2-7【2つの王 4:~”ショック”~】
1人の男がいた。
その者は幼い頃から魔の道に愛され、知の道に愛されていたという。
逸話によれば、産声ではなく謎の言葉を放ちながら生まれ落ち、齢3にして26種の基本魔法回路を全て扱い、10を数える頃には魔力を己の手足のように扱った。
スキルとなるような”力”もなく、”加護”のように魔力に愛されていたわけでもない。
当然ながら勇者のように選ばれたわけでもない。
ただ人々はその力に畏敬の念を懐き、未だ自分達が知らぬ”特別”があると知った。
それが ”カシウス・ロン・アイギス” という男だ。
その中でも彼は”自立型魔道具”、特に”ゴーレム機械”の研究と開発、そして運用においてその名を残した。
彼の作るゴーレム機械は初期のものですら他と比べて3世代進んでおり、後期に至っては今だ誰もなし得なかった水準にまで達していたというのだから、その活躍は俄には信じがたい。
18の時、初めてルブルムの王宮で披露した”受け答え可能”なゴーレムの逸話は、未だその道では伝説となっている。
そして彼はまるで友を求めるかのように、”自立型”の思考回路の研究に没頭していた。
噂では最後には己の身一つで学習し、”人格”に等しい思考能力を身に着けたゴーレムすら制作していたという。
多くの者はこう言った。
”カシウスは人には興味がない”
だがそれは間違いである。
彼は唯1人、とある人物を心の底から愛していた。
”フランチェスカ・アイギス”
ガブリエラの母であるウルスラ・アイギスの双子の姉にして、旧アイギス公爵家の次女。
そしてカシウスの妻である。
だが当初、多くの者はそれはただの政略結婚で、カシウスの心は未だ人形の中に残っていたと思っていたらしい。
5つも離れた年齢差というのもそれを手伝った。
だがすぐに関係者はその”愛”が本物であったと悟ることになる。
彼等が結婚していた10年間、ゴーレムの研究は殆ど進まなかったのだ。
それは彼が無意識に人形に求めていた”愛”を得ることが出来たからだと、周囲の者は・・・いやカシウス本人すらゴーレムの専門誌の中で語っていた程。
だがその”愛”は結婚から10年後、フランチェスカの”死”を以って凄まじい”暴走”を始める。
最初の数ヶ月、彼は狂ったようにフランチェスカの遺体の保存に努めたという。
だが既に損壊が激しく、また未熟な保存技術では、彼の望むような”完全な形”での保存は不可能だった。
次に彼はその”代わり”を求めて、フランチェスカそっくりなゴーレムの作成を始める。
一時期、ルブルムのアイギス邸は大量のフランチェスカの姿をしたゴーレムの試作品で溢れかえったらしい。
だがすぐに、それではどこまで行っても”紛い物”の粋を出れないと思い知らされたカシウスの様子は、誰も近寄れないほど荒んでいたという。
そして新年を祝う祝賀行事のさなか、アイギス邸では大量のフランチェスカのゴーレム達が狂ったカシウスの手によって破壊されるおぞましい光景が広がった。
ここまでが表向きにされている話。
”カシウス将軍の乱心”である。
だが本当の”乱心”は、歴史の闇に隠された、ここからの物語だ。
ある日彼は、フランチェスカの墓を暴き、その腐敗した遺体を取り出すと、アイギス邸の中に作った”クリーンルーム”へ持ち込んだ。
専用のゴーレム機械により徹底的に管理されたその”部屋”は、カシウス本人であっても立ち入ることがなかったという徹底ぶり。
そしてその部屋の中で彼は、フランチェスカの遺体を文字通り”粉々”に分解し、その全てを記録した。
細胞の欠片、壊れた遺伝子、腐敗させていた菌。
その位置、配置、その時わかることの”全て”を徹底的に調べ上げ、それを記録したのだ。
