1-14【魔法学校の入学試験 7:~スタジアム~】
翌朝。
まだ日が昇って間もない時間に、俺達は街の外れにあるとある施設に、引率のハル先生と一緒にやってきていた。
その施設は、道を歩いている時には巨大であること以外はよく分からなかったが、中に入ってみると一目でそれが何かが理解できた。
中央に巨大な空間が広がり、その周りを観客席がぐるりと取り囲んでいるその姿は、”スタジアム”と形容するのが正しいだろう。
今は専用の出入り口から”フィールド”に出てきたところで、モニカがその一種異様な光景に息を呑んでいた。
フィールドは円形で、実際に足を踏み入れて分かったが全面土張り。
芝とか石ではない。
広さは陸上競技場の3倍といったところか。
煉瓦造りの建物はコロッセオよりは近代的で、”現代”のスタジアムよりは牧歌的な印象だ。
そして、ところどころに魔力によると見られる”豪快”な建材の使い方がこの世界ならではの特徴か。
あのビルみたいな太さの柱とか梁とか、どうやってあそこに持っていったのだろうか?
そして客席はアクリラらしく様々な色でカラフルに塗り分けられていて、それを認識した俺が、無意識にここから見える客席の数を数える。
ベンチスタイルのシートが約3万人分に、座席が1万2132席、それとここからではよく見えない部分も合わせれば5万人くらいか?
なのでフィールドの大きさを考えるならば、客席の大きさは少し小さく見える。
ただしそれは地球の高度に発展した社会の大都市にあるような特別巨大なスタジアムと比較しての話だ。
街ではあるものの、大都市とはいえないアクリラの外れにある競技場としては、破格の規模だろう。
そして広大なフィールドの端っこに、何やら大層な金属製のやぐらが組んであり、どうやら俺達はそこに向かうらしい。
やぐらの前に見知った教師陣の顔ぶれが並んでいた。
金属のやぐらはスタジアムから見れば小さいものの、その横に並ぶ教師陣と比べればかなり大きく、それを支える骨組みは一本一本が大木のように太い。
ただ不思議なことに、骨組みの各所がまるで長時間炎に炙られていたかのように煤けていた。
「あれ、何? ですか?」
その異様にモニカが前を歩くハル先生に質問した。
「あれが、あなたの魔力量を測る機械ですよ」
「あれ・・・が?」
「また、随分と物騒な・・・」
この機械、仮に何かを測る道具だとしても、絶対人間用じゃない。
その機械は近くで見ると、小さな山といった大きさで、近づけばてっぺんは見上げないといけなかった。
さらに四隅を車並みに巨大なボルトの様な物で固定されており、底の中央部に人が入れるサイズの穴が掘ってある。
そしてそこから、丸メガネに僅かに青い髪が残る頭の禿げた謎の男が顔を出して、機械のあちこちを調べていた。
「『おはよう、モニカ、ロン、それとハル先生、引率ご苦労だった』」
やぐらの前に居た先生方を代表してアラン先生が声をかけてきた。
「お、おはようございます・・・」
「おはようございます」
それに対し俺とモニカが揃って朝の挨拶を行う。
モニカはどうもまだアラン先生に少し緊張するところがあるようだ。
以前見た赤の精霊と違い、アラン先生は経験豊富なのか”世界からの保護”の効果を調整できるので、見ただけで恐怖するということはないが、そうは言っても持っている”格”の大きさゆえか、どうしても緊張してしまうのだろう。
「今日は校長先生はいないんですね」
俺が居並ぶ教師陣の顔ぶれを見てそう言った。
今この場には、昨日試験官として紹介された7人のうち6人が揃っている。
それと謎の丸メガネの男が一人。
「『校長は忙しいからの、午後の試験が終わる頃には合流してくるそうだ』」
やっぱり校長って忙しいんだな。
「『それもあるが・・・』」
すると俺の心の声にアラン先生が反応し、そこで意味深な表情で止めた。
あの・・・アラン先生? 聞こえてるならそこで止めないでくださいますか?
