0-3【オアシスの精霊6:~3体の獣~】
地平線に微かに写った3つの影。
俺はそれが、主が逃がれようとしている存在であると瞬時に理解した。
一方の主も”それ”が見えてからの行動は迅速だった。
主が即座にソリを捨てる決断をし、ソリを繋いでいたロープをナイフで切り離す。
ここならば家から一日で往復でき、後から回収も容易であると判断したのもあるだろう。
これでだいぶ身軽になる。
実は筋力魔法があったのでソリを引いていた時と速度自体は殆ど変わらないのだが、魔力の使用量も体に掛かる負担も大きく減ることには違いない。
これならば最低限の休息で走り続けられるだろう。
だがいくら走っても、時々振り返る時に見える3つの影の大きさはどんどん大きくなる一方だ。
これは確実にこちらが狙われていて、そして間違いなく向こうのほうが早い。
3つの影だったものはやがて、3つの獣の姿であるということがわかり、そしてすぐにそれぞれが巨大な尻尾を持っていることがわかった。
その姿はさながら巨大なリス・・・つまりデカリスだったのだが、この前仕留めたデカリスと比べると遥かに筋肉質でシルエットもあまりリスっぽくない。
そして恐らく大きさもこちらのほうが大きいだろう。
まだまだ距離があるのにも関わらず、その威圧感がひしひしと伝わってくる。
これは不味いのではないか?
今更ながら俺の中にそんな当たり前の考えが芽生え始める。
この前デカリスを仕留めていた主が今回は終始逃げの1手なのだ、少なくともその道の専門家が勝てると判断していない事は間違いない。
尚も巨大化を続けるデカリス達の影、どうやら真ん中の一匹は他の二匹よりも体がかなり大きいようだ。
真ん中のやつが親分で残りがその子分といった事なのだろうか?
あの巨体であの動きならばその速度は車並みだろう。
今はまだ地平線の近くに小さく見える程度だが、向こうもこちらに狙いを定めているのかまだ距離があるのにも関わらず獰猛な視線を感じ始めていた。
切り離したソリの方に注意がいってくれればよかったのだが、どうもそううまくは行かないらしい。
さらに一時間ほどで距離は一気に縮まってしまった。
必死に気にしないようにしているが、主の中の不安がどんどんと大きくなっているのを感じる。
俺も主もこのままでは不味いと思い始めていた。
そして不安になればなるほど足が重くなっていき、それがまた不安につながるという悪循環が起こっていた。
既に筋力は限界を超え、今は実質魔力による筋力強化の分だけで走っている状態だ。
気力で走っていると言ってもいい。
だがこんなことはそう長くは続かないだろう。
だからこそ視界の中に”それ”が見えた時の俺達の中に芽生えた安心感はとても大きなものだった。
微かではあるが進行方向に人影のようなものが見える。
その13mの巨体は間違いなくコルディアーノのものであり、彼が立っているあの場所がきっと"家"領域の境界だ。
目的地が見えたことで、主の足取りに力が戻ってきた。
だが依然として後ろとの距離はどんどん縮まっており、その勢いを減らすには至っていない。
向こうもコルディアーノの姿が見えたことでペースを上げたのだろう。
むしろ近づくペースが上がったような気がする。
既にデカリス達の呼吸音が聞こえてきそうなほど近くにその存在を感じていた。
見た目に関してはちょっと歪なデカリスで、この前仕留めたものとそう大きな違いはない。
だがその大きさが尋常ではない。
脇に並ぶ小さい方でも20mはあるし、真ん中の大きい方は30m以上あるのではないか?
その風貌は完全に怪獣映画の怪獣で、とても人間が太刀打ちできるものではないことはひと目でわかる。
というか三匹ともコルディアーノよりも遥かにデカイ。
これでは仮に領域内に逃げ込めたとしても助かるかは微妙かもしれない。
だが主はそんなことは考えていないようだ、コルディアーノを見つめるその視線には確かな信頼がある。
もしかすると、その可能性を考えたくないだけかもしれないが・・・
すると、そんな主を見て激励のためなのか、はたまたその後ろに控えるデカリス達への威嚇なのだろうか、コルディアーノの全身に力が漲るのを感じると、ところどころの装甲がめくれ上がりそこから一気に蒸気のようなものが吹き出し、機関車の警笛のような轟音が響いてきた。
ブオオオオオオオオオオオンン!!!!!!!!!!!