そして彼は凄まじい執念の下、フランチェスカの全身の遺伝子の欠片から彼女の遺伝子配列を推定し、そこから5パターン・・・最終的には1パターンの”遺伝子配列”を作ることに成功する。
同時にここから、それまで10年に渡り止まっていた”ゴーレムの進化”が、誰にも知られることなく、より”おぞましい方向”に再び動き始める。
すなわち”ゴーレムによる生命の創造”である。
カミルの記録によれば、この手法は予想以上にスムーズに進み、2年目には小型のネズミを、3年目には小型の猿類を、そして言葉を濁してはいたがその直後には小型の”亜人”の出産に成功したという。
その順調ぶりから、フランチェスカの”複製品”が生まれるまでそれ程時間はかからないと思われた。
だがそこで大きな問題に直面する。
”王位スキル”を構成する、凄まじいまでの巨大な”力”の発現だ。
フランチェスカの遺伝子は、なんとその現象を高確率で引き起こす分子サイズの原子爆弾だったのだ。
そのエネルギーに胎児はおろか、母体となったゴーレムすら耐えることが出来ず、彼の”生産工場”は大きなダメージを受けることになる。
発現の原因も、フランチェスカ本人に発現しなかった原因も不明。
失敗の連続、その度に破壊される彼の心。
それでもなお、彼は”複製”を諦めなかった。
何がそこまで彼を突き動かしていたのか、フランチェスカへの愛か、ゴーレム研究屋としての本能か、それとも・・・
おそらくこの頃には本人もそれが分からなくなっていたのではないか、とカミルは考えてた。
少なくともカシウスが何をしているのか知らない周りの人間ですら、そのやつれ方を心配したくらいだ。
そんなおり、彼に転機が訪れる。
この20年で魔力界最大の”イベント”・・・・
すなわち、”ガブリエラの誕生”である。
王位スキルの”力”の発現、当時は”大呪”と呼ばれたその現象への対処のため、カシウスに勅命が下ったのだ。
カシウスが何をしているのかは知らなくとも、彼がその当時、世界中の”大呪”の実例について血眼になって資料を漁り調査を行っていることは知られていた。
また王家にはフランチェスカのデータを持っている医療用ゴーレムに、その姉妹であるウルスラの治療をしてもらう狙いもあったのだろう。
それから1年間、カシウスは世界中の専門家と寝食を惜しんでその現象に向き合う”機会”に恵まれた。
結果としてウルスラは助からなかったが、代りに胎児であるガブリエラは生まれ落ちることに成功する。
そしてこの結果は、他ならぬカシウスにとって大きな”躍進”となる。
すぐに”第1子”が誕生したのだ。
そして驚くべきことに、この子はガブリエラと同じ”王位スキル”の”力”を発現した状態で持っていた。
それはカシウスにとっては理想ではなかったが、十分に許容できる範囲であり、同時に国にとっては新たなる”兵器開発”の可能性を示すものだった。
カシウスの狂行を知った国の中枢部は、すぐに極秘扱いで予算を組み、ウルスラ計画の主要メンバーを引き継ぐ形で”フランチェスカ計画”に乗り出す。
カシウスと国、お互いの利害が一致した事で、彼の”愛”は一気に”国家事業”に化けた。
そこに”愛した人を取り戻す”というカシウスの思いが残されていたかは定かではないが、”歯車”は誰も止められない勢いで回りだしたのだ。
そして、フランチェスカの複製遺伝子から数百人に登るモニカの”姉”が生まれ・・・その全員が死亡した。
いくら生まれ落ちたとはいえ、王位スキルの力は僅かな体調変動で簡単に命を奪いかねないほど危険かつ不安定なものだ。
昨日まで元気だった子が、ふとした切っ掛けで簡単に死ぬ。
それはどれだけ体制を整えても対処不能なレベルの速度と威力を持っていた。
ではなぜガブリエラは生存できたのか?
