2-12【新たな日常 8:~実験~】
俺達の出す魔力波に関する実験までの間、昼食会は和やかに進行していた。
礼儀指導の側面があるので、相変わらず堅苦しくはあったものの、肩の荷が下りたのもあってかガブリエラもいつもくらいには優しげな印象に戻っている。
そんな時、本当になんとなく話の流れがガブリエラの卒業後の進路の話題になっていた。
「・・・というわけで、国防局に部署を構える事になっての。
しばらくは将校待遇ということになるが・・・まあ、実態は殆ど”広報”に近いがな」
「広報?」
「ああ、”特級戦力”の悲哀だ。 国中を回って内外に”ガブリエラあり”と周知して回るのが、主な仕事になる」
そう言ってガブリエラは自嘲気味に小さく苦笑した。
「戦わないために?」
モニカが問う。
「そう、”戦わない”ために。 いわば”カカシ”だな」
ガブリエラはそう言って、再び自嘲気味に笑う。
でも確かに、あれ程の力となればおいそれと使う事はできないし、安易に組織に組み込む事も難しい。
結局、過ぎた力は平時の世では、ここに居るぞとアピールするだけのカカシにしかならないのだ。
「部署の名前は決まったんですか?」
ルシエラが聞く。
するとガブリエラは小さく頷いた。
「”超特別戦略級戦闘隊”」
「そのまんまじゃないですか。 てかそれじゃ他の”特級戦力”の人と変わらなくないですか?」
ガブリエラの告げた名にルシエラが突っ込む。
だがそれに対してガブリエラは憤慨した。
「”超”が付いておろう、”超”が。 そもそも特級戦力といえど、一人に独自の部署が充てがわれるだけでも異例なのだぞ?」
ガブリエラがそう言って、自分の特殊さをアピールする。
ただ、それでもルシエラはそっけない。
「他の人と協調できないだけでは?」
と皮肉を返したのだ。
が、それにガブリエラは即座に胸を張って返した。
「強すぎるからな!」
そのあまりにもの嬉しそうな顔からして、本気で褒められたと勘違いしたようで、ルシエラが口を開けて呆れている。
「それに、そなただって似たようなものではないか」
「ルシエラも?」
ガブリエラの言葉にモニカが聞くと、ガブリエラは大きく頷きながらルシエラを指さした。
「モニカよ聞いて笑え、此奴の本国での所属は”ルシエラの座る家”だぞ!」
そう言いながら面白そうに笑うガブリエラ。
「”座る家”?」
モニカが不思議そうにルシエラに聞くと、彼女は恥ずかしそうに顔に手を当てて呻いた。
「・・・クリステラ軍の伝統なのよ。 ・・・私はそこに所属してて”士官留学”ということでアクリラに来ているの」
「ということはルシエラも”特級戦力”になるのか?」
ルシエラの回答に俺がそう問うと、ガブリエラが「似たようなものだ」と返事する。
「条約で規定された”特級戦力”ではないが、小国にしてみれば似たようなものだろう。
この街にいると麻痺するが、此奴ほどの実力もあると小国にしてみれば、それだけで大きな顔ができるほど強力なものなのだ」
「へえ・・・」
そう言えば最近麻痺してきているが、アクリラに来るまでの道筋では、ルシエラの実力は軍の主力と比べても頭一つ抜けている印象があった。
そんな戦力ならば、確かに小さな国であれば心強いだろう。
「2人共、普通じゃないんだね」
モニカは染み染みと、偉い人たちに縁があったもんだと言う感じに言ったが、その瞬間その2人から呆れた顔を向けられた。
「何を寝ぼけたことを言っておる、モニカもマグヌスとアルバレスの”特級戦力”になると言っただろう。
むしろ新たに専用の条約が結ばれる分だけ、私達よりも厳重だ」
「あう・・・」
モニカが”そういやそうだった”といった感じに仰け反る。
するとルシエラがその件について”現状”の説明を求めた。
「その”条約”ってのはいつ頃結ばれそうなんですか? というか今どういう段階?」
「なにぶん”急ぎの案件”だからの、もう既に草案ができている頃だとは思うが、最終的にはモニカの印がなければ機能しない形に持っていくとヴァロア伯爵から聞いておる。
それに条約から弾かれる国、特に”トルバ”辺りの反応を見る必要もあるだろう」
