そんな折、あなたの話を聞きました。 曰く”勇者”を破ったと」
ザハトバはそう言うと、俺達の目をじっと見つめた。
「私の、この”呪恨”の力にすら勝る回復力を持つ”勇者”を沈めたあなたならば、私に死をもたらせるのではと思い、図々しくも契約の条項を頼りにモニカ・ヴァロア殿を訪ねた次第です」
ザハトバはそう言うと、話を止めて息を大きく吐き出して再び頭を垂れた。
その姿は少しだが満足げで、同時に痛々しくもある。
少しの間、玄関前の広場に沈黙が流れた。
皆、次の状況を求めて俺達とザハトバを見比べている。
そんな中でモニカは、心の中で大きく揺れていた。
「・・・いやだ」
”何でわたしが、そんな責任を取らなければならないの”
心の中にモニカの”衝動”が響く。
その声に引きづられ、全ての戦闘スキルにロックが入る。
さらにザハトバに対し、モニカは消え入るような声でそう呟く。
「・・・あなたの話を聞いても・・・わたしは、あなたを殺したいなんて思わない」
モニカがたどり着いた答えはそれだった。
目の前にいるには、もしかすると”なっていたかもしれない自分”なのだと。
だがそれでザハトバは納得しない。
「私に奴隷契約をする時、ヴァロア侯爵はその中で”脱走すれば、死を以って償う”とされました。 それがこれです」
ザハトバが左胸に浮かぶ白い光を指す。
その魔法陣は、まるで今まさにモニカに反抗するザハトバを罰さんと輝いている。
その痛痒は、常人に耐えられるものでは無い。
「ですがこの魔法の力では、私を苦しめることは出来ても、殺す事はできなかった」
『なんで・・・そんなに死にたいの』
モニカが理解できないとばかりにそう問う。
彼女にとって、人生とはまさに”死からの逃亡”だ。
それは”生”の奪い合いであり、”死”とは究極の敗北である。
決して求めるものではない。
そんな価値観がある事自体が、モニカにとってたまらない恐怖だったのだ。
だが、
「理解してくれなくてもいいです」
モニカの様子を見たザハトバがそう言う。
「ただ、あなたのご先祖が私にした”契約”を実行してくれれば、それでいい」
「わたしは・・・”ヴァロア”じゃ・・・」
モニカが誰にも聞こえない声でそう呟く。
だがそれに対し、ザハトバは懇願するように額を俺達の足下に擦りつけた。
「お願いです、ヴァロア様・・・契約通り、私に”死”をください。 もう生きたくない・・・」
その姿を見たモニカの心が、また大きく揺れそれに釣られるように、目線がザハトバの周りをウロウロと飛び回った。
すると見かねたイリーナが肩を割り込ませ、背中でそっと俺達を後ろに押す。
モニカがその気遣いに安堵し、ザハトバから身を隠そうと腰を引いた・・・
だがそこで、そんな”弱いモニカ”を、そんな自分を許せないモニカがイリーナの腕を握って止める。
それと同時に、俺に上がってくる感情の波がその強さをそのままに、”一定の方向”を持ち始めた。
「・・・ザハトバさん・・・教えて・・・今でも”鬼”は生まれるの?」
モニカが自分の足をじっと睨みながら、そう問う。
「モニカ様・・・”強者”がいくら耳障りの良い言葉を並べたところで、”弱者”の扱いは変わりません。
魔法契約がある限り・・・いや、人が人である限り”鬼”は生まれ続けます」
ザハトバは、まるで当たり前のことを言うようにそう答えた。
それを聞いたモニカが視線を上げる。
改めて見直したザハトバの姿は一瞬前と比べて、驚くほど小さく遠く見えた。
「だめだよ・・・」
モニカの小さな声が広場に響く。
「やっぱり・・・ぜんぜん・・・だめだよ」
「モニカ・・・」
俺達のすぐ後ろから、じいちゃんがそう言いながら心配そうな顔で身を乗り出して寄ってきた。
だがその動きが途中で止まる。
後ろ向きに伸ばしたモニカの手が、じいちゃんの腕をギュッと握って止めたのだ。
じいちゃんの顔がハッとこちらを向き、俺達と目が合う。
そしてこの瞬間・・・・・
モニカの心が一気に意志を持って動き始めた。
「やっぱりこれはダメだよ、おじい様」
モニカがそう言うと、視線をザハトバに戻す。
その視線に先程までの迷いや惑いはない。
モニカはそのまま、前で止めるイリーナを軽く押しのけると、玄関前の広場に向かって歩み出た。
後ろでじいちゃんが何かを喚き、俺達の肩を必死に引っ張るが、気にもならない。
『できる?』
モニカが短くそう聞いてきた。
『目星はついてる。 モニカ次第だが』
俺は淡々とそう答えた。
もう既にモニカの腹は決まっている。