簡単な話だ。
”王女” と ”実験動物”
どれだけ実験動物に投資していようが、掛けられるリソースの”質”も”量”も王女には及ばない。
それに後になって振り返れば、”兵器開発”の意味合いがあったことも足を引っ張った。
汎用性や手法の確立に気を配りすぎて、肝心の対処がおろそかになっていたのかもしれないとはカミルの後悔の念である。
そしてもう一つ重要なこととして、ガブリエラの魔力傾向は”黄”が主だったものだが、実は30%近く”白”も混ざっているのだ。
それは殆どが”黒”に特化しているモニカと比べて、元々の体自体の回復力が桁違いに高いことを意味する。
その”耐久性”が症状の進行を遅らせ、医師に対処の暇を与えていると考えられた。
つまりフランチェスカの体は、そもそもが”王位スキル”の成長に適さないのだ。
それに気づいたとき関係者全員が頭を抱え、打ちひしがれたという。
そしてこの時期、カシウスの精神はついに限界に達し、忽然と姿を消すと、その数週間後”最後の子供”が亡くなる。
ちょうど前国王死去に端を発する大きな政変により混乱したこともあって、フランチェスカ計画は自然消滅しカシウスの存在と行方ごと闇の中へと消えた。
ちなみにモニカの出生に関しては今以って謎で、なぜ生きてこられたかは”俺の存在”があったから。
氷の大地にある”王球”はカシウス失踪時に紛失したものの1つではないか、というのが判明していることを纏めた感じになる。
そして今やその計画は、他国との協調によって急激な経済成長を続ける現王権にとって目の上のたんこぶでしかなく。
計画終了後に”どこからともなく湧き出した”、モニカの出現はフランチェスカ計画の関係者にすら寝耳に水というわけだ。
モニカの年齢的に現王時代中に”生産”と”アップデート”があったのは間違いないわけで、”過去の計画”と言い逃れもできないし、きっとさぞ慌てたことだろう。
これが今俺達が知っているモニカと、その出自に関する概要だ。
そして俺とガブリエラは、お互いに知っている知識を持ち寄って、こんな感じの内容の説明を行った。
その内容を聞いた周囲の者たちの顔が、なんとも言えない衝撃に顔を引きつらせる。
無理もない。
説明した俺やガブリエラもそうなのだ。
俺達はどちらも知っている内容に差があり、今この場で組み合わせてようやく分かったこともある。
モニカの様子はといえば当然・・・
「・・・・・・」
無言でひたすら食い入るようにウルスラの肖像画を睨みつけていた。
もちろん別にウルスラが憎いわけではない。
ただ、自分の中に走る衝撃を受け止めようと、必死に歯を食いしばっているのだ。
モニカの理解力的におそらく話したことの半分も理解していないだろう。
だがモニカはそれを是とせずに、説明中何度もその部分の再説明を求めていた。
毒を食らわば皿までというが、まさかそれの実践を見ることになろうとは・・・
モニカが自分を”何”と理解したのか、俺はそれが気になると同時に恐ろしくもなる。
今こんなタイミングで話して本当に良かったのか・・・
だがモニカはグラグラになるものの、その心が折れる衝撃はいつまで経っても伝わってくることはなかった。
「モニカ・・・・」
ガブリエラが少し心配そうに声をかけてくる。
その顔には、必要なこととはいえ、幼いモニカに衝撃的な事実を伝えてしまったことに対する罪悪感のようなものが微かに見える。
それに対しモニカはといえば・・・
「分かってる・・・分かってる・・・」
と、まるで反芻するように呟きながら、必死に情報を咀嚼していた。
そして無意識に伸ばした手がスコット先生の上着の裾をギュッと握りしめ、小さく震えている。
がんばれ。
俺は無責任にも、その様に心で応援するしかできない。
ここまで知ってしまった以上、あとは時間をかけてモニカの心に溶かし込むしかないのだ。
そしてそれは彼女と体を共有する俺でさえ、代わってやる事も、折半してやる事もできない。
それはモニカの、モニカだけのショックなのだから。
『そう自分を責めるでない』
すると俺に対しアラン先生がそう声を掛ける。
『そなたがいたから、モニカは僅かな期間で強くなれた。 この子なら、いずれちゃんと飲み込む』
そのアラン先生の言葉通り、モニカから上がってくる感情は、大きなショックこそ感じられるものの、俺の心配に反して全く破綻していなかった。
つまり混乱していない。
ただ、己の価値観の置き所を求めて彷徨っている様である。
その様子に俺は安心と感心を寄せると同時に、痛々しい不安にかられる。
これが11歳の子の強さか?
それは明らかに、過剰なまでに頑健な精神ではないか?