「トルバはどう返答しそうなんですか?」
「もともと”特級戦力条約”自体に加盟しておらん上、マグヌスだけでなくアルバレスも巻き込んでおるからの、さすがの最強国も超大国2国に協調されては強くは言えまいて。
”国際協調”のお題目をぶら下げられればグズるのも心証が悪いから、騒ぐことも考えづらいしの」
『前とは随分違うんだね』
『パワーバランスと”大義名分”の力だな』
もう俺達は隠すものではなく、むしろ積極的に見せびらかすものに変わってしまったのだ。
「”ちょうとくべつせん・・・りゃくたい”・・・・そこにはガブリエラだけが入るの?」
モニカが疑問を口にするが、まどろっこしい名前のせいか覚えきれなかったようで、途中の難しいところを端折ってしまった。
だがそれでも通じたようで、ガブリエラは返答とばかりに頭を振る。
「いや、私とその”運用”のための関係者、それと護衛用に数人の戦闘員が含まれる」
「護衛?」
ルシエラが”そんなものが必要なのか?”という感じに、その言葉を繰り返した。
「私だって無防備な時間くらいある」
「え?」
ルシエラが衝撃の事実を知ったとばかりに顔を驚きに歪ませる。
実際俺達も驚きだ。
「え!? でも、そ、そんなわけ・・・」
そう言いながら指を折るルシエラ。
1本1本がどんな意味があるのか・・・たぶん不意打ちを入れた回数なんだろうけれど。
だがそんなルシエラをガブリエラは鼻で笑った。
「そなたに隙を見せるほど耄碌しとらんわ! ・・・・だが不安があるのも事実。
それに全ての脅威に私が対応していれば、いちいち大事になる。 手頃な戦力はそれはそれで必要なのだ」
「はー・・・」
まあ、確かにちょっとした事にいちいち核兵器なんて使っていたら、大変なことになるわなー。
それに何より彼女は王女なのだ、1人でいるわけにも行くまい。
あ、そうだ、王女といえば。
「そこでしばらく活動した後はどうするんだ? ”王族の務め”とかあるんじゃないのか?」
俺はなんとなくそう聞いてみた。
ガブリエラだって王族なわけだし、ゆくゆくは国の運営とかにも関わっていくんじゃないか?
「それに国王になる可能性もあるだろう?」
歴史で学んだ限り、マグヌス王は別に男系にも男子にも長子にも限定されていない。
たまたま現国王が第1王子なだけで、先王は第2王子だし、女王が3連続だったこともある。
だがそれに対するガブリエラの答えは本当に意外だった。
「・・・私は国王にはならんよ。 しばらく軍籍で過ごして身の振り方を決めれば、王族からも出ようかと思っておる」
「え!? でもマグヌスって”王の子”であれば、誰でもなって良いんですよね!?」
流石に親類とかだと継承権は格落ちになるが、王の子供であれば皆同格だと聞いていたのに。
「誰でもではない。 ”最も相応しい者”が次の王の座に付くのだ」
俺の驚きを嗜めるようにガブリエラが説明する。
すると、モニカが”当たり前の疑問”を口にした。
「でもガブリエラが一番強いんでしょ?」
「・・・・」
その瞬間、まるで時間が止まったかのようにその場がシーンと静まった。
モニカが何事かと辺りを見回すが、誰も動こうとはしない。
まるで何かの”異変”を感じ取ったかのように、緊張感を滲ませて固まっていたのだ。
そして、当のガブリエラはといえば・・・
「・・・・っく・・・くく」
まるで、石か何かが欠けていくような音を口から漏らしながら、椅子の上で前傾していた。
・・・腹を抱えて。
「・・・っは!っは!っは!っは!っは!」
突然、何かが壊れたかの様に大きな声でガブリエラが笑い声を上げた。
空間がビリビリと震えるようなその声に、俺達は本能的な恐怖を感じ、その場で固まる。
一体何がツボにはまったのか、ガブリエラはこれ以上面白いものはないとばかりに椅子の上で抱腹絶倒し、バシバシと膝を叩いて衝撃波の様な音を立て、それが1分くらい続いた。
やがて、ひとしきり笑って収まってきたのか、目に涙を浮かべながらコチラを見てきた。
それにモニカがギョッとする。
