二話
――その日、狩人職能者組合にいた者達は来訪者を迎え、一言も発することのできる者もいないまま、静寂に包まれていた。
何気なく戸口に現れたその男は、圧倒的な存在感を放っていた。外から差し込む逆光を背にし、真っ黒な巌のような男だった。
大型の獣だろうか、真っ黒で毛足の長い毛皮をローブのようにまとい、手には黒光りする重そうな木の杖を持っている。顔の半分を艶やかな長いひげが覆い隠している。一本一本が天を突くように逆立っている眉毛の下から除く眼光は、すべてを見透かすかのように鋭い。その姿はまるで、この世すべての悪を滅ぼすというシタ―神のようだった。
男は、その印象とは裏腹に一切音を立てず、滑るように職能者組合の真ん中を通ってカウンターに向かった。
その物腰や所作から、凄まじい強者であることを感じない者はいなかった。カウンターには何人かが待っていたが、男が近づくと慌てて後ずさって逃げた。
受付の若い女の子の目の前に立った男は、しばらく逡巡をみせたあと口を開いた。
「登録をしたい」
男の、雷鳴のように腹にずしんと来るような低音の洗礼を浴びて、受付の女の子は気絶していた。周りの狩人達がざわめいている。
「無理もない……可哀想に。あの子じゃ無理だろ」
「ベテランが対応してやれよ」
「でも、俺だってあんなスゴそうなの対応したくないぜ……」
その様子を見ていたベテランと思われる女性職員がおそるおそるやってきて対応を始めた。気絶した女の子は安らかな寝顔を晒したままだ。
「い……以前にご登録いただいたことはあ、ありますか」
ベテランの職員といえども、裏返り、震える声音を隠すことができないでいた。
「ない」
男は落ち着き払って、短い答えを返す。
「ひいっ!すみませんすみませんすみませえん!」
ベテランの職員は慌てて謝ると、次の手順を実行すべく、緊張のあまり机の上のものをさまざま振り落としながら、新しい書類を用意した。
「お、お名前と、依頼に際してどのような方法で対応されるのかをお、お答えください。」
「ブシンという……。どのような方法とはつまり?」
「お、おお大まかに言っていただければ結構です。ぶぶ武器を使用する、罠を使用する、あとは……魔法……とかってことはないですよね」
「魔法を使う」
――瞬間、職能者組合内に大きなどよめきが起こった。ひそひそと言葉を交わし合う狩人達。
「嘘つけよ!素手で一日に三人は殺してます、みたいな顔して魔法とか!」
「さすがに冗談か何かだろ……だよな?」
「あの身のこなし、ここにいる誰だってあんな動きできるやついないぞ」
「さっき入ってきたときなんて気づいたらカウンターの前にいたしな……」
今や、突然の闖入者の話題でもちきりのギルド内に、再び男の声がひびいた。
「なんでもいい、仕事が欲しい」
先ほどの喧騒が嘘のように静まり返り、男のやりとりに耳目が集中している。その中にあって、男の声はよく通った。
「なんでもいい、とおっしゃられても……。さ、最初は基本の依頼をいくつかこなしていただいて、徐々に難しいとされる依頼をこなしていただかなくてはならないのですが……」
突然の申し出に、ベテラン職員は困惑した様子で仕組みを説明した。
「どれくらい基本の依頼をこなせば、難しい依頼を受けられるようになる?」
「い、依頼は一件ごとに、達成状況を見て職能者組合から評価がくだされます。評価を得ていくと依頼十回ごとに査定され、五級から一級にあがっていく仕組みです」
「評価……」
ぎょろりと目を動かして男が尋ねた。ベテラン職員はおびえて仰け反った。
「そそそ、そうです……上から優・良・可・不可・劣です」
「どう達成したらそれぞれに当てはまるのか、その基準を教えてほしい」
意外にも男はきちんと話を聞いていた。
「そ、それでは……害獣駆除の依頼を例にして説明しますと、優であれば、依頼目標の駆除を期限より早く、被害を抑えることで獲得可能です。良なら、期限内に軽微な被害で達成された場合に該当します」
「……基準が曖昧なところが多いな」
男の指摘にベテラン職員は狼狽し、慌てて弁明した。
「そ、それは相手が生き物ですから、状況によって職能者組合が判断するので明確な基準をさだめることが困難だからです」
「責めているわけではない。続きを」
男の言葉に安心したのか、それとも少しずつ慣れてきたのか、ベテラン職員のぎこちなさもとれてきていた。
「は、はい。可は期限内に討伐されたものの、秀・優のどちらの状態にも当てはまらない場合です。不可は期限内に達成ができなかった場合です。設けられた期限を超えると報酬がでなくなることもあります。劣というのは被害が甚大であったり、手負いにした上に逃げられてしまった場合などです」
「低い評価を得ることで何か不利益は?」
「……劣を二回とってしまうと、職業狩人としての登録を抹消されます」
「そうか……」
低評価をとることのリスクについての説明を受けた男は少しの間考え込んだ。