すごく気になるんですが・・・
だが俺がそう言っても、当のアランは意味深な表情の意味をさらに深くするだけだった。
「『あー・・・校長は来ない、が、そのかわり・・・ああ、ちょうど来たようだ』」
そう言ってアラン先生が俺達の後ろを見る。
するとそれに釣られてモニカが後ろを振り向いた。
だがそこには誰もいないスタジアムの反対側が見えるだけだ。
「誰もいないけど・・・?」
モニカが顔を戻してアラン先生に不思議そうに聞いた。
それに対しアラン先生は意味深な表情を維持したままで、そこに何故か面白がるような笑みが混じる。
だがよく分からなかったモニカと違い、俺は”それ”が高速で這いながら移動する瞬間を、後方視界でバッチリと見てしまい、声も出せなくなっていた。
「・・・? ロン?」
ようやくモニカが俺が放つ恐怖と驚きの感情を拾って、怪訝そうな声で呼びかけてきた。
「『スリード先生、幼子をからかうのは、およしなさいな』」
「え? スリード先生?」
モニカが聞き覚えのある名前に、また頭を動かして周囲を見渡したが相変わらず視界には何も入らない。
だがよく見れば、俺達の視界をグルリと取り囲むように、先程まで無かったはずの真っ黒な丸太のような柱が一定間隔で立っていることに気がつくだろう。
そして実際に”それ”に気付いたモニカが、なんだろうかとそのうちの一本を睨む。
こうして見ると本当に木のように見える質感だが・・・
だけど木じゃないんだよね・・・・
「ここだよ」
「!?」
突如、上から声がかかり、驚いたモニカが瞬間的に頭を上に向ける。
すると空中からこちらを見下ろす絶世の美女と目があった。
「・・・・・」
「やあ!」
無言のモニカに対し、その”美女”がニコリと笑いながら元気よく声を掛けてきた。
「・・・・・」
だがそれに対しモニカは尚も無言のまま。
そこにいたのは空中からぶら下がる美女・・・というか美女の上半身。
それは真っ黒で巨大な”物体”から生えていて、さらにその”物体”からは何本もの太くて長い足が生えていたのだ。
そして、その物体が僅かに動くと、モニカの頭を”サー”っと血の気が引く音が流れて、そのまま腰を抜かして地面にペタリと尻を付いてしまった。
「え? ・・・・”何”?」
モニカが、己の理解できない”恐怖”に戸惑う。
一方の俺も全く思考どころではなかった。
想像してほしい、自分の上に覆いかぶさる魔獣のように巨大な”蜘蛛”の姿を。
いや・・・魔獣なのか。
とにかく真っ黒で馬鹿でかい・・・胴体がだいたい3mで、全体から見れば異常に細長い足が直径20mの範囲に広がっているような蜘蛛が、いつの間にか自分の真上に陣取りこちらを見下ろしているのだ。
しかも俺はその上、その巨大な蜘蛛がスタジアムの側面を恐ろしいほどの高速で動くのを見てしまっている。
その恐怖は言葉ではとても表せなかった。
そしてその恐怖に、モニカの体が”本能的”に反応した。
即座に体に纏っていたフロウを取り出して、そのまま上に向けて全力の砲撃魔法を発射したのだ。
競技場の中に凄まじい爆発音が響き、その反動でモニカの体が地面を掘って少し埋もれてしまった。
さらにその直後、至近距離で着弾した砲弾から発せられたものすごい爆風が辺りを駆け抜け、その威力に教師陣の目の色が変わる。
だが魔力砲弾が顔面に直撃したはずのアラクネは、
「はははは、いいねぇ、その反応! これだから”初物”を脅かすのはたまらない!」
と、当たり前のように無傷で、俺達の攻撃など全く気にも留めていないとばかりに、逆さまのまま腹を抱えて笑いだしたのだ。
どうやらモニカの反応が面白いらしい。