なぜ、そこまでならなければならない。
それは俺がモニカにとって・・・
その瞬間、強烈な頭痛が俺達の頭を襲い、”キーン”という耳鳴りのような音が意識を塗りつぶす。
その痛みにモニカが一瞬グラつき、慌ててスコット先生がモニカの体を支えた。
「大丈夫か!?」
「私は・・・大丈夫です」
モニカがすぐにそう答える。
「『どうやら、ロンの方が心労が大きいようだの』」
するとアラン先生が徐にそんなことを言った。
「え? 俺?」
慌てて調整用のコンソールをいくつか呼び出して確認を行う。
すると確かに俺の領域に過負荷の兆候が見られた。
どうやら説明を行った俺の方が、逆にストレスを感じていたらしい。
なんて格好悪い・・・
「『それとガブリエラも・・・』」
アラン先生が鋭い表情でそう言いながら視線を動かす。
そこには頭に手を当てて顔を伏せるガブリエラの様子があり、それを見た侍従達がにわかに色めき立つ。
「ガブリエラ様・・・お体の調子が・・・」
「問題ない・・・私も少し気疲れしただけだ・・・」
そう言いながら様子を窺ったヘルガ先輩を手で押し止める。
だが明らかに顔色が悪い。
彼女も俺と同じようにモニカのことを心配しすぎて調子を崩したようだ。
ただ笑い事で済む俺と異なり、ガブリエラの不調はかなり危険で、侍従や調律師達が慌てて”緊急調整”の準備に走り始めた。
よく見れば彼女の周りの空気が不気味に揺らいでいる。
「『少しタイミングは悪いが、今日の集まりはここで終了としよう、お互いにしばらく独りで落ち着いたほうが良い』」
「その・・・ようですね・・・まったく、なさけない・・・」
急激に調子を崩したガブリエラに代わりアラン先生がそう言うと、周囲にいた全員に目配せを行う。
ここから先は”無礼講”ということらしい。
無作法になるのも構わず調律師達が大声で侍従に指示を飛ばし、メイド達が遠慮なく走っていった。
「『スコット先生、モニカとロンをお願いします』」
アラン先生がそう言い、それに対しスコット先生が頷く。
「途中で”北病院”に寄ります、ロザリア先生もその方がいいでしょう」
どうやら俺達もスキルの状態を、専門医の常駐する環境で診てもらった方が良いという判断のようだ。
「『2人ともショックを受けておる、くれぐれも注意するように伝えてくれ』」
「わかりました・・・モニカ?」
先生たちの情報共有の後、スコット先生がモニカに声をかける。
だがモニカはモニカで、未だ何処か白昼夢でも見てるかのようにボーッとした状態だ。
『モニカ、歩けるか?』
俺の問いかけに対しモニカは小さく頷く。
「ちょっと・・・クラっとしただけ・・・私は問題ないから・・・」
「モニカもロンも、今は余計な気を回すな」
スコット先生が優しいながらも有無を言わせぬ口調でそう言うと、俺達の体をひょいと持ち上げ、そのまま玄関ホールの階段を下って正面玄関の方に向かい始めた。
「我々はこれで失礼します、次回は少し時間を開けたほうがいいでしょう」
最後にスコット先生はガブリエラ側の侍従長に向かって、そう叫んだ。
向こうの侍従長はそれに対して無言で頷きながら頭を下げる。
まあこの様子じゃ、モニカもガブリエラもしばらく顔を合わせないほうが良いだろう。
これは、それくらいの事だ。
だが、
「・・・まっ・・・て」
モニカがスコット先生の肩を掴むと、絞り出すような声でそう言った。
「君は挨拶しなくていい。 今はそれより早く病院に・・・」
「・・・そうじゃない」
・・・?