「くぅ・・・ひぃっ、モニカァ・・・国は”猿山”ではないぞ? っくはっはは・・・」
ガブリエラはそう言うと、またひとしきり笑い転げてから、まだ漏れそうになっていた笑いをぐっと飲み込み、十秒ほどかけて真面目な顔を取り繕う。
「うっ、ううん・・・すまん。
だがモニカよ、数百人、数千人の蛮族を纏めるのになら”力”は重要だが、十分に文化的な国をまとめることは出来んぞ。
それに力なら王には”軍”がある、誰がなっても同じ事よ」
そう言ってガブリエラが理由を説明してくれた。
どうやら彼女は、モニカが超大国を力だけで纏められると思った事が、よほどおかしかったらしい。
とはいえ、それに対する己の反応が些か過剰だったことは周囲の様子から感じ取ったらしく、少しバツが悪そうにわざとらしく姿勢を正した。
「まあ冗談はさておいて、私が国王になる気がないのは事実だ」
冗談って・・・
「えっと・・・じゃあ、何でなる気がないの?」
モニカが恐る恐る問いかける。
その態度は今の一連のやり取りのせいで、すっかり萎縮していた。
「向いてないからな」
ガブリエラの返答は、本当にそっけないものだった。
まるでその事に少しの疑いもないかのような。
「モニカよ、大国の王に必要な資質は何だと思う?」
「えっと・・・賢い事?」
モニカが少し考えてから、これならどうだと考えを述べる。
だがそれに対してガブリエラは頭を振った。
「まあ、”愚かでない”というのを含めるのなら、それもあった方が良いだろうが、絶対要件ではない。
それなりの大国であれば優秀な者が参画し助けとなる、超大国ともなれば尚更。
それに国が大きすぎて、どうやっても目は行き届かんからの、個人の優秀さなど物の数ではない。
全て一人で抱え込む秀才よりは、人に任せられる愚者の方が遥かにマシということもある」
ガブリエラの返答にモニカは混乱する。
『強いのも賢いのも違うの?』
『らしいな・・・』
この分だと、”覇気”とかも違うんだろうな。
「今この場にいる3人は3人共、大国の王には向いておらんよ・・・まあ、そこのクリステラくらいの”小国”であれば話は変わるがな」
「・・・うぬぬ」
ルシエラが唐突なガブリエラの祖国disに唸る。
だが本人も小さな国であることは自覚しているようで、唸ってはいるものの反論はできずにいた。
「ぐぬ・・・そんなに勿体ぶるなら、じゃあ何が必要なんですか?」
「私もハッキリとは認識しておらん。 だが強いて言うなら・・・”捨てる力”だ」
「”捨てる力”?」
「王ともなれば、必要にかられて大切なものを切り捨てる決断をしなければならない時がある。 その時にきちんと決行できる能力こそが、大国の王に求められていると私は考えている」
「冷酷な人ってことですか?」
俺がそう聞くと、ガブリエラは首を横に振った。
「冷血漢ではない。 ただ単に切り捨てられないものを普段から作らないような者は、そもそも人の上に立ってはいけない。
誰よりも人を愛し、国を愛し、皆を愛し、捨てられない物をいくつも背負って、それに葛藤し嘆きながら・・・・それでも時が来れば捨てる決断ができる。 そういう者が王になる」
「その時が来れば・・・」
「私にはできぬ」
ガブリエラはそう言いながら、俺達の目をじっと見つめてきた。
その視線に込められた”真剣な思い”に、思わず圧倒されてしまう。
「私の2人いる中で上の方の姉もそうでな。 捨てられないものがあると悟ると、同時にいち早く王家から出たのだ」
ガブリエラはそう言いながら、何処か遠くを見るような表情で食堂の窓の方へ目を向けた。
「でも・・・そんな人、ガブリエラの兄弟の中にいるの?」
「うん?」
だがすぐにモニカのその指摘で、ガブリエラは視線をこちらに戻すことになった。
確かにガブリエラが”その条件”に合致していないことは理解したが、肝心の王家の中にその様な人材が居なければどうしようもない話だ。
というか、そんな”決断できる者”がそこらにいるものかな。
「ああ、なるほど。 だがなモニカ・・・頼もしいことにちゃんといるんだ」
どうやらいるらしい・・・