ここまで来れば止まることは無い。
ならば俺は俺の領分をこなすしかなかった。
『わかった』
そして、そんな俺の意思を読んだのかモニカもそう答えると、息を一つ吐いて肩からじいちゃんの手を外した。
その勢いでじいちゃんが姿勢を崩し、ヘクター隊長が慌てて支える。
モニカはそのまま、ザハトバへと大きく一歩踏み出した。
「・・・もう一度聞くけど、下の頭からは戻らないんだよね?」
モニカが俺と”やる事”の打ち合わせをしながら、ザハトバにそう確認する。
すると白の老鬼は表情を緩めて頷いた。
「私が戻るのはあくまで”命ありし時”に別った欠片だけ、既に”命なき”あの首は、只の肉片ではないかと。
・・・保証はできませんが」
「・・・わかった」
モニカがそう答えると、その顔を再びグラディエーターの兜で覆う。
同時にザハトバの周りに黒い魔力が急激に渦巻き始め、すぐにそれが圧縮されて壁の様に取り囲み、続いて、その周りをいくつもの防御魔法陣がそそり立ち、周辺の安全を確保する。
「手伝うぜ」
するとその中に、俺達の物とは異なるより高度な魔法陣が混じりだす。
声をたどれば、ヘクター隊長が珍しく真剣な顔で魔法を展開しているのが見えた。
しかも、ちゃんと俺達のシステムに合わせた魔法陣で。
さすが”エリート”。
正直、俺達の知識じゃ結界の強度に不安があるのでありがたい。
高度な集中を要していたモニカは、返事と礼の代わりに無言で魔力を渡す。
「何を考えてる!?」
後ろではじいちゃんがそう叫びながら駆け寄ろうとして、慌ててイリーナに止められていた。
グラディエーターの装甲越しだと、それも遠くに感じられる。
そして気配だけで全員が”安全圏”に退避していることを確認すると、モニカが次元収納の中から魔壊銃の機関部を取り出してザハトバの上部に取り付けた。
今回は長距離でも目標が逃げるわけでもないので砲身は作らない。
その代わり、少しでもエネルギーを逃さぬように魔力素材と結界で、炉のようにザハトバの周りを覆う。
「これが?」
ザハトバが聞き、モニカが頷く。
「今できる、わたしの最大威力。 これで駄目なら、わたしじゃどうしようもない」
「ありがとうございます」
ザハトバがそう言うと、ホッとした表情で魔壊銃の下に座りこんだ。
だが対照的に、その姿を見たモニカの心が激しい悲鳴を上げ、凄まじい後悔の念が押し寄せてくる。
『どうする? 今ならやめられるぞ』
『・・・・魔力妨害は上手くいきそう?』
俺の言葉に対しモニカが少し逡巡して、自分を追い込むように問い返す。
俺はそこにモニカの”覚悟”を感じて、心を引き締めた。
『ああ・・・これだけの魔力が空気中に浮遊してれば、微細な魔力情報は消滅するはずだ』
俺はそう答える。
これはザハトバの過去の話から導き出した、彼の”選択的再生現象”への対処だ。
おそらくだが、彼が”命”と呼んでいる物の正体は彼の記憶を転写した”魔力情報”だと思われた。
そして、それはこの世界においては実際に確認されている現象であり、代表的なものは稀に死後に発生する”ゴースト”などがある。
聞くだけならとんでもない話だが、元々魔力は様々なエネルギーの影響を受けやすい存在だ。
その中に脳で交わされる電気信号や、様々な情報が含まれていてもおかしくはない。
きっとザハトバの場合、それが自身を一種の魔道具として魔法的に発生し、自身の肉片に再定着して再生するのではないか。
この世界の魔法は強力無比だが、決して超常現象ではなく全てにそれを縛る法則や仕組みがある。
魔力現象として考えるなら、これかもしくは近い現象でなければ説明がつかなかった。
そして、この機構を止めなければ彼の体を完全に蒸発させても、最悪他のものに寄生して復活しかねない。
だから俺達の取った対処法はシンプル。
空間に溜めておける魔力量は一定であり、それ以上集めるには強力な”魔力圧”が必要だ。
そして今現在、ザハトバの周りの空間は俺達の魔力で臨界以上に満たされており、微細な魔力情報を入れ込む余地はなく、伝わる先はどこにもない。
だがこの仕掛けを考えながら、俺は胸が傷んだ。
いつもならその無骨なデザインが力強く感じる魔力炉のコンソールが、今はゾッとするほど冷たく感じて怖い。
そういやこれまで、自分の意志で”人格あるもの”を殺したことは無かったんだっけ。
『準備できたぞ』
俺がその事をモニカに伝える。
その瞬間、頭の中”でカチッ”っという、モニカが完全に覚悟を決めた音がした。
と、同時に周囲の空気が一気に変わる。
ガスッ!!