モニカの言葉にスコット先生が足を止め、俺の内心同様怪訝な顔になる。
それは明らかに何かを訴えるようであった。
俺は何事かと注意をモニカに向ける。
「・・・ガブリエラが・・」
その時だった。
『緊急! 全員その場にて静止!!』
まるでサイレンの様なけたたましい警告音が頭に鳴り響くと同時に、それに負けないくらいの音量でウルスラの管理スキルの声が聞こえてきた。
見れば他の者達もその場で凍りついたように固まっている。
どうやらこの場にいた全員に聞こえたらしい。
するとその瞬間、ゾッとするような密度の魔力の光が、雷のように目の前を駆け抜けた。
視界が一瞬完全な金色で染まる。
「危ない!!」
咄嗟にスコット先生がそう言いながらモニカを守るように身をひねると、次の瞬間、その魔力の光が通った床の石材が爆発し、その破片が弾丸のように降り注ぐ。
「きゃあああ!!?」
「医療班と魔法士以外は下がれ!!!!」
爆発音の次にホールの中に悲鳴と怒声が飛び回り、何事かと後方視界を確認してみれば、今の光で発生した瓦礫に襲われた若いメイドを、ヘルガ先輩が強力な結界で守っているところだった。
そしてそれを成したガブリエラが、2階中央の踊り場で頭を抱えて座り込んでいる。
その姿は膨大な魔力によって曲げられた光のせいでグニャグニャに変形して見え、さらにその魔力の”振動”が周囲の空間ごと不気味にブルブルと震わせていた。
「急げ! 次の”発作”までに抑え込むぞ!」
「いや進行が早い! まずは吸引具で・・・」
まるで戦場のような緊張感を孕んだ調律師たちの声がホールに響き渡り、あっという間にガブリエラの周りを何処から出したのか大きな魔道具が取り囲む。
その動きは無駄がなく、彼等が経験豊富であることを伺わせる。
だが、事態はそれ以上に深刻に進んでいた。
おそらく噴き出した魔力を吸い上げるための魔道具を近づけた調律師の1人が、ガブリエラの魔力に触れて吹き飛ばされたのだ。
「くそ! 予想以上に変動率が高い、屋敷の魔力吸収機構はどうなってる!?」
「正常に吸収しています! ですがガブリエラ様の出力が高いのと、玄関ホールの空間が広すぎて追いついていません!!」
「くっ!! まさかこんなところで!!」
調律師の1人が苦い表情で玄関ホール全体を見渡す。
その視線につられて俺の注意が周りに移れば、そこにはまるで地震のように肖像画達がユラユラと揺れている光景が広がり、その何とも言えない”恐怖”に俺は圧倒される。
まるで命のない不気味な存在に見つめられているような、そんな錯覚を起こす光景だった。
そしてそう感じたのは俺だけではなかったようで・・・
「ガブリエラ様をまず玄関ホールから取り出せ!! 肖像画の”目”に反応している!!」
どうやらリアルすぎる肖像画の目が、まるでガブリエラを見つめる亡者たちのような圧迫感を彼女に与えていたらしい。
その証拠に、ガブリエラの魔力と肖像画の保護のための結界が干渉し合う火花のようなものが、そこら中から舞い上がっていた。
「私が行きます!!」
するとヘルガ先輩がそう言いながら、目の前に防御魔法陣を展開しガブリエラの魔力を掻き分けながら進んでいく。
そしてそのすぐ隣を、アラン先生が同じように続いた。
どうやらまず、この玄関ホールからもっと制御しやすい場所へとガブリエラを移す気のようだ。
だが事態は1秒毎に困難さを増しており、すでについ先程とは比べ物にならない量の魔力がガブリエラから噴き出して、その圧力で階段の手すりが外側にひしゃげてしまっている。
まさか王位スキルの”力”の不調が、ここまで急速に進むものだとは思わなかった。
俺はモニカの中でその事実に大きく肝を冷やす。
つい数十分前まで、ガブリエラはあんなに元気そうにモニカを指導していたのに・・・
いや、それどころか1分前までは普通に少し気分が悪い程度だったはずだ。
だが目の前で繰り広げられている光景は、全てこの僅かな時間で起こったこと。
そしてその圧力は、すぐに俺達のところまで到達した。
「くっ・・・なんて魔力だ!?」
スコット先生が膝を付きながら毒づく。
彼ですらこの魔力の中ではまともに動くことすら出来ない。
彼より弱い関係者は言わずもがな、みんな床に押し付けられたり壁にしがみついたりして、この”魔力の津波”を耐えている。
今動いているのは、ガブリエラへ向かうヘルガ先輩とアラン先生だけ。