ガブリエラはそう言いながら、自嘲気味に笑った。
まるでいつか、その兄弟から捨てられる日が来ることを確信しているかのように・・・
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食事会はそれからも少しの間続いていたが、いよいよ”3時のおやつ”の頃合いになった辺りで時間が来たようで、俺達とルシエラ、あと数名の関係者を引き連れたガブリエラは、次元魔法による瞬間移動で以って”実験場”へと向かった。
そこは遠くの方まで開けており、背の高い草が冬の北風に吹かれてすごい勢いでワシャワシャと波打っていた。
どうやら今回の向かう”北の境界線”は、見晴らしのいい草原の中にあるらしい。
俺達がアクリラに来る時に越えた、街道沿いの境界線ではないようだ。
そりゃそうか、往来の激しいあんな場所で大掛かりな”実験”などできようはずがない。
”この件”については未だ秘密なわけだし。
別にアクリラ行政区の境界線は道にだけ引かれているわけではないので、こんな何もない場所でやるのは当たり前のことなのだろう。
一面深緑色の空間の中に、大所帯が巨大な魔道具を広げて準備しているのが見え、その中には見知った顔がいくつも・・・というか観測用の技術者含め全員”いつものメンツ”だ。
その中でもスリード先生の大きな体は一際目立ち、巨大な蜘蛛の体の上でこちらに向かって手を振っている。
それを見た俺達は、少し足を早めて草地の中をかき分けていく。
それにしても、開けた場所なせいか風が強い。
この街は冬でも冬っぽくない気温だが、さすがにこれだと少し寒さを感じたほどだ。
アラン先生が来れるので間違いなく行政区の中なのだろうが、同じアクリラでも、ここは街の中心部から40kmほど離れているのでだいぶ違うんだな。
まさかアクリラの中に、人の活気もなければ、建物の1つもなく、寒さすら感じる場所があろうとは。
別に避けていたわけではないが、アクリラの外縁部に来たのは2回目なのでちょっと新鮮だった。
前は気を失ってて記憶もないし尚更だ。
先に待っていた”立会人”の側に近づくと、すぐにこちらに駆け寄ってきたのは”重武装”のウォルター博士だった。
「今日は”高圧魔力研”も来たんですか?」
それを見た俺が他の関係者に聞く。
するとウォルター博士が馬鹿にしたような口調で答える。
「こいつら巨大スキルに関しちゃそれなりだが、周囲に大きな影響を及ぼす魔力の動きに関しちゃ素人だ。
ちゃんとした実験をするには、”専門家”が必要だろう?」
そう言いながら謎の大きな魔道具を取り出して、断りもなくモニカの周囲の測定を始めるウォルター博士。
この辺は、普段から毎週末のスコット先生への”報告”の時に、隣の魔力研の建物で”色々手伝っている”ので気兼ねが少ない。
この”ブーン”と、少々不快な音をたてる測定器も何度か使ったことが有るので、モニカも心配していなかった。
たしか、魔力の中のエネルギーを測るんだったか。
詳しいことは分からないがそう説明されたログが残っている。
そうやって、俺達の体の周りを一通り測り終えたウォルター博士が何かの合図を送ると、今度はガブリエラのスキル調律師の人とロザリア先生がやってきて、腕や首になにかの器具を取り付け始めた。
無言で黙々と作業するその手際は熟練したものがあり、俺達が疑問を挟む余地もない。
かわりにモニカは、技術者たちの後ろから遠巻きに近づいてきた教師たちに目を向けた。
「どうだ? 調子が悪いとかはないか?」
スコット先生が少し心配そうにそう聞いてきた。
「ううん、なんとも。 いつも通り」
「モニカはそう言ってるが、実際のところどうだロン?」
「ええっと、食後なんで少し消化器官が活発ですが、バイタルは全て正常値の中です」
「ならいい」
スコット先生はそう言うと、彼の外行きの丈の長いジャケットの中から金属製のステッキのようなものを取り出して弄ってから、まるで剣のように腰のベルトに挿し直した。
いや・・・まるでというか、思いっきり”仕込み杖”だな・・・これは剣に含まれるんじゃないのか?