「内容は良くわかった。登録を進めてほしい。基本の依頼の中から、今受けられるものを見繕ってくれ」
男はそれだけ言うと、黙って待つことに決めたようだった。
男が最初に受けた依頼はスーリョという害獣の駆除依頼だった。
スーリョは、短毛で手足の短い害獣だ。雑食で夜行性、そして繁殖力が強い。農作物に味を占めると近くに巣を作り、田畑を荒らしまわることから農村では一番の害獣として忌み嫌われている。家族単位で群れを作って行動するため、十匹程度の一群れを駆除して一区切りと言われている。人に危害を加えるほどの危険性はほとんどないが、却ってその危険性の低さから、後回しにされがちな駆除対象でもある。しかしながら、警戒心が強く、人の臭いや気配を察知すると決して近づいてこない。それゆえに習性を熟知していないと完全な駆除は難しいとされる。職能者組合で最初に受ける依頼としては難しい部類といえた。
今回の依頼主は、職能者組合のあるテベツ国第五位の都市ヨスカから、タリと呼ばれる騎乗可能な動物の足で一日程度の距離にあるシマド村の村長からだった。
職能者組合を出たブシンは異常なほどの健脚で、わずか半日後の夕方にシマド村に到着していた。
シマド村でも、ブシンを見た村人はひどく狼狽して取り乱した。職能者組合から派遣されたと聞くにいたってようやく警戒をゆるめた。
ブシンは職能者組合同様に恐怖と驚愕で出迎えられたあと、夜行性のスーリョを待ち伏せるべく畑の近くに潜んでいた。
幸いにも月の明るい夜で、あたりはよく見えていた。
それまで圧倒的な存在感を放っていたブシンが、畑近くの建物の影に立つとまるで存在感が無くなった。遠くからその姿を見守っていた村長達は、まるでいなくなったかのように存在感を消したブシンの実力を目の当たりにして、戦慄していた。
「村長、あの人は本当に大丈夫なんだろうか。害獣駆除なんてしたことがあるようには見えないが……」
ブシンを見て不安になったのか、村人の一人がそう口にした。
「あの身のこなしといい、風貌といい、どう見たって強いのは間違いなさそうだ。獣なんぞイチコロだろうさ」
そう言う村長だが、表情はすぐれない。
「罠も毒餌も用意してないみたいだぞ。弓もないみたいだ。あの手に持った棒でやる気なんだろうか」
村人が指摘したように、ブシンの手元には真っ黒で滑らかな艶のある木の杖があった。
「そこはたしかに心配だが、何か策があるんだろうさ。心配したってわしらにはどうにもできん。待つだけ待つしかないだろう」
腹をくくったのか、村長は覚悟を決めた顔をしていた。
その後、しばらくは何事もなく過ぎていった。夜も更け、村長と村人もこくりこくりと船を漕ぎ始めた頃だった。
突風が吹いた。居眠りを初めて、落ちかけていた頭がのけぞるほどの風圧だった。暴風で眠気も吹き飛ばされたところで、村人たちは気がついた。畑の表面が半分吹き飛んでいた。
「スーリョの肉と毛皮はどうする。報告に必要なので耳だけはもらう」
そう言いながら、両手にスーリョの亡骸を抱えたブシンが村長の近くまで歩み寄ってきた。
「あ、あ、あ……」
畑の様子を見て言葉も出ない村長と村人達。
「依頼は達成ということでいいな?」
惨状を目にした村長と村人達は、壊れたように首を上下に振ることしかできなかった。
「ではこれで」
そういうとブシンは一息つくこともせず、村から歩み去っていった。
「これではどちらが害獣なのか……いや、もう災害ではないか」
面と向かって言えなかった村長の呟きが、月に照らされ、風に耕された畑に吸い込まれていった。
職能者組合は再びざわついていた。八日の期間を見込まれていた駆除依頼を、一昨日入った新人がわずか二日で終えて昨日の内に帰ってきたという話で持ちきりだった。
「昨日の時点で只者じゃねえってのは俺にはわかってたぜ」
「それにしたって二日は早すぎるだろ。タリに乗ったって二日じゃ往復するのがやっとだぞ」
「それでも駆除証明部位は持ち帰ってるらしいぞ」
「本当かよ……。一体どんなことをやったらそんなことができるんだ?」
「おい、ちょっと……」
それまでざわめいていた職能者組合に再び静寂の帳が降りた。
入り口から、噂の新人が入ってくるところだった。新人がまっすぐ向かったカウンターからは勝手に波が割れるように冒険者が道を開けていた。周囲は固唾を呑んでブシンと受付の会話に聞き耳をたてている。
「報酬を受け取りにきた」
「……」
受付の若い女の子は二度目ということもあってか、さすがに気絶はしていないものの、口を開いたり閉じたりするだけで何も発声できないでいた。ようやく振り絞った蚊の鳴くような声で案内した。
「お、おお奥の部屋にお越しください……」
「奥の部屋……なにかあるのか?」
奥に案内されたことを訝しがるその声は、受付の女の子には猛獣の唸り声のようにでも聞こえているのだろう。
「ぶっ、部長が、おはな、はなっ、話がしたいと」