2人とも流石というか、ルーベンの”絶対的防御”に匹敵するのではないかという強力な防御魔法陣を展開してゆっくりと近づいていた。
だがそのとてつもない強度の防御ですら、ガブリエラの魔力の噴射の前では台風の中の傘のように激しく変形し、いつ剥がれて吹き飛ばされてもおかしくないほど頼りない。
それでも彼等が近づけているのは、ガブリエラの中の制御が激しく抵抗しているからだろう。
だがその王女様の姿はもう、あまりにもの魔力により黄金に波打つ”渦”の中心にしか見えなかった。
これ以上何かの”悪い要素”が重なれば、コントロールを失ったガブリエラにより、この屋敷がどうなるか・・・
いやこの貴族院のある”西の山”、その周囲全体が危険にさらされる。
そして”悪い要素”というものは、案外その辺に転がっているもので・・・
突如、ガブリエラから立ち上った魔力の光が、俺達を襲おうとするかのように飛び出し、その途中で向きが変わる。
どうやらウルスラの最後の意志が、俺達への被害を避けようと必死に抵抗したらしい。
だが止めるまでには行かなかった。
玄関ホールの空中を、酔っ払いの千鳥足のような不安定な動きで縦横無尽に動き回る魔力の光。
それは明らかに意思を持って人間を避けながらも、ホール内の内装を次々に破壊していく。
そしてその光はぐるりと一周回ったかと思うと、最後に2階の中央に飾られていた”ウルスラの絵”に直撃した。
「ガブリエラアアアア!!!!」
モニカが目を見開きながら叫ぶ。
だがその声は、直後魔力の渦の中心から発せられた、まるで世界が割れる音のような凄まじい音量の悲鳴によってかき消された。
その”悲鳴”の音量は近くでは禄に聞き取れないほど凄まじく。
貴族院に張り巡らされた”静音結界”の許容量を容易く上回って、西の山の麓にいた者にようやく ”お母さま” という単語が聞き取れたという物だった。
そしてそれに続き、頭の中にウルスラの管理スキルによる”最後通告”が響きわたる。
『最終警告! 全制御システムが停止、まもなくこの管理スキルも停止します! 速やかにこの場から退避を!』
すると近くに膝をついていたガブリエラの”侍従長”が、魔法を使って大声で叫んだ。
「気をつけろ!!! 5年ぶりの”本暴れ”だ!!!!」
その直後、俺が見たのは、まるで木っ端のように吹き飛ばされるヘルガ先輩とアラン先生の姿。
そしてそれを成した”衝撃波”が、モニカの体をスコット先生ごと飲み込んで視界が二転三転し、
そのまま屋敷の残骸ごと空中に投げ出される光景だった。
◇
side モニカ
全身を強打したかのような衝撃。
何も聞こえないほどの轟音。
上も下も分からないほど、目まぐるしく変化する視界。
そしてそれらを、自分の”不調”からくる凄まじい倦怠感と頭痛が飲み込んだ。
だが次第にぐるぐると回る平衡感覚が戻り始め、見える世界と聞こえる音が、その”強烈さ”を収めていく・・・・
それと同時にわたしは、次に襲い来るであろう地面との衝突に備え、全身に力を込めて身構えようとした。
だがどれだけ力を込めても、力が入らない・・・・
わたしはそこまで調子を悪くしたのか!?
だがそうでない、以前コントロールを無くしたときと違い、全身の感覚はどんどん”普通”になっていく。
まるで体の”コントロール権”だけが無いかのようだ。
この感覚も、以前どこかで・・・・
すると徐々に感覚が整合性を増し、自分の今いる場所が鮮明になってくる。
そして全ての感覚が”正常”になった時、眼の前に現れたのは、貴族院の中庭の土と暴走するガブリエラではなかった。
”!?”
わたしは声にならない驚きの声を上げる。
そこは荒れ狂う魔力も、吹き飛ぶ瓦礫もなく、ただ全てが整然と並ぶ不思議な空間だった。
何が起こったのか?
たしかわたしは、ついさっきまでガブリエラのお家で、ガブリエラの”お母さん”の絵を見せてもらいながら、自分の出自について聞いていたはずだ。
それがすごく衝撃的で、教えてくれたガブリエラの方が先にショックで調子を崩した。
うん、ちゃんと覚えてる。
だけどここは一体”どこ”?
わたしは様子を見ようと必死に顔を動かそうとするも、眼球すらまったく反応してくれない。
するとその時だった。
『個体名:”モニカ” の知識が ”必要条件” に達したと判断、これより”最高機密情報”の開示を開始する』
”ロン? ロンなの?”