どうやらスコット先生は、これから行う実験で俺達の”護衛”を務めるために、結構気合が入っているらしい。
その少し緊張した面持ちを見たモニカの中から、逆に安心したように緊張が抜けるのを感じた。
やはり、俺達の今後を占う”実験”と聞いて、モニカも無意識に緊張していたのだろう。
食事会で聞いたときはそうでもなかったけれど、こうして現場にやってきて、いざ大掛かりな準備を見れば話は違う。
すると、俺達につける器具のチェックを行っていたロザリア先生が手を上げて、大掛かりな魔道具を操作する技術者に向かって声を発した。
「異常なしです! そっちの”観測”を始めてください!」
するとその技術者が応えるように手を上げ、”ガチャン”という大きな音と共に、巨大魔道具が唸りを上げて起動した。
ブンブンと何かが高速で振動する音を響かせる魔道具。
その音を聞いていると、なんとも心細い気持ちにさせられる。
・・・ん? あ、心細いのは俺じゃない。
『安心しろ、俺やルシエラが付いてるよ。 それにスコット先生もスリード先生もアラン先生もいるし、ガブリエラまでいる』
『・・うん』
「ルシエラ、そなたは先に行け」
ガブリエラが草原の一角を指し示す。
そこの20m四方ほどの空間だけ草が刈り取られ、露出した地面に真っ直ぐな線が引かれていた。
あれが行政区の境界線であるのは、一目見ただけでわかる。
ガブリエラの指示を受けたルシエラが小走りにそこへ向かい、少しだけ慎重になりながら線を越える。
さすがの彼女も、この”真面目な雰囲気”の中でガブリエラに反抗する気はないようだ。
そしてルシエラが地面の線を越えた瞬間、彼女の周りに漂っていた魔法陣の数が3倍ほどに増える。
あの線の外は生徒に掛かっている保護魔法が機能しない、その事が無意識に彼女の防御意識を強くさせたのだろう。
もしくはそこから俺達を保護するという意思表示か。
続いてクレイトス先生を始めとする教師たちが線を越え、ルシエラよりも更に離れた位置に陣取っていく。
その時、唸りを上げる大型魔道具に付いていた技術者が声を上げた。
「観測値、規則性の有る波形は観測されず!」
それを聞いていた校長が耳に魔法陣をいくつも展開し、小声で何かを呟く。
すると通信先からすぐに返事があったのか、魔法陣が規則的に震えた。
「ジェッペ、アンガリオン、トリントの観測所でも観測値に変動はないそうです!」
その報告を聞いた、モニカが「ふうっ」と息を吐き出して気合を入れる。
ガブリエラの説明によれば、今回の実験を遠くから観測するために、校長先生が個人的に信頼できる観測所をマグヌス、アルバレス、トルバの3カ国から選んで、そこからリアルタイムの情報を送ってもらうことになっているらしかった。
「これで”下準備”は全部整いましたな」
あたりを見回しながらウォルター博士がそう纏め、俺達の側に居たロザリア先生に目配せする。
そしてそれを見たロザリア先生は、少しこちらの顔色を確認しながら小さくそれに頷いた。
「それじゃ行こうか。 スコット先生」
ガブリエラはそう言いながら俺達の手を取り、反対側に立つスコット先生に合図を送った。
そのサインに小さく頷くスコット先生。
それから俺達3人は、ゆっくりと境界線に向かって歩みだした。
やってることはただ歩くだけ。
それだけの筈なのに、周囲の者たちの強烈な視線が集中しているせいか、緊張で驚くほど足が重い。
その感覚が俺までハッキリと伝わってくるのだから、実際に体を動かしているモニカの緊張はよっぽどのことであろう。
今この場所には何十人もいるのに、動いているのは俺達だけ。
そして全員が固唾をのんで俺達の一歩一歩を見守っていた。
その”静寂”のせいで風で草が擦れる音と、唸る大型魔道具の地鳴りのような振動がやけに大きく聞こえている。
草の刈り取られたところまでやってくると、境界線を示す地面の線がやけにハッキリと見えた。
応急的に引かれたのだろう、地面を引っ掻いて作られたその線は気持ち悪いほど真っ直ぐで、一見するだけではその”向こう”と”こちら側”で差があるようには見えない。
だが生徒である俺達にとっては、この線の向こうに行くことは重い意味を持つ。
特に”俺達”にとっては。
もっと、ずっと先まで出れないと思ってたんだけどな。
最初に、俺達の手を握りながらガブリエラが、ゆっくりとその線を越えた。
