0-X1【~幕間 2~】
国境沿いの峠で一人の少女が立ち止まって、天を仰いでいた。
まだ顔には幼さが残っているが、年齢よりも背が高くスラリとした容姿は、青色に輝く髪と相まって浮世離れした空気を作り出している。
彼女は何やら耳に手を当てて、その手を中心に複雑な模様が空中に浮かんでいる。
その模様が様々な形に変形し、少しずつ形がはっきりしてくると模様の中心から音が聞こえだした。
見る人が見ればそれはとても高度に暗号化された念話魔法陣であることに気がつくであろう。
『・・・ガガ・・・ガ・・えるか?・・』
だんだんと雑音だった音が人の声に変換されていく。
今はしわがれた老婆の声になっていた。
『・・ルシエラ、聞こえてますか?』
「聞こえてますわ、ただ名前を呼ぶのは勘弁してください、秘匿回線とはいえ、聞くときは音が出るんですから」
『おや、それはすいませんでした。 まさか天下のルシエラが秘匿回線を人のいるところで開けるような子だとは思わなくて』
「はあ・・・たしかに人のいないところで開けていますよ」
まったくこの人は・・・
『まだ14の子供がそんな溜息をつくもんじゃないですよ』
「その14の子供に秘匿回線の魔力パスなんて、物騒なものを送りつけたのはどこの誰ですか!」
思わず声を荒げてしまった。
ルシエラは誰かに聞こえていないかとキョロキョロとあたりを見回す。
『まあまあ、ちょっと見てきてほしいだけだから』
「何をですか?」
『いやぁ、なに? 北の方を3ヶ月くらい巡って、変なところがあれば報告してほしいの』
「先生?いくら私でもそんな漠然としていては、何もわかりませんよ?」
『いやぁ、分からなければ分からないで、それでいいんですよ』
「・・・?、それでもおおよその内容くらいは聞かせてください」
『融通の聞かない娘だねぇ、いやぁね、まあ簡単に言うと”上”の方がバタバタしているらしくてね。
内容はよくわからないんけど、とにかく”北”で何か動きがあるらしいの』
「ちょっと待ってください、校長先生の上ってなんですか?」
『まあ、それは想像にまかせますよ』
「いや、アクリラの上っていったらもう・・・」
『それ以上言っちゃぁダメだよ? ルシエラちゃん』
ああ、これはダメなんだ・・・
つまり、アクリラを運営している存在・・・つまり政府の中枢部がきな臭いという事だ。
「それって大丈夫ですか?私、他国人ですよ?」
そう、私はこの国の人間ではない。
魔法に才能のあった私は幼い時に、魔法先進国であるこの国に留学に出されたのだ。
そして今は中等部から高等部へ変わる節目ということで母国へ一時帰国していたところだ。
そこには国の将来を強制的に背負わされるという宿命がある、今回の一時帰国も母国とこの国のパイプ構築がメインのいわば”命令”に近い。
『いやだなぁ、まだ14の子供なのに自分のことを他国人だなんて、おばあちゃん悲しくなっちゃう!』
「だからその14の小娘に、そんなめんどくさい話持ってこないでください!」
またもや大声を出してしまい、再び周囲に聞こえてないか確認のために急いで左右に顔を振る。
幸いなことに今度も人の姿はない。
もっとも人払いに防音魔法を広範囲に展開しているので、誰かに聞かれる心配はないはずなのだが、それでもどんな落とし穴があるかわかったものではないのだ。
『まあ、本当のことをいうと、”あんた”が彷徨いているという状態がほしいんですよ。 他国の有力な人間が徘徊している状態でどう出るのかで、このゴタゴタの中身が透けて見えるというもの』
「それ、私とっても危険じゃないですか?」
冗談じゃない、唯でさえ母国絡みでシガラミをたくさん抱えているのだ。
『なあに問題ないさ、自然の魔力分布の調査ということで正式に処理されるし、実際”青”の加護に最も近いというあなたが、北の実地調査に行くのは自然なこと』
「じゃあ、なんで最初からそう言わないんですか?」
『それはやっぱり、そうじゃないからですよ。 それにスリード先生あたりも、北になにかあると言ってましたね。
彼女が反応するということは案外、魔力災害の線もあるかもしれません、そうなれば下手な連中が行くよりも、あなたを送ったほうがいいでしょう』
魔力災害の可能性アリって・・・ああ、いやだ・・・
「すぐに高等部が始まるというのに・・・」
『まあ長めの休暇だと思ってゆっくりしてください、高等部の授業なんて、今更あなたが受ける必要のないものでしょう、中等部との違いなんて制服くらいのもんですよ』
「乙女的には、その制服の違いが一番重要です!」
『ははははは!!!あなたにも、乙女心があったんですか!? これは失礼しました!』
念話先から大きな笑い声が響く。
よほど面白かったらしい、そんなに私が乙女心を持っているのが不思議だろうか?