蝋のような顔色になった受付嬢が必死で言葉を絞り出した。
「ふうむ……了解した。場所は」
「ご案内いたします」
見かねたベテランの受付職員が案内を申し出た。ブシンもその背中におとなしくついていった。
通された部屋にはまだ誰もいなかった。物珍しげに辺りを見回しているブシンに席をすすめると、職員は退室していった。入れ違いに入ってきた別の女性職員が湯気のたつ飲み物を運んできた。カップを机に置く際、瘧にかかったかのようにぶるぶると激しく震えていたが、奇跡的に中身の半分はカップに残っていた。自分に降りかかった熱湯をわずかな動作で椅子を引いて回避したブシンは、平謝りしながらブシンの体を拭こうとする職員をさがらせてから、カップに口をつけた。口をつける瞬間、それまでに似合わぬ所作でビクリと大きく体を震わせたあと、眉をしかめながらちびりちびりと飲み始めた。時折唸っていたが、それが不満の声なのか、美味ゆえの満足の声なのかはわからない。
しばらくして、応接室の扉がゆっくりと開いた。姿を見せたのは中年の男だった。部長を名乗ったその男の顔半分には二本の大きな溝が刻まれていた。ぼこぼこと薄桃色に盛り上がったその傷跡は、つけられたとき、如何にそれが深いものだったかを想像させた。
「さて、あなたがブシンさんですね」
話しだした男の声は高く、ひどくかすれていて聞き取りにくかったが、言葉遣いは丁寧だった。
「そうだ」
ブシンは特に身構えることもなく言葉を聞いている。
「昨日報告いただいた依頼の件ですが……」
男は言葉を濁した。
「何か問題でも」
心底不思議そうにブシンが聞き返した。
「本日未明に依頼者の村から連絡が入りましてね。なんでもあなたが駆除の際、どのような手段をもってしてか畑を半分吹き飛ばしてしまった、という報告があがってきております。これの真偽を伺いたいと思いまして」
不思議そうな顔で、ブシンは返答した。
「それについては事実だ。しかし依頼は達成したはずだ。村長にも依頼が終わった後にこれでいいかと念を押したが、村人達といっしょに何度も頷いていた」
男は眉尻を下げて、困ったように少し俯いて話しだした。
「確かに、村長もそのように申しておりました。でもねブシンさん。スーリョの駆除にも困るような非力な人たちが、一瞬で畑を吹き飛ばせる人に逆らえますか?」
「いや、しかし、こちらとしては決して脅したわけではない。単に確認を取っただけのこと」
僅かに口調を早めてブシンは反論したが、男は冷静に切り返した。
「あなたのおっしゃりたいこともよくわかります。しかしながらあなたが村人達の生活の基盤となる畑の半分を吹き飛ばしたという事実、そして彼らが実際にあなたにひどく怯えていたこともまた本当なんです」
「……」
ブシンは瞑目してその言葉を聞いていた。
「本来であれば、この依頼の評価は、客観的な状況だけで判断すると、畑の被害状況だけでも劣をつけざるおえないところです」
劣という言葉を聞いたブシンの口から、僅かに悔しがるような唸り声が漏れた。その様子を見ながら、男は先を続けた。
「しかしながら今日こうしてあなたを目前にしてわかりました。あなたには決して悪気があったわけではないのでしょう」
男はブシンを容姿だけで決めつけることはしていなかった。
「今回は……初めての依頼だったということで評価については劣ではなく、劣に限りなく近い"不可"とさせていただきます」
「不可……」
見た目だけではわかりにくいが、不可という評価を聞いたブシンの声は暗い。それを慰めるように男は付け加えた。
「どんなことにも必ず始まりはあります。あなたはどうやら類まれな力をお持ちのようですね。でも本当に大切なのは必要な力を必要なだけ、必要な所に注ぐことなのです。過剰な力はいつだって人の身を滅ぼします」
「肝に銘じよう……」
重々しい口調でブシンが答えた。
「それならば、次の依頼は私が決めさせていただきましょう。最初に行うには駆除の依頼はふさわしくありません。いかに力を持ったあなたといえでも多少の下積みは必要です」
「承知した」
男も素直にブシンが応じたことに安心したのか、声音からいくらか硬さが消えていた。
「それでは、ブシンさんにはチネリ草を取ってきていただきます。かなり離れた所にある村ですが、二日でシマド村まで往復したあなたなら問題なく達成できる依頼でしょう」
「そうか、村の場所と必要な草の量は?」
薬草の採取という地味な依頼だったが、ブシンは何の不満を口にすることもせず、条件を聞いた。
「スタナ村と言います。途中までは街道でいけますが、サナサン草原に入ってからは街道はありません。職能者組合購買でサナサン草原の略図を買っていくことをおすすめします。チネリ草は職能者組合がすべて買い取りますので、持てるだけ持ち帰ってください。最低量の目安は二リーナです」
こうして、ブシンはスタナ村に向かうことになるのだった。