次にスコット先生が、線をまたぐように横に立ち、俺達をじっと見つめる。
その光景がなんだか、泳げない子に水泳を教えるインストラクターのようで、俺は少しだけおかしな気持ちになってしまう。
2人に見守られながらモニカは、ゆっくりと足を上げて体を動かす。
その足が線の上を通過した、まさにその瞬間、不思議な感覚がその部分から上がってきた。
なんというか薄皮が剥がれるというか、タイツが脱げるというか・・・
とにかく境界線を越えた部分から、そんな風に何かが取れていくような感覚があるのだ。
そして境界線から出た部分は、まるで”剥き出し”の様に心許ない。
『なんか冷たい・・・』
その感覚にモニカが身震いする様に呻く。
特に胴体が一気に越えるときの、ゾゾゾっという不快感は結構キツイものがあった。
それでも俺達は何事もなく線を跨ぐと、そのまま引き抜く様に反対側の足を線の内側から引っ張り出した。
「・・・・・」
無言で辺りを見回すモニカ。
当たり前だが、外に出たからといって、何か感慨のようなものが湧いてくることはなかった。
なにせ景色は一緒だし。
だが、もう俺達の体は完全に外にあり、探知系のスキルを回してみれば、いつも掛かっていた魔法が殆どなくなっていることに気がつき、その事が、なんとも言えない不安だけを掻き立てていた。
まるで裸で外に出たような感じの不安だ。
「校長、出たぞ」
ガブリエラがそう伝える。
するとウォルター博士と数人の技術者が、近くに来てまた測定を始めた。
「うむ保護魔法の消失を確認した、始めてくれ!」
ウォルター博士のその掛け声で、再び唸りを上げる大型魔道具の周辺が慌ただしくなる。
さあ、ここからが今回の正念場だ。
ただ突っ立っているだけだが、ここでの結果次第で俺たちの今後が決まる。
どっちかといえば、今回の実験でなにか反応が出てくれたほうがありがたい。
それならば、これまで見えなかった原因が特定でき、根本的な対策が取れるからだ。
反面、もし出なかった場合はやっかいだ。
そうなれば原理的にアクリラの影響を排除できる距離、具体的に言えばおよそ2000km程まで徐々に距離を伸ばしながら実験を続けることになってしまうからだ。
一応、そこまで距離を伸ばしても反応がなかった場合は自由行動は可能になるが、それは大丈夫だからではなく”お手上げ”だから。
更に、どこまで行っても晴れないモヤモヤをまた抱えて生きる事になる。
なので何か出てくれるのを期待しているのだが、
「そのまま、暫くそこにいてください!」
技術員の言葉が飛ぶ。
俺たちの出している魔力波というのは、すぐには出ないのだろう。
もしくは、この近辺はノイズが多すぎて観測しづらいだけか。
そうなると遠くの3箇所の方が先に出るだろうな。
皆の視線が無意識に、そことやり取りを行っている校長に集中する。
その状態が何分続いたか。
「へえっっくし!!」
静寂を切り裂くようにウォルター博士のクシャミが轟く。
「ブルル・・ゔーーむ、どーも冷えてきよったな」
彼は”魔無し”なので、保温系の魔力効果が何も使えず、だんだんキツくなってきたのだろう。
冬でも温暖な地域のせいで防寒が甘い。
この風ではキツかろう。
モニカが労るようにウォルターの背中に手を当て、俺が熱操作スキルで彼の体を温める。
「おお、”外套いらず”か、いいスキルを持ってるな」
ウォルター博士がそう言いながら、携帯型観測機を操作する手を早めた。
過度な緊張の中でじーっと何も起こらない、時間を過ごすのは中々に骨が折れた。
これが狩りならば、強力なモニカの集中で俺の意識も落ち着くのだが、いかんせん今回はそのモニカも不安そうな状態なのだ。
なにか変化はないものかと、遠くの浮島を数えてみたり、この辺は具体的にどの辺だと地図で確認したり、時折上空を往来する様々な物体に思いを馳せてみたりして、何とか時間を潰していた。
「というか、結構空は混んでますねこの辺」
俺が近くのスコット先生にそう呟く。
流石に、街中とは比べるべくもないが、ここはここでそれなりに往来があり、特に速度も出ているので目立つ。
「ん? まあ、マグヌスまでの直線ルートだからな、飛べる者であればこの近くを飛ぶだろう」
「大丈夫ですか? 見つかりません?」
「安心しろ、空を飛べば地面で何かの実験をしている光景など、掃いて捨てるほど見えるわ。