「グオオオオオオオオオオオウウウ!!!!!!!!」
「あああああああ!!!!!!!!!」
コルディアーノが轟音をあげそれにつられるように、それに負けじとばかりにデカリスの親玉が吠え、
さらに主もそれに負けじと雄叫びを上げながら最後の疾走を行う、が、これではギリギリ間に合いそうにない。
もう今飛びかかられれば食いつかれそうな距離しか空いていなかった。
いや、実際先頭を走っていたデカリスの子分が飛びかかってきた。
これは回避できない。
そう思った途端俺は無意識で行動を起こしていた。
他の場所に流れようとしていた魔力を全て足に叩き込む。
突然の上限超えの魔力に足からブチブチっという嫌な音が聞こえてきたが、幸いにも痛みは殆ど無い。
いや、興奮で痛みが脳まで達していなかったのだろう。
そのおかげで一気に前方向に急加速した俺達は、すぐ後ろで大きな音を立てて閉じられたデカリスの顎から逃れることに成功する。
目標を捉え損なったデカリスが後ろで大きく転けた音が聞こえてきたが構っている余裕はない。
この体格差だ、直ぐに差を詰められてしまう。
”家”の領域まであと100m
全身が過負荷に悲鳴を上げるが、それでも足をめい一杯回す。
あと70m
後ろでは早くも態勢を立て直したデカリスたちが急激に距離を縮めていた。
あと50m
もう視界にはコルディアーノの姿しか映らない、後ろから聞こえてくる音など気にする余裕はない。
あと30m
コルディアーノが姿勢を低くし腕を大きく振り上げた。
あと10m
すぐ後ろで大きな振動が発生する、恐らくデカリスのどれかが大きくジャンプしたのだろう。
主はそこでもう間に合わないと判断し、顔は前を向いたまま棒を後ろに向けありったけの魔力を込める。
俺も即座に主の意図を察し調整を開始した。
狙いもつけずに打ち出すのでそもそも当たるとは思っていない。
だから砲弾代わりの魔力溜まりは作らなかった。
そのかわり全ての魔力を発射薬代わりの魔力溜まりへ注入する。
棒の先から魔力が放出されるとその反動で前方向に吹き飛ばされた。
さながらロケットのように打ち出された俺達は、最後の10mを一気に消化して”家”領域の中に飛び込んだ。
領域に飛び込んだ瞬間、後ろをものすごい速度で何かが通過した。
転げ回る視界の中に腕を振り抜いたコルディアーノの姿が目に入ってくる。
拳の先は飛び込んできたデカリスの子分の一方の顔面を捉えており、攻撃を受けたデカリスがその体格差が嘘のように飛んでいった。
だが、まだ二匹が残っている。
しかし仲間が吹き飛ばされるのを見たせいか、正面から突っ込んでくるような愚は犯さなかった。
俺たちが”家”領域の中に入ったことで、既に目標がコルディアーノに移っているようだ。
吹き飛ばされた仲間が戦列に復帰するのを待つと、三匹で一斉に襲い掛かってきた。
自分よりも大きな者に複数で違う角度から襲われたのだ、流石のコルディアーノもこれには耐えられないだろう。
だが俺のその予想はすぐに間違いだったと気づく。
コルディアーノはその巨体からは想像できないような加速をして、3匹の中心から脱すると勢いそのままに一番大きなデカリスを殴りつける。
流石に遥かに大きいだけあって親玉格のデカリスが吹き飛ばされることはなかったが、それでもよろめいた。
その隙きに今度は両方から迫るもう二匹をかわしまたも拳を叩き込む。
その速度と威力と迫力の前に、俺達が参戦できる余地はどこにも残っていなかった。
今はただ巻き込まれないように、できるだけ距離を取ることに専念する。
その方がコルディアーノも動きやすいだろう。
そのコルディアーノの動きはとても俊敏で、その異様な速さは普段の彼からは想像できないものだった。
やはり主の前では動きを大きく制限していたのだろう。