だがその時、突然ザハトバの腕が俺達の首を掴んできた。
それも凄まじい力で。
その圧力に強化装甲がピキピキと鳴る筈のない音を立てる。
驚く俺がザハトバを見れば、いつの間にか彼の全身が白い魔力に覆われ、額から角のように立ち上る魔力が大きく揺らいでいるではないか。
『しまった、準備が大掛かりすぎて”生存本能”を刺激しちまった』
だが、即座にザハトバのもう片方の腕がそれを止めに入る。
「早く・・・意識が保たない」
ザハトバの苦しげな声が聞こえてくる。
だがその腕を、モニカが優しく触れて止めた。
「大丈夫だよ」
そして、そう言いながら反対の手で、自分の首を掴む腕を握る。
直に触れた老鬼の腕は驚くほど固く、驚くほど歪んでいた。
「安心して」
モニカがザハトバに、まるで慈母のような声で語りかける。
すると首を握る彼の腕の力がフッと弱まり、反対にその手を握るモニカの手の力が強くなった。
モニカの声が頭の中に響く・・・・
『【制御魔力炉】・・・点火』
その瞬間、これまでとは比較にならない魔力が俺達の体の中を駆け巡り、それを感じたイリーナが大声で注意を喚起しているのが、後方視界に見える。
全てが、ゆっくりに見えた。
そしてザハトバの姿が、膨大な魔力を吸って真っ黒な壁に変化した結界に包まれて見えなくなる。
最後に見たのは、ゆっくりと目を閉じるザハトバの顔。
そこに苦しみはない。
「ああ・・・これでやっと終われ・・・」
その瞬間、魔壊銃の機関部が黒い光を放ち、その光で辺りが真っ黒に染まった。
◯
フェルズ城の正面玄関前の広場が、凄まじい光に包まれている。
魔力で全体から不気味な黒い光が、膨大な熱エネルギーでその中心からは白い強烈な光が飛び出していた。
その光は数km先の街の外れからでもハッキリと視認できた程。
近くの者達は、あまりの眩しさにイリーナを除いて誰も直視する事ができなかった。
そればかりか、発生した熱が結界を貫いて放たれ、焼けてしまいそうな恐怖を感じている。
そしてその光は、実に3分間に渡って続く。
そう書けば、わずか3分。
だがその3分は、見る者にとっては永遠に思えるほど長く感じた。
やがて光が収まり、同時に結界が徐々に晴れていくと、そこにあったのは真っ赤に溶けた溶岩の小さな池が1つ。
跡形もなく消し飛んだのか、ザハトバの姿はどこにもなく、階段下に転がる生首からも再生の兆しはない。
ただ、黒い鎧身を包んだモニカだけが溶岩の池の中に腰まで身を沈め、無言で佇んでいた。
「・・・・・」
ヴァロア伯爵が口を開けるも、そこから言葉が出てこない。
”黒鎧”の兜が外れて中から現れたモニカの顔が、先程までとまるで別人に見えたのだ。
すると熱で弾けた溶岩がモニカの顔にかかり、眼球に当たった溶岩の雫が頬を伝って零れ落ちた。
つたった溶岩が冷えて固まり、灰色の涙の痕のように見える。
真っ赤な溶岩にその身を焼かれ続ける”黒の少女”。
その光景は、ヴァロア伯爵にとってあまりにも世界が違いすぎた。
その時、溶岩池の周りに最後まで残っていた防御魔法陣が晴れ、それと同時にモニカの背中に真っ黒な翼が出現し、足下の溶岩がまるで無理やり熱を奪われたかの様に一瞬にして固まる。
「・・・ロメオ、行くよ」
モニカが後ろを振り返りながらそう言った。
その顔はとても穏やかで・・・同時に鉄よりも硬い。
すると一番後ろにいたロメオが、軽く首を振って兵士の手から手綱を振りほどき、こちらに向かって歩いてくる。
その表情はモニカの”変化”を感じ取ってか、いつになく真剣だ。
彼の行く道を開けるため、その場の全員が左右に別れる。
誰も何も言葉を発さず、察しのいいカローラなど、俺達に向かって頭を垂れているほどだ。
ロメオが俺達の横まで来るとモニカが首を優しく撫でて彼の”強化装甲”を起動し、その背中に飛び乗った。
それと同時に、一際大きな漆黒の翼がロメオの背中から出現し、両側に向かって大きく広がる。
「どこへ行く!?」
それを見たヴァロア伯爵が咄嗟に叫ぶ。
すると、モニカのゾッとするほど深い漆黒の瞳がヴァロア伯爵を見据えた。
「やるべき事をしてくる」
そして、モニカは小さくそれだけ呟くと、真っ黒な翼を羽ばたかせ、魔力エンジンを吹かして北国の空に飛び上がったのだ。
それを止められる者は、ここには誰もいない。
ロン「ねえ、俺の台詞殆どカットされてません?」
作者「お前が喋ると、収拾がつかん特に今回は」
ロン「・・・・俺、主人公だよね?」
作者「偶数章の主人公はモニカだよ?」
ロン「・・・・今考えたでしょ」
作者「うん、ゴメン」