『いやぁすいません。 まあそれなりの埋め合わせはちゃんとするし、仮にあなたならよほどのことがない限り逃げられると信じてますし』
模擬戦でエリート資格持ちに勝つのも考えものだな、多少の無茶は逃れられると本気で思われているようだ。
まあ、私も勝てない相手はいるが、逃げられない相手はいない自信くらいはあるのも事実だが。
それにこの様子じゃ、どうせもう断れないのだろう。
「・・・はあ、わかりました、とりあえず温泉巡りでもしてみる事にします」
『おお、それでいい、良い温泉のレポートを期待しているよ!』
それを最後に念話は打ち切られた。
機能しなくなった魔法陣から、プシュウという音を立てて魔力が抜けていく。
「さて・・・」
北といっても範囲はとんでもなく広い。
特に場所が指定されなかったことを見るに、どこでもいいのか、どこでも異変に気づけるかのどちらかだろう。
まずは大きな街から当たるのがいいか。
ルシエラは頭の中で、この国の地図を広げる。
どうせなら観光地に行こう。
となると・・・
「決めた!ピスキアで温泉に入るわよ!」
ルシエラがまるで誰かに話しかけるように声に出して、目的地を告げる。
するとまるでそれに反応するかのように、ルシエラの後ろの山が動いた。
**********
首都ルブルムの地下200mのところにその施設はあった。
ここは地上と違い魔力を発する人間がいない。
務めているのは国中から選ばれた天才的に魔法の才能のない者ばかりだ。
魔力を持つ人間が無意識のうちに周囲に自分の魔力をばら撒いているのに対して、ほんの少しの魔力も持たない彼らは、周りに対して魔力を発したりはしない。
そのおかげで、この様な特殊な施設で働けるのだ。
施設の中心部には何やら光る布の様な物が吊るされており、その状態を一定間隔で観測員が記録していた。
本来ならばこの布が変化を見せることはない。
この布は周囲の魔力に反応してたなびく特性があるのだが、高度に魔力から遠ざけられたこの地では反応することすらないのだ。
ではなぜこのような施設があるのかというと、ここまで隔離された施設に対して影響を及ぼす魔法やスキルを検知するためだ。
そういった魔法や、特にスキルは大抵碌なものではない。
そして今現在、魔力を感知する布は一定間隔で小さく波打っていた。
きっかり毎秒同じ方向に4回・・・・これはスキルの特徴だ。
状況に応じて波が千差万別に変化する魔法に対して、スキルは内容にかかわらず比較的遠くでもこのように全く同じ波形を示す。
それにここまで出力が安定しているということは、スキルのランクは相当に高いはずだ。
間違いなく”軍位”以上・・おそらくは”王位”だ。
「ふわぁあ!」
その時部屋の隅から女性の欠伸が聞こえる。
彼女もまた魔力に見放された人間だが、ここの観測員ではない。
この施設は少なくとも国内で発生した全ての王位スキルを観測できる。
すなわち王位スキル保持者のプライバシーを一部扱う形となる。
となると、問題になるのが現在国内で唯一知られている王位スキル保持者が、本物の王族だということだ。
王族の情報は内容の如何にかかわらずそれだけで機密扱いになる
そのため、情報の扱いに対して問題が無いよう宮殿に勤める人間が常駐している。
それが彼女ということだ。
いつもならば、王位スキルの観測ともなれば、彼女が一番あちらこちらを走り回っているのだが、今回は関係ない。
一人蚊帳の外に置かれたため、暇であくびが出るのだろう。
だが他の観測員はいつもよりも遥かに忙しく動き回っていた。
これまで観測したことの無い波長のスキルを、ずっと観測しているというのは初めてのことであり、多くの場合それは故障を意味する。
恐ろしく高価な観測機器を壊したのではないかと、観測員たちが右往左往していた。
さらに連絡員も報告を聞きに来るたびに顔を真っ青にして飛んで行くので、外の様子がわからないという事も彼らに追い打ちをかけていた。
実は他の観測所でも同様のことが起こっていたのだが、その内容があまりに緊急を要していたため観測所間の連絡が取られていなかったのだ。
その時、突然観測器がランダムな魔力のノイズを捉える。
間違いなく大きな魔力を持った人間がこの場所に近づいていた。