この美女の反応からして、おそらく声もかけずに超高速で俺達の上まで移動したのはこれが狙いだ。
「スリード先生、受験生をからかって遊ぶのは結構ですが、ちゃんと持ってきてくれましたかな?」
その時、巨大な鉄のやぐらの下から丸メガネの男の声がかかった。
「もちろんだよウォルター、といってもシリンダーの違いなんてわからないから、言われた名前の書いてある棚から、適当に持ってきただけだけど」
そう言ってスリードと呼ばれた巨大クモ女がひっくり返っていた上半身を起こして、そのまま背中に抱えていた大きな筒を手にとって上に掲げた。
その筒は、長さが2mで直径1mほどの表面がネジのように捻れた独特の形をしていた。
「これでいいかい?」
「ああ、それだスリード先生、こっちに来て付けてくだされ」
ウォルターと呼ばれた丸メガネの男が、スリード先生が持ち上げた筒を一見すると、満足そうに頷き、腕を振ってこっちに来いと合図を送る。
するとスリード先生がそのまま、その巨大な足を器用に動かしてまるで滑るように金属のやぐらへと歩いていった。
最初見た時は巨大だと感じたこのやぐらも、スリード先生が相手では”身の丈サイズ”になってしまう。
そしてスリード先生はやぐらの側にたどり着くと、8ある巨大な足とは別に一番前についている爪の付いた少し短めの腕のような”前脚”で、やぐらの両端を掴み、そのまま軽々と空中へ持ち上げてしまった。
「・・・・・」
俺達は巨大な蜘蛛がやぐらを”作業”として持ち上げる違和感全開のその光景を、ただ無言で見つめていた。
どうやらこの金属のやぐらは、上の骨組み部分と下の台座部分が別れる構造らしく、台座の中にはちょうどスリード先生が”手”で抱える筒が嵌まる大きさの空間が空いていた。
『あの”人”がスリード先生か・・・声から予想していたのとは少し違うな・・・』
ようやく思考を取り戻した俺がその”第一印象”をモニカに伝えると、モニカからも同意の感情が流れてきた。
どうやらモニカも思考が戻ってきたようだ。
もちろん”上半身”はほぼイメージ通りだ。
髪の色とか顔の形とか、体型とか色々違うけれど”人形の女性”という点ではイメージ通りといえる。
だが問題は下半分・・・というか下9割だ。
手配書などで事前にスリード先生が半人半蜘蛛のアラクネであることは知っていたが、まさかここまで巨大な蜘蛛だとは予想もしていなかった。
そして何より俺達が恐怖したのは、その巨大さを微塵も感じさせないスムーズで力強い動作だ。
おそらく遠くから見たこの先生の動きと、近くで見た普通の蜘蛛の動きは殆ど変わらなく見えるだろう。
完全にスケール感が狂わされている。
その時点でこのアラクネが重力や慣性といった巨大さ故の”問題”を全く意に介していないことは明白だ。
魔獣化したサイカリウスやアントラムでさえ、その巨体を動かすための”力強さ”を感じたというのにこの蜘蛛にはそれが無い。
それはもう”力”などという言葉では表現できないほどの高密度の力と、それを完璧なまでに制御し切る恐るべき制御能力があるということに他ならない。
あの足があの位置にあるのは、”地面に当たった”からではなく、地面につく位置でスリード先生が止めているからなのだ。
Sランク魔獣。
その何気ない所作に、その意味の”一端”を見たような気がする。
少なくとも俺達の全力の砲撃魔法を気にもしてない時点で、今まで見てきた全ての魔獣と比較する気は起きなかった。
そして、そんな”この世のバケモノ”はというと・・・
「ここでいいか?」
「ちょい右、あ! そっちから見て左! もう少し!」
冴えない禿頭の丸メガネのおっさんの指示で、先程の筒をフラフラ動かしていたのだ。
「あ! そこそこ! そのまま降ろして!」