その声は間違いなく聞き知った自分の相棒のものであり、同時に普段の彼の声にあった”暖かさ”のない、まるで機械のような冷たい響きだった。
そして”その声”と同時に、その声の”存在”が自分の中で大きくなるのを感じ、それがやがてわたしの全てを満たしきると、そのまま体を突き破って”世界”に広がる。
一気に晴れる視界と音。
その”アンバランスさ”に、頭がクラリと違和感を訴えた。
わたしは地面にぶつかったと思っていたのに、何処か知らない場所で何もせずに”立って”いたのだ。
ただ、まるで何かを待つようにハッキリと”意思”を持って立っていることだけはわかる。
そこはものすごく細長い、例えるなら”桟橋”のような場所だった。
だがその桟橋は何処かに繋がっているわけではなく、片側は完全に壁に覆われ、もう片方には何も無いという意味不明な構造。
その下に広がるのは水面ではなく、2本のどこまでも続く鉄の棒に、垂直に太い梁が何本も付いている不思議な模様の入った地面がある。
気持ち悪いほど真っ直ぐに続く”謎の模様”をさらに2本挟んで向かい側には、ちょうどこちらのものを逆さにしたような構造の桟橋が見える。
そして、こちらにも向こうにも、見たことない服を着た”やたら弱々しい”人間たちが、体が”桟橋”の何もない側に向くようにしてズラッと並んでいた。
顔が自由に動かないので分かりづらいが、向こうの様子を見る限り、どうやらこの桟橋には中央の階段から人が入ってくるようだ。
おそらくこちらも同じだろう。
彼等・・・いや、わたしも含めて、ここにいる人間たちはいったい何を待っているのだろうか。
その態度から、何かを待っていることだけは理解できる。
そして皆、見慣れないデザインの服を来ていた。
アクリラの住民が着ているものを少し”大人しく”させれば近いだろうか。
だが思い思いの服を着ているアクリラの住人と異なり、ここの人間たちの殆ど・・・特に男の殆どは同じ様な上着と下履きに、造りの割にやたら襟が仰々しいシャツを着ている。
その角ばった襟から紐のような薄さの”首巻き”を垂らしている者も多い。
それと”制服”を来た者も。
だがアクリラの制服ではない。
あんな動きづらそうではないし、それよりあの女子の”腰巻き”は何!?
その下に特に何も履かずに、あんな短いスカートだけなら、捲ればすぐ下着か下腹部が見えてしまうではないか。
だがここではまるでそれが”当たり前”であるようで、誰も一瞥以上の興味を示さない。
かく言うわたしも、その仲間であるようで一瞬だけそれらを視界に収めると、すぐに視線を外して何処か遠くを見るように焦点の合わない視線を虚空に送るだけ。
そういえば”わたし”の視界は随分高い位置にあるようだ。
頭2つくらいは背が高い。
そして体格もガッシリしていて、おそらく”男”の体だ。
股の間に何やら違和感がある。
”これ”も覚えがあるな。
たしかこれは・・・・
その時わたしは、この”世界”をいつ見たのかを思い出した。
あれはそう・・・初めてリコに会ってグルドを倒した日の夜、そこで見た”夢”だ。
だがあのときはここまで”鮮明”ではなかった・・・
というかそれより、もしそうなら・・・・
するとその時、向こう側の”桟橋”の中に少しくぐもった短い”音楽”が鳴り響き、機械的な女性の声で”警告”が発せられる。
”これ”も記憶にある。
すると程なくして、まるで桟橋の間の模様に沿うかのように滑らかに、それでいて驚くほどの轟音をがなり立てながら、非常に奇妙な見た目の”馬車”が高速で通過した。
その”馬車”は、それを引く馬や牛がいないのにも拘わらず、速度は陸を走る魔獣並み。
車体は食器のようにピカピカな金属製で、大きさは都市間の移動に使われる中規模の”高速馬車”くらい。
だが”長さ”が尋常ではなく、1両がちょっとした魔獣並みに長い。
さらにそれが1両だけでなく、10両も連なっている。
そしてその中には今まで見たことがない程の密度で人間が詰まっていた。
”前回”見たときは、その人の密度に気でも狂ったのかと思ったものだが、その感想は多くの街を見てきた今でも尚変わっていなかった。
するとその直後、今度はこちら側の”桟橋”に先ほどと少し異なる”音楽”が鳴り響き、女性の声で”警告”が発せられる。
『 まもなく、1番線に「各駅停車:新宿行き」がまいります。 黄色い線の内側でお待ち下さい 』
わたしはその言葉を理解できなかったが、その”意味”は何故か理解できた。
そして同時に、わたしの体がまるでその到来を待ち望んでいたかのように、僅かに落ち着きをなくし、桟橋の向こうにこちら側の”桟橋”に付ける”馬車”の眩しい光が目に飛び込んできた。
どうやら前回同様、わたしはあの馬車に乗り込むようだ。
ならば覚悟しなければ・・・
なぜなら、これからわたしは”この世界”で・・・・
”死ぬ”のだから。