自分よりも遥かに巨大な怪物を複数相手にしながらも、速度で翻弄し常に優位立ち回っていた。
「グオオオオオオオオオ!!!!」
痺れを切らした子分の一体が目標をこちらに変えたのか、コルディアーノから距離を取ろうとした。
しかしその隙を見逃すコルディアーノではない。
攻撃が緩んで空いた方の腕でもう片方の子分の尻尾を掴むと、そのまま離れようとした方へムチのように叩き付ける。
さらに瞬間的とはいえ2体のサポートを失った大型の懐に潜り込むと、コルディアーノの右腕が激しく振動を始めギイイイインという高音を残し、かつて無い速度で振り抜かれた。
凄まじいまでの威力を持った手刀で、大型デカリスの胸に大きな傷ができそこから大量の血液が吹き出し、周囲に雨のようにバラまいた。
仕留めたかと思ったが大型デカリスは即座にコルディアーノを蹴り飛ばし、距離を開けるとドボドボと血を流しながらも一旦領域の外側に退避した。
流石に親玉格に重症がある状態で突っ込んでくることはしないようで、三匹とも領域のすぐ外側でコルディアーノの動きを伺っている。
そこであればコルディアーノの攻撃が届かないことを知っているのだろう、3匹は徐々にお互いの間隔を広げていく。
そして三匹のうちどれかがフェイントを仕掛け、それにコルディアーノが釣られようとするとそれ以外の個体が突っ込んで来ようという動きを見せる。
しかし速度では大きくコルディアーノが上回るため、なかなか隙を作りきれないでいるようだ。
しばらくジリジリと牽制の応酬が繰り広げられるが、デカリスの距離が開くにつれ、徐々に対応が遅れ始めてきていた。
このままではまずい。
俺がそう思った時、親玉のデカリスの顔面で大きな爆発が発生した。
これまで戦いを傍観するだけに留まっていた主が砲撃魔法を放ったのだ。
どうやら調整の方は俺が無意識で行なっていたらしい。
威力は反動を主が押さえ込めるギリギリのもので、すぐに体勢を整えるとまるで機関砲のように次々にデカリスの体に砲弾を撃ち込んでいった。
ただ相手は怪獣サイズ。
いくら小型大砲並とはいえ主が踏ん張りきれる威力では豆鉄砲でしか無い。
しかしそれでも顔面に攻撃を受け続けて怯んだデカリスたちは、攻撃どころではなくなっていた。
そしてこのままでは埒が明かないと判断したのだろう、攻撃を諦めたのかジリジリと後退を始める。
それを好機と見た俺達は尚も砲撃を続け、追い打ちをかけた。
威力は少ないが当たれば大きな音が発生する砲撃と、貫通力を高めた砲撃をランダムで織り交ぜる。
あの硬そうな皮膚では碌なダメージを与えられていないが、それでも貫通砲撃は痛いらしく、通常砲撃の大きな音も相まってデカリス側の気勢は完全に削がれていた。
何度か領域内に突入を試みようとするも、連携が取れない状態ではコルディアーノに太刀打ち出来ないと悟ったのだろう。
遂には後ろを向いて逃げ出してしまった。
それを見たコルディアーノが最後の追い打ちとばかりに、再び全身から蒸気のようなものを吹き出し大音量を発生させる。
その余りにもの音量に、正直鼓膜が破れるかとも思ったがそのおかげでデカリス達の逃げ足の速度が上がったように感じた。
デカリスたちの姿が地平線の向こう側に消え見えなくなると、俺は全身から脱力するのを感じた。
同時に体の各所・・・特に酷使した足からの凄まじい筋肉痛に、その場で倒れ伏してしまった。
「・・・・いっ・・!?」
主もその痛みに驚いたようで体を動かすことができないでいる。
さすがにどうしたものかと思案していると、不意に体が持ち上げられ浮遊感を感じた。
見ればコルディアーノがそっと俺達の体を抱き上げる姿が目に入ってきた。
普段ならコルディアーノは主が傷つくのを恐れてか触れようとはしてこないのだが、おそらく動けないのを見かねたのであろう。
そうして俺達は危機を脱した。