ドンドン
部屋の扉が乱暴に叩かれる。
扉の近くにいた観測員が慌てて、分厚い魔鋼製の扉を開ける。
扉の向こうには案の定、エリートクラスの腕章をつけたいわゆる役人が立っていた。
通常彼らのような強力な魔力を持つ人間は観測結果を台無しにするので、この部屋まで来ることがない。
にもかかわらずやってくるということは、事態が相当に深刻な状態ということだ。
「観測室長はいるな・・・」
その声は恐ろしいほど冷え切っていた。
「・・はい、私です・・」
中年の観測員が名乗りを上げた。
その顔は観測機器の破損の責任を取らされるのではと恐怖に染まっている。
「・・・来い」
まるで死刑宣告の様な短い一言に、周囲の人間から同情の視線が浴びせられるが、
浴びせられた観測室長は冷や汗を大量に流しながら、扉に向こうへと歩いていく。
ツカツカと上り坂になっている廊下を歩く二人。
廊下は緩やかな坂道になっており魔力に満ちた外界から観測室を距離的、高度的に遠ざける仕様になっている。
「大丈夫かね?」
役人が声をかける。
「すいません筋力強化が使えないもので・・・」
本当はあなたの顔が怖いのですなどと言えない室長は、咄嗟に誤魔化そうとした。
これは半分正解、半分不正解だ。
魔力を持っていないので筋力強化が使えないのは事実だが、毎日ここを昇り降りしているので、この程度で疲れたりはしない。
それを見抜かれたのか、室長は役人に肩を掴まれた。
室長の心臓が止まりそうになる。
よく見れば役人の階級章は明らかに将軍クラスのものであり、早い話が凄まじいほど雲の上であることにこの時初めて気づいた。
「疲れたのなら休むといい」
だが掛けられた言葉は意外にも優しいものだった。
「そのような顔のままで部屋に入られると困る」
「え?」
そこで初めて室長は廊下の上り坂が終わっていることに気付いた。
今は観測室へ向かう長い廊下の手前にある、報告用の会議室の前である。
「ほら、深呼吸して・・・」
「すう・・・」
「そう、リラックスだ」
その言葉には不思議と人を落ち着かせる効果があった。
これが将軍の威光というものなのだろうか?
役人の言葉に合わせて深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら、室長はそのような感想を持った。
室長の様子がだいぶ改善されると、それを見計らった役人がポンと背中を叩く。
「それでは、頑張ってきたまえ」
「え!?」
あっけにとられる室長を無視して、会議室の扉が開き半ば強制的にその内部に連れ込まれる。
そして中に入った室長の顔から再び冷や汗が噴出した。
目の前に鬼がいたのだ。
正確には鬼のような人間が・・・・
その鬼のような人間こと、マルクス元帥の正体を室長は即座に見抜いた。
なんてことはない、彼こそがこの観測所が所属する”国防局”のトップなのである。
だがこれまで室長は入所の時の訓示以外で、マルクス元帥の姿を見たことがなかった。
これほどの大物がわざわざ呼びつけるとは一体何事か?
いくら観測機器が高価だとはいえ、流石にそれほどまでではない。
ここに来て初めて室長は自分の想像以上の事態に、巻き込まれているのでは無いかという疑念を持った。
だがその想定すら甘かった。
「・・・報告を聞こう」
奇妙なことにこの言葉を発したのはマルクス元帥ではなかった。
そしてもっと奇妙なことに、マルクス元帥が会議室の一番上座に座っていない。
よく見れば他にも沢山の人間が会議室につめていた。
どれも制服に沢山の勲章をぶら下げているような、超の付く国の大幹部達だ。
だがその全員が霞むような人物が上座に座っている。
室長は恐る恐る声のした上座へ、視線を向けた。
そこには迫力こそ無いものの、居並ぶ重鎮達を完全に支配下においたようなオーラを放つ老人が座っていた。
「聞こえたかね?報告を聞こう」
再び、その口が開かれる。
そこには確かにこの国の国王が座っていた。
今回を持って今章の話は全て終了です。
次回からは章を新たにモニカ達の旅がスタートします。
ここで切りが良いということで、変に見えていないかとか、行の長さがおかしいとか、ここにルビを振ってほしいとかでもいいんで、感想を送ってくれると嬉しいです。