「お! ここか! いくぞ!」
「おーらい! おーらい! ゆっくり! ゆーっくり!」
次の瞬間、筒がやぐらの下にあった機械に、カチリと挟まる音がスタジアムの観客席に反響した。
「おし! しっかり嵌ったぞ! 枠を元に戻してくれ!」
ウォルター、親指を立ててスリード先生に合図をすると、巨大アラクネは”前脚”を器用に動かしてゆっくりと骨組みを台座に乗せた。
すると即座に底の穴からウォルターが飛び出し巨大なスパナのようなもので骨組みを固定して回る。
「これで、よし!」
やぐらがしっかりと固定されていることを確認したウォルターが、手に持っていた巨大なスパナを大きく振り上げる。
するとそれに合わせて、スリード先生の前脚が動いて”カーン!”というスパナと前脚の爪がぶつかる甲高い音がスタジアムの中に鳴り響いた。
最初はその行動の意味がわからなかったが、2人の様子からしてたぶん”ハイタッチ”的な儀式であろうことをすぐに察する。
そしてそのまま、ウォルターが俺達の方へ向かって歩きながら口を開いた。
「シリンダー部に亀裂があったので、スリード先生に取りに行ってもらっていたんだ、交換したから後は問題ない、調整は終わってる」
そう言って”報告”を済ませると、今度は未だに地面に埋もれるように尻餅をついたままのモニカを、怪訝な表情で見つめ、
「なにやってんだ?」
と声を掛けてきた。
それに対し、突如声を掛けられたモニカは反応できずにいた。
「え・・・ええっと・・・」
「そんなところに座ってないで、早くあの穴の下に入ってくれ」
そう言って指し示されたのは、さっきまでそのウォルターが入っていたやぐらの底の穴。
するとモニカが”何で?”といった表情で男を見返す。
「あれ? 聞いてないのか?」
「ええっと・・・魔力を測るとは・・・」
「それだけ知ってりゃ十分、穴に入れば指示はこちらから出すよ」
そう言ってその男がこちらに向かって手を伸ばし、少し間があってからモニカがその手を取って引っ張り起こされた。
その時に気づいたがこの男・・・
「あれ?」
モニカも気づいたようだ。
なぜだか分からないがこの男、妙に力が弱い。
もちろんそれでもモニカを引っ張り上げるだけの力はあるし、どちらかといえば筋力は強い方だろう。
だが、この世界の住人ならば持っているはずの、後から湧いてくるような力が全く無いのだ。
「なーにビックリしてんだ?」
「あ、いや、力が・・・」
するとウォルターの表情がさらに怪訝なものに変わる。
「俺は”魔なし”だ、わかったら早く穴の中に入る!」
「は、はい」
ウォルターに追い立てられるように、モニカが走りやぐらの方へと向かう。
それにしても”魔なし”とは・・・俺が完全記憶のデータを検索すると、すぐに”リコの弟”という単語にぶち当たった。
ああ、そういえば俺達が人界で初めて出会ったあのレンジャーの男が、そんな話をしていたな。
『モニカ、”魔なし”ってのはリコが言っていた、魔力の才能が全くない人間のことだ』
「・・・才能が少しでもあったら駄目ってやつ?」
『そうそう、それそれ、初めて見るが本当に魔力がないんだな』
この世界の住人は程度の違いこそあるが基本的に皆、日常的に筋力強化などを瞬間的に使って生活している。
なので子供であっても意外と大きな荷物を抱えたり、老人が元気に動き回ったりしている。
だが”魔なし”にはそれすら出来ないので、”この世界的”にはかなり非力なのだ。
そしてそんな人物がアクリラでSランク魔獣相手に、対等に物を言っているところを見ると、その理由まではまだ分からないが、”全く才能がないことも才能”とされる事の証拠を見たような気がしたのだった。