たとえ気になったとしても、実験の邪魔はかなりのマナー違反だからの、近づきはせん。
それにもし邪魔するとしても、我らがついておる」
「だといいんですけど」
ガブリエラのその言葉を頼もしく受け取るべきなのだろうが、緊張しているせいか、だんだん飛行物が気になって仕方がないのだ。
「ほら、あの飛竜とか、結構ヤバくないですか?」
俺はそう言って、指代わりにフロウで空の1角を指し示す。
するとガブリエラとスコット先生の視線がそちらに向いた。
「うん、あれは・・・」
「マグヌスの国旗を掲げてるな。 定期便か何かか・・・」
その時、アクリラ側の方から待望の声が発せられた。
「確認取れました!」
「結果は!?」
校長の言葉にスコット先生が大声で返す。
それと同時に、その場の注目が一斉に校長に集まるのを感じた。
「残念ながら、変化はないそうです!」
その瞬間、異常が見つからなかった安心感と、見つからなかった不満の混じった溜息が一気に吐き出された。
そして僅かな期待を込めて、その視線がこの場の観測を行っている大型魔道具の方へと向かう。
だが、そこにいた技術者は力なく頭を振った。
「観測結果に差はありません。 一応、ガブリエラ様と、モニカ様が今そこで使ったスキルに関してだけは検出できたので、信頼できる結果だとは思いますが」
「ということは、今回は”空振り”かの」
それを聞いたウォルター博士が結論とばかりにそう告げて、関係者の中のモヤモヤが落胆に変わるところが目に見えた。
「まあ気にするな、実験なんて思い通りにいかない事だらけだ」
ウォルター博士が、そう言いながら慰める様に俺達の肩をポンポンと叩く。
そしてそのままスコット先生の方へと向き直った。
「それで、これからヴェレスの方に向かうんだろ? 早くしないと真っ暗な中で・・・」
ウォルター博士の言葉が途中で切れる。
スコット先生がそれに反応せず、空の一点を見つめながら固まっていたからだ。
そしてそれはスコット先生だけではない。
ガブリエラも、少し先のルシエラや他の先生も、そして俺達も。
「どうした?」
不審に思ったウォルター博士が問う。
だがその返答は、素人でも分かるほどハッキリとした”緊張感”だった。
「・・・その子を頼みます!」
スコット先生がそう言うなり、腰の仕込み杖から細い刃を抜いて構える。
と同時に、俺達の肩をガブリエラが掴んで引き寄せた。
見ればすごい速度で、他の技術者達の首根っこを掴んで後ろに退避させている。
次の瞬間、視線の先の空中で大きな爆発が発生し、そこを突き抜けた閃光がこちらに迫るのが見えた。
その閃光は尚も恐ろしい速度で突き進み、途中に出現した青い防御魔法陣を幾つも突き抜けていく。
「気をつけて! これ複合魔法です! 単純効果用じゃ止まりません!」
ルシエラの注意が飛ぶのと、スコット先生が細剣を振りかぶるのはほぼ同時だった。
その瞬間、スコット先生の前に金色の壁が出現し、”ズガガ!”という強烈な音と共にその壁が凹む。
よく見ればそれは、ガブリエラの膨大な魔力を固めた上から大量の魔法陣を潰れて見えなくなるほどの密度で貼り付けたものだった。
役目を終えたその壁が、すぐに晴れる。
第2波はない。
「なーんだ、ちゃんと守ってるじゃない。 感心したわ」
視線の先の空中から、そんな脳天気な声がかかり、その場にいる関係者の鋭い視線がそこに集中した。
だが、その場にいた”人物”をどう表現したものか。
それは間違いなく、”魔法使い”だった。
片手に持った長めの杖から、黄色い浮遊用の魔法陣を頭上に展開し、その浮力でゆっくりと降下している。
その光景が、まるで傘を広げて空を飛んでいるみたいで、着ているフリフリのドレスと相まって、とても非現実的な光景だ。
だがそこに居るには間違いなく、今の攻撃をしてきた強力な魔法士。
多分、ルシエラ並かそれ以上。
まるでお散歩にでも来たかのような笑顔を浮かべているが、見たことない顔。
だが、見覚えはあった。
クリーム色の髪に、その顔の形・・・
モニカをもっと丸くした様な印象だが、目だけが金色に輝いている。
「クラウディア姉さま・・・」
ガブリエラが”なんでここに”といった風に呟く。
すると、その”クラウディア姉さま”は、まるで慈母のような微笑みを浮かべたのだ。
「こんにちはガブリエラ、お姉ちゃんが会いに来たわよ」